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2014年10月24日金曜日

「オプソ!」




男を売る世界は言葉を売る世界でもある。

例えば喧嘩をすることを「踊る」という。ヨシッ、トコトン踊ってやるとなる。
ボッコボコにすることを「ハンペン」にするという。
フニャフニャの骨抜きにする意味だ。

「ササラモサラ」にしてやるというのがある。
一本の竹で殴り続けるとバラバラに割れてしまう、つまりバラバラにしてやるということ。他にも実に日本語の幅広さを使い分ける。
刑務所に入ることを「旅を打つ」なんてイキな表現をする。
また入所すると赤い服を着せられるので「赤落ち」ともいう。

ある原稿を書いていて、ふといろんな言葉を思い出してしまった。
この頃男を下げる者が多い。言葉のボキャブラリーが不足しているのだろう。
人生経験を積んでない学歴エリートたちは教科書に書いてあることしか応用できない。
それ故会話がつまらない。

小渕優子氏が辞任した後に就任した宮沢洋新通産大臣の秘書がSMバーで18,000円ほど税金で払ってしまった。相変わらず、私は行っていない。私にそんな趣味はない。
秘書に自分の金で穴埋めさせて修正します。私はこれほど真面目ですと顔を赤くしていた。
顔には何度行ってますと書いてあった?

韓国語で「オプソ」というのがある。
日本語にすると「終り」というような意味だ。
これから通産大臣の姿を見る度に、ムチだ鎖だ、縄だ手錠がオーバーラップするだろう。つまり彼はオプソ、終わったのだ。


うちわとかワインとか芝居にSMと、いよいよ低レベルとなって来た。
和牛が次の候補らしい。「モー」どうすることもできない。
みんな一束にしてササラモサラになるまでおしおきだとSMの女王様がいっているかもしれない。

2014年10月23日木曜日

「あと6日」


キラリトギンザ 外観イメージ


「世に生を得るは事を為すにあり」坂本龍馬はこういった。

男がいちばんステキで魅力ある姿は何かといえば、寝食を忘れ、自分にかけられた期待に応えるべく懸命に打ち込んでいる姿だ。
それは全力で走りきったアスリートのようであり、最終ラウンドまで打ち合ったボクサーの姿のようでもある。

一つのブランドを立ち上げるということは、砂漠に花を咲かせるほど大変なこと。
「全力熱心執念一途懸命根気愛情絶対創造斬新自信確信」そしていかに「鋭い平凡」を取り入れるかだ。はじめから完璧をつくると、人はかえって入ってはこない。
何気ないお客さんの意見を鋭く分析し、生かして行く感性がいいショップを生む。
ブランドはお客さんが育ててくれるものでもある。

今お手伝いをしているショップ内の撮影を昨夜した。
深夜近く、最後に店長になる人の撮影をした。いつもは元気ハツラツ、二枚目の役者さんのようなのだが、顔に疲れが出ていた。その顔は写真的にはとてもいいのだが、やはり元気ハツラツな時にもう一度撮影をする。
男が大仕事を任せられるのは、人生の冥利につきることだ。

銀座一丁目キラリトギンザ3階、30坪に全力をつくして来た人間たちの大きな夢がオープンする。

さて、よく働き、よく疲れた人間にとって何が必要か、それは「よく眠ること」と地球上に人類が誕生したときから決まっている。
最高の健康法とは何かといえば「よく眠ること」しかない。
最良の美容法とは何か「よく眠ること」しかない。
そんなとてもいいものを提案、提供していくショップだ。
お客さんが気軽に参加してくれる。何気ない意見を鋭く分析して生かしていく。

「鋭い平凡」とはそんな哲学だといえる。オープンまであと6日だ。

2014年10月22日水曜日

「カナラズカツ」


イメージです


1022日午前126分〜201分、いつものようにシコシコとイロイロなものを書きながらテレビを見た。

大好きな「深夜食堂」が久々に始まった。
小林薫が実にいい味を出しながら、いい味を作ってお客に出す。
深夜12時から朝7時頃まで営業する。
21話は「メンチカツ」であった。

かつてメンチカツはとんかつに次ぐ主役であった。
とんかつ、メンチカツ、コロッケは三人兄弟のようなものだった。
長男のとんかつは今でも絶対的スターであり、三男のコロッケは不動のスターである。

が、メンチカツはというとかつての輝きがない。
何故か、それはハンバーグという強敵が現れたからだ。
メンチカツはハンバーグに衣をつけて揚げたんじゃないのという、軽く見られたものになってしまった。メンチカツを食べるならハンバーグの方がいいじゃんなのだ。
だが私にとってメンチカツはかわいい舎弟分というか、兄弟分なのだ。
コイツのためなら命を張ってもいいと思う時期があった。

少年の頃、アツアツの揚げたてのメンチカツを買ってコッペパンを二分割にしてそこに挟む、マーガリンをたっぷり塗ったパンにのせ、ブルドッグソースをたっぷりかけて少し強めにギュッギュッとパンを押さえ込む。
揚げたてのふっくらしたメンチカツがパンの中で分裂する肉汁が出てソースと合体する。そこにマーガリンが溶け合い三位一体となる。これ以上の格別はなかった。

テレビの深夜食堂ではお皿の上にキャベツと洋がらしを一緒に出していた。
明日はメンチカツを食べよう、コッペパンを買わねばならない。
今、仕事させてもらっている新しいブランドのオープンまであと6日だ。

「キラリト ギンザ」という銀座一丁目中央通りでデビュー。
詳しくは後日、今夜10時からショプ内を撮影する。930分集合だ。
この勝負は絶対負けられない。カナラズカツだ。

2014年10月21日火曜日

「『ジーニングライフ』と『ジニングライフ』」




もしもし、ハイハイ、あの〜駅前の裁縫屋ですけど、ハイハイどうしたのオバチャンというと、先日修繕に預かったジーパンの直しが思いの外大変でもう少しお時間を、それとあと2000円程追加分をお願いします、いいですかという。
 あっそう結構穴だらけですり切れだらけだから、全然いいですよヨロシクねと頼んだ。

12年間3本のジーパンを使い分けて来た。
特に1本はお気に入りでもう4回も直してもらっている。
丈夫なジーパンも毎日はいているとヒザとかオシリの部分がすり減って、遂にはポッカリと穴があいてしまう。

ダメージジーンズといって最初から痛めているジーンズを買ったのだがその個所が大きくなってしまうのだ。
その都度ジーンズの修繕と直しをオバチャンたち(交代で数人いる)に頼んでミシンで縫ってもらう。

気に入った1本はアメリカ製でTRUE RELIGIONという。
今では上野アメ横の半畳位の「根岸」というショップにしかない。
先日そこに行ったがラインはいいが気に入った色がなかった。
もう新しく入荷はしないとか。

私と同じこのブランドマニアがいて中古で1本4,500円位するのを一人で23本買って行くという。私が中古で買った時は1本18,000円位だった。
1回の直し代が5,000円位だから4回として20,000円、合計38,000円位で現在まで私の両足を守ってくれている。

アメ横のお兄さんがいうには近頃日本人の女性がすっかりジーパンをはかなくなってしまった。レギンスというファッションがジーパンを後退させてしまった。
海外のブランドは日本から次々と撤退してしまったそうだ。
ジーパンはアメリカがゴールドラッシュの時、鉱夫たちのために丈夫な服を作った。
やがてカウボーイたちが着る。

日本ではラングラージーンズが、ジーニングライフを若者たちに提案し爆発的に売れた。ジーンズは日常の服装となった。「ケネディは好きだったけど、ジャックリーヌは嫌いだ。」が確か最初のキャッチフレーズだった。
田村義信という名手が書いたコピーだ。

現在の女性は足が、長く細く見えるし、軽くて動きやすいからと黒のスパッツをはいている。そしてスカートが復活した。
今日から直し終わった縫い傷だらけのジーパンをまたはき始める。
新聞、テレビでは二人の大臣のジニンを伝える。こちらはジニングライフだ。

あるジーンズマニアがいった。人生で一本気に入ったジーンズにあえたら幸せだと。
親友も一人出会えたら幸せだという。はじめて会ったオバチャンに手厚く礼をいったら、このジーパンはどんな人が取りに来るかと思っていたけどやっぱりねといった。
その笑顔の意味は。
辻堂駅西口線路側、洋服ならなんでも直してくれる凄腕のオバチャンがいる。

2014年10月20日月曜日

「ある歌手の覚悟」




1960年創業時に入社した人間で定年退職したのはわずか一人だけ。
先日再上場したリクルート社のことだ。世に「リク系」という言葉がある。
リクルート出身の人間は仕事が出来る、使いこなせない位に使える、そしてみんな起業していく。
どの会社もリク系の人間をリクルートする。

私も何年か前に仕事をしたが、とにかく若い、決断が速い、決定が速かった。
2528才で課長になり、3235才で部長になり、退職、起業する。それより長くいた人間は4045才位で役員になるがやはり殆どが起業もしくは、リクルートされていく。
それが社風であり決まりのようでもある。

リクルート事件の時手を差し伸べ救ったダイエーは今や跡形もない。
女装して逃亡していた創業者「江副浩正」は時代の先を走り過ぎて桂馬の高転びのように転倒してしまったが、残した人材という宝がその意志を受け継いでいた。

「自ら機会をつくって、自らその機会で変えよう」確かこんな社訓があった。
リクルート事件以来、社訓は外されたが、一人ひとりの社員はそれを胸にし、大事にし、その教えを守り次々と新事業を生み、また退職し起業している。ダイエーは人材を残さずに消えた。


リクルートは木の枝から落ちた種から、木が生まれ花を咲かせる「実生」のように人材の木を育て、花を咲かせた。10年守りの経営に徹すると企業はだめになると、ある高名な経営者はいった。すべては人材次第といえる。
人材がマンネリ化すると企業を生活習慣病のような状態にする、一族経営の代表だった。
サントリーがローソンの社長をリクルートしたのはそのことがよく分かっているからだろう。
ある調査によると1830才、1000人に起業に関心があるかとの質問に、日本の若者の58%が無関心と答えた。

東大を出て一流銀行に入って、思い切って一人で起業した人間がいる。
起業とはこの人の場合は作詞作曲、そして歌手になることだった。
自分で書いた曲を自分で唄う。

10月19BSプレミアム1050分~1220分、歌手名「小椋桂」の生前葬コンサートを見て聞いて涙した。小椋桂はしばらく入院していた。
医師から劇症肝炎といわれ、ほぼ死んだ状態の体となりながら、死を覚悟し予定通り4日間100曲のコンサートに挑んだ。

白いタキシードは死に装束、白い花に飾られ、オーケストラをバックに必死に声を絞り出す。
かつての透明な声ではないが神々しい姿から出る声は、細々とし、切れ切れとし、時に繊細を極め、冷静な熱情にあふれていた。私はこの人の生む日本語の美しさに心を強く惹かれてきた。中でもこのフレーズが好きである。「こうとしか生きようのない人生がある」小椋桂はこう唄っている。

誰にも死は訪れる。若者たちよ悔いのないように自分を生きよ、人を愛しつづけよ。君たちの輝きを大切にと。小椋桂(70)の詩には、時、花、風、光、影、あの世を暗示している言葉が多いのは、若いころからの死生観なのだろう。

♪~時は私にめまいだけを残して行くだから・・・眠りにつこうとしている私を揺り動かさないで・・・。鏡にうつったあなたの向こうに青い青い海が見える・・・さよならを描こうとした口紅が折れてこわれた・・・。残念ながら近々彼の訃報に接するだろう。アンコールの拍手にはもう応じられない。

2014年10月17日金曜日

「紅がら」


紅がらホームページより


飛ぶ鳥を落とす勢いだった「松下政経塾」が私の家のすぐ側にある。
その斜め前に湘南地区で有名なおそば屋さんの名店「紅がら」がある。

その店のご主人と女将さんのポスターの撮影を16日朝、開店前にした。カメラマンは自然光の名手「新良太」さんにお願いした。

紅がらさんとはオープン以来38年余のお付き合いだ。
子どもたち、孫たちはこの店の上がり座敷でオムツを替えて育った。
年季の入った職人さんの姿はすべてが絵になる。
朝のやわらかな光がいい表情をつくり出してくれる。女将さんがまたいい表情だった。
おそばをつくる主人と店を切り盛りする奥さん。
夫婦で育てて来た月日が一枚の写真となっていった。

アートディレクターの三宅宇太郎君と三人で天ざるをごちそうになった。
朝一番の新そばは格別であった。

落ちた飛ぶ鳥の松下政経塾は昔日の面影なし、ヤキトリ状態だ。
塾生は減り続ける一方で、人気ガタ落ちで広い敷地内には寒風が吹いているとか。
何かあったのかはよくわからない。

選挙で立候補をし、松下政経塾といえば殆どは当選確実だったのに、今ではかえってマイナスとなっている。カラスやトンビ、スズメが何羽も塾の周りを飛んでいる、がそれを落とそうと狙う人間は今はいない。

誰もいない、斜め前にある「紅がら」には毎日たくさんのお客さん。
山越え谷越え何度も苦労を重ねたが、店のプライドを守り続けて来た。
近所に来たらぜひ立ち寄って下さい。
私の紹介といえば小生ビールと板わさのセットが出るかもしれませんよ。

蕎麦司 紅がら
神奈川県茅ヶ崎市常盤町6-25
0467-86-3746

2014年10月16日木曜日

「バッティングセンター」


※イメージです


夜七時にハリ、お灸、マッサージの達人がサイレンを鳴らして来てくれた。
まるで東名高速道路の突貫工事のような治療が始まった。

腰痛持ちのくせにちゃんと付き合ってこなかったのだ。
一日何時間もテーブルに座り原稿を書く、その時不自然な姿勢で腰をひねっていた。
自分ではそれがピッタリ馴染んでいたのだが。
右側にテレビ画面がありずっと付けていて、時々それを見る姿勢も悪いらしい。

達人は誠心誠意、汗だくとなり、突貫工事をしてくれた。
おかげでかなり楽になった。というより地獄で仏様に会った気分だ。

テレビをつけるとビートたけしの「アウトレイジビヨンド」を映し出している。
三浦友和がヤクザ者でいくらスゴンでも全然怖くない。
中尾彬が巨大ガマガエルみたいで画面いっぱいに出ていたが、命乞いをしながらアッサリ殺された。加瀬亮が結構いいヤクザ者を演じていた。
出てくる役者がみんなウルセイバカヤロー、コノヤローを100回以上吠えまくっていた。

斬った張ったの修羅場を経験していない堅気の役者がどんなに怖い顔をしても目付きがヤクザ者になれない。新春かくし芸大会みたいだ。
ビートたけしはヤクザ映画より文芸作品、青春映画の方が数段いいと思う。
稼がなければならない映画はどうしても観客を意識しすぎてサービスをしてしまう。

ビートたけしは優しい芸術家だ。その絵は最高峰だ。
「アキレスと亀」なんかは大好きだった。お客さんは入らなかったけど、とてもいい映画だった。

と、こんなことをまた悪い姿勢で書きながら腰をひねって映画を見てしまっている。
達人に叱られてしまう。ガキの頃からカラダが与太っているから正しい姿勢が苦手なのだ。野球のバッティングセンターで殺す相手を椅子に縛りつけて、そこにバンバンボールを打ち込んでボロボロにするアイデアはなかなかよかった。
今度バッティングセンターで腰にボールを当ててもらう、きっと気持ちいいかも?

2014年10月15日水曜日

無題

日曜日より腰痛大悪化となる。
二足歩行困難となり、腰の曲がってしまった老女の如くである。
三日間とにかく安静中であります。

本日のブログはこんな情けないものでおしまいとさせていただきます。
腰痛は人類に与えられたオシオキなのでしょう。

2014年10月9日木曜日

「有隣堂の女店員」




ノーベル賞で大騒ぎしている中、街を歩いていたら小さな駄菓子屋さんでノーベル製菓という会社の商品に目が止まった。そうだあったんだとうれしくなったが買わなかった。

そういえば、むかしあったカバヤ食品とか紅梅キャラメルはどうなったのだろうか。
サクマのドロップはこの間元気にあるのは確認した。

麻雀や花札やチンチロリンや競輪、競馬、競艇などスッテンテンになると、もう今日は「グリコ」だといったもんだ。バンザイとかお手上げという意味だ。

天皇陛下の手術をしたのは東大医学部ではなく、私大出身の神の手だった。
iPS細胞は京大出身、今度は徳島大、名古屋大、京大、このところノーベル賞は東大からは出ない。まるでグリコの状態だ。
あといくつかの賞が残ってはいるが果たしてどうだろうか。
誰かがいっていた、東大は自分たちがいちばんアタマがいいからと思い込み過ぎてバカになれないからダメなんだと。

それにしてもノーベル製菓という社名をつけた創業者は偉い人だなと思う。
目立とうとしていないところが実に好ましい。

日本一出世欲がない静岡県人のことを先日書いたが、浜松出身の天野浩教授という超有名人が現れた。日本の企業の在り方に怒りをぶちまけていた人と違って、ずい分と控え目なのがノーベル製菓のように好ましかった。

夜には文学賞が発表になる。
村上春樹が毎年候補になるのが不思議でしょうがないのだが、辻堂の湘南モールにある有隣堂では、今年こそはと女店員が目に泪をたっぷりためて拳を握りしめていた。落選となるとその泪はきっと滝のように流れ落ちるだろう。
明日はノーベル製菓を買って食べる。

2014年10月8日水曜日

「生玉子と山いも」




プロの役者という職業の人は凄いと思う。
まったくオンチの人が歌手の役につくと、しっかり歌手になりきって唄ってしまう。
まったくカナヅチの人が水泳の選手の役につくと、
ちゃんと泳いでしまう。役をもらえば役になりきるのだ。

私の知人が学生時代の友人の映画監督からピンク映画への出演を頼まれたことがある、そんな話で飲む場が盛り上がった日がある。
目の前に美しく肉感的な女性が横になっている、ヨーイスタートの声と共にカチンコが鳴る。さあ、本番となったら役に立たせるモノがすっかり縮こまってしまったそうだ。何しろ周りには何十人ものスタッフがいるからだ。
つくづくラブシーンを演じる役者さんは凄いと思ったそうだ。

思うに私たちも人生という劇場の中で、それぞれ役を与えられてそれを演じているのだ。いい役、嫌な役、汚れ役、損な役、おいしい役、格好いい役、悪い役。

過日東映の大部屋俳優の福本清三さんという方が海外で大きな賞を受けた。
福本さんは中学を出てから東映に入社以来60余年斬られ役を演じ続けた。
斬られた数は5万回以上とか、その自叙伝みたいな映画が評価された。
すばらしいではないか。

あるAV本番専門男優は、5万回以上がんばった、というより楽しんだと信じがたきことをいっていた。生玉子と山いもを食べ精神を統一し、神聖な気持ちとなり演じるのだと。
80歳近くなった今も生玉子と山いもを食べて女体に挑んでいる。
まあこの人の話は福本さんと違ってマユにツバをしている。

さて、私といえば人生劇場の中で与えられた役がいまだによく分からないのだ。
あらかた殆どの役を演じたつもりだが、どれが主たる役であるか?麦とろに生玉子をのせたメシでも食べてしばし人生を振り返ることにする。
このメシには何よりメザシが会う。あなたはどんな役を演じてますか。
同じ役を演じられますか、5万回。