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2015年9月2日水曜日

「花の木」







ある一冊の写真集を買い求めて、ある一軒の珈琲店に行くことを決めていた。
著者-コロナ・ブックス編集部/発行所-株式会社平凡社。
題名は「作家の珈琲」である。

1,600円で作家たちがこよなく愛し通った珈琲店や珈琲のある生活をかいま見ることができる。私の目的は京都、烏丸紫明(からすましめい)にある喫茶店「花の木」である。

祇園で行っている「フェルメール 光の王国展」に、大変お世話になっている羽毛ふとんの老舗メーカー東洋羽毛工業(株)さんが、新ブランドoluha(オルハ)の敷ふとんと枕で寝ながらフェルメールを観る、ネルメールというような大胆な企画に出品しており、31日の最終日前に撤収の打合せに行くことにしていたので、スケジュールの中に「花の木」に行く予定を入れてもらっていた。

何故かといえば私が大ファンであった故高倉健さんが大の珈琲ファン、そして大の「花の木」ファン、そして店内には高倉健さんが大ファンだったというフランスの名優ジャン・ギャバンの大きな写真(私もジャン・ギャバンの大ファン)、つまりファン、ファン、ファンがこの店にあるからだ。

開店して49年、マスターはアルバイト時代からこの店一筋。
「花の木」には高倉健さんの大ファンのピラニア軍団が集まり高倉健さんと映画談義をいつまでも楽しんでいたとか。ちなみにピラニア軍団とは、京都東映全盛時代の大部屋の俳優たちの集まり。今では名優の一人である小林稔侍さんもピラニアの一人だった。
故室田日出男、故川谷拓三、八名信夫、志賀貢などなどが珈琲を飲みながら映画への想いを語り合ったのだ。

そう思いながらそれほど広くない店内を見た。
49年の時間がたっぷりと染みこむ店内はぜひ一度行って味わってもらうしかない。
えっ、こんな静かなところに「花の木」はポツンとある。
高倉健さんは撮影所からタクシーで通ったという。静かなところで、大好きな映画バカたちと子どものようにワイワイガヤガヤ映画作りを語ったのだ。

私は860円のカレーライスとアイス珈琲を、一緒に行ったプロデューサーは860円のハヤシライスと珈琲を頼んだ。実に旨いだろ、ジャン・ギャバンが声をかけていた。
いうことないほど旨い。
この席でね、健さんがよく錦さん(萬屋錦之介)にお説教をしてましたよといってマスターは笑った。

2015年9月1日火曜日

「ぜひ義務教育に」




本日九月一日といえば防災の日と決まっているのだが、旗日ではない。
私はこの日は休日にしていいのではと思っている。
一家一族勢揃いをして徹底的に事前防災を点検するのだ。

乾電池は使えるかテスターで調べる。
ロウソクは、マッチは、ライターは、ラジオは、非常食や水は、連絡網は、毛布や寝袋は、ご近所に一人暮らしの老人は、一軒家やマンションやアパートなら、何をどうしておくかを点検するのだ。何しろ日本列島は災害列島なのだから。

私は常々義務教育の中に「防災学」の教科を入れるべきだと思っている。
この国にとって一番大切なのは防災なのだ。
小学生の頃からこの国の災害の歴史を学ぶのは何より大切な学問といえる。
人間が助かるための術とは、究極の技とは。

私なんかロープの結び方一つ知らない。
雨の中でどう火をつけるのかも分からない。
人工呼吸法はもちろん、AEDの使い方だって殆どの人は知っていないはずだ。

災害はある、ある、あることばかりの国なのに、防災は知らない、知らない、知らないことばかりだ。ご老人たちを特別教師にして先人の知恵を教え込んでほしい。

私はこうした結果学んだ才能を「防才」ということにした。
これからの時代に必要なのは、天才や秀才の理論も大切だが、いますぐ役立つ「防才」だと思うのだ。
いざという時に、サイン、コサイン、タンジェントとか、微分積分よりロープの結び方の方が生きるために役立つからだ。

あなたは何種類知っていますか、ロープの結び方を。私は固結びしか知らない。
私の友人のヨットマンはいろんな結び方を知っています。
もし超高層のエレベーターに二時間近く閉じ込められたらトイレはどうする(?)、もし走っていた列車が停電で動かなくなったら。

やはり九月一日は休日として家族みんなで学びましょう。
知らないことは知っている人に教えてもらう。義務教育に「防災科目」をつくる。
時々やる防災訓練も大切だが“防災学”の義務教育化を。

「お父さんはお子様ランチ」



お子様ランチを大人が頼むとどうなるか、駅前のファミレスの女店員は首を傾けて厨房に消えた。

私といえば、それを頼んだ人の隣の席でビールの小を頼み新聞を読んでいた。
商店街で原稿用紙とセロテープを買った後であった。雨がシトシト日曜日であった。

午後一時二十分頃。
体重85キロ位のお父さんと、70キロ位の奥さんと、四歳位の三人連れであった。
メニューをバラバラとめくり、奥さんはビール中とフライドポテトとチーズハンバーグ&ライスを頼み、子どもはお子様ランチなのだが、あんたがこれよといってお子様ランチにされた。で、子どもはお子様オムライスを頼んだ。

お父さんはお母さんにビール小飲みたいといえば、ダメといわれてクシュンとなった。
お子様ランチはいろんな型に分割されたプレートに日本の国旗とアメリカの国旗が二つの山型のライスの上に突き刺さっていた。
小さな鳥の唐揚げ二個、小さなハンバーグが二分割されている。
小さなウィンナーソーセージが二本、フライドポテト10本位、ホウレン草少しとコーンの粒々が30個位。そのプレートがでっかい男(40才位)位の前に置かれたのだ。

ハンバーグは半分だけよと、奥さんがフォークでグサッと刺し口にパクッ、ポテトは子どもに、鳥の唐揚げは一個だけ。
ライスの山に黄色いふりかけをパラパラとかけたお父さんは、ビールをうまそうにグビッ、グビッと飲む奥さんを上目づかいで見ている。
そこへ玉子たっぷり、トマトケチャップグルグルのオムライス。

お父さんは無言でお子様ランチを大人用のフォークで黙々と食べている。
お母さんにはジュージューのハンバーグの上にチーズがトロトロ、お父さんのハンバーグはお子様用なのでほぼ冷たそう。
お母さんはあと20分位で塾が終わるから早く食べて迎えに行ってよ、雨降ってんだからといいながらスマホを見ている。

(もう一人塾に通う子どもがいるらしい)きっとダイエットをさせられてるんだなと思った。お母さんはとってもお父さん思いなのだ。

狂ったように暑かった夏は、突然冷たいハンバーグのように終了。

これからスポーツの秋だ。
ファミレスのお父さんもしっかり運動してダイエットをすれば、きっとお母さんからご褒美にサーロインステーキを食べさせてもらえるだろう。
勿論ライスもついているはずだ。

2015年8月28日金曜日

「林源十郎商店の価値」



林源十郎商店ホームページより
林源十郎商店の屋上から



絵に描いたような幸せはきっといかなる画家も描けることはできないだろう。

岡山↔京都を二日間かけて行って来た。いい人たちと何人も会えた。
皆夢を語り、明日への希望を語った。
目は澄み切った青空の様であり、全身から爽やかな風を感じた。

猛烈な速さで走る帰りの新幹線からずっと外を見た。
新聞と雑誌を読んでいたら、すっかりいい感じだった気分が悪くなった。
殆ど不快な記事ばかりだった。

窓の外は街から町へ、家、家、家、会社、会社、会社、商店、商店、商店、ビルまたビル。その中に、その下に、不平、不満、不安、不況、不義、不倫、不道徳、不足、不機嫌などが人の数だけある。「不の充満、不のマグマ」が満ち溢れている。
その中で「不法」と「無法」が大手を振っている。

この国はどこへ向かって走っているのだろうか。
毎度うんざりの維新の党が分裂、日本最大の暴力団山口組も分裂するとか、また血で血を流す抗争となるだろう。
自民党は今抗争する熱力もなくやがて来るであろう破裂に向かって進む。
徳川幕府の末期に近い風景画といえるだろう。

「不」のすべての要因は“人事”にあるという。
人事とは人の事、人の心が起こす事、人の欲が起こす事、人の習性が起こす事。
すべての出来事は性格の中にあると哲人はいった。

新幹線はそんなに急がなくてもいいよという速さで走り続けていた。
ずい分と日が短くなっているのを知った。それでも世の中にはいい人はいっぱいいる。
絵に描くことは出来ないが、字では書ける。

幸せを目指して行こう。やるべきこと、できることはやって行こう。
人生は一度しかないのだから。若者は希望に満ちていなければならない。


岡山県倉敷市に「林源十郎商店」というのがある。人間とはかくあるべしということが分かる。それは「薬屋」から始まり、地域の健康と福祉に奉仕した歴史であった。つまりCSR(企業の社会貢献)の原点である。

「山陽新聞」


松本清張の短編に「地方紙を買う女」というのがあった。
さしずめ昨日の私は「地方紙を買った男」であった。岡山県倉敷は私の母が生まれ育った地である。地方での楽しみといえば地方紙を隈なく読むことだ。中央紙にはない丹念な手づくり感というか、その地ならではのいろんな記事がある。

倉敷のビジネスホテル(と思う)の部屋に入りまずはテレビをつけると、いきなり若々しい舟木一夫が刀を振っている、と水戸黄門役の佐野浅夫があおい輝彦を従え“これが目に入らぬか”と登場した。

山陽新聞(夕刊)8月26日(水)を読み始める。一面はやはり株価大暴落。
6面文化エンタメ欄がよかった。「また逢う日まで」という映画タイトル。あのころ、映画があったというコラムだ(共同通信編集委員・立花珠樹さんの担当のようだ)。

この映画には有名なシーンがある。
“切ないガラス越しのキス”だ。クラシック好きで文学を愛する青年と母と二人暮らしの雑誌の挿絵画家。父は裁判官で兄は陸軍将校の帝大生のエリート青年、ほそぼそと生きる女性が空襲で退避する人混みの中で、偶然手が触れ合う。

二人は戦争を嫌う気持ちで共通している。当時はキスは神聖な行為であった。
召集令状を受け取った田島三郎(岡山英次)は、螢子(久我美子)とガラス越しに語り、ガラス越しにキスをする。

「僕たち今度会うとき、結婚しよう」
「今度って?」
「無事に帰ったとき」
「それまで、それまで私も生きていなくちゃね」


1937年日中戦争以降の戦死者は厚生労働省によると310万人。
本当はもっともっと多いはずだ。
原作は、ロマン・ロランが反戦を訴えた「ピエールとリュース」、監督は今井正、1950年の作であった。


ヤクザな人間はキスをすることを“ベラを噛む”などと極めてお下品な言葉でいう。
純愛などというものはあるのだろうか、現代社会ではSNSなどでベラを噛んでいる。
清純とか純愛は死語の世界に入っている。今日は京都へ向かう。京都新聞が楽しみだ。