十一月というのは私にとって父と母の命日がある以外これといって季節性がなかった。
一月はお正月、二月は梅、三月は春来るを感じ、四月は桜咲く、入学式や入社式、五月は鯉のぼり、六月は雨と唄えば、七月は夏来る、八月は太陽がいっぱい、九月は“九月になれば”という名画、十月は体育の日、運動会、十二月は師走で新しい年を迎える。
十一月はパッと浮かぶものがない。
お線香と花を持っている自分の姿が見えるだけだ。
晩秋と書くと文学的だがなんとなく仄暗い。
静岡県浜松駅から車で走ること二時間位の所に天竜区春野町川上地区がある、その山の中に親愛なる友人夫婦と家族がいる。
その友が去る十月サプライズのゲストとして上京して来て私を大いに喜ばせてくれた。
その時竹細工を二つ持って来てくれた、これ人間国宝みたいな人が造ってくれた竹細工だでといった。
一つは丸い花入れか小物入れ、半円の取っ手が付いている。
大きさは小ぶりの丼ぶり位、もう一つは丸い物入れ、高さが6センチ位、直径が15センチ位だ。今なら柿を入れたり、栗を入れたり、ギンナンなどを入れたらいい景色になる。
竹は月日が経つほど変色の味を楽しめる(侘び寂びだ)。
で、十一月の話だが、竹細工を造ってくれた名人夫婦のインタビュー記事を渡してくれた。それを読むと、竹細工に使う竹は十月から十二月頃、つまり十一月の竹がいちばんいいらしい。竹細工はいい竹選びが決め手になるという。
名人の人生が凄い。十二歳の時に山道から落ちてしまった、そこに岩が落ちて来て片足をやられてしまった。松葉杖の人生のスタートであった。
お父さんが何か身につけさせたいと、竹細工を教え始めた。それが名人芸となる。
人間やると思えばやれることを次々と証明していく。
竹林をピョンピョン跳び歩き、屋根にもスイスイ登る。最高40キロの荷物を担いだとか。勿論松葉杖は自分で造る、自転車にもひと工夫して乗れるようになる。
ペダルを草履と足の裏との間にはさんで山を下り、山に登る。
二本足の人もとてもじゃないが出来ないことだとインタビューアーも驚く。
記事では六十九歳であった。
無農薬自然栽培でお茶をつくること45年。
地域誌“はるの”の中に写る老夫婦は、苦楽を共にして来た明るい笑顔だ。
「人生も終盤にかかった。やり残しのない人生にしたいね〜」と前向きなのだ。
いい竹は密植しているところのはダメ、日照時間の少ないところのもダメとか。
私にとって十一月は春野町の友人夫婦と家族を思い出す「竹の月」となった。
それと名人夫婦も。来年は必ず行くと決めた。大井川鉄道に乗って。