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2015年11月30日月曜日

「小説は商品?」


人は馴れないものに手を出さない方がいい。
先週金曜日、銀座教文館という書店の二階に行った。
5000円と3000円の図書券をプレゼント用に買うためである。
5000円の方には柴犬のかわいい写真があり、3000円の方はピーターラビットであった。

これを買い包んでくれているのを待っている間ふと前を見ると、東野圭吾さんという作家の最新作「人魚の眠る家」というのが平積みされていた。
幻冬舎刊である。作家デビュー30周年記念作品と腰巻きに書いてあった。
東野圭吾さんという作家の本を買って読むなどということは、未だかつて一度もない。
テレビドラマで見たことはあるが、文章を読むのは初めてだ。

新聞の全ページ広告が頭の中に入っていたのだろうか、つい買ってしまった。
税込み1600円なり。原稿用紙655枚(400字詰)と書いてあった。
388ページ、パラっとめくると書き出しがある。「たくさんの車が行き交う幅の広い道路から脇道に入り、ずっと奥まで進んだところにその家はあった」その瞬間あっこれはダメ、イケセケンと思った。

と、その時教文館の女性が図書券ご用意できましたといった。
買わないと決めたのに、これくださいと言っていた。
東野圭吾さんという作家には全く馴れていない。直木賞受賞とあるから余程外れることはないだろうと思い、家に帰り読み始めると余程という枠をはるかに外していた。

小説をはじめて書いたのではと思う程シロウトぽくて読むに耐えない。
あるテーマを取材し調べた物を物語に詰め込んでつなげたものに過ぎない(でも最後まで読んだ)。推理小説のはずなのに何のスリルもなく、動かない公園の遊具の上にじっと乗っているようだ。これは私の読書感だから東野圭吾さんファンはどうか気を悪くしないで下さい。内容についてはこれから買おうと思っている人のために申し訳ないので書かない。今思えば幻冬舎の新聞広告はよくできていたということだ。
すっかり一杯食ってしまったのだから。

この本を読む前に取り寄せてもらっていた、中勘助の「犬」と谷崎潤一郎の「武州公秘話」を読んだ(映画のネタ探しです)。
これを読んだ後なので東野圭吾さんは可哀想な比較となってしまった。
明治・大正期の小説家たちは世界に類をみないほど層が厚く、文章は第一級だ。

熱海でパソコン相手にカタカタ文字を打っている時代小説の人気作家が「私のは小説ではありません。文学なんてとんでもない『ただの商品』です」といった言葉を思い出した。出版不況は本を生まず、売れそうな商品をつくった結果なのだろう。
生きている内に一冊くらい「私小説」を書くかと思っていたが、馴れないことはスッパリやめにする。

熱海の作家は岩波書店の生みの親の有名な別荘を手に入れそこで日々執筆というより、カタカタと打つ。その原稿をヤマト運輸かなんかで出版社に送る。
やがてパソコンに編集者から原稿が送られる。それに赤字校正してパソコンで送る。
そして最終稿をチェックする。何日かするとどーんと新聞広告が出て、すぐに書店に出る。人気作家なのでどーんと売れて、どーんと印税が振り込まれる。
作家と出版社は会わずに本は売り出される。

残念ながらこの作家の本は読んでいない。
馴れないものには手を出さないと決めたので、今後も読むことはない。

このブログを書いている日曜日午前一時、ニュースで東野圭吾さんが書いた小説のテーマその物が流れた。
十五歳位の少年が脳死判定され、内臓の多くは人の内臓として生き続ける。
人間はどこまでが生で、どこまでが死か。
近い将来商品と化した小説が生鮮食品売り場で売られる日が来るかもしれない。そうなると消費税はかからない。


2015年11月27日金曜日

「女性二人」



百歳まで生きるわといっていたという女優、原節子さんが九十五歳の天寿を全うした。
その死を伝えるTVのニュースに街角のインタビューがあった。


えっホント知らなかった美しかったわね、私に比べたら雲の上の人よ、とでっかい口を開けて笑う、もと少女、もと乙女、もと女性らしき人。もともとどんな顔だったか知る由もなし、ガハハと笑う顔、買い物袋を持つ姿に美的面影は一片の欠片もない。

ステキでモダンでほんとに気品があってオホホと話す女性は、昔日の姿はどうであったかと興味を持つ。濃い化粧はこの女性の変化を語る。
どんな少女時代、どんな女性時代、そして今に至る人生はを思う。
この女性は実は男性だった。

原節子さんといえば小津安二郎監督となる。
師弟だったのか、男と女だったのか、プラトニックだったのか分からない。
巨匠小津安二郎にとって原節子は大女優であり、映画評論家にとっては大根役者であった。その存在が戦後日本の女性の在るべき姿、気品ある日本女性の姿の象徴であったという人も多い。

美しい司葉子、新珠三千代、そして原節子のなつかしい映像をバッグにどこかの商店街でインタビューを受けるオバサンたち。この人たちに恥じらいなどは皆無だ。
男よりも女性の変化は激しい。細くさわやかな少女は太く短くなり大口を開けて金歯を見せる。

原節子さんは、四十二歳で芸能界から去り、スクリーンに一切姿を見せなくなった。一人の男性に生涯の心を捧げたのか、あるいは体に異変があったのかは分からない。
自分の出演した映画は決して観ない、また映画の話も決してしなかったという。

小津安二郎と原節子さんが組んだ映画に於いては、他の俳優さんは全て脇役であった。
日本女性はかくあるべしを「東京物語」の映画の中で演じた。
ちなみにこの映画は、外国人映画ジャーナリストが選んだ日本映画NO.1である。
黒澤明は女性を描く映画はつくらなかった。

それらしきは、原節子さんが出演した「我が青春に悔いなし」と「白痴」であった。
行き交う街角で原節子を語るもと女性たちを見ていると、この国に日本女性が少なくなったことを改めて知る。

今、映画の中、ドラマの中の女性は強く、逞しく、激しく、怖ろしい。
原節子さんと真逆の方向にいる。老婆原節子を見てみたかったと思う。
本当は映画が大嫌いだったのかもしれない。本当は誰より不幸だったのかもしれない。
美の行く先は醜であるからだ。

私が原節子主演の映画でいちばん好きなのは「めし」である。
監督は成瀬巳喜男。

宮城まり子さんが、九十歳近い今でも身体障がい者の施設「ねむの木学園」で子どもらと語る姿は高々しく美しい。クリクリとした目で宮城まり子さんと分かるが、それ以外はきっと誰も分からないだろう。

銀座一のモテ男だった作家故吉行淳之介が終生宮城まり子さんを愛し続けたのは、その生き方の崇高さに 心から尊敬の念を持ったからだろう。
小津安二郎と原節子さん、宮城まり子さんと吉行淳之介。
真実の愛とは何か考えさせられた。(文中敬称略)

2015年11月26日木曜日

「もうすぐ師走」




九十三歳。
かつて文壇のエロババアといわれた女性は五十歳を過ぎた頃に仏門に入った。
以来SEXはしていないと笑う。
髪の毛が沢山ある日々の名は瀬戸内晴美さん、ツルツルの頭になっている今の名は瀬戸内寂聴さん。

1957年文壇デビュー以来小説を400冊以上書く。今も書く。
昨年五月に背骨の圧迫骨折、同年九月に胆嚢がんの摘出手術を受ける。
九十歳を超えての手術に挑ませたのは“文学への執念”だ。

ある地に寂聴庵がある。
原稿用紙に向かい、万年筆で老と書き、病と書く。
実に力強く美しく気高い文字だ。
窓から差し込む先に映しだされている姿には後光が満々とある。
ここで死んでもいいと上京して戦争法案反対の集会に参加し戦争は二度としてはいけないと叫んだ。

世の男を食べて文学の肥やしにしていた時と違い、今の主食は肉だ。
執筆を終えた深夜0時から牛の霜降り肉をしゃぶしゃぶで食す。
ある日は赤みの牛ステーキ、またある時はすき焼き。
23人いるスタッフに「肉を食べよう、肉を食おうよ」という。

医師からがんを宣告された日、ベッドの中から手術しますといって覚悟を決める。
苦しそうで死にそうで、ものすごく気持ち悪そうだが、手術後何日か経った日、出された病院食の中のひとつをすすり、美味しい!といった。
生への限りなき執念の言葉のようであった。長寿とエネルギーの源は文学と肉食にあった。

九十三歳現役で小説を書いた人はいません。私が初めてですよという。
静かに一字一字を書き進める。四時間執筆後、全然疲れません。
テンションが上がっているからと笑う。
手術後十一ヶ月ぶりの法話には泣きながら手を合わせる人、人、人。
現在進行形の小説の題名は「いのち」自ら体験したことを小説にしなくてなんとする。
こんな気合が漲っていた。

かつて宇野千代というとんでもなくモテた女流作家いた。
とにかく作家殺し、画家殺し、評論家殺しという位に次々と男を食べ尽くした。
捨てられた大作家、人気作家たちは我を忘れた(?)。
九十歳を過ぎた頃に、「私かわいい」というほどチャーミングであった。
女流作家はみんな強いと思う。

22日放送のNHKスペシャル「いのち 瀬戸内寂聴 密着500日」と題したものの再放送を見た。この番組の担当者に、あなたにならと言って密着取材を許可したようである。
書く女と造る男の命をかけた緊迫感と、こぼれるような愛情が見えるドキュメントであった。昨日夕方銀座に長い列が延々とあった。

晩秋の終わりを告げるように降る無口な雨、いきなり7度位になって寒い、人もまた皆無口だ。列をつくっている人々は宝くじを買うためであった。当たれば10億円らしい。
誰かが当たる。無口の先に歓喜があるのだろう。
米倉涼子がポスターの中でガハハハと大きな口を開けて笑っていた。
所ジョージも笑っていた。オジサン当たるといいねと声をかけると、何故かカクンと傾いた。私の声が大きかったのか不意をついたのかもしれない。祈!オジサン・10億円。
もうすぐ師走だ。

2015年11月25日水曜日

「蓬とスイカ」




内科医細川◯×がこんなことを言った(あるTV番組)。
ブタ草、スギ、ヒノキ…などの花粉アレルギーのある人は、将来スイカやメロン、きゅうり、ズッキーニなどが食べれなくなるかもしれません。
花粉たちと果物、野菜が、私流に言えば性悪女と性悪男のようなロクでもない関係になって口腔内で事件を起こすのだと。馬鹿言ってんじゃないよと思った。

私はブタ草とヨモギアレルギーだからその対象となる。
花粉症の多くの人は主にスギ、ブタ草、ヒノキなどだから、果物屋さんや八百屋さんの売上はダウンする。
高級果実店の千疋屋や高野フルーツパーラーなんかで一個数千円もするスイカやメロンは買うのヤーメタとなる(元々高いので買えない)。

このTV番組を関係者が見ていたら、医師の細川◯×余計なこと言ってんじゃないよと怒るはずだ。最近この手の医師がアチコチに出てきては様々な恐怖訴求をする。

きゅうりに空気入れを差し込んで膨らませたようなズッキーニは、殆ど食べないがきゅうりは昆虫になった気分になれるので、時々塩をかけたり、味噌をつけて丸かじりする。
グラスの中にきゅうりを千切りにして入れる、水と氷と共に焼酎を飲むと、臭みがとれて色爽やか愛の水中花みたいな恋しい味になる。
これを飲んだ後にデザートでスイカやメロンをほんのちょっと出してくれる店がある。
この場合どーなるの、医師細川◯×の説だときっとダメなはずだ。

ブタ草というのは嫌な名前だね、私は蓬(ヨモギ)アレルギーといわれたが蓬餅は食べれないのだろうか。今度私が信頼する先生に聞いてみようと思った。
アレルギーがなんだいと思うが、知らないでいると酷いことになるやもしれない。

人間の体質はある時コロッと変わるらしい。
生牡蠣大好きな人が、あ〜うまかったと食べた後に、サバの刺し身大好きな人が、やっぱ酒の肴はサバだななんていった後に、救急車の乗客になったりする。
友人、知人、恩人の中に、もしかして何かのアレルギーではと思う人がいる。
一度血液検査をすすめたい。

ホタテ貝大好きだった私が、ホタテ貝が入っているのが売りの崎陽軒のシュウマイを食べれなくなってしまった。一人で一箱食べていたのに。
時々夢の中にシュウマイ弁当が出て来る時もある。
東海道線の列車の中で、崎陽軒のシュウマイをヒョータン型の醤油入れから醤油をかけ、小さなカラシを入れた袋から指で押し出してシュウマイにつける。
それを旨そうに食べている奴を見ると、泣きたいほどウラヤマシイのだ。

地球全体、人類全体の体質が変化している。
アレルギーは文明病らしい。マサイ族などもアレルギーに悩み始めているという。

2015年11月24日火曜日

「ズキ」




自切り(ジギリ)をかける。男を売る社会の言葉だ。
何か大事を成し遂げるために自分に何かを課すことをいう。

それは任された仕事をやり切ることや、親の仇討ちや、兄弟分の仇討ちや、可愛い後輩のためだったり、惚れた女のためや、恩義を決して忘れない事だったりする。
滝に打たれたり、座禅を組んだり、好きな酒を断つ、好きな博打を断つ、自分の体に傷(ズキ)をつけて、決してその目的を忘れないと誓う。

武士にとって額の傷は男の紋章、背中の傷は武士の恥といわれた。
額の傷が正面なら敵と堂々と戦った証で有り、背中の傷は敵から逃げ背を向けた証である。戦場で我が子が死んだと聞いた時、親はたずねる。
我が子の傷は額であったか、背中であったか。
悲しいかな背中の傷であったりするとお家は断絶されたり、親は腹を切って果てた。
家門の恥であるからだ。

中にはハッタリ傷といって自分の顔に傷をつける者もいる。強そうに見せるために。
だがハッタリ傷の人間はすぐにバレてしまう。本当の根性がないからだ。
いざという場面でその傷がハッタリであったとバレる。

この一年間ずっと自切りをかけていたことがある。
やり遂げないと恩に報いられないからだ。何をやったかは言ったら終わりなので書けない。が、今はひとまず自切りから開けてほっとしている。

“矢切の渡し”は細川たかしだが、自切りの私である。念ずれば通じる。
為せば成る。苦の後に楽ありという。楽ちんな気分からは大事は生まれない。
大恩に報いられない。

さあ、あなたも今日から自切りの私に。
えっ、何!痛いのは嫌!滝は冷たくて風邪をひく、座禅は足が痺れるから嫌だと。
走ったりするのは嫌、禁酒、禁煙も嫌。それなら肉を断て、魚を断て。
えっ、それも嫌だと。そんじゃゲームかテレビを断て、メールやスマホを断て。
えっ、考えられないだと。

そんなあなたは自切りの私にはなれません、背中に傷を負う事になるのです。
お家断絶!一家滅亡!