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2015年12月2日水曜日

「去る年の次は、サル年」




ちょっと出かけて来ます、夜までには帰りますので「鍵」をお願いします。
と隣の家の人に鍵を預けて外出する。
◯△さんお電話ですよ、ハーイすみませんと隣の家の「電話」に向かう。
いきなりの通り雨、隣の人は「洗濯物」を物干し竿に掛けたままだ。
濡れたら大変とお隣さんは取り込んであげる。

おばさんこれ田舎の母から送って来たんです、よかったらぜひにと洗濯物のお返しをする。◯□さん外出中に「小荷物」が届いていたよ。といって小荷物を渡す下宿のおじさん。
朝かけていたレコードの曲は何ていうの、いい曲ね。
ショパンのピアノ曲「子犬のワルツ」ですよという女学生さん。

かつては当たり前のようにこんな生活があった。
お正月にはご近所が集まって百人一首やカルタを一緒にして遊んだ。
羽子板や独楽回し、福笑いを楽しんだ。
おせち料理をみんなで囲んで、みんなでお酒を飲んだ。
人は集い、語り、笑い、酔払い、唄って踊った。
東京都杉並区ではみんなのお正月があった。お金はなくても幸せがあった。

日本人は笑わなくなった。
笑うのはテレビのお笑い芸人さんたちが必死に笑わせてくれているからだ。
あなたはおとなりさんと一年の内、何分話をしましたか。
10分、20分、それとも何時間。隣同士の諍いがエスカレートして来ている。
生活音、騒音、ペットの吠える声などがトラブルの元になる。

一日中回っている冷暖房機の音、子どもたちが遊ぶいろんな音や声、ちゃんと散歩やエサをあげてないとイライラしてやたらと吠える犬。
老人が出刃包丁を持ってここはオレの家の道だとスゴんで捕まった。
隣のアパートの一室で老人が孤独死をして何日も見つからなかった。
一万二千人以上の認知症の老人が徘徊をしている内に見つからなくなった。
玉子焼きかゆで玉子にするはずの生卵を野球のボールのようにぶん投げる奴もいる。
人が困った顔が見たかったと困った事をいう。
そういえばふとんをバンバン叩いて出て行け引越せといっていたおばさんは、今どうしているのだろうか。

昨日から師走である。
この一年で日本はすっかりギザギザハートの子守唄みたいになってしまった。
♪〜ナイフみたいにとがっては触るものみな傷つけた…オチンチンを切り取られた弁護士、顔の皮を剥がされた男&女、刃物で脅して少女を犯す警察。
礼儀正しく、律儀で正義感あふれる日本人をこよなく愛しているドナルド・キーンさんは、怒鳴門さんという日本人になった。

来年はサル年だ。見ざる、言わざる、聞かざる。
今よりもっと人間関係はギザギザになってしまうのだろうか。
あと一ヶ月目標に向かってラストスパートだ。人間を信じまくって。
国民の税金を運用するGPIFが株投資に失敗してあっという間に8兆円も損をした。
それでも日本人は怒らざるなのだ。

内閣支持率はグンとアップ、その原因は他にいい人がいないからであった。
そして年金はグンとダウンするのだ。1224日、クリスマスケーキを切るナイフで、人を切ったりは決していけません。勿論オチンチンも。

2015年12月1日火曜日

「先生は100点」




大音量、大熱唱、大絶叫、プラシド・ドミンゴとホセ・カレーラスを足して2を掛けたようなマイクも壊れんばかり(殆どマイクナシ)の歌声を6時間聞いた。

生まれて初めて六本木の高級カラオケ店に呼ばれたので言った。
私はカラオケは苦手中の苦手なので6時半から12時半まで聞き役だ(聞くのは大好き)。
指定されたお店に入るとそこはまるで高級ホテルの様であった。
大人数から少人数まで多種多様。

3時間の時間制であった(後3時間はすぐ側の2軒目)。
何しろ初めて。で、大音声の曲の大パレードが始まった。
玉置浩二、越路吹雪、松山千春、尾崎紀世彦、ビートルズ、レイ・チャールズ、北島三郎、宗教歌、浪曲、歌謡曲、唱歌、映画主題曲。

もうなんでもござれ「もののけ姫」の主題曲に至っては裏声から一気にテノール、ソプラノまでそれはそれは絶品で100点満点が出た。
私は知らなかったが、初めてとか。全然知らない若者カップルは、信じられない、スッゴーイ、スッゲェーと大興奮。新婚さんみたいでおなかに赤ちゃん。
ビックリ仰天キーポッポみたいにオッタマゲ100点初めてみたーといった。

私といえば歌声の主の隣で耳の中から脳天までガンガンになった。
人間の歌声はこんなにも、もの凄い声が出るのかと思った。
内臓が鷲掴みされたので現在胃の中にモノが入らない。

6時間近く人の歌を聞くのは初めてであった。私は苦手なので一曲も唄わない。
歌は世界をつなぐ、歌は凄い、歌を聞くのは重労働であることを知った。
その数3人で約80曲。

何故かテレビの画面スクリーンでは若い女性が一枚一枚、また一枚と服を脱ぎ、最後は修正無しの全裸となった。「無法松の一生」の歌の画面にであった。
男松五郎と若い女性のヌードはすこぶるキッチュであり、シュールでもあった。

2015年11月30日月曜日

「小説は商品?」


人は馴れないものに手を出さない方がいい。
先週金曜日、銀座教文館という書店の二階に行った。
5000円と3000円の図書券をプレゼント用に買うためである。
5000円の方には柴犬のかわいい写真があり、3000円の方はピーターラビットであった。

これを買い包んでくれているのを待っている間ふと前を見ると、東野圭吾さんという作家の最新作「人魚の眠る家」というのが平積みされていた。
幻冬舎刊である。作家デビュー30周年記念作品と腰巻きに書いてあった。
東野圭吾さんという作家の本を買って読むなどということは、未だかつて一度もない。
テレビドラマで見たことはあるが、文章を読むのは初めてだ。

新聞の全ページ広告が頭の中に入っていたのだろうか、つい買ってしまった。
税込み1600円なり。原稿用紙655枚(400字詰)と書いてあった。
388ページ、パラっとめくると書き出しがある。「たくさんの車が行き交う幅の広い道路から脇道に入り、ずっと奥まで進んだところにその家はあった」その瞬間あっこれはダメ、イケセケンと思った。

と、その時教文館の女性が図書券ご用意できましたといった。
買わないと決めたのに、これくださいと言っていた。
東野圭吾さんという作家には全く馴れていない。直木賞受賞とあるから余程外れることはないだろうと思い、家に帰り読み始めると余程という枠をはるかに外していた。

小説をはじめて書いたのではと思う程シロウトぽくて読むに耐えない。
あるテーマを取材し調べた物を物語に詰め込んでつなげたものに過ぎない(でも最後まで読んだ)。推理小説のはずなのに何のスリルもなく、動かない公園の遊具の上にじっと乗っているようだ。これは私の読書感だから東野圭吾さんファンはどうか気を悪くしないで下さい。内容についてはこれから買おうと思っている人のために申し訳ないので書かない。今思えば幻冬舎の新聞広告はよくできていたということだ。
すっかり一杯食ってしまったのだから。

この本を読む前に取り寄せてもらっていた、中勘助の「犬」と谷崎潤一郎の「武州公秘話」を読んだ(映画のネタ探しです)。
これを読んだ後なので東野圭吾さんは可哀想な比較となってしまった。
明治・大正期の小説家たちは世界に類をみないほど層が厚く、文章は第一級だ。

熱海でパソコン相手にカタカタ文字を打っている時代小説の人気作家が「私のは小説ではありません。文学なんてとんでもない『ただの商品』です」といった言葉を思い出した。出版不況は本を生まず、売れそうな商品をつくった結果なのだろう。
生きている内に一冊くらい「私小説」を書くかと思っていたが、馴れないことはスッパリやめにする。

熱海の作家は岩波書店の生みの親の有名な別荘を手に入れそこで日々執筆というより、カタカタと打つ。その原稿をヤマト運輸かなんかで出版社に送る。
やがてパソコンに編集者から原稿が送られる。それに赤字校正してパソコンで送る。
そして最終稿をチェックする。何日かするとどーんと新聞広告が出て、すぐに書店に出る。人気作家なのでどーんと売れて、どーんと印税が振り込まれる。
作家と出版社は会わずに本は売り出される。

残念ながらこの作家の本は読んでいない。
馴れないものには手を出さないと決めたので、今後も読むことはない。

このブログを書いている日曜日午前一時、ニュースで東野圭吾さんが書いた小説のテーマその物が流れた。
十五歳位の少年が脳死判定され、内臓の多くは人の内臓として生き続ける。
人間はどこまでが生で、どこまでが死か。
近い将来商品と化した小説が生鮮食品売り場で売られる日が来るかもしれない。そうなると消費税はかからない。


2015年11月27日金曜日

「女性二人」



百歳まで生きるわといっていたという女優、原節子さんが九十五歳の天寿を全うした。
その死を伝えるTVのニュースに街角のインタビューがあった。


えっホント知らなかった美しかったわね、私に比べたら雲の上の人よ、とでっかい口を開けて笑う、もと少女、もと乙女、もと女性らしき人。もともとどんな顔だったか知る由もなし、ガハハと笑う顔、買い物袋を持つ姿に美的面影は一片の欠片もない。

ステキでモダンでほんとに気品があってオホホと話す女性は、昔日の姿はどうであったかと興味を持つ。濃い化粧はこの女性の変化を語る。
どんな少女時代、どんな女性時代、そして今に至る人生はを思う。
この女性は実は男性だった。

原節子さんといえば小津安二郎監督となる。
師弟だったのか、男と女だったのか、プラトニックだったのか分からない。
巨匠小津安二郎にとって原節子は大女優であり、映画評論家にとっては大根役者であった。その存在が戦後日本の女性の在るべき姿、気品ある日本女性の姿の象徴であったという人も多い。

美しい司葉子、新珠三千代、そして原節子のなつかしい映像をバッグにどこかの商店街でインタビューを受けるオバサンたち。この人たちに恥じらいなどは皆無だ。
男よりも女性の変化は激しい。細くさわやかな少女は太く短くなり大口を開けて金歯を見せる。

原節子さんは、四十二歳で芸能界から去り、スクリーンに一切姿を見せなくなった。一人の男性に生涯の心を捧げたのか、あるいは体に異変があったのかは分からない。
自分の出演した映画は決して観ない、また映画の話も決してしなかったという。

小津安二郎と原節子さんが組んだ映画に於いては、他の俳優さんは全て脇役であった。
日本女性はかくあるべしを「東京物語」の映画の中で演じた。
ちなみにこの映画は、外国人映画ジャーナリストが選んだ日本映画NO.1である。
黒澤明は女性を描く映画はつくらなかった。

それらしきは、原節子さんが出演した「我が青春に悔いなし」と「白痴」であった。
行き交う街角で原節子を語るもと女性たちを見ていると、この国に日本女性が少なくなったことを改めて知る。

今、映画の中、ドラマの中の女性は強く、逞しく、激しく、怖ろしい。
原節子さんと真逆の方向にいる。老婆原節子を見てみたかったと思う。
本当は映画が大嫌いだったのかもしれない。本当は誰より不幸だったのかもしれない。
美の行く先は醜であるからだ。

私が原節子主演の映画でいちばん好きなのは「めし」である。
監督は成瀬巳喜男。

宮城まり子さんが、九十歳近い今でも身体障がい者の施設「ねむの木学園」で子どもらと語る姿は高々しく美しい。クリクリとした目で宮城まり子さんと分かるが、それ以外はきっと誰も分からないだろう。

銀座一のモテ男だった作家故吉行淳之介が終生宮城まり子さんを愛し続けたのは、その生き方の崇高さに 心から尊敬の念を持ったからだろう。
小津安二郎と原節子さん、宮城まり子さんと吉行淳之介。
真実の愛とは何か考えさせられた。(文中敬称略)