「実話時代」5月号510円、この雑誌を読む人は暴力団ウォッチャー、ヤクザマニア、極道こそ男の道、任侠または任侠道への憧れ等々を持つ人々が買う。
東大の教授も愛読していたり医学界、経済界、政界の人々も愛読する。
勿論弁護士や検察官や、警察関係者も愛読する。
毎号購読をしている人(堅気の人)も多い。
私も時々買う。
昨夜5月号を買った。
私の親しい友人がとても可愛がられた人の特集号だったからだ。
友人の父上は元海軍将校で戦後大手石油会社の役員をしていた。
友人は大会社に勤める立派な社会人だったが、縁あって可愛がられていた。
特集号の主人公はあの安藤組組長、安藤昇氏であり、もう一人は加納貢氏という。
特集のタイトル/特別企画「安藤昇『お別れの会』」に寄せて/愚連隊の王者、死してなお光を失わず/とあった。
新宿には愚連隊の“帝王”といわれる人がいた、それが加納貢氏であり、渋谷の“王者”が安藤昇氏であった。私が買った5月号は後編であった。
安藤組とは俗称で本当の組織名は“東興業”であった。
安藤昇氏が敬慕していた愚連隊の創始者のような伝説の喧嘩のチャンピオン、万年東一氏から一字とったのではと書かれていた。筆者は大貫説夫氏であった。
加納貢氏は良家の出であり、安藤昇氏は特攻帰りの若者であった。
法政大学中退、当時の大学生は軟派と硬派に二分され、硬派は愚連隊になった。
人気no.1が渋谷の安藤組(東興業)であった。
イニシャルの頭文字「A」のバッジはその憧れの象徴であった。
今でもそのバッヂはネット上で人気である(いろいろに書体は変化している)。
女性に人気があったのは軟派より硬派であったのはいうまでもない。
一時期花の東京は愚連隊の天下であった。
本文の中にこんな個所があったのでそれを書きたい、私も同感だからだ。
筆者はかつて加納貢氏にインタビューした。
「戦後五十一年を過ぎて今の日本をどう思いますか?」
「こんないい加減な国はなくなった方がいい、ドイツはちゃんと自国民の手で戦争犯罪を裁いたが、日本は敵に裁かせて何もしなかった。反省してケリをつけてないんだよ、だから現実は何も変わらなかった。いや政治家も役人も民衆も腐敗しきって、むしろわるくなった。オレはこんな国は認めない、一度滅んで目が覚めないなら、もう一度滅んでみるしかないんだよ」(加納貢氏談)
今の大学生たちはひたすら「就活」にいそしみ、夢も希望も失った若者たちは引きこもり、精神を病み、あるいわ自ら命を絶って無言で姿を消していく。
社会は隅々まで管理されて息が詰まるような閉塞感があるが、国民すべてに番号をつけられ管理されることに対しても、さしたる反対意見は出てこない。
ただ内部に溜まった腐敗の膿だけが至る所に滲み出して悪臭を漂わせる。
今の日本はそういう社会になっていて、それが「戦後」の成れの果てである(本文抜粋)。
故安藤昇氏の「お別れの会」は、過日青山葬儀所で行われてた、いわゆる反社会的人間ならば青山葬儀所で行うことは許されない。
会場にはその筋の人や、芸能界、出版界、経済界さまざまな分野の人が訪れた。
安藤昇氏は昭和三十九年、八年の刑を終えて出所した後、有名な「安藤組解散式」を行った。俳優となり、作家となり、プロデューサーとなっていった。
享年九十歳であった。
私は暴力を肯定も否定もしない。
弱気を助け、強気を挫くための手段ならそれもやむを得ないと思う。
人が怒りを忘れてしまう社会に明日はない。今どき硬派の大学生などはいるのだろうか、バンカラなどという言葉は死語になってしまった。
鈴木清順監督の名作「けんかえれじい」が懐かしい。
かつては喧嘩で捕まっても警察はさしたる事件にしなかった。
両成敗であった。学生よ、バンバン喧嘩しろ、出でよ硬派のスターよ。
女の子にモテるぞ。