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2016年7月26日火曜日

「太陽の季節」




昨日ゴールドジムのことを書いたら、そもそもゴールドジムは“ソノケ”のある男たちが好んで入るジムなんだと教えられた。
駅前で便利だから入ったのだが知らなかった。
ボディビル系なのは分かっていたが、私の場合は時速10km位で一時間から二時間位歩くだけだった。私には全く“ソノケ”はないのである。

ナルシストというのは実に厄介な人間だ。
何しろ世の中の人はみんな自分を見ていると思っている。
また、見られているという、高揚した気分を全身に受けとめて快感を得る。
ドン・キホーテと呼ばれることもある。

鳥越俊太郎氏もそれに近い。
自分はカッコイイジャーナリストだという並外れたナルシズムが大ズッコケになっている。政治とは演説だがまるで演説になっていない。
聞く耳を持っているのが売りなら、朝から晩まで一カ所で討論会のバトルをやるべきだった。ジャーナリストは真実を語らねばその存在はない。

癌と闘いながら指揮者岩城宏之さんは、ベートーヴェンの第九を一番から九番までぶっ通しで指揮をしていた(休憩はある)、十時間位だっただろうか。
途中酸素吸入を受けながらタクトを振り続けた。鬼気迫っていた。その何日か後この世を去った。
最近では蜷川幸雄さんが骨と皮になりながら、酸素吸入をしながら演出をした。
私の好きだった神代辰巳監督はやはり車椅子に乗り酸素吸入をしながら映画を作った。
永六輔さんと大橋巨泉氏が死の直前「徹子の部屋」に出た。永さんはずっと口を開きっ放しでモノを語らず、大橋巨泉氏はシワシワになった体で思い出を語った。
残酷に変わった自分を見ろという覚悟があった。
私は見るに耐えなくなった。永さんのずっと開く口を見て。

渋谷区に住んでいた頃、青山サウナというのがあった。
東映ヤクザ映画の全盛期、ボスは富司純子さんの父親で東映ヤクザ映画の生みの親、大プロデューサーの俊藤浩滋さんだった。高倉健さんたちを連れてよく来ていた。
ゴールドジムで思い出した。健さんは鏡の前に立ってずっと自分の体を見続けていた。

健さんを愛してやまない田中邦衛さんとある年、下呂温泉の浴場で会った。
岩下志麻さんを起用して下呂温泉の老舗水明館の仕事をしていた。
浴場に全身ショボショボになった人がいた。
オシリの肉が煮込んだハンペンみたいだった。
田中さんですかと言ったら、おちょぼ口をとがらせて、どーもと言った。

話はずい分外れたが私が言いたいのは、ひと度事を成すためには命をかけるんだと言いたい。醜態をとことん晒せよだ。実はそれが真の美しさなんだから。
競輪を知っている人ならこんな言葉があるのを知っているだろう。
「後位凡走」これ鳥越俊太郎氏。「ちょい差し」これは強力な逃げ足を持ち一番先を行く選手をマークし、文字通りゴール寸前でちょい差しする、増田寛也さんは今この位置にいる。落車というのがある。ゴール目前にして猛スピードで三角から四角を目指した時、バァーンと落車する。小池百合子選手は無事ゴール板を通過できるか(?)
「まくり」という丈勝負がある、後方から一人で仕掛ける。
八人の選手をバンクの中央まで登り一気に抜き去る。「かまし」とも言う。
競輪用語に「もがく」というのがある、全身全霊を込めてペダルを踏む。
その必死さがもがくという表現になる。
勝負の神はこの「もがく」を最後までやった者にしか微笑まない。

候補者の入ったタスキをかっこ悪いから、あるいはオレの名は誰でも知ってるからと身につけない気取り屋は、ゴール寸前に行く前に落車する。
こう書いてみるとやっぱり石原慎太郎さんというのは特別だったんだなと思う。
いよいよ梅雨が終り、太陽の季節だ。

2016年7月25日月曜日

「ブラリ途中駅の旅」



八万五千人の軍隊が重装備の武器を持って守る中で行われる平和の祭典(?)リオオリンピック・パラリンピックは本来の意味があるのかと思う。

平和の祭典とは名ばかりで政治利用、プロ他商業化されたスポーツ利権の見本市みたいになっている。
より厳重なドーピング検査をしたらおそらく殆どの選手が何かしらの反応を示すのではないだろうか。

スポーツジムに行くとプロテインをビールの大ジョッキに入れてガブガブ飲むアスリート、または筋肉マニア、またはナルシストがいる。
私は一時期辻堂駅前のゴールドジムに入り、ウォーキングで汗を流していたが、とにかくキモチワルイ男が多いのでやめた。

やたらに陽灼けサロンで灼いた肌、やたらについた筋肉、やたらに裸を見せる男、鏡の前でじっと自分を見てニヤニヤする男、ドヒャーとでっかい若者たちが太いブラブラを見せつけながら鏡野前にいた。
誰だと聞けばオリンピックの強化選手だった(レスリング)。
ャグジーから出て来た名のあるプロレスラーが弟子二人と一緒に突っ立って体を拭かせていた、勿論全部だ。あーキモチワルイと思った。

三年近く会員ではあった。
ずっと行かなくなった時ジムから電話があり、ロッカーの期限が切れるのでどうしますかというから、シューズやらシャツやらを取りに行って終りにした。
相変わらず筋肉マンたちがプロテインをガブガブ飲んでいた。
腹筋が六分割のモナカアイスみたいになっていた。

筋肉はすぐつくが、すぐに落ちる。つまり鍛え続けなければならない。
つまり筋肉中毒となる。男の全裸ほど間の抜けたものはない。
つい見てしまうのだが、グニャとしてダランとしたものが緊張感をなくす。
トレーナーにプロテインを飲めばあのフニャとしてダラリとしたのに筋肉がつくんじゃないのと言ったら、それは無理ですと言った。
なんでだろうね同じ体の一部なのにと思った。

現代医学の進歩は薬の進化でもある。
医師が処方してくれた薬の成分を全てチェックするのは難しいだろうから、アスリートたちを守るシステムを世界が一つになって考えなければ、これからもドーピング疑惑が晴れる日は来ないだろう。

ジムの中のブラブラも嫌だったが、今国中のアチコチでポケモンGOというのに熱中した老若男女が、スマホを見ながらブラリ途中駅の旅をはじめている。
きっと思いもよらぬ事件や事故が多発するのは間違いない。
思考しない人間はフニャフニャになり続ける(これは私自身)。

2016年7月22日金曜日

「白州で拍手」



サントリーHPより

「少年よ大志を抱け」クラーク博士はその教えを北海道の大地に残した。
昨日夏の甲子園への出場を決める北北海道大会決勝で大事件が起きた。

それは何か、クラーク記念国際高校という通信制の高校(スポーツコース・硬式野球部は全日制)が、野球部創部3年で、な、なんと強敵滝川西高校を30で破り見事甲子園初出場を果たした。

校長先生は登山家三浦雄一郎さんと知った。
通信制による生徒数は一万一千人超えるとか。
正に少年よ大志を抱けではないか

小・中学校時代から野球が凄いといわれる少年を名門校がスカウトするのは今では常識だ。甲子園大会は本来地元出身の少年たち同士が戦う大会であったかが、学校の名を高めるために甲子園大会を利用することとなった。
高校野球界には少年たちをまるで売り買いするようなシステムが生まれた。

クラーク記念国際という学校名をはじめて知ったが、生徒たちを率いて勝ち抜いた監督も知りたいが、生徒たちのことも知りたい。また、練習法や指導法も知りたい。
名門校や強豪校、シード校の監督やコーチは顔色を失っているだろう。
逆に自分たちの学校はどうせ弱小高校だと思っている野球少年たちに、大きな夢と希望をもたせたことだろう。

クラーク記念国際の選手たちはゲームセットの瞬間飛び上がり、ピッチャーマウンドに駆け寄り、全員一番を表す指を一本天に向って突き上げ歓喜の雄叫びを上げた。
オレたちはイチバンダァー、ヤッタァー、カッタァー!甲子園だぞー!少年たちの活躍をこれからも追いたい。久々に胸躍るシーンであった。

一方名門中の名門、PL学園が予選一回戦で敗けたのを最後に休部となった。
上級生による下級生への暴力行為が原因だ。残念でならない。
甲子園でPL学園に勝つんだが、野球少年たちの目標であった。
数多くのプロ野球の名選手を生んだ。
母校の最後の試合を見届けるために先輩たちはスタンドから声援を送った。涙をさそうシーンだった。

日本国の運動部といえば軍隊と同じである。
フェアプレー精神論と肉体根性論は同体化する。
野球の先進国アメリカの指導者から見ると、甲子園は信じられない特攻隊的世界に見えるらしい。

何故わざわざ真夏の炎天下、それも真っ昼間に少年たちに野球をやらせるのか、一人の投手が一試合に100球、120球、150球、あの松坂大輔に至っては200球近く投げさせた。その答えは朝日新聞とNHKにあるのはいうまでもない。

夏休みには甲子園という熱闘が、自分たちの存在価値を高めるために必要であった。
プロ野球の一流選手になるのは選ばれし天才たちである。
じっくりと育てて行けば一流になったであろう幾多の少年たちは肩を壊し、ヒジを痛め、肉体も精神もボロボロになり野球を捨てた。
だが厳しい練習に耐え抜いたという体験は大人社会を生き抜く時に大きな支えとなるのも確かである。礼儀正しくなるのも確かである。

クラーク記念国際の快挙を見て私は複雑な気持ちなのだ。
やはり甲子園は最高だという気持ちと、野球少年たちをボロボロにするなよという気持ちが交差する。日曜日には神奈川県大会を見に行くことにしている。
クラーク博士もきっと今年の甲子園大会に熱狂するだろう。
深夜、少年野球を愛する後輩から頂いた、とっておきのウィスキー白州をいつものグラスに注ぎ、北の少年たちに拍手乾杯をした。

2016年7月21日木曜日

「昨日のこと」

産経新聞より



昨日午前七時二十五分、地震があったのを知ったのは、東京駅であった。
私は銀座のビジネスホテルでシャワーを浴びていた
八時に銀の鈴に集合して八時二十八分の新幹線に乗って福島県新白河にある東洋羽毛工業(株)の工場で取材撮影をするためであった。列車は地震の影響で遅れていた。

茨城県に震度4の地震が頻発している。
夜テレビのニュースを見ると筑波大学の准教授が、地震活動が活発になっているので、いつ“震度7”クラスの地震があってもおかしくないと言っていた。

東洋羽毛さんの社員さんほど礼儀正しい人たちはいない。
一人ひとりが羽毛のようにやさしく、羽毛ふとんのようにあたたかく、羽毛枕のように心地いい。誰一人として感じのよくない人はいない。
本社も営業所の人もoluha(オルハ)の人も、等しく感じがいい。
創業者の精神が二代目社長、現在の三代目社長と六十余年正しく受け継がれている。
学ぶことが実に多い。

3.11の大地震のとき、工場の人たちは千葉県浦安のホテルでの全社イベントに参加していて、幸い被害を受けた人はいなかった。だが工場の壁は崩れ落ちた。
その壁のところは工場の人たちが行き交う場所であったから、もし通常通りであれば大怪我をした人が出たはずだ。

防災関係の仕事をお手伝いするようになり、昨日深夜モニター会社から取り寄せてもらったNHKスペシャル「阪神淡路大震災・震度7 何が生死を分けたか」を見た。
以前オンタイムで見たが、ある企画をしているので改めて見た。
地震ほど怖ろしいものはない。

6000人近くが亡くなった阪神淡路大震災で多くの人は倒壊による圧迫死であった。
ビルや建物、電柱や道路、それに家具類などの倒壊、そして倒壊した建物の中にあった家電機器などが起こした通電による火災。人は即死した訳でなく、下敷きの中で助けを求めたが、救助が間に合わなく時間の経過と共に窒息衰弱死した。

21年前に起きた大惨事に学んでいるだろうか。
事前防災は行っているだろうか。
小さな赤ちゃんや、子どもやお年寄りが寝ている側に家具がある、その家具をしっかり停める工夫をしているだろうか。茨城がやけに揺れている、警告を発している。
もう一つ警告を発していることがある。
それは偽装した羽毛ふとんは市場から追放される。

原羽毛の輸入から羽毛の洗浄、精毛、縫製、仕上げ、検品、アフターサービスまで自社一貫体制で羽毛ふとんを製造している会社は十指ほどしかない。
安い物には安い訳があり、高いものには高いだけの理由がある。
正直さと誠実と仕事への誇りが、最高品質のモノを生む。
羽毛ふとんに限らず全てのモノ作りにいえることだ。

大橋巨泉氏が永六輔さんを追うようにあの世に逝った。
私と同じで100人の内99人から大嫌いだといわれた(死んでから数日はみんな大好きだったと言う)。
全身癌なのよと言っている樹木希林さんは本当に癌なのだろうか(?)不謹慎にもそんなことを思った。今年度の朝日広告賞の最高賞は宝島社の広告であった。
「死ぬときぐらい好きにさせてよ」というキャッチフレーズだった。
樹木希林さんが、ハムレットのオフィーリアに扮してミレイの絵になっていた。

小池百合子氏に病み上がりといわれた鳥越俊太郎氏は、フジテレビの討論会で癌と闘っている人への侮辱だ!と激怒したとか。
権力にすり寄って生きて来た食えない人間の見本のような小池百合子氏は、私は記憶ないわとバックレていた。
東京都知事選は各調査によると掟破りの小池百合子氏がリードしているとか。
もし当選すれば三人目の政治とカネによる途中辞任になるはずだ(?)。
きっと週刊文春はスクープを狙っているだろう。

「事前防災できることからはじめよう」

2016年7月20日水曜日

「体重」

特殊な刑務所がある。収容人数は数十人である。
摂食障害や過食障害、摂食と過食を繰り返す障害。

何故この女性たちは病院に入院するのでがなく、医療刑務所に入っているか、それは万引きをするためだ。

摂食も過食も食べ物飲み物などを万引きする。
過食で80kgあった女性が30kg位まで痩せる。その逆に30kgの女性80kgを超す。
痩せてる自分こそが自分なんだと主張する。

精神科医との面談で、何でそんなに痩せたいのか、との問いに、これが私なんです。骨と皮になった女性はさらにこう言う。
キリスト教を信じている人、仏教で仏さまを信じている人と同じに、私は痩せている自分こそが信じるべき宗教なんだと。

食事係は一人ひとりに合った食事を用意する。一食500gの人、ファミレスのお子様ランチより少ない人、コッペパンを3分の1だけにする人。少しでも食べてもらうために工夫を重ねる。

食べ物に異常に関心があり、スーパーやコンビニでつい万引きして捕まる。
アウシュビッツの囚人のようにガリガリとなっている。
房内にトイレを入れると全て吐いてしまう。仕方なく簡易トイレを入れる。
済んだあとは全てチェックされる。
ちり紙やティッシュの間に吐いた物や食べ物をはさんで隠し捨てるからだ。

さて、医学的に何故こうなったかが研究される。
その原因はやはり幼児期のトラウマである。幼児の目の前で夫が妻を殴ったり、妻が夫をなじったり、毎日いさかいが絶えない。愛情のこもっていない食事を出されて成長する。
子は親の愛に飢えて、おなかすいたよぉ〜と甘えて親の関心を呼ぶが、親はウルサイガキとばかり叱りとばす。3歳の子どもの前でDVを繰り返すとそのトラウマは障害に影響する。

喧嘩の多い夫婦や、大好きなお母さんをイジメる夫がいる家の息子たちは、嫁をもらわず母親を守ろうとして自分の人生を母のために捧げる(最近このケースが多い)。
ボクがずっとお母さんをお父さんから守るからね、あるいはお父さんの暴力は絶対許せない、私はずっとお母さんのそばにいるからね。食事なんかつくらなくたっていいよ“私食べないから”となる。

過剰なダイエットの果てに万引きをする女性もいる。ダイエットにお金をつぎ込んで食事代もなくなった。少しおなかが減った、太らないものを食べようと、グミ一個とかキャラメル一個を万引きする。金塊や宝飾品をかっぱらう訳でない。

人並以上に太るには原因があり、人並以下に痩せる人がいたら、その原因は幼児期の体験にある。
幼な子は大好きなお父さん、お母さん、パパ、ママをずっと見ている。
成人の何百倍の記憶力がそれを忘れない。(ある伝聞から)



2016年7月19日火曜日

「無法松」




夢とロマンは人間という動物にだけ与えられた特権だ。
何かに夢中になっている人間は永遠の少年であり少女である。
何故宇宙はできたのか、何故地球はできたのか、何故人間ができたのか、神はいるのかいないのか、イエスキリストはいたのかいないのか。
この世は何故ばかりで出来ている。

さてこの男は何故七十二歳で8人目の子どもを授かったのか、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーと元バレリーナのメラニー・ハムリック二十九歳との間に子が宿った。
ミックには2014年にひ孫が生まれており、ひいじいさんがパパになるという快挙となる。さすがロック界のスーパースターは全身がバイアグラロックである。
何故授かったのか(?)それは極めて原始的である一つの行為をしただけだ。

日本史上特筆すべき人間バイアグラは数多いが、高貴で高位となると、やはり後白河法皇ではないだろうか。
日本の初代総理大臣伊藤博文は女性ならばもう誰でもOK、手当たり次第であったようだ。伊藤俊輔といってた頃、高杉晋作たちにいい加減にしろ!といつも怒られていたらしい。英雄色を好むというが、それは気力と体力がないと成し得ない。
たとえ百歳になっても若い女性を探求し続けたいと、文豪谷崎潤一郎は食欲旺盛で美食の限りを尽くし、体力維持を図っていた。

人間の夢とロマンの究極は、百歳の男が生涯想い続けた百歳の女性との間に子を授かる。これならミック・ジャガーも伊藤博文も、あの巨根伝説を持つディックミネもマイッタというだろう。
iPS細胞が進化すると可能になるはずだ(?)

恐竜の祖先は鳥とワニだという研究者の一文を読んだことがある。
確かに巨大なワニに巨大な翼をつければ“ラドン”となる。
日本人はきっとこの海を草で編んだ手漕ぎ船でやって来たはずだと南海の黒潮に挑んだが、夢とロマンは一から考え直しとなった。
だがこういう少年みたいな人たちには心から憧れる。

月刊誌「田舎暮らしの本」(8月号)に五十歳からならどこへ住みたいか、そのアンケートで堂々一位になったのは、人口95万人の北九州市であった。
二位は新潟市、三位は高知市、四位は宇部市、五位が豊後高田市、次に栃木市、静岡市、松江市、松山市が同数で続いた。十位は函館市などであった。
地方で第二の人生を歩みたいと思うのは、きっとかつて住んだ転勤先で、すでに生活体験済み、単身で行ったとききっとそこでいい思い出(?)があった。
ウルサイ女房がいなければその思い出に帰りたいという、夢とロマンなのだろう。
が、皆さんウルサイ女房はすこぶる健在なので、このアンケートはあくまで例えばなのだ。

♪〜北へ帰ろう 思い出抱いて 北へ帰ろう…確か徳久広司がこんな歌を唄っていた。待てよ、北九州は東京からは南だった。
♪〜小倉生まれで玄海育ち 口も荒いが気も荒い…ご存知「無法松の一生」だ。
暴れん坊の松五郎は手の届かない軍人の奥さんに惚れてしまう。
戦争未亡人となって更に心の中でずっと想い続けそして死ぬ。北九州といえば男の侠気満載の川筋者。松五郎はその代表であった。
私は少年の頃「無法松の一生」という映画を見て、精神構造をつくる上で大きな影響を受けた。松五郎を演じたのは、名優坂東妻三郎であった。
今でもその影響はしっかりと生きている。