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2016年8月25日木曜日

「平和島駅にて」




昨日何十年振りかで京浜急行平和島駅ホームに立った。当然ずっと昔と駅の姿とは変わっていた。

十代の中頃に時々先輩と平和島に来た。その目的は競艇をするためであった。舟券というのを買ってレースを追った。強烈なエンジン音と水しぶき、唸りをあげて水上を飛び跳ねるように動きまわる舟を見るのが好きだった。高速の水鳥みたいであった。
損得はない、というよりそれ程金を持っていなかった。

昨日大森に住む篠原進先生宅を訪ねた。
会社の上原女史が取材写真を担ってくれた。篠原先生は昨年東大の目黒公郎教授が審査委員長をする「防才アイデアコンテスト」で第一位になった人である。

お世話になっている(株)i-tec24さんがコンテストの運営や広報活動などに社を上げて取り組み、友人の坂口浩規さんが審査委員で参加していた。
私は少しお手伝いをした。
坂口さんは電通に勤務している。各地の被災地でのボランティア活動などに積極的に参加している。
電通さんには珍しい(?)正義と熱血の九州男子である。

篠原進先生は地震の時家具転倒による被害から人の命を守りたいと、アイデアを出しては創意工夫をして各地各所でイベントをしたり講演をしている。お孫さんを家具転倒による被害から守ってあげたいというところから始まったとか。

一度取材に行った東京新聞の石川修己記者(すばらしい記者さん、東京都キャップ)から篠原さんの所に行くと家具転倒防止のアイデアでいっぱい、その熱心さにオドロキますよと聞いていた。

その言葉どおりマンションの部屋の中は様々な防止対策でいっぱいであった。タンス、冷蔵庫、テレビ、オーブントースター、食事をするテーブルなどなど、みんな創意工夫されていてビクともしない。

ふっくらやさしい奥さんが話しの途中にご帰宅になって、もっとカッコよくすればねと言う。
若い奥さんたちはカッコを気にするしねとかわいく笑った。
いやいやカッコよりまず人の命を守る方が大切ですよと私は言った。

上原女史はカメラを回し続け同時録音をしてくれた。
三時〜四時半頃までにして昨日は失礼させてもらった。
私はあるアイデアにぜひご参加監修をとお願いに行ったのであった。
その後歩いて着いたのが平和島駅だった。

昨日朝刊にイケアが自社製品での家具転倒によって幼児の命が失われリコールをしているという記事があった(アメリカで)。
夜になるとイタリアで大きな地震があり63名の死亡が確認されたとニュースが流れた(午後十一時)。

みなさん地震は必ず来ると思って、事前防災に心がけてください。
私が出したアイデアはきっとノンキに地震なんて来ないよ、それにいつ来るか分かんねーしという人や、絶対来るからと備えている賢いお母さんやママたちに呼び掛けることができると確信をしている。

平和島駅ホームに立っていると、その昔競艇場で食べた揚げたての串カツやハムカツの味と、アツアツにかけたイカリソースの香りと、ソースのラベルデザインを思い出した。
朝から何も食べてなかったので腹の虫がグーグー騒いでいた。

2016年8月24日水曜日

「フォールームスへ」




一枚の葉っぱの上に一匹のカタツムリがへばりついていた。
子どもの頃はでんでん虫と言っていた。
どちらでもいいと思うので以下でんでん虫と言う。

一枚の葉っぱは虫喰い状態のアジサイの葉。夜の公園であった。
コンビニでセロテープとアルプスの天然水を買って家に帰る時見つけた。
でんでん虫はかなり大きかった。つまんで取ろうとすると力一杯葉にへばりついた。
かなり怒っているようだった。きっと眠っていたのかもしれない。

オイ、でんでん虫よ、オマエはフランスではエスカルゴって呼ばれてかなりの値段の料理になっているんだぞと言った。でんでん虫は二つの角を出した。
その佇まいはキリリとして気品があった。角を指でツンと突っつくとニョッキと振り返った。首筋というか胴体というか分からないのだがグニューと伸びて縮んだ。

今年何故かアジサイが咲かなかった。
鉢の中に一本だけあるのだが何故か咲かなかった。
アジサイは死んでしまったのだろうか。
かなり窮屈そうだったので20センチ位動かしたのが悪かったのかもしれない。

でんでん虫の前世は何であったのだろうか、もう一度つまんでみるとやっぱりへばりついた。私も急変する時代にへばりついて来た人生だった気がする。
アジサイの花には雨が似合うというがまったくよく降ったもんだ。蒸し暑いのは苦手だ。

台風が南の島辺りにへばりついて動かない。3031日沖縄に行けるだろうか。
家に帰ると沖縄の友からFAXが入っていた。
直ぐに電話をすると、いつものように明るく元気に「待ってますよ」と言ってくれた。フォールームスという四部屋だけのお洒落なホテルを経営している。
仲間四人でそこへ行く。辺野古とネーネーズとアフリカのファッション人間の写真展。
二人は四十年以上私を支えて来てくれた男、会社を設立した時からの戦友だ。

でんでん虫は達観を極めゆっくりと生きている。人間でいえば哲人なのだ。
朝、まだいるだろうか。組織は世代交代を進める。
仁義の男、赤城廣治くんが力を貸してくれている。心強い熱血漢なのだ。
近々がっぷり四つに組んできっといい作品を作る。楽しみにしているのだ。

♪〜やると思えばどこまでやるさ それが男の魂じゃないか 義理がすたればこの世は闇さ なまじとめるな夜の雨 人生は劇場なのだ。

2016年8月23日火曜日

「寺田寅彦に学ぼう」


最近の広告の中でインパクトがある広告コピーといえば、矢沢永吉さんがCMに出ている日産自動車の「やっちゃえNISSAN」であろう。
コピーライターはよくぞメッセージを集約させて未来への技術を書いたと思う。
日産自動車はよくこのコピーを採用したと思う。

広告キャンペーンとしては見事に成功している。
が、もし機械任せ、コンピューター任せのクルマが、老人や子ども、視覚障がいのある人にバーンとブッツケて傷を負わせたり、死亡させたりしたら誰がどう責任を取るのかは分からない。
「やっちゃえ」という言葉は矢沢永吉さんという特別な個性を持っている人だけに許される時代へのイキオイづけの言葉であって、果たして企業は「もしやっちゃたら」の事を考えているのか疑問を感じている。

昨夜台風の影響で銀座の仕事場近くのホテルに泊まった。
今日の午前中に大切な打合せがあるので万全を期した。
何しろ東海道線は風雨に弱く、すぐに不通となるからだ。
夜七時半にホテルに入り、寺田寅彦先生の名著「天災と国防」を読む。
資料として購入してもらっていた。

寺田寅彦先生は物理学者にして名随筆家であり、博覧強記夏目漱石先生と親交があり「吾輩は猫である」の中に出てくる理学者水島寒月のモデル、また「三四郎」に出てくる物理学者野々宮宗八のモデルであったという通説がある。
“天災は忘れた頃にやって来る”といったのも寺田寅彦先生だという。
この本は災害大国日本人の必読の書であろう。

本文は読んでもらうとして、この本を解説している東大工学部畑村洋太郎教授のある一説が気になった。
−−技術が進むと、機械やシステムの分担領域が大きくなり、従来起こっていたような事故やトラブルは起こらなくなる。
しかしながら、機械やシステムが進歩した分、人間の側のそれらへの依存度がますます高くなり、そのことが逆に危険を大きくするのが常である。
この危険は人間にとって便利になった分だけ、寺田のいうように事故やトラブルになったときに暴れるエネルギーが大きくなっている。なおかつ人間のほうは注意力が著しく下がり「機械やシステムがやってくれるはず」と信じているから、こうした錯覚が生じたところで、従来は考えられなかった、信じられないほど大きな事故やトラブルが生じることがある。(原文ママ)

天災も人災も学者たちの机上では防いでくれているが、実際は絶えず想定外である。
日産自動車宣伝部も「やっちゃえNISSAN」を生んだクリエイティブチームも、寺田寅彦先生の「天災と国防」を必読してほしいと願う。
矢沢永吉さんだけに許される広告がある。
キャラクターである矢沢永吉さんを守るべく、企業はしっかりとその時のためにメッセージをしなければならない。勿論広告でもしっかりと。

一つの喧嘩も、一つの暴行も、一つの盗みも、集団行動のはじめの言葉は「やっちゃえ」で始まる。そして今、憲法改正も。やがて戦争もだ。
矢沢永吉さんが言う「やっちゃえ」はウジウジすんな、夢は追え、行動せよということだと思う。
やっちゃえという言葉をどう訳してカルロス・ゴーンにプレゼンテーションをしたのだろうか、とても興味がある。まさかトライNISSAN、チャレンジNISSANではないだろう。


2016年8月22日月曜日

「青竹酒」

和久傳HPより



気がつけばお盆休みはすでに終わっている。
三つの台風来襲の中400字のリングのゴングは鳴った。

四、五日間は休もうと思っていたが、実質的には二日足らずであった。
銀座の仕事場に出たり入ったり、また人に会いにアッチコッチに行った。

世の中はうだるような暑さであり、甲子園は熱闘であった。
日本の裏側で行われているオリンピックも気が付けば終りだ。
ついこの間までどこにいるのか、何をやってんのか分からなかった国会議員小池百合子氏が、今や東京都知事としてSPや付き人をギョーサン従えて閉会式に向かって行った。

人間の運命はサイコロの目のように出てみないと分からない。
人生は浮沈みする。
絶対エースといわれた投手が思いもよらず大量点を取られて負けてしまう。
霊長類最強といわれたレスリングの選手が負けて銀メダルとなり、号泣する。
戦禍の中コソボの選手が女子柔道で金メダルを取った。
日本から400人近く選手が行って金メダルは12個(21日現在)だ。

オリンピックばかりで気持ち悪くなったので、チャップリンの「独裁者」「街の灯」「ライムライト」を見た。12本見るつもりだったが全部は見る事ができなかった。
諸問題、諸々相談、諸仕事があり、辻堂⇔東京を行ったり来たりした。
人間の心の闇は深い。男と女の修正は難しい。権力を目指す人間たちの野心は尽きない。

オリンピックに国中が気を取られている内に、天皇が生前退位を希望するというようなメッセージを日本国政府に突きつけた、憲法九条の改正はさせないというメッセージでもある。言葉は静かな程怖しいものだ。
金だ、銀だ、銅だと新聞テレビは大はしゃぎだが、天皇から突きつけられた“どーだ”には黙して語らずだ。

休み中いろんな人と会ったが、それぞれ一本の映画、一編の小説になるほどの内容であった。
月刊文藝春秋で芥川賞受賞作「コンビニ人間」というのを読んだが、全く文学性の欠片もないものであった。高校生の日記の方が余程しっかりとしているだろう。
芥川賞なんかもうやめた方がいい。

H・ヘミングウェイの「老人と海」を再読した。
これに関しては後日記す。何度読んでも見方が変わる。
私の尊敬する友人がH・ヘミングウェイの研究者として有名なのだが、意見が合わない。
といっても私からみると雲の上にいる学者さんなので、私の見解などはへのつっぱりだ。

日本の経済状況がオリンピックで万歳、万歳としている内に、いよいよ万歳となっている。アベノミクス大失敗の尻拭いをさせられている人に、心から同情する。
2020年東京オリンピックはこの国の経済にトドメを刺すだろう。
日本人は未だ屋根の下の競技にしか通用しない。
卓球、バドミントン、柔道、体操、レスリング、水泳など。
本来の種目である、より速く走る、より高く飛ぶ、より遠くへ飛ばす。
それらは体力的にかなわない。

円盤投げなどをやっている人は見た事がないのだが、私の身体のメンテナンスをしてくれている達人が、高校時代円盤投げをやっていてインターハイに出場するほどだったと聞いた。テレビ欄で一生懸命円盤投げを探したが見つからない。
夜電話があって放送時間を教えてくれた。生まれて始めて円盤投げをずっと見た。
砲丸投げと同じで何が面白いんだか分かんないが、解説を聞いている内に、実に人間工学的で物理的で哲学的であり、奥深い事を知った。

私は、金、銀、銅の選手より銅の次、つまり四番目の選手ばかりを見ていた。
全力を尽くしてガックリの姿が美しいのだ。人生は一歩届かずに価値がある。
いわば鉛とか錫のメダルの選手だ。敗者(?)の中の一番(四位)がいいのだ。

21日早朝ブラジルとドイツのサッカーの決勝戦を見た。
延長戦のあとPK戦、キャプテンネイマールが決めてブラジルが優勝した。
絶対勝つ事を義務付けられたネイマールの涙に乾杯した。
四位は貧しき国ホンジュラスであった。
有り余るほど強化費を使った日本のサッカー選手は予選で負けた。

夏の終わりを感じる、海は黒々として荒れている。
白いクラゲがその中で毒づいている。過日新宿伊勢丹の「和久傳」で買った、特製青竹酒でスポーツマンたちに乾杯した。
私は生きる事に地獄のような練習をして来ただろうか。