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2016年8月29日月曜日

「絶品の臭い」




海を愛するヨットマンの友人が三宅島に寄港して送ってくれたのだと思う。
パッケージに「わたしゃ三宅のくさやの干物、主に焼かれて身を焦がす」なんてロマンチックな言葉が書かれている。
飛び魚のくさやとアジのくさや、それと島のりが送られて来た。

台風が近いのに大丈夫かと心配しているのだが、ベテランのヨットマンだからきっと海が荒れる前には帰って来ているはずだ。
あちこち航海するたびに、海の幸を送ってくれる。ありがたい人である。

さて、くさやを焼くとなると相当な覚悟がいる。
酒の肴としては最高だが、ひとたび家の中でくさや一匹まるごと焼くと小宅はくさやの臭いで充満するはずだ。孫たちはいまだかつてない臭いに逃げ帰るやもしれない。
だがくさや、特に三宅島のものは格別、特別、別格だ。

で、先日鍼灸マッサージの達人が送ってくれた、小さな七輪で小さく、小さく、小さくちぎって網の上において焼くことにした。
土曜の午後ちょうど達人が来ていたので半分分けてあげた。
達人は釣りの名人でもあるので魚に詳しい。
うわぁ〜これは高級なくさやですねと言って喜んで持ち帰った。
近々バーベキューをするのでそこで焼いて食べますと言った。
え、家の中でなく外で、そうなの家の中でバンバン焼いてみてほしいと思ったがその強烈無比の臭いを知っているらしい。


チラチラ青光りする固形燃料の炎で小さくほぐしたくさやを焼けば、小さくても価干金しかっりとくさやの香りだ。
冷酒で一杯実に旨い。ありがたきかな島の民の知恵。

三宅島では塩は幕府から管理されていた貴重品、それ故とれた魚を海水にひたして、ひたして、塩味をつけていった。
それをまた工夫の漬け味の中につけてじっくり干して仕上げ極上のくさやとなる。
その昔新橋のある飲み屋に一人の客がくさやを持参して来て、これを焼いてくれと言って焼かせた。オー島の臭いだと本人は喜んだが、店内はくさやが充満した。
一人、一人と客が帰って行き、その客一人となった。
これほどの凄い臭いと味はないのだ。ちぎって小さくすればほんのりといい臭いだ。
とりあえず換気扇は回した。

黒潮の味、島のりはお吸い物でよし、そのままでよし、ラーメンやおそばによし、潮の香りと味がなんともいえない、ちょいと焼いたらくさやの臭いと磯の香りで、もう言うことなしであった。
沖縄を舞台にした老人の初恋物語の名作「ナビイの恋」の中で確かこんな歌があった。♪〜一銭二銭の 葉書さえ 千里万里と 旅をする 同じコザ市に 住みながら あえぬ吾が身の せつなさよ

ヨットマンの持ち船は大きい。
今はどこ辺りにいるのだろうか。天気予報では台風10号が東京へ、スカイマーク機は沖縄へ飛んでくれるだろうか。30日に来るはずだとか。


この国は日々何らかの自然災害がある。
人による被害はそれ以上ある。事前防災できることからはじめよう。
何、奥さんから無視されているってか、それはきっと大切な何かを忘れているんだよ。
先週食べたパクチーの味が残っている。パクチーもまた独特の味だ。
私はこれといって苦手な食べ物は無いが、何故かホタテ貝だけ4年前からアレルギー物質となった。沖縄に行ったらアグー豚のしゃぶしゃぶを食べようと思っている。
すでに腹がグーグー言っている。

2016年8月26日金曜日

「また少年が」


少年がまた一人無惨に殺された。
そしてまたいつものように、いい子だった、あいさつがしっかりとできた、あの子がなんでこんな酷い目にとご近所の人々が語る。
少年は家を離れるようになり、悪い仲間と遊ぶようになっていたようだとも語る。

だが大人たちは実は何もしていない。いろんな変化をしていても関わり合いを避ける。
そして少年が死んでいた所などに花やお線香やジュース、お菓子などを持って行き、手を合わせてご家族に同情しますとなる。

私は何度も見るエセ同情に嫌悪感を持つ。
半分は野次馬根性なのだ。
髪の毛を染めただの、見た目の服装が派手になっただの、実に細かく見ているくせに少年にひと声かけてやる勇気を持っていない。否愛情を持っていない。
むしろきっといつか何か起こすぞと期待をしたりしているのだ。
少年少女が不良になっていくには必ず変化のプロセスがある。

トリュフォーの名画に「大人は判ってくれない」というのがあるが、本当に大人は少年たちの孤独を知ろうとせず、観察者、傍観者を演じる。
オッどうしたやけに派手になったじゃないか、何か相談事があったら来るんだぞ、そんなひと声が大切だと思っている。このジジイ、このオヤジ、このババア、このオバサンは俺のことを見てくれているんだ、俺の味方なんだと思うだけでも大きな救いとなる。
お説教はダメ、ウルセイなとなってしまう。

私にも年頃になっていく孫がいる。
ひと様のことをとやかく言えないが、私は私の経験を活かせたらと思っている。
なりたくて不良になる少年少女はいない。
殺した少年たちも、みんなで“やっちゃえ”だったとしたらやはりこのフレーズは怖しいと思った。
私にどこまで勇気があるか分からないが、私はひと声かけて来た。

ある少年がちゃんとした大人になり結婚をしたという話を、先日いつも行くおそば屋で友人から聞いた。殺された少年の親は何をしていたのかはここでは語らない。
警察の少年係は何をしていたのかも語らない。
「翼」といういい名を持っていた少年が、暴行され、川に流され全裸であの世に飛び立ったという事なのだ。(合掌)

2016年8月25日木曜日

「平和島駅にて」




昨日何十年振りかで京浜急行平和島駅ホームに立った。当然ずっと昔と駅の姿とは変わっていた。

十代の中頃に時々先輩と平和島に来た。その目的は競艇をするためであった。舟券というのを買ってレースを追った。強烈なエンジン音と水しぶき、唸りをあげて水上を飛び跳ねるように動きまわる舟を見るのが好きだった。高速の水鳥みたいであった。
損得はない、というよりそれ程金を持っていなかった。

昨日大森に住む篠原進先生宅を訪ねた。
会社の上原女史が取材写真を担ってくれた。篠原先生は昨年東大の目黒公郎教授が審査委員長をする「防才アイデアコンテスト」で第一位になった人である。

お世話になっている(株)i-tec24さんがコンテストの運営や広報活動などに社を上げて取り組み、友人の坂口浩規さんが審査委員で参加していた。
私は少しお手伝いをした。
坂口さんは電通に勤務している。各地の被災地でのボランティア活動などに積極的に参加している。
電通さんには珍しい(?)正義と熱血の九州男子である。

篠原進先生は地震の時家具転倒による被害から人の命を守りたいと、アイデアを出しては創意工夫をして各地各所でイベントをしたり講演をしている。お孫さんを家具転倒による被害から守ってあげたいというところから始まったとか。

一度取材に行った東京新聞の石川修己記者(すばらしい記者さん、東京都キャップ)から篠原さんの所に行くと家具転倒防止のアイデアでいっぱい、その熱心さにオドロキますよと聞いていた。

その言葉どおりマンションの部屋の中は様々な防止対策でいっぱいであった。タンス、冷蔵庫、テレビ、オーブントースター、食事をするテーブルなどなど、みんな創意工夫されていてビクともしない。

ふっくらやさしい奥さんが話しの途中にご帰宅になって、もっとカッコよくすればねと言う。
若い奥さんたちはカッコを気にするしねとかわいく笑った。
いやいやカッコよりまず人の命を守る方が大切ですよと私は言った。

上原女史はカメラを回し続け同時録音をしてくれた。
三時〜四時半頃までにして昨日は失礼させてもらった。
私はあるアイデアにぜひご参加監修をとお願いに行ったのであった。
その後歩いて着いたのが平和島駅だった。

昨日朝刊にイケアが自社製品での家具転倒によって幼児の命が失われリコールをしているという記事があった(アメリカで)。
夜になるとイタリアで大きな地震があり63名の死亡が確認されたとニュースが流れた(午後十一時)。

みなさん地震は必ず来ると思って、事前防災に心がけてください。
私が出したアイデアはきっとノンキに地震なんて来ないよ、それにいつ来るか分かんねーしという人や、絶対来るからと備えている賢いお母さんやママたちに呼び掛けることができると確信をしている。

平和島駅ホームに立っていると、その昔競艇場で食べた揚げたての串カツやハムカツの味と、アツアツにかけたイカリソースの香りと、ソースのラベルデザインを思い出した。
朝から何も食べてなかったので腹の虫がグーグー騒いでいた。

2016年8月24日水曜日

「フォールームスへ」




一枚の葉っぱの上に一匹のカタツムリがへばりついていた。
子どもの頃はでんでん虫と言っていた。
どちらでもいいと思うので以下でんでん虫と言う。

一枚の葉っぱは虫喰い状態のアジサイの葉。夜の公園であった。
コンビニでセロテープとアルプスの天然水を買って家に帰る時見つけた。
でんでん虫はかなり大きかった。つまんで取ろうとすると力一杯葉にへばりついた。
かなり怒っているようだった。きっと眠っていたのかもしれない。

オイ、でんでん虫よ、オマエはフランスではエスカルゴって呼ばれてかなりの値段の料理になっているんだぞと言った。でんでん虫は二つの角を出した。
その佇まいはキリリとして気品があった。角を指でツンと突っつくとニョッキと振り返った。首筋というか胴体というか分からないのだがグニューと伸びて縮んだ。

今年何故かアジサイが咲かなかった。
鉢の中に一本だけあるのだが何故か咲かなかった。
アジサイは死んでしまったのだろうか。
かなり窮屈そうだったので20センチ位動かしたのが悪かったのかもしれない。

でんでん虫の前世は何であったのだろうか、もう一度つまんでみるとやっぱりへばりついた。私も急変する時代にへばりついて来た人生だった気がする。
アジサイの花には雨が似合うというがまったくよく降ったもんだ。蒸し暑いのは苦手だ。

台風が南の島辺りにへばりついて動かない。3031日沖縄に行けるだろうか。
家に帰ると沖縄の友からFAXが入っていた。
直ぐに電話をすると、いつものように明るく元気に「待ってますよ」と言ってくれた。フォールームスという四部屋だけのお洒落なホテルを経営している。
仲間四人でそこへ行く。辺野古とネーネーズとアフリカのファッション人間の写真展。
二人は四十年以上私を支えて来てくれた男、会社を設立した時からの戦友だ。

でんでん虫は達観を極めゆっくりと生きている。人間でいえば哲人なのだ。
朝、まだいるだろうか。組織は世代交代を進める。
仁義の男、赤城廣治くんが力を貸してくれている。心強い熱血漢なのだ。
近々がっぷり四つに組んできっといい作品を作る。楽しみにしているのだ。

♪〜やると思えばどこまでやるさ それが男の魂じゃないか 義理がすたればこの世は闇さ なまじとめるな夜の雨 人生は劇場なのだ。