世の中にはランクというのがある。
松・竹・梅とか、上・中・下とかである。ここに特別・中等・初等というランクがある、少年院のことだ。
一月十九日東京新聞に「誓いの成人式」という見出しのコラムがあった。
横須賀市に久里浜少年院というのがある。特別少年院、通称「トクショウ」という。
特別というのだから不良少年の中でも特別の少年が入所する。
ヤクザ社会に向かう少年であればエリートコース、いわば東大法学部を出たようなものである。
新成人53人が、保護者、保護司、教誨師、職員ら130人が見守る中でめでたく新成人となった。
久里浜少年院には現在、非行度の深い少年や外国人ら16才から20才前後の約90人が在院しているという。久里浜少年院は海のすぐ側にある。
水練がキツく、どこよりもツライといわれている。
さて、彼等を世の中はどう迎えてあげるかである。
年少(ネンショウ)出だからぜひ我が社にとか、我らの店にとか誘ってはくれない。
逆にヤクザ社会からぜひ我が組へ、我がグループ、我が会へとの誘いの方が多いかもしれない。私は出所した新成人たちを空腹にしないでと世の中に願う。
何故なら空腹はまた犯罪を生むからだ。
世の中には特少を出てから立派な経営者になったり、一流の役者になったり、教育者になったり、一流のシェフや板前や名人、達人といわれる職人になったりしている人がいくらでもいる。
私は過日見たNHKのドキュメンタリー番組「ばっちゃん」を思い出した。
広島のとある街に住むばっちゃんは八十歳を過ぎている。
ばっちゃんは午前三時頃に起きて、一日何度も食事を作る。
空腹になった非行少年、少女や家族と不調和な若者や、社会生活と手く付き合えない若者たちが、ばっちゃんの作ってくれる手作りの料理を食べに来るのだ(無料である)。
また社会に出てちゃんと暮らしている若者たちがばっちゃんに会いに来る。
ばっちゃんのごはんが食べたくなったからと、番組ではばっちゃんのところから300人近くが育って行ったという。
きっと昨日も今日もばっちゃんはご飯を作り続けているだろう。
ご飯を食べさせてあげなきゃいかんのじゃけん。
子どもは腹を空かしているのじゃけんのぉ~と大きな声で笑った。
私はこんな人になりたくてもなれなかった。とてもなれなかった。
が、いつでも弱者の側にいて少しでも世のために尽くしたい。
人の恩恵で生かされて来た、無学で貧しき者としての役目だと思っている。
ばっちゃんはその大いなる見本だ。
久里浜少年院を出た若者たちに幸多かれと願う。
くじけるな、めげるな、あきらめるな。我慢だよ、世の中には善い人がたくさんいる。
喧嘩で使った根性を仕事に使えばきっと負けない。手作りのおにぎりには愛がある。
その味は一生忘れない。コンビニで買ったものではダメ。