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2017年2月9日木曜日

「田村啓選手の勝利」

東京新聞紙面より



私の枕元に一冊の本がある。
本の名は「心は折れない」日本ボクシング史上最強のスーパーフェザー級世界チャンピオン、内山高志選手の著作だ。

発刊当時KO勝ちを続けていた内山選手が「心は折れない」という本を出したことが、いかにも謙虚で人間性があると思った。
フツーの選手ならもっと攻撃的な本の題名をつけたはずだ。
内山選手の大ファンだった私は出版をプロデュースしていた広告代理店の社長にお願いしてポスターを制作させてもらった。

昨夜、東京新聞でこんな感動的な記事を読んだ。
「負け続けたボクサー8年ぶり勝利」の縦の小見出し、大見出しは横二行で、折れない34歳「やり切る」覚悟であった。ボクサーの名前は田村啓(ひろむ)選手、花形ジム所属だ。
昨年9月田村選手は8年ぶりに勝利した。
試合前まで10連敗中で戦績は6勝(2KO)23敗2分けであった。

元世界チャンピオンの花形進会長は、田村選手の勝利をジムで誕生した世界チャンピオンの時より喜んだという。
花形ジムのモットーは「継続は力なり」田村選手はそろそろ辞めてはといわれても「まだやり切っていない」と現役にこだわった。
2015年勤務先の会社が倒産、職を失った田村選手は先輩から「スポーツジムを手伝ってくれないか」と頼まれたのがボクシングとの出会いだった。
トレーナーとして多くの練習生を指導し、田村先生がんばれと応援されながらリングに上った。

記事には試合が何回戦(4回、6回、8回、10回が世界戦以外の回数)だったのか、体重のクラスが何級だったのかなどは書いていない。
日本ランカーのかませ犬だったとあるからノーランカーだったのだろう。
花形会長からオマエが日本ランカーや日本王者になったら良い手本になると声掛けられていたようだ。

田村選手は「1%の可能性があるなら目標にしたい」という。
また「僕は才能はないし、勝ち続けてきた人間でもない。大切なのは継続するだけでなく、やり切ること。僕は成長段階だと思う」と言う。
“かませ犬”とは強い選手が絶対勝てそうな相手として選び、キャリアアップさせる事を表す。

今年私の夢は大ファンの内山高志選手がもう一度リングに上がり勝利してほしいこと。
昨年の12月31日リターンマッチで惜敗した。
「心は折れない」を著した時の心を発揮してボクシングの教科書のような美しく強い姿を見せてほしい。クールでクレーバーな内山高志選手は未だ2敗しかしていない。

東京新聞より抜粋&アレンジ、コラムの題名は「取材ノート」、記者の名前は森合正範さんであった。久々にいいスポーツ記事を読んだ。
学歴なし、何くそチクショウ負けてたまるかと生きてきた私と、田村啓選手とがダブって見えた。人間勝つより負けるの方が勉強になる。

2017年2月8日水曜日

「福岡伸一教授に学ぶ」




「動的平衡」青山学院大学教授で生物学者、福岡伸一著のロングセラー本である。
初版2009年から2016年まで第18刷を記録している。

タイトルだけを見るととても私などのバカ者が読む本ではない。
が、読んだのだ。
学術用語はよく分からないけど、分かり易いところも多々あった。

近々福岡ハカセ(こう言われている)を撮影する機会を雑誌ソトコトのボス小黒一三さんがつくってくれたのだ。
写真家との打合せ前に一夜漬けでも読んでおこうと思い三夜漬けで読んだ。
福岡ハカセの本は「フェルメール光の王国」とか「ロハスの思考」などを読ませてもらっていた。文章が極上に上手い。
そこいらの小説家が束になってもかなわない。

何しろ実際に取材行動をして書き、また自ら実験したものを書く。
それは上質の旅行記であり、文明文化論であり、スリルとサスペンスに満ちた推理本である。
勿論学術的エビデンス(裏付け)によっているから説得力は他の追従を許さない。
水が上から下に流れるような文体は、出来の悪い学生にも分かり易くい講義のようである。

「動的平衡」については私などが説明しようがない。
少しわかり易い個所を原文のママご案内する。ダイエットに興味のある人のために。
92頁より抜粋、見出し「ドカ食いとチビチビ食い」ダイエットに興味ある人が、この本の読者の中にもたくさんおられると思う。
世の中にはさまざまなダイエット法が宣伝されている。
科学的に見て少しは根拠があるものから微塵も裏付けがないものまで、星の数ほどある。それらのいずれもが商品として通用しているのだから、人の世は不思議なものである。
人間には生きていくうえでどうしても必要なエネルギーというものがある。
心臓と肺を動かし、体温を維持し、基本的な代謝を円滑に動かすための熱量で、これを基礎代謝量と呼ぶ、成人で一日あたりおよそ二〇〇〇キロカロリー。
この範囲の熱量であれば、どれほど食べてもすべて燃やされてエネルギーとして消費されるので、体重は増えない。

以下更になるほどの話が続き、チビチビと食べた法が絶対に太りにくい食べかたとなる。汝とは「汝の食べた物」であるという。
自分とは自分が食べたそのものらしい。サプリメントは果たして有効か否か。
ちなみに私はかつて「肝元」とか「セサミン」とか「ハイチオールC」とか「ウコン」なんかを口に入れて酒を飲んだ後始末にして来たが、面倒臭くなって全部やめてしまったら、赤信号だったいろんな数値が全て正常になった。
それ以来何も口に入れない。食べたい物を食べている(あくまでも私の場合)。

新橋駅ビル一階に精力がつくというスッポンの粉末をずっと売っている店がある。
かなり高いのだがロングヒットらしい。その上の階には怪しい中国人マッサージ店がずらずらと勢揃いしている。私は怖ろしいのでその階には行かない。

2017年2月7日火曜日

「拷問とどら焼き」



午前四時三十一分〇二秒終了。
私は何をしていたか。帰宅してからアレコレをした後、午前二時半頃から韓国映画の鬼才、私の大好きな監督キム・ギドクの「殺されたミンジュ」を見終わった。

その間東京都東村山の名物「だいじょうぶだァー饅頭・小倉餡」「だっふんだァーどら焼き・うぐいす餡」を食べた。
辛党の私が午前三時に甘いものを食べて、だいじょうぶかァーと言えば本当は大丈夫ではない。右手にいつものグラスとジョニーウォーカーの赤を入れて飲んでいる。
どら焼きとスコッチは、人生初めての経験と言っていい。

帰宅前お世話になっていた二人と会って食事をした。
久々に会って久々な話をして、久々に楽しかった。
食べて飲んでお願い事をして、それじゃソロソロとなった時、これは奥さんに、奥さんにと重ねて言われ、袋に入った和菓子を渡してくれた。
その人は東村山市に住んでいる。

頂いた和菓子は東村山市が生んだスーパースター志村けんさんの出身地だ。
バカ殿様を演じる志村けんさんの決め言葉が「だいじょうぶだァー」なのだ。
和菓子処一風柳・餅萬は、その決め言葉を使って商品を開発した。
そのユニークな品は、黒糖の風味が豊かにあり「だいじょうぶだァー最中」とか「だっふんだァー饅頭」にその性格を表す。

昨夜私と会うと言ったら、お世話になった人の奥さんが私の奥さんに是非にと用意してくれたらしい。しからばいざ食さんと思い渋茶も用意した。
甘党と辛党、お茶とスコッチという妙な組み合わせが小さなテーブルの上に生まれた。
どら焼きとスコッチは、結構いける。
「だいじょうぶかァ」と言われれば「大丈夫だァ」と応える。

キム・ギドクの映画は相変わらず凄い。
韓国社会への怒りと憎悪を拷問という形で表す。
ある夜一人の少女(中学二・三年生)が男数人につけられ顔面をテープでぐるぐると巻かれて殺される。それからある集団が少女殺しをした男を一人ずつサラって(連行)来てとある拷問部屋で少女の殺されたときの写真を見せる。
五月九日殺人の日を思い出させるのだ。

ある男は国家情報院風に、ある男は軍人風に、ある男はヤクザ風にまた警察風にと姿形を変える、拷問もそれ的に変える。何しろキム・ギドクだから半端じゃない。
気の弱い人は見てられないだろう。
それぞれ拷問に絶えられず五月九日に何をしたか紙に書けと言われ、激痛の中で書く。
下っ端は上からの命令でという。次の男はその上の命令でという。
次の次の男は上からの命令は絶対だからという。
その次軍隊のトップ大将も上からの命令だという。

キム・ギドクは全て上からの命令で動き理由もなく人を殺す世の中をなかば風刺する。
拷問を加える数人の男たちは人生の現状に不満を持つ男たちである。
リーダーのネットへの書き込みを見てストレス発散に集って来ているのだ。
殺された少女はリーダーの娘だった。
が、キム・ギドクは何故その少女が殺されねばならなかったかはあえて語らない。
出世のためならどんな命令にも従うという事を風刺したのだろう。
責任をとらない国家への怒りと憎悪だ。

拷問マニアにはうってつけの映画だ。ラストに文字が出る。
「私は誰でしょう」と。
どら焼き&スコッチを繰り返しながら、私は誰でしょうの意味を考えていた。











2017年2月6日月曜日

「嫌われ度100%」




「お上手ね」という言葉がある。
「オジョウズネ」ご婦人の間でよく使われる。
あの方はお上手だから、といってもお料理やお習字や断捨離が上手な訳ではない。

この手の人を男の間では「調子いいから」という。
両方共会話上はいい意味で使っていない。
おべんちゃら、ゴマスリ、八方美人、男芸者、日和見主義のことを言う。
この手の人との会話は純度も密度もない。気持ち悪い人間たちだ。

昨日夜六時、日テレの「報道番組バンキシャ!」を見ていると、小説がお上手でない小説家山本一力というのが落語家林家木久扇さんと共演していた。
この下手くそ直木賞作家のコメントを聞いていると、この小説家の底の浅さを知る。
お上手、お調子者、日和見主義が全身にある。いわゆる典型的体制主義だ。
トランプさんが選挙中に言っていたことを実行しているんだから、移民規制だっていいんじゃないですか、みたいにシラシラと言う。
このバカヤローは何回も出演してはトンチンカンを言う。

さて世の中は会社員にとって嫌な気分の季節だ。
すでに人事が動いた会社もあるが、これからという会社も多い。
合併やM&A、縮小再生産を目指す。リストラや肩たたきが始まる。
会社経営とは人事にありといっても過言ではない。
えっ、ウソ、ホントという言葉の先に、お上手なヒト、ゴマスリ、お調子者の顔が浮かぶ。ヨイショ名人、まさかというヒトがまさかの出世をし、まさかというヒトがまさかの土地に飛んで行く。
まさかの男が米国の大統領になるのだから、世はまさか現象が起きる。

私はヨイショサれるのが死ぬ程嫌いなので、つとめて嫌われるように生きて来た。
一言居士どころでなく、多言居士である。
ウソで人に好かれるというのが生理的に苦手なのだ。
だから相手にも思ったことはズケズケ言う。遠慮は一切しない。
その変わりいい結果を生むための思案、思考、行動、調査、分析をする。
つまり仕事を頼んで来てくれた相手の嫌な部分(弱い部分)に全力を注ぐ。
何故ならそこを修正、改善しない限りその会社、その商品、そのプロジェクトは絶対成功しない。会社も人間も同じだ。
オイシイ話ばかりしていい格好し、嫌われたくないプレゼンテーションをしても、決していい結果にならない。

究極の嫌われ力を発揮して現在大成功??しているのが、トランプ大統領だ。
東京都知事小池百合子も同様である。
この先何が起きるか一寸先は闇だが、嫌われ力はしばし時代のキーワードかもしれない。私は嫌われ度100%だから、もしかして何かいい事があるかもしれない。(文中敬称略)

2017年2月1日水曜日

「武曲」


映画の題名は「武曲(MUKOKU)」、昨日五反田イマジカ本社試写室で観た映画だ。
原作を読んでいないのでこの映画が原作に忠実なのか、大胆にシナリオ化したのかは分からない。
熊切和嘉監督は今までにない映画を生んだ。

本来映画には物語がある。時間経過がある。主題に対し主語があり、主体がある。
が、この作品にはそれが一切ない。
まるで劇画を1ページずつめくるように映像は過去と現在をめまぐるしくフラッシュバックする。剣道が物語の主体なのだと思うがそれは表現の素材である。

何故剣道かは語らない。鎌倉のとあるお寺の住職(柄本明)は高校の剣道部の師範代でもある。かつて一人の剣士(小林薫)を弟子としていた。
その剣士は幼い一人の息子に殺意を持って鍛える。
いつの日か母親は死んでいる、その経過説明はない。
息子は中学生位になった時、母親に父を殺すと言う。

高校生のラッパー(村上虹郎)がライブで熱唱する。何故か水の中に浮かぶ。
その後かつて洪水で溺れたことを話す、がその説明はそれ以上しない。
アパートに母親と暮らしているのを見ると、洪水で父親を失ったのかもしれない。

ある日下校していたラッパーは道端にたむろしている、剣道部の竹刀を足にかけてしまう。剣道部の部員と喧嘩になる。ラッパーは一本の木を握り数人と戦う。
その時ある構えをとっさにする。それを一人の住職が見ている。
足の運びと闘争心に剣道の才能を見る。やがてラッパーは剣道部に入る。

ある小料理屋にアロハを着たアル中がいる(綾野剛)、父親を剣の戦いで殺している。小料理屋の女将(風吹ジュン)はかつて父親の愛人だったらしい、アル中はその女将に襲い犯そう(?)とするが、何すんのこんなおばさんにといなされる。
女将の髪は乱れ着物ははだける。アル中はボロボロになった自分の家に帰る。
若い女がいる(前田敦子)傷んだ玄関で女に抱きつきスカートをめくる。
白いショーツが妖しく見える。

鎌倉腰越あたりの海、遠くには江ノ島の灯台、サーファー。
剣道の道場での激しい練習、生々しい感情と過去の心象風景が短いカットで次々と描かれる。なんで急に強くなったとか、なんでアル中が急に正気になって剣士となって道場に立っているかは、観る側が整理し推理する。
母親の目の前、庭で殺したはずの父親が、ベッドで植物人間になっていたりする。

映画全編がラップだったんだという事を終わりに近づきやっと分かる(私の判断だが)。村上虹郎扮するラッパーが時々ノートにラップの歌詞を書いていたシーンを思いだす。
やがてアル中から立ち直った剣士と、ラッパーから剣士になった者が殺すことを目的に戦いだす。

これ以上は必ず映画を観に行って下さい。
二人の剣士、その裸の筋肉が肉体言語として画面を支配する。
そうか、これはホモセクシャル的映画でもあることを知る。
住職→剣士の父→その息子→ラッパーから剣士の五人が剣道を通して連結する。
ラストに住職の柄本明が二人の戦いにふと微笑する。どちらかの死を待っている。

プロデューサーは星野秀樹、「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」「オーバーフェンス」次々と名作を出している。凄い!すばらしいの一語である。外国の映画祭はきっとこの映画に日本人の狂気と日本人の伝統美に多くの賞を与えるだろう。
神風特攻隊の原風景をその肉体に感じるだろう。出演した俳優さんは絶品だった。

イマジカロビーで一緒に行った出版社の編集長に小林薫さんを紹介された。
思ったよりガッチリとした体で大きかった。眼光が鋭かった。
声は大好きな番組「美の巨人」のナレーションそのものだった。
あ~、お金が欲しいよ、映画作りたいよと思ったが、今は他にやらなければならない大事なことがある。

この映画のシナリオを書いた高田亮は、日本の映画に新しい刃を突きつけた。
賛否が割れるだろうが、私は大いに支持をする。六月から一般公開となる。
(文中敬称略)

2017年1月31日火曜日

「ニューヨーク•タイムズに声援を」


ボブディランは、友よ答えは風の中に舞っていると唄ったが、世界は一人の大統領のツイッターの指の先で困っている。マイッテル、で、憎んでいる。つまり病んでいる。
うんざり度300%位のツイッターを乱打するトランプ野郎をなんとかしろと、きっとメキシコのマフィアや、アルカイダや、中国マフィアや、イスラム国の危ない連中が何かやらかすのではと、世界中がひっそりと期待している。
それにしてもアメリカの大統領の存在がこれほどまでに絶大とはと思う。
ニューヨーク•タイムズがその巨大な権力に徹底的に戦いを挑んでいる。
ジャーナリズムは決然と生きているのに救われる。
アメリカは四権国家であった。司法、行政、立法、それと報道の権利だ。
通信簿でずっと長い間、英語が「1」だったのでニューヨーク•タイムズが読めないのが残念だ。今は遠くよりフレー、フレー、がんばれと声援を送るしかない。
今日はやけに気分が時化ているのでここまでとする。


夜六時より五反田イマジカで友人のプロデューサーが手がけた映画の完成試写会を観に行く。
原作は藤沢周、監督熊切和嘉、主演綾野剛、人気沸騰中の村上虹郎。鎌倉が舞台である。鎌倉学園高校剣道部が協力している。剣道を通して親子とはを語る。激烈な作品だ。
そのご報告は明日に。

2017年1月30日月曜日

「沈黙そして」




名曲「恋人よ」を唄った歌手、五輪真弓さんは長崎県五島列島にルーツがあることを、ある番組で知った。五年位前だろうか、五島列島には五輪姓が多いという。
その番組は隠れキリシタンについてのドキュメンタリーであった。

遠藤周作さんの「沈黙」をずっとむかし読んでいたので興味があった。
その小説が映画化され、現在上映中である。

私は先週と昨日と三回観た。
一度目は不覚にも映画の途中約四十分を見落としてしまった。
実は観る少し前にビールをコップ三杯飲んでいたのが効いてしまった。
で、昨日午後途中から見落とし分を観た。
45分待つと次の上映がある、よし遠藤周作さんと監督のマーティン・スコセッシさんに申し訳ないと思い、もう一度しっかり通しで観ることにした。
私より先に観た人と感想を語り合うことになっていた。

週末に借りてきていた「神々と男たち」を見た。実話である。
七人の神父さんたちがテロリストたちに連れ去られこの世から消える。
いちばん年老いた神父はベッドの下に隠れて助かる。
そして現在も生きているとロールスーパーが教える。
アラブや中東の国では日常茶飯事にテロが起きているが、神父たちを何故殺したかは現在も謎だという。

昨夜アンジェイ・ワイダ監督の「カティンの森」を見た。
「沈黙」を観たあとに借りて来た。
三本の映画に共通していたのは、人は人を殺すということ。
信心深い人々が神よ、主よ、イエスよとひたすら祈る。
また「カティンの森」ではポーランド軍人一万数千人が虐殺される。
殺される軍人は十字架を握っている。ナチスが殺ったか、ソ連が殺ったかずっと不明であった。アンジェイ・ワイダ監督の父親の死を題材にしている実話である。
映画は不可侵条約を一方的に破り、宣戦布告もなしにポーランドに侵攻したソ連による大量虐殺としている。
地中に埋められた一万数千人は掘り出されて一人ひとり医学的検証が成された。

「神々と男たち」では、神父たちは神はなぜに沈黙するか、主にその身をゆだねようと聖書を読み一日中祈る。テロリストたちはコーランを口ずさむ、アッラーは偉大なりと。
「沈黙」では日本に布教に来た宣教師が拷問のあげく踏み絵をし、ある者は日本人姓を名乗り生き続け、ある者は決して棄教(転ばず)せずに殺される。
神よあなたはなぜに沈黙をと祈り続ける人間を処刑の地に向かわせる、
日本人奉行やその家来たちは血も涙もない。お坊さんたちは南無阿弥陀仏を唱える。
キリスト教徒と隠れキリシタンとは違うという人がいる。

春になったらその違いを知るために五島列島に必ず行く。
拷問には水責めだとトランプ大統領はいう、果たしてトランプは水責めに耐えられるだろうか。神をも恐れぬ乱暴狼藉に必ずや天罰が下るだろう。
否、神は沈黙しているかもしれない。

昨夜もう一本見たのは「哀しき獣」韓国映画である。もう救いようもない人間たちが金を求めて殺し合う。それを命じる男は敬虔なクリスチャンであり教会のミサに行く。
午前二時を過ぎたところでいつものグラスにギルビーズ・ジンを入れた。
氷とウィルキンソンの炭酸水。アタマの中がすっかりイエスではなくノーになってしまった。

※私は映画館に行った場合は「観」るを使い、借りて来た家での場合は「見」るを使うことにしている。あしからずご了承を。

「沈黙」は素晴らしい作品、是非映画館へ行って観てほしいと思う。イエス、アッラー、神様、仏様、なんだかよく分からなくなってしまった。

2017年1月27日金曜日

「悪法を知るべし」




ちょっとそこの人、呑気に耳掃除なんかしている場合じゃない。
現在国会ではオドロシイ法案が審議されている。
元共謀罪、名を変えてテロ等準備罪法案である。
圧倒的多数を持つ自民党はまた、また、また、また、強行採決するはずです。

オリンピックをテロから守るためならいいんじゃないの、なんて人が多いのだ。
心ある自民党議員や主要官僚の人たちも、こりゃ希代の悪法といわれた治安維持法と同じだと思っているはずだ。
疑わしいだけで逮捕できるのだ、パクった以上は事件にしなけりゃならないので、拷問が生まれる、自白が強要される、当然冤罪が次々と生まれる。
権力者は政敵を追い込むこともできるのだ。

例えば映画やテレビドラマのシーンを監督やカメラマン、録音や爆弾シーンのプロたちが打合せをしている。
シーン15、そこで主人公がさ手製爆弾を作ってんだよ、月島あたりの倉庫で。
その倉庫には他にもマシンガンやライフルなんかもあるんだ。
いわば秘密の武器庫なの。主人公のオンナが覆面作りのプロなのよ、カメラはフランケンシュタインみたいな顔を作っている手の動きをズームアップすんだ。
シーン16は主人公の仲間二人が水上ボートに乗って倉庫に乗り着くんだ。
その中の一人がさ、ターゲットの人間が車で移動するルートを全部知っているわけ、で、地図を広げる。
シーン17は☓☓橋の☓☓の所に爆弾をセットするんだ。
シーン18は△△ビルの2階からスコープをつけたライフルで狙うんだ。
もう一ヶ所は反対側のビルの2階から。引き金を引く時刻は○時△分☓秒だ。バァーンとやろう。
シーン19、車は吹っ飛ぶからスタントは☓△ちゃんだな、やっぱ体が燃えてる方がいいよな。ターゲットの親分役は○□さんだ。ボディーガード役が☓□ちゃんと△☓ちゃん、蜂の巣になってもらう。
爆弾の仕掛けはやっぱりあの名人しかいないね。

なんて話をファミレスとか、煙草OKの喫茶店とか、プロデューサーの自宅なんかでやっていると、オイお前らテロ等準備法違反で逮捕する、ドドッと刑事や警察官がなだれ込んで来る。
えっ、何!ウソー、映画の打合せをやってんだよと言っても、ワッパ(手錠)がガッチリと腕にかかる。
その後留置場で変死とか自殺とかが、ほんの三行ベタ記事で出る。
舞台だって、演劇だって、小説だって同じこと、複数で打合せをしていたら疑わしいこととなる。

仕事の関係で中国や台湾や韓国やロシア、中東やアジア諸国、南米など同じところに年に何度も何度も行っている人は要注意人物としてマークされる(既にマークされている)。ね、だから呑気に耳掃除なんかしている場合じゃない。
かつて治安維持法で逮捕したのは、芸術家、知識人や文化人が多かった。
権力に批判的な政治家、報道関係、宗教関係、思想家たちも危ないのは当然だ。
花火大会、お祭りの打合せだってアウトになる。

大逆事件や横浜事件、松川、三鷹、下山事件のような事が起きるだろう。
作家小林多喜二を拷問で殺したのは築地警察だ。私の仕事場のすぐ側なのだ。
アメリカという国は、いつでも自分たちが“金ヅチ”であり、他国は“釘”だと思っている。
そしてアタマを叩くのだ、いろんな無理難題を押し付けて来るのだ。
左手に聖書、右手には拳銃や核ボタン、週末はしっかり新聞を読んで下さい(産経新聞以外)。

2017年1月26日木曜日

「松方弘樹さんありがとうございました」




「昌三ヨォ、オレはこの頃夜一人になると堅気になりたい思うんじゃ、だがヨォ朝になり若い衆に囲まれるとヨォ、そうもいかんのじゃけん」
「鉄ちゃんヨォ、そげな弱気なこというとったらいけんヨォ、殺られるじゃけん」

正確なセリフではないが、深作欣二監督の大ヒット作「仁義なき戦い」第一作にこんなやりとりがある。昌三とは映画の主人公、広能昌三、山守組若衆。
鉄ちゃんとは、山守組若頭、坂井鉄也。
故菅原文太さんが演じた主人公役には当初、脚本家笠原和夫は松方弘樹さんを起用することを求めていたという。
映画のモデルになった実在の親分美能幸三氏に面も合うし、柄が合うと思っていたらしい。

伝説の映画にはいろんな諸説伝説が生まれる。
広島県呉市の抗争から端を発したヤクザ戦争は、呉→広島と大展開し、やがて山口組VS本多会という巨大組織の代理戦争へと拡大する。
死者20数名を出したこの抗争に命がけで挑んだのが中国新聞の記者たちである。
「ある勇気の記録」として連日キャンペーンを書き続けた。
その功績は菊池寛賞を受賞した。
山守組(実際は山村組)若頭役坂井鉄也(実際は佐々木哲彦)が松方弘樹さんであった。
映画ファンが選ぶ日本映画No.1はこの仁義なき戦いシリーズである。

私は松方弘樹さん死去の報に接しガタガタガクンとした。
天才中野裕之監督と共に2008年に「灯台」という短編映画を製作した。
テヘラン国際映画祭とクラクフ映画祭にノミネートされた。
江ノ島の灯台をいつも見ている私は江ノ島を舞台に映画を作りたかった。
私の親愛なる兄弟分がキャステイングに一役買ってくれた。
親分役が松方弘樹さん、松方さんと共演ならと松雪泰子さんが親分の後妻役を引き受けてくれた(その和服姿は絶品)。
主役の親分の実子役が小林成男さん(現在中国の映画界で活躍中)であった。

低予算、寒い中朝から午前一時頃まで松方さんと松雪さんは江ノ島ですばらしい演技をしてくれた。松方さんは一日中チューインガムを噛んでいた。
中野監督のヨーイスタートの合図が出ると、チューインガムを口の中、上の部分にペタッとくっつけてセリフをスラスラとしゃべった。
カットというとまた噛みはじめた。特技なんだよと言ってニコッと笑った。
映画好きはいいねぇ~と言った。
コンビニの箱弁とペットボトルのお茶だけでいいよ、いいよと言ってくれた。
夢に見た大スターは本当の映画少年であった。
伊吹吾郎さん、村上淳さんも出演してくれた。

「もしもし松方ですが」と甲高い声、私の家に電話が入った。
「花ありがとうね」と言った。
巨大マグロを釣り上げたのを知ったので御祝に花を贈った。
その礼をしてくれた。
ザワザワと風の音、今どこにいるんですかと聞くと、鳥取の海の上だよと言ってカラカラと笑った。マグロを釣っていたのだ。

松方弘樹さん、ほんとにありがとうございました。
私は永遠にあなたの大ファンです。江ノ島の灯台を見るたび心から御礼を申し上げます。
マグロを見るたびきっと思い出します。

「兄貴が来るまでに広島はササラモサラにしとくけん」これは確か第四作の中、刑務所に面会に行った時のセリフ。
ササラモサラとは、丸竹をバシバシ叩くと、バラバラになることから来ている言葉。

今、世界中が仁義なき戦いとなった。そしてササラモサラになって行く。
午前三時二十二分三十二秒、いつものグラスに酒を入れた。
柳生十兵衛、遠山の金さんもよかったなぁ~。合掌。

2017年1月25日水曜日

「コンビニ内はグローバル」




「あ」さんはきっと「阿」、「ご」さんは「呉」、「しん」さんは「秦」だろうか、深夜のコンビニに三人の店員さんがいた。胸章に名があった。
「あ」さんは四十三歳位の男性、「ご」さんは二十五歳位の男性、「しん」さんは六十歳位の男性であった。銀座二丁目である。

お客さんは、ハイ次の人みたいにちゃんと並んでいる。私の前に四人。
一番前が金髪の外人女性、二番目がエジプト人らしき若者男性、三番目がホステスさんらしき三十三歳位の女性。
金髪の女性がパスタをチンしてもらっていて時間がかかる。
「あ」さんがツギノヒトイルカラヨコニイテマッテクダサイと言う。
OH,YESと金髪女性は体を右に2.5歩ずらす。

3.5歩かけてエジプト人らしき若者が、な、なんとおでんを買う。
チプンデトッテクラサイと「ご」さんが言う。
長いトングで器用にシラタキ、牛スジ、ソーセージ二本をつまみ取る。
カラシイルと「ご」さんが聞くと指を二本ピースみたいに出す。
つまり二個ということ、他に肉まん一個とスプライト一本であった。
オシルタクサン(?)エジプト人らしき人、入れ物の真ん中あたりを指さす。
ここ位までとの意思表示。「ご」さんおしゃもじで一回、二回と半分入れる。

三番目のホステスさん、かなり疲れているのかリポビタンDを持っている。
おにぎり二個、マカロニグラタン、チンスルと「しん」さん、しなくていいとホステスさん。バナナ三本、チョコアイスのピノ、トケナイウチニカエッテネと「しん」さん、余計なこと言うんじゃないよという感じのホステスさん。
メロンパンとカレーパンも買っていた。

世界は分断されつつあるがコンビニの中はすこぶる秩序が保たれ、ルールが守られ、グローバル化が進んでいる。人情が行き交う。ケンカなし、もめごとはなし。

「あ」さんはすでにモップを持って床を掃除している。
イートインのテーブルが路地道に向かって一直線にあり、20個位の椅子が逆さまにキチンと揃っている。
私といえば夕刊紙一紙と夕刊二紙、と“かのか”二本、ピスタチオ一袋とサラミ一袋。

ワインレッドのドレスを着たホステスさんがヒールを脱いで、リポビタンDを椅子に座ってゴクッと飲んでいた。私は都会のこんな時間と映画的シーンが大好きなのである。
次の日朝イチで撮影がある、私は寝場所に向かった。

おっともう一人いた、「ポドロフ」さんだ。ロシア人だろうか。
大きなダンボール箱を軽々と持っていた。