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2017年6月20日火曜日

「ワンタンの教え」




ビシッと腰が定まっていなく、主体性もない。
ヘラヘラしていてユラユラしている。自己主張はしない。
箸でつかもうとすればフニャと逃げる。
レンゲに入れて口に運ぼうとすれば、無駄な抵抗をして口元からスープの表面にバシャッと落ちて白いTシャツにシミを作る。

昨日ワンタンを午後に食した。
いかつい男二人が、こらっ逃げるなワンタンと真剣になる。
私は荻窪の丸福、丸信、春木屋のワンタンを食べて育ったので、未だにその三店に勝るワンタンに出会っていない。

特に丸福は最高であった。
しっかり身が入っていて、肉の部分がこんもりと丸く突き出していた。
丸信は皮に厚みがあり、かなりの存在感があった。
現在杉並公会堂の側で営業しているらしい。
春木屋はお上品であり、ワンタンのプライドがヒシヒシと伝わって来る。

茅ヶ崎駅側のラーメン店にはじめて入った。
ソース焼きそばを食べている会社員風女性、チャーハンとラーメンを食べている職人さん、レバニラ炒めライスを食べている中年の会社員風の男。
ギョーザと春巻き、ザーサイを山盛りにしてビールをグイグイ飲む、シニアな人たち三人。

店の主人とその奥さんと思しき二人は汗だくで無言、オーダーされたものの名以外一切しゃべらない。と、そこへ人相のすこぶる悪い人二人が入って来て、ワンタンよろしくと言った訳である。友人はメンマのトッピングを頼んだ。
チャーシューワンタンにしたいのだが、チャーシューの旨い!店はちょっとやそっとではない。見た目で旨いか否かがチャーシューは分かる。
やはり丸福と春木屋が最高である。歯ごたえが固くサクサクした感じで、肉厚すぎるのはまずイケナイ、チャーシューの脂身部分が勝負を決める。
口の中で溶けるような味、少し小ぶりで肉厚でないのがいい。

銀座コリドー街にある新橋よりのガード下、喜多方ラーメンの「坂内」がかなりいけている。若い男女がワンタンを食べて、口元からツルツルバッシャンと落とすシーンがほほえましくて好きだ。

ホテルオークラ内に桃花林という、旨くもなくただ高いだけの有名中華がある。
そこでいかにも◯×風×□風のおじさんが子ども二人を連れていて、ワンタンを作ってくれと頼んだ。オーイチョットと手を挙げたら両手の小指がなかった。
ワンタンはこうして食べるんだよと、子ども二人にお手本を見せていた。
ワンタンはヘラヘラしていた。茅ヶ崎のワンタンはまるで気合不十分であった。
ソース焼きそばが正解だったようだ。

だがワンタンの生き方にはすこぶる共感をする。
中華の達人、達観なのだ。
あなたはワンタンを食べてますか、なかなかに奥が深い代物です。

2017年6月19日月曜日

「蛙とネズミ」




二匹の蛙がいて、熱湯に一匹を放り込み、もう一匹は冷水に入れる。
熱湯の蛙はアヂアヂアヂーと慌ててそこから飛び出す。
一方冷水の蛙はこりゃ気持ちいいとそのままじっとしている。
だが、少しずつ水を温めて行くと、カエルは水温の上昇に気づかず命を落とす。

ビジネス界ですでに使われている「ゆで蛙の法則」だ。
いつまでもあると思うな親と金という教えの言葉がある。
今ある仕事はずっとある。今ある会社はずっとある。今ある身分はずっとある。
中・小・零細は勿論、名だたる大企業も、歴史ある会社も伝統ある老舗も命を落として来た。危機意識の欠如と甘えの構造と、つまらないプライドがそうさせる。

人間関係とは、人と人の関係だが、現代社会は人と人の間にインターネット(メール、ツイッター、インスタグラム、フェイスブック、ラインなど)が入ってしまった。
人間と人間はかつてのようにスムーズに結ばれない。
短い文章の中に相手の本心を読み取らねばならない。
水の中にいる蛙は、メールやツイッター、フェイスブックなどに気を取られている間に、気がつくとゆで蛙になってしまうのだ。人間は著しく退化劣化する。
デジタル社会はどこまでも発展して行くだろう。
それは人間の本心から離れて行くことだ。

こんな話がある。
一頭のライオンが眠っていた、そのライオンの足の上に一匹の小さなネズミがのった。
ライオンは気づき殺してしまおうとしたが、ネズミを助けてやった。
ある時猟師たちが来てライオンを麻酔銃で撃って捕まえ縄で縛った。
そこへライオンに殺されずにすんだネズミが来て、ライオンを縛っていた縄をカジッて切ってあげた。ライオンは逃げた。
大きなものに大切なのは小さな友だ、というある国の教えだ。

蛙の話から、ネズミとライオンの話から、学ぶことは多い。
この世の春がいつまでも続くという法則はない。絶対に成功しない法則がある。
金儲けばかり考えている人間ばかりが集まって、金儲けばかりを話し合う。
成功したら取り分の分配でモメ、失敗したら責任のなすり合いで終わる。

新聞、テレビ各社の調査によると、安倍内閣の支持率がついに不支持率に超えられた。
ゆで蛙になって来ているのだ。私たちの業界もゆで蛙である。小さな友よいずこに。

2017年6月16日金曜日

「夜と朝の間に」




ある哲人の言葉。成功には三段階ある。
第一段階、人から笑い者にされる。
第二段階、激しい抵抗に遭う。
第三段階、それまで笑っていた人が同調する。

能書きが多いという人間で成功した人間はいない。
やるやると言い続けて成功した人間はいない。
それはダメ、それもダメと否定語ばかりで成功した人間はいない。
リスクを背負わないで成功した人間はいない。

歴史に名を残すことをやるには、人のやったことをやらない。
オマエバカじゃねえかということをやる。
自分の好きなことを封印して嫌いなことをやる勇気を持つ。
批評家にならず批判される人間になる。
言われたことだけやる人間は、能力のあるなしにかかわらず決して新しいことを創造しない。誰もやってないことをやるのをクリエイティブと言う。
つまんない理論や、一丁前の能書きを言うなら、これは新しいというのを見せねばならない。

人と会う約束、人と遊ぶ約束、人と食事する約束は大事だが、ババババッと脳内にヒラメキがあったとき、全ての約束を反古にしなければならない。
約束重視の人は公務員になることをすすめる。
人に嫌われる、悪口雑言を浴びせられる。かなり重症のアホねとオチョクラれる。
最低最悪とコケにされる。歴史に名を残し、新しいものを生んだ人は全員バカかアホ。
ブラック発言と言われるだろうが誤解なきように。

歴史は夜作られる。
ピーターの歌ではないが、歴史は夜と朝の間につくられる。
ビカビカするビックリアイデアは、ポッとか、ハッとか、フワッと浮かぶ。
そのためには血の出るような訓練が必要となる。

あるプロ野球の選手と食事した時、私は凄い人を見たと言う。
プロ野球の選手の中でこの人が一番練習をする。
それって誰?と聞くと、イチロー選手だと。
練習が終わった時バットにいつでも血が染み込んでいたと。
かつてミスタープロ野球と言われた長嶋茂雄が、当時のプロ野球界でいちばん練習をしていた。王貞治こそが天才で、長嶋茂雄は努力の人だった。
フツーにしてたらアンタはフツー。ある有名なコーチの口グセだったとか。

人から笑われることを恐れてはいけない。とびきりのバカになることだ。
これを発想の転換という。夜と朝の間の時間をどう使うかでその先が見える。
楽して生きようなどと思っていたら生き残れない。
プロフェッショナルとは、の問いに建築家安藤忠雄は24時間考えている人と確か言った。イチローと安藤忠雄は私は苦手だが、バカみたいな努力で成功したのは認めざるをえない。

作家開高健はプロの作家とは、三十分で一作の小説が書ける者と言った。
そのために小説家はバカ食い、バカ飲み、バカ釣り、ありとあらゆるバカをやり通した。躁のときはバカでかい声を発した。鬱の時はか細い声であった。
この落差こそ創作のエネルギーである。
あらゆる分野の成功者は、ほぼ躁鬱であると言っても過言ではない。
私は落差を楽しんだジェットコースターのように。

早く帰りたい人は、早く職業を変えてカタギになった方がいい。
クリエイティブとはヤクザ稼業、芸者稼業である。
バカに同調者が現れた時、それをヒット商品、ヒット作と言う。
私の知る第一級のプロたちは、等しくマムシのようにしつこい。
マムシのSEXは三日三晩ともいう。成功の快楽のためには決して妥協しない。
そして次々とヒョーヘンする。そしてみんなから嫌われる。(文中敬称略)

2017年6月15日木曜日

「国会の死」




「コロニア」という映画を先日見た(レンタルDVDで)。
南米チリで2010年一人の囚人が死んだ。

教皇と呼ばれたその男は33年の刑を科せられていた。
軍事政権下、その男はコロニア・ディグニダという教会施設の主であった。
が、そこは有刺鉄線に囲まれた政治犯拷問所でもあった。
教会は慈善団体に見せた隠れ蓑であり、元ナチ党員教皇は小児愛者、拷問の名人であった。
政治犯、思想犯にありとあらゆる拷問を行った。仲間の名を教えろと。

八才の時、コロニアに来た少女は大人の女性となっていた。
ここに連れて来られて生きて出れたのは5人しかいないという。
映画は実話をもとにつくられていた。大統領もコロニアを讃えに訪れた。

テロ等準備罪が成立した。
権力者は敵対者をいつでも牢獄に入れることが出来る。拷問が生まれる。
教皇と呼ばれる様な人間が現れ、コロニアのような場所が生まれるだろう。
気が重いのは日本が議会制民主主義が拷問にかけられ奪われたからだ。

心ある自民党議員はきっと誓ったはずだ。
2021年までやらせない、必ず打倒するぞと。狼煙を上げる、終結せよ。

昨日は国会が死んだ日であった。

2017年6月14日水曜日

「睡眠負債」


カフェインの飲み過ぎに注意せよという記事が昨日の朝日新聞の一面にデカデカとあった。
コンビニに行くと眠気覚ましとか、エナジードリンクがレジ前に何十種類もある。
死人もずい分出ていると書いてあった。私の仕事上商品名は書かない。

ここ20数年お目覚めさわやかという体験はゼロだ。
私にとって不眠は最強の敵だが、人生の友人でもある。仲良く付き合うしかない。
いつも目がドライアイ状態なので目薬がすぐに無くなる。
セミ100匹位とか、ファントムジェット機十機分くらいの耳鳴りも友人である。
首痛、肩こり、腰痛、背中痛に坐骨神経痛、両足のしびれも友人である。

あいついい音だすなと言えば、いいクスリ打っていると言われたのがジャズメンだ。
むかしヒロポン、麻薬、今はコカイン、マリファナ、覚醒剤、眠気がとれて頭の中が青空みたいになって、何時間でも演奏ができる。しかもいい音が出せる。
モダンジャズをライブでやっている店の楽屋はクスリ屋さんと同じであった。
幸い私は一度も体験はしていない。絶対に手は出さないと決めていた。

10代の終わり頃、ある先輩の手伝いでモダンジャズ喫茶の飾り付けを多くやって、少しばかりのお小遣いをもらった。
飾り付けといっても、神田の古本屋に行ってスイングジャーナルという雑誌を持てるだけ買って来る。
その中のミュージシャンの写真をバリバリはがして破いて、地下に向かう階段の壁とかライブハウスの中の壁にベタベタと貼る。
そこにカラースプレーで好き勝手な英文字を書くだけだ。

モダンジャズを知ったのはその頃だ。
マイルス・デイヴィス、マックス・ローチ、セロニアス・モンク、J・J・ジョンソン、アート・ブレイキー、スタン・ゲッツ。
数え上げたらキリがない位バリバリはがし、破って貼った。
そして聴いた。

今はモダンジャズをあまり聴かないが、当時はモダンジャズ漬けであった。
昨日新作のDVDでチェット・ベイカーを描いた映画「ブルーに生まれついて」を見た。
ジャンキー(麻薬中毒)だったが、帝王マイルス・デイヴィスと五分を張るいいトランペッターだった。映画内容は書かない。
甘いキャラメルのような恋愛映画でもある。

「パリピ酒」という酒が流行っているらしい。
パリピとは“パーティーピープル”の事。リキュール酒であり「コカレロ」という。
度数は29度、一見グリーンでフルーティーだ。
南米アマゾンのコカの芽を減量にしたアイルランド産。
ガラナや朝鮮人参、ジュニパーベリー、緑茶など10数種をブレンドしたものだ。
男たちはこのリキュールをショットグラスで女の子にガンガン飲ませてベロンベロンにする。女の子は腰を抜かす。

大学生たち若者や芸能人たちが起こす事件にはこの「コカレロ」が絡んでいるのが殆どだ。渋谷のセンター街や新宿、池袋、六本木などでベロンベロンになっている女の子がいる。親が見たら腰を抜かすだろう。これにもエナジードリンクが絡む。
「コカレロ」をエナジードリンクで割って飲ませるのだ。一気、一気と。
若い女の子が腰を抜かして眠っていたら、若い男がなにをするかといえば一つしかない。

「睡眠負債」という言葉を教えてくれたのは銀座オルハショップの國井修店長だ。
今、世界でこの問題が取り上げられて来た。国際的テーマになったのだ。
一日少しずつ寝不足を続けると、借りたお金の利子が膨らむように、睡眠負債が増えて行く。一日30分の寝不足が30日だと900分、300日だと9000分となる。
それによって仕事がはかどらない、ヤル気が出ない、集中力が欠けるのでミスを重ねる。世界中でこの損失額は推定なんと10数兆円という。
「睡眠貯蓄」はその逆で少しずつ余分にいい眠りを重ねると貯金のように体に貯まりいい方向に行く。

睡眠負債について6月18日(日)NHKスペシャルがある。
それを見てビックリしたら、銀座オルハショップに相談に行ってほしい。
現在午前四時四分五十一秒。久々にチェット・ベイカーの音楽を聴くこととする。
モダンジャズで私が好きだったのは、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)であった。

2017年6月13日火曜日

「ポンヌフの恋人」



笑い上戸である私はずっと腹を抱えて笑っていない。
私の周辺でも腹を抱えて笑っている人はいない。これは極めて健康によろしくない。
なんだか息苦しい、なんだか胸騒ぎがする。
のザワザワ感、ヒタヒタ感はなんだろうか。

私は街や列車の中や海辺などで変な人を見かけるのが好きだ。
別段見張っている訳ではないが、ふとした仕草や不思議な食べ合わせや、カレーうどんを食べそこねて白いワイシャツが黄色くなったりしいているのを見るとジッと観察する。

昨日六時頃銀座の仕事場近くの歩道橋の下にホームレスの男の人がいた。
側にはコーヒーの缶入りがいくつかあった。ジョージア、ワンダ、BOSS、更にUCC。
会社の仲間と歩いていたのでちょっと見であった。
顔は後向きで見えないが多分オジサンだ。
缶コーヒーの中に残っているのをペットボトルに入れてオリジナルブレンドを作っていたのだ。茶褐色の液体が入ったペットボトルを左右の手で持って、バーテンダーのようにシェイクしていた。ペットボトルの中は泡立っていた。
缶コーヒーのライバル同士が混合され一つの味になる。
決して飲みたいと思わないが、興味はある。
一心不乱にシェイクというかペットボトルをゆすぶっていた。

安部公房の「箱男」という小説を読んだ時、一度頭にダンボールをかぶらせ目の見えるように二つ穴を開け、街の中にゴロンと横になり最底辺の位置から世の流れを見てみたいなと思った。
今現在何もダンボールをかぶらなくても最底辺だが、街の中でゴロンと横にはなれない。通勤する時、多摩川にかかる鉄橋を渡る。右手に大きなゴルフの打ちっぱなしがある。
その周辺にブルーシートの村があったが、今は少ない。ポツンポツンとしかない。
ホームレスに詳しい業界の人の話によると、ホームレスは不況でリストラとか、事業に失敗したとか、借金から逃れるために身をやつしていたのだが、ホームレス界も格差社会となりガンガン空き缶を集めた人とか、ダンボールをダンダンに重ねて売りまくり財を成した(?)とか、勝ち組が生まれブルーシート生活を離れて行ったとか。

「お、ねだん以上のニトリ」の似鳥という明るく熱心な社長がテレビに出ていた。
いかに、お、ねだん以上、ここで説明を「おねだん以上」ではない、「お、ねだん以上」だ。
「お」の後に句点を打つことによって、このおはOh!みたいなよろこびの声であり、「ねだん」がそれに続く。実に巧妙な言葉なのだ。
お、やすいじゃんを、お、ねだん以上ニトリにして大成功した。
海外の安い材料を使い、ベトナムなどの安い賃金で作った、安物の商品を売る。
お客はハナからニトリにそれ以上は期待していない。ユニクロも同じだ。

大好きな中川家の礼二さんが漫才のアイデアはすべて人間観察、変な人大好きなのであった。中川礼二さんは人間観察の天才と言っていい。
ある店にマスクをした男が入って来る。そのマスクは小さい。
ラーメンを食べる時、マスクを外して麺をすする、またマスク、マスクを外してスープ&チャーシュー、でマスクをつける。
オモシレーと中川礼二は腹を抱えて笑ってネタをつかんだ。
あなたは最近腹を抱えて笑いましたか(?)えっ、何、バカ者笑ってなんかいる場合じゃないと叱られるのです。

一度新橋でホームレスに500円玉一個あげようとしたら、オレは乞食じゃないと叱られた。「ポンヌフの恋人」という名画がある。一人の女性が橋の下で生活する若いホームレスと恋をする。モノクローム映画、冬の花火がカラーのどれよりも美しい。
主役のビノッシュも美しかった。貧しい恋は何より豊かであった。
二人は橋の上で花火を見て腹を抱えて笑う。




2017年6月12日月曜日

「時代の申し子たち」

私の目に狂いはなかったことを三人の若者は証明してくれていた。
六月九日(金)午後五時過ぎ私は若者たちの事務所引越し祝いに行った。場所はカタカナ職業が目指す青山である。
そのオフィスの窓から見えるのは青山通り、そして青山学院大学のキャンパスだ。
青山通りから数メートル入ったビルの中にあった。それはかなり年季の入ったビルだが、オフィス内はすべて自分たちの思い通りにつくり変えてあり、グッドデザインであった。
スタッフ七、八人は新しく。床も壁も照明もデスクも椅子も、何もかも新しい。仕事があり過ぎて断っているんだとか。十一月には上の階が空くのでそこも使うという。

中国地方のある県から出て来た若者三人は大学は東京で学んだ。
福井県鯖江といえば日本のメガネの90%をつくるところ。
その鯖江のメガネメーカーに行った時、新商品のプロモーションビデオを見せてもらった。それを見て、誰!これをつくったのはと社長さんに聞いた。
日本人離れした映像センスとデザイン性に驚いた。
東京に帰りすぐに連絡をして会ってもらった。確か四年程前であった。若者たちは未だ会社を設立して間がなく銀行との取り引きを始めたばかりであった。何しろ才能が並外れてあった。
一人で三役以上をこなすマルチな才能を持っていた。未だ三十二・三歳である。君たちは絶対に成功するよと確約した。

それから三年余、若者三人はIT社会の申し子のように、クリエイティブに、イベントに、プロモーションにと活躍の場を広げた。又、人材活用の新しいビジネスモデルを生んで行った。
もう平面だけではクライアントの要望に応えられない。
日々進化するネット社会の媒体を自分たちのアイデアでつくり上げて行った。これからはマルチでないとダメですね。と言った。
若者三人は又営業力に優れている。毎夜酒を飲みつつ人と交流をし人脈をつくり上げたという。
いまどれくらいの年商なのと聞けば、三億円事件を超えはじめているとか。来年には片手にします。(5億円)と自信を持って言った。

金がすべてではないが、つくづく時代の変化を知った。
平面広告の比重は30%位で、70%は自分たちが生んだ媒体からだ。
すばらしい若者たちの感性と時代感覚に敬服した。自信に満ちあふれる若者の前途がさらに洋々たらんことをと思った。時代の変化は速い。気がつくと浦島太郎のように世の中から置いて行かれる。
我々の世界は〝センス〟である。人間的センス、創造力のセンス、営業力を展開して人脈にするセンスだ。一人ひとりが自らをスキルアップすることだ。

アメリカのギャラップ社の調査によると、従業員が会社への熱意を持っているのは、アメリカの32%に比べて日本は139カ国中132位6%であった。ほぼ最下位だ。
グタグタ不満をいう無気力者が24%、やる気がない者が70%であった。
若者たちは実に明るく、楽しそうであった。キラキラとしたプラスオーラが出ていた。
これはどの分野にもいえるはずだ。
向上心のない者は時代から置いてけぼりになる。

2017年6月9日金曜日

「山本屋とブータレ」




昨夜名古屋出張から九時半頃に戻った。
御礼を言うべき方への電話や、お願いをする電話や、こういうことになりましたとの話を聞いた後、ノドが乾いたので冷えたキリンの生茶を飲んだ。

そこに一本の電話が入った。
出張前日結婚なんてものはと言った相手から、希望を持って結婚しますと報告があった。そうかそれはよかった。

私はずっと未婚の人に結婚をすすめて来た。
一度や二度失敗したっていいんだよ、恋愛を何より大事にするフランスみたいにこの国はなって行かなければが持論である。
洗濯物がごちゃまぜの大回転になっても我慢すればいい。
なぜなら相手もデタラメな私を我慢してくれているからだ。
多大な理想主義は現実に直面した時、ガタガタとなるから天邪鬼な私はあえて本音を語る。

人は結婚で大きく変わることができる。
心が広くなり、男は逞しく、女性の姿は美しくなる。男女同権を声を大にして言う。
自分にもっと自信を持って恋愛をせよ。君を待っている人は必ずいる。
寛容と忍耐の形を結婚と言う。

名古屋を歩き回って帰って来たのでシャツが汗びしょであった。
それを脱いで洗濯機の中に投げ入れた。
久々に名古屋で山本屋のみそ煮込みうどんを食べた。やっぱり旨かった。
足腰がバンバンになっていた。

熱田神宮に200円お賽銭を投げ入れて200円分のお願いをした。
私は結婚して48年である。日帰りで歩き回り途中でソーダ水を飲んだ。
熱田神宮の側であった。あの世に行く時三途の川を渡るという。
その時ソーダ水を飲みたいなと思った。200円分のお願いの一つであった。
若者に幸多からんことを祈る。

「婚活うつ」


ジーンズとブラジャーを一緒に洗濯したら、ジーンジャーかな、ショーツとパンツを一緒に洗濯したら、ショーパンか、シャツとスリップを一緒に洗濯したら、ダンプか。

まあ結婚なんてこんなもんになるんだよ。
キミたちの愛も二、三年もすれば、洗濯機の中で大回転をする。
洗剤のパワーが結婚への理想をすっかり洗い流す。
マゼコゼになった洗濯物は、乾燥機の中に投げ入れられて、これまた大回転だ。
Tシャツにブラジャーがへばりつき、エプロンとタオルと靴下とパンツが現代アートのように一対となる。
それはやがてバリバリとはがされて太陽にさらされる。

人間は慣れていく生き物なので、はじめはギョ、ギョっとしたものもこんなもんだと見えてくる。
恥じらいなどというのは大幅に後退をし、面倒臭いというのが最優先される。
結婚とは我慢比べのゲーム。耐え忍ぶという金のかかる生活苦なんだ。

翌日朝早くから名古屋へ日帰り出張だから早く帰ろうと思っていた。
銀座の仕事場に映画の配給会社の社長が来て映画談義に話が弾んだ。
社長は二時間ほどいた。

NHKの七時のニュースが終わった七時半ごろ、知人の息子さんから電話があり、結婚を考えている女性と会ってほしいと言われた。銀座で食事をしていたらしい。
で、銀座の旧東武ホテルの喫茶室で会った。私が洗濯物の話をしたら二人はキョトンとしていた。
女性は洗濯物はしっかり区分けして袋に入れて洗います。と強い口調で言った。
そうだよねキミはとても几帳面だしね。と息子さんが言った。

結婚への希望なんて、絶望にあっという間に追い越される。
それにいかに耐え抜くかのチキンレース(我慢比べ)だと私は言った。
夜十時過ぎ家に帰り洗面所で顔を洗っていたら右斜目前にある洗濯機の中が見えた。
Tシャツや靴下やエプロン、パジャマがへばりつき合い不思議な団体となっていた。

ある調査によると結婚率が一番高いのが福井県で、最下位が東京都であった。
約6分に一件離婚をしているという。〝婚活うつ〟というのが多くなっているというニュースを見た。
何度も何度も婚活したが失敗率100%の男女が、すっかり落ち込んでしまうらしい。
理想の相手というのはこの世には存在しないと私は思っている。
頑張れ婚活!妥協と我慢、非理想だよ。

2017年6月7日水曜日

「無法者の町」




1870年代アメリカ西部。荒野の中に小さな町がある。
教会も当たり前のように小さい。両開きの扉を開けるとバーがある。

長い木のカウンターの前に立つカウボーイ。馬は外でじっと待つ。
カウンターの奥には店の主人、二階はホテル。
大きな胸を見せた女性たちが階段を上下する。スカートはカーテンのように長く広い。
バーボンを頼む、ショットグラスで一気に飲む。ワンコインをカウンターに置く。
バーには常連のカウボーイたちがいてトランプでポーカーをやっている。
脇にはライフル、腰にはガンベルト、そこには二丁拳銃。
よそ者が来ると一斉に身構える。紙巻きたばこの煙が動く。

町には必ず成金の支配者がいる。支配者に買収された悪徳保安官がいる。
用心棒を金で雇っている。町には正義感の強い者がいるが殺される。
荒野で求めるのは「土地」だ。土地を支配したものが町を支配する。
かつて原住民のインディアンがいたが白人が殺してしまった。
弱い者たちは神に祈るしかない。

支配者は好き勝手をしながら、アメリカには自由と民主主義があるとうそぶく。
支配者の言う自由とは、好き勝手にするという自由だ。すべては金によって支配する。
支配者たち白人は、原住民にとってはよそ者であった。
イギリス人、フランス人、オランダ人、スペイン人たちだ。
こんな町に凄腕の賞金稼ぎとか、裁判所から委任されて犯罪者を追う正義の味方が現れて、汚れた町をキレイに掃除して去って行く。西部劇の定番ストーリーだ。

昨夜久々にその西部劇を見た。
2017年現在アメリカは根本はちっとも変わっていない。
150年前と基本的構図は変わっていない。
凄いと言えば支配者がほとんどユダヤ系であり、ライフルやガンベルトに二丁拳銃などは持っていない。その代わりにありとあらゆる地球上の情報という武器を持っている。
その最強の武器がアメリカを動かし、世界を動かして来た。

ハリウッド映画は必ずハッピーエンドで終わって来た。
正義が勝つと決められていた。ベトナム戦争以降、それは変わった。
「ジョニーは戦場に行った」、この映画がハリウッドの常識を大きく変えた。
アメリカが旗印にする正義のための戦争が、ひと握りの資本家という支配者のための金稼ぎであったことを知る。

ユダヤ系の人間がつくったハリウッドはハッピーエンドで終わらなくなった。
アメリカの天敵ロシアとトランプ一家がツーカーの状態だったことが、アメリカが誇る伝統の正義によって裁かれる。
西部の小さな町に現れた、正義の味方のようなものがアメリカには決然とある。
ロシアとツーカーだったのがトランプ大統領の娘、ユダヤ系というので実に話の構図が分かり易い。

「スミス都へ行く」という映画で支配者の不正を暴く熱血議員の姿を描いた。
西部の町の無法者「リバティ・バランスを撃った男」で伝説には隠れた真実があることを描いた。アメリカの正義はどうなるか。
我が日本国は無法者リバティ・バランスが支配する西部劇のようになって来た。

私の期待する人が「スミス都へ行く」の主人公になる日がきっと来るのを信じている。久々に見た西部劇はまるで現代劇と同じであった。
無法者リバティ・バランスを撃つ男は“リベラルバランスで撃つ男”である。
いつものグラスにバーボンを入れた。