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2017年6月26日月曜日

「ひとまずホッ」




六月二十三日金曜日、出版記念パーティーは大盛り上がりでした。
オープニングは北野理沙さんのソプラノと平林龍さんのバリトン、桃瀬茉莉さんの電子ピアノで、オペラ椿姫の中から「乾杯の歌」、ラストは森山良子さんが小さなオルゴールを伴奏に使って美しい声で「エターナリー」、大拍手でした。

案内状を出して都合により欠席されたのは十数人でした。
著者田中珍彦氏の人徳です。

私は司会やら何やらで5時間半ほど立ちっぱなしで汗ビショでした。
やっていいことはやっぱりやるべきだと思いました。
我が社の尾崎未知さん、全てを仕切った上原女史は何も食べず、何も飲まずオツカレさんでした。

殆どみんなの人がいいパーティーだったと言ってくれたのでホッとしました。
「珍しい日記」田中珍彦著、木楽舎刊、ぜひお買い求めをお願いします。

2017年6月23日金曜日

「ドライ+2」




梅雨でベタベタ。ムシムシムンムン。四畳の隙間で眠る私はまるでカタツムリ。
今日は一月年頭から作り始めた本のめでたき出版日。
「珍しい日記」の出版パーティーの前に、やること有り。
梅雨は体調を崩しますので十分に気をつけてください。

ただ今午前三時十一分〇三秒。目覚まし時計を八時にセット。
きっとあと一時間は眠りに入れません。
アタマの中で今日のパーティーの司会のシミュレーションをしているのです。
ルームエアコンをドライ+2にしました。かなりヒンヤリです。
本日はここまでです。

2017年6月22日木曜日

「『珍しい日記』出版開始」




明日二十三日(金)午後六時~八時頃まで、私の天沼中学時代の大先輩、元東急文化村社長、田中珍彦(うずひこ)さんの著書「珍しい日記」の出版記念パーティーを渋谷東急百貨店八階、イタリアンレストラン「タント・タント」にて行う。

年頭一月に生原稿を見せていただきやっと二十三日に出版となった。
約150~180人の日本を代表する文化人の方々が御祝いに来ていただける。
木楽舎小黒一三編集長、早野隼編集者が出版を可能にしてくれた。

私は本の題名、本作りのアートディレクション、そして出版パーティーびプロデュース&司会をする。本のカバーデザインは永石勝さんにお願いした。
全体のプロデュースを上原有美女史が担当してくれた。
出版パーティーへのお誘いの挨拶状の全文を載せます。
木楽舎刊「珍しい日記」を書店で見かけたらぜひお買い求めください。
心よりお願い申し上げます。

2017年6月21日水曜日

「今日の朝」



六月二十一日午前二時頃外は風が強い。
海から潮騒が聞こえる。左手に一匹の蚊が止まったので右手でバシッと打ちつける。
極小の体はつぶれたが私の血をしっかり吸っていた。

テレビでは大分県で震度5強があり気象庁が記者会見をしていた。
再放送を見なかったのでモニターを取ってもらっていた「睡眠負債」のDVDを見る。
寝不足や良い眠りをしていないと、癌やアルツハイマーや認知症になる確率が断然増えることが最新の研究で分かったとか。
成程、それでイロイロな不具合や失敗の原因が分かった。
睡眠不足は万病のもとなのだ。

頼まれている仕事のアイデアをシコシコと練っていたら午前五時を回った。
朝刊をポストから取って読む。新聞はちゃんとビニールにくるまれていた。
新聞を読みながらテレビを見る。森友学園、加計学園、火蟻。
オッ、オッとグッドアイデア(?)が浮かんだので、それを書き始める。

雨音が激しい。
気がつけば午前八時四十二分〇九秒、会社の仕事仲間に電話を入れる。
すぐに返しの電話…と言うことでヨロシクと言う。朝早いのにやけに元気よかった。
そうかフツーの人はこの時間は会社にいるんだなと思った。

私の仕事はヤクザ稼業、芸者稼業なので昼夜が逆転する。
もしくはずーっと起きている。「睡眠負債」はたっぷりと貯まっている。

現在午前十時四十六分、テレビでは高田純次が下総中山の町をウロウロ歩いている。
つまりずーっと起きていたので、これから少し眠ることにする。
雨強し、風強し、潮騒強し。
蚊に刺された左手がかゆい。
何十年も逆転の人生だ。

2017年6月20日火曜日

「ワンタンの教え」




ビシッと腰が定まっていなく、主体性もない。
ヘラヘラしていてユラユラしている。自己主張はしない。
箸でつかもうとすればフニャと逃げる。
レンゲに入れて口に運ぼうとすれば、無駄な抵抗をして口元からスープの表面にバシャッと落ちて白いTシャツにシミを作る。

昨日ワンタンを午後に食した。
いかつい男二人が、こらっ逃げるなワンタンと真剣になる。
私は荻窪の丸福、丸信、春木屋のワンタンを食べて育ったので、未だにその三店に勝るワンタンに出会っていない。

特に丸福は最高であった。
しっかり身が入っていて、肉の部分がこんもりと丸く突き出していた。
丸信は皮に厚みがあり、かなりの存在感があった。
現在杉並公会堂の側で営業しているらしい。
春木屋はお上品であり、ワンタンのプライドがヒシヒシと伝わって来る。

茅ヶ崎駅側のラーメン店にはじめて入った。
ソース焼きそばを食べている会社員風女性、チャーハンとラーメンを食べている職人さん、レバニラ炒めライスを食べている中年の会社員風の男。
ギョーザと春巻き、ザーサイを山盛りにしてビールをグイグイ飲む、シニアな人たち三人。

店の主人とその奥さんと思しき二人は汗だくで無言、オーダーされたものの名以外一切しゃべらない。と、そこへ人相のすこぶる悪い人二人が入って来て、ワンタンよろしくと言った訳である。友人はメンマのトッピングを頼んだ。
チャーシューワンタンにしたいのだが、チャーシューの旨い!店はちょっとやそっとではない。見た目で旨いか否かがチャーシューは分かる。
やはり丸福と春木屋が最高である。歯ごたえが固くサクサクした感じで、肉厚すぎるのはまずイケナイ、チャーシューの脂身部分が勝負を決める。
口の中で溶けるような味、少し小ぶりで肉厚でないのがいい。

銀座コリドー街にある新橋よりのガード下、喜多方ラーメンの「坂内」がかなりいけている。若い男女がワンタンを食べて、口元からツルツルバッシャンと落とすシーンがほほえましくて好きだ。

ホテルオークラ内に桃花林という、旨くもなくただ高いだけの有名中華がある。
そこでいかにも◯×風×□風のおじさんが子ども二人を連れていて、ワンタンを作ってくれと頼んだ。オーイチョットと手を挙げたら両手の小指がなかった。
ワンタンはこうして食べるんだよと、子ども二人にお手本を見せていた。
ワンタンはヘラヘラしていた。茅ヶ崎のワンタンはまるで気合不十分であった。
ソース焼きそばが正解だったようだ。

だがワンタンの生き方にはすこぶる共感をする。
中華の達人、達観なのだ。
あなたはワンタンを食べてますか、なかなかに奥が深い代物です。

2017年6月19日月曜日

「蛙とネズミ」




二匹の蛙がいて、熱湯に一匹を放り込み、もう一匹は冷水に入れる。
熱湯の蛙はアヂアヂアヂーと慌ててそこから飛び出す。
一方冷水の蛙はこりゃ気持ちいいとそのままじっとしている。
だが、少しずつ水を温めて行くと、カエルは水温の上昇に気づかず命を落とす。

ビジネス界ですでに使われている「ゆで蛙の法則」だ。
いつまでもあると思うな親と金という教えの言葉がある。
今ある仕事はずっとある。今ある会社はずっとある。今ある身分はずっとある。
中・小・零細は勿論、名だたる大企業も、歴史ある会社も伝統ある老舗も命を落として来た。危機意識の欠如と甘えの構造と、つまらないプライドがそうさせる。

人間関係とは、人と人の関係だが、現代社会は人と人の間にインターネット(メール、ツイッター、インスタグラム、フェイスブック、ラインなど)が入ってしまった。
人間と人間はかつてのようにスムーズに結ばれない。
短い文章の中に相手の本心を読み取らねばならない。
水の中にいる蛙は、メールやツイッター、フェイスブックなどに気を取られている間に、気がつくとゆで蛙になってしまうのだ。人間は著しく退化劣化する。
デジタル社会はどこまでも発展して行くだろう。
それは人間の本心から離れて行くことだ。

こんな話がある。
一頭のライオンが眠っていた、そのライオンの足の上に一匹の小さなネズミがのった。
ライオンは気づき殺してしまおうとしたが、ネズミを助けてやった。
ある時猟師たちが来てライオンを麻酔銃で撃って捕まえ縄で縛った。
そこへライオンに殺されずにすんだネズミが来て、ライオンを縛っていた縄をカジッて切ってあげた。ライオンは逃げた。
大きなものに大切なのは小さな友だ、というある国の教えだ。

蛙の話から、ネズミとライオンの話から、学ぶことは多い。
この世の春がいつまでも続くという法則はない。絶対に成功しない法則がある。
金儲けばかり考えている人間ばかりが集まって、金儲けばかりを話し合う。
成功したら取り分の分配でモメ、失敗したら責任のなすり合いで終わる。

新聞、テレビ各社の調査によると、安倍内閣の支持率がついに不支持率に超えられた。
ゆで蛙になって来ているのだ。私たちの業界もゆで蛙である。小さな友よいずこに。

2017年6月16日金曜日

「夜と朝の間に」




ある哲人の言葉。成功には三段階ある。
第一段階、人から笑い者にされる。
第二段階、激しい抵抗に遭う。
第三段階、それまで笑っていた人が同調する。

能書きが多いという人間で成功した人間はいない。
やるやると言い続けて成功した人間はいない。
それはダメ、それもダメと否定語ばかりで成功した人間はいない。
リスクを背負わないで成功した人間はいない。

歴史に名を残すことをやるには、人のやったことをやらない。
オマエバカじゃねえかということをやる。
自分の好きなことを封印して嫌いなことをやる勇気を持つ。
批評家にならず批判される人間になる。
言われたことだけやる人間は、能力のあるなしにかかわらず決して新しいことを創造しない。誰もやってないことをやるのをクリエイティブと言う。
つまんない理論や、一丁前の能書きを言うなら、これは新しいというのを見せねばならない。

人と会う約束、人と遊ぶ約束、人と食事する約束は大事だが、ババババッと脳内にヒラメキがあったとき、全ての約束を反古にしなければならない。
約束重視の人は公務員になることをすすめる。
人に嫌われる、悪口雑言を浴びせられる。かなり重症のアホねとオチョクラれる。
最低最悪とコケにされる。歴史に名を残し、新しいものを生んだ人は全員バカかアホ。
ブラック発言と言われるだろうが誤解なきように。

歴史は夜作られる。
ピーターの歌ではないが、歴史は夜と朝の間につくられる。
ビカビカするビックリアイデアは、ポッとか、ハッとか、フワッと浮かぶ。
そのためには血の出るような訓練が必要となる。

あるプロ野球の選手と食事した時、私は凄い人を見たと言う。
プロ野球の選手の中でこの人が一番練習をする。
それって誰?と聞くと、イチロー選手だと。
練習が終わった時バットにいつでも血が染み込んでいたと。
かつてミスタープロ野球と言われた長嶋茂雄が、当時のプロ野球界でいちばん練習をしていた。王貞治こそが天才で、長嶋茂雄は努力の人だった。
フツーにしてたらアンタはフツー。ある有名なコーチの口グセだったとか。

人から笑われることを恐れてはいけない。とびきりのバカになることだ。
これを発想の転換という。夜と朝の間の時間をどう使うかでその先が見える。
楽して生きようなどと思っていたら生き残れない。
プロフェッショナルとは、の問いに建築家安藤忠雄は24時間考えている人と確か言った。イチローと安藤忠雄は私は苦手だが、バカみたいな努力で成功したのは認めざるをえない。

作家開高健はプロの作家とは、三十分で一作の小説が書ける者と言った。
そのために小説家はバカ食い、バカ飲み、バカ釣り、ありとあらゆるバカをやり通した。躁のときはバカでかい声を発した。鬱の時はか細い声であった。
この落差こそ創作のエネルギーである。
あらゆる分野の成功者は、ほぼ躁鬱であると言っても過言ではない。
私は落差を楽しんだジェットコースターのように。

早く帰りたい人は、早く職業を変えてカタギになった方がいい。
クリエイティブとはヤクザ稼業、芸者稼業である。
バカに同調者が現れた時、それをヒット商品、ヒット作と言う。
私の知る第一級のプロたちは、等しくマムシのようにしつこい。
マムシのSEXは三日三晩ともいう。成功の快楽のためには決して妥協しない。
そして次々とヒョーヘンする。そしてみんなから嫌われる。(文中敬称略)

2017年6月15日木曜日

「国会の死」




「コロニア」という映画を先日見た(レンタルDVDで)。
南米チリで2010年一人の囚人が死んだ。

教皇と呼ばれたその男は33年の刑を科せられていた。
軍事政権下、その男はコロニア・ディグニダという教会施設の主であった。
が、そこは有刺鉄線に囲まれた政治犯拷問所でもあった。
教会は慈善団体に見せた隠れ蓑であり、元ナチ党員教皇は小児愛者、拷問の名人であった。
政治犯、思想犯にありとあらゆる拷問を行った。仲間の名を教えろと。

八才の時、コロニアに来た少女は大人の女性となっていた。
ここに連れて来られて生きて出れたのは5人しかいないという。
映画は実話をもとにつくられていた。大統領もコロニアを讃えに訪れた。

テロ等準備罪が成立した。
権力者は敵対者をいつでも牢獄に入れることが出来る。拷問が生まれる。
教皇と呼ばれる様な人間が現れ、コロニアのような場所が生まれるだろう。
気が重いのは日本が議会制民主主義が拷問にかけられ奪われたからだ。

心ある自民党議員はきっと誓ったはずだ。
2021年までやらせない、必ず打倒するぞと。狼煙を上げる、終結せよ。

昨日は国会が死んだ日であった。

2017年6月14日水曜日

「睡眠負債」


カフェインの飲み過ぎに注意せよという記事が昨日の朝日新聞の一面にデカデカとあった。
コンビニに行くと眠気覚ましとか、エナジードリンクがレジ前に何十種類もある。
死人もずい分出ていると書いてあった。私の仕事上商品名は書かない。

ここ20数年お目覚めさわやかという体験はゼロだ。
私にとって不眠は最強の敵だが、人生の友人でもある。仲良く付き合うしかない。
いつも目がドライアイ状態なので目薬がすぐに無くなる。
セミ100匹位とか、ファントムジェット機十機分くらいの耳鳴りも友人である。
首痛、肩こり、腰痛、背中痛に坐骨神経痛、両足のしびれも友人である。

あいついい音だすなと言えば、いいクスリ打っていると言われたのがジャズメンだ。
むかしヒロポン、麻薬、今はコカイン、マリファナ、覚醒剤、眠気がとれて頭の中が青空みたいになって、何時間でも演奏ができる。しかもいい音が出せる。
モダンジャズをライブでやっている店の楽屋はクスリ屋さんと同じであった。
幸い私は一度も体験はしていない。絶対に手は出さないと決めていた。

10代の終わり頃、ある先輩の手伝いでモダンジャズ喫茶の飾り付けを多くやって、少しばかりのお小遣いをもらった。
飾り付けといっても、神田の古本屋に行ってスイングジャーナルという雑誌を持てるだけ買って来る。
その中のミュージシャンの写真をバリバリはがして破いて、地下に向かう階段の壁とかライブハウスの中の壁にベタベタと貼る。
そこにカラースプレーで好き勝手な英文字を書くだけだ。

モダンジャズを知ったのはその頃だ。
マイルス・デイヴィス、マックス・ローチ、セロニアス・モンク、J・J・ジョンソン、アート・ブレイキー、スタン・ゲッツ。
数え上げたらキリがない位バリバリはがし、破って貼った。
そして聴いた。

今はモダンジャズをあまり聴かないが、当時はモダンジャズ漬けであった。
昨日新作のDVDでチェット・ベイカーを描いた映画「ブルーに生まれついて」を見た。
ジャンキー(麻薬中毒)だったが、帝王マイルス・デイヴィスと五分を張るいいトランペッターだった。映画内容は書かない。
甘いキャラメルのような恋愛映画でもある。

「パリピ酒」という酒が流行っているらしい。
パリピとは“パーティーピープル”の事。リキュール酒であり「コカレロ」という。
度数は29度、一見グリーンでフルーティーだ。
南米アマゾンのコカの芽を減量にしたアイルランド産。
ガラナや朝鮮人参、ジュニパーベリー、緑茶など10数種をブレンドしたものだ。
男たちはこのリキュールをショットグラスで女の子にガンガン飲ませてベロンベロンにする。女の子は腰を抜かす。

大学生たち若者や芸能人たちが起こす事件にはこの「コカレロ」が絡んでいるのが殆どだ。渋谷のセンター街や新宿、池袋、六本木などでベロンベロンになっている女の子がいる。親が見たら腰を抜かすだろう。これにもエナジードリンクが絡む。
「コカレロ」をエナジードリンクで割って飲ませるのだ。一気、一気と。
若い女の子が腰を抜かして眠っていたら、若い男がなにをするかといえば一つしかない。

「睡眠負債」という言葉を教えてくれたのは銀座オルハショップの國井修店長だ。
今、世界でこの問題が取り上げられて来た。国際的テーマになったのだ。
一日少しずつ寝不足を続けると、借りたお金の利子が膨らむように、睡眠負債が増えて行く。一日30分の寝不足が30日だと900分、300日だと9000分となる。
それによって仕事がはかどらない、ヤル気が出ない、集中力が欠けるのでミスを重ねる。世界中でこの損失額は推定なんと10数兆円という。
「睡眠貯蓄」はその逆で少しずつ余分にいい眠りを重ねると貯金のように体に貯まりいい方向に行く。

睡眠負債について6月18日(日)NHKスペシャルがある。
それを見てビックリしたら、銀座オルハショップに相談に行ってほしい。
現在午前四時四分五十一秒。久々にチェット・ベイカーの音楽を聴くこととする。
モダンジャズで私が好きだったのは、MJQ(モダン・ジャズ・カルテット)であった。

2017年6月13日火曜日

「ポンヌフの恋人」



笑い上戸である私はずっと腹を抱えて笑っていない。
私の周辺でも腹を抱えて笑っている人はいない。これは極めて健康によろしくない。
なんだか息苦しい、なんだか胸騒ぎがする。
のザワザワ感、ヒタヒタ感はなんだろうか。

私は街や列車の中や海辺などで変な人を見かけるのが好きだ。
別段見張っている訳ではないが、ふとした仕草や不思議な食べ合わせや、カレーうどんを食べそこねて白いワイシャツが黄色くなったりしいているのを見るとジッと観察する。

昨日六時頃銀座の仕事場近くの歩道橋の下にホームレスの男の人がいた。
側にはコーヒーの缶入りがいくつかあった。ジョージア、ワンダ、BOSS、更にUCC。
会社の仲間と歩いていたのでちょっと見であった。
顔は後向きで見えないが多分オジサンだ。
缶コーヒーの中に残っているのをペットボトルに入れてオリジナルブレンドを作っていたのだ。茶褐色の液体が入ったペットボトルを左右の手で持って、バーテンダーのようにシェイクしていた。ペットボトルの中は泡立っていた。
缶コーヒーのライバル同士が混合され一つの味になる。
決して飲みたいと思わないが、興味はある。
一心不乱にシェイクというかペットボトルをゆすぶっていた。

安部公房の「箱男」という小説を読んだ時、一度頭にダンボールをかぶらせ目の見えるように二つ穴を開け、街の中にゴロンと横になり最底辺の位置から世の流れを見てみたいなと思った。
今現在何もダンボールをかぶらなくても最底辺だが、街の中でゴロンと横にはなれない。通勤する時、多摩川にかかる鉄橋を渡る。右手に大きなゴルフの打ちっぱなしがある。
その周辺にブルーシートの村があったが、今は少ない。ポツンポツンとしかない。
ホームレスに詳しい業界の人の話によると、ホームレスは不況でリストラとか、事業に失敗したとか、借金から逃れるために身をやつしていたのだが、ホームレス界も格差社会となりガンガン空き缶を集めた人とか、ダンボールをダンダンに重ねて売りまくり財を成した(?)とか、勝ち組が生まれブルーシート生活を離れて行ったとか。

「お、ねだん以上のニトリ」の似鳥という明るく熱心な社長がテレビに出ていた。
いかに、お、ねだん以上、ここで説明を「おねだん以上」ではない、「お、ねだん以上」だ。
「お」の後に句点を打つことによって、このおはOh!みたいなよろこびの声であり、「ねだん」がそれに続く。実に巧妙な言葉なのだ。
お、やすいじゃんを、お、ねだん以上ニトリにして大成功した。
海外の安い材料を使い、ベトナムなどの安い賃金で作った、安物の商品を売る。
お客はハナからニトリにそれ以上は期待していない。ユニクロも同じだ。

大好きな中川家の礼二さんが漫才のアイデアはすべて人間観察、変な人大好きなのであった。中川礼二さんは人間観察の天才と言っていい。
ある店にマスクをした男が入って来る。そのマスクは小さい。
ラーメンを食べる時、マスクを外して麺をすする、またマスク、マスクを外してスープ&チャーシュー、でマスクをつける。
オモシレーと中川礼二は腹を抱えて笑ってネタをつかんだ。
あなたは最近腹を抱えて笑いましたか(?)えっ、何、バカ者笑ってなんかいる場合じゃないと叱られるのです。

一度新橋でホームレスに500円玉一個あげようとしたら、オレは乞食じゃないと叱られた。「ポンヌフの恋人」という名画がある。一人の女性が橋の下で生活する若いホームレスと恋をする。モノクローム映画、冬の花火がカラーのどれよりも美しい。
主役のビノッシュも美しかった。貧しい恋は何より豊かであった。
二人は橋の上で花火を見て腹を抱えて笑う。