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2017年9月7日木曜日

「ネムイ朝」

午前四時いつもの通り、おはよん(4)が始まった。
ネムイ、ネムイ、でもネムレない。

朝からつくばエクスプレスで出張するのだが、昨夜急に仕事を頼まれたので、ずっと企画を考えている。出かける前にビックアイデアを出さねばならない。
すでに浮かんでいるのでそれを書いている
ネムイ、ネムイなのだ。

睡眠負債の解決には、まずはじめの90分いい眠りが大切らしい。

長い習慣で電気を消すとパッとアイデアが浮かぶ、言葉が浮かぶでそれを書いて電気を消すと又、浮かぶ。
だが大したもんではない。
殆どは使いものにならない。

四時十分テレビにはこれ以上ない位に陽灼けした「松崎しげる」がカルビーの黒い商品のCMに出るとかやっている。
この男いっそアフリカに行った方がいいのではと思う。
たいめいけんの真っ黒いシェフと一緒に。

ネムイ、ネムイ、天気予報では雨のち晴れだとか。

ヨーイスタート即骨折の民進党の人事に口アングリとする。
そういえば国対委員長になった「松野頼久」も真っ黒主義だ。
つまり民進党の前途も真っ暗だ。
元検事と年下の弁護士のW不倫なんて本当だとしたら、文学的ではないか。永田町は嫉妬の町でもある。
人の出世は何より許せないので、チクリ合戦だ。
セコイ、ズルイ、チクル、スネル、スゴム、タカル、小役人がおこぼれ不足だとチクル。
心の中が陽灼けして真っ黒なのだ。

オッ、出たぞ、コレだ!いいアイデアが浮かんだ。
採用になったら教えます。

アントニオ猪木が32回目の訪朝とか、元気ですか~、元気があればミサイルが撃てる。なんて言って来ないで下さい。
ヤバイ、90分間はなんとしても眠らないと。

♪~黒い落ち葉が夜の銀座をー。
と水原弘が唄ったが、今年の八月は銀座史上最悪の“赤”だったと、ある大箱のBOSSが仕事場にお米を持って来た。
アベノミクス大不況はミサイルと共にやって来て、支持率は上がる。変な国なのだ。

(文中敬称略)

2017年9月6日水曜日

「哲学と焼き肉」

人間は頭に来るとどうなるか、当然怒る。
怒るとどうなるか顔に出る。
顔に出たあとどうなるか口に出る。
これが決まりなのだが、この人は違う。
昨日深夜長い間の謎が分かった。
コンピューターのプログラマー&ホームページやウェブのデザイナーをしているその人は、もう何年間も私の無理難題や、奇跡に近い注文を私の狙い通り、それ以上に平然とカタチというか映像デザイン化してくれる。
メカオンチの私は次々とあ〜して、こ〜してと頼む。
時には相当に頭に来る言葉で頼む。
が決して怒った顔をしない。
怒気を含んだ声も出さない。
○○さんは怒ったことあるのと質問をしたことがある位だ。
九月八日にひと勝負かけている仕事があり昨日深夜まで二人で一コマ一コマ、半秒一秒、句読点の微妙な位置まで編集作業をした。
決まればその業界初といえる自信作が生める。
それ故注文も多い。
かなり形が見えて来たので、その人の会社の入っているビルの地下にある焼き肉店で腹ごしらえしようとなった。
私は日本酒を一合飲んでいいと聞いたら、どうぞと笑った。
○○さんはウーロン茶。
かなりいい線に来たねと言えば、マアウフフこれから朝までと言った。
牛タン、ハラミ、野菜サラダ、カルビーを焼き、二人共ビビンバ半分サイズを頼んだ。頭が疲れ切っていて食欲がなかった。

そうか昼にお世話になっている社長さんに、これは旨い!という特製シュウマイ二個とネギ&細切りチャーシューメンをごちそうになっていたからだ。
15分位外でお待たせしてかなり叱かられた。
店の中で待っててと言ってくれればいいのに、ハイスイマセン店の位置がわからなかった、と謝った。

で焼肉店、ところで○○さんはずっと前から今のコンピューターの仕事を考えていたの、当然理工学部系だよね。(ずーとそう思っていた)息子さんもやっぱりそっち系に進むのと聞いたら、僕は○△大学の哲学科卒ですと言うではないか、へぇ〜哲学と今の仕事全然関係ないじゃんと言った。そうですね哲学でメシは食えませんからと言った。
友だちなんかはどうしたのと聞いたら、マアせいぜい学校の先生とか、本屋さんとか、えへへへと笑った。無学の私にとって哲学なんて(?)(?)(?)哲学ってどこから入るのと聞けば、まずはやっぱりソクラテス、プラトン、アリストテレスをギリシャ語の原書でなんて平然と牛タンとカルビーを食べながら言った。ニーチェやカント、サルトルなんて言って、マアあれこれコンピュータ(パソコン)で調べている内に今の仕事をしているんですと言った。
聞いてみないと分からない。
聞いてみて分かった。
だから○○さんは絶対自慢話をしない。
人の悪口を言わない。
自分の会社の社長の悪口を言わない。
絶対にお金の話を自分からはしない。
そうか哲学を極めていたんだと、ため息をつきながらワカメスープを飲んだ。

哲学のない自分がはずかしくなってしまった。
感情ムキ出しで悪口雑言をはき出す自分が。焼きすぎてコゲてしまったハラミを箸でつまんでいた。
本日の肉は鹿児島の△□牧場の△□さんが生産したものですと、生産者のニカッと笑った写真を店員さんが見せに来た。来年のNHKの大河ドラマは西郷さんが主人公だから鹿児島ブームになるかもなと言った。
写真では大きく元気に育っていた牛ちゃんが、切り刻まれて目の前の皿の上にのっていた。

○○さんはポツンと言った。人間は雑食ですからねと。

2017年9月5日火曜日

「カット!とカッと」

そりゃあんまりだよと昨日書いた映画「関ヶ原」の酷評について、映画に関係したスタッフの一人が言った。
そうだなでも50点だから別段悪い点じゃないよ、でもね撮影は大変だったんだ。
分かる現場の人たちは自分の専門分野に命がけだからねと言った。

映画の世界は実に恐い。
どれほど苦労に苦労を重ねたワンカット、ワンカットも、製作委員会の中でいちばん出資している会社の人間が、そのカットいらないね、カットカットでカットされる。
監督はジッと我慢をしていたが遂にカッとなり、そのカットの重要性を口角泡を飛ばして語る。
なんであの女優の濡れ場がないの、お客はそれを見に来てんだよ、脱がせよ、脱がせと、次に出資している会社の人間が言う。
監督はロマンポルノじゃないんだとカッとする。
あのさぁ~私シナリオ読んでないんだけどね、資金はいっぱい出している訳よ、でさぁ中華そば屋のシーンでさ、なんでギョーザ食う時にラー油使わないの、お酢がさ多すぎじゃないの、それにラーメンの中にホウレン草入ってんの嫌いなんだよね、取り直してほしいな。
なんてことを真顔で言う。
才能ある監督はバカヤローとカッとして台引っくり返す。
俳優を送り込んでいる事務所は人気女優が監督にイジメられていると言い、現場でそれダメ、それ見えすぎ、それ汚しすぎと口を出す。
監督はカッとし続け一本の映画をつくるとストレスで頭の毛が抜けてしまう。
悪徳プロデューサーは各マスコミに頭を下げる、が集めた資金をこれはオレの特権とポケットに入れてしまう。
その結果監督の撮りたかったシーンは消えて、空だ、波だ、カモメだ、竹林のざわめきだという心象風景に変わってしまう。
製作委員会の連中は、なんであの子と飲めないのとか、あいつなんであいさつに来ねぇのとブンムクれる。
監督は徹夜。
徹夜でカッとしながら編集をする。
そんな苦労を知っているが、映画は出来上がった作品がすべて。
苦労話とネコババやおねだりは後日談。
大ヒットすればマァいいでないかいとなる。
監督はそうはいかない評価がどうかが気になるのだ。
ひょっとして映画賞をと考える。
だがこの賞がクセ者である。
えっ、な、な、なんであの映画が一等賞なのとなる。(映画会社制作作品に決まっている)

それでも最近はインディーズ系が名を連ねる。
いい映画を低予算でつくっている。
何故いい作品が生まれるか、製作委員会方式でなかったり、あっても二・三社だけだからだ。

さて、「関ヶ原」だがぜひ観てください(?)その上でご連絡を。
お互いの意見をガンガン交わしましょう。司馬遼太郎先生の原作は何故ヒットしないかを話します。(大河ドラマでも)映画的のようで映画的でないんです。

オイ隣りのおじさんいつまでベビーラーメンバリボリ食べてんだよ。これがイヤーな臭いなんです。
この中年男はビールのおつまみではなく爽健美茶を飲みながら、ベビーラーメン2つをボリボリと食べまくりました。とても映画談議には縁のないような、つまんない顔をしていました。帰りの列車の中のことです。
私はあまりの臭いにカッとなったのです。ヘイ!ベイビーと…。

2017年9月4日月曜日

「金を出しても口は出さない」

昨日午前十一時五十五分から予告篇を経て二時間半ほど、司馬遼太郎原作、原田真人脚本監督の「関ヶ原」を辻堂の湘南モール内で観た。

興収30億を越す大ヒット作になると映画評に書いてあった。
が100点満点で50点位の映画であった。

まず原田真人のシナリオが全然ダメ、新しい切り口も視点もない。
金はかけたのだろう製作委員会のクレジットが長々と出た。
大失敗作といって間違いない。
広い館内に半分近く入っていたが、殆んどは1100円のシニアである。
岡田准一の石田三成なんてありえないキャスティングであった。
一人で叫んでわめいて大騒ぎしてこれが正義かで終わった時、私は深いため息をついた。
女忍者に人気女優を起用しているが、意味不明、秀吉役の滝藤賢一、ダメ。
島左近役の平岳大に至っては気の毒でしかない。
小早川秀秋の東出昌大、島津義弘の磨赤児、西岡徳馬の前田利家もダメダメ。
大谷吉継、安国寺恵瓊、本多正信、井伊直政、みんなダメダメ、脚本が悪いとこんなにも酷い映画になるのかという見本だ。
よくぞまぁ2時間半もかけてこんなダメ映画を才能ある監督が作ったのか、それは金を出すからといろんな注文をつける製作委員会方式のせいだと思う。
監督がもうメチャメチャ、ゴチャゴチャ言われて、え~いもうどうでもいいやとなった映画だ。

でもこれは私の感想でしかない。や~ものすごく良かった、面白かった。
いい映画だと言う人も多いだろう。

2017年9月1日金曜日

「純文学(?)」

ヒモは三日やったらやめられない。
純文学が低迷しているという。
中でも私小説は作家がでない。
WHY何故か(?)どうしようもない男がいなくなったからだ。
特に小説家を志すヒモ(ジゴロ)がいなくなった。
すべてに「だらしない男」しか私小説は書けない。
文学は「大衆小説(中間小説)歴史、冒険、剣豪、エロ、変態、山岳、紀行」など本の数だけある。
が、純文学という文学に「純」がのかっているのは私小説だ。
実は純文学→私小説は誰にでも書ける。取材も資料もいらない。
原稿用紙と筆記具があればOKだ。
何しろ自分のことを書けばいい、あるいは自分が見たもの聞いたものを書けばいいのだ。
よく小説にはモデルがいるというが、私小説は自分がモデルだ。
主人公(つまり私)が、どうしようもないほどいい作品になる。
そこでヒモの登場だ。
女性にだらしなく、
金にだらしなく、約束事にだらしない。
この“三大だらしなさ”があれば私小説は生まれる。
文学作法なんて関係ない。
文法なんてジャマなだけだ。
例えば、朝起きた金がほしい、金がほしい、金がほしいをずっと原稿用紙に書く(10枚くらい)次に女を抱きたい、女を抱きたい、女を抱きたいをずーっと10枚位書く。
めんどくさい、めんどくさい、めんどくさいを10枚位書く。
腹が減った、腹が減った、腹が減ったを10枚位。
そこに暴力性が現れ、隣りに眠っている女性を売り飛ばすことを単純に考える。
いきなり蹴り飛ばして起して脅す、そして突然泣き出し、土下座し、書けないんだ、駄目だ、一緒に死んでくれ、もう駄目だと芝居をする。
やさしい女性は顔にアザをつくりながら、私をどこへでも売って、私が一生懸命稼ぐから、あなたは小説を書いて、今これしかないけどと言ってサイフから28,560円を出す。
ヒモはそれを手にしてまず560円でグイと酒を飲み、塩豆をかじる。
酒臭い体でバスに乗り場外馬券場(車券もある)に行き予想紙ダービーとか競馬エイトを買う黒競、青競の場合もある。
チビッた赤鉛筆をもらい耳にはさみコンクリートの上にベタッと座る。
手にした28,000円はバス代を払って27,680円になっている。
予想紙代と共に買った串カツと缶ビールで26,000円になっている。そこいらまでの風景や感情の動き、目にした人間やその周辺をメモしておく。
(記憶する)第一レースから第九レースまでカスリもしない。
途中でワンカップの酒を買い、フランクフルトソーセージとハムカツを買う。
残金は830円位しかない。
第十レースをどうするか予想紙はすでにクシャクシャである。
あいつを売ればいいんだ。
どうしようもない男は500円を手にして売ろうと思っている同居人の女性の誕生日3月8日にちなんで3-8を5枚買った。こんな生活をする人の中から私小説が生まれる。
スッテンテンのオケラになって安アパートの一室に帰ると、ナイフで手首を切った女性が赤い血の中で死にそうになっている。
この時どういう言葉でどう描写するか、これで私小説の出来不出来が決まる。
だが、私小説はここから始まる。

エイミー・ワインハウスはグデングデンに酔いながら、♪~恋は勝ち目のないレースと唄った。

2017年8月31日木曜日

「私小説エイミー・ワインハウス」

2011723日、ロンドンのとある所で一人の女性の死体が発見された。
エイミー・ワインハウスであった。
このステキな名を持つ女性は父はタクシーの運転手さん、母は薬剤師というユダヤ人であった。
死体の側には空っぽになったウォッカの瓶が二つ転がっていたという。

私の最も好きな、最も共感する、最もミュージシャンとしての生き方を認める女性であった。
エイミー・ワインハウスは18歳にして人生のすべてを体験したような作詞をし作曲した。恋、愛、ドラッグ、アルコール、入院、退院、そして隔離、そしてまたドラッグとアルコール。
結婚、離婚を繰り返す中でグラミー賞5部門を受賞。
ドラッグに犯された、そのうす汚れたハスキーな声、自分の体験を詞にして唄った。
私小説的世界、天才がもつ宿命的な人生の落差と落伍、転落、破滅、そして切れぎれの愛、わずか27年の生涯は凡庸な女性の300年分位の否それ以上の愛を追う人生だった。
昨夜アカデミードキュメンタリー賞を受賞した、エイミー・ワインハウスの映画を見た。
例えていうならば女たらしのウソつきクスリ好きの太宰治。
ウソばかりついて借金を重ねた石川啄木。
ウソを重ねて妻を狂わした島尾敏雄。
それらをミキサーに入れて、愛憎まみれの林芙美子を加える。
又は与謝野晶子。
藤圭子のような歌い方で自らの人生をジャジーに唄った。
そんな深い味がある。

エイミー・ワインハウスをぜひ一曲お聴きあれ。

男ってなんだろうとエイミーは唄う。
グラマラスな肉体は骨と皮になりボロボロとなる。
何人もの男に抱かれたが、愛していたのはスケコマシ、救いようもないドラッグ中毒の初恋(?)の男だった。
深夜いつものグラスにジンを入れて、エイミー・ワインハウスを聴く。
人生とは血である。レディー・ガガは、エイミー・ワインハウスをリスペクトし、そのヘアスタイルを真似た。1960年代に流行った、ビーハイブヘアである。

2017年8月30日水曜日

「釣れたものは」


近々私は重大なことを実行する。
と言ってもブッソウなことではない。

私たちの会社の顧問をお願いしている人は、日本で有名なヨットマンである。
又大きなクルーザーを友人たちと共同で所有している。
年に何回か日本列島を回る航海に出る。
そして寄港した地から海産物を送ってくれる。
先日新島から名物「くさや」が五枚送られて来た。
いつもは送っていただいたものをすぐに食して礼状を出していた。

くさやは大好物で酒の友としても絶品だ。特に新島産とくれば多分言うことなしだろう。
多分と書くから実は未だ食してない。
私の住む小さな家の小さな台所にある換気扇は、お隣さんの二階の窓のすぐ側にある。
お隣さんは坂の下にあるので私の家の一階はお隣りさんの二階にあたる。
ということはくさやを焼いてその強烈な臭いが、ブルブル回る換気扇からジャンジャンお隣さんの家に送り込まれる。
ひょっとすると、くさや殺人事件(?)みたいなことが起きるやも知れない。
あるいはお隣さんの家の高価な家具やカーテン、又衣類などにくさやの臭いがしみこんでしまうかも知れない。
だが航海途中にわざわざ送ってくれたものを食さなければ申し訳ない。
私の家は坂の中間にあるからくさやの臭いは下へ下へと風と共に下って、ご近所さんから追放されるか、リンチにかけられるかも知れない。

そこで考えた。
近々海岸に持って行って七輪で焼いて酒と一緒に食そうと。
投げ釣りをしていたらくさやが釣れてしまったことにしようと。
最近投げ釣りをしても何も釣れないと、釣り好きの人がいっていたが、くさやを釣り針につけて投げれば100%釣れる。ヨシ!これで行こうと思っている。
くさや食べた(?)と顧問の方が航海から帰って私に声をかけてくれた。
いやあぁ、そのぉ~とムニャムニャした。もう絶対買ってくるなって奥さんに言われたらしい。
洋風の美しい館でくさやを焼いたようだ。
上質のくさやは高価で“抜群絶品美味”で、どぶろく、焼酎、ビール、日本酒、ワイン、ウィスキー、ウォッカ、ジン、どんな酒とも相性がいいのだ。
私は必ず実行するので、後日ことのてんまつをご報告する。海岸でイチャイチャする奴の側で焼いてやる。昨夜釣り竿とリールを用意した。
人の恋路をじゃまする奴は犬に食われて死んじまえと言う。
そうそうでっかい団扇も用意した。バタバタと臭いを散らすために。

2017年8月29日火曜日

「サイテーの無印良品」

二度と買うか無印良品そう思っている。
WHY何故か、先日知人の親戚がホテルをリニューアルオープンした。
そこへ招待されたので何か気の利いた服でもと思い茅ヶ崎駅ビルの中にある無印良品の店に入った。

私は買い物には数分しかかけない。
大の買い物嫌いである。
そのために大失敗を何度もしてきた。
シャツ、スラックス(ズボンともいう)靴、この三点セットの予算は一万円以内と決めていた。
夏と言えば爽やかコットンと思いまず群青色のスラックスを決めた(目茶使い勝手が悪い)私はフィッティングをしない。
ベルト式なのに何故かギザギザベルトが付いていた。
つまりベルトを利用したら、ギザギザベルトは無用なのだ。
次に丸首の長袖シャツ、ポンチョみたいでいいと思い買ったら、これがとんでもない。
ボタンが左肩部分についていた。
右手でそれをちゃんとボタン入れに入れるのがひと苦労、なかなか入らない。
しまいには首がつってしまった。面倒くさいと思いボタンをいれなかったら、すこぶる変であった。
仕方なくボタン入れのところに左手をあてがったが左手もつってしまった。
裸足で快適と説明されて買ったデッキシューズはサイテーであった。
裸足ではくと脱いだ時に中敷がベタッと足にへばりついてくる。基本的ミス商品だ一万円で1800円位がおつりできたが、無印良品はもう絶対に買わない。

機能性ゼロ、きっと無能なデザイナーがつくったのだろう。
丸首シャツは暑さに不向きで、まるで減量をするボクサーが身につけるシャツと同じで汗びっしょりだ。
通気性はほぼゼロである。
どうして無印良品が売れているのか私にはわからない。
はじめて買って悪品計画会社だということがよく分かった。

有名デザイナーが参加しているのを知っているが、バカヤローテメエーが着て見ろと言いたい。
任侠山口組だってちゃんと記者会見しているんだから、いいかげんな親方は許せないと。
良品計画の責任者よちゃんと記者会見をしろといいたい。



2017年8月28日月曜日

「デンジャラス」

日本文学史上もっとも貪欲で危険な文豪・谷崎潤一郎。
人間の深淵を見つめ続ける桐野夏生が燃えさかる作家の「業」に焦点をあて、新たな小説へと昇華させる。
君臨する男。寵愛される女たち。
文豪が築き上げた理想の〈家族帝国〉と、そこで繰り広げられる四角関係ーー。
このドロドロした本の腰巻きを読み、左足と右足を順番に投げ出した。
たまには本でも読むべぇかと。
とその時ここ数日左足の五本指と足の外側並びに甲の部分が江戸むらさき色に変色を強めているのに気づいた。
一週間ほど前に銀座の仕事場にある木製のテーブルの角に弁慶の泣きどころをしたたかに打っていた。
休日出社して宛名書きやハンカチ袋詰めなどというボランティアをしていた時だった。
痛え~と飛び上がったが八つ当りする相手もいずのままにし、出張に備えて企画書書きなどもした。
左足はズキンズキンしていた。
私はズキズキ感は全然嫌いではない。
が変色が続き広がるのは好きではない。
何しろ美しくない。
土曜日鍼灸の達人がこりゃなんだといいつつ、打撲の皮下出血の下に下にと下がりますと言った。
OH!YESその通りであると放っておいた。
昨夜十時半を過ぎるとOH!NOみたいに変色した。
愚妻がやれ市立病院だ、徳洲会だと救急の番号をメモして渡した。
そうかたまには救急も悪くないか。

知り合いのタクシー会社に私がごひいきにしている運転手さんいると聞いたらいますと言った。
そんで行ってみるかとなり、デンジャラスをひとまず閉じて、保険証と診察券を用意した。
♪~咲いて流れて散って行く今じゃ私も涙の花よ、どこにこぼした誠の涙探したいのよ、銀座、赤坂、六本木…。
運転手さんは私の好きな歌をたくさん編集してくれている。
森進一のヒットメロディーを聞き終り、救急コーナーの扉を開けて入った。
受付番号49、一階101号室の前の薄緑色の椅子に座った。

その左隣に生後二ヶ月という赤ちゃんを抱いた三十四・五歳のパパ。
ママは上の子がいるので来てませんとナースに言った。
オッパイをほしがっているみたいですね。
フンギャー、フンギャー、フンギャーと赤ちゃんは泣きじゃくり、小さな手を、小さな足を大きく、グニャグニャと動かした。
パパはよしよしと抱き続けていた。
ナースが吸入しますので中へと言った。
泣いていても吸入はされますから大丈夫ですよと言った。

と同じくバタバタと動きが激しくなり救急車の中から四十二・三歳の夫婦に見守られた救急ベットが第一CT室に搬入された。
顔の部分は赤い四角いマットで固定されて見えない。
ただ白髪が見えた。医師三人とナースがCT室の中に入った。
病院の中では携帯は禁止のはずだが、ご主人の方が「二階から降りるところの踊り場から下に向ってズルズルすべり落ちてさぁ、最後の三段目位のとこで顔が前に向い下に向って落ちて気を失ったみたいなんだよねぇ、え、高くない高くない三段目位だし。

救急の手続きをする時に救急車が来たら最優先しますからご了承しておいて下さい。
と言われていた。

勿論了解、病院の時計は大きい。秒針は午後十一時二十七秒から八秒を通り過ぎた。
早く家に帰って「四角関係」を読みたいと思った。

ちなみに、男から危険の臭いが消え、あの人はやさしいからとか、いい人だからと言われていたら、それは男のおしまい。

2017年8月25日金曜日

「今日のこと」

午前二時四十五分帰宅。
午前三時十五分ガブガブと酒を飲み、目覚まし時間をセット、直ぐ起きれるために床に毛布を一枚長方形に畳んで横になる。
小田急発午前七時〇四分発、午前八時十八分名古屋着を目指すために茅ヶ崎発六時十五分に間に合わせる。
で結局ウトウトしただけでシャワーを浴びて家を出た。
朝はとにかく苦手だ。
「睡眠負債」がたっぷりとたまっていく。

小田原駅で缶ビールを飲んだら頭がスキッとした。
ある会社のプロジェクトの全体会議が九時半にスタートする。
相棒とは名古屋のホームで待ち合わせていた。
長年の経験で徹夜したままで大事な会議に挑んだほうが、頭がハイな状態になり不気味なほどいいプレゼンテーションができる。
ぐっすりとたっぷりしたあとでは緊張感がなくなってしまうのだろう。
三時間の会議が終わって感想を聞くと満点に近いと言われた。
と同時にドドドッとネムたくなった。
ビールで乾杯!ウマイ!暑いムシ暑い、「太陽にほえろ!」というスゴイ題名の人気番組があったのを思い出し、アヂィアヂィいいかげんにしろーーーと太陽に向ってほえたくなった。

新横浜から東神奈川駅に向っていた時、右斜め前に全身コムデギャルソン風の黒の服、黒い厚底の靴のこじんまりしたステキな女性がパラパラっと新聞を読んでいた。
なぁんだ“加賀まりこ”さんだった。
やっぱりセンスが全然違う。
篠田正浩監督の代表作「乾いた花」を思い出した。
映画は港ヨコハマが舞台であった。東神奈川駅から横浜駅に出て東海道線に乗った。

ホームに立っていると、人間はどうやったらこんなに太れるのかと思う四十代前半の女性が汗びしょびしょになりながらガリガリ君を口に入れていた。マツコデラックスよりも太っていた。
スーパーデラックスの女性と共に列車に乗った。席に座ると、グィーーーンと吸い込まれるように眠気が襲って来た。