はじめに断っておくが私は決して北朝鮮の味方でも支持者でもない。
が長い人生の中で北朝鮮高校ほど思い出深い学校はない。
東京池袋十条といえば、チョーコウ(北朝鮮高校)であった。
白く鋭い三菱のような校章の学生と出会ったフツーの日本人高校生は、そっと身を隠すか、道を空けるか、下を向いて通り過ぎるのを待った。
もし目と目が合ったりしたら、いきなりチョーパン(頭突き)を喰らう。少し根性を出して殴り合いになると、次から次に朝鮮高校生が現れてボッコボコにする。
五人、十人、二十人、三十人、四十人と集まって来る。
ならばと日本人学生も応戦し集団暴行事件となり相手を一人、二人傷つけると、その高校は百人、二百人の朝鮮高校生に囲まれる。
生徒たちは学校が用意したバスで下校したり、警察が守って下校させた。学校全部を囲まれた事件もある。
私の高校時代は朝鮮高校との戦いの歴史でもあった。
それなりに名を知られていた私を朝鮮高校たちは知っているから、私に対していきなり喧嘩は売って来ない。
やるならリーダーと一対一で勝負する。
その結果は一日にして東京中の高校に知れ渡る。
五分五分だったとか、六分四分だったとか、ハンペンにしたとか(ハンペンとはヘナヘナの意)負けたとなるともうお互いにリーダーの座に居られない。
必死に戦う。
目はブチ切れ、鼻骨は折れ、肋骨はバキバキとなり、両手の指は折れて曲がる。
朝鮮高校のリーダー(番長)となると空手の達人である。
ギャラリーがたくさんいる中の戦いは、人間をハイの状態にして痛みは感じない。もうこれ以上は死んでしまうとお互いに思った時、日朝関係に友情が芽生える。
肩を組み合いグラグラになった歯を出して笑い合う。
こうなるといろいろモメていた高校同士が敵対関係でなくなる。
何故か学校の先生がよくやったと言い、警察はホメてくれる。
一度戦って認め合った相手とは最良の友となり、オムライスやカレーライスを一緒に食べ合うことになる。
相当にモメている事も次々と話がつく。
広島に原爆を落としたアメリカの大統領が国連の演説で、オマエラ、チョーセンゴトキガ、カクオモツナンテ、ヒャクネンハヤイと言っても説得力はない。
完全に破壊してやると言ったのが本音だろう。
世界のリーダーなら北朝鮮に行って一対一で勝負したら局面は変わるだろう。
大国のエゴは自分たちの核保有を許す。
北朝鮮は、いわば山口組九州進攻作戦の鉄砲玉、夜桜銀次みたいなものである。
勿論バックには中国組とロシア組がついている。
日本組の組長が、どれほど根性者かを見せるには、格好の状況となっている。
相手は死を恐れている。
その命の保証をしに行けば、もう誰からも大親分と言われる。
小泉純一郎は相当の根性者だったという事になる。
ブルッていては”拉致”はあかない。
二人の太郎、麻生太郎、河野太郎に根性は期待できない。
口だけ達者者だからだ。
昨夜ニュースを見ていて遠い昔の痛い日々を思い出した。
政府専用機にお手てつないだ安倍晋三総理夫妻が消えて行った。
喧嘩を治めるためのタブーは、脅しと圧力だ。素手で近ずくしかない。
一番物を言うのは、気合と気迫だ。
北朝鮮の高校にはいい奴がたくさんいた。この事実は書いておきたい。
(文中敬称略)