「筋者」男を売る世界では親の恩を裏切ることをせず、仲間や兄弟分との誓いを守る。
それは筋が違うだろう。
道を外しているだろうと、体を張る人間のことを言う。
「筋道」こそ命。
筋者の中の筋者の歴史を持つところを、“金筋”という。
逆に道を外す者を“外道”という。
男と男のやりとりは、筋を通しているか、否かで、いわば判定が決まる。
モメ事が起きた時、時の氏神と言って仲裁人が名乗り出る。
その時にモノを言うのが、どっちが筋が通っているかだ。
男の世界ではこの仲裁がどうしてもうまくいかない、あるいは交渉決裂となった時、仲裁人はそれじゃと言って指を詰める。
相方はそこまでさせては申し訳ないと手打ちをする。
昨今のことは分からないが、かつて縁故(?)(エンコ)を詰める(小指とサヨナラする)というのは男の紋章であった。
伊東ゆかりに「小指の思い出」という歌があったが、これは別世界の歌。
「尾崎士郎」の名作「人生劇場」に侠客吉良の常吉という人物が出て来る。
男とは“侠”のことである。
ヤクザとは違う、渡世人とも違う、勿論極道とも違う。
侠客なのである。
三州吉良の常吉は、清水次郎長の兄弟分だった。
吉良の仁吉の流れを持つ、つまり金筋の血脈である。
清水次郎長は静岡県清水港の博徒の親分であったが、明治維新の時、維新の“三舟”勝海舟、高橋泥舟、そして後年、明治天皇の先生となる剣術者“山岡鉄舟”と出会う。
清水次郎長は山岡鉄舟から強い影響を受けて、戦場で傷ついた人間を手当てし、死んだ人間を弔った。
夥しい数であったという。
やがて清水次郎長は博徒をやめ堅気になり、日本初の英会話教室みたいなものを生んだ。
山岡鉄舟から、男(当時は武士)の筋道の大切さを学んだ。
「諸田玲子」の小説に「空っ風」というのがある。(かなりおススメ)
子分の小政がどんどん堅気になって行く清水次郎長に、アタマきてケツをまくる。
小気味いい名作だ。
小政は博徒の道を通す。
明治26年まで清水次郎長は生き続け畳の上で死んだ。
中学生の頃、教科書は読まず、人生劇場をずっと読んでいた。
ある時生活指導の男の教師が、オマエ将来何になりたいんだと聞いて来たから、三州吉良の常吉みたいになると言ったら、誰だそれはと言うから、人生劇場に出て来る侠客だと言った。
バカかお前はと言われた。
人生劇場は尾崎士郎の自伝的小説である。
♪~やると思えばどこまでやるさ、それが侠の魂じゃないか、義理がすたれりゃこの夜は闇さ…。
と村田英雄が唄いラジオ番組で大ヒットした。
金筋者の飛車角(通称)若い侠客宮川が出て来る。
日本人は実は筋者→侠客が大好きである。
ヤクザ映画は大ヒットする。
人生劇場はウルトラ大ヒットした。
近頃はすっかり暴力団と言われるようになってしまった。
が筋者、金筋はたくさんいる。
堅気の世界にもいる。
立憲民主党の枝野幸男が大躍進したのは、ひとえに筋を通したからである。
道を外した裏切り者は敗北した。
自民党大勝利でも、笑顔はない。
何故なら連立を組む公明党が5議席も減らした。
誰か筋者が白い歯をみせんじゃないと(笑うんじゃない)公明党に筋を通したのだろう。
恩も義も忘れて自分のことだけ考えている人間は、必ずや手痛い仕打ちにあう。
これは古今の歴史が証明する。
三州吉良の常吉は、地元の没落名家(辰巳家)に終生仕える人間であった。
北朝鮮に仲裁人として日本人の誰かが行って、話し合い(掛け合いともいう)に失敗したら、小指を詰めて帰って来る。きっと世界の氏神となるだろう。
新宿歌舞伎町の春山外科(もうないかな)に行けば、麻酔をしてスパッと詰めてくれる。
そんな話が歌舞伎町伝説としてあった。
清水次郎長