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2018年1月25日木曜日

「ある確信の数字」

今日一月二十五日仕事でお世話になったある人に誕生日のプレゼントをする。
ある世界の第一人者だ。さて何にするかと昨夜東京発小田原行き湘南ライナーの中で考えつつ、朝日、毎日、読売の夕刊と、愛読紙日刊ゲンダイを読んでいた。クオリティーペーパーの夕刊は50円だが、日刊ゲンダイは140円だ。円が109円台となった。白根山が噴火した。
名湯NO.1、第一位の草津温泉でお客さんがキャンセル続出とか、前々日九段のグランドパレスホテルB1で、後輩の就活に労を尽くしてくれた、友人とその知人の人とお礼の昼食を共にした。(和食千代旧)友人の知人は草津でも有名な旅館(一井)の親類であるとい話をしたばかりだ。
今年は年初からこんな奇跡的な(?)事にであった。
一月七日相撲ノ国一之宮の有名な寒川神社に家族七人でお参りをした。
その帰り何を食べたいかというと、回転寿しと小さな子が言った。一軒目満員、二軒目満杯、三軒目超満員、そうこうしている内に家に近づき、結局近所のおしどり寿司へ。
そして、フライドポテトやとりのカラ揚げなど、一点、二点…。それに一皿、二皿、三皿、とお寿しを頼んだ。私はお茶と巻き物を二皿、小さな子、中二、中三の子は大よろこび、さて勘定となった。
レジを打つ男がバシバシと打つ。レジ機の数字がバンバン増えていく。
そして、チーンと終了。なんと消費税込みで、ジャスト10,000円、おつり0円。な、なんとその店はじまって以来の出来事であって、店の主人らしき人も来てビックリ、その領収シートは今年から大きな手帳にした一ページに貼って、会社の人間に見せて、今年はいいことあるぞと言った。
又、京王プラザホテル南園飲店でお世話になっている方と会食をした、オーバーコート等をあずけたら、セルロイドの黄色番号札、数字が「36」オッ、サブローではないか、それに足して「9」オイチョカブ(花札バクチ)の最強番号カブではないか。(私は「9」の数字を見つける習性がある、(クルマのナンバーとか)昨夜我が社の女性を赤坂のローリーズ(ローストビーフの名店)に招待、オーバーコートとマフラーをあずけると、番号札の数字が、又「36」ヨ、ヨ、ヨであった。ヨシ、今年は勝負運があると確信をした。
さて、列車内で小さなコラムを見つけた。
日刊ゲンダイはやっぱり面白い。一月二十五日生まれの人を紹介していた。
小説家サマセットモーム作家池波正太郎、詩人北原白秋、漫画家石ノ森章太郎と松本零士、人気グループの嵐の桜井翔、美容家の草分け、メイ牛山、ボサノバの父、アントニオ・カルロス・ジョビン。
等々そして、アメリカのマフィアのボス、アル・カポネ、そして、そして、日本国最大の山口組六代目組長司忍(本名篠田建市)と書いてあった。頭の中にパッと誕生日のプレゼントが浮かんだ。
goodアイデアだ。(文中敬称略)


※実際のレシート。


2018年1月24日水曜日

「銀座は白座に」


「私たちは高価な品を売っているのではありません。高級な品を売っているのです。」
広告の本場アメリカのある高級ブランドのキャッチフレーズである。日本には「安物買いの銭失い」という言葉がある。安物には安物の理由があり、最高級にはその理由がある。
30年近く前にある人から頂いたダンヒルのブルーのカシミヤセーターは、今でもプルシヤンブルーのままであり、型くずれもしていない。その間私自身が買い求めた安物のセーターは、何度もイカレポンチとなり捨てた。
ユニクロはユニクロであり、H&MはH&Mであり、ZARAはZARAである。靴下は”靴下屋”という靴下屋(ややこしい)で2足1000円とか、がんばって1足1000円位で履きつぶして来た。革靴はスーツをあまり着ないので、軽いスポーツシューズとかリングシューズとか1足8000円~10,000円を履きつぶして来た。
ワンシーズン持てばOK主義である。
ジーンズも同じだ。が結局は安物買いの銭失いで、高いけどいい物をしっかりメンテナンスしている人の方が、年月を経ると圧倒的に得をしている。
一昨日の大雪の中を、この5文字が通ったら日本中があっと驚くタメゴローのようなアイデアを込めたある箱を、依頼人のところへ届けに歩いた。箱は優秀な我が社のアートディレクターがイメージ通り作ってくれた。
午後九時半頃には銀座を白座にしていた。
隣にあるセブン•イレブンの前には雪ダルマがつくられていた。
傘を決して買わない主義(仕事上雨はロケを中止にするので、縁起悪いので持たない)丁度打ち合わせに来てくれていた、ウェブデザイナーの方が白いビニール傘を差して、箱の入った大切な袋を雪から守ってくれた。
すでに人影はなくフツーなら10分位のところに行くのに20~30分はかかる。
タクシーは来ない、オッ来たと思うと迎車のランプ、二人でズブズブと雪の中を行軍する。
黒のオーバーコートは、白のオーバーコートになっていく。
水分を含み重くなる。オッ開いててよかったデニーズだ。朝から何も食べてなかった。
四つの仕事を朝早くから一日中打ち合わせをしていた。
狭い狭い仕事場に依頼人が来ては帰った。私は大きなビル、広いオフィス、沢山の人がいる所が大の苦手なので、(はじめて入った会社が百貨店だったのでトラウマがある)ひたすら狭さを好む。
で、雪中行軍をした。
デニーズでコーンスープの暖かいのをスプーンで口に運びながら、足先がまったく冷えてないのに気づいた。
そうかヨージ•ヤマモトの靴下だからだ、過日経理担当の女史からヨージ•ヤマモトのソックスを頂いた。
多分1足4000円位はする高価な品である。
素材は厚いが柔らかく実に気持ちよくフィットする。
ホットしてフィットなのだ。靴下屋の1000円とはやはり物が違った。
それと先日仕事場の側にある、PATRICのシューズのあかげだ。
安物が破れてしまった。
シマッタ今日は夜お客さんと会食、その店は靴を脱いで上がらねばらない。
その手の商売の人は脱いだ靴、脱いだコート、持って来た傘で値踏みをするという。
ヤバイ破れている、が時間はない。PATRICはいいシューズだが高い。仕方ないと思って買った。これがまるで紙のように軽くてジャストフィット。
そしてこれもホットしてフィット。水分を全て弾いてくれて靴下まで染み込まない。軽いトレッキングシューズであった。傘を差し続けてくれた人には、ビーフシチューとビール中ジョッキを。
やっぱりいい物をいい値段で買った方がいいのであった。その後家に帰るまで苦難は続いた。今週末から月末まで、出張が何回かある。400字のリングは途切れ途切れとなる。
昨晩一合の酒を飲む。「♪~風が呼んでいる マイトガイ」小林旭の唄う声が聞こえていた。雪の白座はなんともいえぬほど美しかった。


※画像はイメージです。






2018年1月23日火曜日

休筆



本日は昨晩の大雪の影響の都合で休筆します。

みなさん足元にくれぐれもご注意を。



※画像はイメージです。


2018年1月22日月曜日

「凄い人、嫌いな人」



私はこんな人たちを尊敬し、心から憧れる。
人間はこうありたいと思う。で定年になった後、3年かけて日本百名山を上り続けて、ついにあと一つの山となった人。
その登山とは遂に世界30カ国の深い深い洞窟に20日以上かけて下り続ける人、51才。片や頂上を目指し、片や地底を目指す。
世に博士はいくらでもいるが「大博士」の称号を手にした人がいる。
1997年に始まり約50万人が受けた歴史上初の人。
この人は日本史検定の1級に、10回合格すると得られる「大博士」となり、6年前日本史に続いて世界史でも獲得した。
電気機器会社で働きながら、平日は2~3時間、休日は15時間以上学び続けた。
78才の人だ。
80才から連載を再会するマンガ家の人。
83才で絵本を出版する人。
昨年97才でこの世を去った。
「囲碁の神様」の妻であり、囲碁八段の人は90才だが、公式戦の大局を続けている。
番付の差一枚が天と地の、十両と幕下、その境界線を何度も転げ落ちては、はい上がった力士、その数7回。
会場8度目の十両へ、給料がもらえる関取りとなった。
もっと凄い力士がいて、入内以降1勝しかできていない。
確か1勝70敗の序の口力士である。
茅ヶ崎出身の服部桜、人間はやっぱりすばらしい、その強い意思に感銘する。
その一方私が気に入らないナルシストの物書きがいる。
その名は、「五木寛之」21日(日)の新聞にトーハン調べのベストセラーランキングが載っていた。
一位五木寛之「孤独のすすめ」、四位五木寛之「健康という病」、八位五木寛之「百歳人生を生きるヒント」なんと三冊、この老物書きは、人の心のすき間を書き、講演して荒稼ぎをする。
かねてより「生きるヒント」とか「大河の一滴」とか、中味はほとんど同じものを手を変え、名を変え、出版社を変えて、人の悩みにつけ込む。
ずーとむかし、ある航空会社のキャンペーンを頼まれた時、仕事を依頼するために、氏の常宿である■のプリンスホテル(当時)に行った。
一階のカフェラウンジで待たされること6時間であった。
何とかは仕事を引き受けてもらったが、長く待たせて悪かったの一言もなかった。
それ以来私はアンチ五木寛之である。
使い切れないほど印税が入っているはずだが、世のため、人のため、特に老人のためなどに使ったという話は聞いたことがない。
その程度の物書きである。
これからでも遅くない、ソロソロあの世は近い(否こういう人は100まで生きる)と思うから、五木寛之財団でも使って若者たちの明日のために使ってほしいと願う。
「青春の門」で売り出したのだから、青春の門を広げてくれよだ。
昨日元東大教授の論客西部邁が多摩川で入水自殺した。
四年前に愛妻を失ってから、死を覚悟していたようだ。
男は女性に比べて孤独力が断然弱いという。
女性は厄介な男があの世に行ってくれると、断然元気になる。
保守派の論客の冥福を祈る。
「朝まで生テレビ」の常連であった。
(文中敬称略)


2018年1月19日金曜日

「ドライフルーツ&カナヅチ」


一昨日朝八重洲口にある黒い高層ビル、鉄鋼ビルで新しい仕事の提案をした後、日本橋三越の菓子売り場に行った。
目的は昨年末友人から教えてもらったドライフルーツを買うためである。そのドライフルーツは円形でやや小型のピザ位の大きさであった。
いろんなフルーツがこれでもかとギッシリせめぎ合っている。
まあこれならあっそうで終りなのだが、なんと銀色のカナヅチが一緒にパッケージされている。
このドライフルーツはそのカナヅチでぶっ叩いて割りながら味を楽しみ、大・中・小の割れた破片を味わうのであった。Tの字型の銀色のカナヅチの叩く部分は二カ所あり、それぞれイボイボ状とギザギザ状になっている。透明な袋の中に入っているドライフルーツをこのヤローとばかり叩いて割る。これが実に美味しいのだ。家族全員で叩いては割り、叩いては割って食べた。
でこれをある人、ある方、あるところへプレゼントしてあげようと思った。
日本橋三越本店の本館菓子売り場を探し求めたが見つからない。ここでしか売ってないと聞いていたので探し続けた。老舗のブランドがズラズラと並んでいる。室町時代からとか、江戸、明治、大正創業という店と共に、新しい味を追求したロールケーキに大行列、マリーアントワネットが食べた(?)というフランスチョコ大賞に中行列、その他にもいろいろに小行列、次の打ち合わせがあるので教えてくれた人に電話をした。
もしもし、どこにあんの、いくら探してもないよと言った。相手はちょっと切って待ってという。
そして電話が来た。もしもしすごく小さなショップで見逃しているのでは、なんか英語で FRUIT & NUTS という文字があったけどと言ったら、そうそうそこですよとなった。左右1.5メートルくらいのショップに二人の女性、あのトンカチというか、カナヅチで割るドライフルーツあると聞いたら、一月十日で終売になりました。テレビで紹介されたら一気にお客さんが来て品切れとのことであった。二人の女性はスミマセンと言ってくれた。あのさドライフルーツを叩くのに使ったカナヅチというかトンカチは何に使うんだろうねと言ったら、そうですねトンカツとかビーフステーキを作る時肉を叩いて使うとか、そう言って苦笑した。
よしそれじゃ、それと、それと、それをチョーダイ、家に持って帰って冷凍庫でカチンコチンにして、家にあるカナヅチでぶっ叩いて食べてみるわと言って、小さな袋の中にあるドライフルーツを買って三越を後にした。バカな冗談を二人の女性に言ったら、二人は声を出して笑った。友人はちゃんと電話を入れてくれていた。きっと人相の悪いヤクザみたいなのが行くからと(?)。
菓子売り場はアートギャラリーみたいで、アイデアの宝庫だ。それぞれの店が温故知新を大切にとか、頑固一徹や、この道一筋にかけている。オッ、鎌倉名物”鳩サブレー”に小行列ではないか、江の島のタコせんべいとか、シラスせんべいがあればと思った。

2018年1月18日木曜日

「ピンクのポッキー」

私が大好きであった元ブラジル代表のサッカーのスーパースター、ロナウジーニョが引退との記事を昨日の夕刊で知った。芸術的な出っ歯で、芸術的なプレイをした。37才であった。スペインの最強チーム・バルセロナに所属していた時、04、05年に国際サッカー連盟(FIFA)の年間最優秀選手に選ばれた。ドリブル、パスワーク、そしてアタッカーとして天才であった。
私はどのプレイより、彼の出っ歯を愛していた。
日本に来ねえかなと期待している。私の住む茅ヶ崎を選挙区にする、河野太郎という私の期待していない政治家が、外務大臣になったと思ったら専用機を買えとか、自分がかつて外務省を害務省と言って人員を減らしたが、外務大臣になると、減らしたのは間違いであった。だから人員を増やせてくれと言う。昨日はカナダで行われた国際会議で世界の流れは北朝鮮と話し合い融和しよう。
あるいは脅しつつ仲良しになろうぜと話したのに、本当は出席することはないと思っていたが、日本だけが蚊帳の外におかれるとあわてて出席した。そして圧力、圧力、制裁を主張して、やっぱり蚊帳の外となった。茅ヶ崎市のために何もできない人間が、国を背負える訳がない。父親河野洋平にはある主義を感じたが、河野太郎は体制主義者だ。私の知人の市会議員たちはみんな子分だが、この親分は(?)(?)(?)だ。次の総理大臣候補だなんて言う実力者がいてヨイショする大新聞も多い。冗談もホドホドにだ。
茅ヶ崎市の一人としてまことに恥ずかしい。
先進国のクオリティーペーパーの会長や社長が、公然と大統領や首相と夜毎会食する国はない、日本しかない。それ故インポのチンポみたいな記事しか書かない。東京新聞と日刊ゲンダイは気合十分だ。雑誌ならFACTA か選択だ。(この二誌は年間契約しないと読めない。)右翼系の人にも気合の入っている雑誌がある。
かつて銀座数寄屋橋公園交差点に一年中(正月はいなかったと思う)赤尾敏という愛国党党首が熱弁をふるっていた。
フラフラとする老人となりながらも熱弁する姿に、街宣車の対面(トイメン)の交番のお巡りさんも、思わずよろける体を支えていた。赤尾敏が遂いに死した時、共産党の人間が一年中欠かさぬ街宣運動と熱弁に、見ならうとこありと、語り合ったという伝説もある。左でもよし、中間でもよし、右でもよし、主義主張を発する熱量を出し合ってくれよと願う、但しテロと暴力はダメ。
民進党や希望の党、社会党や自由党、まるでダメ連中。正月レンタルして来た映画に「帝一の國」(だったと思うオムニバス型式だった)という映画で、高校の生徒会会長を選ぶドタバタ、ゴチャゴチャ、イライラ、ムカムカする生徒たちの姿を、喫茶店のマスターの目で語る作品があった。菅田将暉がやはり群を抜いて良かった。
350億円以上の政党助成金が今年も支払われる(共産党と日本のこころ以外)支持率1%とか、0.5%とか0%にも数十億、数億円が税金によって支払われる。
こんなバカな国は地球上に日本しかない。
帰宅する夕刊を読みながら、そんなこんなを思った。
ウルセイナ、やけにいろいろ臭せいな、そうか熱海行であった。
私の隣の32才位とおぼしき女性はクリアアサヒという第三のビールを飲みつつ、ピンクのポッキーをなめつつかじり、スマホを見てグスグスと笑っていた。
光る画面にお笑い芸人たちがなんとなく見えた。
しっかり顔を見たら、あまり美人でなかった。
私は腰を浮かし窓側におしりを動かした。
家に帰ってロナウジーニョの録画映像を見ようと思った。
(文中敬称略)



※画像はイメージです。

2018年1月17日水曜日

「小説とは」

あなたは昨年の芥川賞作家、直木賞作家を憶えていますか(?)私は忘れています。昨日両賞の受賞者が発表になった。正直私には興味はない。
とはいうが私は天邪鬼なので隠れて読むかも知れない。芥川賞も直木賞も無理矢理年二回も審査して、受賞者を出して書店を活気づけようとしているのに過ぎない。
かつて太宰治は審査委員の文豪に、「どうか芥川賞を私にとらせてください」そんな手紙を書いた。
それ程文学を志す作家にとって欲しい賞であった。
受賞作なしということも多くあった。
活字離れの世の中は出版不況となり、無理矢理かさ上げした文学が世に出て、かえって文学離れしたと私は思っている。マンガ家や劇作家の作品の方が、発想が斬新であり、空想と奇知に富んでいる。
そして人間の抱えている重大なテーマに取り組み、そしてその先きを、暗示している。
文学を超えてしまっている。
昨夜帰宅した後2012年にBS TBSで放送された、作家開高健のドキュメンタリー番組の録画DVDを見た。
竹籠の中に取って置きのDVDがゴッソリある。
吉本隆明、小田実、遠藤周作を前日、前々日と見ていた。
で昨夜は、開高健が生前モンゴルの河に大魚”イトウ”を追い求めていた地を小林薫が訪れる。
河は厚く氷り、小林薫は宇宙旅行士みたいになる防寒服を着ている。このDVDは数度見ている。
このところどんどんオバカになっている自分を感じ、アタマの体操をする。
脳内が煮過ぎたおもちみたいにグニャグニャになっている。インプットをしないと、アウトプットは出来ない。「美と巨人」「美の壷」「日曜美術館」「Eテレ特集」等々、竹籠七個分を一気に見て行く。
さて、二時間の開高健のドキュメンタリー番組の中で、小説とは、という問いに、開高健が答える場面がある。「人間は変わらないが、人間の言葉は変わる。

小説家が100人いれば100人の小説がある。
それが何かとひとつの言葉で言うなら、それは、”助けてくれ”だろう。
小説家はあらゆる小説の中で、助けてくれを書いている」とまあ開高健先生はこんな意味のことを話した。
五十八歳没。
今の時代に生きていたらどんな小説を書いただろうかと思った。
開高健はベトナム戦争の戦場に従軍記者のように行き、200人の大隊が17人になってしまった壮絶な体験をして、精神を病んでしまったのだろう。
猛烈な躁と鬱を公園のギッタン、バッコンのように繰り返した。
作家をこよなく愛し続け応援をした、盟友の広告代理店の社長に死の間際小さなメモ書きを渡した。
翠国飲店の飲茶と震える字で書いた。
グルメにしてグルマンの開高健は、何より飲茶が好きだったと盟友の社長は語った。元サントリーの宣伝部制作室長だった床波氏は「闇の中の蛍」みたいな人だと語った。
今の世の中どうだろうか、みんな、”助けてくれ”と言っているように私には思える。
改めて芥川賞、直木賞のお二人におめでとうと言いたい。
若者よ恋に火となり、愛に炎となり、合体して燃え尽くせ。そして文学に挑め。彼の国の病的な大統領がまい日のように、世迷い言を発している。
どうしようもないバカを相手に”助けてくれ”とみんな思っているだろう。
我が国にも、隣国にもそれに近しい者がいる。
ハワイでは先日ある警報にみんな助けてくれとパニックを起こした。(文中敬称略)



※画像はイメージです。


2018年1月16日火曜日

「400字のリング開始」

二〇一八年一月十五日「400字のリング」のゴングを鳴らした。元旦から四日間、正月休みを取り五日から仕事を始めた。本年の自分への言葉を二日に書いた。
「鬼にもなり、仏にもなる」プロとして受けた仕事は、依頼人の期待以上に応えなければならない。年の瀬三十一日仲宗根美樹の名曲「川は流れる」を聴いた。♪~病葉(わくらば)をきょうも浮かべて 街の谷 川は流れる ささやかな 望み破れて 哀しみに 染まる瞳に たそがれの水のまぶしさ ♪~思い出の 橋のたもとに 錆ついた 夢のかずかず ある人は心つめたく ある人は好きで別れて 吹き抜ける 風に泣いている ♪~ともしびも 薄い谷間を 一筋に 川は流れる 人の世の 塵にまみれて 嘆くまい あすは明るく/思うところあり禁酒をしている。
禁酒を余儀なくされた数値はすでに正常値になっている。年の終りいつも一緒に飲み明かしていた友人に電話をすると、一人しみじみ飲んでいるとのことであった。
故郷には帰らず正月を迎えると言った。夜の街で働く女性たちは、年の瀬は嫌いだと言う。
何故なら男たちが正月家族揃って、幸せ気分になっている姿を考えたくないからだ。病葉とは傷つき破れた落葉のようなもの、女性たちは、街の谷から離れて正月を迎える。大晦日TSUTAYAに行き、旧作、準新作、新作など17本の映画を借りて帰った。十四歳で酒の味を知ってから、はじめて酒を飲まない正月であった。
20年近く悩み続けた目のチカチカがドライアイでないことを眼科に行って、いろいろ検査してもらって分かった。
今までキタァーで有名な目薬をバンバン眼の中にさしていたが、医師からかえって悪化させたと言われ即やめさせられた。検査の結果は、両目ともにアレルギー性結膜炎であった。
二種類の点眼薬を、四時間ごとに使用するように言われ実行を開始すると、かなり眼が楽になって来た。正月の三日間で見た映画の中で、「アズミ•ハルコは行方不明」「お前はまだグンマを知らない」「きょう会社やめました」「裏切りの街」この四本が良かった。
キネマ旬報のベストテンが発表された。
私のNO.1は中村高寛監督の「禅と骨」であったが、NO.2と思っていた若き詩人の”最果タヒ”原作の「夜空はいつでも最高密度の青空だ」が第一位であった。
リトルモアの孫家邦さん製作、この人はもの凄い。
今大評判の辞典づくりをテーマにした「舟を編む」でNO.1を受けている。恐るべしである。渋谷で行われた試写会に友人三人と行った時、入り口で名簿をスタッフとチェックしながら、一人ひとりあいさつをしていた姿を思い出した。蒼井優が秀逸だった。池松壮亮も菅田 将暉に負けずいい俳優だ。
「裏切りの街」という映画で、出会い系サイトで知り合った四十歳の人妻と不倫をする。
寺島しのぶも良かった。不倫の舞台は”荻窪”であった。
荻窪はラブホテルがほとんどないところである。
十二月三十日お墓参りの帰りに春木屋に寄り、”チヤシュウワンタンメン煮卵付き”を食した。やっぱりラーメンは荻窪だ。400字のリングに立った今日、アタマの中にやりたい映画が何作か浮かんだ。資料で入手した。ザ•へヴィーの日本での野外コンサートのDVDをガンガンと見て聴いた。
ボブサップのような黒人ボーカルが圧倒的であった。
「SAME OL’」と叫ぶが、その意味が英語の辞典コンサイスを開いて調べても分からないのであった。やはり英語は大切だ。友人のピート小林氏が独特の教え方講座をやっていると年末資料を送って来た。
カクテル作りの名手だが、コピーライターの名手、英会話の名手でもある。諸兄よ学びたまえ。
「鬼は人になれないが、人は鬼になれると言う。」あっと驚く作品を今年は続々と世に出して行く。
ボロボロの病葉になる覚悟である。誰もやらなかった事をやる。
最後に17本見た映画の中で外国作品のNO.1は、「マンチェスター・バイ・ザ・シー」これは鬼も泣く。
すばらしい映画だ。



2017年12月19日火曜日

「本年最後の400字のリング」


山口組の事はどうなったのだろうか、日馬富士、白鵬VS貴乃花親方VS相撲協会は初場所までにどうケジメをつけるのか、貴ノ岩はどこに行ったのだろうか、逃亡しているニッポン猿は今どこに。
足にキスしたという谷崎潤一郎的市長はどうなるのか。世界中不倫だらけだが、男と女はそもそもグーゼンに生きる。やたらにバラバラになる野党はどうなるのか、もっとバラバラ化になるだろう。
エジプトの地から芽を出した小池百合子のユリの花は再び咲き誇るのか、軍師(?)若狭勝はバラエティタレント化した。日本ハムの大谷投手&バッターはエンゼルスの天使になれるのか。
タイガーウッズの復活は本物か(実は大ファン)増税、増税、増税でゼイゼイアタマに来てるが、やはり支持率はガタンと落ち始めた。アメリカは次の次の総理大臣は小泉進次郎に決めたと、自称米国通の人が言っていた。私には期待する人がいる。松居一代という怪女と無事離婚ができた船越英一郎はさぞかしいい年の瀬だろう。
太川陽介というご主人は、もうゆっくりバスの旅も出来ない。結婚へは歩いて行け、だが離婚には走れとも言う。セクハラ、パワハラ、その境界が私には分からない。このままだと何も言えない、何もできない。
大企業が生き残りをかけてM&Aラッシュ。私たちのような木の葉のような会社はさてどうなるか。負けてたまるか。会社の寿命は30年という説もある。あと一年と少しで50年だ。木の葉が沈んで、石が浮く。
とかくこの世は不条理だらけ。森友学園の籠池夫妻は勾留の身で明けましておめでとうなのだろう。
法治国家(?)日本国は思いやりがあるので、罪人、あるいはその候補者にも、お正月にはお雑煮らしきものが出るらしい。ゴルフ大好きの加計孝太郎は新年どこぞのゴルフ場でティーアップできるのだろうか(?)ずっとかくれんぼだ。それにしてもネット社会は人間を人間でなくして行く。想像を絶する犯罪はもっと生まれる。
推理小説家はとてもついて行けない。「新宿歌舞伎町」ホストの世界のドキュメンタリー番組を見てビックリした。
NO.1ホストは給料日社長から、おつかれさんと、ドンと300万か500万位入った茶封筒、元NO.1は16万円。やけに共感した。禁酒をしているので思いもよらずダイエットに成功中。
今年中はある願掛けもあるのでこのまま禁酒。食欲はグイグイと出て来たので体重が増えて来た。
やらねばならない事をやって行く。
世界はまるで大戦前夜、中東では毎日130人の子どもが戦死しているとか、骨と皮になった何も食べれない子の姿を見ると、梅干し茶漬けを食べている自分がぜいたくに思う。
ノーベル賞作家の、カズオ・イングロのロングインタビューを45分間見て聞いた。
これほどステキな作家を日本人の血は生んでいる。すばらしい作家だ。久々に鳥肌が立つほど感動した。正月中に一冊トライをする。映画「日の名残り」はアンソニーホプキンスが最高だった。
人間が生んだ人工知能が更に進化して行くだろう。そしていつか(そう遠い日ではない)人工知能AIが核ボタンを持つ独裁者となる時代となるだろうと、私は想像する。でもやっぱり人間を信じて行く。
久々にずっと落語のCDを聴いている。みなさん400字のリングは一ヶ月休筆です。
来年は戌年です。愛犬は人を裏切りません。
JR東海リニア問題、大手ゼネコンに特捜の手、きっと裏切る人間が続出するだろう。
(談合四兄弟)米・中・露は北朝鮮をどうするのか、日本外交は成果なし。
世界は地球温暖化防止のためにエコ文明化へ、すでに22世紀に向っている。日本は19世紀に逆戻り。それでも新しい年は来る、事前防災できることから始めよう。
病気や怪我と戦っている恩人、知人、友人へは、医学を信じてがんばって、でも焦らずに。
ドクターXはきっといる。
みなさん良いお年を迎えて下さい。
(文中敬称略)



※写真はイメージです。

2017年12月15日金曜日

「打入りの日」




幡州赤穂浪士四十七人が、大石内蔵助の山鹿流陣太鼓と共に、吉良邸に打入ったのが昨日十二月十四日であった。とてもお目出たい事があり、その席をつくった。
お客様三人をご招待、座敷には雪見窓があり坪庭には木々が自然を生かし雑然のように熟練の庭師が手入れをしてある。今日、雪でも降れば打入りの日と同じですねと会は始まった。
お相手の父君と娘さんは由緒ある大名の血筋で、年末の競馬界の有馬記念を生んだ有馬家の血筋である。もう一人はもう三十六・七年の付き合いで元総理大臣の血筋である。
全く由緒のない私には身に余る代々のおつき合いだ。六時から九時、むかしから伝わる大名様たちの生活の話は、とにかく面白く、目黒の秋刀魚どころではない。朝から絶食していたが一週間ぶりに白いご飯を食べた。(酒はまだNG)御三方で日本酒を徳利二本。話題はつきることなく続いた。
やがてお開きとなりそれぞれお土産交換をした。
そこで頂いたのが、かの有名な京和菓子の「萬年堂の御目出糖」あの王貞治さんで有名なお菓子のホームラン王・亀屋萬年堂のナボナとは違う。元禄というから一五五八年から家伝として伝わるもの、かつては亀屋和泉を名乗り、京都寺町三条にて創業、御所所司代等に納めていた。現在本店は銀座五丁目にある。当代は十三代目。何か御目出たい時にこの品を贈れば喜ばれる、ことは間違いない。
禁酒、絶食をすると、その中に含まれている糖分が体に入らなくなり、普段は縁遠い甘い物が異常に食べたくなる。山などで遭難した人がビバークしながら板チョコ一片を食べながら何日も生きていられたのは糖分のせいである。又カカオが体にいい。
家に帰り早速上品な包み紙を取り、緑色の細紐を外しこれ又上品なデザインの小箱を開けると三つが二列に入っていた。濃い茶色に粒々が少々、秘伝の色に秘伝の形と厚み、そして秘伝の味を、ガッツイて二つ半も食べた。渋茶との味合いが絶妙であった。
京都出身の天才コピーライターが、ある広告で「東京カツぺね」と書いたが、やはり京都というのは奥深い。中でも洛中の京都人となると、江戸や東京は下々でしかない。久々にご飯を食べ、京菓子を食べていると、糖分が体中にジワジワ入り、あきらかに頭が動き始めるのが分かる。
ついでと言っては失礼だが果実王国山形の人から頂いたラフランスも食べ、静岡のミカンまで食べてしまった。昨日銀座の仕事場に行くと、四十年以上付き合っている信用金庫の人が二人来ていた。
いきなりガッガーンとハッタリをかました。結局担保を出さなければ金を貸す訳ないのに、ぜひ融資をと言う、私の大切な番頭がていねいに応対していたが、今後ナメられないようにドテカマシをした。
その時は体中に糖分が入っていなかった。当分効果があったかも知れない(?)が所詮金貸しだから、エレベーターの中で薄笑いをしていただろう。
近々人事移動ですぐ担当は変わってしまう。現在午前四時七分二十一秒、おはよん(4)が始まった。
今年はやるべき仕事がきっと三十一日迄ある。人生は終るまで始まりである。受けた恩は返す。

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