「人間発電所」が死んだ。フツーの人なら、えっ電力会社の人がダムかなんかで死んだの(?)と思うのが常識である。だがプロレスリング全盛時代を知っている人なら、えっあのブルーノ・サンマルチノが死んだのと思う。あるいわあの人間発電所はまだ生きていたんだと思う。私はその両方であった。途方もない怪力であったネツクハンキング(首を絞めながら持ち上げてドスンと落とす。)ベアハッグ(胴絞め(サバ折り)が得意技。この二つだけで、ニューヨークのマジリンスクエアガーデン(格闘のスポーツの本場)で187回チケット完売の記録をつくった。
身長178センチ、体重115キロ(全盛期)ボディビルで鍛え上げた肉体は、筋肉の塊りだった。
イタリア移民の子でもあった。がプロレスは少年をスーパースターWWWF世界チャンピオンにした。プロレスは純粋スポーツか、それともショーか、という意見があった。
私は両方だと思っている。サンマルチノは、首、アゴ、鎖骨、肋骨、腕にヒザ、アチコチ折れたり、外れてたりしたという。単なるショーならこんなリスクは迫わない。
その一方でプロレス界でいわれるブック(シナリオ)がなければ、死人の山となるだろう。この頃のプロレスはサーカスのように空中を100キロ以上のレスラーが飛ぶ。
鍛え続けていないとボクシング同様命を落とす。ブルーノ・サンマルチノはその怪力から人間発電所と呼ばれ、プロレスファンを熱狂させた。
イタリア降伏後、ナチス突撃隊の占領から逃れていた少年は、アメリカンドリームの体現者であった。82歳であった。四月二十日、午後七時~十時銀座に、人間映画発電所っみたいな人間が約30人集った。四万十映画祭で最優秀を受賞したことを祝うパーティーであった。大阪や愛知からも来てくれた。映画大好き人間が、まるで仲良かった中学時代のクラス会みたいに集った。表彰状とトロフィ、賞金10万円、監督、プロデューサー、アートディレクター、コピーライター、撮影、照明、編集、スタイリスト、キャスティング、主役、脇役、音楽の男たち。そして女性たち。店のオーナーは高級クラブも経営しているので、人気の女性も呼んでいてくれた。一人ひとりトロフィーを持ってハイチーズ、そして乾杯、あとは飲み放題、みんなこんなによろこんでくれたのかと言う程、宝物を見つけた少年少女のような笑顔の渦。四万十市の人から祝い酒も送っていただき一同感謝、プロデューサーが編集してくれた、4/23、24、25日の授賞式のドキュメンタルフィルムにみんな大感激であった。私はパーティー後オーナーにお礼に行って帰ったが、あとは、二次会、三次会、ついには数人で四次会まで行ったとか。
楽しかった。久々にイラだっていた気分が納まった。大好きな映画の男たちと女性たちを見ていてつくづく思った。みんな本当にいい顔だ。照明のボスは八田直哉さん、握手したら、プロレスラーの手のように、分厚く強かった。きっとブルーノ・サンマルチノの手も八田直哉さんみたいだったのだろう。ヨーシ次は○△だ、と又、大風宮敦を広げてしまった。私の悪いビョーキなのだ。ダンボール箱いっぱいブック(シナリオ)は書いてあるのだが。「映画」という2文字は、人間に熱気を呼び、そしてそれぞれの才能を発電する魔力がある。