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2019年5月29日水曜日

「合掌」

5月29日。キ印の男が、幼子たち、若き外務官僚を刺殺のニュースで、気分すこぶる悪く、400字のリングを書けない。心よりご冥福をお祈りするなり。

2019年5月27日月曜日

「フレーズの時代」

昨日は、日本国が永遠に米国の従属国であり続ける姿をまざまざと見た日。戦勝国に無条件降伏した国の無為無策を改めて見るべく、「映像の昭和」を再び見た。悪夢であり、真実であった。日本陸軍の階級は、陸軍士官学校の成績上位者から決まっていったという。満州国をつくった山形県出身の石原莞爾は最上位の成績であり、陸軍大臣の身でありながらピストル自殺をできなかった東条英機は、それよりもずっと下位であった。石原は終生、東条を見下した。海軍は日本陸軍を世界情勢をまったく知らない無知無能の根性論者(終戦時はとくに)で、外交とは何ぞやを知らない者たちと評していた。陸・海・空がバラバラに動き、戦争時の最大重要問題である。食料物資を補給することを無視して“現地調達”を命じた。これはすなわち、現地にて略奪せよとのことである。日本軍の戦死者は、数百万人になった。その死因の70%近くは餓死であった。空腹を極めた元職人さん、元農夫、元先生、元学生、元床屋さん、元魚屋、元八百屋、元そば屋、元乾物屋さん、職業の数だけ生まれた軍人たちが、骨と皮になり、木の根をかじり、雑草を食べ、ネズミ、昆虫、トカゲなど動く物すべてを食べ、最後の命令「玉砕せよ」の命令下、抜刀してひたすら突撃をし、戦勝国の近代兵器によって、撃ち殺され、焼き殺され、爆死させられた。そんな日本軍に対して戦勝国は人間の狂気を見た。「頼むからジュネーブ協定があるんだ(捕虜を守る)。白旗を上げてくれ、ギブアップしてくれ」。神をも恐れぬ異常な姿に、若い兵士たちは気を狂わした。戦後はいまだ73年である。それはいまだ戦後ではないことを物語っている。戦争を体験した人々がたくさんいる。「外交とは術である」と“勝海舟”は晩年、記者たちに語っている。術とは知識、胆力、気迫であるのだろう(外交は相手にナメられたら負けだぜと)。ゴルフ、大相撲、炉端焼き、微笑外交である。すでに事務レベルで主要な答えは出ていて「“とりあえず選挙後”までは待ってやるよ」と、伝えられただけなのだろう。占領下にいる日本人の一人である私自身を確認した日でもあった。深夜、自分のライブラリーのドキュメンタリーを見た。そこには、ボブ・ディランが、ジョーン・バエズが、サイモン&ガーファンクルが、イーグルスが、ビートルズ、U2などが出て名曲を歌っていた。人間は何故に戦うのか、人はどこまで残酷になるのか、国は何故に分断されるのか、人間はどうしてチューンガムをかみながら雑草を焼き払うように人々を焼き殺すのか。そして原子爆弾を落とせるのか。人間は賢者になれないのか、愚かなままか、滅び去るまで狂気の世界でドラッグにまみれるのか、人間は人間によって救けることができるはずではないか。私はフォークソングの復活を確信した。ダンスリズムの時代からフレーズの時代になると思う。「戦争と平和」が目の前に突きつけられて来たのだから。シンガーソングライターたちは、今こそフレーズの翼を広げよ。さて、日本国政府の本音は、トランプに八百長は付きものだ。本当に政治オンチの迷惑なツイッター野郎だぜ。まあ利用するだけ利用するか。あと一日、みなさんおつかれさん、あいつが帰ったらポーカーでもするか、それともゴルフでも。何か賭けるか、えっ、この日本をかい(?)。有史以来、日本人は好戦国民である。一方トランプは、「しっかり貸しをつくっておいたぜ。かなり脅しを入れたから、選挙が終わるまで待ってくれだとよ、ジョーカーはいちばん高いときに使うさ」。こんなところかも。(文中敬称略)

2019年5月24日金曜日

「それでもかつては少女だった」

私はこの世で何が苦手かというと、旅行帰りのオバサンの集団だ。何十羽もいるニワトリの小屋の中に入れられた気分になる。今朝、熱海方面から来た列車の中の3分の1ぐらいがオバサンたちによって占拠されていた。背中に痛みがあったのでグリーン車に乗ったら、そこは「ギャハハハ」「グファファファ」の大合唱。なかには缶ビールを飲んで二日酔いを治めているヒトもいる。靴を脱いだ足を出して豪快に飲んで、大声で笑う。きっと何かの大会かなんかに出たのだろう。賞品らしき物を広げてはギャハハハ、ギャハハハ。大の苦手だが、人間の生態を観察するのが仕事でもあり、興味もあるので隣の車両に行かず、真ん中の空席通路側に座った。このヒトたちもきっと数十年前は少女だったのだろうと思うのだが、イメージがわかない。「チョット、ウルサイワヨ。他のヒトにご迷惑よ」なんて言うヒトもいる。が、昨晩の宴会での何かしら面白いこと、恥ずかしいこと、イケナイことを思い出し合っては、数十羽のニワトリが一斉に羽ばたいたように大騒ぎとなる。小田原の鯛めし弁当とかを食べているヒトの顔にはデンブが付いている(鯛めし弁当の中に入っている)。臭えと思ったのは、列車が大船に着いた頃。漁師さんのところで買ったというアジの開きとかイカとか金目鯛の干物などを広げて、ビニール袋に分けて「アンタ、コレモッテカエッテ」と言ったときだ。プーンと干物の臭いが朝刊を読んでいる他の乗客や、PCを打っている乗客やお化粧をしている乗客たちに襲いかかる。すでに“ハジライ”とか“マナー”とかは忘れている。“オソダチ”なんか知るよしもない。背中が痛いから振り返りたくても振り返れない。大船、戸塚、横浜と少しずつオバサンは減っていった。静かになったそのあとには、ゴーゴーとイビキが聞こえた。もう一度考えた。このヒトたちも数十年前は青春時代の中にいて、恋やら愛やらを感じていたのだろう。みなさん、いい週末を。温泉旅行なんかを是非。


2019年5月23日木曜日

「ノータリンとノーリターン」

オマエたちもう少し能はないのかと怒りを通り越して悲しく、情けなく、馬鹿らしくなる。それが朝のモーニングショー。何かが起きると、全局それ一色に染まる。今朝はどこもかしこも元カツーンだか、ガチョーンだか、ガツーンだか知らないが、たかだかチンピラタレントカップルの大麻問題だらけ(女性は現在、個人事務所の役員)。こんな問題より、今日本国は大きな政治課題、激動する国際情勢の中にいる。この夏の選挙、消費税の是非、対中国、対台湾、対韓国、対北朝鮮、そして最大の問題、アメリカとの貿易問題、対トランプ問題、貧富の格差、教育問題、年金や老人介護、児童問題、若者たちの恋愛問題、少子化、脱結婚化、そしてさらに官邸支配による(外国に対してはペコペコだが)国家乗っ取り等々、とても元カツーンだかガツーンだかに時間をかけている余裕はない。全局、官邸の顔色を見て政治経済問題からは、一歩も二歩も365歩も遠ざかっている。辛口のコメンテーターは全員テレビから退場。かろうじてテレビ朝日・報道ステーションの後藤謙次ぐらいしかいない。これはものすごく危険な状態と言わざるを得ない。テレビ朝日の羽鳥慎一フリーアナウンサーなどを見ていると、何だか唇に紅みたいのをつけて、タイコモチみたいのを演じている。だからバカでアホな親不孝者長嶋一茂みたいな男とか、坂上忍とか、見苦しいヒロミとかのほうが、よほどシッカリ物申しているように思ってしまう。宮根誠司なんかはヤル気なしがミエミエであり、日本テレビ、TBSなどは競馬か競艇の予想屋然としている。朝から昼を経て夜まで、ワンパターンを垂れ流す。国家権力とはつくづく怖いと思う。日本は段々とファシズムになっているのではと実感する。羽鳥慎一を見ると気持ちが悪くなってしまう。元朝日新聞の記者であった星浩なんかは、気の抜けたビールになってしまった。早くテレビから退場して物申せと言いたい。カツーンだかガツーンだかの大麻問題より、はるかにトランプの大相撲ジャックとか、強迫外交とか、やることなすことすべて成果なしの日本国外交の問題のほうが重要であり、科学技術大国だった日本がなぜに世界から置き去りになったのか、まったく検証されていない。中国は今やアメリカをも超える科学技術立国になっている。アジアの大学ランキング(イギリスのクアクアレリ・シモンズ社2019年版)で東京大学は11位、京都大学は14位である。教育に投資しない国に未来はない。日本と対中国を比べると、横綱と十両ぐらいの差になってしまった。国家にビジョンがないからだ。資源のない国である日本が今日まであるのは、先人たちの未来への投資であった。ノータリンとノータリンとノータリンたちが、各省庁の利権争いをしているという。いまだにバブル気分が国力を弱めて行く。そして、ウソ、カイザン、インペイとなる。つまり東大法学部卒の人間たちの本性なのだ。大麻問題もそれはイケナイことだが、国家百年の計を論じないマスコミは猛省すべきときに来ている。朝から晩までやって、ウンザリしているワンパターンを見てアレコレ話題にする、オバサン相手、ヒマを持て余しているオジサン相手、スマホに見入るヤジ馬相手を止めるときに来ていると思った。イラン、イギリス、イラク、アフガン、南北朝鮮、アフリカ諸国、台湾、インド、トルコ、イスラエル、フランス、ベネズエラ、メキシコ問題、そしてUSAのイカサマトランプ。世界は激動しているのにこの国はすっかり認知症的になってしまった。根性出せ、根性を、それがジャーナリズムなのだ。床の間の置き物みたいな論調をしている場合ではない。それにしても羽鳥慎一の尖った唇の赤さは、とても気になった。メイクが下手なのだ。まるで明太子みたいだ。「トランプにつるべとられて もらい水」。これが今の日本だ。ケンカはしないのが兵法の第一。ナメられたら終わり、やるならブルッたら負け。(文中敬称略)



2019年5月22日水曜日

「金平糖」

ごく近い人の話である。ある地方都市で病院を経営していた。すでに高齢となり、足腰も思うようにならず自分自身も車椅子を使って病院へ通っていた。ライオンズクラブだかの会長をしていた。少子高齢化により、この頃は老人施設にして医師である長男とともに、地方に貢献していた。ある年、内閣府よりある賞の受賞の通知が来た。「さあ〜大変」となった。一人で行くことままならず妻も同行となった。まずは二人で礼服を買った。靴下も靴も、ワイシャツにネクタイも、東京のホテルも予約した。褒章の通知が来たと同時に、ゴッソリと額縁屋のカタログが送られて来た(内閣府と通じている)。比較的大きな賞なので、天皇陛下ご本人より受け取った。ここに行くまでも大騒ぎ。東京駅の地下はやはり皇居とつながっていて、いきなり皇居内となった。侍従がアレコレ指示を出して入念にリハーサルをしたらしい。すでにヘトヘト。そして菊の御紋の入った「金平糖」を頂いた。これからが大変。まず県のパーティがあり、市のパーティがあり、出身校のパーティが続いた。招待客のリストづくりや挨拶状の配布、引き出物を何にするか、などなどこれまた大騒ぎ。それでも第1回目は経験したことのないことを経験できたので、テンションが上がった。とにもかくにも事は済んだ。ところが、それから数年後、また受賞通知が来た。今度はかなり大きな褒章である。妻や娘は辞退を勧めたが、本人はこの手のことが決して嫌いではなく、でっかい勲章をもらった。当然のように第1回目以上のパーティが行われた。額縁もドーンと大きくなった。春と秋の約4000人以上の褒章はある種のイベントである。ヘトヘトになった親戚一同はもう二度といらないと言っているようだ。私の尊敬するデザイン界の巨匠は、二度受賞しているが、オフィスの中に埋もれて大きな額が置いてあり、半分ぐらいしか見えない。褒章→額縁→胡蝶蘭→礼服→ホテルにパーティ会場など、すべてがつながっている。辞退は自由なのでご辞退する人もいるらしい。ちなみに織田信長は、大の金平糖好きだったらしい。でも本人に会った人は、今はいない。



2019年5月21日火曜日

「北海道の水ダコ」と「忘却」

昨日朝、訳あって銀座和光に入った。別名服部時計店(SEIKO)である。11時店内はマバラであった。さすがの和光だけあって、スタッフ一人ひとりのあいさつ応対がすばらしい。とても感じいい。時計を買うわけではないが、ちょっとショーウインドーの中を見た。私は高級時計とかに縁はない。というより興味がない。というより買う資金がないと言ったほうが正しい。「オッ、いい時計だな」と一つの腕時計を見ると、やたらに数字が並んでいる。(21,490,400)(にせんひゃくよんじゅうきゅうまんよんひゃくえん)であった。感じのいい女性店員に「昔は、4~5万円の物からあったんじゃないの?」と聞いたなら、「今はその手のクラスは、カタログで見ていただいて、あったらありますよ」と言った。「こんな高い時計、売れるの?」と聞けば、微笑みながら「もちろん月に何本かは売れます」と言った。「あちらにはもうヒトケタ違うほどの物もあります。1億、2億、さらにダイヤモンドがキラキラ光り輝くのは、4億」(これはティファニーの本店にあるらしい)。「腕に2千万円以上もの時計をつけていたら、ブッタ斬ってその時計を売って映画をつくるよ」と冗談を言った。高級時計は今ブームで、中国人や東南アジアの大金持ちがズドーンと買うらしい。銀座にはたくさんの高級時計店が出店している。また、雑誌や新聞広告にバンバン出稿しているのは高級時計だ。ケタ違いの時計を見つつ階段で上に行き、3000円のハンカチーフを2枚、お使い物として買って和光を出た。10人ぐらいがキチンと「ありがとうございました」と頭を下げた。かなり気恥ずかしいが止むを得ない。時計か映画かとなれば映画に決まっている。「忘却とは忘れ去ることなり 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」。これは有名なラジオドラマ「君の名は」のセリフである。菊田一夫の原作だったと思う。私は今朝、昨夜どこかへ忘れてきたケータイを探せばならない。完全に忘却している悲しさだ。電通の友人、元東急エージェンシーの友人、会社の仕事仲間たちといろんな話を楽しんでいるうちに、すっかりどこかに忘れていた。「君の名は」それは「ボクのケータイ」なのである。すべてを頼り切っていた天才的凄腕万能女史が去って以来、ずっと何かを探している。まるで迷子みたいな日々が続いている。確かスブタ、シュウマイ、カニタマ、チャーハン、ワンタンを4人でシェアしたのは忘れていない。それとお店の女性が「故里の北海道から送って来たからぜひに」と出してくれた「ミズダコの刺身」。これをショウガで食べたのが絶品だった。私たちの会社の金庫番の女性が、赤ちゃんを生む予定日が昨日だった。きっと連絡をくれるはずだ。やっぱりケータイを探し出さねばならない。きっとゴッタ返しの机の上のどこかにあると思うのだが。大したことのないものを、考えて、書いて、創るしか能がない迷惑千万の人間なのだ。



2019年5月20日月曜日

「見城徹という出版人の謝罪」

多くの作家たちが怒りの声を発している。我が国は思想の自由を憲法で認めている。右翼的であろうが、左翼的、あるいは中道リベラルであろうが自由である(テロリズムは暴力行為だ)。出版不況の中、現在、我が国で数少ない大きな利益を上げている出版社の一つが幻冬社である。社長の見城徹は思想が何かはわからない。出版社社長が国家権力ににじり寄ってしまっては、もはや政商である。その見城徹は出版社として決してやってはならないことをやり、謝罪をした。見城徹の兄弟分だか、親分、子分だか知らないが、百田尚樹なる怪奇な作家がいる。この作家も国家権力ににじり寄っている。国家権力側としては、利用できる者は当然利用する。見城徹と百田尚樹は国家権力者の一人にでもなったかと思い違いをし、NHKやテレビ朝日に人事介入したり、経営にくちばしを突っ込んだりしている。いつの世にもいる小判鮫である。私はネット上のことは一切わからないが、先週末の朝日新聞や東京新聞が見城徹の出版人としてのあるまじき行為を載せていた。それは作家百田尚樹が著した「日本国紀」という本に、他より引用している箇所があり、その引用の出典を明記していないと、作家の津原泰水さんがツイートした。津原泰水さんは文庫本を出版する予定だったが、見城徹は「僕や営業局はこの本を出版することに反対だったが、担当者の熱意に押し切られて出版した。その結果、実売は××でした」などとツイートで反論した(××の部分に実数があった)。出版界のルールとして「実売部数」は公表しないのが慣例であった。なぜなら、本の価値が売れたか売れないかで決まってしまう。100部、200部の出版でも名作は名作として残る。出版社は作家への最低限のリスペクトとしてそう決めてきた。ずーっと売れなくても名作はいくらでもある。「みなさん、この本は現在××しか売れていませんよ」と出版社は言わない。映画界でもヒットしたから賞をもらえるとは限らない。カンヌの受賞作などは難解なものが多く、日本ではほとんどヒットしない。だがしかし、名作は名作として歴史に残っていく。見城徹はもはや“出版人”ではない。自分自身が著者で女性にモテないコンプレックスの塊だと言っているから、金に物を言わせる。または国家権力に近いことを吹きまくる。だが権力は甘くはない。利用価値がなくなったら、ポイッと捨てられる。出版社の社長がもっとも大切にすべき作家に対して、ツイートで怒り、ツイートで謝罪とは、これ以上の恥はない。出版人ならちゃんと活字で反論、謝罪すべきだ。見城徹は一度身を引くしかない。また、作家百田尚樹はしばし断筆するしかない。かつて見城徹は反骨の人だった。(文中敬称略)





2019年5月17日金曜日

「悲しい閉店」

今でこそ、どこへ行ってもいいネタの寿司を食べさせる店が多いが、魚類図鑑に載ってないような魚を海外から輸入して、いかにもそれらしき名をつけて店に出している。寿司は酢メシなので魚の味をゴマかしやすい。人手不足の深刻さは寿司屋さんにも大影響をしている。流れ板前を手配する「三長会」などが手配しても追いつかない。前日からの仕込み、開店から閉店まで立ちっ放しは重労働だ。いい寿司屋は親父が一人、奥さんと若い衆が一人か二人。席数15人ぐらいがいい。4月19日、48年通っていた寿司屋が店を閉めた。赤坂旧TBSのすぐそばであった。理想の店であった。小上がりに2名小さな襖で間切って、4人掛けのテーブルが2つ、カウンターは8名ぐらいが座れた。TBSが近かったので、有名なタレントさんや役者さんが多く来た。このままでよかったが、バブルが来た。親父は店を大改装した。さらに増改築を重ねて広い広い店となった。2階には大広間をつくり、カラオケまで設置した。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。夜8時頃まではクラブの女性と同伴する男が入って来ても入り切れなかった。韓国人も多く来た。土地成金たちだ。ある夜、私がお客さんを二人連れて行くと、カウンターは満席、奥座敷もテーブル席も満席だった。そこに10数人カメラを持ったクルーが入って来た。当時、総理大臣だった森喜朗が来る店というので取材に来た。総理大臣や取り巻きは別の入口から2階へ、店の中はゴッタ返し、私は大切な客と一緒だったので、店の親父に大きな声で、「オイ! オレを取るのか、たまに顔出す森喜朗を取るのか、ハッキリしろ!」と言った。親父がオロオロとし、私の腕を強くつかんで店の外に引っ張り出した。「すぐ帰りますから、ちょっとガマンを」と言った。カウンターにはバブリーな韓国人たちと派手な服を着たコーリヤンバーの女性。テレビ局のクルーたち。仕方なくお客さんに事情を言って他の店に行った。そんな思い出もなつかしい。親父は70歳であの世に逝ってしまった。板前たちは目に涙をためて私と別れの言葉を交わした。ケーキを持って行っていたので「みんなで食べなよ」と言った。10数人いたスタッフは3〜4人になっていた。通い詰めた店が一つ二つと閉めて行く。寿司屋はチェーン店みたいのが残っているが、やがて人手不足で閉める店が増えて行くだろう。後継もいない。寿司は女性が握れないという特殊性がある。ずっと前、大親友とキー・ウエストに行ったとき、黒人の板前が寿司を握ってくれたことがある。実に複雑な寿司の味であった。ロトイ(トロイ)若い衆を「しっかりしろ」とゴツンとやると、すぐ辞めてしまうらしい。日本は職人の国である。ちなみに赤坂の寿司屋の親父は、4月11日にすでに亡くなっていた。18日、私たちが行ったとき、みんなそれを黙っていた。広い店内に客は一人もいなかった。かなり前から私は予約していたのだ。最後に、森喜朗一派は小泉純一郎が総理大臣を辞してから、すっかり来なくなった。自分の金で食べるにはちょっと値が高い。(文中敬称略)


2019年5月16日木曜日

「退職代行」

「典型的自己利益追求」。人間関係を損か得かだけで進めて行く。これはこれで至極分かりやすい。当世の現実的生き方だ。「退職代行」に依頼殺到という大きな記事が5月14日の東京新聞にあった。会社を辞めたい。でも言い出せない。もうどうしよう。そんな悩みを抱えている人に代わり、退職の意思を伝え、必要な手続きをするのが「退職代行」だ。私のような欠点だらけ、圧力的(そう感じる人が多い)アレを調べてアレを買って、アレはどこへ行った。一日中ワサワサしている人間、今言っていたことがすぐにコロコロ変わる(君子は豹変する)。このバカ面倒見切れない。そんなところに退職願いなどはない。「アバヨ、サヨナラ」で終わる。在職1年ぐらいの人は社内でイロイロ買って来て送別会、2年以上になると外でやっている。私は一切出ないことにしている。最後ぐらい嫌な顔を見させないという気遣いなのだ。「退職代行」を頼む年齢は10代から60代、とくに20代から40代が多く、会社の規模も従業員数千人の正社員が多いという。会社がホワイトでもブラックでも上司が退職願いを受理しないケースもあるという。大企業ともなると退職手続きも面倒くさいようだ。料金は5万円ぐらいが相場のようだ。その点小さな会社はメール1本で「辞めます」というケースが多いようだ。近々この国もアメリカと同じになり、“朝出社して昼には終わり”というようになるだろう。アメリカのビジネス街では、上司に高級ランチを誘われたら、ほぼアウトという。もっとも慣れたもので、あっそう。じゃすぐライバルの会社へと行くのが、日常茶飯事なのだ。日本もこうなって行くだろう。私は私へ退職願いを出せないでアクセク働いている。いつものグラスに酒を入れ、シラス干しと明太子で一杯飲みながら映画を観た(アイルランドの作品「ローズの秘密の頁」)。生まれたばかりの子を殺めたのは(?)、おへその緒を切るためか否か、子の親は神父かそれとも英国兵士か。40年間精神業院に入れられ続けた。老女が聖書の中に書き続けた真実とは。アイルランドの空は鉛色に重い。人間の過去のように。



2019年5月15日水曜日

「谷口浩さんという凄い人」

私は高校に2年とちょっと在籍した経験がある。そのうちほとんどサボッていた。1年生のとき、中野の中学から来たひとりの男がいた。この男は野球部にいて、背は高く体もゴツイ、かなり美男であった。高校を卒業後、大学へ進み日本テレビに就職し、プロデューサーとしてドキュメンタリー番組の名作を手がけた。三里塚の闘争では民家を借り、そこにこもり何年も取材を続けた。ガッツがありヒューマニストであり、正義感の塊で、名幹事でもある。今でも彼の労によって年に何回かクラス会みたいなものをやっている。金を賭けない麻雀とか、落語の会とか、仲間の別荘に集まって温泉気分を味わうとか、とにかくキャプテンシーがある。彼はFAXとか手紙でいろんな人を紹介して来る。過日1冊の本が送られて来た。著者は谷口浩(タニグチヒロシ)さんだ。1972年福井県生まれ。この人の人生は、まさに劇的で凄絶で希望に満ちている。谷口浩さんは本の帯にこう書いている。「『自分探し』を否定する人がいますが、僕は、やりたいことを見付けようとジタバタする人を下に見るという風潮が嫌いです。必死で生きるということは何かとジタバタするものではないでしょうか」。彼は今ステージIVの末期癌と闘っている。その中でフィジーで奇跡の語学学校を運営している。すでに2万人以上が卒業している。天国に一番近い島で理事長を務め、フィジーで上場も果たし、ジェットコースターのように資金集めに命をかけている。定期的に慶應病院に診察のために日本に帰って来る。副作用とのすさまじい闘いは、死ぬよりつらいのだ。だが、彼の教育への起業家精神は後退することなく、絶えず前へ前へと向かう、フィジー共和国は7人制ラグビーのW杯で優勝した国だ。ラグビーの鉄則「GO! AHEAD(前へ)」が徹底されている。五体満足のチンタラ人間にぜひ読んでもらいたい。中央公論新社「FREE BIRD 自由と孤独」。近々、診察に来るので友人がぜひ会わせたいと計画してくれている。1日中PCにへばりついている人間ばかりになってしまったが、こんな行動的な日本人もいる。それにしても抗癌剤の副作用とは、生き地獄に等しい。人間は少々金を貯め込み、守りに入ると天はそうさせじと必ず不幸の連鎖を荒波のように押し寄せる。今、日本中で起きている凄惨な身内同士の数多くの事件は、ここに原因がある。近親憎悪なのだ。人のために使ってこそ金の価値がある(私はもうスッテンテン)。金持ちはフィジー共和国へぜひ投資してほしい。アメリカのユダヤ人成功者は天を恐れ寄付活動をする。谷口浩(タニグチヒロシ)氏に会える日を楽しむにしている。癌と闘いながら世界で2番目に大きな語学学校を設立した革命家だ。きっと癌も克服するだろう気力を、本を読んで確信した。