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2019年10月1日火曜日

「『石見多恵』(いわみ)社長という作品」

「アスルメンディ×エネコ」。スペインバスク地方の3つ星レストランのシェフの名前である。この名を冠したレストランが「エネコ東京」だ。場所は六本木のとある路地の中心、閑静な場所にある。ここを経営している(株)プリオコーポレーション代表取締役社長松井研三氏の経歴がユニークだ。1947年群馬県伊勢崎市生まれ。専修大学卒業後、1970年、叔父が経営する(株)大村に入社、まず婚礼事業に携わる。以後、新しいスタイルの結婚式場を次々に提案。1983年に(株)プリオパレス、現(株)プリオコーポレーションを設立。ヨーロッパバスクスタイルの本物のウエディングを実現していく。現在、群馬、栃木、埼玉、東京、長野に11の式場、東京にレストラン3店舗、ドレスショップ1店舗と幅広く事業展開、2017年9月、六本木にスペインの3つ星レストラン・バスクビストロ(エネコ東京)をオープンさせた。先日、このレストランにロケハンをかねて、ある女性編集長と、ある高級品メーカーの事業部長と行った。そのきっかけは、過日軽井沢の“大賀ホール”で行った、オペラコンサートの後のパーティ会場でのことだ。軽井沢の林の中、ステキな結婚式場では丁度一組がウエディングを行っていた。その式場横に、シャレたレストランがあり、そこに大賀ホールで美声を披露した四人の女性とピアニストの女性とともに、友人、知人、取材の人たちが、ステージ用のお化粧落とした五人を囲んでいた。私はそこである商品の、サンプリングのプレゼンテーションをさせてもらった。そのとき、これ以上はないほどテキパキと指示を出しながら、自らもひとときも休むことなく動く女性がいた。これほど感じのいい女性はいなかった。笑顔が今売り出し中のプロゴルファー渋野日向子選手のように、明るくステキだった。この話は前にも書いたと思う。東京に帰り、早速アポイントをとり、ご多忙の中、小一時間八重洲の本社でお会いいただいた。女性はレストラン&ウエディングスの取締役社長であった。そのキャリアがすごい、入社してから何の縁故もなく実力で、オーナーの目に止まって社長にまでなったのだ。応接に出て来た「石見多恵」社長は、やはりニコニコと笑い、親しみやすく、これ以上なく感じ良かった(詳しくは調べてください)。三人で向かったのだが、「いいわよね」「いいですね」と言い合ったので、六本木の「エネコ東京」に行くこととなった。ウエディングスペースから、ウエイティングバー、そしてメインレストラン。すべて自然環境でできていて、オシャレで工夫に満ちている。スタッフはしっかり教育されていてすばらしい。料理は一つひとつがデザインの作品みたいであった。料金はリーズナブルで予想していたより、はるかにフツーであった。料理はもちろんおいしいが、そのレイアウトと入れ物とその上、その中にある数々の小さめの品々に楽しくなる。エコロジカルでエスプリがある。日本の懐石料理のような緊張感もある。私のフトコロではリーズナブルと言ってもなかなか行けないが、美人とか知性的なヒト、とくにエコロジストを誘うと、あなたの申し込みに心を動かしてくれるかもしれない。なんと言っても「石見多恵」(いわみ)社長が最高作品だ。私は今日仙台に行く。岩手の常堅寺の「後藤泰彦」住職ご夫婦、地元の名物編集長「井上英子」さん、それとカメラマン佐藤浩視さんと、牡鹿半島という店で会う。本当はここに鉄の作家、小谷中清さんと退社した、敏腕女史がいればベストメンバーなのだ。「祈りの塔」を作れたのは、この女史のおかげである。その塔の側に植栽した「倍賞千恵子」さんの桜の木の成長も見に行く。


2019年9月30日月曜日

「カレーパンとカフェラテ」

犯人が分かった。前回、小庭の池の中の金魚(鯉みたい)が食べられた。そのショックを書いた。その夜犯人を午前3時半頃、お隣のご夫婦が発見してくれた。金属の屋根の上で、何か爪をかく音がうるさい。何だろうと思い懐中電灯で使って照らすと、ギョ、ギョ、ギョ。両目を大きく見開いて光る目、立ち上がり両手で金魚をムシャムシャ食べている「アライグマ」がいたのだ。ビックリして懐中電灯をコイツめみたいに動かしても、まったく動じず食べつづけていたらしい。大変ご迷惑をおかけしたので私は事情を聞きに、おうかがいし、玄関先で、ご主人から詳しくご説明を受けた。「本当にいたんです。『アライグマ』が。もしかしたら、あと一匹いたかも」とご主人は言った。小さなアライグマは見た目はかわいいが、大きくなったものは、怒るともの凄く狂暴になるらしい(獰猛とも言う)。咬まれると狂犬病になることもあるとか。市役所の駆除係に電話をしたら、仕掛けの鉄系網の箱を取りに来るように。そこにアライグマの好む物を入れて入ったら、保健所が取りに行きますからと。十分に気をつけてください。きっとどこかの空き家とか、人家の屋根裏とかに住んでいて、夫婦、親子で移動する。夜行性なので明るいうちは行動しない。天敵がいないので全然物おじをしないとか。あのかわいい“ラスカルちゃん”(仕事ではお世話になっている)とどうしてもイメージが合致しない。ペットのうちはかわいいが、大きくなると手に負えない。人間も動物も同じだなと思った。今、私は大いに悩んでいる。一匹だけ生き残った金魚をどうするか(?) きっと、また来るからどこか川に放ってあげるか、どこかの池に入れてあげるか。大きな池を持っている“うなぎ屋さん”に頼むか、それとも一匹でさびしそうにしている姿を見て暮らすか、エサが3本残っているから、それをあげ終わったら行動するか、などと悩んでいる。9月25日午前3時半の惨劇は、かなり生々しいシーンだったようだ。9月25日は大先輩の告別式の日であった。敬愛していた人と。愛情を込めた生き物との別れの日だった。忘れ得ぬ日となった。ラグビーW杯で日本が世界ランク2位のアイルランドに勝った。私はライブで見ていたが、ニッポン、ニッポンと言うのだが、選手の半分ぐらいは屈強な外国人であった(日本国籍を持つ)。これが昔のように全員日本人だったら、どうなっていただろうと思った。日本はすでに移民の国である。東京駅9番10番ホームに“NEWDAYS”という店がある。3人のアルバイトさんがいる。左から女性(ヘ)さん、真ん中の女性(ヒ)さん。右に男性(カ)さんだった。3人ともに若い。しょっちゅうメンバーは変われるので、よく胸章の文字を見る。かつて「ア」「イ」「ウ」とか、「カ」「キ」「ク」とか「オ」「ナ」「ラ」さんというのもあった。テキパキと実によく働く。昨日午後1時から、平塚にある須賀公園球場に少年野球の試合を応援しに行った。アロハを着た私は少し異質だった。試合時間は70分と決まっている。ダブルヘッダーだった。須賀公園に来るとき、一級河川があった。金魚のケイコちゃんを、そこに放ってあげようと心に決めた。ラグビーW杯のせいで、世界陸上もプロ野球も全然盛り上がらない。織田裕二のあの裏返った声も聞こえない。日本のプロ野球を支えているのが、外国人ばかりなのが気になっている。ボールが飛びすぎてホームランの大量生産だ。関西電力では、原発誘致で大量のワイロを生んでいた。ワイロを保管していて、「返しました」と言う珍問答。これが通るのが日本である。少年野球にも厳しいルールがあるのに。一塁を守っていた少年が「お腹が痛い」と言った。選手交代かと思ったら、審判がトイレに行かせてあげた。その間試合は中断。そしてスッキリした少年が一塁に戻って試合は再開した。こんなオリジナルルールは気持ちいい。みんなで拍手した。「アンデルセン」で買ったカレーパンをアイスカフェラテを飲みながら食べ応援をした。気分が少し晴れたのは、少年の風だ。(文中敬称略)



2019年9月27日金曜日

「犯人は?」

朝6時25分、カーテンを開け、硝子戸開けて、さあ金魚ちゃん(と言っても体長20センチぐらいに成長して鯉みたい)にエサをと行動したら、ウギャと思った。沓脱ぎの細長い石の上に、頭部を食べられた金魚の姿。池をみると8匹いたはずの赤い金魚がいない。ずっと以前にも同じことが2度あった。犯人は分からなかった。7、8年前、平塚の七夕祭りの金魚すくいで子どもたちが持ち帰って来た。そのときは数センチであった。以来ずっと、愛情をかけて育てていたら、りっぱな鯉みたいになっていた。今年の夏の猛暑で12匹のうち4匹が死んでしまい、小庭の隅にお墓をつくってやった。オ〜イ! 起きろ、また金魚が消えたぞと、上の階で寝ている愚妻に言ったが、さしたる反応はなし。きっと熟睡していたのだ。以前、神隠しのように1匹残らず消えたときから、もう金魚はヤメテ、ブキミだからと言っていた。それ以来、池には太い竹で、水面の半分以上かくしていた。よく見ると、竹の上に金魚のウロコが生々しくへばりついている。右隅の方に水を流すところがあるのだが、そこにもウロコがあった。池の中をよく見ると1匹が生き残っていた。恐怖心が残っているのか、ジッとして動かない。チクショウかわいそうにと思いながら、再び上の階に向かって、「オ〜イ、小さなシャベルは」と大声を出すと、「何よ」などとネボケながら、物入れからシャベルを出して来た。「キモチ悪い。だから言ったじゃない」などと言った。私は池の側の土を掘り、頭のない金魚を手にして埋めてやり、2本のお線香を立てた。私は3時頃まで映画を見ていたので、それから6時の間の出来事だ。7時59分、庭師の人に電話した。「それはサギですよ、サギ」と言った。以前から犯人説はイロイロあった。鎌倉の故義兄はタヌキだと言った。長く通ってくれていた故庭師は、「サ、サ、サギですよ。ダンナ、サギはひと飲みですよ」と言った。立派な錦鯉を何匹も池の中に泳がせている、藤沢のうなぎ屋さん(うな平)のご主人も「サギですよ」と言った。確かに海の側なのでいくつか川があり、サギがたくさんいる。以前の時、「夜中に撮影する装置をつけましょう」と言われたが、「何が写し出されるかキモチ悪いからイヤ」と反対された。ご近所の人は、カラスとかハクビシン、トンビではとか、野良猫説を言った。「う〜ん、小さな庭にある3メートル程の池に、空からサギが飛んで来るか、鳥なら羽根ぐらい落ちているんじゃないの」と言った。羽根はまったくない。それに今度は食べ残しがある。飲み込んでない。ウロコがいっぱいある。赤い金魚全匹に名前をつけていた。「あ〜あ、チクショウ、そうだ物知りの鍼灸の先生に聞いてみよう」と思い電話した。先生は明快に、それは「アライグマですよ」と言った。「何! アライグマ(?)」。先生は言った。「鎌倉に住む私の患者さんの家では、錦鯉をパクパク食べられましたよ。防御用のネットを食いちぎって池の中に入って」「え! そうなの、アライグマなんているの」と聞けば、「この頃、異常繁殖して、市から駆除していいとの許可まで出ている」と言った。ペットとして飼っていたのを自然に帰してあげようと、鎌倉山あたりで起きたことが、すごい繁殖力を持つ、アライグマを大量に生み出し、それが藤沢、辻堂、茅ヶ崎、平塚と東海道線みたいに移動しているらしい。アライグマの資料を読むと、サギ、ハクビシン、タヌキ、猫、カラス、トンビなどの説より、いやにリアリティがあった。私が今の家に引っ越して来たときは、周辺は小さな山がたくさんあった。山の香りが残っているのだろうか。昨夜、帰宅して池を見ると、赤い金魚が1匹悲しそうに泳いでいた。日曜日、川に放流してやろうと思ったが、サギのエジキになるかとも思った。「夜中の撮影をするか」と言えば「キモチ悪い」と言う。傷心の私は思案に思案を重ねている。みなさんはこんな経験がありますか(?) アライグマを見たことありますか。金魚は鬼のようになって生きている。私の身代わりになってくれたのかもしれない。犯人は私の天敵である。アライグマには、天敵がいないらしい。
小庭の池


2019年9月26日木曜日

「小さなオルゴール」

♪ 遠き別れに 耐えかねて この高殿に のぼるかな 悲しむなかれ 我が友よ 旅の衣を ととのえよ ♪(惜別の唄) 人間は出会ったときから別れに向かって生きて行く。共に飲み、笑い、怒り、食し、愛し合い月日という目盛りを重ねる。人間の生涯で親友というべき人間が、一人でもつくられたなら、それはいい人生だと言う。それほど心を許し、信じ合い、助け合う。“親友”を得るのは難しい。先輩も同じである。生涯命をかけて付き合う先輩に出会うことも、親友と同じで難しい。幼年から少年になり、青年を経て大人になり、長じて年配者から老人になるまでに、一人、二人、三人と失望し、絶望して「サヨナラだけが人生だ」ということになる。これは人間に生まれた宿命である。私は親友を失い、そして先輩を失った。友は62歳、先輩は79歳であった。9月25日幼年時代から、可愛がってくれた中学時代の先輩を見送った。初代東急文化村社長「田中珍彦(ウズヒコ)」さんだ。野球部の先輩だったので、会えば直立してごあいさつをした。父はかの右翼玄洋社の「頭山満」の流れを持つ思想家であった。兄上は「武蔵野美術大学」を苦労して創設した人である。武蔵美の校史として、田中珍彦さんがインタビューに応えている別冊がある。長いもみあげと大きな声、誰よりオシャレなファッションセンス。ステキな生き方。音楽を愛し、オペラを愛した。生涯お金には無頓着であった。東急グループの総帥だった故五島昇さんから、“もみあげ”と呼ばれていた。石井好子事務所から、東急エージェンシーに途中入社、そして、東急文化村創設の役をまかされた。ある日電話があり、「オイ、赤坂のふぐ屋に来てくれ、頼みがある」「ハイ!」とばかりに夜、会った。そこで文化村のプランを聞き、ポスターやらカタログや蜷川幸雄さんを起用した全面広告などをまかせてくれた。柿落に門外不出と言われたワーグナーのバイロイト祝祭楽団、総勢約240名を飛行機数便に分けて、日本に呼んでしまった。世界的奇跡の事だった。詳しくは、伝説の編集長「小黒一三」さんが経営する「木楽舎」発行の「珍しい日記」をぜひ読んでいただきたい。快男児の躍動と男のロマンが見えるはずだ。この場を借りて小黒一三さんと編集者の方に心より御礼申し上げる。告別式の出棺のとき、小さなオルゴールを回しながら、一人の女性が美しい歌声で先輩を送ってくれた。生涯の大親友だと言っていた歌手の「森山良子」さんだった。私の心の中に底なしの井戸のような穴が空いている。



2019年9月24日火曜日

「内臓のような雲」

秋分の日。晴天午後5時頃、強風の中、近所の海岸に出る。暗雲、黒雲とあかね雲が混在する。砂が目に入るので、海辺までは出なかった。荒々しい波の中、サーファーが何人かいた。自転車か50ccのバイクで来ているサーファーは地元の人間だ。男はともかく女性サーファーは体の灼け方が美しくない。特に細身の女性は“ゴボウ”のようだ。近所のセブンイレブンの駐車場の片隅にある、水道を使って体を洗っていた。男二人、女性一人。男は60歳前後、上半身は裸である。美しくない。女性はウェットスーツの肩の部分を外していた。側に3軒サーフショップがある。潮と塩で焼いた肌は、小麦色でなく、お味噌色だ。朝、久々に少年野球を応援に行った。試合時間は70分で、3回で終わり、7対6で応援するチームが勝った。ギョーザがおいしいので有名な店、ジャンボのご主人が息子さんの応援に来ていた。ご主人は甲子園球児であった。コンニチワ、イヤー、コンニチワと言葉を交わす。無気力で目に輝きがなく、努力せず、ヤル気を出さず、なんとか楽して人生をと思っている。ヒマを持て余している、定年後の人々。定番のように図書館通いの人が多い。海岸でバンカーショットの練習をしている人々を見ると、ゴルフをする資格なしと思うほど、ビンボーたらしい。一個50円ぐらいで買ったロストボールで練習している。私は傷心であった。少年の頃よりもっとも敬愛する、カッコイイ大先輩が19日亡くなった。ご家族の意志で名は伏す。強風の中、妙に美術的でグロテスクな雲は、人間の体を切り刻んだときの内臓のようであった。グニョグニョとしていて、何種類かの血の色であった。夕陽がそれと共に沈んでいく。先輩の内臓もきっとこんなかんじになっていたのだろうと思った。いかなる美男美女も、“九相図”のように、目玉はなくなりやがて皮も肉も、鼻も内臓もなくなり、骨だけになる。顔はドクロとなる。人生とはそのドクロになるための月日のことである。無常と言うのだが「死は一睡の夢」である。私は無常観が好きである。どんな偉い人や、凄い人や、良い人や悪い人も、ドクロになった顔を想像する。海から生まれて、土になる。骸骨になる。先輩、いつか私も行くから、あの世とやらでまた先輩の大好きな“うなぎ”を食べましょうと、海に向かって行った。ずっと思っている二人を道連れにしてやりたい、裏切り者と恩知らずのヤローがいる。黒くて、赤い雲の中その顔が目に浮かんだ。チンケなヤローだが、私は許せない。二人とも金に汚い奴だ。荒々しい海は人間の心も荒々しくする。山に登ると人を赦したくなる。なぜだろうか。大きな黒いカラスが何羽もいて、海岸に打ち上げられた乾いた魚を突っついている。少年たちが必死に転がるボールを追っている姿に、先輩と野球をやった日がたくさん思い出された。この人ほどかっこいい人生を送った人はいない。私はこれから鬼になり、仏となって人生の落とし前をつけて行かねばならない。人間は一人で生まれて、一人で終わる。誰もが逃れられない、掟である。いつものグラスにスコッチを入れ、ドライフルーツを食べながら別れに涙した。外はすっかり明るくなっていた。
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2019年9月20日金曜日

「斬と明太子」

ある軍事評論家がこんなことを言っていた。同じ人数、同じ武器で闘ったら、世界で一番強いのは日本人(日本兵)だろう。次に死を恐れぬ韓国人兵。個人の殺傷能力は北朝鮮兵だ。日常的に刀を腰に差して歩いていたのは日本の武士たちだ。欧米人はサーベルや銃を持って歩いていた。刀と刀が触れただけで、殺し合ったのは日本人ぐらいだろう。つまり日本人ほど「血」を好む人種は、どこかの奥地で生き続けている、ヒトたちぐらいしか比べようがない。生麦事件というのがある。島津久光一行の行列に英国人がシカトをして通った。綱淵謙錠著作の「乱」によると、その斬劇はすさまじい。当時日本人の標準的体型は、150〜160センチほどだ。その武士が持つ刀は長くてヒジョーに重い。相当に鍛錬していない、ほとんど大地を切ったり、自らの足を切ってしまう。一人でバッタバタと斬れるものではない。人をブッタ斬ると、内臓は飛び出し、血は吹き出る。骨は露出し、その激痛のために屈強な武士も、のたうち回って血の海の中で死ぬ。近代戦争も戦国時代と同じで、日本兵が白兵戦で刀だけを持ち突撃すると、相手はその狂気と残忍さに恐怖を受けつけられた。やがて、それが特攻隊の自爆攻撃となった。欧米軍は「LIVE→生きろ」が命令であり、日本軍の生きて帰るな「死ね」とは、宗教感がまったく違う。我々日本人の中に、実は、狂気のDNA、人殺しのDNAが脈々と生きている。渋谷のセンター街でナンパばっかりしている若者も、いざとなれば一変して人殺し集団となるDNAを持っている。昨日深夜、塚本晋也監督の、カンヌへの出品作(受賞は逃した)「斬、(ざん、)」という映画を見た。ずっとレンタル開始を待っていた。80分の作品であり、塚本晋也は主演を兼ねている。他に池松壮亮と蒼井優他、綱淵謙錠の名作の「斬」は首切り浅右衛門の話であった。日本最後の首切り刑は「高橋お伝」であり、その死体の標本は東大の医学部にある。そう書いてあった。山田浅右衛門一族は、首切りの功として、死体の肝臓を手に入れることを許され、それを薬剤として売って財を成した。「斬、(ざん、)」の時代考証、美術、衣装はリアリティがある。よく時代劇にキラキラ美しいサムライが出るが、そんなことはありえない。みんな薄汚れていただろう。クリーニングのない時代に、相当位の高い人間以外はありえない。「斬、(ざん、)」はリアリズムを徹底的に追求していた。映画の主題が何であったかが、不明快であったのが残念だ。北辰一刀流の使い手、汚れに汚れた剣の達人を塚本晋也はよく演じていた。池松壮亮と蒼井優はやはりいい役者だ。南海キャンディーズのピンクメガネの山里が、蒼井優を抱いている姿をイメージしたが、上手に浮かばなかった(ホントかしらと思った)。情の深い女を演じたら、蒼井優はNO1だろう。室町時代の頃は武士と言われず“悪党”と言われた。日本人に武器を持たせたら極めてマズイ。防衛大臣が変人というのは、不幸中の不幸である。ほぼ自腹で映画を製作する。映画界の根性者、塚本晋也監督に、いつものグラスで乾杯した。昼間あまりいい日ではなかった。深夜、酒のつまみを明太子を少し焼いたのにした。それと焼き海苔。現在一日一合、水割り一杯か二杯を心がけている。人生は“斬”と同じで実に痛いものである。
(文中敬称略)


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2019年9月19日木曜日

「付け焼き刃」

ブルーシートと言えば、雨、風をしのぐホームレスの人の家の色であった。今、千葉県で台風15号の被害にあった家々の屋根の上に、ブルーシートが張られている。あるいは、張るために落下死したり、張るための大工さんや、職人さんたちの不足で、ブルーシートが張ることができない。何でもお金さえあれば手に入る時代、スーパー、コンビニには捨てるほど、あらゆる品々がある時代。インターネットやスマホや携帯で何でも情報が入り、何でもすぐに宅配してくれる時代。ところが、何でもある時代は、実は何もない時代であることを証明する。地震や台風、洪水、火山は「災害列島」日本の宿命である。日本の歴史は災害の歴史でもある。だがしかし、日本国はイツマデモいつまでも、行政は予想外、学者たちは想定外、たて割り行政の責任のなすり合いだ。この日本国で大事な行政は、「防災省」を作ることであり、この大臣は総理大臣より強い決定権を、災害に対して持たせるべきだ。学者たちは研究、分析すれど何の責任を負うことはない。無責任者たち。自分の考えを言うだけだ。オレこそ正しいと。島国日本は電気と水と食料というインフラを失ったら何もできない。原発事故がもし、あと2、3起こったらアウトとなる。原油が輸入できなくなったら1年も持たずアウトとなる。「付け焼き刃」。すでに付け焼き刃がこの国の施政である。裏情報の収集や官庁人事ばかりやっている。闇の組織化した官邸は、問題が起きても他人事で“それは当たりません”“それは各省庁に指示を出しています”というワンパターンしか言わない。つまり自分たちの権力争いのほうが大事であって、台風が来ると分かっていても、ゴルフやフィットネスや閣僚人事を練るほうに時間を使う。災害などには気が回らないのだ。為政とは「治山治水」である。先進国で子どもへの教育予算比は最下位、東京大学は世界ランクでは40位前後、中国、シンガポールなどの下のまた、下である。個性ある才能をのばすことをせず、何事も過去問題がベースだからだ。何度も私は言いたい。日本国は幼少より始め、小・中・高と「防災」を必須科目にすべきなのだ。先人達の知恵を結集し、一家に一つ自家発電装置や、給水&給食のストック装置を持つべきなのだ。学問は使ってこそ学術だ。太陽光パネルの普及は義務づけ、予算をつけるのだ。原発のテロにあったら即ジ・エンドの国、大パニックとなる国なのだ。久々にパンが食べれてウレシイ、水が飲めてウレシイ、おにぎり食べれてウレシイ、仮設の風呂でも入れてウレシイと涙を流す人々。これが来年オリンピックを迎える「お・も・て・な・し」の国の現状だ。おもてなし→表なし、だが実情は、おもてなし→表なし→裏ばかり国家なのだ。小泉進次郎議員などはその代表で、すでに言うことがアヤフヤ、モグモグとなっている。閣外にいた姿はもう変形している。オール電化だ、SNS社会だ、IoT社会だと言っても、エネルギーがあり、電気、水道があっての話だ。ブルーシートを張るのは、非常に危険で難しい。日本は職人の国であった。大工さんの国であった。工事人夫さんの国であった。港湾労働者の国であった。農業、林業、漁業、第一次産業を復活させねばならない。国をあげて防災を学び、国をあげて職人さんたちを手厚く守らなければならないのだ。島国は国境線がない。それ故、呑気な政治がまかり通り、“防災を履き違えて”改憲再軍備だなどと言っている。この国に必要な政治は、バルカン、八方美人でいいのだ。政党間の垣根を外して、これからも、いくらでもある大災害に備えなければならない。近いうちに東海や大東京に大地震が来るのは間違いない。みんなで考えよう。自助、共助、公助について。
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2019年9月18日水曜日

「孫さんと、損」

大借金王は果たして大経営者か(?) ソフトバンクグループは金融機関から有利子負債約13兆円以上もの借金をしている。利子だけで年間1兆円近く支払っていることになる。通信事業だけではとても株価の維持ができず、時価総額が下がってヤバイ。そこでアッチコッチを買収したり、M&Aを繰り返している。地球という大きな車輪を持った、大自転車操業グループで、今ではファンド会社になっている。借金は小さくするな、でっかくしろの格言通りを実行している。大きければ大きいほど銀行は返せ返せと言えない。万が一のことが起きたら、金融機関がブッ飛んでしまうからだ。30年ほど前、日本に携帯電話社会の推進をさせた。博士&経営者の方と親しくさせてもらい始めた。そのとき、「オレは天才だが、このオレがかなわない大天才がいるんだ。そいつは何百年先の文明社会が見えているんだ」と言った。誰ですか(?) と聞けば、それは「孫 正義」と言う。これからの日本をリードするはずだ。ZOZOTOWN(ゾゾタウン)の創業者・前澤友作が、突然会社のトップを退社した。目に涙をため、ハンカチでそれはぬぐっているとき、ステージに孫 正義が現われた。ニッカニカ笑いながら、「前澤坊やキミのつくった、2000〜3000億円の借金なんて、私から見れば端数みたいなものだ。キミが生んだ若者たちルートの部分が欲しいので、イタダクよ。後はかわいい彼女と、仲良く宇宙へでも行くトレーニングとやらに精を出しな、ワッハハハハ」。前澤氏は株の売却益2400億を手にするとマスコミが書いていたが、実はバスキアの絵など集めた現代絵画など、他の財産はすべて金融機関の担保、また、借入金の保証人。新居の工事もストップとなる。孫 正義から見ると、前澤友作は赤子同然であった。だからもっと大借金をしとけばよかったのだが、担保力がなかった。また、孫 正義のような悪運がなかったのだ。ただし、天はジッと指をくわえて悪運の人間を見ている訳ではない。きっと、あっとオドロクような結末を用意しているのだろう。身の毛のよだつ、ゾゾッとするシナリオを。私が「短編映画のいいシナリオがあるんだ。ちょっと300
〜500万円融資しろよ」と言えば、「ヘヘヘ、スミマセン担保を出してください」と信金の人間が言った。そんなモンある訳はないのだ。絶対、カンヌの賞をとれる自信があるのだが。孫 正義は映画に出資したりは、ほとんどしない。なぜなら、必ず「損」をするからだ。嫌な金もうけ好きのオッサンだ。アメリカの大投資家の死亡記事があった。いかなる財産を持っていても「命」は買えない。孫 正義にもいずれその日が来る。映画にバンバン出資すれば、寿命は伸びるだろう。千葉では電気を失った文明がいかに無力化するかを証明している。孫さん、太陽光パネルへの熱意失わないでくださいよ。(文中敬称略)

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2019年9月17日火曜日

「平等の色々」

英南部オックスフォード近郊のブレナム官殿で、美術品として特別展示していた「黄金の便器」が盗まれた。66歳の男が事件に関与したとして逮捕された。が、イタリアの現代アーチストが制作した18金製、作品名「アメリカ」、約5億4000万円以上の価値があるというが見つかっていない。貧富格差をテーマとして、用を足すのに財力は関係ない、とのメッセージが込められていた。9月12日から10月27日の期間中、来場者が使用できるようになっていたという(9月16日 読売新聞より抜粋)。私は以前、茅ヶ崎の知人ご夫婦が経営していた不動産屋さんのポスターを制作してあげたときのキャッチフレーズを思い出した。それはどんな大金持ちの“ウンコの色”と、どんなビンボー学生の“ウンコの色”も変わりはない。背伸びせず、身の丈にあった物件選びをと。短くキャッチフレーズ化した。「金持ちのウンコは金色ではない」。ご夫婦はポスターを見て、キャッとオドロキ、2、3日貼って、やめた。皇帝ナポレオンの色と、ロスチャイルド家やロックフェラー家の人々の色と、金髪のドナルド・トランプの色と、我らと違いはない(濃い薄いとか、固いやわらかいの差はある)。先日、イングランド女王と、スコットランド女王の確執をめぐる映画を見ていたとき、王妃がトイレに行きたくなる。しかしやたらに服の下に服、その服の下にガッチリ固められたコルセットやガードル。玉ねぎの皮をはぐみたいに従女たちが急いで脱がすというより、はがしていく。早くせよ! 早くして、おねがい早く! となった。やがて女王二人の内一人は断頭台で首を切り落とされる。別にトイレのせいではない。権力闘争のせいである。大金持ちも、我らビンボー人も、腹の調子で「軟便は何便も出る」。私は思う。「ウンコ」は平等だとの精神を、全世界の人々が持てば、世界は平和になる。日本の戦国時代、“早メシ、早グソ、武士のたしなみ”と言われた。戦場でゆっくりと用を足したりしていれば、首を切り取られてしまうからだ。サラリーマン社会では、トイレの長い人間は出世をしないと言われる。ケツの軽い人間はダメだが、マンガの本かなんか持って、ずっと出て来ないケツの重いのはダメ。ヤルべきことはさっさとヤル人間が求められる。トイレ内でスマホでゲームをやったり、メールのやり取りをしたりしているに間に、人事異動で飛ばされてしまうだろう。そのとき、クソッ! と怒っても自業自得となる。連休の間、秋葉原からつくばまで行ったり来たりした。イベントの取材と撮影であった。つくばエクスプレスでつくば駅に着き、小用のためトイレに行くと、壁に貼り紙がしてあった。そこには“禁煙” “禁スマホ” “禁食事”と大きく書いてあった。聞けば、学生たちがトイレ内で、この三つをするからとのことであった。トイレ内で食事をする奴はどんな学生だろうか。そうそう、もう一つ小さく書いてあった。“変な落書きをしないでください”。この文字はどうも学生が書いたような文字だった。休み中によく働いたので、きっと「運」が回ってくるだろう。ちなみに盗まれた「黄金の便器」は、米ニューヨークのグッデンハイム美術館の所蔵である。もう溶かされて、金の延べ棒や、金の首輪になっているかも知れない。少し金の臭いがついているので(?)、すぐ足がつくはずだ。運のつきと言う。



2019年9月13日金曜日

「行合い雲」

だだっ広く青い空、下のほうに真夏の入道雲がニョキニョキ、モクモクと白く立ち上がり、そのずっとずっと上のほうには形を成さない雲がキレギレとある。行合い雲と言う。夏と秋が不倫の男女のように別れては会う。入道雲はまるで若者のいきりたつシンボルのようであり、ちぎれた雲はもう少しで女性でなくなる年頃のこころの動きのようである。会ってはならない、してはならない雲の道である。私は今の季節から初冬にかけての海岸が好きで、時々海岸を歩く。引いても、引いても大したものが入らない、地引網の船が陸揚げされている。風に向かってトンボがたくさん空中に止まっている。台風一過の海岸には汚れた物や、流木やいろんな貝殻が流れついている。ペットボトル、空き缶、ビニール袋、プラスチックの品々、だらしなく伸び切ったコンドーム。死んで乾いた魚、カラスの群れ。釣り人が二人いてその遠くに烏帽子岩。その遠くに大山連峰が黒々とあり、血の色をした夕陽がそこに沈んでいく。右に目を向けると、血色の中に黒富士が美しい。圧倒的に美しいのはこの黒富士だ。いかなる絵描きも真似は描けても、自然の色にはまったく及ばない。私は自然をそのまま描いて、大家と言われている人を認めない。それは芸術ではなく技術だからだ。愛と憎悪、生と破がない。ただ自然を描いて、自然を犯している方は認める。例えば片岡球子さんだ。この人は50代になるまで画壇で認められなかった。あまりにというか、途方もない才能に、保守的ボスたちが逃げて回ったのだ。上野の森は美術展の季節だ。有能な若い才能が、ボスたちによって名作をただのゴミにされてしまう。ヒマを持て余した老人たちが上野の森に集まるが、絵とは何たるものかを分かっている人はほぼいない。マア富士山がキレイとか、ナンテ富士山にソックリなのとか。アライヤダこの富士山はなんでゴツゴツしているのとか言って混雑する。大自然の色をもっとしっかり見ようと思うのが、私にはこの季節だ。貝殻にへばりついた伸び切ったコンドームに、短編映画への創作意欲がフツフツと沸く。これを使った男女は、行合い雲のような関係だったのではないかと。夕焼けに勝る赤は誰も描けない。