ページ

2020年4月17日金曜日

第53話「私は徒歩」

私は「徒歩」である。私徒歩はずっと家の中に居ると、足がシビレてズキズキと痛むので、大雨が降っていなければ小一時間歩いている。私徒歩は家からどこまでいったら、何分かかるか分かっている。10年間雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、夏ノ暑サニモ。冬ノ寒サニモ負ケズとにかく歩いた。鬱との闘いの日々であった。起きているとずーと眠くならない。三日間起きていたことがある。仕方ないのでスポーツウェアを着て私徒歩は歩いた。まい日同じコースだとつまんないのに気づいてから、今日は江ノ島に向かって、今日は烏帽子岩に向かって、今日は鉄砲通り、今日は桜花園通りとトホトホと歩いた。海岸側のサイクリングコースを歩いていると、顔なじみもでき、軽いあいさつを交わすようになった。長いのは寒川神社まで往復した。(約6時間)江ノ島の灯台まで歩くと、片道2時間半位であった。鬱ぽいヒトは、最初はひどくツラク、シンドイが、まずは15分歩くことから始めるといい。実は一センチでも動くのがシンドイ時の、15分はキツイ。私徒歩はパジャマの上に、スポーツウェアを着て始めた。早朝四時半頃であった。11月の初めすでに寒かった。私徒歩のそんな姿を見た地元のタクシー運転手さんが、海岸に釣りに来ていて、どうしたんですかヨロヨロ歩いてと言った。眠れないんだよと私徒歩は言った。そうか人間は霊長類の2足歩行動物なのだと思った。初めは15分がシンドかったが、やがて20分、25分、30分、40分、50分、60分、100分が平気の平左になる。強風の時は砂が目に入る。雨の時は合羽ごとビショビショになる、雪の日はズボッズボッと足が入る。これが楽しいな、となっていった。真夏の炎天下江ノ島の水族館まで行く。暑いのなんのだが、帰り道海浜公園内の売店で大好きなメロンソーダが待っている。全身汗ビッショリで売店の椅子に座る。よく冷えた彩やかな緑色のメロンソーダは別格に気持ちいい。少年の頃から大好きであった。銭湯の名糖コーヒー牛乳より好きであった。一年二年と歩くと、私徒歩はアルキ中毒、アル中になっていた。出張の時はスポーツシューズをバックに必ず入れた。海外にロケに行く時も必らず持っていった。アル中だから歩かずにはいられないのであった。五年、六年となると歩きながら、何故か五木ひろしの「よこはま・たそがれ」を口ずさんでいた。~ よこはま たそがれ ホテルの小部屋 くちづけ 残り香 煙草のけむり ブルース……あの人は 行って 行ってしまった もう帰らない~。こうなると私徒歩はアタマの中の鬱がウソみたいに消えて、かなりウキウキとなっていた。「よこはま・たそがれ」は私徒歩の特効薬であった。他には北島三郎の「風雲ながれ旅」とか、竜鉄也の「奥飛騨慕情」であった。私徒歩には演歌がいいリズムを生んだ。今、相当の人たちが、コロナウイルス連休で外出ままならず、気分は鬱々としているはずだ。私徒歩はぜひ歩きなさいとアドバイスをする。血の巡りがすこぶるよくなること間違いなし。昨日午後四時十五分頃、近所の辻堂海岸から江ノ島方向に向かって私徒歩は歩いた。海は荒れていた。サーファーもいない、釣り人もいない。砂浜でサウンドウエッジの練習している人もいない。風がかなり強かった。私徒歩は歩きながら、高名なアートディレクターの方から届いた、一枚のハガキの文章を思い出した。かわいい愛犬がペン画で描いてあった。「親方、この国はどうなるのでしょう(?)」と書いてあった。スタッフは在宅とのことだった。この御方が、ある出版社のすばらしい新聞広告を正月発表した。おそらく今年度NO.1のはずだ。気がかりなのは、WHOの日本人ドクターが、テレビのインタビューで、日本が今出している数字は、全然少ないと思う、検査をしていないから、本当は今の10倍位は感染症がいるはずだと。私徒歩はつくづく嘘つき国家だなと思った。医師の方たち、看護師さんたちに一律100万円払ってもいいと思った。108兆の予算の中味は嘘ばかり、真水は38兆位でしかないらしい。「108」という数字は意味深である。除夜の鐘の数だ。私徒歩はいよいよ政権が大昨晦(年の終わり)に近づいていると思った。気分が晴レバレしないヒトへ、さあ~スマホを置いて歩きなされや。
                               (文中敬称略)   
IMAGE


  

2020年4月16日木曜日

第52話「私は民衆」

私は「民衆」である。コロナの日々を送りながら私民衆は、民衆の恐ろしさを知る。BSプレミアムに中野信子さんという、人気の脳科学者が出演していた。映画ばかり見ているので時々違うものを見る。その番組は魔女狩りについてであった。1640年頃ドイツのある地方に小さな都市があった。そこは一人の独裁的司教が支配していた。その頃いろんな疫病や不作や不幸な災いが起きていた。民衆は不安な日々を送っていた。なんでこんなに災いが起きるのか。その時一人の男が魔女のせいだと言う。男は魔女についての一冊のオドロシイ本を出す。その頃活版印刷が生まれおり、250ページ位のその本が民衆の間に広まった。凶暴な司教は一人の女性をお前は魔女だろうと捕まえ、拷問をする。そして魔女仲間の名を言えとあらん限りの拷問をする。身にまったく憶えのない女性は拷問の痛さから逃がれるために、思いつくまま人の名前を言ってしまう。名前が出た人間は男女年令の区別なく捕まえられ、人間が思いつくあらゆる拷問をする。そして次々と名前を言わせて捕まえる。そして又と続く。捕まえられた人間は民衆によって魔女狩りとなり、火あぶりにあったり、首をつられたり、徹底的に殺された。私民衆は思う、人間という生き物の最大の本能は死にたくないという教えを。高名な学者がそう書いていた。人間に不安という衣を着せると、日々増幅をする。自分が魔女にされないために、拷問や処刑に加担する。例え自分の親兄弟、親族や友人、知人、隣人、恩人、恩師だろうが、拷問から逃れるために名前を言ってしまう。言ったからとしても処刑されるのだ。民衆はいつでも観衆になると言うが。不安から逃れたい民衆は、処刑を見る観衆となる。疫病の災渦が生じると世界中で、魔女狩りに近い事が起きる。関東大震災の時多くの朝鮮人が魔女狩りのように大量虐殺された。アメリカで有名なのは赤狩り(共産主義)という名の魔女狩り施風があった。(マッカーシー施風)私民衆は究極の魔女狩りは、戦争だと思う。死にたくない、恐い、生きたいという不安が、人間を変えてしまう。気さくな八百屋さん、陽気な魚屋さん、もの静かな大工さん、やさしい学校の先生も、戦争の中では狂人となってしまう。平時ならお祭りを楽しむ民衆、花火大会や草野球を楽しむ民衆が殺人鬼となるのだ。現代もそれは続いている。ネット社会にいる顔の見えない魔女狩りたちだ。それはワンタッチで世界中に広がる。私民衆はPCも使えないのだが、ひとたびアイツは気に入らない、アイツは疑わしい、きっとアイツが犯人だとなると、もう逃げることができないと言う。民衆は不安を抱え込んでいるとビョーキになり、誰かのせいにしたくなる。私民衆はこの先きっと起きるであろう民衆心理を心配する。この際いい音楽を聴き、いい映画を見まくり、いい本など読んで人に感染させない日々を送る。一日15秒か長くて2、3分の会話である。私民衆は実はずっと無言の生活も得意である。カフカ原作の「変身」と、朝井リョウ原作の「何者」という映画を見た。今の大学生たちの生態を就活を通しながら描き出している。現在午前五時二分二十八秒、民衆は誰でも悪魔に変身する。




2020年4月15日水曜日

第51話「私は支給」

私は「支給」である。かつてこんな怒声的フレーズがテレビドラマから放たれて、大ブームとなった。確か安達祐実さんであった。「同情するなら金をくれ!」と少女は叫んだ。ドラマの名は忘れたが、フレーズは忘れていない。今、日本中で支給は至急にと怒声が叫ばれている。私支給は上からの命令がないと至急にと怒っている人に支給されない。私支給の支給源は、そもそも国民が納めた税金である。政府とはこの税金をどう使うかを任された機関である。私支給は怒る、税金を納めるのを少しでもおくれたら、日曜日でも納税をしてくださいと電話してくる。一度茅ヶ崎市の女性職員に、なんで日曜日に電話するんだよ、と言ったら、平日は家にいらっしゃらない人が多い、日曜日の夜七時頃がいちばんいらっしゃるからだと言った。至急か! バーロと言って電話を切った。現在日本国政府の指揮系統がパニックになっているようだ。総理大臣の言うことと、官房長官の言う事に差異が生じ、財務大臣は与太者みたいに自論を放ち、コロナ担当大臣は目を泳がせながら、他国の例を持ち出し意味不明。でもって自民党の幹事長は、何をモタモタやってんだ! ややこしい支給方法で、ケチケチすんじゃネエとばかり、一律で10万円支給を至急せよとスゴミを効かした。本来厚労大臣が担当すべきコロナ問題を、笑い顔で評判がよくないからと外したのか、実は年金の支給を75歳に引き上げる法案を、ドサクサに乗じて成立させるために、その注力を発揮せよと役を命じているのかも知れない。コロナ、コロナと大騒ぎをしている今、この悪企みの法案の審議は進むはずだ。与太者風財務大臣は、財務官僚にとって使い放題だ。総理大臣への記者会見で外国人記者が、コノコロナウイルスモンダイノセキニンワドウナルノデスカみたいに資問したら、総理大臣は一瞬ドキッとして、ソレは私が責任をとればいいと言う訳ではないのですが、ソ、ソレは麻生副総理がつとめることになると思うわけであります。私支給の元締財務大臣はこのひと言で、あわよくば例え一日でも、もう一度総理大臣と呼ばれたい色気が出たようだ。実のところ国民になんか全然目がいってない。権力争い真最中なのだ。私支給は至急されるべきなのだが、この国のエリート役人は絶対に自分に失敗のツケが来て、出世のジャマになることはしない。国民の命より自分の肩書き命なのだ。かわいそうなのは現場の役人さんで、ややこしいことを、もっとややこしくすることの処理に追われる。国のリーダーが、私が責任を持つさっさと支給しろ、ややこしい手続きをカンタンにしろ! と言えば至急に支給される。やっぱり貫目が重い人物、キャリア豊富な人物がリーダーの脇にいないと今起きている状態となる。野球用語でいえば、ベンチが軽いとなる。官邸を仕切っているのは、現在選挙で選ばれていない、官僚出身の補佐官だと言われている。現在午前五時九分四十一秒、早朝のニュースでIT担当大臣がいることをはじめて知った。マスクで顔がよく分からなかったが、あなたは誰! と言うかんじだった。シドロモドロであった。ITでコロナ感染症を追跡するんだとか。医療現場が崩壊している。権力争いをしている場合じゃない。ビートたけしは国会議員を半分にすればいいと言い。鶴瓶師匠はソファーに座ってお茶飲まずに踊りはりゃよかったのにと。星野源は何の連絡もなかったですよと言う。私支給の近所の奥さんたちは、いまさらマスク2枚もらったって、バカにすんじゃないわよ、500億円近くも使ってさと怒る。ノーベル賞受賞の博士は、100億をワクチン開発に回すべきだと叱かっていた。民主党政権時代を悪魔のようだったとよく言っているが、今や悪夢のような政権だったと、歴史にクッキリ残るはずだと思う。私支給は至急にが鉄束なのだ。今年は小庭に咲くと期待していた、牡丹の花が咲きそうにない。花芽が一つも出ていない。やけに寒い朝が来た。このまま夏もなく、秋もなく、尾羽打ち枯れたような冬になるのだろうか。太陽は別名コロナとも言う。(文中敬称略)


2020年4月14日火曜日

第50話「私は下駄」

私は「下駄」である。この頃私下駄を履く人は少ない。四月十日一人の偉人がこの世を去った。映画監督の「大林宣彦」さんだ。八十二歳であった。私下駄はある年、当時人気絶頂だった「鈴木保奈美」さんを大手コーヒーメーカの商品広告に起用することを、広告代理店さんと共にすすめた。幸い企画案が採用となり誰に演出を頼むかとなった。いつも私下駄を使ってくれていた、CD(クリエイティブディレクター)に若手の人気女優を撮らせたら、今は大林宣彦さんでしょと言った。いいね、受けてくれるかなとなった。その頃すでにヒット映画を何本も手がけていて大御所であった。映画監督は今ではCMを多く手がけるが、当時は少なかった。CMの演出家が手がけていた。記憶が確かなら青山の骨董通りにあったオフィスにCDの方とお願いに行った。広島出身と聞いていたので、きっとすこぶる荒っぽい広島弁なのだろうと心期していた。(「仁義なき戦い」の広島弁が有名)青山通り近くのビルの中にオフィスがあって、型通り失礼しますと言って、ソロソロと入った。大林宣彦さんは素足に下駄履きであった。奥さまがプロデューサー&マネージャーであり、御二人共この上なくおだやかでやさしかった。イヤードウモドウモ、まぁ座って座ってと言ってくれた。広島弁だと思っていたが、そうでなくフツー弁だった。ひとしきり映画談議をして、演出をお願いした。その後快諾をいただき後日撮影となった。その日、スタジオにいるとカタコト、カタコトと下駄の音がした。大林宣彦さんはパンチパーマにサングラスが定番であったが、まさか撮影に下駄で来るとは思わなかった。信玄袋みたいのを持っていた。人気絶頂だった鈴木保奈美さんは実に静かであった。そして実に美しかった。とてもいい作品ができて、次の年もお二人にお願いすることになって行った。大林宣彦さんは父上が軍医であった。七歳の時に敗戦となった。自分は敗戦少年だと言っていた。口をすこしオチョボ口にして、戦争は絶対にしてはいけないと話す。気負いない語り口は、民話の語り部みたいだった。愛妻家であっていつも奥さまと一緒だった。肺癌で余命数ヶ月と宣告されながら、長編の大作を生んだ。徹底的な平和主義者であった。反戦を旗印にしていた。大林宣彦さんの言葉にすばらしいのがあった。(記憶が定かでないが)「ボクねこう思うんだよね。日本はバカな戦争をして、原爆落とされてアメリカに占領されてしまった。でもね、奇跡的なものを手にしたんだよ、平和憲法をね、憲法九条は絶対に守らねばならないんだ」私下駄は大林宣彦監督のすさまじい生への執着力は、ひとえに反戦と平和のためにあったと思う。映画は平和を勝ち取る武器であったのだろう。心より敬意を表し合掌する。余命数ヶ月宣告から三年近く、酸素ボンベで息をしながら歴史に残る名作を生み出した。「花筐(HANAGATAMI)」は、発表後ベスト1になった。「青春は戦争の消耗品ではない」という言葉があった。私下駄は外に出れないので一日二本から五本映画を見ている。今日は大林宣彦監督といえばこの作品と言われる。尾道三部作「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」を一気に見ることにする。東日本大震災後、日本に新たな戦争が迫ってきた」と危機感を語っていたと言う。私下駄はあの世に下駄履きで行く大林信彦さんに深く頭を下げるのだ。コロナ、コロナの世の中に真冬のような永雨が降っている。午前一時三十八分四十二秒。今起きている事はいつか終って行く。その先のために一日一日何かを学び大切に生かそうと思い、中村文則原作「去年の冬、きみと別れ」という映画を見始めた。

IMAGE



2020年4月13日月曜日

第49話「私は2個」

私は「2個」である。1個と1個が存在して成立する2個だ。例えば、善と悪、表と裏、日常と非日常、罪と罰、嘘と真など私2個は数多くある。座敷牢に居る生活が六日経った日、運動不足解消のにめに近所の海岸に行った。正月駅伝のランナーが、大観衆の声援を受けて走っていた道に、車の数は少ない。夕陽が沈みそうな海にはサーファーが浮いている。右方向を見ると薄青と「太陽」の赤みが混じった空が大山連峰の上にある。左方向を見ると江ノ島の灯台が、もうすぐ灯りが入るぞと語りかける。歩道橋の踊り場にある木製の丸椅子に座っている。すっかり観光用となった地引き網の船が陸上げされている。この頃は魚が獲れないので、地引き網は人気がない。空を見るとうっすらと「月」が滲み出ている。「太陽」と「月」を見ていて思った。この地球上の全ての人類が、この「2個」のおかげで生きている。森羅万象、生きとし生きるもの全てが、この2個の下で、生まれ育ちそれぞれ違った神を信じ、違った言語を語り、違った食べ物を食す。この2個は地球を創生し人類を誕生させた。私2個は思う、太陽と月の下で何辺にして、国と国、人間同士が争い続けるのかと。いかなる大王も、皇帝も、大富豪も、太陽と月は手に入れることができない。私2個は今外出禁止の中にいる。日常が非日常になっている。何もかも無の状態になった以外、日常的である。鵠沼海岸に住む友人が、小鰯(コイワシ)を届けてくれた。料理上手の奥さまが、美味しい食べ方をご主人に伝え、それを活字にしてFAXを送ってくれた。これが実に美味しかった。愚妻と共にアツアツのものを手に取って食べた。きっとワイン通なら、白ワインかで楽しむのだろうと思った。私2個は新型コロナで休み中は、禁酒と決めているので、残念ながら酒はなしであった。家の前の公園でたくさんの子どもたちが遊んでいる。近所に住む高校二年生の孫が来て将棋をする。いつの間にか力をつけ、このところ二勝五敗であった。そして大敗けし、おこづかいをせしめられた。二勝六敗である。勝負時間は一時間三十分位であった。父親と弟も来てケンタッキーフライドチキンが食べたいというので予約しておいた。午後六時キッチリとバイクで運んで来てくれた。とても日常であった。テレビのニュースをつけると、東京都内で感染者過去最多と報じている。ゴーストタウンのような銀座、誰もいない新宿歌舞伎町、渋谷センター街入り口の大きなビルボードの広告は、ビートたけしが恐い顔して交差点を睨んでいる。いつもは人の波だが、チラホラ、ベタ凪である。非日常はニューヨーク、パリ、ロンドン、世界中に生まれている。将棋などしていていいのだろうか。赤坂のクラブのママから電話があり、もうダメこのまま店を閉めるかもと言う。銀座で高級エステを経営している、女性社長と電話で話す、スタッフは一時解雇して失業保険にしてもらい、終息したら再雇用にすると言った。三月箱根にグランドオープンした、ホテルのオーナーと電話で話す。オープン即買い手募集ですよ言った。コロナもなくオリンピックが予定通りなら、萬、萬歳だったのに。天才中野裕之監督が電話で、この映画泣けますよと、教えてくれたインド映画「バジュランギおじさんと、小さな迷子」を鍼灸の達人にアマゾンで買ってもらって(自分では買えない)いたのを、持って来てくれた。体中に鍼を刺してもらった。午前一時から見始めて午前三時四十九分エンドロールが流れた。母親とインドで迷い子になった、とんでもなく美しい6歳の女の子は、国境近くで列車の中から外に出た間に、母親が乗る列車が発車してしまったのだ。この女の子は幼い頃ある事故で受けた衝撃で、言葉を発しなくなっていた。当然長い映画のラストは、言葉を取り戻した女の子の絶叫で終る。おじさ~ん、おじさ~んと。この映画は正に2個である。インドとパキスタン。仏教とアッラーの神。敵と敵だ。超マッチョで色男のおじさんは、愛と勇気を持っていた。善と悪があるようでない不思議な映画。愛は国境を越えるという泣けるシーンを、ラストで現わす。圧倒的に美しい自然の中、愛と勇気を讃える敵同士。すばらしく楽しい感動作だ。午前四時過ぎ新聞記事を整理する。ノンフィクション作家「吉岡忍」のコラムを読む。サッチャー英国首相(故人)は、かつて「社会などというものはない。存在するのは男と女と家族だけだ」と言ったとか。日経新聞のシリーズ文学周遊に太宰治の八十八夜の中の言葉がよかった。「真暗闇でも、一寸さきだけは、見えている。」午前五時のニュースで、政府PCR検査拡充検討へと報じている。世界の新聞では日本は何もかも遅いと報じる。太陽と月世界中の人類がこの2個を怒らせてしまったのだろうか。私2個は日常と非日常の中に、閉じこもりている。広告とは皮肉だ。そうだ京都に行こうのJR東海は、京都知事から、どうか京都来ないでとなり、JR東日本の行こうぜ東北は、岩手県知事から、来ないで岩手となった。観光立国を目指して、誘致キャンペーンをしていたところは、みんな来ないでとなりテレビCMは中止となった。あらゆる媒体が人材派遣会社の広告で滞杯だったが、殆ど姿を消した。ミシュランや食べログなどのガイドは、今は無用となってしまった。ある店の主人は常連のお客さんが一人でも来てくれるなら、店を開けると言い。私は潮時かと思っている。このコロナウイルスを期に、店を閉じると言う老主人がいた。私2個は静かに打ち寄せる波を見ながら、潮時という言葉を思い出した。お金は無いが作りたい夢が未だいっぱいある。無用の用という言葉もある。インド映画には決まって群衆による踊りのシーンがある。~キッチンからチキン 鶏の鳴き声は コケッコッコーと歌い踊る。女の子はインド人が食べない、フライドチキンが大好きだったのだ。時間があるので、ずい分と長くなってしまった。このまま起きていて、午前八時から始まる、TBSの関口宏のサンデーモーニングを見る。私2個に眠気は、ない。(不眠症という)いつかきっとみんなでニコニコする日が来るはずだ。
                               (文中敬称略)



2020年4月10日金曜日

「本日、休筆」

本日、コロナ対策のため休筆です。みなさん、週末も充分気をつけてください。

2020年4月9日木曜日

第48話「私は貫目」

私は「貫目」である。貫目とはその人間のスケールの大きさ、器量とか度量をいう。あいつとあいつでは、貫目が違うとか、あの人とあの人では、全く貫目が違うなとかに使われる言葉だ。貫目が軽いとみられると、掛け合い(交渉ごと)の時、安く見られる。アイツはスヤイ(安い)となる。私貫目は芸を売っている身なので、自らの体重ほどの貫目しかない。新型コロナウイルスに対して無重力であり、世の中に何も貢献できない。国を盛んにするのも、滅ぼすのもひとえに政治家の貫目による。ネットフリックスで「ローマ帝国」の長いシリーズを見たせいかも知れない。歴代の皇帝たちは、元老院の力と側近の裏切りで滅びた(ブルータスお前もか)。外出できず家の中に軟禁状態なので、ダルマさんになっている(手も足も出ない)そこで活躍してほしいのが、選挙によって選ばれた代議士(選挙民の代表)である。その中から大臣という役を務めるものが、国家国民のために思案思考し、無辺に行動しなければならない。歴史には後世振り返ると、国民が塗炭の苦しみを味わい、国が滅んだのはアイツのためだという、キーマンの人間がいる。今、このキーマンになりつつあるのが、新型コロナ担当大臣(経済再生担当でもある)「西村康稔」だ。100年に一度の疫病災禍の重大事に、大臣としてのキャリアがない、貫目の軽い人間が事に当たっている。国民にとってこれほどの不幸はない。政治家の番付でいえば「平幕」位である。その軽量大臣が、国家の存亡を右往左往しながら、ヨタヨタ、ヨロヨロ、キョトキョト、ニタニタと担っている。私貫目はここ数日、政府と都知事とのやり取りを見ていて、この国は生き残れるのだろうかと、真底思っている。パシリという言葉があるが(使い走り)西村康稔クラスの軽量では、単なる政府と諸官庁、諸大臣、諸業界との使い走りでしかない。仮りにこの重大事を乗り切る貫目のある歴史上の人物をいえば、江戸時代の名君「保科正之」とか明治時代なら「西郷隆盛+大久保利通」クラス、あるいわ児玉源太郎。昭和なら田中角栄とか後藤田正晴位の貫目がないと乗り切れない。官邸内に何が起きてるのか分からないが、何故西村康稔なのかと私貫目は思う。今すぐにでも与野党を超えた救国のチームを編成すべしだ。批判はされたが、野党には東日本大震災で多くの事を学び経験した代議士もいる。又、自民党内には豊富なキャリアを持つ代議士がいる。西村康稔に歴史的大役が務まる訳がない。ワイワイガヤガヤのテレビのニュースワイドショー見ていると、いよいよこの国は危ういと思う。政権の使い走り田崎史郎がアチコチテレビ局をハシゴしている。かつては時事通信の闘士だったらしいが今では、エセジャーナリストになってしまった。私貫目は重ねていう、日本を代表するあらゆる分野の英知と、代議士としてのキャリアのある人たちを結集して、救国のチームを作るべしと。又、在野にいるであろう、優れた人物を頼りにせよと。三国志では劉備玄徳が、諸葛孔明を山の中に訪ね、三顧の礼を持って迎い入れた。理容室がどうだとか、ホームセンターはどうだとか、名古屋外しだとかいってる場合じゃない。世界の英知とも共力し、国民の命を守るにはどうするのかだ。などとブツブツいいながらニュースワイドショーを見ている。私貫目はダルマの自分が情けない。この期に歴史を学ぶことにする。(文中敬称略)


2020年4月8日水曜日

第47話「私は映像」

私は「映像」である。午前三時五十五分十一秒TBSのニュースを見ている。そこにはニューヨークで新型コロナと戦う、病院のスタッフたちの悲惨にして、強烈。そして献身的な姿の真実を見た。若者の命が重症化となり急速に悪化して、失なわれて行く。必死に人工呼吸器とか、エクモとかいわれる器具が、取り付けられる。太い管が何本も激しく動く。防護服が無く黒いゴミ袋をポンチョのようにして身につける。医療用マスクは無く代替で防ぐ。又医療用のメガネも無く、スキー用のゴーグルで目を隠す。勿論手袋も不足している。つまり病院に病院の器具が無いのだ。続々と運ばれてくる感染者。私映像はこの医療崩壊の現場を、世界中のリーダーたちはきっと見たはずだと思った。いまだかつてないウイルスの恐怖を見て、都市封鎖を徹底させる指示を出した。きっと日本のリーダーや、オリンピックの関係者も見たはずだ。が、こんなヤバイのが国民にバレたら、オリンピックどころじゃない。様子を見ることにしようとなったのではないか。世界のトップであるアメリカが、まさか、まさか、まさかとなっていてビックリした。我が国の内閣官房の情報収集力は、世界でもトップクラスという。新型コロナウイルスを甘く見て、水際で防げると過信していた。オリンピックがパァーになっちゃうと思い、毎度、毎度の忖度と隠ぺいとなった。小池百合子知事は、都知事選を七月に迎えていて、勝利は不確かだった。自民党都連は反小池百合子で固まっていたはずだ。ニューヨークの映像を見た小池百合子知事は、一大機会が来たと思ったと思う。五輪誤輪になったのはここからであると、私映像は思うのだ。戦争は一瞬の見誤り、一瞬の判断ミス、一瞬の隙きが大敗北となる。ミッドウェー海戦の大敗北は、日本軍の過信と、魚雷にするか、爆弾にするか、指揮官の判断ミスが大きなロスタイムを生み、アメリカ軍に攻撃体勢を生む時間を与えた。そして大敗北となった。朝からステーキを食べている国と、メザシにタクアンの国では、勝負になるはずがない。私映像は昨日夜総理大臣の記者会見を見ていて思った。あらゆる怪しい数字、オイシイ言葉より、アメリカの医療現場の崩壊映像、若い人でも猛烈な痛みで命を失う映像を、日本全国にある、いろんな会社の映像広告の変わりに見せたら、一瞬にしてみんな家の中にいようと思うはずだ。結局小池百合子都知事の一人勝ち。私映像が敬愛するルー大柴さんみたいに、英語と日本語を、ミックス交ぜて三つの密という言葉を残した。政府もこの言葉を使わずにはならないこととなった。密閉、密集、密接。私映像は新型コロナウイルスで終るかも知れないと思った。すべては五輪のために立ち遅れた。ある人は、ちゃんと検査をしたら本当は何十倍も感染者が出るといった。200万円とか100万円とか、ややこしい手続きをしている内に、出血多量で会社も店も、人々も終ってしまう。ドイツは三日で本人の手に支給、日本国は早くても二ヶ月後位、それも手続重視、書類重視の役所に行ってのことだ。公務員の役人にとって書類は命、天と地が引っくり返っても、公文書や重要書類は残すのが掟だ。戦時下の大統領として有名な、フランクリン・ルーズベルトは、四期在任した。残した数々の言葉の中に、「嘘を何度も繰り返しても真実にはならない」と。戦時下一年間、ラジオから国民にメッセージを送りつづけたという。トランプ大統領でも二時間かけて記者に応じる。ハイ時間です、次があります、ハイここまでと仕切る記者会見に、緊急感は、ない。やってる感だけだ。(七日間で四回だけ)ホントは、何時間でも応じたいと総理大臣は思っているかも知れない(?)。次に予定がが定番の仕切りだが、首相動静を見ると、七時か八時頃には家に帰っている。(又は官邸泊)私映像は日本のスポンサーに、屋外広告の映像を、アメリカの医療現場の映像に変えることをお願いしたい。何か笑える話、明るい話を書きたいと思っているのだが。東海道線の中もガラガラであった。誤輪(オリンピック)がなければと思う。海外メディアは一斉に日本政府の対応が後手後手で、とんでもないことになると報じている。岩手県と島根県、鳥取県は今だにゼロ、ヨソから決して来てくれるなとガードを固めている。昨夜、名作「ベニスに死す」(ペニスに死すではない)と「大人は判ってくれない」を見た。何度見てもいい。私映像は映画があれば、狭い所に何年間でもいられる。実は孤独に強いのだ。


2020年4月7日火曜日

第46話「私は奴隷」

私は「奴隷」である。私と同じ現代人も奴隷である。100年に一度といわれる新型コロナウイルスの襲来。つい四ヶ月程前の正月、私奴隷は箱根駅伝に声援を送っていた。今私奴隷は家から出ること慎しんでいる。3日間が経ち私奴隷は考えた。私奴隷も現代人も「自由の奴隷」になっていると。文明の進化、SNS全盛、人工知能Alの台頭、人間は目に見えない電波によって、あらゆる自由と便利を手にした。スマホ一台あれば何でもできる自由。PC一台あれば自由は知らなくていいことまで知る自由。老人も大人も、三つ四つの子どももスマホやPCを使いこなせる。自由と便利はさらに5G、6Gと進む中で、実は私奴隷も現代人も、自由の奴隷になっていた。バーチャルな時間、スキャンダラスなニュース、フェイクニュース、エログロナンセンス。ワンタッチとか、マウスの動きが生む快楽という自由の奴隷である。私奴隷たちは自由を手にして、実に不自由になった。どこで、誰と、何をし何をどう食べたかが、瞬時に分かってしまう。知られたくない家族や一族の過去や秘密。知りたくもない他人の家族や、その一族の過去の秘密も目の前にある。自由の奴隷になった人類より、アマゾンの原住民「ヤノマミ」の方が、自由に見える。文明を拒否しているからだ。私奴隷はそう思った。一日中金もうけの話をする金の奴隷。権力争いをする、権力の奴隷、異性を追いつづける、性の奴隷、何でもかんでも知りたがる、情報の奴隷。自由と便利の奴隷が、私奴隷であり(スマホもPCも使えないが、人を介して使っているのと同じ)現代人といえる。小学生が将来何になりたいか、とのアンケートの第一位が、ユーチューバーであるという調査があった。新型コロナウイルスは、あらゆる自由と便利を手にした現代人に、世界中マスク不足という問題をつきつけた。権力者も大会社のオーナーも、人気者のスーパースターも、巨万の富を手にした者も、ギブミーマスクなのだ。文明の進化の先きにあったのがマスク不足なのだ。100年に一度の混乱と混沌から、私奴隷は忘れてしまった大切なものを、思い出さねばならないと思った。敬愛する天才中野裕之監督の「ピース・ニッポン PEACE NIPPON」が、ネットフリックスで見られるようになった。天才が電話で教えてくれた。超絶的美しさのニッポンの風景を、そこに行かずに見れる、矛盾するが、自由と便利の恩恵に私奴隷は見とれた。(何度見てもニッポンは美しい)小泉今日子さんと東出昌大さんのナレーションもいい。タイトルデザインは、天才葛西薫さんだ。ぜひ見てほしい。主題歌に涙するはずだ。現在四月七日午前六時二十九分四十三秒。英国のジョンソン首相が病状悪化ICUに入ったとニュースが報じている。おそらくアウトになるだろう。ノドに魚の太い骨が、突き刺さったような激痛がずっとつづき、睡眠導入剤も効かず眠れなかったと、ICUから生存した人の話が新聞に載っていた。私奴隷はこれからアチコチに露出する。倒産、破産、夜逃げ、廃業、閉店、解散、縮小リストラなど見たくなく、聞きたくない話に、直面して行くことになる。サバイバルをかける私奴隷に解放はない。したたかな投資家は、人の不幸、世の不幸も、ここがチャンスとばかりに、株を買ったり売ったりしている。NYダウは1600ドル以上も値上りしている。正にハゲタカだ。日本のハゲタカも色メキ立つことだろう。お医者さんや看護師さんが、次々と死んでしまうウイルスで金もうけ、その先は地獄だ。やっぱりピース・ニッポンの映像を見て、天国気分となり少し眠りたい。私奴隷は眠りの奴隷でもある。オヤスミとオハヨーが共にある。大英帝国の首相がもしコロナウイルスで死んだら、その次は、そしてその次は……。目に見えない電波、目に見えないウイルス菌に世界は自由を奪われている。


2020年4月6日月曜日

第45話「私は胃袋」

私は「胃袋」である。人間には空腹を満たす胃袋と、あらゆる欲望を満たす胃袋がある。四月六日月曜日午前五時十九分〇八秒書き始める。家にずっと居なければならないので、新聞を整理したり、読みかけの本を読んだりする。読書は苦手なのでやはり映画を見たり、落語とか浪曲を聞く。見逃していた諸外国のテレビのドキュメンタリー番組を見たり、世界のドキュメンタリー映画やドラマを見る。私胃袋は人間という生き物が、この地球上で最も性質の悪い生き物であることを改めて思った。人間は生きていくためには、何でも食べる。福山雅治は世界各地に行って写真を撮る。前夜コンゴの奥地で、チンパンジーやマウンテンゴリラ、ボノボという三種の類人猿を撮るNHKのドキュメンタリー番組を見た。それぞれ人間と同じ性質があった。オスを挑発するメス、そのメスを求めて死闘をするオス。勝ったオスは相手を引きちぎり、喰いちぎり、食べてしまう。地球上で自分と同じ仲間を食べる哺乳類はチンパンジーだけだという。(人間も人間を食べたという。戦争は空腹との戦いだった)私胃袋は思った。生き物には天敵が必ずいる。生き物の進化とは天敵から身を守るためのものだった。これは植物にもいえる。30メートル近いクジラから、木の中、土の中の小虫まで、人間は何でも食べて来た。人間には天敵がいないようであったが、ウイルスという天敵がいた。ウイルスは人間に入らないとその存在の意味がない。人間がこの世にいる限り、ウイルスは次々と進化して、人間を襲う。中国人はコウモリを食べてんだ、なんてオドロクが、人間は動く物はすべて食べる。動物園に行って動く物を見て、かわいいと言った生き物もすべて食べて来た。ウイルスは人間への復讐ともいえる。私胃袋の中に昨夜食べた。豚肉やアジや、明太子、ヒジキ、トマト、ピーマン、キャベツ、タマネギ、お豆腐に納豆、鳥の産んだ卵、チーズやバターなどが入っている。それぞれの食べ物には、たくさんの細菌が宿っているが、人間は進化しながらそれらと共生している。新型コロナウイルスは100年に一度の強敵といわれるが、テレビでは大食いを競う番組や、激辛を競うものや、食べ歩き、食べ物のメニューの人気当てなどで大騒ぎをしている。人間の欲望の胃袋は人間を殺してでも満たす。昨日古い映画を三本見た。一本は「イコライザー」大好きな「デンゼル・ワシントン」主演、元CIAの凄腕とロシアマフィアの果てしなき欲望との戦いである。当然何人も殺す。ハリウッドのパターン的映画だ。アメリカは善でロシアは悪の構図。二本目は近作「楽園」吉田修一原作、今売れっ子の監督「瀬々敬久」の作品、ある地方で起きた少女失踪事件。吉田修一ものは、実際に起きた事件を足したり、引いたり、掛けている。(他の作家も殆ど同じ手法)地方に透け込むのは、ヨソ者には並大抵ではない。地方には恐い因習が深く残っていることを、私胃袋は改めて知る。50年酒を飲み交わし同じものを食べ合っても、ヨソ者には、心を開かない。その土地には、その土地の過去があり、決して楽園ではない。三本目は、「エージェント」トム・クルーズの若き日の作品。13年位前のものである。スポーツ選手のエージェント(代理人)の話。アメリカのプロスポーツ選手の胃袋は、マネー、マネー、マネーである。駆け出しのエージェントであるトム・クルーズが、欲望渦くスポーツ界で、金と名誉を漁る仲間入りを目指す。つまんない2時間であった。プロスポーツ選手は、巨額のCM契約を取れるエージェントを選ぶ。午前六時三十六分四十二秒、テレビのニュースを見る。イギリスのジョンソン首相が入院。安倍総理明日にも緊急事態宣言とか。昨夜フジテレビの夜の番組で、嫌味なしゃべりの木村太郎が、今の日本はまるで小池総理みたいだと言った。安倍総理シンパの作家百田尚樹とか、経済学者高橋洋一とかが、いよいよ見限って反安倍メッセージ、次なる飯の種を探しはじめた。この者たちの好物は、権力者のおこぼれである。胃袋に毛が生えている連中である。有事の時に国のリーダーの資質がハッキリ分かる。カジノ育ちのトランプ大統領は、マスクは輸出しないと、ダッチロール状態で再選に赤信号。欲望を満たすにはもうトランプではダメだと、国際ユダヤ資本家は見限るだろう。私胃袋は紅茶とロールパンで空腹をやわらげ、朝刊を読む。お隣の奥さんが裁縫上手で、一夜にしてタオルからマスクを作ってくれた。すばらしい作品である。私胃袋は、これからの戦いのために、空腹に耐える訓練をはじめねばならない。(文中敬称略)

IMAGE