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2023年2月5日日曜日

つれづれ雑草「ジュリーの今」

「きのうはどこにいたの」「そんな昔のことはおぼえちゃいないよ」「あしたはどこにいるの」「そんな先のことは分からないよ」こんなやりとりを男と女がする。名作「カサブランカ」の中のシーンだ。ピアノから流れる音と、男と女のシャれた会話。この頃の映画には、いい男といい女が会話を楽しむ作品が少なくなった気がする。トゲトゲしかったり、乱暴だったり、切実すぎたり、刹那的だったり、絶望的だったり、だったりが多い。今日もったり目が覚めて、そういえば昨日家を出る時、左足から出たか、それとも右足だったかと思った。風呂に入った時、湯船に左足から入ったか、それとも右足だったかと思った。昨年の9、10、11、12の月、そして1月2月と、息を殺しつづけるようなテーマを背負ってきた。息を殺すとは、“自己”を押し殺すということだ。プロフェッショナルと、プロフェッショナルの間に、アマチュアがからむと、総じて事が混乱して、誠意ある人々に傷をつけることとなる。私は混乱を治めねばならない。私は徹底的な性善説者なので、何びとも仕方なし、“あとはオレの仕事か”としてきた。但しこれはヒジョーに疲れる。私はきっと徹底的な偽善者なのだ。その時、その場面で解決策は誠意を尽くすしかない。それは結果的によかったり、悪かったりする。定食を食べる時、味噌汁が右上にあると、私は左横に移動する。難問を解決するということは、こんな気分だ。それが嫌だと言われれば、味噌汁を右上にするのだ。次はごはんの位置とか、おかずの位置、焼きのりやお新香の位置だ。昨日本屋さんで「キネマ旬報」の2月号(下旬号)を買った。2022年度のキネマ旬報ベストテン特集号だ。“キネ旬”と称されるこの映画専門誌は、映画界にとっていちばんの権威とされてきた。私、並びに私の映画友だちの予想では、「流浪の月」か「ケイコ 目を澄ませて」であったが、結果は第一位「ケイコ 目を澄ませて」、第二位「ある男」第三位「夜明けまでバス停で」第四位「こちらあみ子」第五位「冬薔薇(ふゆそうび)」第六位「土を喰らう十二ヵ月」「ハケンアニメ!」「PLAN 75」第六位は三作品が投票同数、第九位「さがす」「千夜、一夜」二作が同数であった。これは映画人が選んだ順位である。一般人(映画ファン)が選んだのは、第一位は同じだが、第二位からはずい分違う。大手映画会社の作品は三作のみ、あとはインディーズ系だ。新進気鋭の監督が続々と出現する。撮影機材の進化により、少数短期間での作品づくりができる。インディーズ系は低予算なので、アレコレぜいたくは許されない。大手の作品だと、監督への注文が多くなり個性が失われてしまうが、インディーズ系は、オレはオレのつくりたいものを作るんだ、が主体となるので個性が作品に出る。かつては興盛を極めた日本の映画界も、今では映画文化後進国なので、韓国や中国、インドに比べると、ケタ違いだ。インディーズ系だと、一本の製作費は1000万~3000万位が相場だと思う。インドの大ヒット作「RRR」は、製作費約100億円だとか。アメリカのオンボロ兵器を買う予算を、映画文化促進へ使えといいたい。私と私たちが予想した「流浪の月」は李相日監督、ベストテンに入っていないなんて信じられない。まさか、だったり、だったりを忖度してないことを願う。ジュリーこと「沢田研二」が「土を喰らう十二ヵ月」で、主演男優賞を受賞した。うれしい、とてもうれしい。ジュリーは自分の老いていく姿をさらけ出している。美男子から太ったオジサン、そしてオジイさんになる姿を飾らず出す。映画界でケンカが一番強いのは、故渡瀬恒彦と言われた。音楽界では、沢田研二が一番根性者と言われてきた。軟派でなくバリバリの硬派である。あの「田中裕子」が惚れたのはよく分かる。さすが田中裕子、男を見る目が高い。「土を喰らう十二ヵ月」は、作家水上勉の名エッセイを基にしている。沢田研二が水上勉役を演じている。人里離れたところで、畑を耕しながら、自分で種をまき育て、収穫した野菜で自作の料理を作る。編集者(松たか子)が訪ねて来ると、共に食す。料理の監修が土井善晴(料理研究家)だ。確か水上勉は若い頃お寺で寺小僧として修行していた。そして、小説「雁の寺」で名声を得る。精進料理に詳しいのだった。ジュリーこと沢田研二の受賞の言葉にしびれた。こういう賞とはもう一生縁がないと思っていました。萩原健一のようなすごい人が獲るものだと感じていたんです。ジュリーとショーケンはライバルであり、共に認める男と男、天才と天才だったのだ。沢田研二と田中裕子は、「男はつらいよ」で共演して結ばれた。一度田中裕子さんと仕事をさせてもらったが、それはもう“魔女の如し”であった。その魔女が沢田研二を終生の相手に選んだ。田中裕子に出会って、心を奪われない男はいないだろう。私はジュリーの時も好きだったが、たっぷり太った白髪の沢田研二のほうが大好きだ。男と女はいろんな、だったり、だったりの過去を重ねて、共に歩いて行く。夫婦とは、だったり、だったりの積みかさねである。そもそも、もとは赤の他人なのだから。若者よもっと恋をせよ、愛に燃えて、火となり炎となれ。♪~ Oh, please 君だけに 君だけに……だから一度だけ 君の君の あたたかいハートに……タイガースのジュリーが歌ったこの曲を、好きになった相手に向って熱唱すればいいんだよ。女性はメンズエステに通っている男などは、イケマセン。今日は左足から外に出た。その先にだったり、だったりが待っている(文中敬称略)  



2023年1月29日日曜日

つれづれ雑草「どうする」

 「徳久広司」が歌う“北へ帰ろう”というのが好きだ。特に真冬に聞くといい。♪~ 北へ帰ろう 思い出抱いて 北へ帰ろう 星降る夜に 愛しき人よ 別れても 心はひとつ 離れまい……。ギターの弾き語りで歌うのを深夜に聞くと、しみじみすることこの上ない、名曲である。人は傷つき破れると北へ帰る。南に帰るでは歌謡曲にならない。北へ行けば、温かい人の体温が冷えた心を癒してくれるのだ。倉本聰の「北の国から」というドラマの名作も北海道が舞台だから成立した。雪深き大地や山野の中で耐えて春を待つ。一昨日、昨日10年に一度の寒さと、天気予報で教えられたので、10年に一度の厚着をして銀座に出た。スポーツ用のヒートテックの上にもう一枚釣りに行く時のヒートテック、ハイネックのシャツ、その上に厚手のセーター、その上にジャケット。それとマフラーにオーバーコート。スパッツの上に、厚手のズボン。山登り用の靴下であった。重くてふり返ることもままならない。そして重いテーマの話し合いが始まった。三方丸く治める役は私の仕事だが、難問はすぐに解決しない。その日の夜に“北へ帰ろう”を聞くと、北へ行きたくなる。少々の悩み苦しみの時は、南へ行くとよい。長嶋ジャイアンツがメークドラマで優勝した時、辰吉丈一郎と薬師寺保栄が世界タイトルマッチをしていた時、阪神淡路大地震があった時、オウムの事件があった時、私は「うつ」のど真ん中にあった。沖縄に有名なセラピストがいるという記事を読んで、その人を訪ねに行った。会社の同僚がついてきてくれた。やっとこ探してその人に会うと、相談を求めている人たちが、そこかしこで順番待ちをしていると言う。更に相談料は一時間で10万円だと言った。フツーの時なら、バカヤロー人の弱身につけこみやがってと怒鳴っているだろうが、うつな私は“ハカヤローメ”と思う位のチカラしかなかった。沖縄で“フォールーム”という四部屋だけのステキなホテルを経営している、友人の笑顔に会った時に心は救われた。相談料はゼロだ。アロハシャツにバミューダ姿の友人の笑顔は最高のセラピー、ハッピー、オッパッピーであった。北は帰るところで、南は行くところだ。10年に一度の猛烈な雪を見て、愚妻に秋田湯沢の縁者に電話をと言うと、“どってこっちゃない。いつものことだ”と平気であったとか、旭川の友人は“全然大丈夫フツー”とサラッという。北国の人々は強いのだった。時代劇を見ていると、関八州という言葉がでてくる。関東の事だ。武蔵、相模、上野(こうずけ)、下野(しもつけ)、上総(かずさ)、下総(しもふさ)、安房(あわ)、常陸の八州だ。これを取り締まるのが八州廻りだ。関東一円で“畜生働き”(人を殺して金品を奪う盗っ人)故池波正太郎原作の大ロングセラー「鬼平犯科帳」でそう表現している。血も涙もない人非人たちだ。義賊は人を殺したりしない。大金持ちから盗んで貧乏人に分け与える。(盗賊に違いはないが)凶状持ちという奴がいる。スネに傷を持つおたずね者だ。私は一度、遠洋漁業の船に乗る仕事があって乗船して、カメラマンにあれ撮って、あそこから撮ってとやっていたら、写真を撮るなと怒鳴られてカメラを海に投げられた。顔が出たらマズイ凶状持ちが多かったのだ。(今は分からない)マグロの遠洋などは9ヶ月近く帰って来ない。途中あちこちの港に寄港するのだとか言った。凶状持ちの中にはそこで逃亡したりする者も出るらしい。今、日本中を騒がしている、畜生働きの悪党たちに指令を出しているのは、フィリピンにいるとか、「火付盗賊改」の鬼の平蔵こと、長谷川平蔵がいればと思う。90歳の老婆を撲殺するなんて、悪党たちでさえ、あんまりにも酷いと思っているだろう。(思ってネェかな)岸田文雄政権はパペット政権である。広島出身で公家集団といわれた、ハト派の宏池会で育ち出世して、総理大臣となった。しかし戦国乱世を生き抜いた武将たちのような、戦略も戦術も持ち合わせていない。事実上の総理大臣は、官房副長官の木原誠二だ。軽く見てはいけない、人事や政策、事務方担当の官房副長官とは、霞ヶ関にいる800人ともいわれる高級官僚にとって最高の出世ポストなのだ。(殆どが東大法卒)岸田文雄はその振付で動いている。アメリカの命令をすべて飲み込んでいる。かつて日本は神の国、天皇陛下の国といわれたが、敗戦以後アメリカ陛下の国であり、その振付で動いている。パペットとは操り人形のことである。このままでは我々は、アメリカと岸田文雄、麻生太郎一派に殺される。どうする日本だ。NHKの「どうする家康」が歴代大河ドラマの視聴率ワーストワンに向っている。このままだと“ヒトケタ”になるだろう。どうする、どうする、この世はどうするの重いテーマでてんこ盛りだ。私自身どうする、どうするだらけの中にいる。「漂泊の詩人」種田山頭火の詩に、こんな一句がある。「生死の中の雪ふりしきる」豪雪に負けない、北国の人と徳久広司(作詞、作曲)が歌う「北へ帰ろう」を歌いたい。小林旭の「北帰行」も名曲だ。チクショウ負けてたまるかだ。(文中敬称略)


 


2023年1月22日日曜日

つれづれ雑草「岡山弁では」

「木曾路はすべて山の中である」こんな書き出しの本があった。今、この世はみんな値上げの中にある。又、値上げしないが内容量を減らす中にもある。昨年末12月30日東京の多摩墓地にお墓参りに行った。くしゃみと鼻水の酷い中であった。クルマを運転してくれた息子も私と同様に酷いアレルギーであった。いつも花とお線香を買う仏花店に入った。プードル犬が三匹狂ったように吠えかかる。でも短い尾っぽをブルブルふっているのはお客が来たぞとよろこんでいたのかも知れない。私は一年に三度は必ずお墓に参る。お彼岸に一度、十一月の命日(父と母二人共十一月没)、そして一年の終り(長兄が入って三人となった)だ。お花とお線香を買う。プードルが吠える。店の女主人(五十歳位)は、西部劇の二丁拳銃のように、革のベルトにごっついハサミ入れを装着している。とにかくこの女主人の声は高くて大きい。いつもそんなにでかい声でなくても聞こえるよと言うのだが、犬の吠える声に負けないために声が大きくなってしまったのかと思う。お線香を四つ頼むと、アレッずい分と細く短くなっている。なんだか小さくなってないと言うと、判りました、実は長さを3センチ短くして、本数も少しだけ減らしたんですよと言った。アッそうなの実質値上げだね、花もワンセット1980円になっているから半年で180円値上げだねと言った。犬は吠えつづけ、女主人は声高にすいません、すいませんを連発する。バケツに水を入れ、ホウキを一本借りる。これは無料のままでいいのと、くしゃみしながら言う。もちろんタダです、タダですよと笑って言う。時々行く東京のとんかつ屋さんで、ノンアルコールビールを頼む。以前は小皿にいっぱいのグリンピースがおつまみで出たのだが、今は小さなしょうゆ皿に10粒ほどであった。黄色く着色されたたくあんが好きで以前はとんかつに五枚ついてきたが、三枚になっている。ポテトチップスは中身がかなり減り、(私はあまり食べない)亀田製菓の柿の種からピーナツの数が減ったと息子や孫たちが言う。なんだか悲しいほどセコイ世の中になっている。あれもこれも、あそこもここも、値上げ値上げに対抗策を練っている。新聞の定期購読者が急速に減っていると公表された。(日本新聞協会)5年連続200万部超減。1000万部を豪語していた読売は657万部、朝日が390万部、毎日184万部、日経164万部、産経98万部であった。全盛期のおよそ半分になっている。実際は押し紙(販売店への押し売り)があるのでこの8掛けか7掛けだとか。インターネットの台頭で新聞を読むのは老人で、若者は読まない。一月元旦新聞を広げどんな広告が出ているかを楽しみにめくる。かつて正月の広告は、私たち広告屋にとって腕の見せ所であった。五月六月頃に各メーカーの宣伝部から代理店が招集され、あのライバル会社よりいい広告を作ってほしい、で数社のコンペで決めたい。なんてオリエンがある。代理店さんから必ず勝ってくれと仕事を受ける。できることなら、広告賞を獲りたいといわれる。これに勝ち、約束通り広告賞を獲ると、その後、業界で生き残って行くためのチカラとなった。しかしここ数年、すっかり正月の新聞広告は見るべき作品がなくなった。不作つづきというか、各メーカーが新聞広告への制作予算を減らし、とりあえず出しておけばの付き合い広告ばかりとなった。SNSの時代となり、広告屋は、活躍の場をどんどんと無くした。そんな中で一社だけ気合いの入っている会社がある。一月五日今年もやっぱりやってくれた。それは「宝島社」という出版社の見開き30段というメッセージ広告だ。唯一無二の存在感だ。毎年、目を覚ましてくれる。ハイヒールを履いた“中尾ミエ”さんが怪し気なポーズをしているメインビジュアルがドーンと全面にあった。3500万人いると言われる団塊の世代に、ずっとヒール(悪役)であってくれと訴求する。ハイヒールとヒールが見事に共鳴している。どでかいキャッチフレーズの下のボディコピーは、セコイ、チンマイ、コロナでシボンでしまった世の中で、もう一度バブリーになれよと訴えているようだった。3500万人がもっと金を使えば世の中のためになるぜよと。中尾ミエさんのファッションは、バブル全盛期の姿であった。世の中減っているものばかりの中で、増えている事がある。それは通り魔的殺人、ネットで仲間を集めた強盗殺人。ネットで知り合った男と女の殺人事件。老人や女性を狙った情容赦のない殺人事件、ストーカー殺人などだ。私たちは殺意と殺意の中でからくも生きている。あした殺されるかも知れないし、あした殺人犯になっているかも知れない。13歳の少女が親を殺す時代だ。故松本清張原作で5歳の子に殺意はあるかをテーマにした映画があった。夫を亡くした女性に5歳の男の子がいた。ある日バスの中で同窓生だった男と偶然一緒になる。そして二人は接近し、男はオモチャを持ったりして、未亡人の友人宅に通いはじめる。5歳の男の子はある物を手に持って、男と女の動物的行為を感じている。(ストーリーの記憶は定かではない)映画では男役が加藤剛、女役は岩下志麻であった。題名は確か「影の車」だったと思う。ある賢者は教える。“犬には肉を与えるな、狼になるから、人には力を与えるな、獣になるから”と。今、5歳の子でもスマホを使いこなしている。きっと見てはイケナイ映像も見ている。私の生地、岡山弁ではこうゆうことを、“ボッコーキョーテイ”という。どえらく恐ろしいということである。(文中敬称略)


 


2023年1月14日土曜日

つれづれ雑草「オワリノ、ハジマリ」

2023年1月4日午前三時十八分二十七秒、400字のリングのゴングを鳴らす。昨年1230日「日本レコード大賞」を受賞したのが「SEKAI NO OWARI」という4人のグループ(女性一人)であった。受賞曲は“Habit”という曲である。 君たちったら何でもかんでも 分類、区別、ジャンル分けしたがる……持ってるヤツとモテないやつとか……自分で自分を分類するなよ 壊して見せろよ……終わりじゃないと信じたいけど……。若者たちは歌い踊る。自分はみんなオリジナルなんだよと。一年の終りがセカイノオワリか、コロナでうんざりだらけの時代を象徴しているではないかと思った。その時、私はダンボール箱に入っている、古いアルバムとか本、古い置物などを整理していた。一年に一度もそーゆーことをしないのだが、諸事情があって、狭い部屋の中にダンボール箱がたくさんあった。心を鬼にして捨てましょうと言われたが、50年近い仕事仲間との思い出の品は捨てられなかった。心を仏にして家に送ってもらっていた。小さなテレビをつけていたが見るべきものがない。私はある年酷いアレルギー性鼻炎になって、検査したところ、(一)ハウスダスト、(二)ブタクサ、(三)何かの花(特定できない)であった。マスクをせずに箱の中から物を出していたら、鼻の中がムズムズしてきて、ファックションとクシャミ一発! それからはもうクシャミ、鼻水の終りなき攻撃にあった。そんな中で見るべきものがないから、YouTubeで音楽でもとなった。安全地帯の玉置浩二とポルノグラフィティの岡野昭仁がNHKの番組でサウダージを合唱したのを見た。 私は私と はぐれる訳にはいかないから いつかまた逢いましょう その日までサヨナラ恋心よぉ~!。これは何度見ても聴いてもスバラシイ。プロとプロの対決だ。ちなみに演歌以外で、プロが選ぶスゴイ歌手は、男では玉置浩二、女性では中森明菜とか。私も同感であるが、それぞれみんないい。みんな個性があっていい。若いってことはいいなと、エレファントカシマシの宮本浩次とかNovelbright、竹原ピストルなどを見て聴く、鼻水をたらし、クシャミを連発して。次の朝起きたら声が出ない。口の中がカラカラに乾いている。アレなんだこりゃとなった。クシャミと鼻水でどんづまりになって、口を開けて眠ったからだ。で、31日から今日まで完全になってはいない。ガラガラ声なので、コロナと間違われてしまう。かかりつけの先生が正月休みを終り開院した日、手紙を書いて愚妻に持っていってもらった。自分で行くと患者さんたちにコロナと思われるからだ。点鼻薬と一週間分の薬を処方してもらった。さすがにスバラシイ、症状はミルミル改善した。今は少しグズグズしているだけだ。私のお世話になっている四十代の人たちが次々コロナに感染している。いきなり症状が悪化するらしい。ノドが痛くて水も飲めない、肺に影がある、熱が止まらない食欲もないと、やっとこさっとこの声で電話をくれた。政府からの圧力でコロナの感染情報は怪しいものとなっている。ウイルスvsニンゲンとの闘いはまだまだ続く。セカイノオワリになるかも知れない。サウダーヂという映画があった。山梨県の工事現場で働く外国人労働者たちを扱った秀作であった。帰りたくても帰れない外国人労働者は、必死に働いて仕送りする。その姿に心打たれた。ユニクロという私の大嫌いなブランド(パンツだけ買ってやる、ヨゴシてやるから)が、大幅に給料を上げるとトップニュースになっている。バカヤロー途上の国の人たちに、安い賃金で作らせた品を安い価格で売ってシコタマ儲けて、高額所得者番付十位の中に創業者の柳井一族が三人も入っている。そんなに給料上げられるなら、まずは商品の値上げをするなと言いたい。貧しい人々にもっと寄附しろと言いたい。上げたくても上げられない、我々中小零細企業にとって、大迷惑な話である。とことん安い値段にしてからの話だろう。愚かな国会議員たちに一人一億円近い維持費がかかっている。しかし者共はどこまでもセコイ。現在この国は幕末のように、アメリカの武器弾薬在庫一掃セールの市場となっている。教科書から坂本龍馬の名が消えたのは、武器商人であったからだろう。アメリカ、イギリス、フランス、プロイセン、スペイン、これらの国は幕府へ、薩摩や長州をはじめ各藩へ武器を売りまくった。どっちが勝っても、負けても損はしないというシタタカさで。国の将来を見すえている人物がいないのが今の日本である。 日本人は日本人からはぐれる訳にはいかないから どうしたらいいの 来い心よォ~。なんて気分だ。汝、中庸たれと言う教えがある。かつてファジー(曖昧)という言葉が流行った。ヒトは一人ひとり個性がある。区別、分類なんてできない。“Habitもそれぞれだから、又、ファジーな時代になる始まりを、SEKAI NO OWARI“セカイノオワリが歌っている、そんな気がしている。ファックション、ヤバイ誰かが私の噂話をしているようだ。それにしてもテレビはどーしたんだと言いたい。NHKの大河ドラマ「どうする家康」は、歴代ワースト2位のスタートであった。もうハッチャメチャな第一話であった。どうするNHK! そのNHKをぶっ壊すを公約にしているNHK党の議員、ガーシーこと東谷義和議員が、フケている(逃げている)ドバイから帰国して、任意聴取を受けるとか。どうするアノヒト、コノヒト。オワリノ、ハジマリになるだろう。(文中敬称略)



2022年12月24日土曜日

つれづれ雑草「ベラボーな話」

勝者には何もやるな、もう勝利を手にしているのだからと、アーネスト・ヘミングウェイは書き残した。勝負の世界ではよくやったと言われる敗者になるなと言う。サッカーのW杯全試合を見てつくづくそう思った。毎朝四時キックオフ、延長PK戦になると六時半位まで死闘を見ることになる。わずか1ミリの運に味方された国、わずか1ミリの不運に泣かされた国、サッカーは貧しき民たちから始まった。ある物知りによると、かつて海賊国家だったイギリス人が、奴隷として捕獲して来た人々を、もう使えないと処刑した時、その首を落とした。そして布袋や皮袋に生首を入れて、足で蹴りつづけたのが始まりだったんだと(諸説あり)。サッカーにはそんな血の塊りになったことへの復讐がある。試合ではなく戦争に例えられるスポーツは、サッカーだけである。民族と民族、宗教と宗教、支配していた国と支配されていた国との凄絶な戦争なのだ。イギリス、フランス、スペイン、オランダなどが、南米大陸に奴隷船の船底で櫓を引かして南米に渡りサッカーは南米に根付いた。命果て労働力として役に立たなくなった者たちは、生首が布袋、皮袋入りとなった。南米の子たちは道に落ちている石ころや、丸い木をボールに見たてて遊んだ。そんな中で、欧州のエリート選手をやっつける英雄を生んだ。ブラジルのペレアルゼンチンのマラドーナである。そして遂にその二人の英雄を超えた選手がでた。身長167センチとも言われる、リオネル・メッシだ。神の子といわれていたが、遂に「神」になった。ブエノスアイレスの人口の倍以上(500万人)の大群衆が、伝説の神と、その仲間たちを祝福した。本当のブラボーとはこれなんだと思った。一点差で負けたフランスは、怪物のような二十四歳の若者が、一人で全得点(ハットトリック)を叩き込んで、歴史に残る一戦で光り輝いた。九万人近い大観衆は、メッシ、メッシを連呼しつづけた。あらゆる重圧の中で神の子メッシは、神業を見せつづけ世界を歓喜させた。日本はどうかといえば、予選リーグで強豪ドイツとスペインを破った。1ミリの好運に恵まれた。その時長友佑都という選手が、インタビューのマイクに向ってブラボー、ブラボーと絶叫した。私はその時、こりゃダメだと思った。やはり決勝リーグで負けて、早々と帰国した選手たちは、な、なんとベスト16の成績なのに、首相官邸に呼ばれ、ブラボーと叫んだ。ブラボーじゃない、ベラボーだと私は怒った。この国はよく戦った敗者を称える。神風特攻隊のように。私たちの世界では一つの仕事を得るために、プレゼンテーションという大会がある。数社だけの時や二十社近い大プレゼンもある。大きなものは何ヶ月もかけて、あらゆることを徹底的にやる。説明時間は決められている。徹夜、徹夜をつづけ仮眠し、又、徹夜となる。ボー大な労力と経費がかかる。で、発表の日残念ながら二位でした。とてもよかったですよと言ってもらいました、などとなぐさめられても、敗ければすべては紙くず、粗大ゴミだ。二位でブラボーなんて言ったら追放される。新しい景色を見たいなどと情緒的な言葉を口から出しているかぎり、日本のサッカーは現状のままだろう。戦争を始めるのはたやすいが、退却はむずかしいという。退き口(のきぐち)という言葉がある。その一戦は敗けても、勝利した国に、次は相手にしたくない、とんでもない強さだったと言わせるのが、最高の退き口だ。来年のNHKの大河ドラマは徳川家康が主役。関ヶ原の合戦の時、敗軍の島津藩の一軍が、家康を目指して猛進して来た。有名な島津の退き口だ。小心の家康は肝を冷やした。島津恐るべしと大きなトラウマとなり、減封しなかった。明治維新は関ヶ原で負けた藩によって成された。島津藩、毛利藩、土佐藩、佐賀藩。いわゆる薩長土肥である。私の人生もいよいよ退き口をどうするかになった。かつてない、悩み苦しみの一年であった。黄金のトロフィーにキスをするメッシ選手に大きなヒントをもらった。涙が流れて止まらなかった。私にはもう行き場は一つしかない。第一の仕事がパーティ券売りのような、愚かな政治家たちによって、この国は再軍備の国となる。増税、増税で財務省は、ブラボー、ブラボーとなっている。目を覚ませ国の民たちよ。少しばかりの年金をもらって、一日一日今日は何をするかと考えるような、生産性のない人生の敗残者になりたくない。白い灰になるまで戦いつづける。あしたのジョーのように。今年の400字のリングは終る。錆びたナイフでも時代は斬れる。老害麻生太郎がワンポイントでも、総理大臣になりたいと真剣に考えているらしい。読売新聞の老害渡邉恒雄が生々しく政治に口を出している。二人があの世に旅立つのを、初夢の前に見ている。害虫は駆除されるだろう。ゴキブリホイホイとか、ルーチョンキことキンチョールによって。みなさん良い一年は期待できませんが、国を正すのは清き一票の力である。国家のベラボーな動きにしっかり関心を持って行動してください。英米人はこの国を独立国として認めていない。生首としてサッカーのボール代わりなのだ。故安倍晋三の死がそれを物語っている。未だに何も調査機関がない。ケネディ暗殺は今でも調査委員会がある。うさぎは何で亀に負けたか、それを考えよう。何故この国はサイテーの国になってしまったのか。私は世界と勝負する。
(文中敬称略)  




2022年12月10日土曜日

つれづれ雑草 本日、休筆です

 本日、諸事情により休筆致します。近々、本年最後の「400字のリング」のゴングを鳴らします。

2022年12月3日土曜日

つれづれ雑草「クジラの竜田揚げ」

私は現在サッカーW杯を見るために、ずーっと眠らないような生活をつづけていて、脳内及び内臓各位、全身体がバランバランの不調和になっており正常を失っております。アベマTVとかNHK、大嫌いなフジTVまで見ております。おそらく四年後はこの世とオサラバしているので一試合でも多く見まくっています。日本は強豪ドイツとか、スペインを撃破して、ブラボー、ブラボーと叫んでいますが、これは日本が少しばかり強くなったこともありますが、強豪といわれていた国々が弱くなっているんです。日本人の悪いクセで相手国の実績にビビってしまうのですが、その相手国が世代交代で、ヒジョーに弱い国になっているのです。でもって、モロッコとか日本が予選を第一位で通過したのです。でもって番狂わせが多く発生しているのです。でもって私は早朝4時キックオフを見るのです。そのまま起きていて東京へ出て行くと、もう危険人物になっています。デンジャラスゾーンを突き抜けています。でもって極力人と会わない、人混みに行かないようにしています。だからと言って日本を応援しているのではありません。私はこの国は栄光を手にしてはいけないと思っているからです。あ~惜しい、チクショウ、あと一歩だのほうがいいです。岡田武史という大馬鹿の代表監督が、日本のサッカーを世界へと貢献した、「三浦知良」選手を、ただ嫌いだからと代表選手に選ばなかった。これはプロ野球でいえば、長嶋茂雄や王貞治選手を代表に選ばないのも同罪です。重大な罪です。それ故、私はサッカーW杯は三浦知良選手が、代表監督になった時、世界の強豪を撃破して優勝してほしいと願うのです。日本は強国ドイツ、スペイン戦で逆転しましたが、これは二度の奇跡、選手全体は技術力、走力、正確性に於いて、三、四人以外は世界レベルではありません。個人の力です。又、世界のサッカー界が世代交代の時期にあります。日本の選手は世界に出てスキルアップしています。つまりは今回のW杯はスキルダウンしている、かつてのスターと、スキルアップしている若手との戦いとなっているんです。あっとオドロクタメゴローみたいな番狂わせは次々に発生する。スーパースターはただ一人アルゼンチンの「メッシ、神の子」だけ。そのメッシも引退間近の年代となっている。大好きなクロアチア「モドリッチ」も37歳。今度は日本vsクロアチア、私は一生懸命モドリッチを応援する。犬には肉を与えるな、猿に戻ってしまうから”“人間には力を与えるな、獣物になってしまうからという。サッカーW杯の影で、日本の戦費を拡大させ、再び戦争へと動いている。又、あらゆる増税をすすめている。又、老人イジメの保険などの減額もすすめています。日本という国に過ぎる栄光を与えると、不幸の始まりです。頑張っている選手には準優勝か第3位がいいんです。それが次への向上心を生むからです。ブラボー! ブラボー! とモンキーみたいな選手が叫んでいますが、スポーツマンシップを失っています。全世界にリーダーなく不安定な時代をサッカーW杯が象徴している。王国ブラジルもカメルーンに一発で負けた。リーダー不在だったからだ。ドイツ、ベルギーも同じだ。そしてこの日本国のリーダーは、今や宴会部長といわれて、あちらこちらの座敷に、老実力者たちを会食に招きヨイショして回っている。W杯が終り気がつけば大増税、再軍備だ。それにしても政治家とは、なんてお金にセコイのだろうか。一人二万円のパーティ券のご案内がいくつも届いている。「義」なき政治家、「道」を知らない政治家たちとは、もう、オサラバ、サラバだ。昨日深夜赤坂の地下にて、打ち合わせした人と食事をした。クジラの竜田揚げがうまかった。少年時代の給食を思い出した。タクシーの料金が30%近く値上りしていた。これからは徒歩、トホトホと徒歩だ。東海道五十三次。(文中敬称略)



2022年11月26日土曜日

つれづれ雑草「達人に感謝」

突然テレビの画面が黒一面となった。プチンという音と共に。16年前壁にへばりつけたナショナルのビエラが寿命を迎えたのだ。フランスvs日本のラグビーの試合を見ていた。いよいよあと2日後サッカーW杯が始まるというのに。深夜一時頃黒い画面を見ながら私は失意のどん底気分になりながら、手にしたリモコンの電源を押し続けた。ナショナルのテレビは生産していないことは知っていた。明るいナショナル、みんなのナショナルは、かつての家電メーカーではない。私からテレビを取るということは、キリスト教徒から聖書を取り上げるのに等しい。何故なら信仰する映画が見れなくなる。映画は私にとって不眠の友であり、夜と朝の間の愛人でもある。濃密な関係なのだ。近所の電気屋さんで買ったのだがご主人が亡くなり、息子さんが後を継いで修理専門になっている。店頭販売はしていない。映画のない長い長い時間、仕方なく本屋大賞受賞作の時代小説を読み始めたが、これが大外れ、書き出しの二行を読んでこりゃ外れだなと思った。友人に頼んでアマゾンで買って置いた一冊だった。案の定時代小説の定番物語である。藩内の権力闘争であった。やっと50ページ位読んでやめた。こういう時は「北原白秋」の詩集を読むと乱れた心は安定する。日本語の神様である。この神様は道を外した恋愛を行っているので人間的である。そうこうしている内に朝刊が来た。未だ暗い、かなり寒い。朝刊をインスタントコーヒーを飲みながら読む。嫌な見出しばかりだ。新聞といえば朝日新聞の部数が400万部を切ったとか。日本の政治家に人物がいなくなったように、アメリカもいなくなっている。防衛費を膨大にしてその財源を国民一人ひとりの税金にと企んでいる。まるで再軍備だ。いずれ戦争に参戦する日が来るだろう。歴史は繰り返すという。それにしてもテレビがついてないのは心細く時間が経つのが遅い。朝七時半頃愚妻が降りて来たのでテレビがブッ壊れたよと言った。あっそう長く使っていたもんねえ、テレビを一日中つけてるからよと言った。電気屋さんの電話番号を調べてくれよと言った。スマホが少し使える。朝九時半頃電話する。もしもし○╳の○╳だけど買ったテレビが壊れたんだと言ったら、わずか2分位で息子さんが、あ~ビエラですね、16年前に取りつけましたが、もう生産していない、部品がないのでスミマセンと言われた。ケイズ電気よ、ケイズ電気と愚妻は言う。なんだよそれはと聞けば、辻堂駅の北口にある大型の電気屋さんであった。私はそういう所は大嫌いなので行った事がない。私の体をメンテナンスしてくれる平塚の達人はメカに強いので電話するとダメだと思いますよと言った。ヤバイW杯が見れないではないか。息子に電話すると、よく持ったんじゃないとつれない返事。オ~イ、ケイズ電気に行くぞどこだそこは。先日使うだびむせび泣いていた洗濯機が壊れて、やたら小さい洗濯機を買って来ていた。どこの国の製品だか分かんないけど、もうこれでいいのよと言った。ケイズ電気に行けば安いのがたくさんあるわと言った。夫婦で買い物なんていうことは記憶にない。人の群れが苦手なのだ。ずっと昔中国の万里の長城に行った時、中国人の群れに吸収されて、圧迫死されそうになった経験がある。で、ケイズ電気は恐ろしく広いのだが、お客さんがいない、ガランガランである。聞けば出店は成功でないとか。ケイズ電気通が言った。持って帰れる小さいのにすると決めていたので、テレビを売っているコーナーで小さくて安いのに即決定。私の買い物は5分位で決める。どこの国のテレビだが分からない。平塚の達人はメーカーは別々でも、中は殆ど中国製ですよと言った。店員さんの若い男はとても親切、これにしたいけどと言ったら、在庫があるか調べて来ますと言った。15分ほどしたらありましたと言って四角い箱を持って来た。やったぁ~である。小さいから軽い、若い女性店員が親切に対応してくれた。ウェットティッシュのおみやげをもらった。さぁ~買って帰ったはいいが、どうやって配線をつなぐのか、大騒ぎの始まりであった。そしてやはりここで平塚の達人へお願いとなった。わざわざ来てくれた。鍼灸の達人はメカの達人でもある。悪いな、悪いね、悪いわね、と言いつつ達人を見つづける。所要時間約30分、オッ、オオオ、テレビがバッチリ映像を見せたのだ。スゴイね、スゴイヨ、スゴイワネと興奮した。それにしても私は使えない人間なのである。達人にたくさん御礼をしたかったのだが手持ちがなかった。いずれ盛大に御礼をする。「聖なる証」という宗教画のような映画を見た。十代の少女は九歳の時に処女を失った。その相手は少し年上の兄であった。そして二人は結婚した。そう告白する少女は、数ヶ月食物を口にしていないが生きている。一人の女性がこの不思議な少女に食事をさせて、すべてを記録して報告をするようにと仕事を与えられる。さて少女は……。ケイズ電気とは、K'sデンキであった。夫婦で電化製品を買うなどという、恥ずかしいことをした私は罪悪感を重く感じているのだ。




2022年11月19日土曜日

つれづれ雑草「忘れ茄子」

十一月十五日京都御所のところ午後二時頃、空は薄青く、時に薄灰色であり、風がはんなりと動いていた。私は友人のウェブデザイナーとそこに居た。東京発十時二十分新大阪行に乗って日帰りでやって来た。目的は御所の側にある「虎屋 京都ギャラリー」長いお付き合いをさせていただいている、大尊敬する画家にして名随筆家「麻生哲郎」先生の「京都洋館さんぽ/麻生哲郎スケッチ展」を観るためである。このギャラリーは虎屋社長に選ばれし者にしか展示されない。いわゆる画廊は画家の絵を展示して販売する。販売価格の40%か50%を画家と取り決めて経営する。又は、新人や絵を描くグループの個展やグループ展としてそのスペースを提供して、一日ん万円を得る。麻生さんは先年、独特の水彩画法(絵に直線がない)で鮮やかに京都の街並やお舞妓はんを描いて虎屋ギャラリーで人気を博した。今回は、京都のあちこちに残るレトロな洋館16館をモノクローム(白黒)でスケッチした作品だ。建築物は直線でできているが、麻生さんの絵には直線はない。どの作品もゆらゆらとした線によって描かれている。十二月四日が最終日、一人でも多くの方に観てほしいと思う。ギャラリーの横には、美しい庭園を見ながら虎屋名物の和菓子とお茶が楽しめる。女性客でいっぱいだった。友人と共に一服をして遅い昼食をする。御所の側の店で忘れ茄子と鶏もつ煮込みうどんを食す。女性店員の人に、忘れ茄子って何と聞けば、京茄子を煮ていてそれを忘れ、京茄子がクタクタになるまで煮てしまった。シマッタと思ったが味がすこぶるよく忘れ茄子となったとか。さすがに京都であった。京都に行ったら第一旭のラーメンであるが、友人と行くとちゃんと数えて36名並んでいた。二時間近くかかると言うので、ラーメンはうどんとなった。大教養人の麻生さんは、山形県鶴岡市出身である。大きな養蚕場のあとをギャラリーにしているところで個展をした時、亡き大親友と二人で行った。鶴岡出身の作家故藤沢周平が執筆活動をした、旅館九兵衛に泊った。小さいが実にいいところだった。藤沢周平の書斎になっていた部屋が丁度空いていたので、その部屋に泊った。料理もよく私的には星五つである。下級武士の悲憤とか、市井の民を書き続けた作品は、池波正太郎と人気を二分する。それにしても日本の政治はガタガタのボロボロ、私の体みたいに不治の状態となっている。私は気合いだ、根性だと、一番搾りでなく、最終番搾りで競輪の最後の直線で行なうもがきをやっている。力をふりしぼるのである。人間には10%位火事場の馬鹿力がセットされていると科学者は言う。その馬鹿力を期待して若い人間を世に残すのだ。虎は死して皮を残す。私は死して人を残す。これが不良を尽くして来た私の罪滅ぼしだ。実を取らず、名を取るのだ。世界の政治家もすっかりチンマリしている。若い人間を育てて来なかったからだ。G20サミット中国の習近平が総番長の貫禄であった。悲しいかな岸田文雄は、庶務課長みたいであった。アメリカはスター誕生を起こすだろう。バイデンvsトランプだと、二人合わせて160歳近くになる。養老院政治だ。例えばオバマの妻が出たら大スターとなるだろう。左党といえば、呑兵衛のことだが、近頃サ党というサウナ愛好家が増えている。幻冬舎の見城徹は大のサウナ派で、365日外食というだけあって、醜悪なブヨブヨの裸体で画面に出て、およそ教養人とは思えないつまんない自慢話を発信している。金満家のその姿は見るに耐えない。残念ながら日本の出版社で黒字を出しているのは数少ない。幻冬舎はその中の一つだ。知人が本を出したいと、岩手から上京してご夫婦で幻冬舎に行ったら、ん百万はかかると言われてやめた。自分史を出したいなどと思っている人はご注意を。どこの出版社も同じだから。街から本屋さんが消えて行く。つまりこの国は無教養国家になって行く。先日ある新聞の書評を読んで時代物の一冊をアマゾンで送ってもらったら、素人の作文に毛が生えた位のものであった。つまんないのなんの怒る言葉もない。読み終ってブン投げた。時代小説界10年に一人の登場と書いてあったが、“10年早いよであった。嘘もやりようである。中井貴一主演の「嘘八百」は、なんでも鑑定団のパロディで面白い。二流の映画に徹している。世の中は嘘八百なのだ。あともう一本「決算忠臣蔵」というのも面白い。仇討ちも金次第なのだ。コロナの第8波は来年の一月中旬がピークとか。嘘か真実か。もういい加減にしてくれなのだが、ウイルスも生き残りに執念を持っているようだ。(文中敬称略)




2022年11月12日土曜日

つれづれ雑草「エビフライのアタマとオッポ」

暗闇の空から一人のロックンローラーが降りて来た時、ベルリンの壁は若者たちの打ち下ろすハンマーによって崩壊して行った。ロックンローラーの名は、「デヴィッド・ボウイ」であった。ソ連邦がゴルバチョフによって崩壊して行く時、一人のロックンローラーが国民の心を掴み熱狂を呼んだ。「ヴィクトル・ツォイ」という若者だった。アメリカが泥沼のベトナム戦争をしている時、戦場で戦士たちに向って、こんな戦争をいつまでするんだろうと歌った若者がいた。フォークロックの「ボブ・ディラン」だ。若者たちが求めたのは、解放であり、自由であり、戦争のむなしさであった。時代を動かして来たのはいつの世も若者であった。この国の若者も、封建体制を崩壊させ明治維新を生んだ。火炎瓶と石の塊とゲバ棒を持った数十万の若者が全国で反戦運動をし、大学教育の旧体質打破に向って行動した。それは純粋であり、不純でもあり、幼稚でもあった。がその行動が国を変え、大学を変え、国民に問題提起の一石を投じたことは確かだ。国家に利用され暴力に走ったセクトの若者たちは、総括という悲惨な結末に終った。彼等にはロックンロールがなかった。つまりメッセージがなかった。ソ連邦崩壊の時、「ツォイ」は僕たちは自由がほしいんだと歌った。自由なんてと日本人は思うだろうが、今の日本は自由ではない。不自由国家である。報道の自由度は先進国の中で下位に位置する。つまり体は自由だが、頭の中が不自由なのだ。思考回路が止まっている、救い難き政治家たちに言葉を失う。先日PARCOの文化部長だった方と昼食を共にした。中国で活躍しているすばらしい監督&写真家の人と一緒であった。元文化部長は私に紹介したかったと言ってくれたが、私ごとき者には身に余る天才だった。中国で興行収入300億位の大ヒット映画を作ったが、本人は厳しい検閲の中での作品で満足はしていなかった。中国には自由がないと言った。日本の映画界で作品を作りたいと言った。日本で映画制作の会社をやっている中国人の三十五・六歳の人が、すばらしい日本語で通訳をしてくれた。天才は小柄で寡黙だが全身から殺気を感じた。命がけなのだ。中国人から見ると、この国は自由に見えるのだと思った。値上げ、値上げでどうしようもない。税金、税金で頭に血が上る。大企業は最高益でしこたま金を貯め込む。アメリカのガラクタ兵器をゴッソリ買わされる。台湾防衛は俺たちに変ってしっかりやれよと、国防予算はガッポリだ。ある番組でこんなホホエマシイのを見た。八十五・六の老人夫婦が語る。値上げ、値上げでやってられないよ。だから風呂は二人で入るっちゃ。この間カアチャンとお風呂の中でキスしただガヨオ、オラの入れ歯が外れちまって風呂の中に沈んだわさ。ギャハッハッハッ。いいですねこんな話は。昨夜「善き生徒たち」というイタリア映画を見た。実話だ。カソリック系の学校の四人の学生が、二人の女子学生を監禁し、レイプをつづけ、スマホで写真を撮る。四人の学生の二人は今も刑に服し、一人は死亡し、一人は今も逃亡犯として国際手配されている。年頃の少子学生を持つ親の人にはぜひ見てほしい映画だ。SNSの時代は思いもよらぬ人間同士が出会い、信じられないような事件が次々と起きるのだ。私が住む家から自転車で10分位のところに、日本一のとんかつ屋さんといわれている店がある。ご主人の名が大関さんで店の名を「大関」という。間違いなく日本一だ。先日昼に行くと老婆が三人で食事をしていた。私は隣りに座った。おばあちゃんたちは八十代だろうか。体はちぢんでいるが、胃袋はふくらんでいる。食欲はすごい。一人はロースカツ定食、一人はミックスフライ定食、一人はエビフライ定食であった。キャベツ千切りが山のようについている。プラスとん汁も。私はガッツリと食べる老婆を見ていてやはり女性にはかなわないと思った。三人共きれいに食べ終えた。エビフライの人がアタマとオッポを食べ残すと、一人があなたもったいない、エビはそこがおいしいのよ、私が食べるわとバリボリと音高く食べた。とその時456歳の男が現われた。終ったの、まぁ~きれいに食べるねと苦笑しながら言った。クルマで迎えに来たのだ。私は食べている動きを止めた。私も同じことを言われたのを思い出した。そうです、私も老人なので気をつけないとマズイのです。とんかつ屋さんに行ったら、ひたすら昆虫のようにキャベツだけ食べるのです。「大関」は湘南工科大学の前にあります。いつも白い服を着たご主人は、タウン紙にエッセイなどを書くと私にそっと渡してくれます。長い付き合いなので仲良しなんです。