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2023年6月24日土曜日

つれづれ雑草「九州出張、その(二)」

佐賀県鹿島は、私が大変お世話になった電鉄系大手代理店の役員だった二人の生まれた故郷だ。一人は残念ながら六十代そこそこでこの世を去ってしまった。もう一人は今も健在でずっと家族付き合いをしている。すでに七十代40年以上の仲だ。佐賀県は現在人口70万余である。龍造寺家 vs 鍋島家の内紛は歴史に名高い。騒動は鍋島が勝ち戦国時代の歴史の中で最強といわれた肥前鍋島藩となる。幕末は「薩長土肥」が手を組んで江戸幕府を倒したが、肥前佐賀は鹿児島の薩摩藩より強いといわれた。歴史家の共通見解だ。何故かといえば、鍋島藩は海外からのあらゆる知識を他より先んじて学んだ。戦争での戦略、戦術、用兵術、中でも砲術が抜きんでていた。鍋島藩は学問に投資して、専門的な人材をいち早く育てた。薩摩の西郷隆盛や大久保利通は、軍事にすぐれていたが、もっとすぐれていたのは、政治力だった。佐賀県は正義感が強いが、少々気が短い、いわゆるプッツンしやすいのだ。私はそこが好きなのだ。明治の元勲の中でいちばん頭が切れるといわれたのは、“大久保利通”だが、実は佐賀の江藤新平(初代司法卿)の方が凄い。大久保はその存在を恐れ、プッツンさせるべき手を打った。佐賀の乱である。この乱がやがて西南戦争への引き金となる。乱に敗れた江藤新平は逃げて鹿児島の西郷を頼ったが、政治家西郷は江藤新平を受け入れなかった。やがて江藤新平は捕えられ首を落とされた。私の友人はフツーに大人しいのだが、乗ったタクシーの運転手さんが道を間違えると、“何やってんだよ、道が違うよ、と突然怒る”ゴルフを一緒にやっていて、崖の下に落ちた球を打ち上げるべえと強い素振りをすると、崖の上から見ていて、空振り、空振りと声を発する。素振りだよというが許されない。実のところは空振りであった。短気な人ほど魚釣りが好きだというが、その通りで釣りの名人でもあり、海でも川でも釣果を上げた。私は短気だが釣り下手であった。マメマメしく仕掛を替えたり、餌をとりかえなかった。さて、佐賀県鹿島出身にもう一人大切な人がいる。私の体のメンテナンスを毎週土曜日に来てくれる、鍼灸の達人だ。この先生の実家が焼肉の“食道園”であった。紫色のヘアースタイルを教えてくれていた。この先生も人一倍正義感が強く、曲がったことが大嫌い、そしてプッツンする。そして先生も釣りの名人でもある。海、川いずれも凄い。私の誕生日に海岸からの投げ釣りの道具一式をプレゼントしてくれた。しかし未だに一匹も釣れてない。私のペンネームは“島以佐機”である。茅ヶ崎に引越して初めて投げ釣りした時、奇跡的に釣れたのが、“シマイサキ”であった。家に持ち帰り塩焼きで食べ一杯飲んだ味は最高、気分は抜群だった。以来シマイサキなどは釣れない。九州出張の初日の宿泊先は大牟田の友人宅であった。二日目は鹿島のビジネスホテル。夜七時から観光協会の会長さんと食道園で会食打ち合わせとなっていた。平塚の達人には決して私が行くことを告げてはダメだよと言った。予約は相棒の名でとった。達人には映画に出演してもらったことがあり、私の名前は知れている。もし私と分かったら、勘定はいいですとか、支払いに手ごころをさせてしまうかもと思った。さて、七時頃入店となり名刺を交換して話を始めた。佐賀は和牛の旨い地である。ご主人の女性が肉をコンロにのせてくれる。話は弾む。観光協会会長は、“ガタリンピック”(有明海の干潟でのスポーツ)の生みの親であった。いよいよ友人の熱弁は盛んになり、しきりに私の名が出るようになった。と、ご主人の女性が隣りに来て私の腕をつかみ、もしかしてと私の名を言った。達人から三人のお孫さんの写真を預って来ていた。相棒に勘定をキチンとしたらと打ち合わせしておいた。肉は格別に旨い。値段は東京よりぐんと安い。でも遅い昼食だったせいか三人共多くが食べれなかった。鹿島出身に衆議院議員の方がいて少しお付き合いがある。(政界のボスの側近)その先生の秘書が、偶然私の会社にいた男の妹さんであった。議員会館に行った時、あいさつされてビックリした。先生は東大法学部卒、大臣の時にしつこい地方紙記者の質問に、佐賀県人らしくプッツンして辞任した。さて、勘定はちゃんと済みましたとなり、実はと言ってお孫さんたちの写真を渡すとそれを見てウルウルした。五・六年達人は帰っていない。観光協会の会長はなんだそうだったんだと笑った。みんなで記念写真を撮った。ホテルに向って歩いて行くと遠くでずっと手を振ってくれていた。又、来るからね、元気でねと私は大きな声を出した。昨日金曜日、佐賀の議員先生から電話があった。会長から聞いたよ、そうだったんだ、食道園むかしからよく知ってるよと言った。遊郭をしていた友人のお父さんには、選挙でずい分世話になったんだと言っていた。選挙もなくなったので近々ぜひお会いしましょうと言って電話は終った。そして今日土曜日一時に平塚の達人に針を打ってもらった。世の中は広いようで狭い。私が大ファンである芸人、“江頭2:50”も佐賀県人である。全裸になってトルコでパフォーマンス、逮捕されたはずだ。サイコーです。ぜひお会いしたい方なのです。
(文中敬称略)









2023年6月19日月曜日

つれづれ雑草「九州出張、その(一)」

九州大牟田に坂本龍馬のような熱い男、行動力の塊のような友人がいる。元大手広告代理店の敏腕営業マンであり、天皇ともいわれた会長の側近でもあった。静岡・山梨の「富士山」を世界遺産にすることに尽力した。鹿児島の「屋久島」青森・秋田の「白神山地」、北海道の「知床」などの世界遺産のこれからのために、全国を飛び回っている。熱弁が始まると圧倒される。全身を言語化して自説自論を熱く語る。そして今、坂本龍馬が“薩長同盟”に奔走したように、九州有明海を“日本の地中海”にしようと活動している。有明海は、長崎、福岡、佐賀、熊本の四県に面している。“環有明海観光連合”を立ち上げた。私はその仕事をお手伝いしている。有明海はいままで四県が一つになって、未来への行動を行なっていなかった。熱血漢とはもう三十余年の付き合いになる。初めは、英会話教室NOVAの仕事で、「駅前留学」という言葉を提案した時である。当時は新聞社系の代理店にいた。私はヤクザのようであるから初めて出会った人は、その顔にこのヒトに頼んで大丈夫かな(?)とハッキリあらわれる。が一度仕事をすると、長い長い不思議な運命共同体となり、家族付き合いまで発展して行く。ただ、私は売り上げ、扱いの数字や、金儲けばかりの話をする人とはどうしても相入れない。で、いい思い出が生きている間にその関係を終える。恩を仇で返すことになったりもするが、金より思い出重視なのだ。十四日午前五時起床、(といってもほぼ起きていた)熱いシャワーを浴び、朝刊に目を通していざ九州有明海へ出発だ。辻堂 ― 横浜 ― 京急で羽田へ。ここで私の頼りとする男プログラムエンジニア(人間コンピューター)と合流。この男のヒトが一緒であれば、いかなる難問にも応えてくれる。人工知能AIの未来、地球や人間の未来まで高説を論じてくれる。ガラケーも使えない私の強力な支えとなってくれる。そして羽田からANAで佐賀空港へ。そこにかつて私のところにいた(十年間)アートディレクターの男が福岡から来てくれていた。3.11の時に一歳ほどの子を育てていたが、奥さんが東京での地震や放射能汚染が、子育てに向いてないと、故郷の福岡に帰った。一年ほどで帰ってくると思っていたが、結局そのままとなり、現在に至っている。清々しい勉強家の男は、四十三歳になっていたが、前より清々しい男であった。私のテーマカラー、ライトブルーの小型車に乗って来ていた。小林大助という名は、九州デザイン界で有名になっている。数々の賞を受賞している。直近では、福岡で開催される世界水泳大会の金、銀、銅メダルのデザインコンペで金メダル(最優秀賞)を受賞して、新聞やテレビで大きく報じられている。私にとってこれほどうれしいことはない。オオ~大ちゃんとなった。その後、熱い男が大型のレクサスで来た。いつも通り、ドーモ、ドーモから始まった。三井化学大牟田工場に行き、頼まれていたデザインの打合せをする。超広大な工場を見学。“人の三井”というだけあって、三井の人々は実にやさしい。運命を感じたのは、私が独立した時、はじめて大きな仕事を霞ヶ関ビル内にあった代理店さんから頼まれた。それが現在の三井化学(当時は三井石油化学)であった。その会社の50ページ位の会社案内のデザインであった。チンマリ、コンマイ仕事ばかりやっていた。質屋通いもしていた。山口県大竹工場を撮影、約120メートルの中心部分、60メートルの所にある丸い踊り場からの大仕事だった。20~24歳会社勤めで、デパート関係やファッション系の仕事を4年間やっていたので、石油化学などの仕事は、正直自信がないし、何も分からないのであったが、結婚もしていたので、大きな仕事は断わる訳にはいかなかった。そんな思い出のある会社の仕事に、再び九州大牟田で出会うとは、(その代理店さんとは現在もお付き合いをしている)その後、大牟田で有名な事業家の会社へ行く。環有明海観光連合の会長さんである。◯△グループの総帥の会長さんは、数多くの事業をしながら、青年会議所で後進を育てている。東京の硬派の大学で少林寺拳法の術を極め、本場中国の総本山まで行っている。社内会議室に入ると気合十分の雰囲気であった。会長さんがグループの活動と自らの主義主張を、スクリーンに映る映像や文学群を見ながら、熱く、熱く、火傷するほど熱く語った。その後、会長さんが経営するところで、食事会となった。熱弁は更につづいた。久々に硬派の事業家と会い心地いい。しかし腰がパンパンで激痛がする。会長さんの将来の夢の場所へも行って見学もしていた。食事中まで私を看板のデザイナーだと思っていたようなのだが、熱血漢と人間コンピューターがパソコンを使って、私のいままでの仕事などを映し出し解説すると、実に驚かれて“先生”と言われるようになった。私は先生はやめてください。場末の芸者ですからと言った。会長さんは実に魅力的であった。ぜひアレも、ぜひアソコも、となり再びお会いすることを約束してお別れした。次の日は大牟田から柳川、そして佐賀鹿島へと移動して、観光協会代表理事の方と会った。佐賀は「葉隠」を生んだ武士道の地、その方は静かだが内に秘める魂は、武士の如くであった。夜七時からの会食打合せに私が選んだ店は、焼肉の名店“食道園”にしてもらった。店の女性主人の髪の毛は三十年前から“紫色”それがトレードマークである。肉は東京の叙々苑の最上級より全然安くて美味しい。この食道園については訳があり後日書く。女性主人は、私の姿が見えなくなるまで、手を振ってくれた。私は大きな声でまた来るからネエ~、元気でね~っと叫んだ。そしてすぐ近くのビジネスホテルへ。小さな部屋のベッドの上にぶっ倒れてひとまず大の字になった。
(文中敬称略)









2023年6月17日土曜日

休筆のお知らせ

 本日、またも出張のため休筆致します。
皆様、梅雨の晴れ間に起こる熱中症に注意しましょう。

2023年6月12日月曜日

つれづれ雑草「半分半分」

「ドン」といえばひとは何を連想するか。“学界のドン”“政界のドン”とか、“財界のドン”。今映画でヒットしている“ハマのドン”など、その世界に君臨している人物を称する。“ボス”という言い方もあったが、サントリーの缶コーヒー“BOSS ボス”で市民権を得て、ボスといえば矢沢永吉を連想する。ドンはどんでも「丼」となると、ヒトそれぞれに、オレにとって、アタシにとって、ボクにとって、ワシにとって、オイラにとって、丼は熱愛される。もし丼物が好きでないという人間がいたら、どこまで行っても会ってみたい。丼は食堂界のドンでありボスである。天丼、うな丼、親子丼、海鮮丼、中華丼、カニ玉丼、カレー丼、牛丼、豚丼、かつ丼、海老丼、ウニイクラ丼、鳥そぼろ丼。丼はどんどん食欲を満たしてきた。数をあげたら切りがない。牛丼も食べたいし、となりの人が食べているカレー丼も食べたい。そんな人には相性丼というのがあって、半分牛丼で半分カレー丼というのを、ハイヨッとつくってくれる。食べ物を決める時、人間の性格が分かる。あ~腹減った、私は夢の中にいる。やっと今日はじめてのごはんだと、築地の場外市場を歩いていると、私という天邪鬼で、食いしん坊で何か人と違うものをとの迷惑な性格がでる。築地の場外市場は長いつき合いで、いわば庭みたいであった。大好きだったラーメンの店「井上」は、先年火事で燃えてしまった。海鮮専門の小さな店のとなりに、スパゲッティナポリタンだけの店があった。親子丼を見てクラクラとしていた。海老丼を見てグラグラッとした。牛丼を見ると決めた覚悟がゆれた。当初の目的は海鮮丼(ホタテ抜き、アレルギーなので)一本でバッチリと決めようだったが、私はダメな人間である。赤いスパゲッティナポリタンが強烈に目に入り、緑色のピーマンと玉ネギが、タコ形の赤いウィンナーと共にフライパンの上で仲良くくっつき合い、励まし合い、救け合い、支え合っている。場末の純愛みたいだ。よし、これだ。だが海鮮への想いも忘れられない。店のオジサンに、ちょっとあそこの店で、海鮮丼の半分をつくってもらってくるから、そのよこに半分スパゲッティ入れてくれると言った。あ~いいよ、だけどどんぶりは洗わないよと言った。大丈夫ちゃんとするからと言った。で完成したのが、“海鮮スパナポリ丼”新鮮な海老、コハダ、イカ、マグロ、イクラ、玉子焼きの横に、アツアツのナポリタン。日本の伝統美に、ナポリタンの赤ベタの組み合わせは最高であった。海鮮店の夫婦が、おいしそうと言った。お客さんみたいなヒトはじめてだよと言った。海の幸とパスタはよくあるメニューだが、海鮮丼とパスタはないはずだった。主人たちは実に誠実で、料金はハーフ&ハーフだったのでおまけしてくれた。それじゃ悪いからと、コーヒーでも飲んでと迷惑料を払った。この頃外国人さんが多いからこんなメニューもあるなと、海鮮丼の主人は笑った。私はこういうバカなことをアチコチでやってきた。“丼”と何を組み合わせるかを考えるとじつに楽しい。私はイロイロな定期検査前で食事を抜いている。それ故食べ物への思いが浮かび、アタマの中で“作り話”を作っている。シャネルのバックを持っている若い美人女性が、金曜日の夜八時頃、銀座の吉野家で丸椅子に座り、牛丼を食べている。赤い口紅に赤い紅しょうが、夜の世界の女性ではない。こんな美人が何故、花の金曜日に一人吉野家で、丼には謎めいた物語があるのだ。(これは実話)ちなみに、横浜のドンを描いた映画「ハマのドン」はかなり面白いと見た人々が言っている。スパゲッティナポリタンは、横浜の高名なホテルのシェフが進駐軍のために開発した和製料理らしい。初めてイタリアに行った時、レストランでスパゲッティナポリタンをとオーダーしたら、…………(?)(?)(?)であった。そんなのねえ~よというかんじだった。同行していたコーディネーターが、トマトソースと言ってくださいと言った。とってもとても恥ずかしかった。スペアリブを知らなかった私は、アメリカのグランドキャニオンに初めて行った時、夕食が夜遅かった。カウボーイ(牧)たちが、♪ ローリング、ローリング、ローハイド……と店に来る。同行のコーディネーターが、スペアリブを食べましょうと言うから、OKよろしくとなった。店内は、かなり暗い。何やらゴッツイ肉の塊りがきたので、言われた通り、塊の両端を持ってベタベタしながら、かぶりつくと、ガツンと固い骨、なんだこりゃ、骨ばかりじゃんと大声を出すと、カウボーイたちは、腰に手を当てた。ガンベルトには拳銃が入っている。以来スペアリブは警戒をすることにした。下手をすれば撃ち殺されてしまう。スペア丼をつくるとすれば、骨付の肉と拳銃の弾のハーフ&ハーフだ。ライクーダーのギターとかケニー・ロジャースかなんかが流れたら、少しばかり歯がガタガタになっても食べ尽くすだろう。あ~腹が減った。鳥そぼろ、牛豚兄弟丼が食べたい。BGMは「無法松の一生」だな。さあ、ど~んといってみよう。(文中敬称略)



2023年6月10日土曜日

休筆のお知らせ

本日、出張のため休筆致します。
梅雨時です。皆様、食中毒に気をつけましょう。


2023年6月3日土曜日

つれづれ雑草「ある原因」

10年ひと昔というが、現代社会では一日ひと昔だ。かつて24時間戦えますか」という栄養ドリンクのコマーシャルがあった。その頃私は48時間働いてますよであった。今思えば狂っていた時代なのだろう。ひと月に何回徹夜したのかを“ジマン”しあった。あなたは24時間前に何があったか、正確に言えますか。すでにG7サミットがあったことなど憶えちゃいない。市川猿之助事件のこともあたらしいことではない。そういや市川中車なんていたな香川照之だったっけ。熱湯風呂に入る上島竜兵が死んだのは忘れがたいが、ガーシー元議員の話なども誰れも言わない。えっ上岡龍太郎が八十一歳で死んでいたんだ。確か横山ノックかなんかとトリオを組んでいたな。横山ノックが選挙カーの中で女性スタッフのオシリを触ったりして大阪知事をやめた。パンパカパーンと。岸田総理ファミリーたちが官邸内で大ハシャギしていたことが突然週刊文春に出た。秘密を握っている人間は、その秘密のカードをずっとかくして持っていて、ここぞの時にマスコミにリークする。首相官邸を仕切っている人間や元その任にあった者は、国会議員は勿論のこと、その家族一族郎党の秘密をすべて握っている。当然、マスコミ各社や、財界人たちや知識人、文化人、有名人、芸能人、ヤクザ者、警察内部、裁判所関係者、みんなみんな調べ上げている。24時間働いてますよ、なのだ。危機管理という名の元で、重箱の隅をつっつくよりしつこく調べる。個人タクシーは官庁の人間がタクシー券で朝帰りするのを狙って、ズラリと霞ヶ関に並んでいる。ロング一発! で売上げバッチリとなる。かつておしぼりとビールを出したりすることが問題になった。みんなもう忘れている。今は、アメ玉位らしい。男が女性を好きになる時代はもう古いが、執念深い女性とは近づかないほうがいい。何しろ決して忘れないからだ。あの時確か╳╳とか、あそこで確か╳╳とか、あの中で確か╳╳とか、一語一句を憶えている、ソーユー相手は人生列車を脱線させる。この頃は男と男、女性と女性の関係もそれほど秘密ではなく、社会に受け入れられている。ファイト一発! でよいのだ。しかし刑務所内では許されていない。マッサラ(新入り)の美男子、筋肉系は“リボンチャン”といって大歓迎される。新宿二丁目辺りでは、“タチとネコ”といっていた。“ゲイは身を救ける”のよと、まっ紅な口びるのヒトが言っていたのを思い出す。現代社会は新入社員をハレ物に触れるように大事に扱う。残業しろ、なんてもっての他。“痛くなったらすぐセデス”じゃないが、暗くなったらすぐ帰りましょうだ。それでも東海道線は新橋、品川からでは座れない。東京発でないと、酒臭い奴とか、ニンニク臭い奴とか、メチャ強い香水のヒトとかと接近密着しなければならない。痴漢と間違えられないように、両手をホールドアップする。チャイナヒゲを生やしたオッチャンの顔なんかが密着してくると、頭突きを一発入れたくなる。横浜まで行けばどどっと出て行って、座ることができる場合が多い。台風の影響で雨がじゃんじゃん24時間働いている。雨は天の命ずるままに雨降りという仕事をする。今は六月三日の午前五時十八分四十八秒だ。久々に名作「クレーマー・クレーマー」を見た。むかし見た時とずい分記憶が違っていた。ダスティン・ホフマンと、メリル・ストリープが若い。アカデミー賞を受賞したこの作品は、夫、妻、子ども、仕事、家事、性生活、子育て、ヒステリック、会社、出世、離婚という夫婦間の永遠のテーマをよく描いている。夫婦はきもちいい間は決して別れない。雨の中レインコートを着て、家のすぐそばのコンビニに酒一合を買いに行く。薬だけじゃ眠れないよと体が記憶しているのだ。丸っこい体のコンビニの主人が一人でいる。よく働くね、24時間働いてんじゃないのと聞けば、大丈夫昼にしっかり眠ってるからと言った。中国人がたくさん働いていたが、今はいない。キオスクにも、ニューデイズにもいない。時々、顔がムクんで、コロッケみたいにアブラぎっているオバサンがいるが、半分眠っているような顔をしている。そういや夕飯は何を食べたっけ、12時間位前のこと、そんな昔のことは憶えちゃいない。ニュースを見ると今日は大雨のち曇りのようだ。よし、これから八代亜紀の歌を聞こう。「舟唄」は朝からしみじみするので、♪~ 雨々ふれふれ もっとふれ……。のほうにしよう。それにしても、ルフィは誰れか(?) 元ガーシー議員は(?) ある党の女性区議会議員が、先日当選したが、メルカリでニセブランドを8000円で売って、選挙資金にしたとかで辞職した。なんだか切ない話だ。人手不足が深刻な時代となっているが、国会議員とか、県、市会議員は多過ぎだ。少子化問題も深刻だ、冗談でかつての“禁酒法”じゃないが、“禁ゴム使用法”をつくればと言ったら、バカじゃないのと言われた。そうです、私はつける薬もないバカなんです。離婚の原因の第一位は、性格の不一致と決っているが、性格が一致する訳がない。正しくは“性の不一致”だろう。私のかわいがっていた、後輩が世界水泳大会の金、銀、銅メダルのデザインコンペで、金メダルを受賞した。名は「小林大助」という。すばらしい男だ。個人会社名を「助太刀」という。いざという時声をかけてください。福岡にいます。(文中敬称略)



2023年5月27日土曜日

つれづれ雑草「盲亀流木」

旅の男には過去を聞いてはいけない。人間は一人ひとり背負うもの、思い出したくないもの、話したら命をかけなければならないものがある。ある旅を経た人を紹介してくれたのは、私の親愛なる男である。この男はあらゆる筋の人間と縁を結んでいる。その人脈は底知れない。いままで万金に値する人を紹介してもらった。その中の一人が銀座を捨てて密教の修行に入った。“想像を絶する厳しい修行”というありきたりの表現しかできない我が身がつらい。今では高名なお寺の住職となり、毎月一回タブロイド判の“◯△だより”が送られて来る。ご自身で書いて印刷されている。そこには毎号勉強させてもらう、仏教の教えといい話が書かれている。真白いアート紙に黒い活字の一文字一文字が、汚れた私の心を洗ってくれる。現在住職をするかたわら、高野山大学大学院に入り勉学にも励んでいる。過去に何があったかは聞いていない。第52号にこんないい話が書いてあった。「盲亀流木(もうきふぼく)〈有ること難し〉」大海に住む盲目の亀が百年に一度海中から頭を出し、そこへ木が流れてきて、亀がちょうど偶然にもその浮木の孔(穴)に出逢うという極めて低い確率の偶然性を表わす比喩譚。人間として生をうけることと、また仏法に遇うことの難しさをたとえる話とあった。人間として“有ることが難しい”「ありがとう」の語源なのですと書いてあった。私たち人間は偶然の中に生きている。生まれてすぐに命をなくす悲しい命があれば、99.9%命は危ないという中で生を得た神の子の命もある。117歳まで生きた命もある。それがよかったか否かは本人に会っていないので分からない。スポーツで鍛えた強烈な体を持つ金メダリストがあっけなく死ぬこともある。年に二回も入院して健康チェックをしていた健康オタクが、四十代でポックリ死んでしまう。なんでこんな話を書くかというと、私の恩人、知人、友人、親類縁者が、肝臓癌、子宮癌、胆管癌、乳癌、すい臓癌と闘っている。二十代から七十代まで。私には何もしてあげることができない。私は「盲亀流木」大海で流木の孔(穴)に出会った亀のように。どうか名医に出会ってと願うしかない。必ずセカンドオピニオンをと願うしかない。高名な大学の教授が名医とは限らない。現在の上皇の心臓を手術した教授は無名に近い人であった。私の友人の奥さんは、過食と拒食をくり返した。太っている時は80k以上、やせている時は30k台、その差50k、お金持ちだったので、有名大学病院を何院も訪ねて入院治療したが、原因はどこも分からずであった。どこで聞いたか山陰地方の大学病院の助教授を訪ねて入院治療をした。結果ウソのように治った。原因は教えてもらえなかった。患者は医師を選ぶ権利がある。米倉涼子主演の「ドクターX」ではないが、有名大学だから、お金持ちがいく病院だからで選んではいけない。私にはとても信頼している先生が二人いるので、その先生の命令に従う。これを書いている午前四時三十三分十三秒現在、眠ることはできない。原因が私自身の問題だからだ。外はかなり明るくなってきた。「ライトハウス」という映画を見た。モノクロフィルムで撮った最高傑作といっていい。ランボーの詩を映像化したみたいであり、ギリシャ神話の如くでもある。「ニューイングランド」の孤島にある灯台に、カナダで木こりをやっていた青年が、金を稼ぐために四週間働きに来る。そこには老人の灯台守一人しかいない荒れ狂う海、乱れ飛ぶカモメ、燃料に石炭を使う重労働、老人と青年とのうす暗い生活が始まる。食料を運ぶ船は四週間来ない。1881年頃に書かれた灯台守のマニュアルに従う。いままで見たことがない白黒の世界は宗教画のようでもある。二日続けてこの映画を見た。主演の一人が私の好きなウィレム・デフォーである。老人は言うカモメを殺すなと、海鳥は海の男の魂だからと。だがしかし青年は狂っていく。そしてカモメを殺す。そこに待っていたものとは。○╳一錠、○╳一錠、○╳一錠を服用した。朝刊がポストに入った音がした。読んでいるうちに少しは眠れるだろう。残念ながら酒はない。あの映画を見ていて思い出した。「盲亀流木」の話を。荒れ狂う波の中に亀はいたのだろうか。流木の孔(穴)に運良く入れただろうか。老人は言った。帆を操る海の男にとって、いちばん不運なのは、無風なんだと。人の命はすべて偶然に支配されている。神はいるのだろうか、信じる者は救われるのだろうか。灯台の光は海の男にとって神に近い。(文中敬称略)





2023年5月20日土曜日

つれづれ雑草「白い手袋」

とある男と、とある事で、とあるホテルのカフェラウンジで会った。五月十七日の水曜日、午後一時頃となると、広いラウンジは、オバさんたちでいっぱいである。とある話をするには、前後左右とにかくウルサイ。オバさんたちは、大声で話し、大声で笑う。マスクはしていない。開放感100%である。“ウルセイゾババァ”と心の中で思っているのは決して私だけではない。とある男は久々に会ったのだが、相変わらずオシャレであった。全体を黒でコーディネイトしていた。とある男と私はレトルトカレー10個分の値段のカレーライスを頼む。ドリンクのサービスがついているとのメニューを見て、アイスコーヒーをオーダーする。(食後に)とあるホテルはかなり有名だが、カレーライスは中村屋のレトルトカレー(中辛)のほうがずっとおいしかった。とある男との話に夢中になって、サラダを食べるのを忘れていた。オバさんたちの中にいる二人怪しい男は、とある芸能関係者とか、とある組関係者と思われていたかもしれない。とある男は先進のコミュニケーションの会社を経営している。ケチでチンケな男と違って、ずっとむかしから、仁と義を重んじている。かつて私の会社にて活躍してくれていた。私は、黒にグレーの文字が入ったパーカーを着ていた。外からは見えないが、腰にはぶ厚い腰痛バンドをしていた。舞台裏はすっかりジジイなのだ。とあるホテルのカレーライスは、CoCo壱番屋程度である。二十三、四歳の小柄な若いウエイトレスが、アイスコーヒーを持って来てくれた。顔にマスクはしていないが、両手には白い手袋をしていた。白い手袋で出されるアイスコーヒーは、劇薬のように感じた。私はマスクは外しているのに手袋はしているの、と言うとホントにかわいい顔をしていて、ハイと言った。彼氏と手を握るときは手袋を取るのと聞いたら、ハイ取りますと言った。とある男と私は、いいネ若い人はと言った。私の右斜め前に、六十代位の二人の男性がパスタを箸で食べていた。かなりつまんない顔をしていた。パスタと箸はイタリアへの侮辱だと思っている。寿司をナイフとフォークでみたいだ。やけにマッポ(警官)が多いなと思ったら、そうかサミット前であった。私たちのような業界の人間は職質を受けやすい。みんなトッポイかっこうをして、大きな鞄や袋を持っている。仕事で使うカッターなども持っている。G7サミットといっても、ルーズベルトやチャーチル、ドゴール、ヒトラーやムッソリーニに比べると、スケールが小さい。敵対する中国習近平に比べると、一軍と二軍位の差を感じる。我が国の岸田文雄プライムミニスターは、会社の接待部長みたいのように笑顔をふるまって、コマゴマ動いている。我々ビンボー人には関係なく、株価が高騰している。世界が日本を買い占めるのだ。ガラクタの兵器を増税によって買わされるのだ。とある男は、むかし懐かし、“鍋屋横丁”の和菓子の名品を持って来てくれた。中野坂上に住んでいる頃、自転車でナベヨコ(鍋屋横丁)にあった、小さな映画館によく行ったのだ。“横丁”なんていう言葉はすっかり消えてしまった。とある男との、とある話は、いずれ正体を現わす。正体といえば人はそれぞれ人には言えない、見せられない、とあるものを持っている。それは宿命であったり、運命であったり、宿や業(カルマ)である。とある歌舞伎役者は、天才的な才能と共に数多くの“とあること”を背負いつづけて生きて来た。それは死ぬほど辛いことであったのだろう。人間の心の闇は出口のないトンネルのようである。才能は凶器と同じで、磨けば磨くほど切れ味は鋭くなる。「子曰く逃げるが勝ち」と言う。とある趣味とか、とある愛人とか、とある過去は、誰れにでも少なからずある。はじめは処女の如く、あとは脱兎の如く逃げるのだ。誰れもいない荒野を裸足で走りつづけるのだ。“死んでやりなおせるものはない”生きて地獄の苦しみに耐える者にのみ、救いの手がさしのばされる。とある話をしている裏でG7サミットは、世界を軍拡への道へとひた走っている。ドサクサの中で日本では増税による軍拡予算が衆議院を通過した。軍需産業関係の株価はうなぎのぼりだ。核大国中国、インド、パキスタン、この三国を相手にG7は勝つことはできない。世界史の中で最も性悪の海賊国家、大英帝国の形を見ると、バリウム検査の時、胃の中に広がる黒い影とそっくりであった。とある話は純粋な青春の話だ。とある男とは、又なと手を振って別れた。鍋屋横丁の和菓子は格別にウマイ! それにしてもオバサンたちはウルサイ。人の命さえ奪ってしまう。(文中敬称略)


 








2023年5月13日土曜日

つれづれ雑草「山の中にて」

松本清張になったような気分である。奥多摩の御岳山その頂上近くの宿坊にて書いている。朝六時に自宅を出発して来た。山の天気は変幻自在である。憩山荘(いこいさんそう)にひと息つく。天気晴朗だったのが灰色になり、やがて黒々となり、ピカッピカッと光りドドーンゴロゴロと雷鳴が激しく私を出迎え雨がザザッと降り落ちてきた。雲に近いだけ雷鳴に迫力がある。推理小説の大家である松本清張のドラマだと、エリート官僚が浮気の相手である人妻を殺すために山の中に誘い出す。青梅線青梅駅、御岳山に登るケーブルが発着する滝本駅、そのケーブルから降りると、その先は急な坂道が曲がりくねる。人妻は指定された通りに行動して山荘を目指す。男は執拗な人妻の愛に我が身の行方の不安を積み重ねている。官僚にとって最大の関心はライバルより出世をして、肩書きが光り輝いていくことでしかない。そのためには利用できるものはすべて利用する。人妻は先輩の妻であり二人の関係が露呈すると男の家庭は崩壊し、出世どころかどこへとばされるか分からない。夫から逃避して情念の火がついた女性は、理性的であるほど激しく燃える。殺すしかない。あの場所であの方法で。宿坊の窓の外の墨絵のような幽玄的な風景を見ていると、なんだか気分が松本清張なのだ。コクヨの原稿用紙と万年筆がしばし作家気分にしてくれた。実態は自主映画制作のためのロケハンで来た。酷い腰痛なのでコルセットでがっちり固めている。プロデューサー、監督、マネージャー(小鳥のようにかわいい女性)カメラマン、メイキングを頼んだ仲間と一緒であった。超低予算の映画づくりは、みんなの支援金によって制作する。それ故いっさいの無駄はできない。この作品は私の遺作となるはずだ。グラフィックデザイン界の大巨匠浅葉克己先生に主役をお願いしている。相手方となる女優さんは私がぜひと願っている人、前向きに検討してくれていて、最終的には脚本を読んで決めますとのことである。もう一人鍵を握る男役には、イメージ通りの若い俳優さんが出演をしてくれる。撮影は九月を予定している。それまでは資金集めとなる。私の懐には残がない。寒風が吹きつのっているのだ。京王電鉄グループの元御岳山登山鉄道の社長さんだった人が、ずっと以前から協力をしてくれている。善い人の見本みたいな善い人で、長いおつき合いをしていただいている。世の中には「金」にしか興味なく、「金」しか信用せず、自分のため以外には、金を死んでも使いたくないという人間も多い。当然芸術などへの関心もないのでクラウドファンディングに参加してくれない。それはそれで、その人の生き方哲学であり、私のようなバカな人間は学ばなくてはならない。広告業界の絶対的存在、“人間国宝”ともいえる親愛なる一人の侠(おとこ)が、ゴッツイ支援をしてくれている。何も言わずコレを好きなように使ってくれ、と言ってくれたこの侠のためには、命をかけねばならないと心に誓う。御岳山の中には山の掟がある。作家浅田次郎さんの従兄弟の方が親切に相談にのってくれている。カンヌ国際映画祭の短編部門や国内での映画祭を目指す。上映会もアチコチでしたいと思っている。天才中野裕之監督の作品と共に。浅田次郎さんの従兄弟の方によると、山の中に来るのは山登りを楽しむこととか、御嶽神社にお参りに来る人たちだけでない。会社をリストラされた人間や、人生に追いつめられた人間も多い。スーツに鞄を持って山に来て時間をつぶす。きっと女房子どもには出社していると言っているのだろう。そんな人間の中から、頂上からずっとずっと下ったところにある滝のそばで“自裁”する人間が出ると言った。人生とは残酷なものである。金さえあれば倒産も破産もせずに、自裁せずに済んだはずだ。世の中は銭ゲバが生き残る。(但し地獄に堕ちる)やはり松本清張的世界の話があるのだ。“死を人質”にとった作家といわれるのが、太宰治である。何度も無理心中をしたが、それは小説のネタ探しでもあった。蜷川実花監督の映画「人間失格」を出発前に見た。太宰治役を小栗旬が演じていた。ファーストシーンは、無理心中して女性は水死するが、生き残った太宰治が“やばかったな”とうすら笑いするシーンだ。もと文学少女や知性とか理性あふれるお金持ちの女性や、家柄や社会的地位の中で生活している人妻や、未亡人などが、太宰治的破滅型の男に命をかけてしまう。銀座のホステスさんみたいに、したたかに逞しく生きている女性は、ちょっとやそっとでは体を許さない。お客は大切な金ヅルだから、手も握らせない。その客が飛んでしまうまで(会社を潰す)小鳥のようなさえずりとモナリザの微笑で誘惑をつづけるのだ。不貞が多いのは圧倒的に堅気の女性だ。三十代、四十代。五十代の人妻は、欲求の不満とエラソーにする夫への不平と、その先に夢も希望もない目の前のオトコに、熱気を感じない。そして松本清張の作品の主人公となる。青梅駅→八王子駅→橋本駅→茅ヶ崎駅と電車を乗り継いで我が家に着いた。足腰がヘロヘロ、ガッタガタ。日本中が地震でゆれている。何か不吉な予感を感じているのは私だけだろうか。(文中敬称略)










2023年5月1日月曜日

ゴールデンウィーク中の休筆のお知らせ

 連休明けまで休筆いたします。皆様、よいゴールデンウィークを。