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2015年10月26日月曜日

「レオクリビ」



あいつは「かたり」だから気をつけろ。
かたりとは人の名を使って人をダマクラかす、いわば詐欺師のような人間だ。

“山田雅人「かたり」の世界”というのを1120日金曜日午後七時〜九時、大井町駅ビル内の“きゅりあん小ホール”に行った。
二階席まで満員、その数150180人位であった。
友人の代理店社長とその友人の代理店社長と三人で行った。
かねてより友人がぜひ観てほしいといっていた。

山田雅人、知る人ぞ知る天才話術師であった。
知らない人は知らないのだが、私はその知らない内の一人であった。
「かたり」とは何ぞや(?)舞台にはアルミ椅子一脚とマイク一本、片隅に一台の小さなプロジェクター。正面にそれを写す白いスクリーン。
二階席はかなりキツく、丁度コの字に曲がったところだった。
よく入っているね、「永六輔物語」と「島倉千代子物語」漫談だなと思っていた。
なんで「かたり」というのだろうかと思った。

七時十分程前に山田雅人さんがこんばんはと現れた。
みなさん、今日は来れないかもしれない、来れるかもしれないとおっしゃっていた永六輔さんが来てくれはりました(大阪の人であった)。
永さんは昨日転んで顔をぶつけて右目を傷つけられたのです。
でも来てくれはりました。いつまで持つか分からないが、ダメだと思ったら帰られます。

大拍手と共に車椅子に座った永六輔さんが現れた。
ヤクルトスワローズの野球帽に赤いジャンパー、ジーンズに白のスポーツシューズであった。難病のため手は大きく震えている。
言葉はたどたどしいが記憶力は抜群であり、ユーモアのセンスはやはり天才であった。

山田雅人さんが、これから永六輔物語をかたります、もし間違っていたり、文句があったらこの笛を鳴らして下さい、と永六輔さんの首に笛をかける。
さあ〜それでは永六輔物語です。いやはやその記憶力と弁舌の凄さ、永六輔に関する一代記、生まれてから現在まで一気に語り続ける。

渥美清との出会い、中村八大、いずみたくとの出会い、作詞との出会い、名曲誕生秘話、「上を向いて歩こう」に込めた想い。山田雅人がかたりをすると永六輔さんが笛を鳴らして、それはこうだ、あーだこーだと軽妙に解説する。
山田雅人はそれを受け、話をさらに展開する。

私は足もとにバッグを置き両足をつぼめていたのでふくらはぎがつってしまう。
だが二人の掛け合いと話の面白さに引き込まれてしまった。
永六輔さんは一時間近く舞台の上にいて大拍手に送られて帰って行った。
プロフェッショナルは難病すら笑いの種にしてしまう。
途中怪我をした右目の眼帯を外して見せた。


第二部は島倉千代子物語、スクリーンらしきものにプロジェクターから島倉千代子さんの秘蔵写真が映し出される。
♪〜しあわせになろうね あの人はいいました 「からたち日記」が山田雅人によってかたり続けられた。島倉千代子さんの人生はヒット曲通り、人生いろいろであった。

九時に終わり、明るくなったのでチラシを見てビックリした。
「しゃぼん玉一代記」「盲導犬の父・塩屋賢一物語」「藤山寛美物語」「ラグビー青春物語」「テンポイント物語」「中山律子物語」「長嶋茂雄物語」「植村直己物語」「二十四の瞳」などなどずらっと100ばかりが書いてあった。
人間のあるところ歴史あり、物語あり、山田雅人ありなのだ。

「かたり」とは、漫談でも落語でも朗読でもありません。
一人芝居のような動きもありません。
「真っ暗な空間にスポットライト一つ、マイク一本で届ける感動です」とかいてあった。その場で観客からリクエストされた競走馬の何頭もの名を聞き、即座に競馬中継をやりはじめた。
その馬の歴史をスラスラ話す、台本なし、八百長なし、もうあまりにビックリして言葉なし、記憶力は大型サーバー並みだ。

NHKラジオ隔週月曜「語りの劇場・グッドライフ」はレギュラー番組、夜九時〇五分〜五十五分まで。ブログは「山田雅人背番号31」。

1226日亀戸カメリアホールに行けばきっとビックリギョーテンして足がつっちゃうよ、一人3000円なり。笑って、感動して、泣いてしまうよ(涙活にもなる)。
あまりに驚くことを裏社会では“レオクリビ”という。オレビックリのこと。(文中敬称略)

2015年10月23日金曜日

「大差」




玄関(といっても狭い)の扉を開けるといつもより開けにくい。
何かが置いてある。力いっぱい押し開くと段ボール箱の中に「ライオン洗剤トップ NANOXナノックス 320g詰め替え用」が20個も入っている。

誰かが立っている。何だというと、朝日新聞ですと応えた。
何でだというと、もしかして朝日を止めるかもと聞いたもんで。
誰にというと集金の人間にといった。

いいよいいよこんなに沢山、この辺りで朝日を止めるのが今でも多いというけど本当なのというと、実は本当ですといった。フーンやっぱりそうなんだ。
全然駄目だからな朝日は、確かに先月集金の人に朝日はあんまり駄目だから記者の人に世話になった東京新聞にするかもといったからな。

東京新聞は今赤旗と同じ位反安倍政権、反戦争法案を貫いている。
朝日は腰砕けばかりだ、まあいいよ東京と大差あるけど朝日続けるからといったら、また持ってきますといった。いいよいらねえよといった。
仕方ないから玄関の中に引きずって入れた。

辻堂駅西口券売機、缶チューハイをもったオジサンがキップを買っていた。
キップが出てくると取り上げるまで、ピー、ピー、ピーと音が出る。
オジサンはその音が気に入らないのか、大声でピーピー鳴くんじゃねえと怒鳴った。
キップを取って缶チューハイをグビッと飲んだ。
実は私もピーピー音が大嫌いである。

列車に乗ると隣の会社員風中年男子が週刊誌を読んでいた。
ドッカーンと見開きのページに大見出し。
第二弾!「下着ドロボーから大出世!特集・高木毅復興相の露出癖」とあった。

私は自販機で買った缶コーヒー(ブラック)を飲んで目薬をさした。
やけに体が熱い、やけにノドが痛い。朝晩寒くて昼は暑い位、そのせいかもしれない
缶チューハイを持ったオジサンが車内をユラユラ歩いている。進行方向に向かって。
向かいの席に座っている若い女性は大きなどら焼きを食べながらスマホを見ている。

日常はいつも大差がないが、気が付くと大きな変化や事件が起きている。
中国の習近平主席がバッキンガム宮殿に宿泊し、キャメロン首相と共に「黄金の関係」のような共同声明を発表、フランスのオランド大統領、ドイツのメリケル首相は近々中国訪問、シリアのアサド大統領はロシアを電撃訪問、プーチン大統領とガッチリ握手。
国連の常任理事国はアメリカを除いてガッチリ手を結んだ。

その頃我が国のリーダーは臨時国会なんて嫌だよとばかりに外遊へ。
中央アジアの小国を訪ねていた。親分アメリカの子分日本に世界はシカトで、大差ありなのだ。世界は激動しているの我が国はいつも置いてけぼりだ。
缶チューハイを飲んでいるオジサンは前から三両目の中をユラユラしていた。
ピーピー鳴くんじゃねえよか。

2015年10月22日木曜日

「ヘラヘラとあんみつ」


お弁当を食べ終わりそれをビニール袋に入れた。
名古屋駅ホームでそれを「その他のゴミ」表示のゴミ箱中にポイッと入れた。
やけに人が並んでいる、何だこりゃとその列の先を見ると「きしめん」の立ち食いであった。腹はほぼ満腹であった。

発車まで約10分あった。
そのほぼ以外の部分がきしめんを求めた。
ウンターに次々と出されるきしめんを美味しそうにすすっている。
一歩二歩列車に乗るべしと近づいたが、ヨシッと決め振り返りきしめんの自動販売機に向かった。

鰹節のいい香りに誘われた。
券売機にはいろんな種類があった。
肉きしめん、カレーきしめん、オッ!味噌玉きしめんかうーむいいなやっぱり名古屋とくれば味噌だと思った。きしめんを食べているスピードは立ち食いそばよりやや遅い。
うどんよりもやや遅い。全員黙々としている。

カレーきしめんを頼んだ男にオバサンがエプロンいりますかといった。
オオ何と親切なことか、四十歳位の男は白いポロシャツを着ていた。
えっあっいいですといった後やっぱりくださいといった。
白い紙のエプロンが畳んであり、それを広げて首から掛けた。
大人のよだれ掛けのようであった。カレーうどんやそばを食べる時は要注意だ。
アヂ、アヂ、アヂーと口からうどんを落とし、カレーは跳ね上がり白いシャツを黄色にする失敗例を何度か目撃したことがある。若いOLは泣いたこともある。
私も何度か経験したがエプロンはつけたことはない。

さて「きしめん」だがこれはヘラヘラとしている。ナヨナヨとしている。
そばのような美意識はなく、うどんのような堂々感がない。
箸でつかむとヘロヘロと重い。味噌玉の“玉”とは卵が落としてあることであった

“名古屋名物山本屋”の味噌煮込みうどんの場合は煮玉子であるので生卵は期待はずれであった。丼ぶりの中で味噌スープと生卵が相対する。
黄身の部分を箸でブスッとやると黄身はヨヨと崩れて広がる。
気合不足のきしめんは、ヘラヘラとナヨナヨとヘロヘロとなじませながら口に運ぶ。そばの粋はなく、うどんの図太さがないので口の中がややこしい。

確か650円だったがそれなりに楽しめた。
味噌はいい味、カンナで削ったような鰹節が私の食べている所にヒラヒラ飛んで来た。
誰かのきしめんの上にあったが出入りする人の動きによる風で飛んだようだ。

私の隣ではカレーきしめんをエプロン掛けてすすっている。
その隣はどうやらイカ天きしめんで、その隣は鰹節をのせただけのきしめんであった。
その数15人程、外には10人程。女性は一人もいなかった。
ヘラヘラしているのが女性に受けないのかもしれない。

東京では甘味処「鹿乃子」にきしめんがある。私は銀座四丁目交差点側で一年に一度位若い女性やそうでない女性に囲まれて、一人できしめんを楽しむ。
椎茸、竹の子、紅白のカマボコ、そして鰹節、味はうすしょうゆ味。

かなり恥ずかしいがヘラヘラとすする、今年は未だ一度も行っていない。
その店の前は天ぷらの「小ハゲ天」だ。
おせんべいの名店銀座「あけぼの」の隣にワッフルを売る出店がある。
いい香りがするその隣に近い処できしめんが楽しめる。
誰かご一緒しませんか、“あんみつ”をデザートに。

「1点の差」




私は天邪鬼である。ラグビーがWカップで3勝したのは喜ばしい。
強豪南アフリカに勝ったのは素晴らしい。

だがしかし、優勝した訳でもないのに優勝したが如く大騒ぎするのはどうかと思う。選手たちはテレビに出まくり、親や妻や子も、学生時代の先生や監督もテレビカメラは追いまくる。サッカー人気に押されていたが、そのサッカーもすっかりニュース性がなくなった。マスコミにとってWカップ三勝は優勝に等しいネタであった。

サッカーはベスト16位で優勝騒ぎをした。ニッポンが駄目なところはここにある。
ちょっとしたことでスターを作り、ちょっとしたことでスターを抹殺する。
ニッポンがWカップで優勝するには、準々決勝、準決勝、決勝と勝ち進まねばならなかった。五

郎丸歩選手のキック成功率がスゴイと思ったら上には上が何人もいる。
90%以上の成功率なのだ。五郎丸選手は85%を目指したが世界のトップは100%を目指していた。
主将であるリーチマイケル選手はこのことを理解していたのだろうか、浮かれるより心配顔で実に冷静にニッポンチームの先を見ていた。五郎丸選手も同様であった。

エディ・ジョーンズ(ヘッドコーチ)はシビアであった。
今のままでは2019年は研究しつくされて厳しいだろうと。
また、保守的なニッポンのラグビー界はせっかくの進歩をまた後退させるだろうと。
ニッポンサッカー界はベスト16になってうかれに浮かれてしまった時から進歩を止めた。
スポーツは二位では駄目、一位にこそ栄光がある。優勝だけに栄光があるのだ。

中学生のとき担任の先生にこんなことをいった。
あいつは100点、あいつは99点二人共スゴイ、99点なんてオレは取ったことないけど本当にスゴイよな。オレ勉強大キライだから。先生はいった。
100点と99点は1点差だけど大きな差なのよ。
99点は99点で終わり、100点はその先に200点、300点になる可能性があるのだから。
理科と数学が不出来なオレには先ず50点そして70点を目指しなさいといった。
99点はエベレストの頂上だった。100点なんかはエベレストの上、雲の上であった。

定年後六十歳から七十歳になるまで司法試験に挑んだ人が1点差で涙を飲んだ、聞けばその1点のところにごっそりと天才、秀才がひしめいているとのことだった。
0.001秒で金と銀の差となるスピードを競う闘うスポーツ界、勝者は伝説となり二着の人間はそれだけで終わる。

シカゴで世界タイトルマッチを行い河野公平チャンピオンに敗れた亀田興毅選手は、敗者を迎えた記者のインタビューにこう応えた。ボクシング人生に悔いはない。
これからは“自由人”となり、あっちこっちに行きたい。
不出来な親を愛する、親孝行な三兄弟の長男であった。
人生の勝負はこれからだ。

優勝を逃した巨人軍の原辰徳監督は、監督を辞めると決めたら、こんなにもグッスリ眠れるのか、こんなにいい朝の目覚めが迎えられるのかといった。
頂点を極めるのは難しく、また維持するのはもっと難しい。勝者は勝たねばならない。
ラガーマンよ浮かれてる時間はもう終わった。
優勝を目指すチームは未だ死闘を続けている。

スコットランドは1点差のリードを残り30秒で逆転された。
3534、オーストラリアとの差は1点差であった。
勝者は栄光に向かい、敗者は帰国の途につく。悲しいことに主審の誤審があった。
3433でスコットランドが勝っていたかもしれない。いかなる人間も誤りをする。