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2014年7月16日水曜日

「みたらし団子」




私はわたし自身が認めない評論家が大嫌いです。
中でも教育評論家という奴は特別大嫌いです。

したり顔でスマホ依存やメールやツイッター、フェイスブック、ライン依存はイケマセン、親との距離があるからです。親よりメル友の方が大事な話相手、相談相手なのです。
国や都道府県や市町村の教育者は深刻な問題として捉えなければなりません。

終電にゆられゆられて帰宅してテレビをつけるとアホでバカヤローな教育評論家がコメントしていました。
お前の言っていることは誰だって分かっているんてんだよー、その深刻な大問題をどうすりゃいいのかがお前の仕事だろうが、とひとりでブツブツいいながら時計を外し、靴下を脱ぎ、二日前にご仏前に供えた“みたらし団子を今夜中に食べないと固くなってしまうからと口に入れる。

教育評論家が何の役にも立たないから子どもたちは迷い悩み苦しんでいるのだ。
結果論ばかりで救い難き職業の者共だ。

一本食べ終わったら二本、結局三本食べてしまった。
何の苦労もしないで、喧嘩の一つもしないで、殴られた痛さも知らないで、殴った時の突き指の経験も知らないで、大学の教育学部なんかを卒業して、気がつきゃ肩書に教育評論家だ。結局心の問題なんです。でお終いであった。

マッタクいい加減無責任な奴だと思った。
子どもたちの苦悩や寂しさ、愛情に飢えた姿と真正面から立ち向かうなら、講演ばかりでしこたま稼いではいられない筈だからだ。
私は教育評論家を本気で教育してやろうかと思ったりしている。

その夜二人のお客さんと久々に飲んでいたら、三人のダーセイおっさんが英語の歌ばかり唄ってた。
聞けば一人は新聞社の文化部の男、もう二人は教育関係の人という事であった。
うんざりするほど下手なので気持ち悪くなってしまった。
テレビを見てうんざりしたのはそのせいかもしれない。

私の知人が旅館を営んでいる。
客としていちばん性質が悪いのは、警察関係、次が役人関係、その次が教育関係と決まっているらしい。彼等は何もかもやりっぱなしなんだとか。
私は行かなかったが先日高校一年の時のクラス会があった。
幹事の人間に先生は来たかと聞いたら、アイツは酒癖がすこぶる悪いので呼ばなかったと言った。トホホな話だ。

2014年7月15日火曜日

「アッカンベーだ」


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たこ焼き、大判焼き、コロッケパン、あつあつポテト揚げ、氷ミルク、氷あずき、氷メロン、小倉アイスなどなど、小さな小さな店の中に全て食べたいお品書きがある。

七月十三日(日)午後一時、茅ヶ崎市立円蔵小学校正門前に一軒だけある店にいた。
四人しか座れない。元々はたこ焼きだけであったらしい。
六十歳前後の夫婦で営んでいた。

今年初のかき氷を食べた。私の場合氷メロンが最優先だ。
メロンソーダも別格だ。赤とか黄色の氷があるが何故か緑色がいい。

ふとガキの頃を思い出す。
駄菓子屋の店先で、オレ緑、オレ赤、オレ黄色、オレ白なんてオバチャンかオジサンに頼むと、まるで魔法の様なかき氷機でグルグルガリガリ、するとサラサラ、ハラハラ、トロフィーの様な透明な入れ物の中に白い氷が溜まっていく。
そこに各色のシロップを入れる、そしてまたグルグルガリガリ、山の様になった白い氷の上に再びシロップをかけてくれる。

オバチャンオレの氷が少ないとか、オジサンオレのはシロップが少ないよとか、ガキ同士涙をためてそれぞれ平等をオバチャン、オジサンに訴える。
ウルセーガキとかは駄菓子屋さんは絶対にいわない。
ハイハイ、ワカッタヨ、ハイハイコレデイイカイ、ハイハイとなんでも願いを叶えてくれた。オドロシイ駄菓子屋さんというのはこの地球上に存在しない。

すっかり食べ終えると、みんなで舌を見せ合った。
オマエシロー、オマエキイロー、オマエミドリー、オマエアッケェーとかいっては冷え冷えの氷を楽しんだ。小さな店で氷メロン150円を食べながらガキの頃を思い出した。
自転車に乗った中学生たちが次々と来た。主婦も来た。オバアチャンも来た。タクシーの運転手さんも来た。

大いに繁盛していた。何かとっても幸せな気分になった。
勿論ご夫婦は優しさ度120%位であった。

午後一時半、応援に行った愛する孫たちの野球の試合が始まった。
コンビニとスーパーとファミレスのない時代の方がずっとみんな仲良しで、みんな笑っていた。ガキの頃、お金持ちの家の子がいて駄菓子屋さんの前で、かき氷を食べたいと泣いておねだりしていた。あんなもん食べたらおなか壊すからダメといった。
緑色の舌でお金持ちにアッカンベーをしてやった。

2014年7月14日月曜日

「脱獄2本」




人間はオギャーと生まれた瞬間から、人生という監獄生活の中に入る。
そして宿命の刑、運命の刑、寿命の刑を努めねばならない。

七月十一日、2本の映画を見た。
午後十一時四十五分から午前二時まで、NHK BSプレミアムで名作「ショーシャンクの空に」、妻と不倫の相手を殺した罪で終身刑の男がショーシャンク刑務所に入る。


この主人公は銀行の副頭取であった。男は無実であった。
真犯人は行きずりの押し込み強盗であった、が刑務所はその真実を隠す。
男は二十年の歳月をかけて脱獄する。

刑務所の中で知り合った男から小さなノミを手に入れる。
そのノミの隠し場所は刑務所でこれを読めと渡された聖書の中であった。
聖書の中をノミの型に切り抜き、そこに隠したのだ。そしてコツコツ壁を掘り続ける。
掘る時に出た石くずは、少しずつポケットにしまい込み運動場に散らばして行く。

穴は、リタ・ヘイワースやマリリン・モンローなどのポスターなどで隠す。」
何かの実話に基づいた作品なのだが。この映画は単なる脱獄物ではない。
哲学的で、文学的で、詩的である。人間が一生自由を奪われるという終身刑の監獄生活の中で様々な囚人を通して、真の自由とは何かを問いかける。

’94上映時賞賛をあびた名作だ。人間は収容という空間にはじめは憎悪するが、やがて慣れてしまい、娑婆の自由に恐怖するようになる。
私たちは気が付くと毎日々日課のような空間の中にいる。
男は日課から逃れるべく500ヤードの汚水管の中を進みだす。

人生の中に果たして真の自由はあるのだろうか。その自由とは何であろうか。
刑務所にいれば毎日同じ日課をこなせば死ぬまで三食食べさせてもらえる。
娑婆ではそうは行かない。娑婆とは艱難辛苦の世界を言う。

この映画を見終わり、そうだ脱獄物の名作のDVDが確かあったのを思い出しダンボール箱の中から見つけ出した。題名は’67「暴力脱獄」原題は「クールハンドルーク」だ。
主人公ルークは何度も何度も入獄するが、その度に脱走する。
そして手ひどいリンチを受ける。そしてまた脱獄する。いつしか囚人たちは、男の事をクールルークといって脱獄の度に拍手を送る。失敗を恐れず挑戦する男だからだ。

ある日、労役で道路の修復作業をする、両足には重い鉄の塊が鎖で繋がれている。
囚人たちは男の脱獄を助ける、男は逃亡する、やがて夜になる、刑務所は総動員で追い詰める、何匹ものシェパード犬と共に。男は教会の中に隠れていた。
その影に狙撃手の銃が。朝になると囚人たちは口々にこう言う、最高にクールな奴だったぜと。

この映画の主題もまた、真の自由とは何かに対する問いかけであった。体制に対して反体制は存在し、挑戦する。アメリカという国は自由の国のようであるが、自由に対して行動する者には容赦はない。それ故脱獄者の映画が多く生まれ、名作が生まれる。
金儲けに運命をかけた者は金で運命を狂わし、快楽に運命をかけた者は快楽で運命を狂わし、権力に運命をかけた者は権力で運命を狂わす。


人間は何かに狂い、その何かによって狂わされる。だが歴史は人間の熱狂からしか生まれない。挑戦を恐れてはならない。

午前四時五十分、2本目を見終わる。
ちなみに「ショーシャンクの空に」の中には二人の主人公がいる。脱獄した男との二十年の刑務所生活を語る男。それが「モーガン・フリーマン」この役で不動の地位を築いて行く。「暴力脱獄」の主人公クールルーク役は若き「ポール・ニューマン」だ。
やはりこの映画で不動の名声をつかむ。

人生という監獄はどんなに長い刑でも、100年位だ。
真の自由を求めて、何回も、何回も脱獄を試みようではないか。
クールにやるのだ。人間は“時間という刃”を持っている。

2014年7月11日金曜日

「話と、話と、話たち」




七月十日(木)東京発→熱海行、午後十時五十二分発。
東海道線はすこぶる雨に弱い。
台風が近づいて来ているので友人三人との楽しい話を十時半に切り上げて東京駅に向かった。

車中その日の話を思い出した。
政治の話、経済の話、思い出話し、あの社長どこで狂ってしまって今刑務所暮らしなのだろうの話、出版の話、銭湯の番台の男を何故女性は異性として感じないのだろうかの話、この頃男のオシリの穴の毛を脱毛するのが流行っているという信じ難き話、友人が近々スリランカで巨大曼荼羅を公開するという話、友人がその日の群馬県の上毛新聞にロングインタビューされていた世界遺産成功への話、貧困が原因で学校に行けないという大問題の話、スチュワーデスがキャビンアテンダントとなって高嶺の花じゃなくなってしまった話、ついでにCAは下着はTバックでないと叱られるという話(ラインが見えると乗客がコーフンするのだとか(?))これからのマーケティングやコミュニケーションの方法論、NPOの在り方についてなどというちゃんとした話もする。

久々に会った私と三人の広告界の友人の話は、パチンコの玉の様にガチャガチャになったり、ビリヤードの玉みたいにぶつかり合ったり、ピストルの弾みたいに破裂し続けた。

あっという間の三時間半であった。広告界の話も盛り上がった。
私たちが最大級のリスペクトをする浅葉克己さんが行っている数々の偉業の話、近々朝鮮半島の三十八度線で卓球の親善試合をするのだ。
国境線が卓球台のネットだとか、北と南がラリーする夢のような話。

その日の午後二時〜三時半まで青山の浅葉さんの仕事場におじゃましていた。
葛西薫さんのヒロシマアピールのポスターが本年度のADCの最高賞になった話、先日ヒロシマの街を飾った井上嗣也さんのヒロシマアピールの二点のポスターの凄い作品の話(次年度は井上さんがグランプリだ。究極のビジュアルであった)。
超一流の人は人の何十倍も研究、努力、勉強し、行動している事をつくづく知る日であった。とにかく凄い活動へのエネルギーに脱帽であった。

私も必ずやってやると決意した日でもあった。

2014年7月10日木曜日

「血だらけの教え」




サッカーの神は果たして誰の味方となるのだろうか。

PK戦に敗れたオランダのエース、ロッペン選手はスタンドに向かった。
そこには泣きじゃくる男の子がいた。その男の子をなだめる美しい女性がいた。
ロッペンの妻子なのだろう。ロッペンは、妻と子に優しい微笑みを投げかけた。
120分を戦い抜いた男だけが作る事が出来る、父と夫の姿だった。

勝ったアルゼンチンのエース、メッシ選手の左足には愛する男の子の小さな手形が刺青されている。美しい妻は子と共に神に祈る。
男の激闘、死闘を支えるのはやはり、愛する人間と神への願いだった。

サッカーW杯もいよいよ七月十四日の決勝戦へと向かう。
私はサッカーを詳しく知らなかった。

アルゼンチンの一人の選手が相手と激突し、口の中を傷つけ出血した。
後頭部を強く打って脳震盪をおこし、目の焦点が合っていなかった。だが既に三人が交替しており、替わる選手はもう出せない(ルールにより)。
その選手は大きなガーゼを口の中に入れ、それをしっかり噛んで再び戦いの場に戻った。口から白いガーゼが泡のように吹き出ていた。

私はその男の姿を見て、あー俺は今日サッカーファンになったんだなと思った。
愛する者のために血だらけになって戦う男こそ男なのだ。その選手に教えられた。

但しその戦いが、武器を使用した戦争であってはならない。
スポーツの世界と、働く仕事の世界だ。屈強な男たちは胸に手をあて、指をあて十字を切る。芝生に頭をこすりつけ祈りを捧げる。神はいるのだろうか。

親愛なる友人から過日聖書を送ってもらった。
私に神を信じよという事なのかもしれない。私の大好きなエメラルドブルーの表紙だ。
神など全く知る気がない人生であったが読んでみるかと思った。

そう思わせるほど男たち、それを応援する七万人近い観衆は胸で十字を切り、天に向かって祈り続けていた。
私にとっての神は、ずっと亡き母であり、亡き愛犬であった。

七月十日午前八時二十五分二秒、サッカーの激戦を終えたTVでは台風の被害状況を伝えている。大自然の神は何かに起こっているのかもしれない。
待てよ一番怒っているのは私に対してかもしれない。
もっと、もっと血だらけになって献身的に働き続けよと。

2014年7月9日水曜日

「ある一面」




朝日新聞という新聞は、肝心な時に腰が砕けるという顕著な歴史を持っている。
連日反戦、反権力を主張していたかと思うと、一夜にして突如体制に組みした新聞となる。

七月八日(火)帰宅して夕刊を広げ、私の腰が砕けてしまった。
台風で初の特別警報発令!最大級の台風8号が宮古島から沖縄に来襲、すでに瞬間風速50メートルを観測したというのに、一面の大見出しには、ドーンと「谷中の全生庵、異色の禅寺」中見出しには「安倍首相から社長まで」小見出しには「46歳住職・心の自然治癒力 強調」とあるではないか。

「沖縄50万人避難勧告 台風8号」は左隅に小さな三段記事扱いだった。
一面の半分を“全生庵”の紹介に費やしていた。緊急性のないこの種の記事が一面トップを飾るのは異例といえる。

全生庵は幕末の英傑「山岡鉄舟(幕臣)」が明治維新で命を落とした人を弔おうと建立した。山岡鉄舟は、明治天皇の教育者となる。
山岡鉄舟、勝海舟、高橋泥舟の三人を世に幕末“三舟”という。
全生庵はやがて国士たち、右翼思想家、財界人が座禅をし、学び合い、集う所となる。

その中心に先年亡くなった「四元義隆」がいた。
四元義隆は東大生のテロリストとして有名になった行動思想家であった。
一人一殺をスローガンにする水戸の日蓮宗住職「井上日召」の弟子となり血盟団事件を起こす。吉田茂、中曽根康弘など時の権力者たちは師と仰いだ。
九十歳過ぎまで命を保ち影響力を持ち続けた。

記事を読むと、一度権力を手放した安倍首相が再生を目指し、全生庵に通い座禅を組んだ。そして権力を再び手にした今も時間を作っては通っているとある。
さて、この様な記事が何故に七月八日に必要なのか腑に落ちないのだ。
昨日まで集団的自衛権反対一色だったのに。
きっとどこからか、オイ朝日調子乗ってんじゃないぞと凄まれたのかもしれない。
何かがあったのは間違いないだろう。

今の朝日に気骨のある記者はいない。
かつて東京読売に「本田靖春」という伝説の記者がいた。
私はこの人に心底憧れていた。「我、拗ね者として生涯を閉ず」という本を読んでもらえればその記者魂の凄さが分かるはずだ。インターネットで検索だけでもしてほしい人だ。

箸にも棒にもかからない新聞となってしまった毎日には「大森実」という国際的記者がいた。大阪読売には「黒田清」という黒田軍団を率いる記者がいた。
コメンテーター大谷昭宏はその子分である。いい記者魂であった。
根性者がいなくなった新聞はきっと滅びて行くのだろう。

私は使えないが、ネットの情報力の敵ではないからだ。
私は最早再生不可能なのだが、七月九日現在午前一時十三分十一秒、これから座布団の上で沈思黙考に入る。日本は立憲国家から王政国家になって行くのだろうか。
皇帝ネロみたいな人物がずっと天下人でいるのだろうか。
織田信長はこの国に王は二人必要でない、自ら天皇の上に立つ野望を持って安土城を作った。天守閣の下が天皇を迎え入れる場所であった。神も恐れぬ城が安土城であった。

拉致問題で北朝鮮との第一弾取引が成立したかもしれない。
支持率を上げ一気に解散をするやもしれない。ライバルの石破茂を徹底的に使い潰す。
口うるさい先輩や老人たちを絶息させる。公明党を必要としない体制を作る。
野党は文字通り霧散させる。一党独裁から一人独裁の王となる。

うーむ、となると必ず謀反人が出る。ユダが出る。
裏切り者は直ぐ側にいると歴史は教える。うーむ、少しずつある一面が見えて来た。
朝日が何故一面を全生庵で飾ったかが。

いつものグラスに冷えたビールを入れることにしよう。枝豆がつまみだ。
うーむ、雑念ばかり浮かんでしまう。これが私の悪い一面なのだ。(敬称略)

2014年7月8日火曜日

「繰り返し、繰り返す」


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この季節毎年思う事がある。
梅雨の終わり必ず記録的大雨が降る、そして山が崩れ、河は氾濫し大洪水となる。
また強烈な台風が来襲し、梅雨前線を刺激し更なる大雨が降る。
毎年それは繰り返される。

あなたは風速20メートルとか30メートル、40メートルという数字でおよその風力を想像出来るはずだ。震度3とか5とか6とかは想像できるはずだ。
だがしかし一時間に50ミリの大雨、100ミリの大雨と言われても、50ミリといえば5センチか、100ミリといえば10センチかなんて想像したりするだろう。

気象庁は50ミリ、100ミリの雨がいかに凄い事なのか視覚的に教えてくれない。
雨の凄さを傘をさしている場合はこれ位とか、車を運転している場合はこれ位とかの実験は見せているのだが。

実はこの細長い国は、国士の80%近くが森林である。
人間の住居の殆どは河の側にあり、海にある。山の下にあり、崖の下にある。
気象庁は警報の呼び方を変えたが、それは言語警報による気象庁の自己満足でしかない。

コンピュータグラフィックが進化を遂げているのだから、50ミリの雨だと◯△川はこうなるとか、100ミリだと××山は崩れるとか。
◎△地方の×△地区は毎年の雨でこんな状況だから酷い土砂崩れになるとか、△□河、□×川はこれ位まで水位が上昇する、あの橋、あの土手、あの地域は危険だと視覚的に見せる事が出来るはずだ。

何しろこの日本国の歴史は災害の歴史だから、2000年間の膨大な資料データが気象庁にあるはずなのだ。
役所仕事の極みで予報や予測が外れたらヤバイ、マズイ、だから警報表示でお茶を濁しておこうとなり、毎年災害を繰り返す愚挙が起きる。

卑弥呼の時代から、国を治めるという事は災害を予期しそれを防ぐためであった。
世界中で生まれた王国の王たる者の仕事とは、全て大自然への畏怖と治山治水、災害への備えであった。荒らくれの戦国武将や、諸大名の仕事の第一は災害への備えであった。
強大な台風が来るぞ来るぞと日本地図を出し、その進路予想をし、避難勧告を出す。
本来であれば国家の主が前面に出て詳しく説明しなければならない。

繰り返し見る光景は、被災に遭った所にピカピカのヘルメットと真っさらな作業着と長靴で大変でしたね、なんて小一時間回るだけだ。
政治とは「治」める事だ。七月七日七夕の日、国の主はオセアニア旅行に行って居ない。
国土交通大臣が呼びかける事もしない。

七月八日午前一時五十分ジャスト、NHKでは日本地図と進路だけがチンタラ、チンタラ流れている。台風情報というタイトルとだらだらしたBGM
危機管理体制はまるで見えない。NHKのアナウンサーは次の時間までのんびりとマンガを読みながらカップラーメンをすすっているのかもしれない。
大宇宙の神秘をコンピュータグラフィックで詳細に教えてくれる時代なのに。

オッ、二時になった。NHKにアナウンサーが出てきた。
風速70メートルの猛烈な風が吹き、一時間に100ミリ以上の記録的大雨が降る事が予想される。外出せずに危険な所には近づかない様にと同じ事を繰り返す。
身を守る事と、繰り返し喋っている。

実感が分かる映像で教えるべきだと私は思う。
それがない限り、えっまさかあの山が、あの岩が、あの川が、あの橋が、あの地域がを繰り返すだろう。気象庁は全て分かっているのだ。

二時十三分NHKは日本地図を流し出した。
民放は台風などは他国の話の様で、通販とか低俗な番組を流している。
何もかもがデジャヴ、いつか見たものなのだ。責任者出て来い!と思うのだが。

あなたは国土交通大臣の名前、気象庁長官の名前を知っていますか。
私は知りません(?)(?)。

マンゴーは宮古島や宮崎産が美味しいのよと教えてくれた博学の女性がいた。
大恩人なのだが、恩知らずな事をしてしまった。
果実店でマンゴーを見る度に思い出しお詫びする。
「黒門なべじ宮崎産のマンゴー」を頂いた。宮古島地方に台風は接近している。

午前二時四十七分二十四秒、礼状を書き始めた。

2014年7月7日月曜日

「生き血を吸うもの」




人間という生き物を殺しているのは何か。

世界保健機関(WHO)や国際連合食糧農業機関、論文などのデータをもとに、ビル・ゲイツ氏らが分析した。サメに噛まれて死ぬ人は年間十人ほどしかいない。

オオカミ、ライオン、ワニなども同じ位の数字だ。
サナダムシ、カイチュウ、ツエツエバエになると数千人、犬(狂犬病)が一万数千人。第三位のヘビはかなり多くて五万人位。
アフリカでは、カバやゾウによる死者は毎年数百人にのぼるらしい。

人間にとって一番恐ろしい生物の第二位は、人間だ。
毎年人間は人間を四十万人〜五十万人を殺している。
そして第一位は、蚊だ。蚊の怖さ、マラリア原虫を媒介することだ。
血を吸う時に蚊が分泌する唾液の中にいる原虫が人間に感染してしまう。
主な感染地域は熱帯で国内では珍しい。

平清盛が苦しんだ熱病がマラリアだったという説がある。
全世界の半分が蚊の危機にさらされているという。
これは私の予想だが、日本国は毎年熱帯化している。
それは地球温暖化が一因なのだ。つまりは蚊が増えてくるはずなのだ。

今日七月七日は七夕だ。短冊に、どうか蚊に刺されないようにと書いて下さい。
蚊取り線香やキンチョール、フマキラーを買って置いて下さい。
キンカンも夏の必需品です。

この頃ザイムショウ蚊という悪い蚊が日本国民の生き血を吸い尽くし始めています。
増税、増税、大増税、またネアゲ蚊という嫌な蚊がそこいら中に大発生しています。
値上げ、値上げです。財務省の前に巨大な渦巻き状の蚊取り線香がたくさんある夢を見ました(?)勿論それは巨大な陶器で出来たブタの入れ物に入っていました。

みなさん!ルーチョンキじゃない、キンチョールを持って財務省前に集って下さい。
ブタ箱に入らない程度にシューシューと殺虫して下さい。物価の値上げ指数が上って喜ぶ国はこの先どうなるのでしょうか。

そういえば蚊はブタを媒介することが多いといいます。
霞ヶ関には官僚という焼豚(チャーシュー)にしても食えない東大法学部出身のブタが多くいます(勿論清廉潔白な人物も多いはずです)。
国民の生き血をたっぷり吸って、マルマル焼け太りしているのです。
天下りブタというのが、四十代前後にアチコチの団体や機構や企業に続々と天下って行くのです。

いけねえ〜、網戸の穴から蚊が一匹入って来た。逃げ足の早い奴だ。
思い切りブッタタイテやる。

2014年7月4日金曜日

「明け方のソーメン」






その日、午前三時四十五分を過ぎた。
激戦死闘のW杯サッカーの試合が終わった。

テレビの画面には突然ウィンブルドンのテニス大会が写し出された。
サッカーとテニス、その余りの違いに私の熱くなっていた体は、気の抜けたビールの如く著しくテンションが低下した。

サッカーは、民族対民族、宗教対宗教、歴史対歴史、怨念対怨念、屈辱対屈辱、侮辱対侮辱の戦争である。路地や原っぱや広場で生まれた貧困のスポーツである。
それ故人間たちは熱狂し、絶叫し、歓喜し、泣き合い抱き合い、時には暴動となり殺しあう。片時も目を話す事が出来ない。
九十分間一点も入らないと思えば一瞬で一点が入ってしまう。

私がテニスと全く縁がないのは、テニスはお金持ちのスポーツだからだ。
ウィンブルドンには何ら殺気を感じない。
観客は実に折り目正しく、ただ首を動かし、目を右、左、左、右と動かす。
喚声が上っても絶叫はない。個人対個人であるから決して暴動や殺し合いも起きない。
紳士淑女たちのスポーツなのだ。軽井沢が似合うのだ。
だからどうだというものではない。テニスもまた死力を尽くす事には変わりはない。

中学の頃野球が盛んであった。
小さなグラウンドは野球部がほぼ占拠していたのだが、テニス部がグラウンドを使う事があった。オメエ等男のくせにテニスなんかしてんじゃねえよ、なんて悪口雑言を放っていた。

人はそれぞれだから、地球上には人間が生んださまざまなスポーツがある。
それ故人それぞれ好き嫌いがあるのは当然だ。
時間が走り回るスポーツがサッカーなら、時間が途切れ途切れするのがテニスといえる。試合中何度かタイムアウトが許され、椅子に座りタオルで汗をふき水分などを補給する。いっそ九十分一本勝負ぶっ続けでやり、どっちかが死ぬ寸前までやったら面白いのにな、などと思った。

貧乏と金持ちの間は決して近づく事はない。
私がよく行くおそば屋さんにテニスを楽しんだジジイ、ババアたちが汗臭い体に変てこなファッションで昼そばを食べに来る。
他のお客の事を考えず、ギャーギャーうるさくてたまったもんじゃない。
紳士淑女には程遠いのだ。

テニス派の人が読んでいたらスミマセン(あなたはそんな人でないはずです)。
W杯サッカーの合間にウィンブルドンのテニスを“つなぎ”に放映するNHKのセンスが悪いのです。

明け方にすする冷たいソーメンは実に旨いものです。
サッカーとミョウガがミョウに合うのです。

2014年7月3日木曜日

「御三家とやってみなはれ」




サントリーHDの新社長にローソンの新浪剛史会長が就任するという。
創業以来115年、創業家一族で経営をしてきたサントリーが何故外様の人間を起用する事としたか。

これは私の穿った考えにすぎないのだが、近い将来サントリーとキリンが合併するだろうという事だ。新浪剛史会長は三菱商事出身。
つまり2010年破談となったキリンHDとの経営統合に対し、三菱御三家がOKを出したという事だと思われる。

三菱御三家といえば、三菱重工、三菱商事、三菱UFJフィナンシャルグループを指す。
キリンHDは三菱グループの一員である。世に人の「三井」「組織の三菱」という。
三菱の結束力は強い、グループ内の大事な事は、御三家が決める。

私の愛するキリンの株価はライバル、アサヒのほぼ半値である。
時価総額もアサヒに抜かれたり、抜いたりとせめぎ合っている(アサヒは住友系である)。
サントリーHDはアメリカの名門ブランドビーム社をMA、その名をビームサントリー社として本社をアメリカに置き、激変するグローバル化に対し、一気に勝負をかけ動き出した。

七月二日、サントリーHD佐治信忠会長とローソンの新浪剛史会長が記者会見した。
その中で、再びキリンホールディングスとの経営統合があるのかの問いに佐治信忠会長は、「国内も非常に重要なので、絶対にないとは言えない」と答えている。
御三家と水面下で相当に話が進んでいる筈だ。
敵を欺く前に味方を欺けというから、キリンHDの知らない奥の院で強大な企みが進んでいるのだろう。

私はサントリーの仕事も多くさせていただいた。
だが、両者が一緒になるのには反対だ。
何故なら両方共に個性が違い、共に魅力的だからだ。
野心と野望と「やってみなはれ」の企業風土と、品質本位、「王道精神」を行く企業風土は相入れず、様々な不幸が見えるからだ。

ただTPP交渉の完敗により、日本の市場は全面的に開放される。
経済界は劇的に変わる。

三菱UFJフィナンシャルといえど世界ランクは10位だ。 
1279位が中国の銀行だ。三菱グループの強化は系列会社に赤いスリーダイヤを付けさせ始めた事で分かる。

「マナー重視、紳士たれ」という私の知るキリンブランドが何処へ向かうのか、気がかりでならない。御三家は鳥井家、佐治家はどんな絵図を描いているのだろう。
東の経済界のリーダーとなっている新浪剛史氏の突破力と行動力、現政権での発言力は凄いものがある。西の経済界のリーダーに甘んじている佐治信忠氏にとって、新浪剛史氏は天下制覇への強力な鉄砲玉であり、助っ人なのだろう。

但し、鉄砲玉が見事に当たるという保証はどこにもない。
鉄砲玉の末路というのは渡世人の世界ではほとんどが哀れである。