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2014年7月23日水曜日

「三面鏡に見る一面」

※イメージです


世界一の借金国ニッポンは、二度目のオリンピックに向かっている。
街を歩いていると老朽化したビルが解体されているのが多いことに気づく。

 今までは正面しか見てなかったビルが解体され側面をさらけ出すと、こんなにも古かったのかと思わされる。左も右も解体されてぽつんと残ったビルなどは哀れを感じる。
正面にはネオンや看板や張り紙などで化粧が施されているが、側面は老朽剥き出しだ。

幾つかそんなビルを見ていると、ふと我と我が身に重ね合った。
自分で自分の嫌な側面を見ることほどシンドイものはない。

かつて、嫁入り道具の一つに三面鏡というのがあった。
正面、右側面、左側面を写し、なんて私は美しいのだろうかと自分勝手にウットリしたり、なんでこんなことになっているのか、これはきっと鏡が悪いのだとつぶやきつつ、親を呪ったりしている姿をデパートの家具売り場で見た(私は若いころデパートに勤務していた)。

私がお世話になった会社が入っていた東銀座駅前のビルがあっという間に側面を露わにしていた。正面には、二階漫画喫茶、三階麻雀、四階エステサロンの毒々しい極彩色の張り紙が窓ガラスに貼ってあった。

世界の国々が正面ではキレイ事をいい、側面では自国の権益を拡大することに手を汚している。この日本国を三面鏡で見るとどんな顔立ちなのだろうか。

法の番人に聞いた話だ。
大きな門構え、立派な家屋敷に住んでいる人間は殆ど法を犯していると思っていい。
法を守り真当に生きていたなら、そんな家屋敷には住めないと。
法はそんな人の側面を守るものでもあるのだと。

大金持ちの家の一人息子として生まれた男が、それが嫌で嫌で何度も人の物を盗んでは捕まっていた。勿論わざとであった。万引きや窃盗犯には、富裕層の子どもが多いのだ。
その原因の多くは金持ちぶっている親の顔に泥を塗ってやりたいからであった。
家の数だけ問題はある。見せたくない側面があるんだよと、法の番人は云っていた。

2014年7月22日火曜日

「蟻のままで」




三連休を利用してこれはとっておくべしと、溜めてあった新聞を整理した。
いい記事、大切な事と思うのは切り抜き、ノートに貼ったりする。
気がつくと六月末から溜め込んでいた。

そんな中で六月二十六日(木)朝日新聞の「論壇時評・オピニオン」というコラムに目が止まった。作家高橋源一郎が「アナ雪」と天皇。
「ありのままでダメですか」というタイトルをつけて論評を書いていた。
その一部を原文のママ紹介する。

数日前、大ヒット中の映画「アナと雪の女王」を見た(①)。
公開されて数ヶ月を経てなお、空席はなかった。
若くして王である父と母を亡くした姉エルサは、その国の女王として即位する。
けれど、エルサには、大切な妹アナにもいえない大きな秘密があった。
すべてを凍らせる魔法の力を持っていたのだ。

中森明夫はこう書いている。
「あらゆる女性の内にエルサとアナは共存している。雪の女王とは何か?自らの能力を制御なく発揮する女のことだ。幼い頃、思い切り能力を発揮した女たちは、ある日、『そんなことは女の子らしくないからやめなさい』と禁止される。傷ついた彼女らは、自らの能力(=魔力)を封印して、凡庸な少女アナとして生きるしかない。王子様を待つ事だけを強いられる」(②)

その上で中森は、幾人かの、実在する「雪の女王」を思い浮かべる。
その一人が「雅子妃殿下」だ。彼女は「外務省の有能なキャリア官僚だった」が「皇太子妃となって、職業的能力は封じられ」「男子のお世継ぎを産むことばかりを期待され」「やがて心労で閉じ籠ること」になると記した上で、さらに映画のテーマ曲「ありのままで」に触れながら「皇太子妃が『ありのまま』生きられないような場所に、未来があると思えない」と書いた。

この原稿は、依頼主である「中央公論」から掲載を拒否されたのだが、その理由は定かではない。(①)は映画「アナと雪の女王」(②)は「中央公論」掲載拒否!中森明夫の『アナと雪と雪の女王』独自解釈(ネット掲載、サンデー毎日七月六日号にも。

この他に上野千鶴子の「人の一生を『籠の鳥』にするような、人権を無視した非人間的制度には、誰にもなってもらいたくない」論や、赤坂真理、原武史、堀江貴文らの論評を紹介していた。コラムはほぼ五段分を使用していた。
その最後に皇太子の移動のための交通規制で足止めを食った堀江貴文が「移動にヘリコプターを使えば」とツイートした。それに対して、皇室への敬愛が足りないと批判が殺到した。

皇太子のことを何だと考えているかとの質問に、堀江は簡潔にこう答えた(⑥)。
「人間」いいこというね、ホリエモン。であった。

女性天皇制については、秋篠宮家に男児が生まれた瞬間に止んでしまった。
「アナと雪の女王」も見る人によって解釈いろいろだ。
私は「ありのまま」ではなく「蟻のまま」で生きていく。

かつてサントリーモルツの名作コマーシャルで。萩原健一が蟻ん子たちに向かって、もっと働け!といったのを思い出した。ハイ!一生懸命働きます!(⑥)は(@takapon_jp)によるつぶやきとのことです。あなたは、どんな「ありのまま」の姿でしょうか(?)じっと我慢はいけません、私以外の人に思い切りあたり散らして下さい。

2014年7月18日金曜日

「ブルースな夜」




夜の銀座を歩くのが好きだ。
水原弘の「黒い落葉」などを口ずさみながら五丁目から新橋駅まで歩いた。
♪〜俺にも若さがあったのさ 落ち葉の唄はブルース。

銀座にはブルースがよく似合う。昇って行く人間には興味はない。
落ちて行く男、落ちて行く女。
沈んで消えて行く宿命。見栄と虚飾。意地とプライド。天と地。

落葉のブルースは酒と涙の上に積み上って行く。
♪〜咲いて流れて散って行く、今じゃ私は涙の花よ…。
♪〜京都にいる時や忍と呼ばれたの…流れ女の最後の止まり木にあなたが止まってくれるの待つわ、昔の名前で出ています。

森進一や小林旭の歌を口ずさむ。歌詞が途切れ途切れしか浮かばない。
人に尽くして沈んだ男は銀座では最高の男とされる。
人を利用し裏切って昇った男は、その逆に最低となる。

十代の頃、どっぷりと夜の世界にいた。酒が学校だった。
あの人、あの男、あの女性は今どうしているだろうか。
飲み代を背負い込ませたまま別れた顔を思い出す。あったら何倍にもして返したい。

銀座にやたらと“俺の”がついた店が増えた。
俺のイタリアン、俺のフレンチ、俺のカレー、俺の焼肉。何だこりゃと思う。
さすがに俺のオンナはない。少年たちが万引きした本を、安い値段でソックリ買い上げて高い値段で売り、町の本屋さんの敵となったブックオフの創業者が“俺の”ブームを生んだ。

その内、あたしのイタリアンとか、わたしのフレンチとか、あたいのカレーなんかが生まれるかもしれない。男と女はいつの世も争うのだ。
結局男は勝つことは出来ない。あたしは俺よりも常に強い。

やがて私は新橋駅に着いた。
「ママよ、ゴハン食べた、学校の用意ちゃんとしたのぉ、これから電車乗るからね〜」
携帯を手に小走りに改札口に向かう、夜の女性たちが続々と列を成す。
私はそんな女性がとても愛しく思えるのだ。

がんばれよ、きっといい事があるからなと、こころの中で声をかけるのだ。
会社員風の若い女性がへべれけになって同僚らしき二人の男に抱き抱えられている。
七月十七日木曜日、午後十一時四十八分三秒。

2014年7月17日木曜日

「予想外の熱さ」



七月九日午後七時ちょいと過ぎ、銀座二丁目の中華屋さん。
私は一人夕刊を読みながらシューマイ(焼売)を食べ、ハイボールを飲んでいた。
知人と会うまで時間があった。
暑い、蒸し暑い、少し汗を引かせたかった。

テレビからNHKニュースが流れていた。
私の後から来た五十六・七歳のおじさんが右前に座って、麻婆豆腐定食を頼んだ。
私の左隣りの細い女性は一人ワンタンメンを食べていた。
入り口近くの中年男女は、生ビールとお通しの枝豆を味わっていた。

ニュースは川内原発再稼働へと伝えている。
人が何千何万人死んでもきっと表情ひとつ変えずニュースを伝えるであろう武田アナが映っている。
原発事故が起きても逃げ場を確保していない、安全基準(?)原子力規制委員会のどんより暗い田中委員長が、いつものように聞き取れない低い弱々しい声で話している。

私が五つあるシューマイを三つ食べた時、おじさんに麻婆豆腐定食が、おまちどーさんと出された。アツアツの麻婆豆腐が赤々とお皿いっぱいに、ごはんとザーサイ(小皿に)と小さなスープが私の目に入った。

七時二十五分ちょい過ぎ、ニュースに大相撲が出た。
横綱日馬富士と平幕嘉風だ。あっ、おっ、あ、あ、あ、あ〜横綱がヨッタ、ヨッタしながら敗けた、と同時におじさんが、アツ、アチ、アヂーと小さく声を出した。
麻婆豆腐を口に入れた後、予想を超えたお豆腐の熱さにオジサンの口内が水を要求した。おじさんは慌ててコップの水をゴクゴク飲んだ。
だが、お豆腐は熱い温度を保ったままおじさんの喉を水と共に通過した。

で、今度は喉から食道にかけてムグッ、ウグッ、アッヂーとなり背中が痛くなってしまった。イッテー、セナカイッテーと声を発し、深呼吸したその顔は涙顔だった。
左手を背中に回し拳でどんどん叩いていた。
きっと日馬富士のファンだったのかもしれない、麻婆豆腐は慎重の上にも慎重に取り扱わないとヒデー目にあうことを私は知っている。
おじさんと同じ目に何度かあったことがあるからだ。

最高に旨い麻婆豆腐は最高に熱いのです。
銀座二丁目「菊鳳」ここの中華料理はどこにも負けない。
正真正銘安くて抜群に旨い、そして熱い。一食千円もあれば大満足!

2014年7月16日水曜日

「みたらし団子」




私はわたし自身が認めない評論家が大嫌いです。
中でも教育評論家という奴は特別大嫌いです。

したり顔でスマホ依存やメールやツイッター、フェイスブック、ライン依存はイケマセン、親との距離があるからです。親よりメル友の方が大事な話相手、相談相手なのです。
国や都道府県や市町村の教育者は深刻な問題として捉えなければなりません。

終電にゆられゆられて帰宅してテレビをつけるとアホでバカヤローな教育評論家がコメントしていました。
お前の言っていることは誰だって分かっているんてんだよー、その深刻な大問題をどうすりゃいいのかがお前の仕事だろうが、とひとりでブツブツいいながら時計を外し、靴下を脱ぎ、二日前にご仏前に供えた“みたらし団子を今夜中に食べないと固くなってしまうからと口に入れる。

教育評論家が何の役にも立たないから子どもたちは迷い悩み苦しんでいるのだ。
結果論ばかりで救い難き職業の者共だ。

一本食べ終わったら二本、結局三本食べてしまった。
何の苦労もしないで、喧嘩の一つもしないで、殴られた痛さも知らないで、殴った時の突き指の経験も知らないで、大学の教育学部なんかを卒業して、気がつきゃ肩書に教育評論家だ。結局心の問題なんです。でお終いであった。

マッタクいい加減無責任な奴だと思った。
子どもたちの苦悩や寂しさ、愛情に飢えた姿と真正面から立ち向かうなら、講演ばかりでしこたま稼いではいられない筈だからだ。
私は教育評論家を本気で教育してやろうかと思ったりしている。

その夜二人のお客さんと久々に飲んでいたら、三人のダーセイおっさんが英語の歌ばかり唄ってた。
聞けば一人は新聞社の文化部の男、もう二人は教育関係の人という事であった。
うんざりするほど下手なので気持ち悪くなってしまった。
テレビを見てうんざりしたのはそのせいかもしれない。

私の知人が旅館を営んでいる。
客としていちばん性質が悪いのは、警察関係、次が役人関係、その次が教育関係と決まっているらしい。彼等は何もかもやりっぱなしなんだとか。
私は行かなかったが先日高校一年の時のクラス会があった。
幹事の人間に先生は来たかと聞いたら、アイツは酒癖がすこぶる悪いので呼ばなかったと言った。トホホな話だ。

2014年7月15日火曜日

「アッカンベーだ」


イメージです


たこ焼き、大判焼き、コロッケパン、あつあつポテト揚げ、氷ミルク、氷あずき、氷メロン、小倉アイスなどなど、小さな小さな店の中に全て食べたいお品書きがある。

七月十三日(日)午後一時、茅ヶ崎市立円蔵小学校正門前に一軒だけある店にいた。
四人しか座れない。元々はたこ焼きだけであったらしい。
六十歳前後の夫婦で営んでいた。

今年初のかき氷を食べた。私の場合氷メロンが最優先だ。
メロンソーダも別格だ。赤とか黄色の氷があるが何故か緑色がいい。

ふとガキの頃を思い出す。
駄菓子屋の店先で、オレ緑、オレ赤、オレ黄色、オレ白なんてオバチャンかオジサンに頼むと、まるで魔法の様なかき氷機でグルグルガリガリ、するとサラサラ、ハラハラ、トロフィーの様な透明な入れ物の中に白い氷が溜まっていく。
そこに各色のシロップを入れる、そしてまたグルグルガリガリ、山の様になった白い氷の上に再びシロップをかけてくれる。

オバチャンオレの氷が少ないとか、オジサンオレのはシロップが少ないよとか、ガキ同士涙をためてそれぞれ平等をオバチャン、オジサンに訴える。
ウルセーガキとかは駄菓子屋さんは絶対にいわない。
ハイハイ、ワカッタヨ、ハイハイコレデイイカイ、ハイハイとなんでも願いを叶えてくれた。オドロシイ駄菓子屋さんというのはこの地球上に存在しない。

すっかり食べ終えると、みんなで舌を見せ合った。
オマエシロー、オマエキイロー、オマエミドリー、オマエアッケェーとかいっては冷え冷えの氷を楽しんだ。小さな店で氷メロン150円を食べながらガキの頃を思い出した。
自転車に乗った中学生たちが次々と来た。主婦も来た。オバアチャンも来た。タクシーの運転手さんも来た。

大いに繁盛していた。何かとっても幸せな気分になった。
勿論ご夫婦は優しさ度120%位であった。

午後一時半、応援に行った愛する孫たちの野球の試合が始まった。
コンビニとスーパーとファミレスのない時代の方がずっとみんな仲良しで、みんな笑っていた。ガキの頃、お金持ちの家の子がいて駄菓子屋さんの前で、かき氷を食べたいと泣いておねだりしていた。あんなもん食べたらおなか壊すからダメといった。
緑色の舌でお金持ちにアッカンベーをしてやった。

2014年7月14日月曜日

「脱獄2本」




人間はオギャーと生まれた瞬間から、人生という監獄生活の中に入る。
そして宿命の刑、運命の刑、寿命の刑を努めねばならない。

七月十一日、2本の映画を見た。
午後十一時四十五分から午前二時まで、NHK BSプレミアムで名作「ショーシャンクの空に」、妻と不倫の相手を殺した罪で終身刑の男がショーシャンク刑務所に入る。


この主人公は銀行の副頭取であった。男は無実であった。
真犯人は行きずりの押し込み強盗であった、が刑務所はその真実を隠す。
男は二十年の歳月をかけて脱獄する。

刑務所の中で知り合った男から小さなノミを手に入れる。
そのノミの隠し場所は刑務所でこれを読めと渡された聖書の中であった。
聖書の中をノミの型に切り抜き、そこに隠したのだ。そしてコツコツ壁を掘り続ける。
掘る時に出た石くずは、少しずつポケットにしまい込み運動場に散らばして行く。

穴は、リタ・ヘイワースやマリリン・モンローなどのポスターなどで隠す。」
何かの実話に基づいた作品なのだが。この映画は単なる脱獄物ではない。
哲学的で、文学的で、詩的である。人間が一生自由を奪われるという終身刑の監獄生活の中で様々な囚人を通して、真の自由とは何かを問いかける。

’94上映時賞賛をあびた名作だ。人間は収容という空間にはじめは憎悪するが、やがて慣れてしまい、娑婆の自由に恐怖するようになる。
私たちは気が付くと毎日々日課のような空間の中にいる。
男は日課から逃れるべく500ヤードの汚水管の中を進みだす。

人生の中に果たして真の自由はあるのだろうか。その自由とは何であろうか。
刑務所にいれば毎日同じ日課をこなせば死ぬまで三食食べさせてもらえる。
娑婆ではそうは行かない。娑婆とは艱難辛苦の世界を言う。

この映画を見終わり、そうだ脱獄物の名作のDVDが確かあったのを思い出しダンボール箱の中から見つけ出した。題名は’67「暴力脱獄」原題は「クールハンドルーク」だ。
主人公ルークは何度も何度も入獄するが、その度に脱走する。
そして手ひどいリンチを受ける。そしてまた脱獄する。いつしか囚人たちは、男の事をクールルークといって脱獄の度に拍手を送る。失敗を恐れず挑戦する男だからだ。

ある日、労役で道路の修復作業をする、両足には重い鉄の塊が鎖で繋がれている。
囚人たちは男の脱獄を助ける、男は逃亡する、やがて夜になる、刑務所は総動員で追い詰める、何匹ものシェパード犬と共に。男は教会の中に隠れていた。
その影に狙撃手の銃が。朝になると囚人たちは口々にこう言う、最高にクールな奴だったぜと。

この映画の主題もまた、真の自由とは何かに対する問いかけであった。体制に対して反体制は存在し、挑戦する。アメリカという国は自由の国のようであるが、自由に対して行動する者には容赦はない。それ故脱獄者の映画が多く生まれ、名作が生まれる。
金儲けに運命をかけた者は金で運命を狂わし、快楽に運命をかけた者は快楽で運命を狂わし、権力に運命をかけた者は権力で運命を狂わす。


人間は何かに狂い、その何かによって狂わされる。だが歴史は人間の熱狂からしか生まれない。挑戦を恐れてはならない。

午前四時五十分、2本目を見終わる。
ちなみに「ショーシャンクの空に」の中には二人の主人公がいる。脱獄した男との二十年の刑務所生活を語る男。それが「モーガン・フリーマン」この役で不動の地位を築いて行く。「暴力脱獄」の主人公クールルーク役は若き「ポール・ニューマン」だ。
やはりこの映画で不動の名声をつかむ。

人生という監獄はどんなに長い刑でも、100年位だ。
真の自由を求めて、何回も、何回も脱獄を試みようではないか。
クールにやるのだ。人間は“時間という刃”を持っている。

2014年7月11日金曜日

「話と、話と、話たち」




七月十日(木)東京発→熱海行、午後十時五十二分発。
東海道線はすこぶる雨に弱い。
台風が近づいて来ているので友人三人との楽しい話を十時半に切り上げて東京駅に向かった。

車中その日の話を思い出した。
政治の話、経済の話、思い出話し、あの社長どこで狂ってしまって今刑務所暮らしなのだろうの話、出版の話、銭湯の番台の男を何故女性は異性として感じないのだろうかの話、この頃男のオシリの穴の毛を脱毛するのが流行っているという信じ難き話、友人が近々スリランカで巨大曼荼羅を公開するという話、友人がその日の群馬県の上毛新聞にロングインタビューされていた世界遺産成功への話、貧困が原因で学校に行けないという大問題の話、スチュワーデスがキャビンアテンダントとなって高嶺の花じゃなくなってしまった話、ついでにCAは下着はTバックでないと叱られるという話(ラインが見えると乗客がコーフンするのだとか(?))これからのマーケティングやコミュニケーションの方法論、NPOの在り方についてなどというちゃんとした話もする。

久々に会った私と三人の広告界の友人の話は、パチンコの玉の様にガチャガチャになったり、ビリヤードの玉みたいにぶつかり合ったり、ピストルの弾みたいに破裂し続けた。

あっという間の三時間半であった。広告界の話も盛り上がった。
私たちが最大級のリスペクトをする浅葉克己さんが行っている数々の偉業の話、近々朝鮮半島の三十八度線で卓球の親善試合をするのだ。
国境線が卓球台のネットだとか、北と南がラリーする夢のような話。

その日の午後二時〜三時半まで青山の浅葉さんの仕事場におじゃましていた。
葛西薫さんのヒロシマアピールのポスターが本年度のADCの最高賞になった話、先日ヒロシマの街を飾った井上嗣也さんのヒロシマアピールの二点のポスターの凄い作品の話(次年度は井上さんがグランプリだ。究極のビジュアルであった)。
超一流の人は人の何十倍も研究、努力、勉強し、行動している事をつくづく知る日であった。とにかく凄い活動へのエネルギーに脱帽であった。

私も必ずやってやると決意した日でもあった。

2014年7月10日木曜日

「血だらけの教え」




サッカーの神は果たして誰の味方となるのだろうか。

PK戦に敗れたオランダのエース、ロッペン選手はスタンドに向かった。
そこには泣きじゃくる男の子がいた。その男の子をなだめる美しい女性がいた。
ロッペンの妻子なのだろう。ロッペンは、妻と子に優しい微笑みを投げかけた。
120分を戦い抜いた男だけが作る事が出来る、父と夫の姿だった。

勝ったアルゼンチンのエース、メッシ選手の左足には愛する男の子の小さな手形が刺青されている。美しい妻は子と共に神に祈る。
男の激闘、死闘を支えるのはやはり、愛する人間と神への願いだった。

サッカーW杯もいよいよ七月十四日の決勝戦へと向かう。
私はサッカーを詳しく知らなかった。

アルゼンチンの一人の選手が相手と激突し、口の中を傷つけ出血した。
後頭部を強く打って脳震盪をおこし、目の焦点が合っていなかった。だが既に三人が交替しており、替わる選手はもう出せない(ルールにより)。
その選手は大きなガーゼを口の中に入れ、それをしっかり噛んで再び戦いの場に戻った。口から白いガーゼが泡のように吹き出ていた。

私はその男の姿を見て、あー俺は今日サッカーファンになったんだなと思った。
愛する者のために血だらけになって戦う男こそ男なのだ。その選手に教えられた。

但しその戦いが、武器を使用した戦争であってはならない。
スポーツの世界と、働く仕事の世界だ。屈強な男たちは胸に手をあて、指をあて十字を切る。芝生に頭をこすりつけ祈りを捧げる。神はいるのだろうか。

親愛なる友人から過日聖書を送ってもらった。
私に神を信じよという事なのかもしれない。私の大好きなエメラルドブルーの表紙だ。
神など全く知る気がない人生であったが読んでみるかと思った。

そう思わせるほど男たち、それを応援する七万人近い観衆は胸で十字を切り、天に向かって祈り続けていた。
私にとっての神は、ずっと亡き母であり、亡き愛犬であった。

七月十日午前八時二十五分二秒、サッカーの激戦を終えたTVでは台風の被害状況を伝えている。大自然の神は何かに起こっているのかもしれない。
待てよ一番怒っているのは私に対してかもしれない。
もっと、もっと血だらけになって献身的に働き続けよと。

2014年7月9日水曜日

「ある一面」




朝日新聞という新聞は、肝心な時に腰が砕けるという顕著な歴史を持っている。
連日反戦、反権力を主張していたかと思うと、一夜にして突如体制に組みした新聞となる。

七月八日(火)帰宅して夕刊を広げ、私の腰が砕けてしまった。
台風で初の特別警報発令!最大級の台風8号が宮古島から沖縄に来襲、すでに瞬間風速50メートルを観測したというのに、一面の大見出しには、ドーンと「谷中の全生庵、異色の禅寺」中見出しには「安倍首相から社長まで」小見出しには「46歳住職・心の自然治癒力 強調」とあるではないか。

「沖縄50万人避難勧告 台風8号」は左隅に小さな三段記事扱いだった。
一面の半分を“全生庵”の紹介に費やしていた。緊急性のないこの種の記事が一面トップを飾るのは異例といえる。

全生庵は幕末の英傑「山岡鉄舟(幕臣)」が明治維新で命を落とした人を弔おうと建立した。山岡鉄舟は、明治天皇の教育者となる。
山岡鉄舟、勝海舟、高橋泥舟の三人を世に幕末“三舟”という。
全生庵はやがて国士たち、右翼思想家、財界人が座禅をし、学び合い、集う所となる。

その中心に先年亡くなった「四元義隆」がいた。
四元義隆は東大生のテロリストとして有名になった行動思想家であった。
一人一殺をスローガンにする水戸の日蓮宗住職「井上日召」の弟子となり血盟団事件を起こす。吉田茂、中曽根康弘など時の権力者たちは師と仰いだ。
九十歳過ぎまで命を保ち影響力を持ち続けた。

記事を読むと、一度権力を手放した安倍首相が再生を目指し、全生庵に通い座禅を組んだ。そして権力を再び手にした今も時間を作っては通っているとある。
さて、この様な記事が何故に七月八日に必要なのか腑に落ちないのだ。
昨日まで集団的自衛権反対一色だったのに。
きっとどこからか、オイ朝日調子乗ってんじゃないぞと凄まれたのかもしれない。
何かがあったのは間違いないだろう。

今の朝日に気骨のある記者はいない。
かつて東京読売に「本田靖春」という伝説の記者がいた。
私はこの人に心底憧れていた。「我、拗ね者として生涯を閉ず」という本を読んでもらえればその記者魂の凄さが分かるはずだ。インターネットで検索だけでもしてほしい人だ。

箸にも棒にもかからない新聞となってしまった毎日には「大森実」という国際的記者がいた。大阪読売には「黒田清」という黒田軍団を率いる記者がいた。
コメンテーター大谷昭宏はその子分である。いい記者魂であった。
根性者がいなくなった新聞はきっと滅びて行くのだろう。

私は使えないが、ネットの情報力の敵ではないからだ。
私は最早再生不可能なのだが、七月九日現在午前一時十三分十一秒、これから座布団の上で沈思黙考に入る。日本は立憲国家から王政国家になって行くのだろうか。
皇帝ネロみたいな人物がずっと天下人でいるのだろうか。
織田信長はこの国に王は二人必要でない、自ら天皇の上に立つ野望を持って安土城を作った。天守閣の下が天皇を迎え入れる場所であった。神も恐れぬ城が安土城であった。

拉致問題で北朝鮮との第一弾取引が成立したかもしれない。
支持率を上げ一気に解散をするやもしれない。ライバルの石破茂を徹底的に使い潰す。
口うるさい先輩や老人たちを絶息させる。公明党を必要としない体制を作る。
野党は文字通り霧散させる。一党独裁から一人独裁の王となる。

うーむ、となると必ず謀反人が出る。ユダが出る。
裏切り者は直ぐ側にいると歴史は教える。うーむ、少しずつある一面が見えて来た。
朝日が何故一面を全生庵で飾ったかが。

いつものグラスに冷えたビールを入れることにしよう。枝豆がつまみだ。
うーむ、雑念ばかり浮かんでしまう。これが私の悪い一面なのだ。(敬称略)