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2015年3月27日金曜日

「桜咲くだが」




「演歌チャンチャカチャン」という歌が流行った時がある。

今や「国家チャンチャカチャン」になって来た。自衛隊を「我が軍」といいい、AKB48の女の子を合計15時間近くスタッフ(元役員)が盗撮しまくったり、NHKの会長はハイヤー代をバックレていたり、老女が幼い孫を殺したり、老女が放火をしたり、木嶋佳苗と獄中結婚する60代の男が出たり、沖縄では民意なんか知ったこっちゃないとやりたい放題を始めていたり、14000人もの憲法改正反対の運動(デモ)をマスコミは全く報道しなかったり、大阪桐蔭という学校では5億円もの裏金を使い全校長は雲隠れ、原発は再稼働に向かい、STAP細胞の件は結局小保方さんの責任に、よく分からないが60万円だけ返金せよとか、NHKの大越キャスターは反原発的ブログを書いたからと外され、報道ステーションの恵村順一郎コメンテーターは気に入らない発言が多いからと外された。

反権力の古賀茂明氏も同じ、宇宙人鳩山由紀夫氏はクリミアに行って意味不明。
大塚家具は父と娘が出来の悪いテレビの2時間ドラマのようだ。
老女が老人にカラオケ行こうよと逆ナンパして、缶ビールに睡眠導入剤を入れてコックリグッスリしている間にお金と携帯を盗んでパクられた。

文部科学大臣は刑事告発され、中川郁子政務官は発情しまくっていた。
群馬大学はまるで殺人病院みたいで腹腔鏡手術で何人もあの世に送った。
腹腔鏡は得点が高く儲かるとのこと。
椿鬼奴が年下のお笑い芸人と結婚なんて話はまあ、どーでもいいか。

私の隣の三十代の男がスルメの唐揚げのようなものを食べながらハイボールを飲んでいた。スルメの唐揚げが強烈な臭いを発していた。何もかもがチャンチャカチャンだ。

子は育てたように育つという。国家も育てたように育つ。
ローマ法王が異例の発言をした。福島の原発事故はバベルの塔だと。
またこんな発言をした。平和の国が再び戦争に向かっているのは困ったものだと。

オウムに入信している人が増えているとか、楽しい一日が少なくなった気がする。
いよいよ桜が満開となる、みなさん楽しい一日を何日もつくって下さい。
演歌チャンチャカチャンを唄って下さい。

2015年3月26日木曜日

「超人、菅昌也さん」





私の知る限り日本の広告写真家でこの人の上を行く者はいない。
その名を「菅昌也」さんという。

ウォークマンをうっとりと聴きながら立つ猿を知っているでしょうか。
触ってごらんウールだよのセーターを知っているでしょうか。
パルコの着物シリーズを知っているでしょうか。
サントリーのアイラブユーの帽子を知っているでしょうか。

知っていない人の方が多いかもしれません。
何故なら菅昌也さんは余りに凄すぎて起用されないのです。
仕事が余りないのです。ヒマなのです。
一年間に二、三本とか仕事をしていないのです。

菅昌也さんは自然光で撮影する超完璧主義者、一つの仕事を頼むとそれは凄いことになるのです。露出計を持って一ヶ月近くロケハンをするのです。
その一瞬を求めて歩き探し続けるのです。妥協は一切しません。
お金は求めません。名誉も求めません。ただ一枚自分の写真を求めるのです。

菅昌也さんと組んだアートディレクターやフィルムディレクターやプロデューサーはヘトヘトになるのです。打ち合わせが始まると話が止まりません。
夕方から始まって次の日の朝までも話し続けます。
そしてカシャと菅昌也さんがシャッターを切った時、信じられない写真が生まれるのです。

世界一かも知れません。助手もいません、一人でやるんです。
菅昌也さんを満足させるアートディレクター&デザイナーは日本に数人しかいません。
太陽の光こそが菅昌也さんが唯一信じられる相手なのです。

この地球にたった一つしかない太陽が何時、何処で、どう光るか朝から晩まで露出計を見るのです。今はデジタルカメラでだれでもプロ並みの写真が撮れる時代です、がプロの中のプロが数人いるのです。

その中にしこたまお金を残した者もいます。名声を得た人もいます。
だがヒマを持て余している文字通り第一人者は菅昌也さんだけです。

昨日二時四十五分から四時近くまで菅昌也さんが私の仕事場を訪ねて来てくれました。久々の菅昌也さんの熱弁に多弁の私はじっと聞き役に徹しました。

若いクリエイターの方々、ぜひ菅昌也さんという超人に挑んでいって下さい。
超一流の上を行く写真家がどんなものかを知って下さい。
菅昌也さんともう一度何かやろう、私はそう思ってエレベーターまで送りました。
ヒマだからといっていたので仕事を頼んで断られることはないはずだから。
但し命がけになるでしょう。

私の出した本を三冊も買ってくれたのです。
その恩返しをしなければなりません。

2015年3月25日水曜日

「歌舞伎揚げに、お手上げ」




私の大好きな東海道線内のドラマが複雑になって来た。
上野東京ラインというのが生まれて、宇都宮とか前橋まで乗り換えなしで行くことが出来るのだ。ということは向こうから来ることも出来るのだ。

今までは、伊東行、熱海行、沼津行の乗客が旅行気分だったのでそれを警戒していればよかったが、これからは全てを警戒しないとならない。
湘南新宿ライン(高崎行)が大幅に拡大されたのだ。


通勤客と旅行気分客がごちゃ混ぜになった。
柿ピー、さきいか、塩豆、グリーンピース、笹かま、カラムーチョ、マヨあたりめ、魚肉ソーセージ、ベビーチーズ、サラミなどなどの臭いが充満する。
ワンカップ、氷結、のどごし生、クリアアサヒ、淡麗、スーパードライ、モルツ、一番搾り、ハイボールとなんでもあり。

お前ホントによくそんなにガリガリ、ボリボリ食べれるな、油っこい歌舞伎揚せんべいを食べながら缶ビールのロング缶をゴクッ、ゴクッ飲む隣の四十代男にいってやりたくなった。バタピーを袋ごと口の中に投入した。
私は夕刊を読んでいたのだが臭いと音が気になって活字が読み取れない。

前橋から伊東に向かっているようだった。
出張だろうか、何の仕事をしてるんだろうか、結婚して子どもがいるのだろうか、持ち家かマンション住まいか、クルマは何に乗っているのか、犬か猫を飼っているか、趣味は、血液型は、とどうでもいいことを考えてしまう。
いっそ話しかけてみようかと思うが意味がないから止めた。

これから先いろんな人物に会える楽しみが増えたと思えばいいんだと思った。
だが私は列車内の柿ピー系、歌舞伎揚系、カールおじさん系は苦手なのだ。

誰かに似ているなと思った。そうだソックリだ、大橋巨泉だ。
これから新入社員が研修などでどっと乗り込んで来る列車内はコンパみたいになる。
私はどこまで耐え忍ぶことが出来るだろうか。

コラッ、歌舞伎揚げがボロボロ落ちてるじゃねえか、ベタベタした指をナメてんじゃないよ、大橋巨泉。 

2015年3月24日火曜日

「倍賞千恵子さんに感謝」







千葉県柏市の鉄のアーティスト、小谷中清さんのアトリエを出発した「祈りの塔」がトラックで運ばれ遂に石巻に設置された。

三年間設置場所を求めていた。
観音寺二十六世・後藤三彦様、観音寺護特会長・高橋和義様、協力団体・一般社団法人てあわせ理事長・後藤泰彦様、施工株式会社角張工務店・角張守さんのご尽力によるものであった。

また仙台で編集人として活躍する井上英子さん、NPO学校再生プロジェクトの代表・立花貴さんのご協力によって設置の運びとなった。

三月三十一日〜四月一日、大女優倍賞千恵子さんが植樹祭に来てくれることになった。
桜の木や、種々の樹々を千数百本植える計画の事始めの儀式には映画「男はつらいよ」で寅さんの妹役(さくら)を演じる“日本のさくら”倍賞千恵子さんになんとしても来て欲しいと思った。私たちの願いを聞き入れてくれたことに心より感謝、感激をしている。

三月三十一日〜四月一日行動を共にする。仙台で一泊して現地に向かう。
何か一つ位は世の中のためになることを残したいと思っていたのが叶うのは感無量だ。

人々が3.11東日本大震災を風化させないことを祈り、再び大災害が起きないことを祈る。
樹木葬を希望する方々や、不幸にして災害に遭い故郷を離れた方々、魂の行き場を失った方々の安らかな地となることを願っている。
人の魂は山に還り、そして再び生き返る。10年後、20年後、30年後植樹された樹々たちは立派に育ち、四季を彩り、壮大な風景となって人々を守り続けてくれるだろう。
東京→仙台→石巻と遠路だが一人でも多くの人に来てほしい。
天災は忘れた頃にやって来るという、そうならないために。

2015年3月23日月曜日

「ひたすら平身低頭」




昨日午後一時四十五分、私の脇の下にはどっと冷汗が出た。
シマッタ!大ミステイクをしてしまった。

午後二時に銀座の仕事場で知人を待つ約束をしていた。
土佐の四万十から映画人の人を紹介してくれることになっていたのだ。
ちゃんと手帳に書いてあった。

朝一本の電話が入った。
長年付き合いのある保険の老女が二時頃に辻堂駅に来る、どうしても昨日中に書類と印鑑が必要なんだと。成績に影響するのでぜひにというから、ついいいですよといってしまった。私の頭の中はすっかり保険の老女のことで二時という時間が取られてしまった。
わざわざ東京から来てくれるのも大変だなとなった。

わざわざ休日に来てくれる知人をすっかり忘れてしまった。
が、何か虫が知らせたのか一時四十五分に手帳を見たのだ。
明日はどんな予定だったかと、その瞬間手帳に知人の名と二時の数字が目に入った。シマッタ、大失敗だった。日曜日ですっかり気がゆるんでしまっていた。
直ぐにデスクの女性に連絡すると、あ〜良かったモシモシと出てくれた。
知人の携帯の番号を聞いたら直ぐに調べて電話して来てくれうた。
あ〜良かったアリガトウ。

二時少し前に知人と連絡がついた。
申し訳ない、すでに仕事場に着く寸前だった。

ピンポーンとチャイムが鳴った。
保険の老女が私の指定したタクシー会社のクルマに乗って着いたのだ。

子機で知人にお詫びしながらドアを開けた。
すいませんおやすみのところといった。やっぱり携帯やメールやスマホを持たない私はイケナイ人間なのだと思い知った。
今日なんとか知人と土佐の映画人と会えることになった。
どうお詫びをするか考えに考えている。
ただただ平身低頭をしながらこのブログを書いている。福助のシンボルのように。

2015年3月20日金曜日

「卒業式」




茅ヶ崎市立汐見台小学校の卒業生は五十三人であった。
二十七人と二十六人の二組だけ。

私は息子夫婦と愚妻と共に行った。
三月二十日くもり、体育館の中には六年生を送る五年生、左、右に保護者や来賓の方々が座っていた。実に整然としていた。

君が代を斉唱した後壇上で一人ひとりが将来の夢を大きな声でいった。
人を助ける人になります。人にやさしくなります。人を笑顔にします。保育士さん、バレエダンサー、看護師さん、ウエディングドレスをつくる人、ケーキ屋さん、音楽家、お医者さん、サッカーの選手、様々であった。
私の孫はプロ野球選手になってボクを支えてくれた人に恩返しをしたいです。と丸坊主の頭でいった。
愚妻はウルウルしてしまった。
子どもたちは夢いっぱいであった。よく練習をしたのかキビキビとしていた。
「仰げば尊し」とか、「蛍の光」とか、「贈る言葉」などは唄わなかった。校歌と学校のオリジナル曲を唄った。
九時三十分から始まり十一時に終った。
六年生が退場していく時に五年生がはじめて聞く送る歌を唄った。
ピアノ伴奏を五年生の私の孫娘が弾いた。緊張しておなかが痛くなったと帰って来ていった。
五十三人の子どもたちの将来に幸多からんことを願った。

こんな私にだって小学校六年生のときはあった。
どこでどう間違ってこんな男になったのかは分からないのだ。

いい日旅立ちを口ずさみながら、小学校時代を思い出していた。
杉並区立沓掛小学校が私の母校である。

2015年3月19日木曜日

「武士の情」




先日友人との会話の中でホッとしたというか、さすがというか、うれしい話を聞いた。

ホテルオークラの本館が解体され新装される話を聞いていた。
オークラの本館ロビーは私が大好きな空間である。
壊されたら嫌だなと思っていた。

大事な人と待ち合わせしたり、一人で静かにしたい時はずっとむかしからオークラのロビーを利用していた。そのロビーが高名な建築家の設計によって残されるというのだ。
そうか、あーよかった。

この頃のホテルロビーはまるで駅舎の待合所みたいでウルサイ、オチツカナイ、ダラシナイ。オークラのロビーは「和」があり「調」があり「光」がある。
好んで使ったオーキッドバーのカウンターの木が外国人によって持っていかれるのを聞いて少しガッカリした。

東京はビルの解体ラッシュだ。人間の体でいえばボロボロになった体の作り直しだ。
再生してくれる建築家の人間的センスが強く求められる。
医が仁術なら建築も仁術だと思っている。残す勇気は武士の情のようであり、一木一草を残す「雅の心」でもある。いい話を聞いた日の酒は格別であった。

オークラのロビーに入場料はいらない。無料である。
京都の世界遺産、下鴨神社の敷地内(駐車場)になんとマンションを建てるという話には耳をふさぎたくなった。その理由は下鴨神社は式年遷宮のために莫大なお金がかかる、その費用を生むためにマンションから収入を得るというのだ。
世界遺産とはを考えさせられた。日本は文化後進国なのだ。

2015年3月18日水曜日

「山口の友」




NHKの大河ドラマ「花燃る」が低視聴率にあえいでいる。
少しずつ良くなっていくだろうと思っていたのだが、どんどんよくないことになって来た。吉田松陰の松下村塾が学園青春ものみたいになって来た。

友だちが山口出身で私が萩を訪ねた時、松下村塾に連れて行ってくれた。
野山獄などはテレビドラマと違い人間一人がやっと入れる位の狭さであった。
犬小屋に近い。松下村塾もただの一軒家であった。

小さくて狭い、日本人の平均身長は155157センチ位だったのではないだろうか。
日本女性は150センチ前後だと思う。
だがあの頃の日本人にはギッシリと志というものが詰まっていた。

長州人は議論好きである。友人と酒を飲んでは朝までいろんなことを話した。
高杉晋作と木戸孝允の家は近い。空地にはなっているが広くはない。
吉田松陰は第一級の教育者であり、王陽明の影響を受けた行動主義者であった。
学問は行動をしなければ意味がない。

陽明学は三島由紀夫にも大きな影響を与えた。
伊藤利助はやがて日本国第一代総理大臣となる。
女性に対する行動力は並外れていたという。

松下村塾の歴史はわずかな月日だが吉田松陰の教えは濃密であったのだろう。
人物の個性を見抜く力が抜群であったという。また、ホメ上手でもあったと伝えられる。 

NHKのドラマの主人公役たちは皆180センチ近くある。
それがどうしても気になってしまう。
手の付けられないスケベの伊藤利助役の「劇団ひとり」が秀逸である。
「そうせい公」といわれた毛利敬親役の北大路欣也の声がソフトバンクの白い犬の声と重なってしまう。

松下村塾に行った時こんな思い出がある。
友人の車はポンコツのフォルクスワーゲン、ひっぱたいてもラジオが聞けない、丁度プロ野球の日本シリーズ第七戦をやっていた。
長嶋監督の巨人が勝てば43敗の大逆転優勝だった。
オイ、ラジオ、ラジオと私は叫んだ。鳴らねえんだよと友人はいった。
どこかラジオはと見回すと松下村塾の側に売店があり小さなテレビがプロ野球を流していた。二人して急いで入った。

一打逆転満塁の大チャンスに淡口憲治が左のバッターボックスに入っていた。
ピッチャー投げました、淡口打った、あっ、ピッチャーゴロで併殺です。
ということで長嶋巨人軍は日本一になれなかったのです。
入ってはいけない柵をもぐって松下村塾の畳の上に大の字になったのです。
すすけた畳の臭いが今でも残っています。
NHKのドラマを見るたびそのことを思い出すのです。

友人は元気にリハビリ中、庭いじりをしていて倒れたのです。
中央大学出身の男です。三白眼で少し出っ歯です。
見かけたら無理をするなと声をかけてやって下さい。
身長は178センチ位です。

恵比寿で映画の上映会をやった時、山口県からバイクに乗って見に来てくれました。
確か京都に一泊して。長州人はそんなウレシイ行動力があるのです。友遠方より来たる。
その恩返しに今年は山口に行きたいと思っている。秋の萩はいい。萩焼は大好きだ。

2015年3月17日火曜日

「地球の水」






ある映画を見た。
功成り名を遂げた医師はウィスキーと睡眠薬を一緒に飲まないと眠れない。
メイドが一日の終りにその二つを飲むように渡して終わる。

老医師は悪夢にうなされる。日々うなされる。
夢はシューリアリズムの世界だから定められたものは一つもない。
一匹の蟻を殺したことが増大し怪獣となって襲われる。
一匹の蛙を捨てたことで、ブラックホールに吸い込まれて行く。
一羽の蝶の羽根を取ってしまったことで、砂漠に投げ捨てられる。

悪夢にうなされた人間がいちばん何を欲するか、Water(水)である。
アメリカで何人も人を殺した人間が死刑になる前に、何か欲しいものはないかといわれる。その答えは、死んだら生き返る、その時は一杯の水が欲しいと。
30人もの若い女性を殺した人間に最後に何がほしいかとの言葉に、31人目の若い女性が欲しいと答えたとか。そして水が一杯飲みたいと。

さてこの一杯の水は、極めて欲望的であり文学的であり哲学的である。
水とは、快楽の水であり、権力であり、凶器であり、性的欲望であり、殺人的行為である。 

315日(日)友人の写真家がある撮影を依頼された。
会費一人6000円、約4時間、男が女体を縛りに縛り、女は苦痛と共に絶頂に達すという。お客は息を殺し最大級の快楽を得る。
大会社の社長、医師、判事、検事、弁護士、一級建築士、公認会計士、一等航海士、高級官僚、代議士など社会的には名士が参加するという(いつも超満員とか)。
金も名誉も手にいれた人々にとって秘密の自分を人に見せることはできない。
それがまた快感なのだ。

汗びっしょりになって水を飲む姿は快感に満ちているという。
友人の写真家はその一部始終を撮る。
但し世の中に出ることはない。実は悪夢ほど正確なものはない。

この頃よく二つの夢を見る。一つは私と仲間を裏切った男と、私に礼節を失っている男。その二人が炎熱地獄で叫んでいる。水を一杯下さいと。
今、私はその水を二人に運んでいる。重い水はとても重い、早く持っていってあげたいのだが地獄の道は針の山で痛く、血の海はドロドロとして泳ぎ切れない。
熱い水がどんどん蒸発してしまう。早く持っていってあげねばならない。
可愛がっていた二匹の犬が来て私を必死に持ち上げようとしてくれている。

「純愛とは」



人生とはコインの裏表であることを日々知る。
北陸新幹線に沸いた先日、石川県は二つのニュースで盛り上がった。

一つは勿論東京から金沢まで一気に一時間半近く短縮されたこと。
いかに速く走るかの結果であった。

一つは石川県能美市出身の鈴木雄介(27)選手が競歩で1時間1636秒の世界記録を樹立した。陸上の五輪種目で日本選手が世界記録を出したのは2001年に高橋尚子選手が女子マラソンで世界記録を出して以来。
男子では1965年の重松森雄選手のマラソン世界以来50年ぶりとか。
いかに速く歩くかの結果であった。いかに速く走るかと、いかに速く歩くか。
それが同じ日、同じ県で記録となった。

♪〜夕焼けこやけの赤とんぼ 追われて来たのはいつの日しか…赤とんぼを愛し、自然を愛し続けていた東大卒の先生が教え子ともいえる女性を殺害してしまったとか。
会わずにいればよかった者同士が会ってしまうのが世の中だ。
赤とんぼはもう仲良く飛ぶことは出来ない。

一人は土に還り一人は刑務所の中に入ってしまう。
真実がいずれ分かってくるのだろうが、先生と教え子とは、宿命的に恋愛感情を交わす、そして終着駅が見えない運命線に向かって走りだす。
それは純愛であることが多いのだが、純愛には死の臭いが付いて離れない。
赤い血が似合うのだ。赤とんぼの研究者であったのも実に象徴的で。
塩からとんぼやオニヤンマではドラマは成立しない。
人間から発生する「愛」ほど血に飢えたものはない。

オーストラリアの原住民、アボリジニーは16歳になると荒野に一人放り出される。
そしていかに生き残るかを自ら学んで行く。照りつける太陽の下で水を求め、食料を求めて行く。そして本能を鍛えて行く。
そんなアボリジニーの少年の前に一人の美しいイギリス少女が現れる。
生まれながらの野性と、生まれながらの品性が、運命線の上を歩き出す。
生き物は何でも殺して食う若者と、虫も殺せぬ処女は黄土色の大地を歩く。
勿論新幹線は走っていない。そんな映画を見たのを思い出した。
題名が思い出せない。
カンガルーが挽き肉にされて出てくるのが最初のシーンであった気がする。
進化する文明と、原始にこだわる人間を対比させたかなり哲学的映画だったと思う。