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2015年8月28日金曜日

「山陽新聞」


松本清張の短編に「地方紙を買う女」というのがあった。
さしずめ昨日の私は「地方紙を買った男」であった。岡山県倉敷は私の母が生まれ育った地である。地方での楽しみといえば地方紙を隈なく読むことだ。中央紙にはない丹念な手づくり感というか、その地ならではのいろんな記事がある。

倉敷のビジネスホテル(と思う)の部屋に入りまずはテレビをつけると、いきなり若々しい舟木一夫が刀を振っている、と水戸黄門役の佐野浅夫があおい輝彦を従え“これが目に入らぬか”と登場した。

山陽新聞(夕刊)8月26日(水)を読み始める。一面はやはり株価大暴落。
6面文化エンタメ欄がよかった。「また逢う日まで」という映画タイトル。あのころ、映画があったというコラムだ(共同通信編集委員・立花珠樹さんの担当のようだ)。

この映画には有名なシーンがある。
“切ないガラス越しのキス”だ。クラシック好きで文学を愛する青年と母と二人暮らしの雑誌の挿絵画家。父は裁判官で兄は陸軍将校の帝大生のエリート青年、ほそぼそと生きる女性が空襲で退避する人混みの中で、偶然手が触れ合う。

二人は戦争を嫌う気持ちで共通している。当時はキスは神聖な行為であった。
召集令状を受け取った田島三郎(岡山英次)は、螢子(久我美子)とガラス越しに語り、ガラス越しにキスをする。

「僕たち今度会うとき、結婚しよう」
「今度って?」
「無事に帰ったとき」
「それまで、それまで私も生きていなくちゃね」


1937年日中戦争以降の戦死者は厚生労働省によると310万人。
本当はもっともっと多いはずだ。
原作は、ロマン・ロランが反戦を訴えた「ピエールとリュース」、監督は今井正、1950年の作であった。


ヤクザな人間はキスをすることを“ベラを噛む”などと極めてお下品な言葉でいう。
純愛などというものはあるのだろうか、現代社会ではSNSなどでベラを噛んでいる。
清純とか純愛は死語の世界に入っている。今日は京都へ向かう。京都新聞が楽しみだ。

2015年8月25日火曜日

「砲丸」



女子と男子の外見的区別はどこでするか、女子は男子よりか細く、腰がくびれ、お尻はかわいいヒップである。
最もの違いといえば乳房(オッパイとかボインという)がある。
だがこれらの違いを全く無視というか、破壊というか、基本的概念を根本的に変える女子たちを見た。

世界陸上女子砲丸投げ、凄いですね〜、怖いですね〜、ぶっ太いですね〜、まるで一体の巨本(100kg以上)が何キロあるか分からない、でっかい鉄の球をアゴの下に入れてザザザと半回転させ、ガァー、グァー、ゴリャー、ドリャー、オリャーと突き投げる。
鉄の玉は20メートル超えにドスンと落ちる。

むかし一度やったことがあるが思い切っても3メートル位であった。
どっちが前かは顔が前に向いている方が前だと思うが、それ以外はもう分かんない。
三段腹、五段腹なんてもんじゃない。
十五段腹がバッチリ固まったような腰、丸太のような腕、オッパイの形なんかは肉体と一体となっていて行方不明、首の太さなんかといえば、首と顔がくっついていて分かんない。

私の仕事仲間にお尻フェチが居て、でっかいのが大好きであるから砲丸投げが大好きである。たまんないすねぇ〜、なんていう。
ウオオオオーリャー、ダァーと叫ぶ声を聞くとお尻にかじりつきたくなるらしい。

日本の短距離選手を見たら、胴長、短足、お尻ペッタンコ、前面に見える体は洗濯板。
ダメダコリャーと思ったらやはりダメだった。
それでも年間1000万円の強化費を貰っているとか。

なぜかこの頃は腹を出して走るから、井戸べそ、出べそ、シジミベソがハッキリ分かる。私は基本的に日本女性の走る姿は好きでない(特に服を着ている時)見てガッカリするケースが多い。まして砲丸投げなんてオドロシイだけだ。

全身筋肉100120kgの肉体が好きな男とSEXするとどうなんのかなぁ〜と思いつつ見ていた。カメラがUPになり、よく見るとキレイなアイライン、ダイヤのピアス、ゴールドのネックレス、10色のネイル、ピンクとオレンジの小さなヘアリボン、グロウするルージュの口紅の女の子であった。
グギャー、ヤッタァーと一目散にスタンド前列にいた彼氏とストロングハグ。
バリバリボキボキと彼氏の骨が折れた音が聞こえた気がした。
城卓矢の名曲「骨まで愛して」を思い出した。

ある哲人の言葉をノートから探しだした。
現代人より未開人の方がはるかに精神的に豊かだった。文明は罪の上に築かれた。
私は思うオリンピックは、砲丸投げ、槍投げ、円盤投げ、走り高跳び、走り幅跳び、1500メートル走、110メートルハードル走、100メートル走、400メートル走、棒高跳び、それとレスリング、マラソン、これ位でいいんじゃないのと。
会場はギリシャでやる。その他は各世界大会でいい。
より速く、より強く、より遠くへだ。



「日本人は分かんない」



筋肉がねえ、下を向いてつくようなDNAなんですよ、農耕民族だから田植えをする、畑を耕す。クワやシャベルを使って土を掘る。種をまく、野菜を取ったり、稲や麦を刈り取る。しゃがむ、座る。

縄文弥生時代からずっと日本人の筋肉は下向き作業に向いているように発達した。
だから狩猟民族のように空や木の上を見る、遠くにいる獲物を見つけて走る、飛ぶ、投げる。その筋肉とはまったく違う。
と一人のスポーツインストラクターがいった。

胴長で足が短いのもそのせいらしい。ようするに陸上に向いていないらしい。
マラソンは強いでないかといったら、あれは飛脚のDNAが生きているんですといった(?)



世界陸上を見ていると世界がどんどん遠くなる。予選突破位で大喜びだから。
下ばかり向いて来たから、坂本九ちゃんの「上を向いて歩こう」なんて歌が出来た訳だ。無理やり上を向かせていた株価がどっかーんと下がった。私の予想通りだ。

そのかわり(報道ステーションでは)内閣支持率が6ポイント上がった。
な、なんと不支持率は9ポイントも下がった。日本国民とは本当によく分からない。
チーフエコノミストといういかがわしい予想屋が多い。

中でも××総研チーフエコノミストの「××××」なる男はいい加減の極みでまったく当たらない予想屋だ。外れたってシラーとしていて、下がったらちゃんと上がる時が来るんですね、なんてバカヤローだ。
みなさんエコノミストなんていう無責任男にソソノカされて絶対株なんか買わないで下さい。
ハマグリみたいなツルッとした顔、その上に髪の毛をつけて七三に分けて、したり顔で外れ話をするのが東大出の××××です。

そうだ思い出した、日本人の筋肉は畳やマットの上では強い働きをする。
柔道やレスリングみたいな下を向いてやるスポーツにはいいらしい。
特に寝業は得意、何故かは説明しなくても分かるはずです。

どうやら自民党では安倍晋三総理に何もかもやらせてしまって(在案一掃セール)、来年の参議院戦では負ける、それからだと決めたようだ。
あっちこっちの畳の上の寝業でそう決めたのだろう。

オリンピックの競技場やエンブレム問題、大阪寝屋川のむごたらしい事件。
中国での相次ぐ爆発、猛烈な台風、タイの爆弾テロ、日本にある米国基地での爆発。
北朝鮮と韓国の揉め事問題、世界同時株安などが次々に起きた。

“戦争法案”の話題は下火になった。
自民党の高官たちはこれを大いによろこんでいるという。
あわよくばもっと上を狙う寝業が得意らしい。だが世の中は思い通りには行かない。
キリストの七つの大罪の一つに「強欲」というのがあった。

むかしはアメリカがくしゃみをしたら日本が風邪を引くといわれたが、今は中国が風邪を引いたら世界が寝たきりになってしまう。

2015年8月24日月曜日

「許されざる者」

許されざる者


私は現在無宗教である。
信教は自由だから、誰が何を信じていても全てOKで付き合える。
但し“金”を信じている人は苦手だ。

BS日テレに金曜日午後八時から九時まで「ぶらぶら美術・博物館」という番組がある。
二十一日は元サントリーの名物宣伝部長だった若林覚さんが館長をしている練馬区立美術館の「舟越保武彫刻展・まなざしの向こうに」であった。

久々その夜は間に合った。若林覚さんはサントリー美術館の館長もされていた。
博覧強記の人である。実はこの展覧会のご案内をいただき招待券も同封してもらっていた。舟越保武さんのご子息が舟越桂さんというやはり高名な彫刻家である。
岩手県出身であるが練馬に在住していたことがある。
数ある作品が紹介されたがやはり心打たれたのは、かつて長崎で見た〈長崎二十六聖人殉職者記念碑〉である。
確か長崎で見た時にも聞いた話だが改めて聞いた。

解説者が二十六人のキリシタンの中に(11才だか12才だと思う)一人の少年がいた。
改宗するなら命は助けてやるといわれると、少年はこう応えたという。
「つかの間の命より、永遠の命を」と。豊臣秀吉は極めて残虐である。
キリシタンを殺してしまった。二十六人は耳などを切り取られ処刑された。

キリスト教信者とは何をどこまで信じているのだろうかと思う。
信心とはを考えさせられる。少年の言葉がグサリと胸に刺さる。
私たちはあまりに「つかの間」に生きていないだろうか。刹那的でないだろうか。
今さえよければ、明日のことなんかと。自分たちさえよければ人のことなんかと。
天災や人災に遭った人はついてないんだよと。

二十二日(土)TBS夜、世界陸上の続きで十時三十分〜情報7daysブロードキャスターを見た。ビートたけし、齋藤孝(どっかの出たがり大学教授)、毎日新聞の××委員(バカ女)この三人の言葉に耳を疑った。

サディスティックに殺された中学生男女の事件についてこういった。
ビートたけし→むかしいたうるさいオジサンみたいなのがいなくなった。
夜遅くまで遊んでいたらいけないと注意する人がいないから。
齋藤孝→中学一年生が家に帰らずテントで暮らすなんて。もっと監視の仕方を考えねばとか。
解説だか論説委員→この間まで小学生だったんですよね、夜遅くに遊ばすなんて、とかすっかり他人事であった。

つまり三人共殺人を犯した(まだ容疑者だが)であろう人間に対してひと言もコメントしなかった。現代社会における少年少女の行き場のなさを生んでいる社会を語らず、ただ中学生が夜遊びしているから悪いんだよという強い印象を受けた。

実に不快であった。
局側からまだ容疑者だから余計なコメントは避けてといわれていたのだろうがあまりに一方的であった。「つかの間」にばかり生きている社会を考えなおさねばならない。
毒を失ったビートたけしは、すっかり体制的になってしまった。

あなたがもし大事な息子や娘、大切な孫を無残に殺されたらどうしますか。
私なら必ず復讐をします。徹底的にやります。映画「許されざる者」の主人公のように。目には目を、歯には歯を。
キリスト教はイエスではないのでしょうか(?)

舟越保武展は九月六日(日)までです。永遠の命とはを見に行って下さい。
現代社会の許されざる者の第一は私たち大人だ。その犠牲者が幼子や迷える少年少女だ。つかの間でいいからそのことを考えよう。

2015年8月21日金曜日

「ほがらかな日を」




猛暑の野郎いい加減にしろよと思いつつ、必死に耐えた夏が終りに近いことを、コンビニの入り口で風に揺れる旗差し物で知った。
赤ベタに白ヌキでどっか~んと「肉まん10%引きセール」とユラユラしていた。
始まったばかりなのに即10%引きセールに相当のヤル気まんまんを感じた。
前日までその場にあった「涼味抜群!冷し麺」青ベタのに白ヌキの旗差し物は主役の座を追われたかのように片隅に移動されていた。

店内に入ると人気を集めていた花火類がすっかり下火になっていた。
又吉直樹先生の「火花」は売れているが売れ残った花火はどこへ行くのかと思った。
深夜二時近いコンビニの店内はなかなかに映画的である。
レジ前のテーブルの上にある、パックに残ったアジフライ一個はどこの家へ。
パックに入った四個のギョーザは誰の口へ。
その横にあるパックに入った五個のシューマイはいかなる運命に。
アジフライはかなりカチコチになり、ギョーザとシュウマイは変色しながらカリカリになっている。
月刊文藝春秋とウイスキー山崎のポケット瓶を買う。
夏ももう終りだなぁ~と男の店員にいう。えっまだですよと応える。
アジフライにギョーザにシューマイ、こんなになったの誰か買うのと聞いた。
いますよ、ちゃんと売れますよといった。
こんなかんじになった方が好きというお客さんがいるんですよ、へぇ~そうなの一度会ってみたいねそういう人にといった。
あそこの花火なんかごっそりあるけど売れ残ったらどうするのと聞いた。
海岸に持っていって火をつけてバッバッバーン、ドドーンですよ、なんてウソですというではないか。
キミはなかなかいうねといったらバイトですといった。
私はこういう若者がとても好きなのです。
どこの大学だいと聞いたら文教大学ですと応えた。一年留年してましてといって笑った。
キミは社会に出たら使えるよといったら、本当ですか、すいませんアルコールを買っていただいたので、私は20才以上ですの「はい」をタッチして下さいというから「はい」を押した。
変な会話をした後店を出た。
今年の夏はいい夏でしたかと聞かれたら「はい」とはいえない。
何しろテレビも新聞もオリンピックのエンブレムのニュースばかり、おつき合いはないが同じ業界の有能な人材が盗作だ、パクリだと袋叩きになっているのはとても辛い。
「鬱」を経験した私は本人の表情がどんどんシンドクなっているのが心配だ。
仲間たちよ、仲間の心身を守れと思っている。

昨日昼、仲間四人と尊敬する葛西薫さんの紫綬褒章を祝うランチ会をした。
葛西さんもとても心配していた。「ほがらか」でとてもいい男なんですよねといった。

この頃国全体が「ほがらか」というステキな言葉を失っていたことに気づいた。
残暑に向かいほがらかでありたいと思った。
というよりかくあってほしいと願った。
いつものグラスにウイスキー山崎を入れてグビッと飲んだら少しだけ体がほがらかになった。

肉まんを食べる気にはまだなっていない。次はいよいよ「おでん」だろう。

2015年8月10日月曜日

「いい夏休みを」




皆様、暑中御見舞い申し上げます。
「かろうじて」という言葉がありますが、正にかろうじて熱暑の中を歩いております。
重い鞄を持ち銀座松屋の前を歩いていたら老婆に追い越された。
ヤバイ俺は相当にヨタヨタ、トボトボと歩いているのだと思い、老婆を追い越しにかかった。だがしかし、ことの他老婆は速くというか私の足が重く追い越すのにやっとの思いだった。

昼、金沢料理の店の和食弁当を食べるのに箸が重く進まず、お茶碗のごはんを半分かろうじて食べた。少しのおかずで腹一杯。
外に出ると熱風が全身を襲いなんだこりゃあと声を発し遅歩、遅歩(こんな言葉はない)と重ね仕事場に向かった。あっという間に汗びっしょりとなった。

歩道橋を渡る時、大きく息を吸い込みヨシ気合だと階段を登った。
見た目20代の建築職人さんが二人缶コーヒーを飲みながら、階段をひとっ飛びしながら追い越して行った。さすがに職人さんを追い越す気合はなく、かろうじて大股で一段ずつ飛ばして登った。二段に挑戦しようと思ったがやっぱ止めとこと思いマイペースにした。

400字のリングは八月十七日まで休みとします。
十七日はサントリーホールで読響のコンサートを聴いて気合を入れます。
「運命」と「未完成交響曲」です。愚妻と共になのでなんとなく運命を感じ、未完成を感じるのです。皆様どうかいい夏休みをお過ごし下さい。

決してひとっ飛びなどしないで一歩一歩ゆっくりとを心掛けて下さい。
“かろうじて生きる”というのは生き方の極意だとどこぞの高僧がおっしゃってました。
ほどほどがよいということなのでしょう。

湘南の地に来ることがあればお電話下さい。
旨い鳥仁の焼鳥を食べながら冷えたビールでも共にしましょう。

海岸に行くと早トンボちゃんが気持ちよさげに風の中にいます。
夕陽は赤く大きくすでに秋を呼んでいます。小林旭の「赤い夕陽の渡り鳥」など口ずさみながら自転車を走らせています。

八月八日はもう暦の上では「立秋」です。

2015年8月6日木曜日

「一戸広臣さんのスイカ」




暑い、暑い、もの凄く暑いという飛び切りのぜいたくを毎日味わっています。
ガリガリ君をガリガリ一日一本、青いカキ氷を四日に一個、ソフトクリームを週に一本、冷やし中華を月に三回、冷麦、ソーメンをほぼ毎日交互に。

赤いスイカをあるまで少しずつ。
と思っていたら青森の陶芸家、一戸広臣さんからどーんとでっかいスイカが二個送られて来た。津軽亀ヶ岡焼きで有名な陶芸作家さんだ。
これでこの夏はスイカを買い求めないですむ。

一戸広臣さんのお宅の庭には竪穴住居がある。
アトリエ&ギャラリーに来た人をここで歓待してくれるのだ。目の前は広大な畑だ。
その畑で生まれた数あるスイカの中から選ばれた二個が、私の目の前にでーんとある。
何か運命的出会いを感じる。

縄文人はスイカを食べていたのだろうか。
今でも3000坪を100万か200万で買えるのだろうか。
はじめてお宅に行った時、30分以上車で走って一軒の家もなかったと記憶している。
畑買って住みませんかと一戸広臣さんはいった。
巨体から出る言葉はこれ以上なくやさしい。

人間らしい人に会いたいと思ったらぜひ訪ねて下さい。
きっと竪穴住居で鮎やイワナなどを焼きながら旨い酒を自慢の器で出してくれます。
とてもステキなご夫婦です。

「ラ・ベットラの側」




午後四時十分三十六秒、銀座二丁目20番と表示されている電信柱がある。
そこにはスタンド式の灰皿が置いてある。つまり喫煙所なのだがどうにもシマらない。

男三人、女性二人が口から、鼻から煙を出していた。
五人共に汗びっしょり、オバさんは手に買い物袋を持っていた。 
大根とネギと枝豆が入っていた。

若いOL風は左手にスマホを持ち器用に手を動かす。
突然笑い出したので隣にいた中年会社員風の男がビックリする。

ビックリした男の隣にいたのは目の前の機械屋の主人だ。
暑いなあ〜と声をかけると、晴れ晴れするほど暑いな、夏はこうでなきゃといって煙草を旨そうに喫い込み大きく煙を出した。

自転車の前カゴに黒く重そうな鞄を入れた金融関係風の若い男は電信柱に 〉の字になって寄りかかり大きくため息をついて頭を左右前後に振った。
口から出た白い煙も不規則に動いた。みんな揃ってマッタリとしグッタリしていた。

ほんの十秒の間に銀座二丁目20番地の盛夏があった。
夏の煙草はあまり旨そうじゃないなと思った。
直ぐ側にある予約の取れないイタリアンレストラン「ラ・ベットラ」に女性が四人、店の外の木の椅子に座っていた。食べる気満々の感じであった。

2015年8月4日火曜日

「野火を観よ」




動物、植物、魚類、貝類、雑草、樹木、昆虫、鳥類、それに人類など。
大きな本屋の図鑑コーナーに行くと、えっ、こんな図鑑もあるのと驚く。
人間の歴史はこの図鑑に載っている物をすべて食べて来た歴史なのです。
はやい話人間は空腹に耐えられず、飢餓はいかなる人間も克服できなかったのです。

私が生まれた戦後は慢性的な食糧不足であった。
私たちはツバメの子がエサを求めるようにピーピー鳴きながら、親がエサをとって来てくれるのを待った。
都会に住む人々は、買い出しのために窓から身を出し、こぼれ落ちるほどのすし詰め列車に乗り、地方の農家へ向かった。
そして頭を下げて回り、ダイヤモンドと米を交換し、絹織物とジャガイモ、加賀友禅とダイコン、ニンジンなどと交換しては、大きなリュックサックを背負い帰って来た。
宝石類や時計にカメラ。刀剣や鎧兜、書画骨董類も胃袋に入っていったのです。
ハシッコイ者たちは、農家を回り、国宝級の名品を安値で手に入れて莫大な財を築いたのです。
何しろ元手はタダ同然だから。
今でも農家のどこかに名品はガラクタとしてあるはずだ。

鎌倉や銀座、青山の骨董屋に時々ブラリと入る。(買ったことはない)
その店の主人たちに共通している目付きがある。刑事の目である。
店に入ると必ず上から下へ、下から上へと人間をそっと値踏みするのだ。
一度ある店の主人に、骨董商なんて戦後の空腹が生んだんだぜ、ドロボーの上前ハネて生まれたんだぜといったら、こりゃまたダンナずい分とキツイことを、なんてヘラヘラ抜かした。
そこにある50万の壷なんてきっとどこぞの殿様のタン壷だったんだよ。などと悪タレをついてやった。
目付きのいい骨董屋さんに会ったことは殆どない。

今、渋谷ユーロスペースで戦記小説の名作「大岡 昇平の『野火』」を上映している塚本晋也監督・主演だ。
この作品を戦争法案賛成の全員に見せるべきだと思う。(食前でも食後でも)
人間が図鑑と名のつくすべてを食べて生き抜こうとした悲惨と無惨と執念が分かるはずだ。

2015年8月3日月曜日

「白昼夢」



虚無的な中年ヤクザが何年振りかで娑婆に帰って来る。
人を殺して刑務所に入っていたのだ。
駅から出てあふれんばかりの人混みを見て、男はつぶやく。
「こんなにたくさんの人間がいる、その中のどうしようもない人間を一人位殺してもどうってことはねえじゃないかと。」
正確に憶えていないがこんな出だしの映画だった。猛暑の頃になるとこの映画のことを書きたくなる。
原作/石原慎太郎、監督/篠田正浩、主演/池部良/加賀まりこ、であった。
映画の題名は「乾いた花」である。

水分を失ったドライフラワー。生きる目的を失った中年のヤクザはドライフラワーであった。
そこに現れた不思議な若い女、男にとって束の間の水分であった。少しだけでも生きる目的を持った。
篠田正浩の映画ではこれがNO.1だと思っている。

なんで人を殺したんだといわれ、「ただ太陽がまぶしかったから」と応えたのは、
確か小説「異邦人」の主人公の男だった。
映画ではマルチェロ・マストロヤンニがその役を演じたと思う。

猛暑は人間から、理性も知性も蒸発させてしまう。又、汗として体から流れ出す。
そして思考回路は停止してしまう。
熱に刺された人は正気を失い、狂気は玉のような汗をかき続ける。
その存在に生温かい殺気を感じる。何だろうこの人たちの殺気は、だらしなく大きく広げた足。
何かをクチャクチャと噛んでは道路にペッとはきすてる。
何人も道路脇に座り込んでいる。首にタオルを巻いた太った他国の男たち。

太陽がまぶしかった私は、異邦人の主人公のようにピストルを持ってなくてよかったと思った。
私は白昼夢を見ていたのかも知れない。