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2016年3月17日木曜日

「トマトと赤い玉、」




昨夜帰宅しアレやコレやをした後、映画を観た。
題名は「遠雷」根岸吉太郎監督の代表作だ。
主役の永島敏行が23才の設定だから、初めて観たのはずーっと昔だ。
確かベストワンになったと思う。

栃木県宇都宮近辺でトマトのハウス栽培をしているのが永島敏行、その友だちがジョニー大倉、トマト栽培以外にやる事といったらスナックで飲むこと位しかない。
あとはハウスの中にワラを敷き、毛布を敷き、服を脱いでそれを敷いてひたすらSEXをする。若い肉体と肉体が、たわわに実ったトマトとトマトの間で重なり合う
石田えりのスイカップの胸がブルンブルン揺れる。

地上げが始まった頃なのでハウスの土地を売れと地上げ屋が来る。
愛人をつくって家を出た父親(ケーシー高峰)は女装して愛人を抱く。
スナックの女性に惚れたジョニー大倉はその女性を絞め殺してしまう。
大都市化が進む中で農家の跡取り息子はトマトを切り取り続け、SEXを続ける。
他に何もやることがないのだ。

根岸吉太郎監督は実に丹念に、農家の生活を追う
百姓は働いてさえいれば、食っていけるちゃと母親は言う。

古い名作映画をしこたまレンタルして来ている。
アウトプットするにはインプットが必要だ。
それには決して外れのない映画がいちばんだ。

新作の「赤い玉、」という高橋伴明監督、奥田瑛二主演のも観た。
これは芸術大学で映画を教えるスケベ教授の話し、バイアグラを飲みながら若い女の子とやたらめったらSEXをし、最後は車にはねられて死ぬ。
高橋伴明監督の実世界のような作品であった。
女房の高橋恵子がちょっとばかり出ていた。

「遠雷」は芥川賞作家、立松和平の原作だけに文学的であった。
奥田瑛二の娘安藤サクラはやはり「百円の恋」「0.5ミリ」の演技で主演女優賞を受賞した。スゴイ映画家族だ。気分を変えるために、石井岳龍監督の「ソレダケ」を観る。

アメリカ合衆国の大統領予備選はてんやわんやの大騒ぎとなってきた。
いずれハリウッドでB級映画化されるだろう。
ともあれ映画は私の最高の精神安定剤なのだ。
一日も早くトランプ劇場の終わり方を観たいと思う。
途中でバァーンと撃たれるかもしれないが。

2016年3月16日水曜日

「ジェルソミーナ」



昨日というより今日午前二時から一本の映画を観た。映画史に残る名作だ。上映した年のベストワンになったはずだ。

フェデリコ・フェリーニ監督の「道」である。
主演はアンソニー・クインとジュリエッタ・マシーナ。
主題曲の「ジェルソミーナ」は映画音楽史に残るニーノ・ロータの名曲だ。

三輪トラックでサーカスの見世物をする男に1000円ほどで売られた小さな主人公がジェルソミーナという名だ。サーカスの男の芸といえば、筋肉隆々の胸に太い鉄の鎖を巻き大きく息をし、グッと力を込めて自慢の筋肉でそれを切る。
ただそれだけだ。

この映画がきっかけで名匠フェリーニは世界にその名を広め、ジュリエッタ・マシーナと結婚する。旅から旅へ、巨漢の男の芸の前に、ピエロの顔をした小さなジェルソミーナが悲しげにトランペットで主題曲を吹く。

一本の道の先には希望はない。
男と女は共に生きているが愛の言葉も愛の行為もない。
二人はやがて別々になる。小さなジェルソミーナは道端で消え入るように死ぬ。
それを知った男は、死ぬ間際までトランペットでジェルソミーナを吹いていたと知らされる。そして男は…。

人生とは一本の道を旅する孤独な旅なのだ。
男と女はきっと深く愛し合っていたのだろう。
日本人の中でもきっと小さいと思うジュリエッタ・マシーナはこの映画で大スターとなり、フェデリコ・フェリーニは大巨匠となる。
勿論多くの映画賞に輝く。かつてイタリア映画は世界の最高峰だった。

フェリーニの大ファンだった私は一度イタリア映画のメッカ、チネチッタに立寄った。その時チネチッタは何の活動もしていない雑然としたものであった。
その時心の中にジェルソミーナの曲が流れた。悲しかった。
ジュリエッタ・マシーナの顔が浮かんだ。
アンソニー・クインの筋肉が見えた。一本の長い道があった。

いい映画は何度観てもいい。そして涙があふれ落ちた。

2016年3月15日火曜日

「デンデン虫」




天才と狂人は紙一重というけど、殆どは狂人だと思う。
「見知らぬ乗客」や「太陽がいっぱい」最近では女性の同性愛を描いた映画「キャロル」の原作者パトリシア・ハイスミスもその一人だ、ハイスミスは人付き合いが苦手で、孤独だった。執筆の喜びの源というよりは強迫観念のようなもので、仕事がないと苦しかった。

リラックスして仕事をするために、ベッドの上にすわり、タバコと灰皿、マッチ、コーヒーの入ったマグカップ、ドーナツと砂糖を盛った皿をまわりに置いた。
胎児のような姿勢で書くことによって、彼女の言葉による“自分の子宮”を作り上げた。
執筆前には強い酒を飲む習慣があり、躁状態といえるほどエネルギーを高めた。

毎日大量の酒を飲む、ベッドの脇にはウォッカのボトルを置く、その日飲む分量の印をつけた。生涯通じて強い煙草のチェーンスモーカーであった。
食事はアメリカベーコンと目玉焼きとシリアルだけ。
動物が好きで、とくに猫とカタツムリに特別の愛着を感じた。

ある時魚市場で二匹のカタツムリが奇妙な形で絡み合っているのを目撃したのがきっかけで、三百匹のカタツムリを庭で飼うことになった。
カクテルパーティーにレタス一個と百匹のカタツムリを入れた巨大なハンドバッグを持って現れた。百匹のカタツムリは彼女の夜のお伴だった。
六匹から十匹のカタツムリを乳房の下に隠した。

彼女が同性愛者だとしたら二人の間というか、二人の体中にカタツムリが吸い付き、ヌメヌメと動いていたのだろうか。稀代のミステリー作家はやはり天才であり、狂人であった。強い酒を飲み、強い煙草を喫い、砂糖をナメナメし、カタツムリを愛す。
“太陽がいっぱい”でなく、“カタツムリがいっぱい”だった。

冷たい雨に打たれながら家の前の公園を歩いていたら一匹のカタツムリが木の葉の上でくつろいでいた。手に取ろうとすると強くそれを拒否した。
季節は狂いすでに梅雨入りかと思った。
三月十四日のカタツムリは、はやすぎではないだろうか。
その習性を私は知らない。

映画「キャロル」の評判はすこぶる高い。なんとか観に行きたいと思っている。
同性愛の名作とカタツムリの美しい関係を。ガキの頃はデンデン虫と言った。
この世にはナメクジみたいなカタツムリみたいな人間も多い。
※参考文献「天才たちの日課」フィルムアート社刊、メイソン・カリー著、金原瑞人・右田文子訳

2016年3月14日月曜日

「二百歳」




三月十一日(金)はそれぞれに東日本大震災を悼んだことだろう。
灰色の寒い日であった。
私は千葉にある老人ホームに居た。
二時四十六分私は打合せをしていた。

詳細を記すことは出来ないが、驚いた話をそこで聞いた。
その日、百二歳のご主人と九十八歳の奥さんが入居の申し込みについて話をしに来たという。何故足して二百歳になるご夫婦が来たかといえば、ご夫婦の子どもたちが先立ってしまったからだ、それ以上はプライバシーの問題があり聞くことは出来なかった。

長寿の幸といえばこれ以上の事はない。
が、稀なる人生の有様に複雑な思いを感じた。人間の生命とはつくづく考えた。
今防災について少しばかりお手伝いをしているのだが、地震ばかりはいつ起きるか分からない。一分後かもしれないし、一日後、一週間後かもしれない。
私がお手伝いしている会社がスローガンにしている「事前防災できることからはじめよう」、このことを実践して行くしかない。

五年前の3.11の時一番役立ったのは、手巻き式のラジオ&懐中電灯だったのを思い出す。一晩中グルグル回していた。停電したテレビよりラジオの方が役立った。
不思議と死への恐怖がなかった。
人間は全く想像出来ないことを体験したり、映像で見てしまうとあらかたの神経が思考停止するらしい。

あなたは今いくつですか?百二歳まであと何年ですか、九十八歳まであと何年ですか。
老人になるまでは長い、が老人でいるのも長い。
自分の中にある乾電池の使用期間を知ることはできない。

子どもや女性に呼子を持たせてください。
当然、老人にも。これ事前防災の基本です。
次にペンライトを一本、いざという時のために逃げ足を鍛えてください。
毎日少しでも歩いてください。これ基本中の基本です。

2016年3月13日日曜日

「つかぬこと」



大変つかぬことをお聞きします、いいでしょうか。
えっ何?と応えた。赤坂五丁目から銀座まで乗ったタクシーの運転手さんとの会話だった。

つかぬことって何と言えば、実は運転手さんの息子さんがやっとこさすべり込みで高校に入った、そしたらスマホを買ってくれと言った。
バカモンそんなの駄目だ許せん、どーしても欲しいなら将来の人間形成に役立つ本を200冊読めと言った。そしたら奥さんは200冊は多すぎると言われ、それじゃ100冊となり、いろんな本を探した。
インターネット上で人間形成に役立つ本を54冊買い求めた。あと46冊探しているんですが何かいい本ありませんかねという話であった。

で、何を買ったかと聞けば、五木寛之の「青春の門」とか「親鸞」とか吉川英治の「宮本武蔵」とかであった。お客さんはどんな本で人間形成をしましたかと言うから、本なんか読んで人間形成なんか出来ないよと言った。そうですか 、やっぱり本は大切だと思うんですよと言った。

あんまり本は読んで来てないから思い浮かばないが、一冊といえば尾崎士郎の「人生劇場」だなと言った。
どんな本ですかというから、義理と人情の男の世界、男と女の愛情の世界だよ。
で、車は仕事場に着いた。どうもありがとうございますと運転手さんは言った。
日本交通の運転手さんはメモ書きをしていた。

2016年3月10日木曜日

「ポッキー」



赤坂溜池の交差点側の仕事場を出ると、ガンガン大音量の街宣車が数台私の前を走り抜けた。
右翼の街宣車は怒鳴り放題、喚き放題、言いたい放題に主義主張を車上から浴びせる。

一度やってみたいと思うがその機会がない。
ずい分とモヤモヤが発散できそうだ。
勿論私の主義は右翼ではないのだが、喚き散らしたいことばかりの世の中だ。

新橋駅機関車口にほぼ毎日街宣車が停まっている。
誰も聞いていなかったので一度立ち止まって聞いていたら、ありがとうございますとあいさつされたことがあった。

運転席に二人いて30代中頃の一人はポッキーを食べていた。
一人は未だ若い人で先輩に冷たい麦茶みたいなものを出していた。

軍艦マーチをガンガンかけて街宣車は走り去った。
やけに寒い中で熱気満々の人を見て、私は私なりにこの日本国の未来を憂うのであった。



2016年3月9日水曜日

「雨に濡れて」

鉛色の雨であった。どんよりとして重い。
朝から降り続く雨は、つよくでなくやわらかでなく鬱陶しいものであった。
だがとても親切なタクシーの運転手さんのおかげで気分が晴れた。
南禅寺の側の湯どうふ屋さんに運んでくれた。
京都のおとうふは絹ごしでつやつやしている。私のようながさつな者には似つかわしくない。

ごま豆腐、木の芽田楽、とろろ芋とカボチャの天ぷら、黄色いたくあん二切れと白いご飯で一式であった。
勿論メインは湯どうふであった。
朝から何も食べておらず、午後二時半の湯どうふは冷たい雨に濡れた体を湯たんぽのようにあたためてくれた。
クツクツと湯気を出し煮立った湯どうふは、鉛色とよく合うと思った。
無彩色の持つ特別な色気だ。これが真っ青な天気だとしたら、きっと味気ないものであったはずだ。

浅葉克己先生の「血肉化」展は圧倒的であった。
中でも作家中島敦の「文字禍」を活字で組んでいたのが圧巻であった。
白い紙に活字の黒インクが絶妙であり、中島敦の名文がえもいわれない風格を出していた。
浅葉克己先生の文字へのこだわりと探究心に心から敬意を表す。
文字を生み出すということは命がけの探検なのだ。
ツメのアカを煎じて飲みたいので、近々お邪魔してツメを切らせてもらうことにする。
雅な京都もいいがモノクロームの京都も又風情があった。

聖護院で美容室を営んでいるご夫婦に会うことが出来た。
oluhaオルハのシャンプーはとても評判がいいと聞いて嬉しかった。

雨が心の泥を洗い流してくれた。