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2016年10月25日火曜日

「柿」



昨日「恋人たち」橋口亮輔監督について書いたところ、映画友だちから電話があった。
いい役者が出ていたんだぞと。

銀座の仕事場には映画のチラシを数十枚無造作に貼ってある。
「恋人たち」も貼ってあったので改めて読む。
私が“リリー・フランキーさんと光石研さん以外はシロウトさん”と書いたが、正しくは役者さんはメインとなる三人を監督自らオーディションで選んだ。
無名の新人俳優であった。

メインを支える役者として、安藤玉恵、木野花、黒田大輔、山中崇、山中聡、内田慈。
私の知らない実力派が出ていた。チラシを読み不勉強さを知った。
大変ご無礼をした。

群像劇を見る楽しみは、まるで隠し絵のように、ワンカット、ワンシーンに監督の思い入れの強い役者さんが配されている。それをウォーリーを探せのように探すのだ。
映画友だちとは、お互いに観た映画を良かったぜとか、つまんなかったよとか、ブラボー!サイコー!などと言い合う仲だ。

橋口亮輔監督作品に「ぐるりのこと。」というやはり上映した年のナンバーワンになった映画がある。夫婦関係、親子関係、親族関係、自分の周辺の“ぐるり”のことを鋭く怖ろしく描いている。
西川美和監督の「ゆれる」もいい。
香川照之とオダギリジョーの見せる兄弟関係の感情表現がすばらしい。
人間の心の中にある沈殿した闇を知ることができる。
私たちは生きている限り人間の心という見えない怪物と対峙していかねばならない。
人と人は互いにストレスをぶつけ合い“ぐるりのこと”の中で息絶えるまで息をしていく。
「飲み込めない想いを飲み込みながら生きている人が、この日本にどれだけいるのだろう。今の日本が抱えていること、そして“人間の感情”を、ちゃんと描いてあげたい――橋口亮輔」


辻堂駅改札北口斜め前に、ワゴンに載せた柿が3個300円で売っていた。
それを買って帰り、2個を仏前に、1個は深夜に食べた。まだ固くてマズかった。
サランラップで包んで冷蔵庫に入れた。何故か朝からムカムカしていた。
大人しくなり過ぎた自分にだ。

2016年10月24日月曜日

「846分」




土曜日、体に鍼を打ってもらったあと、達人の車で茅ヶ崎駅まで乗せてもらった。TSUTAYAで映画を借りるためだ。ずい分観たかった映画を見落としていた。
「レヴェナント・蘇りし者」「お盆の兄弟」「恋人たち」「王の運命」「ラブバトル」「神なるオオカミ」「マネーモンスター」の七本を借りて来た。
7泊8日計1500円、なんと安いことか。すでに旧作になっていた。

156分+107分+140分+125分+99分+121分+98分、合計846分であった。
これらを観ながら競馬中継で菊花賞を見た、笑点も見て、BSで真田丸を見た。
その後広島対日本ハムを見た。美の壺「風呂敷」も見た。
東京10区の開票速報を見て元公安検事のバンザイ、バンザイに気分が悪くなった。
で、また映画へとなった。

公開した年のベストワンに選ばれた、橋口亮輔原作・脚本・監督の「恋人たち」が抜群によかった。ワンシーンだけ出たリリー・フランキーと、スナックのお客で“美女水”を売りたいとか養鶏場を一緒に経営したいとか言って、義母と頭の薄くなったしがない夫と暮らす40代の女性を騙しては関係を持つその男役、光石研以外は全員シロウトの人を起用した作品だ。

橋口亮輔監督は人間社会のフツーの部分にある、人間の本性にカメラを向け言葉をつけリアルに描き次々と秀作を生む。特別このシーンが好きだった。
狭い平屋の住居、台所と二部屋しかない、一部屋には義母がいる。
無目的にゴロゴロ寝ている夫に「無いから買って来る」と言いタンスの引き出しから財布を出し、自転車に乗って夜の薬局へ、シャッターは閉まっている。
店の横にある自動販売機“愛のスキン”にワンコイン入れて買って帰り、服は来たまま下着だけを脱ぎ、夫にそれをつけ言葉を出さずに行為する。義母に気づかれないように。
タバコを一服するその姿に女のいとしさを感じる。
不倫する相手に会いに行くとき、くわえタバコの火が黒いパンストを焼いてしまう。

私は「恋人たち」という題名から想像もつかない人間ドラマ140分に引きずり込まれてしまった。演出家の凄さがヒシヒシと伝わって来た。他の6本もそれぞれよかった。
「神なるオオカミ」は圧倒的な狼の世界美だ。
先日熊鍋を食べたせいか、レヴェナントでグリズリー(大熊)に襲われるディカプリオを見て、熊肉は見た目よりやさしく、デリケートで実に旨いぞと声をかけた。

どの映画も人間という生き物が生きて行くのが並大抵でないことを描いていた。
株価、株価に狂っている者たち、自分の離婚届を書きながら、兄の婚姻届の保証人になる弟。朝鮮史上最大の悲劇の話、王様ができの悪い息子(王子)だと思い米びつの中に閉じ込めて殺してしまう。
男と女はどれだけ互いの挑発にのらずにいられるかという、いかにもフランス映画らしいテーマ。

月曜日午前二時十九分三十一秒、7本を観終わる。頭の体操ができた。
これから明日二時からの打合せに使う考えをまとめる。強烈な耳鳴りがBGMだ。
NHKテレビからは美しき日本の山々「大台ケ原」の映像が流れ、テロップでは鳥取県で地震があったことを教えている。

2016年10月21日金曜日

「ジビエな私」

昨日ジビエ料理を食べ過ぎたせいで、頭から角が出て、体中熊みたいに毛が生え、雉のように口ばしが鋭くなり、全身が熱くほてり、汗が止まりませんです。

鹿、熊、キジを焼いたりして食べてしまったので、地獄に落ちるのが決定しました。熊肉は味噌鍋にして食し、仕上げは水とんにしました。

知人のプロボクサーと一緒だったので精力をつけてほしかったのです。

ついでに私の方にもついてしまったようでやり場に困っているのです。

地震には十分気をつけて。

そんな話で本日はここまで、みなさんいい週末を過ごして下さい。

2016年10月20日木曜日

「かんぴょう巻き」




昨夜溜池の仕事場を出て、銀座の仕事場に戻った。
午後九時半頃、ちょいと腹ごなしに近所のお寿司屋さんに行った。
カウンター席に私一人、十分後位にかなりこの店に通っている風の男の客が三人入って来た。この店は十時頃には営業が終わる。私は日本酒一合とちらし寿司を頼んだ。

親方はサーファーだ。実に気持ちがいい。疲れた体を癒やしてくれる。
熱烈な巨人軍ファンでもある。
三人の男は座り馴れたカウンターの隅に座った。
その会話が実に面白かった。

マイドイラッシャーイ、ずんぐりした男三人は魚河岸系らしい。
ハイ、後期高齢者のオレいつもの、ハイ終期高齢者のオレいつもの、ハイ末期高齢者のオレもいつもの、ハイマイド。で、ビール一人、冷酒一人、お茶割り焼酎一人。
マッタクヨォ―、小池百合子はまるで月光仮面かウルトラマンだぜ。
オヤ歯、どうしたのと親方。抜いちゃったの、でもお寿司は食べれるの、ガリは飲み込むの、ウハハハ。
巨人はドラフトで誰を取るのかね、弱いね~、巨人、なにしろ暗いよ。
親方が今年は駄目だったねぇー、来年も駄目だね。
東京都もいい加減だねぇー、見積りちょっと直したらいきなり100億円以上安くなるなんて、仲買いの◯△やめるらしいよ、やってらんねぇーって、フィリピンの女とフィリピンに住むんだとよぉ、なんだかイカが噛めねえーな、ホタテはやさしくていいやな、とまあこんな会話が進んでいた。

七十~八十二、三才の三人の男はすこぶる平和であった。
結局よぉ―オレたち最後に食えるネタは玉子焼きだけだよ、ウハハハァと三人は笑った。新富町「寿し辰」ここの刺し身とちらし寿司に勝る店はない、何しろ安くて美しくて旨いのだ。巨人軍ファンではなくてもいい応対をしてくれる。
最後にかんぴょう巻きを一本巻いてもらった。私はもう一度仕事場に戻った。

2016年10月19日水曜日

「清々しい顔」



私がブラブラ歩いていたらただの与太者だが、タモリがブラブラ歩くと「ブラタモリ」という高視聴率の番組となる。

昨夜銀座キャピタルホテルというビジネスホテルに泊まった。
午後十時過ぎチェックイン。暑いの苦手、寒いの苦手な体である。
狭い部屋にエアコンが効いていない、でフロントに電話して部屋を冷やしてと言うと、全館送風ですと言う。必要なら扇風機をと言うから持って来てとなり扇風機を回す。
省エネなのと聞けば、まさか10月中旬にこんな暑いのは計算外だったとか。

午前一時過ぎにテレビ「ブラタモリ 富士の樹海」を見る。
松本清張の小説「波の塔」で有名になったある事の名所である。

広島カープの黒田博樹投手が引退宣言をして記者会見をしていた。
やるだけやった男の清々しい姿があった。体のアチコチがボロボロで痛み止めの注射を打ちながら投げ続けた。若手は黒田博樹を見て成長した。逃げるな内角を攻めろと。

「笑っていいとも」で働き詰めだったタモリは余生を楽しむようにブラリ、ブラリと歩く。博学である。サングラスをかけていて顔は見えないが、やはり逃げずに仕事をやり遂げた男の清々しさを感じる。

私はふと思った、今上天皇がもう体の無理が効かない、退位をさせてほしいと申し出た。大手術や病気を重ねながら象徴役をこなすのは神より難しいはずだ。
私は天皇制については距離を置いているが、一日も早く皇太子に譲位して人間的に過ごしてほしいと思う。(文中敬称略)







2016年10月18日火曜日

「ピート小林氏」




白くて厚いボール紙を封筒代わりに仕立て、白いガムテープを厳重に貼り付けた手応えのある郵便物が届いた。文字を見てすぐ分かった。
本名小林直道、通称(ペンネーム)ピート小林氏からであった。

中には展覧会の案内状。
10月21日(金)~30日(日)~写真家ピート小林とお米マイスター五つ星小池理雄の出会い~。ピート小林氏は多芸である。

青山学院大を卒業した後、ブルックスブラザーズへ、その後アメリカに渡りバーテンダーを七年間位したと聞いた。ピートはその頃に付けられた愛称だ。
帰国後、外資系広告代理店マッキャンエリクソン博報堂でコピーライターとして活躍、その後大手広告代理店電通に入社、クリエイティブディレクターと営業を経験し、フリーランスとなる。

故ジョージ伊藤さん(凄いシズルアート&スタイリスト)とコンビで作ったサントリー・カクテルブックは後世に残る大仕事であった。
2000種近いオリジナルカクテルをピート小林がシェーカーで生み、カクテルグラスはすべて違うグラスであった(レシピはピート小林)。
コピーライターであり、バーテンダー、それと甲子園大会写真家。
日本中アチコチの桜の写真も撮り続けた。

近年は案山子を追って日本中の畑を回って撮り続けている。
10月21日(金)NHK BSプレミアム「新日本風土記」九時~九時五十九分で、初日取材されるのが放映予定と米粒みたいな小さな文字で書いてあった。
Space WAISE(渋谷区渋谷2-8-4佐野ビル2F)、地下鉄表参道駅B3出口より徒歩10分のところにある。お時間のある方は是非立ち寄ってあげてください。

ピート小林氏はワンコイン英語レッスンもやっている。
とてもいい所と、とてもトホホが同居している身長185センチ位の立派なヒゲの大男。
私には大きな仕事をずっとさせてもらった大恩がある。父君は協会の牧師さんであった。生活に窮したときは、UR機構の訳あり物件に住み転々としていた。

若い頃、朝日広告賞のグランプリを受賞した。
Macのシリーズ広告、ジャガーのシリーズ広告は歴史に残る名作である。
アートディレクター&デザインは名人高橋稔さんであった。カメラは確か秋元茂さん。
トホホのない広告人であったならきっとその名は高名を極め、財を極めたであろう。
多種多芸が広告人だけであることを可能にしなかった(今のままがいちばんだ)。

原型を留めなくなるほど使い古した時刻表を友にし、列車を乗り継ぎ案山子を撮ったものが写真集「カカシバイブル」(東京書籍)として売り出し中。
実に明るく、楽しく、人間臭く、オシャレでキュートでチャーミングな案山子たちだ。

先日恵比寿の山小屋というかわいい画廊で見た坂田みつ豆さんの“チビ豆”ちゃんの写真展もユーモアセンスにあふれていて良かった。
一枚の写真を見て生きる力をもらうことがある。
ユーモアのない今の世の中はとてもキュークツで、嫌な気分なのだ。

「案山子写真家とお米屋さん展」きっと行くからな。
住所がずっと変わっていない、定住の地を得たようだ。一途な男にひとまず乾杯!だ。

2016年10月17日月曜日

「クリームシチューと肉まん」




解散風をビュービュー吹かせていたのは自民党本部だが、官邸筋は慎重論の風を吹かせ始めた。新潟知事選で野党統一候補の米山隆一氏が大逆転勝利をした。
告示前は無投票に近い情況だったが、野党3党が結集して反原発の米山隆一氏を立てた。日々支持が広がり七万票近い差をつけた。
これにより野党が結集すると40議席近くを失うのではと考えたのが官邸筋だ。

経済情況は低空飛行のまま、ズルイ、汚いの代表国ロシアのプーチン大統領はシリア問題で手一杯。日本のことは経済協力をしてもらうこと以外に興味なし、あの手この手で四島返還に対しては、玉虫色の答えしか出さないだろう。
天皇の生前譲位に対して、報復人事を行い天皇の最側近を外してしまった。
稲田朋美防衛大臣の国会答弁に至っては戦争を衝突という仕来。
新潟で負けたのは反原発だけでなく、反TPPでもあった。

農家を敵に回すとマズイ、ヤバイ事に気づき、多分衆議院選挙は先延ばしになるだろう。
待機児童問題はスルーしてママたちは怒り、年金カットは老人を怒らせる。
三分の二を失ってまでやる必然性がない。
最後の最後に民進党代表蓮舫氏は新潟に入った。勝てそうだから。

都議会自民党は小池百合子氏に全面降伏した。
天丼、牛丼、カツ丼、親子丼、そして内田丼の命脈は尽き始め、マダム百合子、渡り鳥小池百合子氏に手も足も出ない。声すら失った。
就任時一人二人であいさつに来た小池百合子氏をあしらったが、二ヶ月後は部屋いっぱいの議員が満面の笑みで迎えた。ずっと満月は続くと思っていた。
現在の一強独裁がボロボロと崩れ、二度選挙をすれば再び政権交代があるのではと予感する。橋下徹氏がどう動くかで戦況は変わる。

先日書いたSASUKE君が昨日最終回(七回裏)ツーアウトから代打に出て、逆転サヨナラ勝利をもたらした。右中間を真っ二つに割ったとか。みんな号泣をしたと聞いた。
相模原の奥、遠いところでの公式試合だった。たった11人のチームでも力を合わせれば戦って行けるのだ。私は保育園の運動会会場にいた(小学校の体育館で)。
私はSASUKE君を見習って行く、すべてはファアザチームで。

強大に見える権力も実は「砂上の楼閣」であって、大きな波が押し寄せたらひとたまりもなく流されて消える。ついこの間まで小池百合子氏は忘れられた存在だった。
いよいよ森丼の命脈も尽きるだろう。
先を急ぐ小池百合子氏にはどんな落とし穴が待っているのだろうか。それは…秘密丼だ。
がんばれ私の期待の人よ。天下を取るべき戦略を。

冬近しを知らせる北海道クリームシチューのCMが始まった。
年賀状承り、おせち料理予約も始まった。アツアツの井村屋の肉まんをマスタードとソースをつけて食べながら競馬中継を見た。
元横浜ベイスターズの大魔神こと佐々木主浩氏の持ち馬が“秋華賞”というG1レースで勝った。ガッポリ入った賞金を「きふ、人から」プロジェクトによろしくと思うが、大金持ちはみんなケチンボなのだ。否、ケチンボが大金持ちになるのだ。
弱者に目を向ける者は少ない。

2016年10月14日金曜日

「ボブ・ディランと村上春樹」



午後十一時五十八分、世田谷区用賀インターから第三京浜へ、そして辻堂に向かってクルマは走っていた。午後十二時NHKラジオの時報が流れた時、私は一歳年をとった。

ニュースでタイの国王が死去したのを告げたあと、今年のノーベル文学賞をボブ・ディランが受賞した事を告げた。村上春樹が予想では第二位だったが、今年も受賞をしなかったと。何故村上春樹がノーベル賞をと思われるのがよく分からない。
ボブ・ディランはそのオリジナル性が選ばれた理由だとニュースは教えた。

村上春樹の文学にはアメリカ文学の下敷きが色濃くあるのがオリジナル性に欠けていると判断されたのだろうか(?)フランツ・カフカにも影響を受けているというか、発想の方向がほとんどカフカ的である。
それにサリンジャー、フィッツジェラルド的世界観を加え、植草甚一、常盤新平、片岡義男的ブランドスパイスを効かせ、レイモンド・チャンドラー的トーンを盛り込むと、村上春樹的ワールドは生まれる。
私は村上文学は自らへのコンプレックス文学と思っている。
もし彼が身長180センチ、見るからにイケメン、スポーツ力に優れて陽灼けが似合い、ブルージーンズに白いTシャツが筋肉と共に日々の制服となっていたら、決して今の村上文学は存在しなかっただろう。私はそう思っている。

最も手紙も満足に書けない私の村上春樹へのコンプレックスかもしれない。
私はむしろ村上龍の方がよりノーベル賞的だと思っている。
何しろオリジナル性があり、現代文明に対して鋭く斬り込み、暗示性に富んでいるからだ。村上ファンのハルキストの人たち、勝手を書いてゴメンナサイ。
来年はきっと受賞するはずです。


♪~いったいどれだけの道を歩めば 人として受け入れられるのだろう いったいどれだけの海を渡れば 白いハトは休息できるのだろう どれだけの銃弾を打ち合えば 弾はそこをつくのだろう 答えは友よ風の中にある 答えは風の中にある…。
Blowin' In The Wind(風に吹かれて)をボブ・ディランはベトナム戦争真っ只中、ベトナム戦地のアメリカ兵の前で唄った。ジョーン・バエズと共に反戦の歌手であった。
フォークとロックとブルースの要素が入った歌を独特の音階としゃがれた声で唄う。
ボブ・ディランの歌い方はクルーナー唱法といわれ、囁くような優しい唄い方だ。

あらゆるミュージシャンはボブ・ディランを追った。ビートルズも。
文学的、宗教的、哲学的、反戦のメッセージ・ソングがすっかり聴けなくなった。映画「ビリー・ザ・キッド」の主題歌「天国への扉」は私をしびれさせた。
ビリー・ザ・キッドはご存知西部劇の無法者である。

イーグルスの名曲「ホテル・カルフォルニア」、レッドツェッペリンの名曲「天国への階段」は私のベストソングであった。
無法者を 戦争好き国家アメリカに置き換えると、アメリカがいかに病んであの世へ向かっているかが分かるはずだ。
ヒラリー・クリントンとトランプとの虚しい姿を見るとその答えが風の中に舞っている事を知る。

♪~またひとつずるくなった 当分照れ笑いが続く。
ボブ・ディランに憧れた泉谷しげるの歌が聴こえてくる。
私は一つ歳をとって、またひとつずるくなった。
そしてまた一歩、天国か地獄に近づいた。(文中敬称略)

2016年10月13日木曜日

「停電の原因考」




西村寿行の「滅びの笛」という本と開高健の「パニック」は同じテーマであった。
関東の山中で熊笹が異常発生し、それを食べるネズミが異常に大繁殖する。
そのネズミたちが黒い大津波のように食べ物を求め東京へ向かう。
ネズミの繁殖力は天文学的数を生む。田畑を食い尽くしながら村を町を滅ぼす。
道路や線路を占領しつつ東京に向かう。

ある年ねネズミの集団自決が東京湾であった。実話であるという。
東京湾はネズミの死体であふれ漁師の魚網はネズミの大漁となった。
人々はパニックを起こした。ネズミは地下に押し寄せ配線を食べていく。
電線はショートしやがて火災を起こし、街の機能を失わせてしまう。
歴史的には100年に一度そんな異常事態が起きていたという。

小学生時代の天才的少女だった友に今の日本は滅びの笛、パニックに近いというような手紙を書いて今日ポストに入れる。すでに封筒はガムテープで止めてあった。
13日にする意味が私なりにあった。

昨日私は四時過ぎ区立練馬美術館に向かっていた。
五時に友人二人と待ち合わせをしていた。
池袋までタクシーを飛ばし西武池袋線で中村橋に向かうつもりであったが、停電で池袋線は止まり、佃煮ができるほど人、人、人であった。
仕方なくまたタクシーに乗ったが渋滞が凄い、携帯を持っていないのでタクシーの運転手さんに借りて友人に電話した(五百円払った)。
友人たちも同じ状況であった。
夜、家に帰るまで50万世帯以上が停電とか、映画館、劇場も停電になった事を知らなかった。

区立練馬美術館の館長は、日本最大手の酒飲料メーカーの宣伝部長をされていた有名な人、美術に関することで知らない事はないのではと思う程、正真正銘博覧強記の人。
日本のルオー、日本のピカソ、否、ルオー、ピカソ以上にもの凄い画家「朝井閑右衛門展 空想の饗宴」を観て、その後館長と友人二人と共に割り勘(いつもそうなのです)で一杯飲み、館長より美術についてご教授を願う。
五時半までに着かないと美術館は終わってしまう。

江古田、練馬駅近辺も渋滞、運転手さんが携帯を見て「なんか停電しているみたいですね」と言う。車が動かないので薬局まで歩いて行って、目薬とグリーンエバー(フリスクが売ってなかった)を買った。
で、五時二十三分受付に。あ~間に合った。

朝井閑右衛門については後日にするとして、停電の原因はネズミではないかと思った。
東京の地下にしこたま太ったネズミが数億、数十億といるやもしれない。
ネズミ算的に増えるから食べ物がなくなると何でも食べる。
漏電防止のテープなどグルグルに巻いても食べてしまうだろう。
一カ所火がつけば燎原の火の如く広がって行く。

丁度友人にネズミの話を書いたのですっかりそう思ってしまった。
朝井閑右衛門は電線だけを難点も描いていた。
たっぷり厚塗りの絵はただの電線をこれ以上なく肉感的に描いていた。

エレベーターは停止したのだろうか。
今日はエレベーターの保守管理をする会社の社長さんと会うので詳しく聞いてみることにする。館長が案内してくれた日本料理「味三昧」の料理は朝井閑右衛門に匹敵するほど凄いものであった。総料理長は新橋「京味」で修行した人だと紹介された。

2016年10月12日水曜日

「焼き海苔」



♪~アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい 夜が明ける 日がのぼる 朝の光りのその中で 冷たくなった私を見つけて あのひとは 涙を流して くれるでしょうか…。


現在の大学生たちは知らないだろうが、その昔大学には全共闘の時代があった。
西田佐知子が切々と唄うこの歌は戦いに敗れた全共闘世代に圧倒的支持を受けた。
“冷たくなった私”は抵抗に屈した自分たちの姿に思えたのだ。

現在65~68才位の大人たちは、中核、革マル、ブンド、民青等々、それ以外はノンポリと言われた。全学連は一つのファッションでもあった。
今や定年となりかなり無気力、無重力化した65~68才世代はやがてプチブルジョア(プチブル)化していく。
実は国家権力者側に内通して情報料をしこたま手に入れたり、権力者側に踊らされていた。
全共闘時代を経て日本国の警察組織は捜査一課第一主義から“公安”にその力関係は変わって行く。

全共闘は鬱屈した学生たちにとって格好のはけ口となった。
フリーSEXがまかり通った。処女であることは権力者側にいることと同義語であった。
“暴力は最後の理性だ”なんて空気を入れる学者たちがいた。
全共闘たちに思想的影響を与えた学者たちが真っ先に権力者側に転向したのは言うまでもない。

私が最も影響を受けた、ポーランドの巨匠アンジェイ・ワイダ監督が九日死去したということをニュースと記事で知った。九十歳であった。
歩行補助具を使いながら遺作(Afterimage)を今年のトロント映画祭に出品したと記事にあった。
五十年代の抵抗運動(レジスタンス)三部作「世代」「灰とダイヤモンド」「地下水道」は珠玉の名作であり、全共闘世代の若者の心を捉えた。

私の好きなシーンがある。
「灰とダイヤモンド」の中で若いテロリストが、白い洗濯物がズラーッと干してある下を逃げるシーンだ。カメラワークが抜群であった。
モノクロームの映画であったがまばゆいばかりの映像美であった。
白と黒の対比が抵抗運動の明と暗を表していた。
黒澤明監督に影響を受けたとアンジェイ・ワイダは後に語った。

私の拙作であるピンク・レディーのMIEが唄った灰とダイヤモンドの題名はこの映画からいただいた。革命はガレキと灰の中からしか生まれないと言った。
当時レジスタンスという言葉は流行り言葉となった。
暴力革命は全否定するが、抵抗しない社会はファシズムを生む。
ペンは銃よりも強いはずだが、現代のペンは暴露でしかない。

午前二時八分〇五秒、いつものグラスにお酒を注いだ。つまみは焼き海苔。