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2017年2月16日木曜日

「さよなら人類」



午前二時四十九分四十四秒。
テレビでは炎の指揮者小林研一郎(通称コバケン)がチャイコフスキー交響曲第四番のタクトを振っている。読響のコンサートである。
前日の昼十二時「徹子の部屋」に仲宗根美樹が出ていたのと何故かシンクロした。

お世話になっている東洋羽毛さんが「徹子の部屋」にCMを流しているので火曜日の昼はそれを見る。
♪~病葉を今日も浮かべて 街の谷 川は流れる ささやかな 望み破れて…名曲を思い出す。仲宗根美樹は生きてたんだと思った。
クラシックは第九以外まったく分からない。
オーケストラの全体感と、仲宗根美樹の孤独な病葉感(わくらばかん)となる。

よくわからないチャイコフスキーを見聞きしながら口では「川は流れる」を口ずさんでいる。
かなりイカれちまったのかもしれない。
そうか、北朝鮮の金正男毒針暗殺のニュースをしこたま見た後、ロイ・アンダーソン監督の「さよなら、人類」を見たせいだと気がついた。
第71回ヴェネチア国際映画祭金獅子賞(グランプリ)受賞作である。

シュールで不条理、アナーキーなアナログ。思考回路がプチンプチン音をたてて切れる、一カット一カットの映像と言葉。文学と哲学が不可思議な距離感で交差する。
人間と人類が絵画的構図の中で会話する。
例えば、小さなアパルトマン、小さなテーブルの上にささやかな夕食と二つのワイングラス、太った男がワインの栓を抜いているのだが抜けない。
両足にはさんで思い切り栓を抜こうとする、抜けない、ウーウーと力を込める。
スポッと抜ける、太った男は後に倒れそのまま死ぬ、隣の小さな部屋には何も知らない女房がゴソゴソしている。小さく細いベッドと椅子と机しかない部屋。
変な仮面を被ったやせた男が机にうつ伏せになって古いラジカセの音を聞いている。
それをずっと半開きのドアから男が見ている。うつ伏せになりながら、あの世に行って両親に会いたくない、会いたくないと言い続ける。

この監督は人間&人類のディープな観察者だ。
二人の中年セールスマン、売っているのはフランケンシュタインの牙というか歯なのだ。
♪~病葉は今日も流れる。チャイコフスキーの正確な音律と、仲宗根美樹が重なる。
ロイ・アンダーソンなら、きっと読響のみんなに美しいオナラをさせるかもしれない。


ダメだ午前三時四十三分五秒、いつものグラスに“かのか”をごっつく注いだ。
もうちょっとで“おはよん”が始まる。それにしても毒針とは。北朝鮮の崩壊は近い。
でっかいドラム缶みたいな中に、捕虜を次々と入れて火を放つ、メラメラボーボー燃える中で捕虜たちがアチチと暴れているのか、ドラム缶はグルグル回る。
それをじっと見ている軍人たちのシーンもあった。さよなら人類なのだった。

2017年2月15日水曜日

「カレーパン」




何やってんだと見れば、七つの間違いさがし。
何食ってんだと見れば、アンデルセンのカレーパン。
何読んでんだと見れば、スポーツニッポン。
何やってんだと電光掲示を追えば、横浜ー戸塚間で電気を送る架線から火花が出ているとのことで、東海道線上り下りとも運転見合わせ、十二時半に新橋に行かねばならない、買い物を先ずしようと思い、一時間早く列車に乗った。

午前十時頃、辻堂駅から乗車したがずっと動かない。
車内放送でしばらく、動かないと言う。
ひょっとすると一日中動かないような、やけに悲観的な男の声。まあ買い物はいいか、一時間早く乗ってよかったなと思い朝日新聞を広げる。
左横窓側、右横、斜め前、その横が視界に入る。日本人はずっと静かだ。

10分、15分、20分、朝日新聞をサラサラと読みニッカンスポーツを見る。
社内放送が何度も流れる。火花が散りました、火花が止まりっておりません。
又吉直樹の芥川賞受賞作「火花」というワードがやたらと流れる。

25分、30分、全然動かない。
藤沢駅が少し動き出しました、しばらくお待ちください。
藤沢駅までは動きますと言う。
藤沢じゃ横須賀線に乗れない、何とか大船まで行かねえかなと思う。
トイレに行きたくなったので、すみませんちょっとと言って席を立つ、みんなじっと黙ってメールを送ったり、ドア口の所で携帯から電話をかけている。
もしもし動かねえんだよ、もしもし動かないんでちゅとかを話してる。
何やってんだか、何食ってんだかを見ながら席に戻る。

35分、キムタクのドラマ視聴率がやっぱりヒドイなとか、NHKの大河ドラマおんな城主直虎は14%ちょいか、全然見る気しないなと思い、ニッカンスポーツを東京新聞にかえる。
40分、45分、なんだよ何時動くんだよと思い時計を見る。
日本人は静かである。
東海道線は辻堂で止まったらアウト、藤沢なら小田急がある。
大船なら京浜東北線と横須賀線がある。

50分、ヤバイ今動かなきゃ間に合わないと思った時、ガタンゴトン、ガタンゴトンと動き出した。車内放送は心なしか明るく元気になっていた。
ヤッホーみたいになった。
日本の鉄道は凄い、東海道線の車線から横須賀線に移り、また東海道線に戻るということをやるのだ。

結局新橋に十二時二十分頃着いた。
新橋第一ホテルロビーにスレスレ間に合った。
七つの間違い探しの中年男子、カレーパンの若い女性、スポーツニッポンの三十代会社員風もホームから下りのエスカレーターに乗っていた。

夜帰宅して夕刊を見ると、停車した列車から降りて線路脇を歩いている人、人、人の写真があった。二時間近く待たされたという茅ヶ崎の男性(56)の話が載っていた。
それにしても日本人は静かだ。不気味なほど静かだと思った。
私もつられてずっと静かであった。

カレーパンがやけにうまそうだった。ピザパンとチーズパンも食べていた。
ブリックパックからストローでリンゴジュースを飲んでいた。誰かに似ている。

2017年2月14日火曜日

「グリーンピース」




国境はない。大勢の不法移民や難民、流民は来ない。壁もない。
宗教対立による争いもない。
金光教、天理教、真光教、真如苑、PL教、幸福の科学、立正佼成会、イスラム教、ユダヤ教、キリスト教、霊友会、阿含宗、そして最大の創価学会。
数えたらきりがない程の宗教がこの国にある。
が決して宗教間で激しく戦闘などはしない。

この国は稀有の国と言っていい、実に寛容なのだ。信教の自由が守られている。
国民は勤勉であり、法に対して従順である。
パスポートを失くした外国人が途方に暮れて警察に行くと、そのパスポートが出て来る国である。
大金を入れたバッグを電車内に忘れた女性が、キャーと気がついてホームの駅員さんに届け出ると、終着駅で預かってくれている国である。


昨年の十一月二日に東海道線内に忘れたメガネが現在熊谷駅にある。
三ヶ月以内に取りに行かなかったので、熊谷警察まで行かねばならない。
今は急場しのぎの3000円のメガネである。親切で誠実。
真面目で几帳面、そして清潔である。

満員電車内は無言である。ブレーキがかかったり、揺れたりすると吊革を握りしめる。
体と体が密着する。痴漢に間違えられないように気をつける。間合いを取る。密着する体から汗が臭う。ニンニク臭い奴もいる。じっと我慢する国である。
お前今日カレー食っただろうと思う臭いの奴もいる。
髪の毛を三日くらい洗ってない奴の臭いもある。じっと我慢する国である。
足の上に足がある、がじっとそのまま耐える。

私は無宗教、無神論者である。去る者は追わず、去る者を愛す。
来る者は拒まずでずっとやって来た。特別生理的に合わない人間以外は。
友人に創価学会もいれば、知人に立正佼成会もいる。キリスト教徒も多い。
みんな仲良しである。仏教徒と神教徒と酒を飲むことも多い。皆寛容である。
稀有なこの国の民はアリとキリギリスに例えれば当然アリである。

ピンポーン、チャイムが鳴った。ドアを開けると、二人のご婦人と一人の男の子が立っていた。聖書はという手には「ものみの塔」と書いてあった。
すいませんいいですと言ったら六・七才の男の子が私を見つめた。

仕事場に友人から頂いた聖書がある。時々めくっては読んでいる。
作家開高健は旅に出る時は一冊の本さえあればいい、それは聖書だと言った。
汚れに汚れた心を洗うために、旅に出たいなと思ったりする。
友人の信者によれば三年かければ読み終えると言う。

斜め前の席でエビスビールのロング缶とキリン氷結を飲み終えた男がいる。
足を広げ大きなイビキをかいている。むき甘栗の袋とグリーンピースの袋もある。
鼻の穴の中にグリーンピースの豆を入れてやろうと思った。私は寛容ではない。

昨日深夜「ディーパンの闘い」という映画を見た。
国境、人種差別、家族、貧困、宗教、そして殺し合い。
日本国はどんな運命を辿るのだろうか。
ゴルフ場でこの国を賭けていたのではないだろうか。
信じる者は…(?)賛美歌が流れる。

2017年2月13日月曜日

「お茶漬け」




これは私のうがった読みである。
小泉純一郎元総理が安倍晋三現総理を評して、物おじしないところを認めたと言っていたのを思い出した。

世界中の殆どの指導者がノーを突きつけているトランプ大統領に接近密着した。
敵を知るためには敵を知るべしという。
接待をされるのと、“接待漬け”にされるのとは大差がある。

いわゆる接待とは日頃のごあいさつの一つである。
前略と敬具の間に、少しばかりのお料理とお酒などが礼文の替わりにある、ビジネスをして行く上で最も大切な商習慣であると言っていい。
いわばお世話になっている会社や仕事のカウンターパートナーの方々への感謝の意である。

“接待漬け”とは下心が満々とある過剰行為である。
ヨイショの連発、気色悪いお世辞、嘘八百を隠すために歯が浮いて口から飛び出すほどのおいしい言葉をあらん限り放出する。
ヤクザ者でも怖ろしいという地面師たちや、悪徳不動産屋たちはこれが上手い。
更に詐欺師や詐話師たちゴト師たちも上手い。
オドロシイぞと思わせてやさしく接する。やさしいと思うと突然オドロシクなる。
トランプ大統領のアホみたいな別荘に引き込まれた物おじしない安倍晋三総理に、なんだか妙な同情心を持った。顔は笑っても体は緊張していた。

トランプ大統領たちを見ていると、映画「凶悪」に出てくる異常な地面師(リリー・フランキー)と人を殺すのを蟻をつぶすほどしか思っていない、極悪のヤクザ者(ピエール瀧)を思い出した。この映画は実話を基にしている。
地面師(無期懲役)ヤクザ者(死刑囚)は収監中である。

トランプ大統領の主要閣僚は殆どゴールドマン・サックスのメンバー、彼等にとってトランプ大統領は小さな不動産業者位の認識しかない。
手の上でトランプカードを操り、いざとなったら破り捨てるだろう。
大統領専用機、別荘、ゴルフ。これでもかと“接待漬け”にするトランプ大統領。
だが心は中国、北朝鮮にあるのか、日本語を同時通訳するイヤホンを付け忘れていた。
したたかなロシア、中国、欧州諸国は凶悪の主人公たちと同じく、金儲けのためならなんでもする。

ネアンデルタール人をはじめ多くの種族をこの地球から抹殺したのは、ホモ・サピエンスだという。人類は凶暴なのだ。
やはりアメリカの接待漬けより、日本の漬物の方が旨いはずだ、塩シャケと一緒のお茶漬けがいちばんだと思う。

2017年2月10日金曜日

「ある格言」



アメリカのビジネス界にはこんな格言がある。
「ゴルフ場で得た仕事(クライアント)は、ゴルフ場で失う」この格言の意味することを解釈するには、それぞれの見方がある。

本能寺の変を起こして織田信長を殺した明智光秀は、信長から京に来る徳川家康の接待を任せられた。その接待のメニュー(方法や料理)が信長は気に入らず他の家来の前で、薄くなった頭を打たれた。プライドの高い光秀はそれをずっと根に持った。

歴史小説家はまるで見ていたかのように、このキンカン頭め、と信長はいったとか(?)と書く。戦国大名はいかに領地を守るかに生死をかけていた。
織田信長は贈り物や接待の天才でもあったという(?)。
武田信玄、上杉謙信などの有力者には、事細かに贈り物を送った。
また、逆に武田信玄や上杉謙信も接待、贈り物の名人でそれぞれアチコチに目配り、気配りをした。

接待や贈り物はセンスだとアメリカのビジネス界の格言は教える。
高ければいいというものではない。
つまり徹底的に相手の情報を得よとのことなのだろう。

「ゴルフ場で得た仕事はゴルフ場で失う」という一つの解釈は、相手を満足させるセンスと情報をより多く持ったライバルが現れると、そこに仕事を持っていかれるよとなる。
ゴルフをする方々なら分かっていると思う、「ゴルフ場では仕事の話はしてはいけない」。

さて、我が国のトップとアメリカのトップがゴルフを共にするという。
テレビなど各局は、使うクラブは何とか、ハンディはもらうのかとか、スコアはとか、チョコレート(お金)をかけるのかとかバカバカしいことに時間をかけている。

戦国時代は刀や槍や鉄砲の戦いより、情報と接待の戦いであったと言っても過言ではない。豊臣秀吉などはその名人であったという。
何しろ大名たちは領地を守るためには大切な家族の中から人選をし、人質という命を相手に贈った(?)位だから。
ともあれアメリカのゴルフ場で我々の命をチョコレートの替わりにしては困ると思うのだ。

ゴルフの中継をするテレビ局はさすがにないようだ。
くれぐれもショットではトップ(ミス)をしないように。
負けるが勝ちともいう。グリーンにのっただけでOKは出さないように。
ちゃんとカップインまで。

2017年2月9日木曜日

「田村啓選手の勝利」

東京新聞紙面より



私の枕元に一冊の本がある。
本の名は「心は折れない」日本ボクシング史上最強のスーパーフェザー級世界チャンピオン、内山高志選手の著作だ。

発刊当時KO勝ちを続けていた内山選手が「心は折れない」という本を出したことが、いかにも謙虚で人間性があると思った。
フツーの選手ならもっと攻撃的な本の題名をつけたはずだ。
内山選手の大ファンだった私は出版をプロデュースしていた広告代理店の社長にお願いしてポスターを制作させてもらった。

昨夜、東京新聞でこんな感動的な記事を読んだ。
「負け続けたボクサー8年ぶり勝利」の縦の小見出し、大見出しは横二行で、折れない34歳「やり切る」覚悟であった。ボクサーの名前は田村啓(ひろむ)選手、花形ジム所属だ。
昨年9月田村選手は8年ぶりに勝利した。
試合前まで10連敗中で戦績は6勝(2KO)23敗2分けであった。

元世界チャンピオンの花形進会長は、田村選手の勝利をジムで誕生した世界チャンピオンの時より喜んだという。
花形ジムのモットーは「継続は力なり」田村選手はそろそろ辞めてはといわれても「まだやり切っていない」と現役にこだわった。
2015年勤務先の会社が倒産、職を失った田村選手は先輩から「スポーツジムを手伝ってくれないか」と頼まれたのがボクシングとの出会いだった。
トレーナーとして多くの練習生を指導し、田村先生がんばれと応援されながらリングに上った。

記事には試合が何回戦(4回、6回、8回、10回が世界戦以外の回数)だったのか、体重のクラスが何級だったのかなどは書いていない。
日本ランカーのかませ犬だったとあるからノーランカーだったのだろう。
花形会長からオマエが日本ランカーや日本王者になったら良い手本になると声掛けられていたようだ。

田村選手は「1%の可能性があるなら目標にしたい」という。
また「僕は才能はないし、勝ち続けてきた人間でもない。大切なのは継続するだけでなく、やり切ること。僕は成長段階だと思う」と言う。
“かませ犬”とは強い選手が絶対勝てそうな相手として選び、キャリアアップさせる事を表す。

今年私の夢は大ファンの内山高志選手がもう一度リングに上がり勝利してほしいこと。
昨年の12月31日リターンマッチで惜敗した。
「心は折れない」を著した時の心を発揮してボクシングの教科書のような美しく強い姿を見せてほしい。クールでクレーバーな内山高志選手は未だ2敗しかしていない。

東京新聞より抜粋&アレンジ、コラムの題名は「取材ノート」、記者の名前は森合正範さんであった。久々にいいスポーツ記事を読んだ。
学歴なし、何くそチクショウ負けてたまるかと生きてきた私と、田村啓選手とがダブって見えた。人間勝つより負けるの方が勉強になる。

2017年2月8日水曜日

「福岡伸一教授に学ぶ」




「動的平衡」青山学院大学教授で生物学者、福岡伸一著のロングセラー本である。
初版2009年から2016年まで第18刷を記録している。

タイトルだけを見るととても私などのバカ者が読む本ではない。
が、読んだのだ。
学術用語はよく分からないけど、分かり易いところも多々あった。

近々福岡ハカセ(こう言われている)を撮影する機会を雑誌ソトコトのボス小黒一三さんがつくってくれたのだ。
写真家との打合せ前に一夜漬けでも読んでおこうと思い三夜漬けで読んだ。
福岡ハカセの本は「フェルメール光の王国」とか「ロハスの思考」などを読ませてもらっていた。文章が極上に上手い。
そこいらの小説家が束になってもかなわない。

何しろ実際に取材行動をして書き、また自ら実験したものを書く。
それは上質の旅行記であり、文明文化論であり、スリルとサスペンスに満ちた推理本である。
勿論学術的エビデンス(裏付け)によっているから説得力は他の追従を許さない。
水が上から下に流れるような文体は、出来の悪い学生にも分かり易くい講義のようである。

「動的平衡」については私などが説明しようがない。
少しわかり易い個所を原文のママご案内する。ダイエットに興味のある人のために。
92頁より抜粋、見出し「ドカ食いとチビチビ食い」ダイエットに興味ある人が、この本の読者の中にもたくさんおられると思う。
世の中にはさまざまなダイエット法が宣伝されている。
科学的に見て少しは根拠があるものから微塵も裏付けがないものまで、星の数ほどある。それらのいずれもが商品として通用しているのだから、人の世は不思議なものである。
人間には生きていくうえでどうしても必要なエネルギーというものがある。
心臓と肺を動かし、体温を維持し、基本的な代謝を円滑に動かすための熱量で、これを基礎代謝量と呼ぶ、成人で一日あたりおよそ二〇〇〇キロカロリー。
この範囲の熱量であれば、どれほど食べてもすべて燃やされてエネルギーとして消費されるので、体重は増えない。

以下更になるほどの話が続き、チビチビと食べた法が絶対に太りにくい食べかたとなる。汝とは「汝の食べた物」であるという。
自分とは自分が食べたそのものらしい。サプリメントは果たして有効か否か。
ちなみに私はかつて「肝元」とか「セサミン」とか「ハイチオールC」とか「ウコン」なんかを口に入れて酒を飲んだ後始末にして来たが、面倒臭くなって全部やめてしまったら、赤信号だったいろんな数値が全て正常になった。
それ以来何も口に入れない。食べたい物を食べている(あくまでも私の場合)。

新橋駅ビル一階に精力がつくというスッポンの粉末をずっと売っている店がある。
かなり高いのだがロングヒットらしい。その上の階には怪しい中国人マッサージ店がずらずらと勢揃いしている。私は怖ろしいのでその階には行かない。

2017年2月7日火曜日

「拷問とどら焼き」



午前四時三十一分〇二秒終了。
私は何をしていたか。帰宅してからアレコレをした後、午前二時半頃から韓国映画の鬼才、私の大好きな監督キム・ギドクの「殺されたミンジュ」を見終わった。

その間東京都東村山の名物「だいじょうぶだァー饅頭・小倉餡」「だっふんだァーどら焼き・うぐいす餡」を食べた。
辛党の私が午前三時に甘いものを食べて、だいじょうぶかァーと言えば本当は大丈夫ではない。右手にいつものグラスとジョニーウォーカーの赤を入れて飲んでいる。
どら焼きとスコッチは、人生初めての経験と言っていい。

帰宅前お世話になっていた二人と会って食事をした。
久々に会って久々な話をして、久々に楽しかった。
食べて飲んでお願い事をして、それじゃソロソロとなった時、これは奥さんに、奥さんにと重ねて言われ、袋に入った和菓子を渡してくれた。
その人は東村山市に住んでいる。

頂いた和菓子は東村山市が生んだスーパースター志村けんさんの出身地だ。
バカ殿様を演じる志村けんさんの決め言葉が「だいじょうぶだァー」なのだ。
和菓子処一風柳・餅萬は、その決め言葉を使って商品を開発した。
そのユニークな品は、黒糖の風味が豊かにあり「だいじょうぶだァー最中」とか「だっふんだァー饅頭」にその性格を表す。

昨夜私と会うと言ったら、お世話になった人の奥さんが私の奥さんに是非にと用意してくれたらしい。しからばいざ食さんと思い渋茶も用意した。
甘党と辛党、お茶とスコッチという妙な組み合わせが小さなテーブルの上に生まれた。
どら焼きとスコッチは、結構いける。
「だいじょうぶかァ」と言われれば「大丈夫だァ」と応える。

キム・ギドクの映画は相変わらず凄い。
韓国社会への怒りと憎悪を拷問という形で表す。
ある夜一人の少女(中学二・三年生)が男数人につけられ顔面をテープでぐるぐると巻かれて殺される。それからある集団が少女殺しをした男を一人ずつサラって(連行)来てとある拷問部屋で少女の殺されたときの写真を見せる。
五月九日殺人の日を思い出させるのだ。

ある男は国家情報院風に、ある男は軍人風に、ある男はヤクザ風にまた警察風にと姿形を変える、拷問もそれ的に変える。何しろキム・ギドクだから半端じゃない。
気の弱い人は見てられないだろう。
それぞれ拷問に絶えられず五月九日に何をしたか紙に書けと言われ、激痛の中で書く。
下っ端は上からの命令でという。次の男はその上の命令でという。
次の次の男は上からの命令は絶対だからという。
その次軍隊のトップ大将も上からの命令だという。

キム・ギドクは全て上からの命令で動き理由もなく人を殺す世の中をなかば風刺する。
拷問を加える数人の男たちは人生の現状に不満を持つ男たちである。
リーダーのネットへの書き込みを見てストレス発散に集って来ているのだ。
殺された少女はリーダーの娘だった。
が、キム・ギドクは何故その少女が殺されねばならなかったかはあえて語らない。
出世のためならどんな命令にも従うという事を風刺したのだろう。
責任をとらない国家への怒りと憎悪だ。

拷問マニアにはうってつけの映画だ。ラストに文字が出る。
「私は誰でしょう」と。
どら焼き&スコッチを繰り返しながら、私は誰でしょうの意味を考えていた。











2017年2月6日月曜日

「嫌われ度100%」




「お上手ね」という言葉がある。
「オジョウズネ」ご婦人の間でよく使われる。
あの方はお上手だから、といってもお料理やお習字や断捨離が上手な訳ではない。

この手の人を男の間では「調子いいから」という。
両方共会話上はいい意味で使っていない。
おべんちゃら、ゴマスリ、八方美人、男芸者、日和見主義のことを言う。
この手の人との会話は純度も密度もない。気持ち悪い人間たちだ。

昨日夜六時、日テレの「報道番組バンキシャ!」を見ていると、小説がお上手でない小説家山本一力というのが落語家林家木久扇さんと共演していた。
この下手くそ直木賞作家のコメントを聞いていると、この小説家の底の浅さを知る。
お上手、お調子者、日和見主義が全身にある。いわゆる典型的体制主義だ。
トランプさんが選挙中に言っていたことを実行しているんだから、移民規制だっていいんじゃないですか、みたいにシラシラと言う。
このバカヤローは何回も出演してはトンチンカンを言う。

さて世の中は会社員にとって嫌な気分の季節だ。
すでに人事が動いた会社もあるが、これからという会社も多い。
合併やM&A、縮小再生産を目指す。リストラや肩たたきが始まる。
会社経営とは人事にありといっても過言ではない。
えっ、ウソ、ホントという言葉の先に、お上手なヒト、ゴマスリ、お調子者の顔が浮かぶ。ヨイショ名人、まさかというヒトがまさかの出世をし、まさかというヒトがまさかの土地に飛んで行く。
まさかの男が米国の大統領になるのだから、世はまさか現象が起きる。

私はヨイショサれるのが死ぬ程嫌いなので、つとめて嫌われるように生きて来た。
一言居士どころでなく、多言居士である。
ウソで人に好かれるというのが生理的に苦手なのだ。
だから相手にも思ったことはズケズケ言う。遠慮は一切しない。
その変わりいい結果を生むための思案、思考、行動、調査、分析をする。
つまり仕事を頼んで来てくれた相手の嫌な部分(弱い部分)に全力を注ぐ。
何故ならそこを修正、改善しない限りその会社、その商品、そのプロジェクトは絶対成功しない。会社も人間も同じだ。
オイシイ話ばかりしていい格好し、嫌われたくないプレゼンテーションをしても、決していい結果にならない。

究極の嫌われ力を発揮して現在大成功??しているのが、トランプ大統領だ。
東京都知事小池百合子も同様である。
この先何が起きるか一寸先は闇だが、嫌われ力はしばし時代のキーワードかもしれない。私は嫌われ度100%だから、もしかして何かいい事があるかもしれない。(文中敬称略)

2017年2月1日水曜日

「武曲」


映画の題名は「武曲(MUKOKU)」、昨日五反田イマジカ本社試写室で観た映画だ。
原作を読んでいないのでこの映画が原作に忠実なのか、大胆にシナリオ化したのかは分からない。
熊切和嘉監督は今までにない映画を生んだ。

本来映画には物語がある。時間経過がある。主題に対し主語があり、主体がある。
が、この作品にはそれが一切ない。
まるで劇画を1ページずつめくるように映像は過去と現在をめまぐるしくフラッシュバックする。剣道が物語の主体なのだと思うがそれは表現の素材である。

何故剣道かは語らない。鎌倉のとあるお寺の住職(柄本明)は高校の剣道部の師範代でもある。かつて一人の剣士(小林薫)を弟子としていた。
その剣士は幼い一人の息子に殺意を持って鍛える。
いつの日か母親は死んでいる、その経過説明はない。
息子は中学生位になった時、母親に父を殺すと言う。

高校生のラッパー(村上虹郎)がライブで熱唱する。何故か水の中に浮かぶ。
その後かつて洪水で溺れたことを話す、がその説明はそれ以上しない。
アパートに母親と暮らしているのを見ると、洪水で父親を失ったのかもしれない。

ある日下校していたラッパーは道端にたむろしている、剣道部の竹刀を足にかけてしまう。剣道部の部員と喧嘩になる。ラッパーは一本の木を握り数人と戦う。
その時ある構えをとっさにする。それを一人の住職が見ている。
足の運びと闘争心に剣道の才能を見る。やがてラッパーは剣道部に入る。

ある小料理屋にアロハを着たアル中がいる(綾野剛)、父親を剣の戦いで殺している。小料理屋の女将(風吹ジュン)はかつて父親の愛人だったらしい、アル中はその女将に襲い犯そう(?)とするが、何すんのこんなおばさんにといなされる。
女将の髪は乱れ着物ははだける。アル中はボロボロになった自分の家に帰る。
若い女がいる(前田敦子)傷んだ玄関で女に抱きつきスカートをめくる。
白いショーツが妖しく見える。

鎌倉腰越あたりの海、遠くには江ノ島の灯台、サーファー。
剣道の道場での激しい練習、生々しい感情と過去の心象風景が短いカットで次々と描かれる。なんで急に強くなったとか、なんでアル中が急に正気になって剣士となって道場に立っているかは、観る側が整理し推理する。
母親の目の前、庭で殺したはずの父親が、ベッドで植物人間になっていたりする。

映画全編がラップだったんだという事を終わりに近づきやっと分かる(私の判断だが)。村上虹郎扮するラッパーが時々ノートにラップの歌詞を書いていたシーンを思いだす。
やがてアル中から立ち直った剣士と、ラッパーから剣士になった者が殺すことを目的に戦いだす。

これ以上は必ず映画を観に行って下さい。
二人の剣士、その裸の筋肉が肉体言語として画面を支配する。
そうか、これはホモセクシャル的映画でもあることを知る。
住職→剣士の父→その息子→ラッパーから剣士の五人が剣道を通して連結する。
ラストに住職の柄本明が二人の戦いにふと微笑する。どちらかの死を待っている。

プロデューサーは星野秀樹、「海炭市叙景」「そこのみにて光輝く」「オーバーフェンス」次々と名作を出している。凄い!すばらしいの一語である。外国の映画祭はきっとこの映画に日本人の狂気と日本人の伝統美に多くの賞を与えるだろう。
神風特攻隊の原風景をその肉体に感じるだろう。出演した俳優さんは絶品だった。

イマジカロビーで一緒に行った出版社の編集長に小林薫さんを紹介された。
思ったよりガッチリとした体で大きかった。眼光が鋭かった。
声は大好きな番組「美の巨人」のナレーションそのものだった。
あ~、お金が欲しいよ、映画作りたいよと思ったが、今は他にやらなければならない大事なことがある。

この映画のシナリオを書いた高田亮は、日本の映画に新しい刃を突きつけた。
賛否が割れるだろうが、私は大いに支持をする。六月から一般公開となる。
(文中敬称略)