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2017年3月6日月曜日

「熱いシャワー」




私は悶々としている。書きたくても書けないことが多いからだ。
義理と人情を秤にかければ当然義理の方が重い。
更に積年の恩義があれば無言を貫くしかない。

佐賀に生まれた武士道「葉隠」は、死ぬことと見つけたりと言った。
伝聞によると西南戦争に敗れた西郷隆盛の愛する部下、陸軍少将桐野利秋は戦に敗れ首を落とされたがその首あとからオーデコロンの香りがしたという。
日々死を覚悟していた。

武士たるものに二言は許されない。
武士たるものは朝が来たらその日死ぬことのために身を清め、新しいふんどしをつけた。
私はうつ状態でヘロヘロになっていた間も、必ず朝シャワーを浴びた。
風呂場で立っているのもつらいのだが、なんとかシャワーを浴びた。そしてヒゲを剃った。
微香性のオーデコロンを細渕晋子さんという女性から頂いていたのでそれを吹きつけた。
細渕さんは私の体をメンテナンスしてくれた治療院のやさしいスタッフだった。

まい日洗いたての下着をつけた。
うつが酷い時ははいつくばり、手すりにしがみついた。
チクショウ、気合だ、気合だ、とくもりガラスに指で字を書いた。
その頃の日記を見ると、やはりチクショウ、気合だばかり書いてある。
私はボーっとしながらも仕事場に向かい(列車で)その日の仕事をこなした。
つらい時は床に横になって打合せをした。親は子のためなら命を捨てられる。
恩義ある人のためなら命はいらない。世話になっている会社のためなら死んでもいい。
私はそれが男だと思って必死に生きてきた。

何がいいたいかと言うと、一国の大将たる者は女房一人に引きずり回されて恥をさらすな。
私の不徳ですのひと言で終了、例え子のためとはいえ、逆にその子の足を引っ張るのはいけない。
全ては私の責任、他人には一切関係ありません。あとはいかようにもと言えばコトはすむ。
歴史に名を残した人は、歴史に残るひと言ですべて解決ができる。
それが誰かは推測に任せるが、私は一度は天下を取ってもらいたい人を思う。
今はガマン、機は来ると。

沈黙は金、沈黙は冗舌ともいう。
あとはみんながついている。お酒を飲み続けベロンベロンになり起きることも叶わず、夜を過ごす胸中とは。
天下人の妻は悶々としているとか。私人か公人か。
一人の悩める女性は、ご主人の愛を求めているのかもしれない。ボクにはキミが必要なんだの一言が。
小さな幸せに勝つ、大きな幸せはこの世にはない。愛より強い権力はない。

2017年3月3日金曜日

「ネバーギブアップ」





長い病と闘っている方々に勇気が出ればと、昨日のことを書く。
午後二時半青山葬儀所で、美術監督の名匠池谷(いけや)さんのお別れの会に行く。

その後浦安に向かう。
巨匠原田徹監督から絵が仕上がったからとの連絡がありお宅に伺った。
戦艦大和攻撃されるのシーンを切り絵で描いていた。
平家物語の最終シーンは油絵であった。

こう書くとああそうですかとなるのだが、原田監督は一日60錠以上のクスリを服用している。六十歳の頃からいろんな病に襲われる。
パーキンソン病になり、心臓にペースメーカーも入れる。
足の裏は活花に使う剣山の上に乗るような激痛があるとか、次々と病が生じている。

闘病10余年、現在七十五歳となった。
先日はボーコーに内視鏡を入れられて、その痛さにマイッタとか、何かのことで舌を噛んで二針縫った。腰痛も酷い。でも決して屈することはない。
読書をし、映画も見る。相変わらずのジョークも小さい声ながら出る。

芸術家としての執念が病と闘っている。
フツーの人ならば一日60錠以上のクスリをずーっと、ずーっと服用すれば、肝臓はギブアップし、胃袋は食欲を失う。だがしかし原田監督の食欲はおとろえを知らない。
奥さまは焼肉を食べたい、なんて言うんですよと笑う。

立派なヒゲを生やした原田監督は仙人のようであった。
私は大賛成だがご家族にはヒゲ反対論もあるとか、キレイに剃っても40日もすれば立派なヒゲになるというから、自らの表情の変化を楽しむのもいいかなと思う。
病気を抱えている方々、決して諦めないで下さい。

一日か二日だけでも絵の個展をやりましょうと言って原田監督宅を後にした。
三匹の猫がまた来てねと私に言っているようであった。人生ネバーギブアップ。

2017年3月2日木曜日

「脳ミソ」


大小の違いはあるが人間の頭の大きさは大差ない。
大差があるのは脳ミソの中味だ。

ノーベル賞を受賞する天才もいれば、何人も人を殺す者がいる。
宇宙の中に地球に似た星が七つあると発見する天才もいれば、カレーうどんを作る名人もいる。
人類は小さな魚のようなものから進化したのだという天才もいれば、老人をだまして詐欺を働く悪人がいる。

天才とバカは紙一重というが、どうもそうではないと思う。DNAが違うのだ。
このDNAをずーっとさかのぼると、ルーツはアフリカになるらしい。
首飾りなんかを作るのが上手だったDNAはジュエリーデザイナーになったり、住む場所を作るのが上手かったDNAは建築家になったり、やたらに凶暴であった者のDNAは殺人者になったりする。
モメ事を金にするのが上手い者のDNAはヤクザ者や法律家になった(?)。
食物を集めて来た人間のDNAは商人になり、それを料理したDNAはシェフになった。
突然変異的にDNAと違う人間も出るが、根っこは同じはずだ。
電話帳の職業欄に載っている以上に人は職業を持っている。そのルーツはアフリカなのだ。
八百屋さんもメガネ屋さんも、役人も先生も、社長も組長も、バスの運転手さんもストリップの女性も、落語家もファッションデザイナーも、みんなアフリカなのだ。

腹が減っては行きていけない、人間は食べ物を求めてアフリカから世界各地に散り散りになりながら旅に出た(グレート・ジャーニー)。旅といっても決してのどかではない。決死的な旅だった。
そして食べるために進化をして行ったのだ。

人類が人間になって行った。食べ物は争いを生む。
腹が減っては戦が出来ない、更に食べ物を求めて争う。
気の合った者たちが結団する。
結団は種族となり自分たちだけが分かり合える記号とか信号を生む、それはやがて言語となる。
進化の上で習性が生まれる。いつまで裸じゃいけないとファッションが生まれ化粧も生まれた。
そんな中で文明を拒否した種族が世界中に未だたくさんいる。私たちのルーツの人たちだ。
私は憧れる文明を拒否した人たちに。一度ヤキトリでも食べながら一杯飲みたいと思う。
特にファッションとヘアメークがすばらしい、色彩感覚がフツーの人間の比ではない。
一度ぜひお寿司でもご一緒したいと思う。

人類は食うために人間になったが、人間は食べ過ぎてしまった。これからは退化して行くのだろうと思う。
私はどんどん退化している。
問題解決を明日からやればいいと先送り、卵が先か、ニワトリが先かと悩んでいると、キミは何をやっていたんだと、お声がかからなくなる。一年なんてあっという間の365日だ。最近の発見!天才と呼ばれている人の頭はとても小さい。その人たちは行動力にあふれている、好奇心と向上心の塊だ。

優れたDNAを持つ脳ミソで味噌汁なんか作って飲みたいものだ。ネギとおトーフを入れて白味噌なんかと合わせて。
かまやつひろしこと「ムッシュかまやつ」さんが亡くなった(78)、歌が上手くない天才だった。
いい人の天才だった。♪~あの時君は若かった…。
父上は有名だったジャズシンガー「ティーヴかまやつ」さん。
DNAは引き継がれていた。(合掌)

2017年3月1日水曜日

「三月一日早朝」




444この数字はなんでしょう、ハイ、ミスタープロ野球長嶋茂雄選手の打った本塁打数ですと、即言える人はナガシマファンです。
私はその一人、今午前四時四十四分ジャストです。

各局のテレビをチェック。
速水もこみちが料理中、松平健が暴れん坊将軍に(再放送)。
アキラ100%という裸にアルミのお盆を持ったピン芸人が、R-1グランプリでオチンチンを見えそうで見えなくして優勝500万の賞金をゲット。
いいねえ40才にして陽の目を見る、オチンチンは見えない。
大阪の松井知事が八の字まゆ毛でしかめっ面をして、森友学園に認可するかどうかわかんないと。全身に金の毒が回っている感じ。

橋下徹のツイッターの発言から露出した(?)この問題、取り分でモメたのかもしれない。世が世なら大疑獄問題である。
が、野党はほぼ無力化していてきっと誰の首も取れない。
相変わらずの国会。若い女子アナはどの局も噛みまくる。カンペの棒読み。

WBC日本代表、台湾に17本も安打されて敗け、ベンチのなんという暗さ。
小久保監督にプラスオーラがない。それにしても台湾の三番バッターはもの凄い。
衆議院で法務大臣金田勝年、防衛大臣稲田朋美の首を取れず。
民進党はホップステップ腰砕け、さて参議院は。

森友学園の土をマジメに整地するにはトラック4000台(?)が行ったり来たりするはずとか。その行跡はなし。
日銀と政府が買い続ける株で、株価を無理やり上げてめくらましをして支持率を保っているが、国民をナメるといかんぜよとなる。
中国に北朝鮮の使者、王毅外相が会うということは、中国は北朝鮮を見限らないということ。金正男暗殺は闇の中。
アメリカの民主主義はアカデミー賞会場で生きていた。
トランプ大統領へのキツイジョークと反分断。

ファクション、ヤバイ、目がかゆい、ヤバイ、鼻が詰まって息苦しい、花粉症が酷い。
ファクション。ティッシュペーパーはどんどん減る。
さて、朝刊を取りに行くか、今日から早や三月だ。ファクション!

♪~地球の上に朝が来た その裏側は夜だろう。
知ってますか、川田晴久の歌です。
ファクション、やけに寒いではないか、外は未だ暗い。
三月は明るくしたいものだ。

福島では未だ余震活動が活発とか。
コンソメスープを飲んで体をあたためるとする。

2017年2月28日火曜日

「ワンタンメン」




ワンタンメンを食べる時、メンが先かワンタンが先か(?)かつてラーメン界に大論争(?)が起きた。
一人はワンタンメンなのだから先ずはワンタンをレンゲにが当然だと言い、一人はワンタンメンと言ってもラーメン界の序列でいえば先ずメンをすするのが当たり前だと言う。相方相譲らず命を張るとか、体を張るという状態となった。

マアマアと仲をとりもったのがチャーシュー、メンマ、ナルトであったが争いを止めるには役不足であった。
論争にケジメをつけたのがスープであった。
先ずスープをすするのが礼儀であるべきだと。
スープといえば中華の命、メンもワンタンもスープがなければ浮かばれない。
正体不明、アリバイ不在となる。

で、結局ワンタンメンの序列が決まった。
一.スープ、二.メン、三.ワンタン、四.チャーシュー以下メンマ、ナルトとなった。
これはG8とかG20の国際会議の議題にはならなかった。
中華料理は大好きだが中国は嫌いだという意見が大勢を占めた(?)
ちなみにメンとワンタンの序列はジャンケンで決めた(?)

昨夜私は辻堂で降りるべきところを、ウトウトしてしまい茅ヶ崎まで一駅乗り越した。
昼にそばをすすっていたが腹は減っていた。
十時に近い、外は寒い、階段から見えたのが赤のれん、白ヌキの文字でヤキトリ。
強烈な引力で店内に吸い込まれた。何を頼んで何を食べたかはお会計2860円でご推測を。

ウンターに座って隣の男女の会話に、オッ、オッと思った。
ヤキトリ界に大論争(?)が起きていた。
三十代中頃の男と二十代終わり頃の女性
「男がヤキトリを箸で外して食べるなんてキモチワルイ、ヤキトリはやっぱり串を持って肉を食いちぎらないと男らしくないわよ!」
「そんなこたあないわよ、口の周りがベタベタしてやなんだよ、こうやってさぁ、一つ一つ串から外してお箸でこうやって食べれば、ホラ、キレイじゃん」
「何それヤダァ小指なんか立てて、男のくせにギンナン一個ずつとか、シシトウ一つずつとか、レバー一切れずつなんてワタシゼッタイ嫌い!」
なんて論争をしていた。

なるほどヤバイではないか、私は気がつくと串から肉を箸で外しているではないか。
でもそのまま食べた肉もある。硬軟肉によって食べ分けていた。
それでいいのだと思った。砂肝は箸で外し、皮はそのまま食べた。
男女2人は鶏茶漬けと、海苔茶漬けをオーダーした。

メンが先か、ワンタンが先か(?)手羽先を食べながら私なりに結論を出す。

2017年2月27日月曜日

「無冠の男」



アホヌカセ!小説家風情、物書き風情に大事な娘を嫁にやれるか。
かつて小説家といえばヤクザな職業、食えない職業の代表であった。

酒に女遊び、博打にクスリ。
ヒモのように生き、ヒルのように女性にへばりつき血を吸った。
そんな生き様を書いた小説は“私小説”というジャンルに分類された。
自堕落な転落小説である。
そんな書き手は無頼派などと言われた。寸借詐欺や借金と前借りを繰り返す。

小説のネタを仕入れるために、更に酒と女遊びと博打とクスリ漬けとならざるを得なかった。転落小説はいつしか出版社により“純文学”というピカピカの称号を得る。
それを生んだのが芥川賞であった。
文芸雑誌の「群像」「すばる」「新潮」などの編集者がこれはと思う新人に目をつけ、編集者の手のひらの上で新人をもてあそぶ。
編集者はSで、新人はMのような関係となる。

出版社には全国の新人たちから夥しい数の小説の売り込みがある。
99.9%はボツとなる。殆どは最初の一行か数行読んでボツとなる。
本が売れない時代、小説よりもそれを書いた人間のプロフィールが重要となる。
あるいは編集者が自分を投影できる人間に、小説を書かせる。原稿は編集者の入れた朱で染まる。Sはケツを叩き、Mは悲鳴をあげる。天才は0.01%もいない。
敏腕編集者はその上を行く才能を持っている。
ハイ書き直し、ハイ書き直し、ダメ出しが続く。

人間は誰でも名作を一作書けると言う。
その人にはその人にしかない人生があるから、そのまま書けばいいのだ。
歴史小説には資料がある。山岳小説は山に登り、紀行文は旅に行けばいい。
冒険小説はそれに挑む。
推理小説には世界中にネタ本があり、更に裁判の記録や実際の事件を巧妙に絡み合わせればソコソコの小説となる。勿論第一級の作家たちの作品は別だが。

昨夜夜九時~NHKスペシャルで芥川賞作家、又吉直樹の第二作を生む苦悩する姿を見せた。これはある意味掟破りの番組だ。
編集者にテーマを決められ書く程に、書き直しをさせられる。
決して読者に見せてはいけない舞台裏だ。少しばかり読書しているお笑い芸人を、作家として売り出した。一作目は実体験で書けたが、二作目はそうはいかない。

恋愛をしてない人間に恋愛を書けと編集者は言う。
又吉直樹はとまどいながら必死に言われるように書き直す。
出版社はすでに本の題名を生み、出版日も決めてしまう。
さて、近々発売されるこの「劇場」という本は誰が書いた小説なのでしょうか。


昨日茅ヶ崎駅南口長谷川書店に行くと、村上春樹の新作がたくさん平積みされていた。
この作家は出版プロデューサーとしての方が才能がある(カバーデザインがやけにマイナーだった)。パラパラとめくっておわり。
又吉直樹よ小説家なんかより、お笑い芸人の方がなんぼも価値あるよ。
つらいこと、嫌なことばかりの世の中で人をコトバで笑わせるほど難しいことはない。
一流の作家はいくらでもいる。が、一流のお笑い芸人は何人もいない。

長谷川書店で私が買った一冊は「無冠の男」故松方弘樹さんのインタビュー本だ。
抜群に面白い映画屋の本だ。
出演全作品紹介の中に中野裕之監督と作った短編映画「灯台」までちゃんと年表に載っていた。高倉健さんは唯一好きになれなかったとか。
(文中敬称略)


2017年2月24日金曜日

「フェルメール『合奏』とデコポン」



今日まで家の者は娘宅に行って居ない。私は二日振りに帰宅。
ポストに郵便物や新聞が溜まっていた。

電気をつける。台所にヤカンがある。
湯の入っていないヤカンはどこか淋しそうなので、水をたっぷり入れて火をつけた。
すでに十二時を過ぎていた。
会社で未だ働いているスタッフを想うと何かせねばと思った。

服を脱ぎ、手を洗い、リステリンでうがいをし、水でザバザバ顔を洗っていたら、ヤカンがヒューヒューと鳴り出した。やっぱりヤカンは私が帰って来てうれしいのだ。
ヤカンがヤカンとして職務を果たせるからだろう。モノにも命はあるのだ。
古くなった冷蔵庫はウーウーと唸っている。

父、母、兄、友人、友人の写真の前にお線香をあげる。
カップの中に紅茶のパック、熱い湯を入れるとパックの糸がピンと張る。
糸をつかむ白い紙がカップの中に入りそうになったので指でつかんだ。
二日分の新聞に目を通すのに二時間ほどかかった。

お世話になった人が定年後故郷の高知に帰り美術館の副館長となり、忙しい日々を送っていると寒中見舞いが届いていた。モネの水蓮の絵とソックリな池がある。
その前で写真を撮ったのが葉書きにあった。水彩画で花の絵もあった。
きっと行くぞよ福井正文さんと葉書きに声をかけた。
まっこと行かなぁ~いかんぜよだ。

停年、定年、リストラで退社、職業引退などの手紙や葉書きが来る。
こればかりはどうすることもできない。
デコポンを送ってもらっていたので一個箱から出す。果物ナイフで四分割にする。
ナイフもどことなく嬉しそうだ。

午前三時、借りて来ていた映画を一本見る。
「消えたフェルメールを探して」(83分)。
福岡伸一教授を27日撮影する。教授はヨハネス・フェルメールの追跡者&研究者。
「フェルメール光の王国」は美術を書いた本の中では出色の名品である。
何しろ文章が上手い。一級の推理小説でもある。


一九九〇年三月十八日、ボストンにある個人美術館、イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館で起きた有名な事件を題材にしている。
泥棒たちはガードナー美術館に侵入、一時間半かけてドガ5点、マネ1点、ホーフェルトフリンク1点、レンブラント3点、そしてフェルメールの最高傑作といわれる「合奏」1点を持ち去った。

その道で有名な元海軍上がりの絵画探偵ハロルド・スミスに絵を探す依頼が入る。
スミスは皮膚がんで顔は崩れている。
義鼻、耳には大きな包帯、片目には黒い布(伊達政宗みたい)。
フェルメールの名画には500万ドルの懸賞金がかかる。
イザベラ夫人が購入した時は5000ドルだった。
幼な子を亡くした夫人は、絵画、美術品、彫像、骨董などに生涯をかけ、気に入ったものはすべて競り落としていった。
残ったのは莫大な借金と美術館だ。
八十三歳でこの世を去る時、遺言で絵画美術品等は決して動かしてはならないと書き遺した。一般公開を続けるようにとも。

世界には兵器や武器マフィアとか、薬品マフィアとか、麻薬マフィアがいる。
中でも怖ろしいのが絵画マフィア(ギャング)だ。
ボストンのボス、ホワイティ・バルジャーは、ボストンで起きた事件は2秒で伝わるといわれるアイルランド系のマフィアだ。
元大統領、上院議員、下院議員、さまざまな悪党が事件にからむ。

議鼻の絵画探偵は「合奏」を世界中で探しながら無念にも2005年でこの世を去る。
ボストンのボス、バルジャーはFBIの内通者であったことが新聞でデカデカと発表される。FBIというのは超悪党なのだ。
絵画マフィアの世界が分かる、実によく出来たドキュメンタリー映画だった。
イザベラ・スチュワート・ガードナー夫人は、顔は平凡であるが、そのプロポーションは芸術品のようにすばらしかったという。
その肖像画は、ガードナー美術館にある。

通販で買ったジャケットが届いていた。留守の時置き場所があるのだ。
デコポンがおいしかった。






















2017年2月23日木曜日

「柵の中は、愛が不足」



忠犬にはなるが、忠猫にはならない。
犬は人になつき、猫は家になつくと言う。
犬派と猫派がいる近頃では猫派が優勢とか。
散歩に行かせたりの手間がかからない。
プヨプヨの肉球を触るとトゲトゲしていた心がしばしプヨプヨになるらしい。

昨夜宿泊した娘の家にチワワの子犬がいた。未だ二ヶ月位であった。
茶色のチワワはピヨピヨとヒヨコみたいに鳴く。ハウスから出してもらうと、うれしいのか部屋中をクルクル回る。見ている方が目が回る。

銀座の仕事場の隣にペットショップがある。
50×70センチ位の柵の中に子犬や子猫が入れられている。
大きくなるにつれて値段は下がり、いよいよ大きくなり買い手がないと姿を消す。
犬派と猫派の人が歩く道すがら柵を眺めては、キャーかわいいとか大声を出して言うけれど、買っている姿はあまり見たことはない。

思えば私たちも人間社会という柵の中で生かされている生き物なのだ。
お手と言えばお手をし、お座りと言えばお座りをする。
生きて行くためには足の先までもナメるのだ。
誰もキャーかわいいなどとは言ってくれない。

が、犬はもとはといえば狼だから、いよいよコノヤローと思ったら、ガブッと噛みつくのだ。ニャーニャーと猫撫で声を出していても大きくなれば虎やライオンだ。
いよいよバカヤローと思ったらカァーと目をむいて飛びかかり爪でかきむしるのだ。
人間社会の柵の中で「愛」が決定的に欠けはじめている。

船橋→市川→錦糸町→馬喰町と列車は進んだ。
三人掛けのところに若い女性が座っていて、その前に老女が立った。
かなり混んでいた。シルバーシートなのだが若い女性はスマホかなんかに目を奪われていた。老女は一本の杖を頼りに列車の横揺れに耐えていた。
コラッ立ってあげろと誰かが言うと思ったが、声はなかった。
私は東京駅で降りた。朝早くから怒鳴る元気がなかった。
私も愛が不足していたのだ。

2017年2月22日水曜日

「二月二十二日」



二月は走るという。あっという間にもうすぐ三月。
だが一月元旦から今日まで映画もかすむ事が起きている。

ゾッとする暗殺やおぞましい事件、アメリカ合衆国の大混乱、日本国法務大臣、防衛大臣の粗悪なコントのような答弁、東京都をジャックしたように勝ち誇る知事。
我が世の春は長くはない。
文科省のずる賢い天下りシステム、教育者失格の惨状、強風、烈風、アスクルの工場は燃え続ける。沢山仕事をした名門東芝の信じがたき姿。

レポーターが街角インタビューをシルバー世代に、64才女性に対し今恋してますか、え、何、恋、ギャハハ、してますよ、片思いだけど、ギャハハ。
67才男性に、恋してますか、オッ、しているよ、肉体関係は終わってもプラトニックは大切だよ。ガハハハ。

早咲きの梅は冷風にじっと耐える。沖縄では桜が咲いたとか。
福島の原発は絶望的状況に。総理大臣はもし土地売買に関係をしていたら総理大臣は勿論、国会議員も辞めますよと言い切り、野党はヘルメットを被って土地巡り。

銀座の夜、肉まんを食べていた男女が突然ディープキス。私といえば目のやり場に困る。
61才女性へのインタビュー、今恋してますか、私「君の名は」みたいになりたい、好きなヒトとディズニーランドに行きたい(?)(?)変かしら、キャハハハ。
頭にはカワイイ花のカチューシャが。人類は本当に大丈夫かと思う。

ヒヨドリは庭のリンゴをせわしくつつき、赤い金魚は黙して語らず。
海岸の側でハンバーガーを食べていた若いペアに、空からはやぶさが一気に急降下しハンバーガーを持ち去る。
親愛なる友は血糖値を下げるために歩き続ける。
健康オタクでマラソンマンの男が癌となる。

ある都市の川では3メートルもある大ナマズが川辺に集まる鳩を襲い食べまくる。
ナマズが鳩を食べだしたのだ。
野生の猿が公園のベンチで人間と共にランチをする。
猿の縄張り争いからやってらんねえと逃げて来た。

68才男性へのインタビュー、女性にモテるコツは何ですか。
床屋へ行く、爪を切る、歯を磨く、口説きまくる。ウヒヒヒ。
日本は大丈夫だろうか。

今日は亡き友の墓に参る。とんでもない世の中になってきたことを報告する。
熱々のカレーうどんをすする男は、白い紙のエプロンをしている。
この男に何が起きたかは今度、また。二月は全力で走っている。



2017年2月21日火曜日

「トライアンフ」



「LEGEND 狂気の美学」飛び切りおすすめの映画だ。
1960年代イギリスの裏社会で伝説を生んだ実在のギャングの物語だ。
ギャングは一卵性双生児であった。
本物の双生児(?)が凶暴なギャングを演じる。

兄はホモセクシャル、医師から常時精神安定剤を服用するように言われる。
そして狂気を極める。弟はクレバーであるがやはり狂気を極める。
兄は殺人罪で捕まるが精神病院に送られて生涯を終える。
弟は33才の時、やはり殺人罪で捕まり33年の刑に処される。
66才の時癌に冒され病院に移されるがその8週間後に死ぬ。

地獄というのがあれば狂気の双生児は間違いなく地獄に落ちたはずだ。
地獄にはさまざまな地獄があり、死ぬほど痛い思いをするのだが、そこには死はない。
ずーっと永遠に苦痛と共に生きる。
それ故狂気の双生児のギャングは未だ地獄にいて苦痛の絶叫をあげているはずだ。

この映画は残忍だがスタイリッシュだ。
ジャズ、葉巻、ファッション、スポーツカー、アメ車、ベンツ、ダンスはフラフープ、ゴーゴーと変わって行く。
何度も捕まったが33才で最期に捕まったのだから、ギャングとしての活躍は(?)は短い。双生児はかなり美男子であったようだ。マッチョでもあった。
双生児はコインの表裏、二人で一人なのであった。
時には憎しみ合うライバルでもあった。が2人はアタマは狂っていても、こころは繋がっていた。

イギリス映画は言葉のやり取りがシェークスピアの劇のようである。
人生とは…、運命とは…、直接話法でなく、言葉と言葉がぶつかり合う、まるでスリークッションのビリヤードの球のようにすこぶる気の効いた比喩を使って話す。
人生には精神安定剤が必要だ。運命は選べない。

兄の裏切り的行為に逆上した弟は、兄の子分をメッタ刺しにして殺す。
そして兄に耳打ちする、お前は殺せないその身代わりだと。
双生児同志が殺し合うことは決してない。
弟はポニーテールの堅気の娘に恋をするのだが狂気の双生児の起こす残忍な姿を見て、やがて娘は精神を病む。

イギリスのギャング史に残る、一卵性双生児だ。
赤いスポーツカーのトライアンフに乗るギャングと恋人。
私がはじめてトライアンフを見たのが1960年代だった。
グリーンのトライアンフに乗った男の職業はデザイナーだと言った。
デザイナーそれってwhat(?)私はこの男の出会いからデザインの道を走り出した。