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2017年5月26日金曜日

「おかしな話」



文部科学省にもいい根性の人間(?)がいたんだ。
元事務次官前川喜平氏(62)が、あった文書がなかったとか、それは怪文書だとかはもうやめなければならないと言い切った。

官僚たちにとっての目標は出世と将来の天下りだ。
事務次官というのは官僚のトップである。人事権を官邸に握られているので決して逆らえない。
官僚の元トップが、正面切ってかつての自分の部下たちがかわいそうだとか、このままでは国民の知る権利が危うい、民主国家でなくなるとまで言った。
堂々たる(?)記者会見やテレビの独占インタビューに応えられたのにはこんなバックの援護がある。

前川喜平氏の実家は年商800億を超す産業用冷凍機メーカーの前川製作所。
妹の嫁いだ先は元外務大臣中曽根弘文氏、その父親は大勲位こと元総理大臣中曽根康弘氏である。そのバックが付いているから前代未聞の行動ができたのだと思う。
官僚→役人とは時の権力者に従うものとこの国では決まっていた。
だが黒いものを白とは言えない。文書なんてすぐ出せるとまで言った。
まり官邸と中曽根一家が戦う構図となった。
このことが何を意味するかはいずれ判明する。
歴史を振り返った時に、今回のことが運命線の分かれ道であった事を知るはずだ。

「軍師の死にざま」という本があるが、見事な最後を遂げた軍師は少ない。
影であるべき人間が権力者より表に出すぎた時、ジャマな存在になる。
それを知った者たち、ずっと忍従して来た者たちはここぞとばかりに襲いかかる。
誰が軍師かは分からないが(?)いずれあわれとなった者がその人間であったという事になる。かくして自民党は三国志に向かう。
歴史上軍師の最後は使い捨てのライター、チルチルミチルの如くで終わる。
欠けない満月はない。輝け!期待の星よ、風林火山だ。

「それにつけてもおやつはカール」といわれたカールおじさんも8月で終売となる。
ポテトチップスにその座を追われたらしい。
昨夜この間まであるスナック菓子メーカーの宣伝部長だった知人と、山形のイモ煮を食しながら一杯飲んだ。やるべき事をやったと12年勤めて退社した。
炭水化物ダイエットで15キロ位やせて肉体改造に成功していた。
やるべき事があるのではと、長い歴史を持つお菓子メーカーの商品企画部長になっていた。

あるアイデアを言ったら大乗り気だった。実現したらお菓子界がおかしくなるはずだ。
それにつけても世の中はおかしくなってしまった。

2017年5月25日木曜日

「感度だ」




「ああ上野駅」昨日午後二時頃東海道線に乗り新橋で降りるはずであった。
品川駅まで列車内で新聞を読んでいた。
アッと思ったらそこは上野駅、いままでこんなことはない。
先日は湘南ライナーで小田原駅まで行ってしまった。シマッタのである。

通過した駅を戻るほど間の抜けた感覚はない。
不感症の女性とSEXした時のようなもので気分がぐんと下がるのだ(ずっとむかしの話)。妙な脱力感と徒労感が体を重くする。ああなんてこったと。

ああ上野駅は心の故郷と唄ったのは故井沢八郎であった。
かつて北の国から集団就職の少年少女たちが上野駅に降りた。
あるドキュメント番組で集団就職で東京に来た少年少女のその後を追っていた。
何十年振りかで上野駅に立つ老人たち。
功成り名を上げた者、ヤクザ者となって天下を取った者、一流の職人や料理人になった者、傷つき破れて身を崩した者、上野駅に降りた少年少女たちはそれぞれの故郷を思い出す。床屋さんの名人となった者は亡き父の髪を刈りたかったと涙する。

浅草のストリッパーになった女性は少女の頃母親との写真を胸に涙する。涙、涙。
♪~上野はおいらの心の駅だぁ~と口ずさみながら私は隣のホームに移動した。
何か気合が抜けていた。約三十分時間をロスした。この頃やけにロスが多い。
ミスにも気をつけねばならないと思った。
新橋の駅でいつものミックスジュース・レギュラーサイズ210円を買った。

世の中はすっかり諸事に不感症になっている。そんな姿をマグロという。
思考拒否状態でゴロン、ゴロンとしているのだ。
自分主義(ミーイズム)全盛となっていく。

このブログを書いているのは二十四日午前四時四分五十二秒、テレビではNHKで大相撲全取り組みをやっている(ほぼ毎日見る)。
明日地球が滅ぶとも木を植える、そんな言葉がある。
明日地球が滅ぶとも裸の男と男が大相撲を取っているだろう。
ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ。

国民一人当たりの借金は850万位となった、ノコッテナイ。
この国は徳俵に足がかかっているのだ。
リベラルが結集することができないと土俵を割って出てしまうだろう。

また一つ原発再稼働が決まった。
少年少女の明日のために、大人は明日滅ぶとも木を植えねばならない。
私は自分主義の人間が大嫌いである(テメェー一人いい子になんじゃネエ)。
マグロ的ゴロン、ゴロン人間も。大事なのは感度だ。全身が海老反るような感度だ。
そんなものを作りたい。

「金沢の思い出」




昨日文部科学省の勉強バカ、東大法学部出身に人間力で絶対負けないと書いたら、バカ言え絶対勝てっこないと、東大教育学部出身の男から夜遅く電話があった。

私が言いたかったのは銀座、赤坂、六本木etc…つまり人間の欲情がムラムラしている処では学問は役に立たない。
夜の村社会では天才も秀才も夜の掟の餌食になる。生死を賭けた夜の男女たちに学歴は太刀打ちできない。
そんなことを言ったら東大教育学部出身の男は、そうだよなあいつら夜の接待するとメロメロだからな。
でもな何しろ信じられない位に頭がいいから、悪知恵がいくらでも出るんだと言った
私はあんまり頭に来ることばかりだからな、このままではこの国は教育の総本山の悪臭で滅んじまうよと言った。

電話の主は古い友人で、かつて紀伊國屋書店に勤めていた。教科書担当であった。
男が金沢支店(支社だったかな)にいた時、私は仕事で金沢に撮影に行った。久々に会うかとなり、夜一杯飲んだ。
名刺の肩書は課長であった。その時、明日◯×体育館に来いよ面白いものを見せてやるからと言った。
但しほんの少しだよと言った。

午前十時頃すでに広い体育館の床にこんなに教科書メーカーがあるのかよという位、各書店の教科書や参考書が勢揃いしていた。
確か高校生用だったと思う。
築地市場のマグロを値踏みする仲買業者みたいに、たくさんの人が教科書や参考書を見て回っていた。
あとで聞けばこのプレゼンテーションは一つの儀式みたいなもんで、何々はどこへ、何々はどこへとお上から決められているんだと言った。公開談合みたいなものであった。
学校が使う物は一本の白墨から黒板消しに至るまで同じ様に決められると言った。

お前アレもうやってないだろうなと昨夜聞いた。
実は電話の男、東大教育学部出身は高校の同級生である。アレとは株投資である。無類の賭け事好きであった。
一時株投資に失敗して死んだとか、蒸発したと聞いていた。人は見かけによらない。へ、へ、へ、やってないよと言って笑った。
キミをずーっとウォッチしてるよと言った。スッカラカンで離婚して、今は生活保護で生きているとか。

これを読んだらきっとまた電話して来るだろう。記憶違いが多いよと。
この世では夜に生きる人たちに勝てる者はいない。勿論私も勝てる訳がない。
そういえばはじめてハゼに似た“ゴリ”という金沢名物の魚を食べたのはあの夜だった。

2017年5月23日火曜日

「少年と大人」




少年たちは礼儀正しい。少年たちは励まし合う。
少年たちはグローブ、バット、スパイク、ボールをキチンと揃える。
脱いだ靴もバッグも実にキレイに置く。
審判員の人たち、協会の人たち、当番のお母さんたち、コーチやOBの人たち、そして応援に来てくれた人たち一人ひとりに、帽子を取ってキチンとあいさつをする。
「コンチワ」と。

少年たちはルールを守って練習をし、試合をし、終わると握手し、相手のベンチに行って礼をし、審判や公式記録員やアナウンスの人にも礼をする。
グランドをトンボという道具で整えてグランドに礼をする。
汚れたボールや道具をキレイにする。
勝った方は元気だが負けた方はやっぱりションボリに見える。

スポーツにはルールがある。社会には法というルールがある。
さて大人社会はどうだろう。ルール無視が横行する。
ある資料はないと言い、ないと言っていた資料はやはりあった。
今でも水俣病に苦しむ人を、もはや人としての文化が出来ないから人ではないと言う文化人がいれば、癌患者の人は働かなければいいという政治家がいる
一人で300人を斬りまくる映画を傑作だと評す評論家がいれば、数ページ立読みしたら苦痛を感じる本をヨイショする文芸記者もいる。

文部科学省という教育の総本山が、ルール無視の代表となっている。
汚れた人間の巣だ。この巣の人間に少年少女は教育をゆだねている。
なんて可哀想なんだと思う。

私はよくこう言う「勉強ばかりしていると本当のバカになるぞ」と。
東大法学部を出た勉強バカの役人たちは、答案用紙に向かうと秀才だが、世の中という答案用紙に向かうと“臭才”と化す。
出世、権力、利権、それを臭いで追う。

そのためにはルールがない、というルールで生きる。
人間の本質を知らない人間たちが人間を評すなど許されない。
子どもは一人ひとりの個性を伸ばすのが教育なのだ。

人間学校で人間を学んだ者にとって、東大法学部なんて相手じゃない。
勉強じゃ負けるが人間力では絶対に負けない。
何しろ相手は遊んでないから弱点だらけ、隙きだらけ。失う物が多いからだ。
学歴というプライドとつまんねえ肩書だ。
まずはルールを守れ、ルールを。

2017年5月22日月曜日

「水元公園から新宿御苑」




5月19日(金)東京→船橋へ夜移動、次の日小五の孫の運動会応援へ。
5月20日(土)快晴、正に雲一つない青空。万国旗が風にヒラヒラ揺れていた。
応援する観客が多いので前日迄に抽選して運動場の応援席が決まっていた(なので、取り合いはなし)。

小五の孫はとにかく小さいが足が速い。昼定番のお弁当をみんなで。
2時20分高学年リレーに出るのでその応援だ。
その日3時から人形町で大変お世話になった大手証券会社の宣伝部次長さんの偲ぶ会がある。リレーは2時40分位にスタート、広い運動場はギッシリの人と人。
ラストのリレーは運動会の華だ。4・5・6年生の選ばれた選手が走る。
運動場は大喚声、ピストルでヨーイドン。紅組2人白組2人が走る。

孫は白組、とびきり小さいがすばしっこい。
ワァー、キャー、ギャー、ガンバレーの中、孫にバトンが来た時は4位、一周120メートル弱を走る。先頭の大きな子は15メートル先を走る。
3メートル位遅れて第2位(白)が走る。1.5メートル位遅れて第3位(紅)が走る。
さぁ~我が孫だ。白いバトンが手に渡ると一気に走り出す。
速い、速い、もの凄く速い、すぐに第3位を抜き去り、直線に入りさらに加速グイグイ第2位、第1位と近づく。

絶叫の渦、ババが二人、ママ、パパ、お姉ちゃんとその友だち、いとこの姉妹、私はもう大興奮、四コーナー手前の曲線でついに第2位を抜き第1位に近づく。
あとは直線、そして一気に並んで抜き去って1位で六年生にバトンを渡した。
ヤッタァー、スッゴイ、スッゴイ、速い。最高潮の運動会。
いいね全力の子どもたちは。

で、すぐに船橋まで送ってもらい人形町に向かう。
東京駅からタクシーで、40分位遅れたが6時までなのでなつかしい人たちと会えた。
“バイキング”というスナックに30数人、女性が半分くらい、満員だった。
故人がカラオケ大好きで通った店。オー来た来た、それじゃ一人一人スピーチをと幹事代表。一番手が私であった。一人ひとり故人を語る。

いい話ばかり、仕事魔、釣り名人、カボチャ作り名人、カラオケ名人、総会屋対策名人などの話が続く。約1時間で全員スピーチ。
次はノド自慢故人の好きだった五木ひろしの「汽笛」を幹事が唄う。
これが上手い!私の長いパートナーをしてくれた大手広告代理店取締役局長が「相模甚句」を唄う、何しろ芸達者。これがまた上手い!
♪~ハァ~一月松が立ち 二月梅香り 三月桜が咲き~と続く。
ドスコイ、ドスコイ、ヤンヤ、ヤンヤの大拍手。その後ビンゴを楽しみ6時お開きとなった。

5月21日(日)中三の孫の中学校硬式リトルシニア大会の応援へ。
11時プレイボールなので、葛飾シニアグランドへ着くには7時起き。
起きてシャワーを浴びて、前日鍼灸の達人が教えてくれたルートで行く。
辻堂→湘南上野東京ライン→上野→北千住→常磐線金町駅→タクシーで水元公園へ。
そこからグランドまで約30分歩く。
広いテニス場、サッカー場、土手を歩き野球場二面を通過してやっと試合場へ(午前10時35分着)。

11時25分プレイボール。中三の孫はサードで3番、相手は東京青山のチーム。
大学生みたいにでっかい選手ばかり、175センチの私より大きいのが二人。
同じ位のが三人もいた。で、ボッカスカに打たれて、残念1対9で六回コールド負け。
孫が最終バッターであった。三打数ノーヒット、残念。
少年たちは監督にウリャー、オリャーと気合を入れられ茅ヶ崎へ戻って練習へ。

私は新宿御苑でロハス・デザインイベントが開催されているのでそこに向かう。
来た道をまた歩いてやっとこさバスの通る道路へ。
そこへサッカー選手を乗せたタクシーが停まった。
ラッキー金町駅へ1270円→北千住→新御茶ノ水(千代田線)→新宿御苑(丸ノ内線)へ。朝から何も食べていない。

いつもならタクシーを使ったりするのだがこの10日はある反省を込めて殆ど電車。
美しい歌声が大木戸門から聞こえる。北野理沙さんだ。
足が重い、御苑は広い。ステージに着いた時、ステージは終わっていた。
午後3時半、たくさんのデザインコーナーを見ながら新宿門へ。
そして新宿駅南口。

腹が減りすぎていた。
強烈な紫外線を浴びて顔面はバリンバリンとなった。
新宿から品川→そしてやっと辻堂へ。愚妻は船橋から未だ帰っていない。
さぁ~どこかでメシだ、メシだ、冷えたビールだ。
長い土日、長いブログとなりました。

2017年5月19日金曜日

「どうすることも」




今夜は早くネヨーと十時四十分に布団に入って、今は午前三時三分四十六秒だ。
睡眠導入剤レンドルミンを一錠、深く眠れるというリフレックスを一錠。
プラスお酒、禁じ手だが私のいつもの手。

ネムイのにネムレない。電気スタンドの電気を消しては、またつける。
それをずーっと繰り返す。

体内時計がネムレないようにセットされて23年。どうすることも“I can not”なのだ。
不眠症にならないためにはストレスはバンバン人にかけて下さい(?)
難題には手を出さず、借金の保証人は絶対にやめて下さい。
出来ない相談は出来ないと断る勇気を。
一日最低でも四時間から五時間の睡眠を。

あーチクショウ、ネムイ、ネムイ、ネムイ、チクショウ目が覚める。
この異常感覚の中で私はとりあえず生きている。

ohグッド!というフレーズやアイデアが浮かぶことがある不眠さまさま映画が何本も見える。今年はいいペースでほぼ一日一本。120本以上は見た。

不眠のこころ母ごころ、見れば命の浄く。ワッハハハ(浪越徳治郎先生みたい)。
レンドルミンをボリボリと一錠追加した。みなさん週末はぐっすり8時間を。

2017年5月18日木曜日

「だって、だって」


シャンソンの名曲に「さよならはダンスのあとに」というのがある。
故吹越吹雪が日本語にカバーして大ヒットした。

現代社会においてさよならは、刺してから、首を絞めてから、水に沈めてから、解体してから、溶かしてから、埋めてから、そして燃やしてからとなった。
少年少女から老年老女まで別れる時は残忍である。冷酷無比である。

会うが別れの始めという。人間は会った瞬間から別れ→別離に向かう。
どんなに愛し合ってもどっちかが先に死ぬ。それが嫌だと思えば無理心中となる。
愛とは別れなのだ。否そもそも愛などというのは何の実体もない。
実体のないものを見つけようとするからトラブルが生じる。

この時によく使われる言葉が「だって」だ。
だってあの時はこう言ってたじゃないか。だってあの時こう言ったでしょ。
だって違うじゃん言ってたことと。だって違うだろ言ったことと。

「だって、だって」は別れのシーンに使われる。
だってはバーチャルな夢の世界を連想させる。さっきまで抱き合っていた恋人同士が、だって奥さんと別れるって言ったでしょうと叫びブスっと刺す。
だって結婚は無理って言ってただろうと首を絞める。
だってオレは疲れてんだよ少し寝かせろよ、ウザいんだよとボッコボコにする。
だって今日はお金持って帰るって言ったでしょと火をつける。

「別離」という名画があったがウソみたいな映画だ。
この頃起きている事件はあまりにだってな感じがする。
男と女は別れるために一緒にいると思えばいい。
なんだかずーっと何十年も一緒ねとなればそれが結論。理由はない、説明もつかない。
そんなものと思えば「だって」はない。だってもともと他人なんだから。



2017年5月17日水曜日

「ガード下にて」



私は女性に対しては悪口雑言は書きません(何人かの女流作家以外は)。
何故なら絶対に勝てないと思っているからである。

昨夜銀座から新橋駅まで歩いた。
有楽町マリオン交差点を渡り、有楽町ガード下を通った。
午後六時すでに小さなヤキトリ店がずらりと並ぶ場所は酔客でいっぱいであった。
おー早い内からやってるな、ちゃんと会社で働いたかなどと声はかけない

朝・昼・夕方まで静かにしている人が退社してビールだ、緑茶ハイだ、焼酎サワーだ、やっぱり日本酒だと盛り上がる。
つま味はヤキトリが主体だが、美味なるものは同僚や上司の悪口雑言である。
あのヤローはバカだとか、あんちくしょうは大嫌いだとか、◯×ちゃんと出来てるとかをつま味にする。この場合モロキューに味噌をつけたりしたのを食べながらが特に絵になる。何しろ人のことをクソミソに言うのだから。

会社に限らず組織というのは、悪口雑言の活力で持っていると言っても過言ではない。
三人の会社も三万人の会社も同じ。
有楽町ガード下を観察するのは久々でかなりゆっくりと歩いた。
やけに女性が多いなと思った(気のせいだろうが)。

そんな中で、なんだいお前たちはという男たち三人と女性一人のグループが目についた。黄色いビールケースの上に薄い座布団をのせてそこに座って飲んでいた。
何を、ワインをである。ヤキトリ屋の屋台とワイングラスは似合う訳がない。
レバーだ、ハツだ、カシラだに食いつき口をベタベタさせながら四人はワイングラスを手にしていた。

日本人でワイングラスが似合う男は海外で相当に場数を踏んだ人しかいない。
ワインと葉巻とパイプは男のキャリアを要求する。
会話も同じ、同僚や上司の悪口雑言はダメ。ファッションに音楽、政治、経済、映画に文学、絵画や詩などを語り合い、ラストは恋愛論で終わりにする。
結論はやっぱり女性には勝てない。
◯△の深情だけには気をつけようとなる(私の推測)。
私はワインも葉巻もパイプもやらない。ガードの上を列車がガタガタと行き交った。
ヤキトリの煙の中、そこは会社員の聖地であった。

ワインといえば先日行った青山のイタリアンレストラン(1944年~)アントニオズのオーナーがワイン談義をお客さんとしていた。近頃は日本産のワインが人気だとか。
特に甲州ワインはすこぶる人気だと言っていた。



2017年5月16日火曜日

「顔札」




前頭葉部分を打ったせいか、表社会のことが浮かばず話は裏社会っぽいのになる。
「顔札」“かおさつ”ではない。バクチの世界では“がんふだ”と言う。
プロのバクチ打ちは八百長の名人、達人でもある。

トランプカードとか花札に自分だけ、あるいは自分の仲間だけ見分けられる印をつける。この目印のついたものを「顔札」という。
これさえあれば相手の手の内がひと目で分かる。
プロはその日使う数だけ顔札を用意する。
はじめはテープが巻いてあるのでシロウトはマッサラの札(使っていないもの)だと思い込んでしまう。

プロは数学の天才、記憶力の天才である。
シロウトは絶対に勝てない。顔札にするプロは細工物の名人、達人でもある。
例えば黒い札(花札の裏)に黒い印をつける(主に鉛筆を使う)と、小さな小さな印が光の当たり具合でチラッと見えるのだ。
トランプカードは白地だから当然白いものでつける(日本画の顔料とか)やはり光の当たり具合でチラッと見えるのだ。

トランプといえば、アメリカの大統領がロシアと八百長をやっていたのと疑惑が生じている。顔札はネット上でやっていた。
トランプカードや花札の印は名人、達人に頼めばキレイに消せるが、ネットはそうもいかない。FBI長官の首をいくつ取っても八百長のやり取りは消せない。

FBIといえばアンタッチャブルのエリオット・ネスが有名だが、果たして現在のFBIはアメリカ伝統の正義心と報道の独立心を発揮するだろうか。
歴代のFBI長官の中でフーバーという稀代の男がいた。
50年近くFBI長官に君臨して政財界を動かした。J・F・ケネディ暗殺の黒幕ともいわれる。あらゆる秘密情報を握っていた。つまりこれという人間に印をつけていたのだ。

現在ではGPSなどというものでずっと追う。顔札を警察ではS=スパイという。
あいつはオレが顔をつけている札だとか、オレのS、オレたちのSという。
トランプ大統領がニクソンになる日が来るかもしれない。

アメリカ合衆国に正義があることを信じたい。
ジャーナリズムと民主主義があることを信じたい。
ハッタリ屋のトランプ大統領の手の内は、ノーカードかワンペアかもしれない。
相手が脅しで降りるのを待っている。実は心臓がバクバクしているのだ。
だからオレのこと調べてないよな、などとドシロウトみたいなことを聞いてしまうのだ。
そういえばトランプはトランプカジノを破産させていた。
韓国語ではこんな状態を、オプソ=終わりと言う。

いつものグラスに冷酒を入れた。
つま味は知人のヨットマンが航海の途中に送ってくれた煮干しを焼いたものだ。
おしょうゆをかけると香り高く絶品この上なし。

「赤ちゃんに…。」




男を売る社会(今では裏社会)でいちばん嫌われる人間を「カイバ」みたいな奴と言う。カイバとは馬の餌の事。
決して自腹を切らずいつも人におごられて遠慮なくバクバク食べる男だ。

今日はオレがとか、ここはオレがとかの器量がまったくなく、あのヤローはガッツキだと言われる。年下の人間は年上の人間に誘われたら決して勘定を支払ってはいけない。
オレに恥をかかせるなと言われる。
但し一宿一飲の恩義と同じで、その時のことを忘れず今度は自分が小さな店ですが一度ぜひと返しをと言えばいい。
いい器量をしているな、あいつは伸びるな、使えるなと言われる。

山口組が分裂して神戸山口組と二つになり、その神戸山口組が分裂して任侠山口組が生まれた。山口組三国志時代となった。分裂する理由は金と人事だ。
親分が子分から金を集める、自分の身ばかりを考えて子分のために金を使わず体も張らない。
暴対法で子分が犯した罪は親分の責任となり、パクられて懲役に行かされたり、多大な賠償金を支払わねばならない。
いい歳して10年、20年の刑を打たれたら生きて娑婆には出て来れない。
で、オマエラ事を起こすなと命を下す。が、上納金や会費はしっかりと取る。
子分は親分に対して頭に来てウチの親分はカイバみたいにオレたちから金をバクバク取って美味いもの食べやがるとなる。人間、食い物のことは決して忘れない。

モノが食えずにクスぶっている時、ラーメンを食わしてくれた。
腹が減っていてあの時ほど旨かったものはない。
で、それをごちそうしてくれた人を親分、兄貴分と思い命をかけて尽くして来た。
体も張った。懲役にも行った。
だがなんだい今の時代は、男も侠気も、仁義も義理人情もない。
支払いは人に払わせてばかりのカイバじゃねえかと思って見切りをつける。

暴力団から暴力を取ったらただの「団」だからハングレたちからもナメられてしまう。
ヨシッ、侠(おとこ)を見せてやる、本物のヤクザ者ファンの熱烈な想いに応えるために新しい仁義の道を行く。
ヤクザ者の中でも金筋と言われる者は、決して人に勘定をさせない。
場下(バシタとは女房のこと)や自分のオンナを質屋に入れてでも金を作って払う、見栄で生き行く世界なのだ。

むかしこんなシーンを見た。
人の金でバクバク飲んで食っている男を兄貴分が怒って、テメーカイバみたいにバクバク食ってんじゃねえ、と言ってテーブルの上にあったブルドックソースをボタボタにかけた。その店の前で正座させられて更にマスタードを白い麻のスーツにどっぷりかけられた。

男は世にたくさんいる。
その中に名を残す者、出世して行く者とそうでない者がいる。
ピカッと光る男が100人から200人に一人はいる。一緒に飲めば分かる、その男のすべてが。東海道線に乗ったら正面に赤ちゃんがいた。
ママのヒザの上に、ジーっと私の顔を見てウギャーと火がついたように泣き出した。
泣き止まないので立ち上がって赤ちゃんから見えないところへ移った。
赤ちゃんは私のすべてを見抜いたのだろう。