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2018年4月18日水曜日

「ただ一灯を」



♪~何から何まで まっ暗闇よ 筋の通らぬことばかり 右を向いても 左を見ても 馬鹿と阿呆の……。ずっと昔東映映画の仁侠路線が絶頂期の頃、大スターであった故鶴田浩二が唄った歌の中のフレーズだ。この世に「世の中とか、世間」というのが生まれた時から、人の世は筋の通らない、不条理がまかり通ることになった。近頃あまりのグダグダ感に、さすがに脱力感と我が身の無力感を感じる。人間はまい日同じような”うんざり”を感じ続けると、うんざりがマヒしてしまう。「なんでこうなるの」というギャグで大人気を得た、コント55号の萩本欽一さんの言葉を思い出す。”なんでこうなるの”ということが山のように起きている。日本語が乱れに乱れている。記憶にないということを記憶しているとか。大変申し訳なく、申し訳なく存じ上げますとか。夜の街でホステスさんと言葉遊びをしていたとか。朝から晩まで一生懸命真面目に働いて、税金をしこたま取られている人々に、ちゃんと詫びを入れろといいたい。本当に”なんでこうなるの”なのだ。彼の国ならばとっくに暴動が起きているだろう。「人間の長所は、短所があるところだ」とある哲人が言ったが、私のような短所ばかりのような人間はとやかく言えないが、税金はちゃんと払っているので、少しばかりは文句は言える権利はある。”なんでこうなるの”をしっかりと説明しろと。東映の映画では堪忍袋を破った鶴田浩二が筋を通さない外道たちを、バッサバサとヤッパ(短刀)で斬りまくった。今の社会ヤッパのかわりは、ジャーナリズム、そして民衆の声だ。そういえば故高倉健の名セリフもあった。”てめえらは人間じゃねえ”故夏目雅子のセリフも良かった。”なめたらいかんぜよ””人間辛抱だ”という初代若ノ花の言葉を思い出す。「暗夜を憂うること勿れ、只一燈を頼め。」(言四緑・佐藤玄斉)
決して私は諦めない。手許?に一灯がある限り、”一刀”ではない。

2018年4月11日水曜日

「バカ者たち」


すぐに人のせいにする、自分は責任をとらずに人に責任をとらせる。サッカー日本代表監督を解任した。特別にサッカーファンでもない。ただ深夜によくヨーロッパのサッカーの試合を見る。メッシの大ファンである。ハリル監督を解任したサッカー協会の会長たちボンクラは何故か責任をとらない。解任の理由は監督と選手とのコミュニケーション不足とか、作戦や戦略、戦術に問題があり、二ヶ月後のW杯ロシア大陸が心配だとか。バカも休み休み言えだ。後任の監督はとても優秀だからと言う、だったらはじめからこの人に頼めばよかったはずだ、そもそもプレーをする選手がちゃんとしっかりしていれば、何もこんなブザマなことにならない。ハリル監督は26勝6敗か8敗位の成績を残している。もともと世界ランク40位か50位をウロウロしている選手が一丁前のスター気取りになっているから、世界に出て行くと、フツーの選手であることを思い知る。スポーツマスコミがチヤホヤするから選手は大いなる勘違いをする。サッカー協会の会長たちは、私もやめますと言うひと言からはじめないと、これから日本にいい指導者は来ないだろう。日本のサッカーをここまでにした代表選手、三浦知良を岡田監督はW杯に招集しなかった。大バカ者である。映画界から石原裕次郎、プロ野球から長島茂雄、プロレス界から力道山、そして歌謡曲から美空ひばりを抜くような
信じがたき好き嫌い感情である。かりにもプロと名のつく選手は天才たちである。好きだ嫌いだは、酒でも飲んでいる席での話で終らせねばならない。元巨人軍の村田修一選手は、まだまだ活躍できる選手だが、監督たちに意見らしきことか、作戦にブータレたとかで、放出されどこのチームにも入れないようにした。年俸2億円以上から、栃木の

独立リーグへ、給料は月40万位になったとか。名球会に入るまであちヒットわずかな球界の功労者だ、元三冠王の松中選手、元2000本安打の中村選手、彼らも同じ好き嫌い、チームの規律を乱すとかで放出された。プロの監督とは個性的で自分勝手で、天才的な選手を使いこなすのが仕事だ。政官両方ともグダグダ状態になった。責任のなすり合いだ。小学校五年生の孫が、アベはもうダメだよと言った。小学生でも誰が責任をとるべきかを知っている。もう遠慮なしと思ったNHKやシンパの読売まで見限った。頂点から転がり始めた石の速度はオソロシクピードアップする。サッカー協会のアホ共にハリル監督に土下座しておわびして、キミたちもやめなさい。監督は三浦知良に、資格無ければせめてコーチとかアドバンイザーで起用せよ。(文中敬称略)

「服部桜は散らない」







突然パッと咲いた。もう絶対咲かないと言われていた牡丹である。まさに狂い咲きだ。ルージュ色であるから、ルージュマジックである。一気にドバーッと花開いた様は、かなり淫乱である。どこか夜の世界の性悪女的でもある。こんな時望遠レンズのついたカメラがあればいい写真が撮れるのだが、私はカメラを持っていない。使い捨てカメラが専門である。が、それもないので仕方なく携帯で撮ってもらった。七日土曜日銀座のジャズバーで、知人のヘアーメイクアーティストの出版記念パーティーがあった。夜六時半~八時半、30名が招待されていた。ルールは何故か着物、もしくは着物的でとあった。友人を誘い二人で行った。このパーティーはかなり富裕層の人々(女性がほとんど、男は三人)ヘアーメイクアーティストの鈴木冨美子さんはじめ、着物姿は見ごたえがあった。友人はちゃんと着物姿であった。私は着物などはないので、知人がプレゼントしてくれていた、着物地で作ったアロハシャツをジャケットの下に着て行った。DJも着物、店内にはLPレコードが棚の中にビッシリとあった。私はこういう席が大の苦手であり、余程でないと行くことはないのだが、鈴木冨美子さんの本で、オルハの商品をとてもいいと書いてくれていたからであった。又、オルハのPRもさせてくれるとのことであった。ビンゴの商品にオルハさんから提供があり、一等賞は高級な枕セットであった。次々と数字が呼ばれた。ハ~イビンゴ、ハ~イビンゴと喚声が、そしていよいよ一等賞となった。オッビンゴと声を発したのは、私の連れの友人であった。黒字に金色の線が入った羽織、斜めに赤いポシェット、独特の薄笑いを浮かべて一等賞の大きな品を席に持って来た。何故かシメのあいさつをと指名されたので、最高級の羽毛ふとんについて、銀座一丁目オルハショップについて、羽毛に含まれる成分、ケラチンから生まれた各商品について話させてもらった。着物姿の女性たちは熱気にあふれていた。前日の六日元神奈川県特別参与、知事の右腕だった友人に誘われて、毎年恒例の花相撲「藤沢場所」のプロモーションパーティーの席に行った。私の隣りに歓進元の最上重夫様、実に26回目となる藤沢場所を取り仕切っていた。斜め前には担当である錣山親方(元寺尾関)であった。聞けば十四日の花相撲を目指して、何日も前からホテル住まい、そして朝から晩まであいさつ回りと、夜のお付き合い。歓進元の人は地元で建設業を営んでいる。知事の右腕だった友人はさすがに顔が広く、いろんな人があいさつに来て、一人ひとり私に紹介してくれた。店は貸し切り、四十人以上入っていて席は満杯であった。歓進元のスピーチは実に楽しくておもしろい。あっという間に時間が過ぎて、それではお開きとなった。ゲストに芸大出身のサックス奏者の美人。お相撲とお寿司と、ジャズ。いつもながら湘南で名高いヨットマンの友人は、いい席に誘ってくれる。大好きな大相撲はいろんな人々によって支えられている。茅ヶ崎出身の「服部桜」について錣山親方に聞いたら、入門以来1勝100敗であった。がんばれ服部桜、2勝目を目指して。決してその前に散ってはイケナイ。

2018年4月6日金曜日

「アラカンタン」




男と男、男と女、女と女、親と子、親族と親族、会社と社員、親兄弟。およそ人間社会における関係の中で、いちばん多いモメゴトが金と金の問題による対立と別れ話。
あなたを死ぬほど愛しているとか、君のために命をかける、なんて言っていたりしても、いざ金の問題がからむと、日本語の中にあるあらゆる罵詈雑言、悪口雑言を浴びせ合い、酷い時には殺人事件とか、一族一家全滅とかに発展する。「ビートたけし」の話題がワイドショーネタになっている。
ビートたけしが「オイラは金より、弟子より、会社より若いネエちゃんの方がいいの、オイラのつくった会社は、皆にあげっから、あとは仲良くな」ジャンジャン、と言ったらなかなかの男だったなと思ったはずだが、どこにでもある金の話になった。
金の切れ目は縁の切れ目、オイラが稼いだ、オイラがつくった、オイラが、オイラがを連発すると、がっかりであった。
私は毒のあるビートたけしを男として、芸人として、映画人として、画家として認めていただけに残念であった。ずっと昔だが、嵐寿郎(通称アラカン)という大スターがいた。”鞍馬天狗”と”明治天皇”を演じたら、天下一品。この役者の上を行くものはいない。
この大スターは次々と天狗を演じ、次々と豪邸を建て、次々と愛人をつくり、次々と別れた。その別れのときには、金財産を愛人に渡した。
見事というしかない。
アラカンの本の中に、マネージャーが「先生もう愛人に渡す財産、(家屋敷)はありません」と、言うと大スターはこう言った。
「ええがな、ええがな、また鞍馬天狗になれば」と。アラカンタンなのであった。
古人はお金のことを、”オアシ(お足)”と言った。惚れた相手と同じ、追えば逃げ足はやく去って行くのである。
ビートたけしは本屋さんに行って、アラカンの一代記を読むべしである。
オイラがオナラにならないように。


「印象派のちヤキトン」



急募バイトさん時給980円!元気な人を求む。これで不足なら時給1000円!と、私の目の前に貼り紙があった。ヤキトン屋さんの入り口横である。限りなく銀座に近い店である。ヤキトリで一杯は酒飲みの基本である。ヤキトンは更に基本である。この頃はヤキトンの店が減り続けて銀座にあまり見かけない。知人の個展を朝日ホール(日劇マリオン)で観て、その達人ぶりに感動したのでクールダウンさせようと、春風にのったヤキトンの香りの中に入ることにした。そこでバイト募集を見たのであった。店内には日中はさしたる仕事をせず、夕方から夜にかけてがぜん元気になる会社員風の人々で満員に近い。午後七時少し前。時は人事の春、当然のように話題は会社の人事の話のようであった。日中はサボっていてスタミナをたくわえていた人々は、やたらめったら元気がいい。人手不足なのだろう、かつては五人はいた店だ。ヤキトンを焼く汗だくの六十代位の男、両手にでかいビールのジョッキやウーロンハイ、緑茶ハイ、ハイボールとハイハイづくしを一度に持って動く四十代位の男。やるなプロだなと感心する。バタバタ団扇を叩く男が、タン、ハツ、コブクロ、カワ、ボンジリ、レバー、ネギイカダ、ギンナン、シシトウなどを串刺しにして、焼いてはヤキトンを運び役の蚊トンボみたいにやせてメガネをかけた三十代位の男に渡す。三十代らしき男が実にキビキビと動く。ハイ冷や奴、ハイ厚揚げ、ハイ手羽先、ハイもつ煮込みと、ハイハイの大声。私と言えば一人ポツンと日本酒一合をとりあえず。気分はかなりアカデミックだったので、ヤキトンと印象派的ヨーロッパの風景がシンクロしない。が、ヤキトンは食べたいと心は騒ぐ。で、まずカワ、タン(塩で)レバー、ギンナン、ボンジリをオーダーした。バイトが全然来ないんですよ、時給を1000円にしても一人も来ない。私はもう六十三歳このままではもうオシマイと、焼く男が目の前でヤキトンを食う会社員風としゃべり合っている。煙がたちこめる中、アルコールの入った人々はあのバカ、あのアホ、ザマーミロ、いやマイッタな、マサカの坂だよな、なんて話で大盛り上がりとなっていた。人間観察と時代の声はこういう風景の中にたんまりとある。♪~逃げた女房に未練はないがお乳ほしがるこの子がかわい!などと突然、”一節太郎”の浪曲子守唄を唄い出してギャハハハと笑う、そのオジサンが立ち上がった。見ると私の気のせいか目には涙があった。この人たち聞けば四時過ぎから飲んでいるとのことであった。つまり会社で働いていないで給料をもらっている人々であった。バッグの中から雑誌を出してパラパラとめくると、こんな言葉がコラムに書いてあった。「金をつくる法」金をつくるには三かく術を覚えなくちゃいけない。義理をかく。人情を欠く。恥を欠く。この三かくだ。(夏目漱石「吾輩は猫である」)むかし読んだがすっかり忘れていた。オッ!ヤキトンが来た!アノヤローへらず口をたたきやがってと、アタマに来たことを思い出し、コップ酒をゴクッ、ゴクッと飲んだ。左手にはヤキトンが、そして極上の香りがあった。

2018年4月2日月曜日

「かくも長き不在」




これほどまでに妻に愛されていた夫がいたら幸せ者の見本だろう。
近頃こんな主人公の女性はいるだろうか。昨日アマゾンで購入してもらった名作中の名作を、何年ぶりかで見た。第14回カンヌ国際映画祭グランプリ(パルムドール)受賞作だ。
「かくも長き不在」1961年アンリ・コルビ監督作、フランス映画全盛期の頃の名作だ。ビデオだったが、ブルーレイ化された。第2次世界対戦から16年、パリ郊外で食堂を営む女性(テレーズ)の前を一人のホームレスの男が横切る。”陰口はそよかぜのよう”と口ずさみながら、この歌はテレーズにとって思い出のオペラの詞。
汚れきった男はもしかして生き別れになった夫ではないかと思う。
男を店に招き入れると、記憶を失ったと告白する。夫は戦争中ナチに逮捕されて拷問を受け、行方不明になっていたのだ。テレーズは男は夫だと言い親戚2人に引き合わせるが、2人とも違うと言う。パリは夏のバカンスを迎え人々は太陽を求めてパリを出て行く。人の気配がなくなったパリ。河の側で古い新聞や雑誌を集めて帰る男。首からヒモをぶらさげているハサミで、ひたすら気になったところを切る男。テレーズを演じるのは、あの「第三の男」で映画史に残るラストシーンを演じた、アリタ・ヴァリだ。
テレーズは男を招き食事やワイン、そして夫が好きだったブルーチーズを用意する。店のジュークボックスには、夫が好きだったオペラやワルツを10曲入れる。
店の前を通る男に聞かせるために。
ある日テレーズは招き入れた男とダンスを踊る。戦争で失った時間を取り戻したかのようにテレーズは喜びを感じる。汗ばむ毎日、同じ日々、店に来るのは同じ男たち、同じ会話。
テレーズは夫だと信じる事によって生き生きとする。
男を見る目は店の中で見せる厳しい目と違って慈愛に満ちている。この映画は女の情念の物語だ。そしてテレーズは希望を失うラストシーンとなる。店で働く少女は「残るのは私たちだけね」と言う。テレーズは「夏は悪い季節だわ」とつぶやく。字幕には「夏は開放的になる」と訳されている。
バカンスの語源は「空虚」であると、解説書に載っていた。大切な思い出や記憶は稀薄なのだろう。恋愛の会話はフランス語が一番と言うが、この「かくも長き不在」はその通りを証明する。
小さな庭の片隅でもう二度と咲くことはないと、植木屋さんに断じうれた牡丹の木に花芽が出てきて、日々ふくらんで来た。奇跡が起きるかも知れない。
がんばれ牡丹よなのだ。私の記憶では、妖しい女性の口紅のように赤く美しい。
夫婦生活とは二流のシナリオライターが書いた、マンネリの日々、退屈の日々だと言う。
ふと心ときめかした日々を思い出すといい。心にワルツが聞こえて来るだろう。


2018年3月30日金曜日

「四万十映画祭」



3月23、24、25、26日と、高知県四万十市に行って来た。
2015年に製作した短篇(27分)映画が、第三回四万十映画祭の短編部門にノミネートされて、それに参加するためであった。出品数38作品の中から最優秀賞、優秀賞、観客賞が選ばれる。長篇部門もある。今、日本中の地方都市は衰退している。高知には多くの映画館があったが、今は姿を消した。四万十映画祭も第二回以来開催ができなかった。資金集めや、行政との問題、四万十市の人々との問題や商店街との問題などなど、いろんな問題をクリアしなければならない。四万十市までは、龍馬空港から8人乗りレンタカーで約二時間半、途中で一服すると三時間余りであった。23日にINする人、24日にINする人、なんと25日に来た出演者は、平塚⇔羽田⇔龍馬空港⇔四万十市という弾丸日帰りをやり遂げた。自主映画のため自費参加なのだが、この出演者は(若い衆役)通常は鍼灸、マッサージの先生を仕事としている。リハビリをしている患者さんたちにとって先生が来てくれることが何よりのことなのだ。で、日帰りとなった。滞在時間わずか一時間半ほどであった。一度だけ出演した映画であり思い出深い、一目だけでも皆んなに会いたいと。監督の寺尾学ぶさん、プロデューサーをしてくれた奥野和明さん、上原有美さん(25日戻り)、カメラマンの河西宏一さん、主役の指宿豪さん、リヨン樺澤さん(前橋から来た)アートディレクターの前島一郎さん(25日戻り)そして、本作品に出資もしてくれて、若頭役を演じてくれたコピーライターの赤城廣治さん。この旅の全てのコーディネートをしてくれた、小社、経理の正田智美さん(25日戻り)それぞれ多忙の中参加してくれた。25日ノミネートされたスタッフやキャストが、この映画祭名物の、四万十川にかかる「沈下橋」上に敷かれた200メートルのレッドカーペットの上を礼服で歩く。(雨、風の場合は危険なので中止)皆モーニングやビシッとしたスーツで歩いた。(私は遠慮した)天気はこれ以上なく晴天、風はそよそよと春風、四万十川は堂々と流れていた。スギ花粉が多いのが予想外で、花粉症の酷い人はグション、グションになってしまった。奥野和明君はこんな過酷なドライバーをこなしてくれた。大阪→龍馬空港→四万十市。四万十市⇔龍馬空港⇔四万十市⇔龍馬空港、そして大阪へ。オツカレさん、ありがとうであった。嬉しいことにかつて小社にいた、門田プロデューサー親子5人が家族旅行をかねて埼玉県入間市から来てくれた。門田剛というこの男は今、「いち」という飲食店を経営して10数人のスタッフを動かしている。フグの調理までできる。いつ会ってもニコニコしている。会いたかったんですよと言ってくれた。映画製作にあたり、缶詰や食品を用意してくれた。更に製作費まで。25日5時過ぎから長篇、短篇部門の授賞式であった。厳正な審査であったと、経過を委員長が語り、元ミス高知のアナウンサーから発表があった。結果短篇部門の最優秀賞(グランプリ)を受賞できた。「寺尾学ぶ監督」が壇上に上がり、立派なトロフィー、表彰状、賞金を授かった。スピーチがとてもよかった。映画は映画バカしか作れない。夜は主催者の人たちがパーティーの席を用意してくれていた。私たち映画製作者より、この映画祭を何年もかけて実行した多くの人々の街おこしへの熱情と細やかな心くばり、街の人々のやさしさに最大限の敬意を表したい。この事については後日記す。もう一つ嬉しいことに元東急エージェンシーのクリエイティブディレクターだった、福井正文さんが(高知在住)はるばると来てくれた。この人についても後日記す。24日夜、ブリのシャブシャブ、カツオの塩たたき、最高のサバの刺身などを皆で食した。今年は土佐が生んだ坂本龍馬たちが成し遂げた明治維新150年の記念の年であった。四万十市長が四万十から世界へと語っていた。地方創生は全然進んでいない。

2018年3月22日木曜日

「それぞれの役目」


日比谷公園の中に「松本楼」という洋食レストランの草分けがある。
その入り口に古いピアノがある。孫文が弾いたというようなことがプレートに書いてあったと思う。
孫文は「辛亥革命」によって中国王朝に終止符をうった。
最後の皇帝溥儀を引っ張り出して、満州国皇帝にしたのが日本政府、中でも中国を占領下に置いてしまおうと企図したのが、関東軍参謀たちである。
「天下為公」この四文字は、孫文が遺した言葉である。
天下は国民の為にある。昨日は真冬のような寒さであった。
氷雨が降り続いた。
仕分けした三日分の新聞を再読すると、暗然たる思いになった。
日本国は孫たちが大きくなった頃、五年先、十年先、どうなっているのだろうかと思った。
孫という字と孫文がアタマの中で重なった。
そしてふと松本楼のピアノと、「天下為公」の文字が浮かんだ。
世には利用する者と、利用される者の役割が決まっている。
井戸を見つける人、井戸を掘る人、その井戸の水を飲む人の役目も決まっている。
籠に乗る人、籠を担ぐ人、その人の草履を作る人の役目も決まっている。
ある運命占いのオバサンがそう言っていたのを思い出す。私は人の保証人になると失敗するから気をつけなさいと言われた。
バブル時代赤坂一ツ木通りに出ていた占い師だった。
私は運命論者だから、きっとオバサンの言う通りになるはずだ。
私は利用される者になりたく、井戸を見つける人になりたく、草履を作る人になりたいと思ってきた。将棋界伝説の第四代名人であった、升田幸三が遺した言葉が何かに迷った時、元気をくれる。
それは「新手一生」と言う四文字だ。
誰も考えてなかった一手、常識を超える一手、歴史上なかった一手。升田幸三はそれを打ち続けた。
苦敗あり、大敗あり、惨敗ありだったが、新手を生んだ。
1991年七十三歳で没したが、現在日本将棋連盟が新しい戦法、新手を編み出した棋士に贈る「升田幸三賞」がある。他の世界にも類いのない賞を生んだ唯一の勝負師である。
新手に勝つ保証はない。むしろ敗ける確率の方が多いに決まっている。
一日中家の中に閉じこもっていたせいかパッと明るい気にならず、二つの四文字を思い出していた。
「天下為公」孫文の草命を支えたのは、渋沢栄一たち日本の経済人の軍資金だった。「新手一生」に渋沢栄一たちは賭けたのかも知れない。
あるいは革命を利用したのかも知れない。
日比谷松本楼は一年に一度(確か)100円のカレーを出すことで有名である。
人を見る目は、歴史の先きを見る目でもある。
渋沢栄一は150センチ足らずであったが、スケールの大きさは壮大であった。日本史上並ぶ人間は一人もいない。武士からの身分で新手一生をあらゆる分野に打った。
自分の運命に逆らわずに、自分の道を行くしかない。
寒椿はその役を終えて、バサッ、バサッと落ちている。
桜咲く頃の雨、風、青嵐は、それぞれの役目を演じているのである。



2018年3月20日火曜日

「甘く見ると」


南北朝時代乱世の頃、武士は武士と呼ばれず「悪党」と言われた。裏切ったり、寝返ったり、逃げたり出たりを繰り返してた「足利尊氏」が室町幕府をつくった後、悪党は武士と呼ばれるようになった。
足利幕府とも言われる。その足利尊氏(アシカガタカウジ)の執権(NO.2)に高師直(コウノモロナオ)という武士になりきれない悪党がいた。
塩谷判官という役人に美しい奥方がいた。高師直はひとかたならぬ思いを持っていたのだろう。ある夜、奥方が入浴しているのをのぞき見する。
この話は今も歌舞伎の演目としてある。
悪党だった高師直がどんな最後を遂げたかは多分想像通りだ。前川元文科省事務次官が悪党たちによって、学校での講演内容をいわばのぞき見された。あるいわ密告(チクル)させた。
新聞、テレビの現場に不法介入し、マスコミを封殺。コノヤローと思ったMCやコメンテーターは姿を消した。悪党たちが手を焼いているのが、週刊文春や新潮などの雑誌だ。
かつて梶山季之(カジヤマトシユキ)がそのリーダーだった”トップ屋”という独立愚連隊のようなモノ書きがいた。独自の取材力で、スクープ記事になるネタを仕入れて、それを書き雑誌社に売り込むのだ。
梶山季之には四天王がいた。その一人にある会社の取材物を手伝ってもらっていたのを思い出す。いつも上着のポケットにウイスキーのポケット瓶を二つ入れ、塩豆の袋を持ち、ウイスキーをキャップの中に入れて朝からチビチビと飲み、塩豆をポリポリとかじっていた。
悪党の裏、その裏、そのまた裏をあぶり出してやる、そして地獄を見せてやるんだと、ボッソリと言っていた。が、取材三回目(確か)が終った後、肝硬変で死んだ、未だ五十才位だった。
「黒の試走車」という自動車業界の秘密の世界を書いて、梶山季之は直木賞候補となり、一躍トップ屋”梶山軍団”は有名になった。黒の試走車は産業スパイという言葉を世に出し、大映で映画化され大ヒットした。
主役は田宮二郎だった。文壇でいちばん銀座でモテたのが、吉行淳之介と言われているが、梶山季之はもっとモテたと伝えられた。週刊誌の記者たちは今でもトップ屋的魂があり、権力何するものぞの気迫がある。但し殆どは人のスキャンダルばかり(男女関係)だ。
週刊誌がいちばん売れるのが、(一)に離婚、(二)に不倫、(三)に二股、三股である。人間という悪党は、高師直的のぞき見習性が誰にでもある。
そのことをデバガメとも言う。
壁に耳あり、障子に目あり、裏切り者はいちばん近くにありと決まっている。
そいつはユダであり、ブルータスよお前もかなのである。
官僚組織を甘く見ると、とんでもない事が世に流出する。これから続々と・・・。
(文中敬称略)

2018年3月19日月曜日

「刊」の中の「リ」について



春なのにつるべ落とし、内閣支持率が急落しはじめた。
どうせ日本国民は一ヶ月もすれば忘れるだろう、と思っているかも知れない。
事実に日本国民は忘れることが習性のようなところがある。三権分立すら忘れている。
一つの事が起きると、どこもかしこも一斉にその話題で、ワァーワァーと大騒ぎになる。その昔税務署に徹底的にイジメられた経験がある。解釈の違いが通らない。
まるで刑事かよと思うほど調べられた。
延々と続いたバトルの結果は実にこの国の官僚システムが鉄の規律があるようなことを体験した。
上から下へは絶対の指示である。軍の掟のようでもある。
中国に未だ紙ができていない時代、重要な文書は、竹とか木に書かれた。
消しゴムとか修正液のない時代だから、誤字や修正をする時は、文字を削り落としそこ(改たな?文書を書き書いた?)
出版社から発行するという「刑」の文字に「リ」の部分があるのは、そこから来ているらしい。
刑罪の刑も同じ「リ」の部分があるから公式な文書を勝手に削り落としたり書き換えたりすると、重罪であったはずだ。研究者や評論家、小説家をはじめモノ書きが書いたオリジナルの文章は一言一句、書き手のものであり、出版社は勝手に書き換えたり、削除は許されない。
かつて小説家は文士と言われた。
武士の魂を持っていたのだ。
この頃はこの魂はかなり怪しい。
が現代でも一文字に命をかけている文士もいる。
我が国のNO.1とNO.2が、今、「刑」の対象となっている。
我々は身を削る思いで日々四苦八苦で生きている。
もはや削れるところは骨の髄にもない。政と官が五分と五分で渡り合わなければ、真の国政とは言えない。
政も官も怒れと言いたい。
寛容な国民もいよいよ頭から角が出て来た。
落ちて来たつるべで、アタマを打たれ終わった政権になる時は近い。