ページ

2019年5月22日水曜日

「金平糖」

ごく近い人の話である。ある地方都市で病院を経営していた。すでに高齢となり、足腰も思うようにならず自分自身も車椅子を使って病院へ通っていた。ライオンズクラブだかの会長をしていた。少子高齢化により、この頃は老人施設にして医師である長男とともに、地方に貢献していた。ある年、内閣府よりある賞の受賞の通知が来た。「さあ〜大変」となった。一人で行くことままならず妻も同行となった。まずは二人で礼服を買った。靴下も靴も、ワイシャツにネクタイも、東京のホテルも予約した。褒章の通知が来たと同時に、ゴッソリと額縁屋のカタログが送られて来た(内閣府と通じている)。比較的大きな賞なので、天皇陛下ご本人より受け取った。ここに行くまでも大騒ぎ。東京駅の地下はやはり皇居とつながっていて、いきなり皇居内となった。侍従がアレコレ指示を出して入念にリハーサルをしたらしい。すでにヘトヘト。そして菊の御紋の入った「金平糖」を頂いた。これからが大変。まず県のパーティがあり、市のパーティがあり、出身校のパーティが続いた。招待客のリストづくりや挨拶状の配布、引き出物を何にするか、などなどこれまた大騒ぎ。それでも第1回目は経験したことのないことを経験できたので、テンションが上がった。とにもかくにも事は済んだ。ところが、それから数年後、また受賞通知が来た。今度はかなり大きな褒章である。妻や娘は辞退を勧めたが、本人はこの手のことが決して嫌いではなく、でっかい勲章をもらった。当然のように第1回目以上のパーティが行われた。額縁もドーンと大きくなった。春と秋の約4000人以上の褒章はある種のイベントである。ヘトヘトになった親戚一同はもう二度といらないと言っているようだ。私の尊敬するデザイン界の巨匠は、二度受賞しているが、オフィスの中に埋もれて大きな額が置いてあり、半分ぐらいしか見えない。褒章→額縁→胡蝶蘭→礼服→ホテルにパーティ会場など、すべてがつながっている。辞退は自由なのでご辞退する人もいるらしい。ちなみに織田信長は、大の金平糖好きだったらしい。でも本人に会った人は、今はいない。



2019年5月21日火曜日

「北海道の水ダコ」と「忘却」

昨日朝、訳あって銀座和光に入った。別名服部時計店(SEIKO)である。11時店内はマバラであった。さすがの和光だけあって、スタッフ一人ひとりのあいさつ応対がすばらしい。とても感じいい。時計を買うわけではないが、ちょっとショーウインドーの中を見た。私は高級時計とかに縁はない。というより興味がない。というより買う資金がないと言ったほうが正しい。「オッ、いい時計だな」と一つの腕時計を見ると、やたらに数字が並んでいる。(21,490,400)(にせんひゃくよんじゅうきゅうまんよんひゃくえん)であった。感じのいい女性店員に「昔は、4~5万円の物からあったんじゃないの?」と聞いたなら、「今はその手のクラスは、カタログで見ていただいて、あったらありますよ」と言った。「こんな高い時計、売れるの?」と聞けば、微笑みながら「もちろん月に何本かは売れます」と言った。「あちらにはもうヒトケタ違うほどの物もあります。1億、2億、さらにダイヤモンドがキラキラ光り輝くのは、4億」(これはティファニーの本店にあるらしい)。「腕に2千万円以上もの時計をつけていたら、ブッタ斬ってその時計を売って映画をつくるよ」と冗談を言った。高級時計は今ブームで、中国人や東南アジアの大金持ちがズドーンと買うらしい。銀座にはたくさんの高級時計店が出店している。また、雑誌や新聞広告にバンバン出稿しているのは高級時計だ。ケタ違いの時計を見つつ階段で上に行き、3000円のハンカチーフを2枚、お使い物として買って和光を出た。10人ぐらいがキチンと「ありがとうございました」と頭を下げた。かなり気恥ずかしいが止むを得ない。時計か映画かとなれば映画に決まっている。「忘却とは忘れ去ることなり 忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ」。これは有名なラジオドラマ「君の名は」のセリフである。菊田一夫の原作だったと思う。私は今朝、昨夜どこかへ忘れてきたケータイを探せばならない。完全に忘却している悲しさだ。電通の友人、元東急エージェンシーの友人、会社の仕事仲間たちといろんな話を楽しんでいるうちに、すっかりどこかに忘れていた。「君の名は」それは「ボクのケータイ」なのである。すべてを頼り切っていた天才的凄腕万能女史が去って以来、ずっと何かを探している。まるで迷子みたいな日々が続いている。確かスブタ、シュウマイ、カニタマ、チャーハン、ワンタンを4人でシェアしたのは忘れていない。それとお店の女性が「故里の北海道から送って来たからぜひに」と出してくれた「ミズダコの刺身」。これをショウガで食べたのが絶品だった。私たちの会社の金庫番の女性が、赤ちゃんを生む予定日が昨日だった。きっと連絡をくれるはずだ。やっぱりケータイを探し出さねばならない。きっとゴッタ返しの机の上のどこかにあると思うのだが。大したことのないものを、考えて、書いて、創るしか能がない迷惑千万の人間なのだ。



2019年5月20日月曜日

「見城徹という出版人の謝罪」

多くの作家たちが怒りの声を発している。我が国は思想の自由を憲法で認めている。右翼的であろうが、左翼的、あるいは中道リベラルであろうが自由である(テロリズムは暴力行為だ)。出版不況の中、現在、我が国で数少ない大きな利益を上げている出版社の一つが幻冬社である。社長の見城徹は思想が何かはわからない。出版社社長が国家権力ににじり寄ってしまっては、もはや政商である。その見城徹は出版社として決してやってはならないことをやり、謝罪をした。見城徹の兄弟分だか、親分、子分だか知らないが、百田尚樹なる怪奇な作家がいる。この作家も国家権力ににじり寄っている。国家権力側としては、利用できる者は当然利用する。見城徹と百田尚樹は国家権力者の一人にでもなったかと思い違いをし、NHKやテレビ朝日に人事介入したり、経営にくちばしを突っ込んだりしている。いつの世にもいる小判鮫である。私はネット上のことは一切わからないが、先週末の朝日新聞や東京新聞が見城徹の出版人としてのあるまじき行為を載せていた。それは作家百田尚樹が著した「日本国紀」という本に、他より引用している箇所があり、その引用の出典を明記していないと、作家の津原泰水さんがツイートした。津原泰水さんは文庫本を出版する予定だったが、見城徹は「僕や営業局はこの本を出版することに反対だったが、担当者の熱意に押し切られて出版した。その結果、実売は××でした」などとツイートで反論した(××の部分に実数があった)。出版界のルールとして「実売部数」は公表しないのが慣例であった。なぜなら、本の価値が売れたか売れないかで決まってしまう。100部、200部の出版でも名作は名作として残る。出版社は作家への最低限のリスペクトとしてそう決めてきた。ずーっと売れなくても名作はいくらでもある。「みなさん、この本は現在××しか売れていませんよ」と出版社は言わない。映画界でもヒットしたから賞をもらえるとは限らない。カンヌの受賞作などは難解なものが多く、日本ではほとんどヒットしない。だがしかし、名作は名作として歴史に残っていく。見城徹はもはや“出版人”ではない。自分自身が著者で女性にモテないコンプレックスの塊だと言っているから、金に物を言わせる。または国家権力に近いことを吹きまくる。だが権力は甘くはない。利用価値がなくなったら、ポイッと捨てられる。出版社の社長がもっとも大切にすべき作家に対して、ツイートで怒り、ツイートで謝罪とは、これ以上の恥はない。出版人ならちゃんと活字で反論、謝罪すべきだ。見城徹は一度身を引くしかない。また、作家百田尚樹はしばし断筆するしかない。かつて見城徹は反骨の人だった。(文中敬称略)





2019年5月17日金曜日

「悲しい閉店」

今でこそ、どこへ行ってもいいネタの寿司を食べさせる店が多いが、魚類図鑑に載ってないような魚を海外から輸入して、いかにもそれらしき名をつけて店に出している。寿司は酢メシなので魚の味をゴマかしやすい。人手不足の深刻さは寿司屋さんにも大影響をしている。流れ板前を手配する「三長会」などが手配しても追いつかない。前日からの仕込み、開店から閉店まで立ちっ放しは重労働だ。いい寿司屋は親父が一人、奥さんと若い衆が一人か二人。席数15人ぐらいがいい。4月19日、48年通っていた寿司屋が店を閉めた。赤坂旧TBSのすぐそばであった。理想の店であった。小上がりに2名小さな襖で間切って、4人掛けのテーブルが2つ、カウンターは8名ぐらいが座れた。TBSが近かったので、有名なタレントさんや役者さんが多く来た。このままでよかったが、バブルが来た。親父は店を大改装した。さらに増改築を重ねて広い広い店となった。2階には大広間をつくり、カラオケまで設置した。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いだった。夜8時頃まではクラブの女性と同伴する男が入って来ても入り切れなかった。韓国人も多く来た。土地成金たちだ。ある夜、私がお客さんを二人連れて行くと、カウンターは満席、奥座敷もテーブル席も満席だった。そこに10数人カメラを持ったクルーが入って来た。当時、総理大臣だった森喜朗が来る店というので取材に来た。総理大臣や取り巻きは別の入口から2階へ、店の中はゴッタ返し、私は大切な客と一緒だったので、店の親父に大きな声で、「オイ! オレを取るのか、たまに顔出す森喜朗を取るのか、ハッキリしろ!」と言った。親父がオロオロとし、私の腕を強くつかんで店の外に引っ張り出した。「すぐ帰りますから、ちょっとガマンを」と言った。カウンターにはバブリーな韓国人たちと派手な服を着たコーリヤンバーの女性。テレビ局のクルーたち。仕方なくお客さんに事情を言って他の店に行った。そんな思い出もなつかしい。親父は70歳であの世に逝ってしまった。板前たちは目に涙をためて私と別れの言葉を交わした。ケーキを持って行っていたので「みんなで食べなよ」と言った。10数人いたスタッフは3〜4人になっていた。通い詰めた店が一つ二つと閉めて行く。寿司屋はチェーン店みたいのが残っているが、やがて人手不足で閉める店が増えて行くだろう。後継もいない。寿司は女性が握れないという特殊性がある。ずっと前、大親友とキー・ウエストに行ったとき、黒人の板前が寿司を握ってくれたことがある。実に複雑な寿司の味であった。ロトイ(トロイ)若い衆を「しっかりしろ」とゴツンとやると、すぐ辞めてしまうらしい。日本は職人の国である。ちなみに赤坂の寿司屋の親父は、4月11日にすでに亡くなっていた。18日、私たちが行ったとき、みんなそれを黙っていた。広い店内に客は一人もいなかった。かなり前から私は予約していたのだ。最後に、森喜朗一派は小泉純一郎が総理大臣を辞してから、すっかり来なくなった。自分の金で食べるにはちょっと値が高い。(文中敬称略)


2019年5月16日木曜日

「退職代行」

「典型的自己利益追求」。人間関係を損か得かだけで進めて行く。これはこれで至極分かりやすい。当世の現実的生き方だ。「退職代行」に依頼殺到という大きな記事が5月14日の東京新聞にあった。会社を辞めたい。でも言い出せない。もうどうしよう。そんな悩みを抱えている人に代わり、退職の意思を伝え、必要な手続きをするのが「退職代行」だ。私のような欠点だらけ、圧力的(そう感じる人が多い)アレを調べてアレを買って、アレはどこへ行った。一日中ワサワサしている人間、今言っていたことがすぐにコロコロ変わる(君子は豹変する)。このバカ面倒見切れない。そんなところに退職願いなどはない。「アバヨ、サヨナラ」で終わる。在職1年ぐらいの人は社内でイロイロ買って来て送別会、2年以上になると外でやっている。私は一切出ないことにしている。最後ぐらい嫌な顔を見させないという気遣いなのだ。「退職代行」を頼む年齢は10代から60代、とくに20代から40代が多く、会社の規模も従業員数千人の正社員が多いという。会社がホワイトでもブラックでも上司が退職願いを受理しないケースもあるという。大企業ともなると退職手続きも面倒くさいようだ。料金は5万円ぐらいが相場のようだ。その点小さな会社はメール1本で「辞めます」というケースが多いようだ。近々この国もアメリカと同じになり、“朝出社して昼には終わり”というようになるだろう。アメリカのビジネス街では、上司に高級ランチを誘われたら、ほぼアウトという。もっとも慣れたもので、あっそう。じゃすぐライバルの会社へと行くのが、日常茶飯事なのだ。日本もこうなって行くだろう。私は私へ退職願いを出せないでアクセク働いている。いつものグラスに酒を入れ、シラス干しと明太子で一杯飲みながら映画を観た(アイルランドの作品「ローズの秘密の頁」)。生まれたばかりの子を殺めたのは(?)、おへその緒を切るためか否か、子の親は神父かそれとも英国兵士か。40年間精神業院に入れられ続けた。老女が聖書の中に書き続けた真実とは。アイルランドの空は鉛色に重い。人間の過去のように。



2019年5月15日水曜日

「谷口浩さんという凄い人」

私は高校に2年とちょっと在籍した経験がある。そのうちほとんどサボッていた。1年生のとき、中野の中学から来たひとりの男がいた。この男は野球部にいて、背は高く体もゴツイ、かなり美男であった。高校を卒業後、大学へ進み日本テレビに就職し、プロデューサーとしてドキュメンタリー番組の名作を手がけた。三里塚の闘争では民家を借り、そこにこもり何年も取材を続けた。ガッツがありヒューマニストであり、正義感の塊で、名幹事でもある。今でも彼の労によって年に何回かクラス会みたいなものをやっている。金を賭けない麻雀とか、落語の会とか、仲間の別荘に集まって温泉気分を味わうとか、とにかくキャプテンシーがある。彼はFAXとか手紙でいろんな人を紹介して来る。過日1冊の本が送られて来た。著者は谷口浩(タニグチヒロシ)さんだ。1972年福井県生まれ。この人の人生は、まさに劇的で凄絶で希望に満ちている。谷口浩さんは本の帯にこう書いている。「『自分探し』を否定する人がいますが、僕は、やりたいことを見付けようとジタバタする人を下に見るという風潮が嫌いです。必死で生きるということは何かとジタバタするものではないでしょうか」。彼は今ステージIVの末期癌と闘っている。その中でフィジーで奇跡の語学学校を運営している。すでに2万人以上が卒業している。天国に一番近い島で理事長を務め、フィジーで上場も果たし、ジェットコースターのように資金集めに命をかけている。定期的に慶應病院に診察のために日本に帰って来る。副作用とのすさまじい闘いは、死ぬよりつらいのだ。だが、彼の教育への起業家精神は後退することなく、絶えず前へ前へと向かう、フィジー共和国は7人制ラグビーのW杯で優勝した国だ。ラグビーの鉄則「GO! AHEAD(前へ)」が徹底されている。五体満足のチンタラ人間にぜひ読んでもらいたい。中央公論新社「FREE BIRD 自由と孤独」。近々、診察に来るので友人がぜひ会わせたいと計画してくれている。1日中PCにへばりついている人間ばかりになってしまったが、こんな行動的な日本人もいる。それにしても抗癌剤の副作用とは、生き地獄に等しい。人間は少々金を貯め込み、守りに入ると天はそうさせじと必ず不幸の連鎖を荒波のように押し寄せる。今、日本中で起きている凄惨な身内同士の数多くの事件は、ここに原因がある。近親憎悪なのだ。人のために使ってこそ金の価値がある(私はもうスッテンテン)。金持ちはフィジー共和国へぜひ投資してほしい。アメリカのユダヤ人成功者は天を恐れ寄付活動をする。谷口浩(タニグチヒロシ)氏に会える日を楽しむにしている。癌と闘いながら世界で2番目に大きな語学学校を設立した革命家だ。きっと癌も克服するだろう気力を、本を読んで確信した。

 


2019年5月14日火曜日

「ケ・セラ・セラ」

新聞業界の凋落が激しくなってきている。一応信用できる協会として一般社団法人日本ABC協会というのがある。それによると新聞発行部数ダントツトップの読売新聞の部数減が激しい。2月だけで前月に比べて15万部近く減った。前年同月比では43万部近いマイナスで直近の1ヵ月で年間の3分1を減らしたことになる。販売店へのいわゆる押し紙を入れると実数はもっと減少しているはずだ。かつて読売ジャイアンツ、朝日インテリ、毎日ノンポリ、産経右翼と言われていたが、人はそれぞれ新聞を読んでいた。新聞のレイアウトや紙面づくりは、読売がいちばん上手い。また、コラムに使う写真は秀逸である。先週末「チワー、スミマセン。新聞ですけど夕刊だけでも3ヵ月取ってくれませんか?」と、洗剤やら何やらを持って来た。「オレンチは“アカハタ”だから」と言うと大抵「そうすか」と言って引き下がる。これは逃げ口上。職業柄、読売も産経も読む。朝日、日経、東京は定期購読をしている。私のお世話になっている広告代理店の社長が、すかいらーくやガストなどのグループで無料で読売新聞が読めるサービスを考えて大成功した。ビッグアイディアである。人間の知識向上にも大いに役立っている。新聞は一部勧誘するにも大変な時代となっている。スマホやiPadで十分だと言う人が多い。ルノアールというサラリーマンのオアシス的な喫茶店がある。客のほとんどが新聞と煙草を楽しんでヒマつぶしをしている。一種独特の雰囲気があり、女性には入りにくい。私はルノアールのミックスサンドが大好きで時々入る。マッタリしたムードの中で食べるミックスサンドは格別によくできている。一度ぜひ立ち寄ってください。ルノアールは上場企業だが、主語のない文章の世界、主役のいない映画の世界、無気力と怪しげな金儲けの、独特の世界が観察できる。サラリーマンからは、ケ・セラ・セラのように感じる。そんな虚無感を肌で感じる。そして裏社会の人たちがどんよりした目を光らせている(見ればすぐ分かる)。喫茶店「ルノアール」と絵画の巨匠「ルノワール」は、えらい違いなのだ。今朝「ケ・セラ・セラ」を歌ったドリス・デイが死去したニュースを見た。アメリカファーストの代表のような歌手&俳優だった(97歳没)。


2019年5月11日土曜日

「三色のボールペン」

「ウルセイ!! いい加減にしろ」と言いたいことが列車の中では起きる。人間は単調な同じリズムや音をずっと聞いていると、「ウルセイ!」と言いたくなる。例えばメトロノームをずーっと聞かされる。柱時計の音をずーっと聞かされる。イビキやハギシリも同じだろう。成田離婚の原因の一つに、新婚旅行のイビキとハギシリがあるという(?)。昨日朝8時半頃、私は東京へ向かっていた。10時までに届ける大切な提出物があったからだ。朝刊2紙を持ってグリーン車に乗った。この時間は混む。空いていた席になんとか座れた。窓際に345歳の大柄の会社員風の方が、目の前にあるデスク板を引き出し、ボールペンを忙しくノート上に動かしていた。男は黒、赤、青の三色のボールペンを使っていた。何を書いているのか、大学ノートにポチッと黒、ポチッと赤、ポチッと青を繰り返す。はじめは全然気にならなかったが、じっと聞き出すと、そのピッチは実に速い。ポチッ、ポチッ、ポチッと続く。藤沢、大船、戸塚あたりになると、そのポチッ、ポチッ、ポチッが気になって、気になって仕方ない。チョコッとノートを見ると、三色を使って几帳面に何やら写し書きをしていた。横浜、川崎まで来ると、私はもう我慢の限界に来ていた。「ウルセイ!」と思い、実は何も言わず空いた席に移動した。私はかなり成長をしていたのだ。だいたい朝の列車の中でいかにも仕事をしているような奴は、使いものにならないのが多い。私も三色のボールペンを使うがこれからは気をつけようと思った。知人の精神科医が言っていた。まっ白い部屋に椅子一つ、それに座らせて一日中同じリズム、同じ音を聞かせ続けると、10日間くらいで気が狂い出すという。海外では思想犯を拷問するときに使うと言っていた。まっ白い空間というのは、人間を情緒不安定にする。キレイ過ぎる空間も同じらしい。無頼派と言われた小説家、故坂口安吾の有名な写真。書き損じた原稿用紙の雑然とした中で、ペンを持つ姿が憧れであった。キレイな部屋の一室で、パソコンを打つ小説家を私は買わない。


2019年5月9日木曜日

「夢の離婚(?)」

5月7日(火)、東海道線の終電に品川駅から乗った。10連休明けで混んでいると思ったが意外にもすいていた。4人掛けに私ひとり。隣を見ると278歳の女性が完全に熟睡していた。窓際に第三のビール、本麒麟の赤い缶が置いてあった。友人の小説家と一日一回しか上映しないドキュメンタリー映画を渋谷で観た。品川まで一緒に行き駅で、「そんじゃ、また明日よろしく」と言って別れた。キップを買って改札口に向かうと、旧知の友人が「オー、オー、オー、久しぶり」と言って近づいて来た。「オー、オー、オー、何やってんだよ」と言った。「年金暮らしだよ」と言った。終電まで1時間ほどあったので、ちょっと一杯飲むかと、駅の脇にある大衆食堂みたいのに入った。かつてCM界のヒットメーカーだった共通の友人、故市川準さんの思い出話となった。あの人は、はにかみ屋であった。世田谷に立派なコンクリートの邸宅を建て、その前で子どもと記念写真を撮り、写真ハガキを送って来た。一行独特のふんわりした文字で「ボクには似合いませんよね」と書いてあった。何しろ売れに売れ、ほとんどをヒットさせた。年金暮らしの元演出家は「今、オレは年金暮らしで何も仕事をしていないんだ。ずーっと連休、ずーっと毎日が日曜日、家にずーっと居ると女房の目が恐いんだよ。市川準さんの『亭主元気で留守がいい』女房の目にそう書いてあるんだ。だから毎日、『ぶらり途中下車の旅』をやっているんだ。今夜はその仲間と京急巡りをしていたんだ。一日は長いね。仕事をやっているときは、あっと言う間の一日が、何しろ長いんだ」。ふたりでフライドポテトとチーズを食べた。CMの世界はどんな売れっ子も、死んだりしたら48時間でほぼ忘れられる。「オッもうすぐ終電だ。また会おう。メールは?」と言うから「全然できない。携帯に電話をくれ」と言った。ある説によると、夫が毎日家でゴロゴロし、シャワーも浴びず、髪も整えず、パジャマのままでオナラしながら新聞を読み、テレビのバラエティを見ていると、99.9%の女性は一度は夢の離婚を考えるらしい。午前1時半頃家に着きテレビをつけ、服を脱いでいると、夢の離婚(?)をずっと考えているヒトが階段から降りて来た。「結婚へは歩け。離婚へは走れ」という格言がある。夫はつらいよなのだ。友人と観た映画は『チカーノになった日本人』。いずれとんでもない人生の姿の詳細を書く。



2019年5月7日火曜日

「令和の先に」

令和初の400字のリング。休み中にインプットした作品。向田邦子のドラマシリーズ「いとこ同士」、「終わりのない童話」、「空の羊」、「響子」、「風を聴く日」、「小鳥のくる日」、「華燭」、「風立ちぬ」、「あ・うん」、映画は「黙秘」、「猟人日記」、「ファウンダー」、「検察側の罪人」、「女神の見えざる手」、「二重螺旋の恋人」、「目撃者」、「上意討ち」、「赤ひげ」、「ヘル・フロント」、「イコライザー」、「ハンニバル・ライジング」「フューリー」、「泣く男」、「ゲットアウト」、「告白小説、その結末」、「LBJ」、「ファーナス」、「ミッシングレポート」、「項羽と劉邦」、「遠雷」をこの休み中にみた。目標に5本足りなかった。政治的に画策された10連休。雨で始まり、雨のち晴れで終わった。令和、令和であった。この国はいつでも戦前に戻るなと思った。憲法記念日の新聞やマスコミが、平和憲法について詳細に触れてなかった。(特にテレビ、東京新聞は大きく扱っていた。)衆参同時選挙が決まった瞬間、橋下徹一色になると予感した。通販で買った「映像の昭和」全10巻、その中のヒトラーの演説を見ていたら、そう思った。橋下徹はブームを呼びきっと入閣するだろう。国民のアンケートによると、憲法改正に肯定的な数字が多い。ジワジワと改正への道を広げている。五木ひろしのヒット曲に「ふりむけば日本海」というのがあるが、「ふりむけば日本壊」だ。平和ほど大切なものはない。このあたり前のことが世界で唯一の被爆国である、日本にとって、〝あやふや〟となっている。この連休中に学んだことは、人間という動物は「分からない」。この単純な事であった。そして、人間は果てどなく争い続ける。蛇とマングースのように。(文中敬称略)

この二本の女性は恐い。