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2021年9月25日土曜日

つれづれ雑草「茶碗蒸し」

ヒトの命以外何んでも金さえあれば買える世の中で、何よりのものは手作りの料理だ。電子レンジでチンすれば、ソコソコの味が何んでも食べられる。ある企画をカタチにするために、2122日と北海道に行って来た。ドキュメンタリーの作品作りは長い旅と同じ、その一歩を進めた。コンピュータの達人と、写真家の達人と一緒であった。あるご家族の家に取材に行った。そしてデパートの食品売り場に売っていない、最高の味に感激した。お料理が上手な奥さんを選んだご主人は幸せ者である。又、そのお子さんもベリーハッピーである。私は手作りの茶碗蒸しを奥さんに作っていただき、久しぶりに手作りの味を食した。奥さんの作品は本格的であった。特にうれしかったのは、ギンナンの替わりに、大好きなクリが入っていたことだ。茶碗蒸しはやわらかすぎてもダメ、固すぎてもダメ、丁度いい味を作るには、上から下へ段々やわらかにする。絶妙の時間を必要とする。シャケのムニエル、シシャモのオスとメス。メスは卵を腹いっぱいにふくらまし、その味は野性的であり、オスはスレンダーで繊細な味であった。茅ヶ崎のスーパーに出ているシシャモは、細々としてメザシみたいだ。きっと韓国産か中国産だろう。他にもいろいろごちそうになった。デザートとして手作りの、チーズケーキをいただいた。私はこのところチーズケーキ大好きなのでサイコーだった。中秋の名月から一日ズレていたが、帰りの飛行機の窓の横に、10円玉位の大きさの名月が、きれいに輝いていた。人間はあの月に行ったのかと思った。奇蹟は起こすためにあるのだ。家に帰って二日分の新聞を読んだ。9月21日東京新聞一面の大見出し(夕刊)「少年院 保護犬と更生歩む」読むと、千葉県八街市(ヤチマタ)にある八街少年院では、保護犬の訓練を取り入れ、非行少年たちに、保護された犬が家庭で生活できるように教える。ある公益財団が実施している。全国で初の試みとか。犬は人を肩書きで判断しない。大人や社会に不信感を持つ少年でも心のよろいを剥がせると八街少年院の人は言う。非行少年たちは、保護犬を自分の犬と呼び、なんとかしてあげたいと思うようになる。それが更生に結びつけられたらと願う。飼い主から捨てられた犬、社会から捨てられたと思ったりしている少年たち。それを癒してやれるのは、「愛情」でしかない。コロナ、コロナで言葉をマスクで失った今の乾いた社会、動物たちが人間を励ましてくれている。落花生で有名な八街市にいい事をよくやってくれたとお礼を言いたい。人生は何度落下しても生きていれば夢が追える。9月2223日、日経新聞社会面の4分の1を使った記事の見出しに、目を奪われた。22日、『寝不足日本が失う15兆円』睡眠時間OECD最下位「寝ないと渡り合えない」と中見出しがあった。要するに日本人の平均睡眠時間は7時間22分、加盟国30ヵ国でビリケツ。全体平均は8時間24分、一時間も少ないのだ。寝不足は、集中力を欠き、思考力も記憶力も低下、いいアイディアや、いいヒラメキを妨げるのだ。ちなみにアメリカは45兆円、ドイツ6.5兆円、イギリス5.4兆円の損失と試算されている。不眠症の私は平均4時間位で、大損失していたのだ。23日、大見出し『スリープテックで質磨く』中見出し「1.5万人の分析 寝返り・いびきに家電連動」「できる社員 寝付き良く」とあった。寝具大手メーカーと、家電大手メーカーが、コラボレーションして、いかに健康的でいい睡眠を得るかを開発している。老舗のデータと先進のIoT技術を結びつけて、睡眠環境を最適にする。コロナ禍で寝具にお金をかける、そのことに本格的に目覚めたのだ。元来日本人は寝具は畳んでおし入れに入れてかくすものと思っていた。海外では寝室も生活の一部として見せるのも珍しくない。日本人の多くは、リビングやキッチンにはお金をかけるが、寝具はニトリとか、通販ものとか、テレビショッピングでいいと思っている。それはまい日ダニとかカビとか、ハウスダストを吸って寝てるのと同じだ。東洋羽毛工業株式会社の高級羽毛ふとんをおススメする。直販はしていないので、「oluha(オルハ)」で検索してほしい。安物買いの銭失いと言う。高級な眠りの追求は、世界的な潮流なのだ。9月24日午後三時四十八分、左腕にブスッと二度目のワクチンの針が刺された。信頼しているドクターが刺してくれた。副反応は分からない。現在約8時間経過中。自民党の総裁選は、何やら学級委員会選びみたいになっている。このままだと、二階派の40数票が決選投票の決め手になりそうだ。百戦錬磨の老人が、キングメーカーとなる。三歳の子を熱湯で殺したバカヤローが捕った。この国に隣人愛は無くなっている。知っていながら知らないそぶりなのだ。バカヤローは、釜ゆでにして殺してやりたい。摂津市役所は本当に役立たずの死役所だ。誰れが総理大臣になっても、来年の夏までの命だろう。恩義も義理も友情もない。永田町はこれからが盛夏だ。連合の会長に初めて女性が選出されたとか、時代は確実に「女の時代」だ。これはずっと昔の西武百貨店のキャッチコピーだった。銀座ggg(スリージー)で、敬愛する葛西薫さんの展覧会を開催している。すばらしい作品ばかりだ。いよいよベン・シャーンを超えたねと電話をした。北海道生の大天才だ。ぜひ行って薫風に出会ってほしい。戦には足し算と足し算は、引き算という格言がある。河野太郎プラス小泉進次郎に石破茂がプラスされて、「小石河連合」となった。これで反石破茂が引き算となった。承久の乱とか応仁の乱、戦国時代に学んでいない。さて戦略と戦術にすぐれた陣立を組んでいるのは……。アメリカの望む者は、菅総理はそれを聞いて帰って来るのだろう。これから知性を持ったサイコ女性の恐ろしさを描いた秀作「ゴーン・ガール」を久々に見る。(結婚して夫に殺意を持つ妻と、その妻を嫌悪する不貞の夫。)朝になったら副反応が楽しめるはずだ。
                               (文中敬称略)




2021年9月18日土曜日

つれづれ雑草「ハンタン」

久々、久々、ホントにおひさしぶりに中華料理店「菊凰」に行った。午後一時十八分頃であった。昼の定食はもうすぐ終る。私は同僚と二人。お客さんが入って来るが、座るところがない。スイマセンお相席をと言っている。私たちは四人席に二人であった。ずっと昔は若かった女性が二人。厨房に二人、出前が一人。最強の陣容は変わっていない。アタマの中は五目中華だったが、メニューを見て気が変った。同僚は中華丼を頼んだ。この人は玉子が大好きなので、カニ玉を分け合うことにする。焼売が旨いので五個頼む。何かスープ系をと思いハンタンを一つと言った。同僚がハンタンって何(?)と言う顔をしたので、ワンタンのハンブン、つまりハンタンなのと言った。コロナ禍で体重が増えているので、メンやライスはなし。これが実に旨かった。四人掛けが三つ、二人掛けが一つ、六人掛けが一つである。私たちの横に三十歳位の女性が座っている。黒いブラウスに白いカーディガン、白いレース柄のスカートに、黒のローファーシューズ。髪は長く肩ほどまである。残念ながら美人とは言えない。おねがいします、ラーメンと半チャーハンセットをと頼んだ。菊凰のチャーハンは、半分でもよその一人前位の量がある。女性は盛んにメールを打っている。シューズから両足を抜いてリラックスだ。菊凰は安くて旨い。そして早い。私たちは、カニ玉、ハンタンを取り分けていた。女性はまずラーメンから攻め出した。体が熱くなってきたのか、薄手のカーディガンを脱いだ。かなり、丈夫そうな二の腕である。レンゲではなくスプーンを使って、チャーハンへの攻撃に移った。時々お通しみたいなザーサイを食べる。その間メールを打つ。チャーハン、ラーメン、ザーサイ、メールの順を規則正しく繰り返す。一人きりのランチは、さみしそうであり、気楽でいいじゃん、みたいでもある。定食という二文字は実にいいなと思った。決められたものから選べばいいので、悩まないで済む。定食なのでほぼ同類だから、平等な気分になる。北京ダックをくれとか、鯉のカラ揚げ五目がけも、なんて奴はいない。マーボ定食、カニ玉定食、五目ヤキソバ定食、ホイコーロー定食などだ。私はハンチクな人間なので、ハンマ、ハンタン、ハンヤキ、ハンブタとか半分ものを頼む、量は半分でも料金は全部と同じなので、お店に迷惑をかけないのだが、他のお客さんは、こいつ何を頼んでるのかという顔をする。(している気がする)マァ~いいじゃないの、菊凰とは長い付き合いなのだ。女性はチャーハンがノドにつまったのか、ヒクッ、ヒクッしながら水を飲んでいる。それでもテーブルの上に置いたスマホでメールを打っている。一度、タンタンとしたタンタンメンをと頼んだ時、よく理解できなかったのか、厨房からご主人が出て来た。私がタンタンメンとタンメンの中間位のやつと言ったら、実にいい味、丁度いいカラミの美しいメンが出て来た。スープは怪しいピンク色だった。私はフツーじゃないメニューを、楽しめる店を好む。メンハンビーフもいい。メン半分、ビーフン半分。シューザは、シューマイとギョーザ半々だ。さて腹ごしらえした後、同僚と仕事場に一度戻り、銀座まで買い物に行った。街はしんなりとして元気がない。午後三時頃松屋のところを歩いていたら、オヨヨ、あのラーメン、半チャーハンの女性が同僚らしき男性と女性の三人で、何やら楽しげに(マスクしていたのでよく分からないが)京橋の方向に歩いて行った。何故分かったかと言えばキラキラのビーズ玉のついたケータイ入れが特徴的だったからだ。やっぱり東京に出ると人間観察がオモシロイ。銀座はやはりいいと思いつつ人形町に向った。「美味礼賛」という本にあなたが何を食べているか教えてくれたら、あなたが分かる。みたいなことが書いてあった。私は美味とは縁がないが、定食系には縁が深い。勿論アレンジをしたりする。道ゆく人を見て、その人に定食のイメージをする。サバ味ソ定食だなとか、ミックスフライごはん大盛りとか、ちらし寿しお吸い物つき、ミニモリ+ミニカツ丼だ。オッきっとチャーシューワンタンメン+メンマそれを脂っぽく。(甥っ子が好きなんです)昭和通りのハンバーグ専門店はトリプルハンバーグに、トリプルエッグ、ごはん大盛り+ポテトサラダもペロリと食べる若いOLさんに、人気の店だ。久々に銀座を一歩ずつゆっくり歩いた。コロナ、コロナで運動不足、足がやけに固くて重い。アジの開きみたいなメガネ男とすれ違った。最近美味なるアジの開きを食べていない。江の島駅のそばに一軒、いいアジを売っていた店があったが今はない。私は開き物大好き、アジ、サンマ、カマス、金目、それら一品に、白いごはんに黄色いタクアン、黒々とした海苔、赤い梅干し一個あれば、どんなフルコースよりウレシイ。美人は三日で飽きるというが、高価な美食も三日で飽きる。それにしてもお隣りの半島を、半分に分けているが、なんか仲良くならないのかな。喧嘩の仲裁には時の氏神をという。誰か指の半分も詰めて、これで何とかまとめてくれと一人で行けば、手打ちに向うかもと思う。で、ハンビンハンレーだ。(ビビンバ半分に半分のレーメン)真露JINRO)で乾杯、乾杯だ。そして半島にピースを。




2021年9月11日土曜日

つれづれ雑草「行間の愛」

「顔じゃない」これは大相撲の世界で使われる言葉だ。上の者が下の者に対して言う。お前は未だ俺と五分じゃないんだよ、顔を洗って出直せ、みたいなかんじに使われている。ヤクザ者の世界では、十年早いとか、貫目が足らない、そんなことを表わす。もっと命がけで自分を磨け、そしたら座布団の位置を変えてやる。子分が親分に独立して一家を持ちたいと話を持って行くと、こんなやりとりがあるらしい。最も今では子分を使って(忖度させて)コトを起こすと、親分の体で償いをさせられる。(死刑もある)でもって親分になりたがらないかも知れない。白い巨塔だろうが、黒社会だろうが、ピンクの社会でも、アタマ(トップ)を奪い合う時は、実に多彩な日本語が使われる。カラ揚げや串揚げより、一時は人気があった、叩き上げの菅義偉総理、総裁がずい分と脆く、わずか一年でやっとこ登りついた山を下りることになった。ギブアップ宣言である。やはり野に置けレンゲ草であった。コワモテであったが、逃げ足は速かった。七年半ウソ八百をつき通した人間とは、その執念とか、遺伝子が違った。役者が違ったのだ。(別にホメている訳ではない)第100代総理大臣は誰か、初代伊藤博文は、病的と言っていいほどの女性好きであったようだ。つまりよく遊ぶだ。若い頃からそうであった。(英雄色を好むとも言う)岸田文雄、高市早苗、河野太郎が九月十日時点で出馬表明した。キモチ悪い目つきの石破茂は、20人が集まらない。いつもの能書きで終わる。石破派は事実上消失だ。野田聖子はダンナが会津小鉄会系昌山組の人間だったと、認定されていたらしいので、論外だ。(スツ堅気になっていても、黒い過去は引きずる)いざ鎌倉! となった時に、どう動くかで人間の器量がわかる。岸田文雄、高石早苗は、余り身近でないが、河野太郎は私たちの選挙区選出である。(私は一票を投じてないが)親分麻生太郎に何度も協力を求めるその姿はイジマシイ。このまま行くと、麻生派少し、二階派少し、石破派少し、菅一派少し、それに小泉進次郎、まるでピカソのゲルニカのような顔になってしまう。もともと麻生派内では、アイツは離れに住んでいる奴(本当の住人じゃない)と言われていた。あ~嫌だ嫌だ。さて、アメリカは次は誰にしろと命じるのだろう。岸田文雄は親中的であった。高市早苗だと中国は国交断絶するとオドスだろう。脱原発の河野太郎は論外。自民党幕府は事実上終ったに等しい。大局観を持った人間が求められる。100代目もすぐ辞める。(来年の参議院選挙で負ける)101代目こそ重要な人間の出番となる。それが与党か、野党からかは国民の清き一票、マスコミの正しい報道から生まれる。小選挙区をやめて、中選挙区にしたほうが人物がでる、それを考える時が来るだろう。かつの「三角大福中」三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘。それなりに「顔」であった。小選挙区しか知らない虚弱な若い議員は、顔を求めて右往左往する。議員会館は広くて美しい。まるで一流ホテルだ。落ちればダンボール箱を持ってすぐに出て行かねばならない。最も敗けて学ぶの格言もある。国家100年の計を持った人が出て欲しいと思う。その意志、岩の如くだ。「ロマンスドール」という映画を見た。画家のためのヌードモデルのアルバイトをしている女性が恋した男は、ダッチワイフを作る会社に勤めるアート職人だった。より本物の女性に近いものを作るために、男はその女性を必要とする。顔より肉体である。女性役を蒼井優、男の役を高橋一生が演じる。本物の女性とダッチワイフ。そのピュアな愛の結末は。「愛を読むひと」を久々に見た。1995年初老の法律家が惰性の生活の中で少年の頃を思い出す。15歳の少年だった時、あるキッカケで市電の車掌の女性と出会う。歳はずっと違う。が二人は強く求め合う。初体験の少年と、愛を知り尽くした女性、文盲で本を読まない女性は、少年に本を朗読してもらう。ホメーロスのオデュッセイア”“ チャタレイ夫人の恋人いろいろな本に女性は反応する。小説家は一行一行の間に、本当に書きたいことを書く。つまり読者にイメージを広げてもらうために、本当に書きたいことは書き残さない。行間の愛だ、それはある日女性が住んでいた、裏街の安アパートメントから消えることで終わる。そして月日が経ち、再会したのはナチスドイツの戦犯を裁く法廷だった。1922年生まれ43歳であることを知った女性は、被告席に立っていた。女性はアウシュビッツの収容所で、命じられるがままに、殺されゆく人々を選別していた。女性は収容所の中で、若い男を選び本を読ませていた。死の行進の前まで。大学生になっていた男は、勉強のために裁判の見学に来ていたのだった。そして……。スティーブン・ソダーバーグの、名作「セックスと嘘とビデオテープ」を久々に見た。人間は単純にして、実に狡猾に造られている。悪魔はいつも微笑みながらやって来る。ニュース画面では河野太郎が嘘を隠して不気味に微笑している。無期懲役となった女性のところに、本を朗読したテープが差し入れられ続ける。ずっと、ずっと、ず~と。女性は老いて行きながら、文字を学んでゆく、そして……。初老になった男は、毎晩のようにマイクに向かって朗読しテープをつくる。初体験の女性のために。(文中敬称略)




2021年9月4日土曜日

つれづれ雑草「勝南桜」

日本を代表する大マスコミが、菅義偉総理退任を読んでなかった。週刊文春のみが前々週号の大見出しで、九月九日首相解任と報じた。知人の週刊誌遊軍記者が、文春の編集長はこの記事に首をかけていると言った。もし外れていたら、首相官邸から徹底的に追い込まれるはずだから。九月九日ではなかったが九月三日退任した。本人はヤル気十分だったが、すでに外堀はすべて埋められていた。策士は策に溺れるの教え通りに。「安心――それが人間の最も身近にいる敵である。」(シェイクスピア)菅義偉総理のいちばんの敵は、自分自身だったのだ。又、ユダの存在に気づいていなかったのだろう。きっとユダの動きを週刊文春はしっかりと追っていたのだ。朝日、読売、毎日、産経、日経、NHK、NTV、TBSなど記者クラブの主役たちは、全くの間抜けであった。政治部の部長は全員辞任すべき大失態である。麻生太郎風に言えば、オイ、岸田よ、菅はもう持たねえぞ、オマエの親分古賀誠を切れや、それでよ、俺とアベでよ菅のあとを継がせっからよ、それと二階のジイちゃんを終りにする策を突きつける。幹事長と財務大臣は、アベと腹合わせするからな。何、河野だ、高市だなんて、推薦人の20人集めるのがやっとことだよ。流れをつくれや流れを。菅の地元横浜じゃよ、藤木のドンと、市長選で負けた小此木一派が反目に回っているから、総裁どころか菅自身の選挙が危ないんだからヨオ。がんばれよ、岸田。酒だけ強いのじゃなくて、戦に強くだぜ。なんて私は想像したりする。ちょんの間の権力者の末路は哀れなものである。いつの時代も同じだ。安倍政権は俺で持っていたんだという錯覚が、自分で自分の影を大きくしてしまった。桜を見る会の問題により、検察を抑え切れなかった時点で、安倍晋三は怒ったはずだ。モリ、カケの火種もある。つまるところ国民とか、コロナ禍なんてどーでもいいのだ。自分たちの権力さえ守れるならば。恐い恐い世界の話だ。今頃週刊文春は乾杯(ノンアルコールで)しているだろう。これはこれとして、私にとってこの力士が土俵を去るのが残念だ。私の地元出身の「勝南桜」(旧服部桜)がついに引退して、今月七日に断髪式を行なっていた。二十三歳であった。序ノ口で104連敗中であった。七月の名古屋場所限りで腹を決めたようだ。2015年初土俵を踏んだ。19年初場所の6番相撲から白星がなく、異例の大型連敗で話題を呼んだ。通算成績は3勝238負1休であった。一日一日頑張っていた。この努力を第二の人生につなげてほしいと、式秀親方は語ったようだ。元勝南桜さんすばらしいではないか、私はあなたにぜひ会いたいと願っている。ふんどしにサインしてチョーダイ。(きっと勝運がある)どんなにつらく苦しくても、夢を追っている人に敬意を持つ。新聞で見た横綱照ノ富士の土俵入り写真に、私は深く一礼をした。身も心もボロボロになってから復活した。政界は一寸先は闇という。妖怪二階俊博がこのまま終るとは思えない。菅義偉総理が持つ、膨大な秘密資料はさてどうなるか。恐い恐い世界だから。ある賢人曰く「歴史は大詰めを欠いたドラマだ。結末はすべて、いつの間にか同じ筋書きの繰り返しをたどっている。」つまり歴史は繰り返されるのだ。結局勝ち残るのは、霞ヶ関の官僚たちであって、今まで人事、人事で脅かされて来た者から、しばし解放される。首筋にすでに秋風が吹いていた官僚たちの、万歳の声が聞こえる。ヨイショ、ヨイショの記事ばかり書いていた、大マスコミの記者たちは、苦虫をかみつぶしているだろう。菅義偉総理の天敵、東京新聞社会部の「望月衣塑子」記者は、してやったりだろう。「新聞記者」という映画に、勇気を持って出演した、松坂桃李(官邸から情報リークをする役)は、今どんな気持ちだろうか、この作品が与えた社会的インパクトは大きい。映画はベストワンとなったのだから。エグゼクティヴ・プロデューサー:河村光庸さん、岡本東郎さん、プロデューサー:高石明彦さん。すごい気骨の人だ。週刊文春にはすでに、河野太郎のパワハラ的怒鳴り声が手に入っている。(今週号)ネット社会では秘密は守れない。小泉進次郎が、水と油を混ぜると、美味しいドレッシングが出来ると言ったとか、水と油が混ざる訳はないだろうと、さわがれたらしい。本当にネット社会は恐ろしいと思う。もし、河野太郎が総理大臣になったら、かつて原発ゼロと声高にメッセージを送っていたのが、命取りとなるだろう。言うことがコロコロと変わる変人による、変てこな国へと向う。石破茂は自民党が下野した時に、党を出て行った。能書きだけの人間である。浮気をして家を出た人間が、再び家に戻って来ても、マアヨカッタワとはならない。なんだかやけに寒いではないか、豚しゃぶにしようと決めて、シャブ、シャブした。安いバラ肉がいちばん旨い。レタスを入れるとgoodだ。「火口のふたり」という映画を見る。男と女、むかしの仲が再び会って、五日間火口のように燃えたぎるのだ。すこぶる秀作だ。荒井晴彦監督が男と女の業を、叙情文学的に描き出す。オススメ。それにしても脅迫の限りをつくして十年近く永田町を仕切っていた人間の最後の相談相手が、今ではおバカさん大臣としてその名も高い、息子のような歳の小泉進次郎だけだったとは。会社が潰れる時は、馬鹿が仲良くしているか、利口が喧嘩している時だ。天皇と言われた、ある大物銀行家の言葉を思い出す。日本の政治評論家は、ハマグリのような田崎史郎と、ホームレスのような伊藤惇夫しかいないのか。永田町のパラサイト二人にうんざりだ。取り巻きは、この冬エリ巻きにもならない。(文中敬称略)