2021年9月25日土曜日
つれづれ雑草「茶碗蒸し」
2021年9月18日土曜日
つれづれ雑草「ハンタン」
2021年9月11日土曜日
つれづれ雑草「行間の愛」
「顔じゃない」これは大相撲の世界で使われる言葉だ。上の者が下の者に対して言う。お前は未だ俺と五分じゃないんだよ、顔を洗って出直せ、みたいなかんじに使われている。ヤクザ者の世界では、十年早いとか、貫目が足らない、そんなことを表わす。もっと命がけで自分を磨け、そしたら座布団の位置を変えてやる。子分が親分に独立して一家を持ちたいと話を持って行くと、こんなやりとりがあるらしい。最も今では子分を使って(忖度させて)コトを起こすと、親分の体で償いをさせられる。(死刑もある)でもって親分になりたがらないかも知れない。白い巨塔だろうが、黒社会だろうが、ピンクの社会でも、アタマ(トップ)を奪い合う時は、実に多彩な日本語が使われる。カラ揚げや串揚げより、一時は人気があった、叩き上げの菅義偉総理、総裁がずい分と脆く、わずか一年でやっとこ登りついた山を下りることになった。ギブアップ宣言である。やはり野に置けレンゲ草であった。コワモテであったが、逃げ足は速かった。七年半ウソ八百をつき通した人間とは、その執念とか、遺伝子が違った。役者が違ったのだ。(別にホメている訳ではない)第100代総理大臣は誰か、初代伊藤博文は、病的と言っていいほどの女性好きであったようだ。つまりよく遊ぶだ。若い頃からそうであった。(英雄色を好むとも言う)岸田文雄、高市早苗、河野太郎が九月十日時点で出馬表明した。キモチ悪い目つきの石破茂は、20人が集まらない。いつもの能書きで終わる。石破派は事実上消失だ。野田聖子はダンナが会津小鉄会系昌山組の人間だったと、認定されていたらしいので、論外だ。(スツ堅気になっていても、黒い過去は引きずる)いざ鎌倉! となった時に、どう動くかで人間の器量がわかる。岸田文雄、高石早苗は、余り身近でないが、河野太郎は私たちの選挙区選出である。(私は一票を投じてないが)親分麻生太郎に何度も協力を求めるその姿はイジマシイ。このまま行くと、麻生派少し、二階派少し、石破派少し、菅一派少し、それに小泉進次郎、まるでピカソのゲルニカのような顔になってしまう。もともと麻生派内では、アイツは離れに住んでいる奴(本当の住人じゃない)と言われていた。あ~嫌だ嫌だ。さて、アメリカは次は誰にしろと命じるのだろう。岸田文雄は親中的であった。高市早苗だと中国は国交断絶するとオドスだろう。脱原発の河野太郎は論外。自民党幕府は事実上終ったに等しい。大局観を持った人間が求められる。100代目もすぐ辞める。(来年の参議院選挙で負ける)101代目こそ重要な人間の出番となる。それが与党か、野党からかは国民の清き一票、マスコミの正しい報道から生まれる。小選挙区をやめて、中選挙区にしたほうが人物がでる、それを考える時が来るだろう。かつの「三角大福中」三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘。それなりに「顔」であった。小選挙区しか知らない虚弱な若い議員は、顔を求めて右往左往する。議員会館は広くて美しい。まるで一流ホテルだ。落ちればダンボール箱を持ってすぐに出て行かねばならない。最も敗けて学ぶの格言もある。国家100年の計を持った人が出て欲しいと思う。その意志、岩の如くだ。「ロマンスドール」という映画を見た。画家のためのヌードモデルのアルバイトをしている女性が恋した男は、ダッチワイフを作る会社に勤めるアート職人だった。より本物の女性に近いものを作るために、男はその女性を必要とする。顔より肉体である。女性役を蒼井優、男の役を高橋一生が演じる。本物の女性とダッチワイフ。そのピュアな愛の結末は。「愛を読むひと」を久々に見た。1995年初老の法律家が惰性の生活の中で少年の頃を思い出す。15歳の少年だった時、あるキッカケで市電の車掌の女性と出会う。歳はずっと違う。が二人は強く求め合う。初体験の少年と、愛を知り尽くした女性、文盲で本を読まない女性は、少年に本を朗読してもらう。ホメーロスの“オデュッセイア”“ チャタレイ夫人の恋人”いろいろな本に女性は反応する。小説家は一行一行の間に、本当に書きたいことを書く。つまり読者にイメージを広げてもらうために、本当に書きたいことは書き残さない。“行間の愛だ”、それはある日女性が住んでいた、裏街の安アパートメントから消えることで終わる。そして月日が経ち、再会したのはナチスドイツの戦犯を裁く法廷だった。1922年生まれ43歳であることを知った女性は、被告席に立っていた。女性はアウシュビッツの収容所で、命じられるがままに、殺されゆく人々を選別していた。女性は収容所の中で、若い男を選び本を読ませていた。死の行進の前まで。大学生になっていた男は、勉強のために裁判の見学に来ていたのだった。そして……。スティーブン・ソダーバーグの、名作「セックスと嘘とビデオテープ」を久々に見た。人間は単純にして、実に狡猾に造られている。悪魔はいつも微笑みながらやって来る。ニュース画面では河野太郎が嘘を隠して不気味に微笑している。無期懲役となった女性のところに、本を朗読したテープが差し入れられ続ける。ずっと、ずっと、ず~と。女性は老いて行きながら、文字を学んでゆく、そして……。初老になった男は、毎晩のようにマイクに向かって朗読しテープをつくる。初体験の女性のために。(文中敬称略)