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2022年10月29日土曜日

つれづれ雑草「三条河原」

ぐっすり眠った朝はきっと気持ちいいだろう。しかし全然眠らずに迎えた朝は気持ち悪い。レンドルミン一錠、サイレース一錠、リフレックス一錠を早朝五時頃に服用したのだが、効果なし。ここで酒を投入すればなんとかなるのだが現在禁酒中なのである。実はアメリカの連続ドラマ「マンハイト」を一気に見て頭がコーフンしていた。実話の物語で13度もテロ行為をした。ハーバード大学を最優秀の成績で卒業した、IQ160近い大天才の数奇の物語である。14歳位ですでに飛び級で進学した神童である。この並外れた才能をアメリカ国家FBIは利用すべきと考える。産業革命以来人間は機械によって支配されて来た。我々は国家に全て監視され自由はない。その家のルーツは何から何まで調べ上げられている。アメリカのドラマの主人公は産業革命後のデジタル社会に警告を発すべき爆弾テロを起こし続ける。この男が正気か果たして精神異常者かが、全米注目の法延のなかで判決を迎える。その判決は終身刑3回というものであった。元電通の高橋治之がついに全てを謳ったようだ。皇室系の竹田恒和は急いでパーク24の役員を辞めた。その以前にパソナの竹中平蔵も辞めた。逮捕近しの情報をつかんだのだろう。悪の元凶、森喜朗の病状悪化の情報が流れ、入院を画策して逮捕を逃れる作戦のようだ。悪者にぐっすり眠れる日はないだろう。「青空は牢屋の窓から見た時が最も美しい」とは故太宰治の言葉だ。ここでいう「青空」とは芸術、文学であり、牢屋とは俗世間の身内の桎梏、不条理な私の心の喩えである。と友人に書き綴った。我々は今心からの青空を見ることはない。アメリカのドラマではないが、大天才は機械文明の進化をいち早く見つめ、社会の崩壊を見た。だからと言ってテロリズムは許されない。天才と狂人は紙一重なのだ。人類にはこれから誰もが予想しない出来事が起き続けるだろう。拘置所の窓から青空や夜空を見ることも少ないだろうが、高橋治之、角川歴彦、その使い走りが拘置所の中から窓の外を見ている。人を見下ろして来た人々のザマだ。東京の練馬に(東京少年鑑別所)通称ネリカンという所で歌われている有名な歌がある。ネリカンブルースという。ネリカン窓開け空見れば あの星あたりがスケのヤサ(彼女の家)スケチャン今頃何している……。写真片手に目に涙。少年たちにはたくさんの明日があり、やり直しの機会も多い。が、7085歳に近い老人にとってやり直しの機会はない。ジ・エンド終りである。死を待つばかりの中でこれからお互いに罪をなすりつけ合うだろう。「人間と金」うんざりするこの関係は、我々にゆっくり眠りを与えてくれない。世の中はどんどん悪くなっていく。子どもの引きこもりが増加している。政府が出したはじめに総額ありきの補正予算に、子どもたちの将来への投資はない。芸術文化への予算もない。「国破れて山河あり」というが、国滅びて明日がない。私が少年時代に憧れていたボクサー「矢尾板貞雄」さんが86歳で亡くなった。1959年矢尾板貞雄vsパスカル・ペレスの世界フライ級タイトルマッチの視聴率は92.9%と伝えられている。二回にダウンを奪ったが、十三回でKO負けした。当時は一団体10階級しかなかった。今は4団体チャンピオンだらけの17階級。金儲け主義が世界ランクの価値を下げ、ボクシングを神聖なもので無くしてしまった。私はすでに初夢を見ている。三条の河原で市中引回しにされた。森喜朗、高橋治之、竹田恒和、角川歴彦、ゲストとしてIOCのバッハ会長が、首斬り浅右衛門こと山田浅右衛門に断首されることを。あ~あ午前七時二十六分になってしまった。先日茅ヶ崎の花火大会があった。ベランダから少し見た。茅ヶ崎は未だに猫の額ほどのサザンビーチと、加山雄三通りしか売りがない。夜空にドボーン、ドボーン、パッチパチと花火が見えた。40年以上何も変っていない。茅ヶ崎市の若者たちにヤル気がすっかり見えなくなった。湘南ボーイなんていうのは、遠い昔の話だよ今のままでは海辺は老人たちのビキニ姿だらけになってしまうぞとハッパをかけた。河野太郎という変人代議士以下子分の県議や市議たちは何も本気でやっていない。茅ヶ崎は完全に今田舎になってしまった。辻堂には湘南モールができて、和田葬儀場だけだった北口が活気を持って来た。餃子の王将事件の犯人らしき者が九年近く経って見つかった。なんとその身は刑務所の中。間の抜けた警察捜査である。筋金入りのヤクザ者は、まず口を割らないだろう。死を恐れていないからだ。
                              (文中敬称略)




2022年10月22日土曜日

つれづれ雑草「伝説の天才」

元気ですかぁ~! 元気があれば何でもできる、とみんなを元気づけたプロレスの天才「アントニオ猪木」があの世に旅立った。骨と皮になった姿を見せ続けて見事に逝った。日本でCM=コマーシャルが制作されるようになって、何人もの天才と言われるCMの演出家が、時代の流れと共に現われた。私が知る限りこの人より上をゆく演出家はいないと思って敬愛していた「原田 徹」さんが9月3日に亡くなった。国内外の受賞歴で原田 徹さんを超える人は未だにいない。広告界でいえばCM&コピーライターの「仲畑貴志」氏、アートディレクター&デザイナーでいえば「葛西 薫」氏だ。この三人は神が私たちに与えてくれた宝物である。原田 徹氏を失った私にとって、仲畑氏、葛西氏はずっとずっとがんばり続けてほしいと願う。グラフィックデザイン界の巨人たち浅葉克己さん、井上嗣也さん、副田高行さん、一ミリの線にも強くこだわり、何もない空白に多くを語らせ、一匹の蟻ん子にドラマを生む。そのこだわりが生む作品は群を抜く。仲畑貴志氏の文章をアートディレクションした広告は、葛西 薫氏によって歴史に残る作品となった。京都の高校で喧嘩三昧をしていて、もうつまらんと東京へ出て来て、仲畑貴志氏はその才能を広大無辺なものとした。北海道の高校でバドミントン三昧をしていた葛西 薫氏は、東京へ来て商店街の印刷所に就職し、その才能を極上無限のものとした。天才たちに学歴は関係ない。原田 徹さんは金沢美術大学で絵画を学び、やがてCMの世界に入った。CM界の黒澤明といわれたその演出は完全を求めた。妥協のという言葉は存在しなかった。少しでも背中を見せると容赦なく襲いかかって来た。撮影の現場では必ず日本陸軍の帽子を被った。現場は私にとって戦場だと言って。一度、八千草薫さんとの仕事を断られたと言った。軍人みたいなその姿に、八千草薫さんは、右翼みたいで嫌だと言ったらしい。一度中国にロケハンに行った時、原田さん中国は危険ですよ、八路軍(パーロー)みたいのに銃撃されますよと言った。大丈夫ですよと言っていたが、さすがに中国では軍人みたいにはならなかった。アメリカやイタリア、アッチコチ、原田 徹さんとロケに行った日々がなつかしい。私のお願いしていた、ある仕事を徹夜で編集している時、関西にいた父君が亡くなった。深夜プロデューサーから、私には絶対電話をするなと言われたのですが、やはり原田さんはご長男なのですぐに帰ってもらうべきではとのことだった。私は当然そうしてもらってほしいと言った。しかし原田さんは編集室を出ることなく、亡き父君のところへ帰ったのは、お通夜も終った後だったという。親戚縁者からあらん限りの怒りの言葉を浴びたと後日聞いた。私は演出家ですから、その仕事が終るまでは戦線離脱はできないのですと言った。まがりなりにも私が今日までメシが食べてこれたのは、原田 徹監督のおかげである。死の前までパーキンソン病で動かなくなった指に、絵筆をしばりつけて大好きな絵を描いていたと奥さまから聞いた。その姿は画鬼であり、その心は絵画少年だった。この原田 徹さんを引き合わせてくれたのが、私が出会った広告代理店のプロデューサーでNO1だと思っている、立花守満氏だ。無念なことにこの人も過日亡くした。未だこれからという歳であった。この人も天才であった。プレゼンテーションの能力は群を抜いていた。先週金曜日、銀座四丁目鳩居堂横「大黒屋ギャラリー七階」で、友人青木勤氏の水墨画展を見た。今回は体がキツイので、奥方とホテルに泊まって一週間を乗り切ると腰痛バンドをつけ気合を入れていた。会場に行くとなつかしい人たちと会った。数十点の絵には殆ど赤い印がついていた。小さな体に大きな根性みたいな人で、仕事がゴチャゴチャになればなるほどそのチカラを発揮した。ヨーロッパでスケッチしたものを五年かけて色をつけた、美しい作品であった。1022日午前十一時~浦安市にある東学寺で四十九日の法要があり友人の椎原誠氏と二人で行った。奥さまと二人の娘さん、二人のお孫さん。七人でのものであったが、ご住職のいい読経があり、天才原田 徹さんは樹木葬で土に環って行った。マスクをしていたが、背筋をしっかり伸ばした二人のお孫さんの姿にすこぶる美男子だった若き日の原田 徹さんを見た気がした。やさしい、やさしい奥さまと双子の娘さんは、20年間数々の難病と闘う原田 徹さんを支え続けてくれた。「角を持ち、獅子のたて髪をなびかせ、炎の翼を広げ、伝説の原田 徹は天に向った。」(文中敬称略)




2022年10月15日土曜日

つれづれ雑草「ある広告」

電車の中から広告が激減している。中吊り広告や車額広告もスッカスカなのだが見る価値が多いのがある。広告主の多くは美容と健康であり、学校や専門校、塾などがポツポツとある。かつては週刊誌や不動産の広告が多かったが、今では少ない。整形外科や整体関係はそこそこ多い。チンポ、インポ、ホーケイを治すとか首猫背、背中猫背、頚椎症、圧迫骨折、筋膜ライン伸ばしとかを劇的に改善するとある。万病を防ぐとか、たった一日一分でとか、羽ばたき体操&サバ缶納豆で、猫背が招く「圧迫骨折」新体操なんて、ウソだろホントかよみたいなものが載っている。スマホやパソコンの見過ぎで、「カメ首」というのが増えているらしい。私は100%信用していない。だがギッシリ書かれた広告を見ていると笑えるのだ。男の力、夜の力、忘れぬ夜のための、チンポ力向上とか、中・高年の春を生むとか、彼女に恥ずかしい、ホーケイ治療をカンタンにというのは深刻だった。小さな広告の中に情報がある。昨日はこんなのが目に入った。頻尿・尿もれ自力で克服! 1分体操、過活動膀胱を改善、国立大病院で改善者が続出! 足裏の刺激で蓄尿力が向上! 昼夜とも減少。くしゃみでもれる。腹圧性尿失禁に断然効く1分タオル体操。前立腺肥大の頻尿が退く「骨盤スクワット」あおむけ足上げで夜間頻尿見事に改善、朝までグッスリ。等々信じ難きことが多彩な活字のレイアウトでビッシリとあった。現代社会は老人社会、その老人の悩みを解決すべく、超有名飲料メーカーから、地方の小薬品メーカーまでこぞって、サプリメント関係の開発に力を入れて商品を世に出している。テレビCMもこの手が多い。そして画面の中にチッコイ文字で、個人差がありますとか、個人の声ですとか、当社比較によるとかが見えないように入っている。なんと85kあった体重が2ヶ月で65kにとかがあるが、それじゃ4ヶ月で45kになっちゃうのと素朴に思う。たった四人で始めた脱毛専門の会社の社長は、いつでも何かお金を使うことないのと言っていた。毛を一本抜いていくらの商売、これぞケッコー毛だらけだよと言ってゴルフばかりしていた。今では業界一と言っていい会社になっている。一度アメリカで超売れっ子だったミュージシャンをCMに起用しませんかと言ったら、それいくら、ん千万円位ではと言えば、あっそう安いじゃないやろやろ、やろうよとなった。何しろ生えてくる毛を抜いて金になるんだから資源不足にはならないのだ。脱毛と脱税は背中合わせである。抜いた毛は元にもどせないが、稼ぎ過ぎの金はガッポリと持っていかれる。とはいえ、私をはじめ私のまわりでは、頻尿の話題が多くなった。軟便は何遍も出るという人に、一流新聞の広告に載っていたクスリの話をしたら、腹がパンパンになって出なくなった。それじゃドサッとその朝快便のクスリの話をしたら、超特急になり過ぎたと言われた。知り合いの医師にこの話をしたら、パンダじゃないんだから、熊笹飲んでどうすんのと笑われた。人には人の体質があるのでそれ以来はすすめることはしていない。すすめられても服用しない。だがしかし確実にヒンニョーになっている。1分の竹踏みで改善とかの文字にムズムズするのだ。サプリメントに治療責任はないから、作るのはカンタン、広告に有名タレントを使えば売り上げ大向上だ。この話をやはり知り合いの医師に言ったら、そんなもんはみんなオシッコで出て終りだよと言われた。以来各種のサプリメントやビタミン剤をやめたら、全ての数値が正常値になった。最後にこれはと思った広告の言葉を教える。あっ、もうだめと思ったときには「肛門締め」これはさてどうだろうか、やるべきかやらざるべきか。あなたならどーする、どーする。昨日、友人の見事な水彩画展を観た帰りの列車の優先席でこんな文字だけの広告をシラッと読んだ。



2022年10月8日土曜日

つれづれ雑草「ちくわぶとアラ」

裏表がない。この事に気づいた時、私は感動した。この事はある本に書いた。昨日金曜日は83年ぶりの寒さであった。地球の温度が上がって、日本特有の春夏秋冬の決まりが狂ってきている。夏が長くなり、秋が短かくなったのだ。秋は詩情豊かでヒトがこの時ばかりはと人間的になれた。空を見れば鰯雲が流れ、大地には落ち葉が風に吹かれて揺れ動いていた。夏に燃えた恋も、秋には切ない別れがあった。肉体を露出した愛は、コートを着る季節には、それじゃこれでさようならとなる。83年ぶりに寒い夜、おでんが鍋の中でぐつぐつするのを見ていて、人間は裏表ばかり、お前はいい奴だなとおでんに話しかけた。はんぺん、つみ入れ、すじ、昆布、こんにゃく、じゃがいも、ウインナー巻き、ごぼう巻き、バクダン、玉子、がんもどき、しらたき、ちくわに、ちくわぶ、きんちゃく、ロールキャベツ、大根にさつま揚げ。どれもこれも裏表がないのだ。こんなに正直な食べ物は他にない。余りに正直なので、黄色いからしで刺激を与える。私はおでんが大好きである。関西風の薄味より、関東煮といわれる濃い味を好む。特にちくわぶという、正体不明な白い練り物はいい。おでん以外にこの食材を見ることはない。あ~疲れたと家に帰り、今日のおかずはちくわぶよなんて事になったら、俺は一生懸命働いて来たんだ。嫌なお客にペコペコ頭を下げ、嫌な上司につまんない事で文句を言われ、満員電車に乗って、バスに乗って、コトコト歩いて、やっと家に帰ったら、夜のごはんのおかずがちくわぶなんて、ふざけんな、何! ハンペンを焼いている、そ、そ、それだけかよ、バーローと大声を出しながら目に涙をためるだろう。せめてアジの開きは、何! アジは高いだと、目刺しはないのか、あるだろう少し残りが、何! 焼きすぎてボロボロになっちゃっただと、バーローよく見てないからだよ、目刺しを焼くのはむずかしいんだよ。ちくわぶはぐったり煮すぎるといけないからな、火がしっかり通ってないと、粉のようなものが見えてダメだからなとブツブツ言いながらウロウロする。私はこんなちくわぶがたまらなく愛しいのだ。もう別れようと言い争う男と女、泣きながら別れないで、私にはここしか生きてゆけるところはないんだから。おでん鍋の中でぐつぐつと煮込まれているちくわぶを見ていてバカなストーリーを思い浮かばせる。フッフッ、ファックション、この時期必ずアレルギーで鼻の中がクショ、クショになる。目がしょぼしょぼになる。短かくなったとはいえ秋の決まりだ。裏の世界ではコテンパンにやっつけてやる事を、ハンペンにしてやったと言う。骨抜きでヘロヘロ、ペタペタ状態にしてやったという状態だ。値上げ、値上げで生活がハンペンになっている。このままだとおでんの鍋の中にはちくわぶだけになるだろう。故石原裕次郎の歌に「粋な別れ」というのがある。 泣かないで 泣かないで 粋な別れをしようぜ……。からしが効きすぎて私の目には涙がたまっている。こんにゃくにつけすぎたのだ。泣きながら食べる初秋のおでん。別れ話の相談を受けていて、つい、粋な別れをしろよ、なんて言ってしまった。何! そんなもんじゃない、血を見ないと治まらないかも、なんてブッソウな声がした。ついこの間まで、飛んでイスタンブールみたいな、派手派手で飛んだ生活をしていたのだが、超円安の状態で会社が一気に傾いてしまったとか。ブランドマニアの奥方との間に、ロシアとウクライナのような争いが続いているらしい。ピンポンと宅急便が来るたびに心臓がドキッドキッとすると言った。ご近所の家にある柿の木に、立派に育った柿がたくさんぶら下がっている。今年の秋刀魚は食べれるだろうか。明日は魚屋さんに行ってみようと思っている。大好きな鯛のアラを買いに。焼いて、煮て、アラの中にある味をさがす。アラさがしは亡き母が芸術的に上手だった。きれいに骨だけにしていたのを見て育った。私の大好物で母を思い出す味だ。アラ塩を多目にかけて焼く。これにはお赤飯が合う。何故か煮たものには合わない。焼き魚を食べるのが苦手な愚妻は、私が一時間位かけてアラ探しをしているのを見て、よく見つけるわねと言う。それでも今日のアラはサイコーだったと言うとうれしそうな顔をして、明日はブリカマを買ってくるわと言うのだ。ともあれ秋は前に進む。ちくわぶアラがあれば生きていける。鈴虫の声はまだ聞いていない。



2022年10月1日土曜日

つれづれ雑草「故人のプライバシー」

人の死は等しく悼まれなければならない。それが仮に極悪の死刑囚のものであっても。あるいはこの国をどうしようもないほど、酷い国にした人物であってもだ。先日の故安倍晋三元総理の国葬儀を見ていて、結局故人が生前得意だった嘘ばかりであった。招待客のアゴアシその他を足すと、葬儀予算は100億は超えているはずだ。純粋にその死を悼んで自腹を切って全国から来て、ズラリズラズラ並んでいたのは数少ないはずだ。半分以上は旧統一教会系や他の宗教系の動員であったようだ。招待客も2000人近く少なかった。詳細は確かではないが。私がホントカヨーと思ったのは、菅義偉前総理の弔辞だ。その私情あふれるものは感動を呼んだという。まるで恋人へのラブレターみたいだったという人もいた。それは涙を誘い拍手を呼んだ。私はそれを聞いていてちょっと待って、プレイバック、プレイバックであった。特に感動したという故安倍晋三元総理の議員会館室のテーブルの上にあった読みさしの文章の引用だ。故人と同じ長州人、これ以上金に汚い総理大臣はいないといわれた、山縣有朋(若い頃は山縣狂介)と、これ以上女性にだらしない総理大臣はいないといわれた伊藤博文(若い頃は伊藤俊輔)。伊藤が暗殺され山縣が詠んだ言葉(マーカーで線が引かれていたとか)だ。山縣有朋は数多くの汚職にまみれた手にした金を別荘庭園づくりに投じた。伊藤博文は明治天皇から、女遊びは控えよといわれたという逸話もあり、紙幣の顔に選ぶのを天皇に先送りされていたともいう。明治維新の号砲をあげたといわれた長州人、高杉晋作や木戸孝允(桂小五郎)から、シュンスケオンナアソビハイイカゲンニセイと叱られていたらしい。さて、菅義偉前総理は人の部屋に入って行って、机の上に置いてあった他人の読みさしの本を、勝手に開いて読んだことになる。故人であってもプライバシーの侵害である。もしその本の中に、読まれてはならない故人の私的な文などがあったら許されるのか。これは許されないだろう。親子兄弟姉妹の間であっても、人が読んでいた本を勝手に部屋に入って、勝手に読んではならない。現代でいえば勝手に人のメールやスマホを見ることは許されない。あの弔辞はスピーチライターが書いたものであったはずだ。最後まで芝居がかったものであった。故安倍晋三元総理シンパは支柱を失いこれから寄るすべがないので涙を流した。日本人はやさしい国民なので、いい話だったと涙し一部のマスコミは絶賛した。長州人にもう一人明治の悪玉がいる。井上馨という国の金を扱う重要大臣だった人間だ。山縣、伊藤、井上たちのどうしようもない姿を見て、西郷隆盛は失意したと司馬遼太郎は書いていた。金と女まみれの元勲たち、日本でもっとも総理大臣を輩出した長州は、実に興味深く、松下村塾の吉田松陰は、短い間に何をどう教育して長州人を育てのだろう。私は、おもしろきこともなき世をおもしろくと書き残した、高杉晋作の大ファンである。自民党はこれから岸田文雄後への内乱となる。故安倍晋三、前菅義偉、現岸田文雄、この人間たちが残したもの、向って行く先は、メッタメタの日本である。河野太郎とか小泉進次郎などになったらと思うと、メッタメタメタメタである。野党もメッタメタだ。ジャン・リュック・ゴダールが安楽死を選んで旅立った、91歳であった。ゴダールは生前こんな言葉を残している。「私が死ぬ時、映画は終わるでしょう」と。真意のほどはいろいろ説がある。その一つに「新たな才能により生き続ける」というのもある。ゴダールはテレビの台頭、SNSの台頭を見越していたのかも知れない。若者たちは映画を早送りで見るという。映画界は製作委員会方式といって、みんなの会社の資金を集めて作る。本屋大賞受賞とか、マンガのヒット本に資金が集まる。資金を出した分、イロイロ口注文も出す。あの女優はもっとエロッぽくとか、あの殺しのシーンはもっと暴力的にとか、気の長くない監督はブチギレてしまう。神田の岩波ホールがなくなり、飯田橋のギンレイホールも近々閉じるという。名物ホールが消えて行くのは芸術文化への補助がないからだ。オリンピックが商業主義になってから、スポーツは一大利権となった。そのボス森喜朗元総理が、検察からホテルに呼び出されて聴取されているらしい。いちばんの目的は、新国立競技場を作るときの都市開発にからむ巨大な利権だ。このオッサンは、ノミの心臓といわれるほど心配性らしいが、利権がらみになると、特上カルビーとか特上ロースの心臓になるらしい。生きているだけで迷惑な人間なのだが、肺ガン治療の新薬のおかげで命を長らえている。ある映画を見た。初老を越えすでに性の交わりはない夫婦だが、同じベッドで寝ている。しかし夫には自分の勤め先に若い恋人がいる。ある日の明け方、夫のスマホにその若い恋人からメールが入る。うろたえる夫、見せろという妻、さて、その結末は。長い間セックスレスの妻は疑いが深く、とてつもなく恐ろしいのだ。そしてベッドの中で妻は夫の耳元であることをささやくのだ。故人でなく、個人の安倍晋三さんはすこぶる気さくであったそうだ。政治の世界は人間を変形させてしまうのだろう。菅義偉前総理のヤキトリ屋の話は映画的であった。本当はロマンチストなのかもと思った。(文中敬称略)