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2011年2月1日火曜日

湘南の嵐便り 「差し金」


差し金

あいつは会社の差し金だから気をつけろ。


差し金とはスパイの様な者をいった。ところが建築の世界では聖徳太子は「大工の神様」と言われている。大工道具の七つの道具に差し金「指金あるいわ曲尺とも」呼ばれるL字形をした金属製の物差しの事である。
金剛組という宮大工の棟梁達の企業がある。
聖徳太子が百済から招いた工匠達をルーツとする日本最古の企業である。
※写真はイメージです
現代にも継続されている。元々は棟梁が差し金を使って指示すること、采配を振るうことだという。
今この世の中で一番悪質な差し金は大マスコミである。
政党や検察、警察、官僚社会に様々な形で差し金を送り込んでいる。

ある噂によれば大マスコミの差し金達(幹部)は謝礼、商品券、お仕立券、又女性の接待付きの店に呼び出し(ご接待)又は、呼び出されて与えたり、与えられたりし互恵関係になる。
大化の改新後の時代から続いている歴史である。律令制度をつくり官僚を生んだ時から始まった。
商品券やお仕立券は金券ショップで換金されるらしい。

私がある年郵政省の仕事をした際、エレベーターで下まで送った時に郵政省(現在は総務省)の小役人二人が、君タクシー券を20枚ほどくれるかねと言ってきた。えっ、なんですかというと、いやーいいよいいよと言われた。その後郵政省の仕事は他に移った。

後で聞くとあの二人は上の差し金、ああやってアチコチでたかりまくっておこぼれを貰うんだよと言ってきた。阿呆らしい、ふざけんなと思った。

かつてカリスマディーラーといわれた男が中野坂上に会社を移転した。
その前は西麻布、その前は六本木ヒルズだった。早い話そのディーラーの差し金で動いたお金(投資)はことごとく失敗金となり消えていき男も落ち目の三度笠となっていったのだ。だがこういう男は反省とか責任とか矜持というものを持ち合わせない。どんなに落ち目になりながらも「俺に聞け」とばかり。
人のふんどしで相撲を取り続ける。

お年寄り達が残りの人生の為に貯めておいた命の金を騙し取る詐欺集団が手を替え品を替え現れる。
そしてお年寄りからむしり取る。

この国は騙した者勝ち、あまりに詐欺罪が軽過ぎるのだ。一億も一千億も大した差はない。
マルチ商法も同じである。私は一生帰ってこれない島送りにした方がいいと思う。
又は口から先に喋れない様みんな麻酔なしでタコ糸みたいな太い針金で上下の唇を縫ってしまう刑を作った方がいい。両耳は何も聞こえない様に鉄の玉で塞いでしまうのだ。

競馬や競輪の予想屋さんより当たらないファンド屋やディーラーには十分気をつけて下さい。
おいしい話には必ず毒が入っていますからくれぐれもご注意を。

電話が鳴った、もしもしオレだけどお母さんいる?本当の私の息子でした。今夜はデニーズで食事をしようという事でした。デニーズといえば梅宮辰夫家族は近所のデニーズによく行くらしい。
デニーズのラーメン

お気に入りのメニューは1・ラーメン、2・サーロインステーキ、3・デミグラスハンバーグ。
なんと私と同じでした。
特にラーメンはシンプルでいい味です。私は決してデニーズの差し金ではありません。

デニーズのサーロインステーキ
デニーズのデミグラスハンバーグ

2011年1月31日月曜日

湘南の嵐便り 「速さはいらない」


これを書いているのは午前三時三十七分である。

浅い眠りで直ぐ目が覚めてしまいNHKを点けた。そこには日本の鉄道史を伝えるSLたちの素晴らしい映像がひたすら無言で映し出されている。まるで巨大な昆虫の様なSLたちの雄姿。黒煙を上げ、黒灰色と白濁色を時に雄叫びを上げる様に、時に風に流され、時に緑の田園の中を白い蒸気を広げて走る。
※写真はイメージです

私は鉄道オタクではないのでその雄姿の種類はまるで分からないが、その姿は日本の原風景そのものである。波打ち寄せる海岸、強風に木々が揺れる山間。猛吹雪の中を雪を蹴散らし進む。

※写真はイメージです

春の梅や桜、夏の向日葵畑や入道雲の下、青い海、秋のコスモスたちそして紅葉の中、日本が大切にして来た四季の移ろいの中に黒い塊は力強く泣き叫び又、自信と誇りを持って黒煙を上げ蒸気の花を咲かす。
高い建物の街、日本家屋だけの村々、山河は友の如くSLを待ち続け迎え入れる。

※写真はイメージです

速い事は良いのだろうか。速さを求め得た物も多いが私は失った物の方が何十倍も多いと思う。
荒れ狂う漁村を走るSLたち、それに手を振る漁師たち。
人間はおよそ時速4㎞で歩くという。歩く中で人と人文化と文化、情と情が通い合った。仮に時速40㎞でも歩く事の10倍である、それだけで十分ではないか。

速さを競い合った為に今や帰郷するという行為すら情緒のない日帰り行為になってしまった。
なんと青森まで3時間20分で行けるのだから。日本人が日本人になくなってしまったのは速さへの挑戦だった。
青森新幹線

ある地方の表示にこんな看板があった。「慌てるな、昔はみんな歩いてた」遅い社会に戻るべしだと思う。知らなくてもいい様な情報が寸時に世界中から入る。

もし「神」がいるとしたらこの地球という数奇な星を消滅しようとたくらみ始めたのだと思う。

速い事は何もいい事でない。日本再生はSL時代に戻せだといいたい。
まるで巨大な墓場に立つ墓石の様なビルの中を走る新幹線、一分一秒遅れると酷い目に遭う乗務員、ヒステリックに遅れを怒る客たち。


今、時間は四時二分。画面には高い橋の上を走るSL、滝の水の流れの横を走るSL
強くて優しいかつての日本人の様である。全てが一幅の絵である。

思わず冷酒を飲みだしてしまった。もし、アフリカの大陸にSLが煙を上げ蒸気を放ちライオンやトラやキリンや象やシマウマたちと一緒に走っている姿を想像したら何とも複雑な気になってしまった。

日本よ「日本人に帰ろう」日本人の心を世界に知ってもらおう。
今再びのSLだ。「ゆっくりそしてのんびりと」

君が代と共に日の丸の旗が画面から流れ始めた。どうやら朝刊が来た様だ。ゆっくり読むとしよう。


政治家には「百年の計」が必要である。私ならこう言いたい「日本人に帰ろう」と。
これからずっと少子高齢化社会である。
故里は遠くにありて想うものなりだ。

2011年1月28日金曜日

湘南の嵐便り 「そもそも論」


「そもそも」という言葉は謙虚かつ育ちのよさそうな言葉である。

「そもそも」スイカは夏の物であり、「そもそも」キュウリは曲がっている又、「そもそも」人間は等しく欲深くして又、傲慢かつ嫉妬深く、ハウス栽培でつくられた同じ形をした「イチゴ」の如くでない。
悪い噂を流し、人の足を引っ張り、人の不幸を肴に酒を楽しみ、人の死すら歓迎する。

ここに「そもそも」という知的言語が乗っかると何か全てが許せるものとなってしまう。
そうだよな「そもそも」人間なんてそんなもんなんだよ。

石川啄木

「そもそも」人間に人間性を求める事自体が無理なんだよ。
石川啄木なんて借金魔だったし、泉鏡花なんて女郎狂いだし、太宰治に至っては自死狂みたいだったんだからな。あの人然り、あの方然り、あの女性然り、あの御仁然りなんだよな。

泉鏡花

だから文学は生まれ、いい絵画は生まれ、いい芸術や伝統芸やとんでもない経済人や政治家が生まれたんじゃないのかな。なんて友人と一杯飲みながら「そもそも」論を交わす。
太宰治

「そもそも」と云う言語は全てを解決してくれる魔法の様な言葉なのだ。
自らが悩み苦しんだ時にこの「そもそも」を持ち出すと気が軽くなる。又、勇気が湧いて来るものだ。

「そもそも人間なんだから」、時に強く、時に弱く、時にズル賢く、時には慈悲に溢れる。
「そもそも」なんで頭は一つか、目は二つか、耳は二つか、鼻は一つで穴は二つか、口は一つで歯は32本か、手は二本で足も二本、性器は一つか、頭に毛は生え、脇の下と胸と陰毛だけあるのか(時々乳首にも23本毛が生えるが)、胸は二つで、お尻の穴は一つ、全てがなんでなんでの事なのだ。

なんでなんで?


三つでなく二つか一つが多いのがかなり気になるのだが「そもそも」人間なんだから説明出来ないよなんてエライ学者さんやお医者に言われるとそうですねと言うしかない。

つまり何をいわんかというと「そもそも」我々は何の科学的かつ物理的にも証明できない得体の知れない生き物なのだという事だ。


例えばかなりの悪事を働いた者にオメェーなんて事しやがったんだと怒っても「そもそも」人間ですからと開き直られるとさてどうするかという事になる。裁く方も「そもそも」人間だから悩み、苦しみや変態性を持っている。有名な警視庁のSPが女性の風呂を覗いてパクられた。
お風呂を覗いたらいけません

「そもそも」人間なんだからで片付けられるか。
かつて足利尊氏の側近、高師直が塩冶判官高貞の奥方に想いを寄せ風呂を覗いたという有名な話が残っている。これも又、「そもそも」人間なんだからなのだろうか。


近頃少なくなったが銭湯の番台の二代目は見放題であり女性もまるで意識していない。
これは「そもそも」許されるのである。

「なんでだろう、なんでだろう」と一時期流行したテツ&トモを思い出すのだ。

2011年1月27日木曜日

湘南の嵐便り 「『江』を観て」


「江」※NHK HPより

NHKの日曜大河ドラマ「江」を録画しておいてもらって帰ってから観た。
一話、二話、三話。まず歴史的に目茶苦茶である。
勿論歴史の証言者は生きていないのだから完全なる間違いとは言えない。


絶世の美女と云われた「お市の方」になんで鈴木保奈美なのか、石橋貴明の娘を三人生んだ女優に浅井長政の妻を演じさせるプロデューサーや脚本家の見識を疑った。
お市の方※sanspo より

近年まれにみるミスキャストだ。

すっかりオバサン化したかつてのトレンディドラマの主役、首筋には何本ものシワがあり肌は荒れ表情はない。宮沢りえの「茶々」に至ってはその気性の激しさも何も感じない。
茶々※sanspo より
出戻り女房風であり「お初」に至っては長屋のおかみさんであり、主役「江」の上野樹里に至ってはどう考えたって数奇な運命を辿った不可思議性や神秘性がない。


初※sanspo より

まるで若者達の学園ドラマの主役である。
一人目立つ豊川悦司の織田信長、その姿はワンパターンである。
誰か全く今までと違った信長像をつくれないのか。

織田信長※sekai nippo より

例えば実はユニセックスで体は細く、小さく、女々しくであった。
歴史上誰も知らない人間が実は信長を操っていたとか発見がない。
家康、秀吉、光秀、勝家などが第二話でいきなり同席し、秀吉と家康が二人で酒を飲み交わす。
大地康雄の勝家が場を仕切る。全体に坂の上の雲と龍馬伝で金を使いすぎたのか、酷く安っぽいつくりである。四人の女性が派手な着物でゾロゾロ出る。

そこには信長に対する敵意も殺意もない。なんと「江」は信長に気をとられて行くという話である。
今年一年はもう期待できない。女性相手の脚本にしたのだろう、「篤姫」の様に。

sekai nippo より
大体捕虜の様な身の四人がいきなり夜天守閣に一人いる。
信長の寝室にすんなり入れるなんて馬鹿にするなと言いたい。

ひょっとするとこの脚本家は途中で変わるかもしれないと思った。支離滅裂であり過ぎる。
タイトルの「江」の舞いのシーンなんて下手で安っぽいCGでまるで完成度が低過ぎる。
会長人事で擦った揉んだしているからきっとこんな酷い事になってしまったのだろう。

やがて二代将軍秀忠の妻となる「江」、歴史的には一度も側室を抱かせなかったという。
秀忠は行動力不足、戦下手、優柔不断、恐妻家であり元祖草食系だったのだろう(35,000人の兵を持ち関ヶ原の合戦に向かいながら少数の幸田一族に勝てなかった上、合戦に遅れた)。


鈴木保奈美を見ていると何故か「とんねるず」が出てくるのではと錯覚した。
いっそ秀忠役を石橋貴明にしたらいいかも。

2011年1月26日水曜日

湘南の嵐便り 「人の紹介」


人間を65年余りやって来て一番難しいと思ったのは人間を人間に紹介する事だと思っている。

何回かはいい成果を得たが多くは失敗である。
私に人を見る目が無かったのである。私達の間で人を紹介する時、三つの事が基準になる。
(一)使えるよ、
(二)器量があるよ、
(三)取り敢えず会ってくださいなである。

特に超一流や一流の人に紹介する場合は気を使う、相手が是非紹介して欲しいといわれてもこの人間は紹介出来ないな、こう思う人が大体100人中95人位である。特に女性の場合はその難度は更にアップする。

美人過ぎる、気が強過ぎる、育ちが良すぎる、ギラギラ、スーパーブランドも信仰し過ぎる。
当然その逆は更に難しい。見栄えが悪い、太い、ダサイ、鈍臭い、だがしかし話す程に感覚が優れ感性は豊かであり話をしていると豊富な知識がある。

(一)の使えるはほぼ期待に応える筈ですよの意であり
(二)の器量があるは見てくれでなく中身がしっかりあるの意である。
(三)の取り敢えず会って欲しいは誠に申し訳ない顔を立ててください、この借りは必ず返しますからの意である。

※写真はイメージです

この頃は余程の人間でないと人に紹介をしない。
又、紹介された人間は殆どスカである。いい人を紹介された日は気持ちが満たされその人との今後に夢を見られる。その逆にとんでもない人間を紹介された日はどんよりと心は曇る。

こんな世の中だから色々紹介されるし、紹介を依頼される。
何しろ東大や京大を出ても会社に入れない時代であり、どんどんリストラされる時代である。学習院や白百合やフェリスを出た女性も会社に入れない。然るべき人からの紹介だと会わずには仁義を外す。

資生堂パーラーでケーキセットとか
で、男は会社で会うが、女性は資生堂パーラー辺りで会う事にしている
何故なら若い女性のプライドを守ってあげねばならないからだ。
一流の大学を出て何社も受けて就職出来ないといいながら涙を流されると困ってしまうからだ。
もっとも資生堂パーラーで泣かれると変な誤解を生じる場合もある。

資生堂パーラーのチーズケーキ

まあ美味しいケーキでも食べてケーキをつけなよなんて寒々しいオヤジギャグから話に入ったりする。
男はまず会った一瞬で分かる。目が泳いでいたらまず使えない。
若い女性で就活に失敗している人はおおよそ見た目はエルメスで話す内容がユニクロみたいな人が多い。

又、自信と自信が歩道橋で繋がっている様な人や自信と不安が立体交差をしていたり、自信や夢や希望や生きる目的をすっかり持ち合わせてない人も多い。ただただ就職したいんですを連発されてしまう。
友達が決まったのに私がなんで決まらないのか分からない、悔しいんです。

何がしたいのと聞くと、うーん色々なんていうし、生活に困るのと聞くと、うーん家にいれば大丈夫です父と母がいますからなんて言うし、ケーキはしっかり食べるし私はとても困ってしまうのである。
どうも使えそうもないし、器量もない、ただしその女性のお父上には大変お世話になっている。

資生堂パーラーのチキンライスは絶品です。

一時間を過ぎてここのチキンライス美味しいよ食べる?と聞くと食べますと言う。
食事とデザートが逆になってしまった。私はケーキは食べないのでチキンライスを付き合った。

この先の紹介先は分からない。
私からの紹介と電話が行ったらすみません、会うだけ会ってあげて下さい。
食欲だけは保証します。料金は私が支払ます。

2011年1月25日火曜日

湘南の嵐便り 「これでいいのか」


「これでいいのだろうか?」

今年は一人一人一度そう思ってみたらどうだろう。

牛丼※写真はイメージです
オトーチャンは240円の牛丼の昼ご飯、私はホテルやレストランで1500円のランチ「これでいいのか」。
借金しているのに車はBMW「これでいいのか」。

1500円のランチ※写真はイメージです
朝は二日酔いで、昼はルノアールで、夜は一杯飲んでカラオケ歌って元気一杯「これでいいのか」。
どう鏡で見ても泉ピン子風、体型は寸胴、足は練馬大根、でも高級化粧品にジム通い、エステで足もみ一日30,000円「これでいいのか」。

エステで足もみ※写真はイメージです
最近ノーメイクが主流になり始めているのは逆化現象、化粧はホステス以外シンプルになっていく。
自分が全く出来が悪い頭なのに子供は家庭教師や塾通い「これでいいのか」。
酒を飲んでいる時は気合いを入れて上司や会社批判だけで面と向かうとゴマスリヨイショ「これでいいのか」。
自分はテレビの前で横になり煎餅ボリボリかじっていながら子供には行儀よくしなさい「これでいいのか」。

練馬大根※写真はイメージです


等々世の中は「これでいいのか」を反省する時に来ている。
何のために生きているのか「これでいいのか」をしっかり求めて行かないとただ呼吸している生き物に過ぎなくなる。


私の尊敬する人で、ある大手の会社を退社し確か65歳まで司法試験に挑戦し続けた人がいた。
ある年たった一点が不足して不合格になった。しかしその人が言うにはその一点の中にゴッソリとひしめきあっているのだという。この人はいつも「これでいいのか」を教えてくれた人だった。
そして70歳を過ぎた今も絶えず前を向いて生きている。あまりに仕事が出来すぎて上の人達から疎まれた役員であったが間違いなく私の人生で知り合った中でも人生の達人であった。
残念ながら司法試験は年齢制限で挑戦出来なくなったが今なお闘志熱烈である。

桜※写真はイメージです

今一人外資系大手コーヒーメーカーの人は「桜」の木に魅せられた。そして充分な地位を捨て山に一本、又一本と桜の木を植え続けた。20数年たった今、名前も「桜木」と変え四国に「桜の国」を作りあげている。

ご紹介した二人とも黙っていればのんびり年金生活を送れる地位の人であったが、自ら「これでいいのか」と投げかけ挑み続けている。

ある哲人が人生で大事な事は「挑戦する不成功」だと云った。
私もこの言葉を胸に様々な事に挑戦して行きたいと思う。
そしてもうひとつ「これでいいのか」これはあくまでも私の願いである。

2億円当たったらどうします?※写真はイメージです

年末ジャンボ宝くじに2億円当たった人がとうとう現れなかったという。
私は願う、その人はきっと当たりを知った、しかしその2億円を手にした自分とそれを取り囲む環境と将来を考え敢えてその当たりくじをそっと破いてゴミ箱に捨てた。

「これでいいのだ」その人はそう思った。
さてみなさんならどうしますか?2億円当たったら。

2011年1月24日月曜日

湘南の嵐便り 「物書き」


坂口安吾氏※HPより

その昔物書きこと小説家は原稿用紙と万年筆と二、三冊の辞書を書机に置き座布団に座り書いては紙を丸め、投げ捨てては筆を走らせた。小説を書くために過去を巡り過去を捨て、又過去を主題にした。

女を抱き、金をせびり、又女の体を売りその金で夜毎安酒を飲み、そこで知り合った女を又抱いた。
生きるでもなく死ぬでもなしに、ただ酒臭い息を吐き出しまだ半裸で寝入っている女の体から離れ、小さな珈琲店に入り聴き馴れたモーツァルトやシューベルトを聴き、又はモダンジャズの流れる落書き喫茶に行きソニーロリンズやスタンゲッツを聴き、自分の才能の無さを痛感した。

♪咲いて流れて 散っていく 今じゃ私も 涙の花よ♪盛り場ブルースより
こんな毎日でいいんだろうか、あの女はきっと朝起き乱れた化粧を消し、小さなコンロで沸かしたやかんのお湯でインスタントコーヒーを飲み、私が書いた下手な小説を下着のまま読む。
あら、いやだこの主人公の女って私の事じゃないの、なんて思いながら共同洗面所で歯を磨き、顔を洗い、小さなテレビを点ける。


簡易ベットの下にティッシュペーパーが沢山ありそれを集めてビニール袋の中に入れる。
暑いから小さな扇風機を点ける。昼頃にはいつものラーメン屋さんに行こう。それにしても昨日のお客は嫌な奴だった。そうだ三時になったら一緒に銭湯に行き、その後女はパーマ屋さんに行き一時間ほどパチンコを楽しむ(出る台を用意してあげている)。




男は昨夜体中に傷を負っていた、又ケンカでもしたのだろう。キスをした時血のぬめりが凄かったと女は思った。でも何だか私達はお互いを必要として生きている。


今や芥川賞も直木賞も文藝春秋が仕切っていても書店で平積みされてもさして売れないままだ。


女の子宮の疼きを頼りに体中に残る他の男の臭いに心を痛め、自分の女が薄汚い男に抱かれる姿を思い巡らし安酒を煽る。深夜お茶漬け屋で待ち合わせ言葉を交わすでもなく鮭茶漬けと海苔茶漬けを食べる。
女の歯に海苔が付いているのをそっと取ってやる。

※イメージです
十代も終わりに近づいた二人同士、何かいいの書けた?全然。
外は雨が降って来た。店のおかみさんがビニール傘を貸してくれた。二人で傘に入る。お互いの両肩は濡れる。

インクを買う金と原稿用紙代、それに一度行ってみたい処があるんだ、金を頼むと言う。
前借りがかなり溜まっているけど明日頼んでみる。この頃少し下腹が痛いのと言う。医者行けよ、でも恐いから行かないと言う。駄目だ行けと言い、だって誰の子だか分からないもんという。

その夜の明け方男は左腕に短刀で深く傷をつけた。シーツに少し血が付いてしまった。いつまでもお前の事は忘れない、その証しだ。
そろそろこんな日々とは別れなければならない。人にこんなにマブイいい女はいないだろうと自慢していた。街を歩けば人が振り返る女、ハイヒールの似合う女だった。女は静かに鼾をかいていた。
でもその顔は疲れ切っていた。白いシュミーズから形のいい乳房、小さな乳首が少しだけ出ていた。

※イメージです
パソコンで打つ小説家は果たして物書きだろうか。

取材もしない辞書も引かない直木賞作家を見てふと過ぎ去った日のそぼふる雨、扇風機から出る弱々しい風を思い出した。俺は女を取材し、酒に学び、借金を息づかいの足しにしていた。

ぐっすり眠っている首筋に人に吸われたらしい少し赤アザがあった。
終わりを確信した。世話になり過ぎた。

今でも夜の世界に行くとその頃受けた女達の恩を思い出す。
人生は痛い、そんな事をいった人がいた。
パッと咲いてそして浮いて、沈んで、消えて行く。それが一人一人の女の子にクッキリ見える。
見え過ぎるのが恐い。

人は誰でも一冊の名作を書けるというから書いてみるかと思っている。

ある新鋭直木賞作家がいた。原稿用紙も万年筆もない女気もないIT業みたいな都会の洒落た一室に黒い椅子、黒い机、黒いパソコン、それに向かってひたすらキーボードを叩く(書くのではない)漢字は直ぐに変換され知りたい情報は両面に直ぐ現れる。
一切の取材はいらない。山程ある事件を検索しその中からエキスを引き出し繋ぎ合わせる。

その作家は早朝ジョギングをしていた。自分の汗を流すがどうにもならない女の汗の臭いなどはない。心地よいシャワーと高価な男性化粧品のいい香りが部屋中に香る。
なんだかいい本が書けました(正しくは叩けましたよ)と出版社にメールを送る。
物書きの象徴ペンだこは無い。こんな2030代の男の本が直木賞や芥川賞を受賞する。中身はスカスカ何も無い。

こうして文学界は滅びて行く。

♪落ち葉の舞い散る 停車場は〜今日もひとり 明日もひとり過去から逃げてくる♪終着駅より