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2012年2月20日月曜日

「沈む朝日」

※写真はイメージです


仕方なく、全く嫌、嫌ながら朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞を日々読んでいる。
 世の中の出来事や国の政治や経済を新聞人はどう書いているかをチェックするためである。

朝日の天声人語、社説、素粒子等は記者として一番書きたがるところだ。
1日原稿用紙にして一枚から十枚位書いて年収二、三千万を得るという。

かつて、朝日インテリ、読売ヤクザ、毎日ノンポリ、産経右翼、日経株屋といわれた。
論説委員、編集委員、解説委員等は昼頃に出社、当然社用車かハイヤー、ランチは美人と高級料亭、高級フレンチ、イタリアン等。そして一本うん万円、うん十万円の高級ワイン、時としてそのままホテルかどこぞの場所へ(ホテルの部屋でのランチも多いらしい)。
 夕方チョコチョコと資料室と相談して引用ネタを探し文章にする。
書いた文章ではなく“創作”した文章だ。夜は政治家や官邸筋と会食づくし、お土産は色々どっさりだ。そして社説では○×をしろとか、△□にせよとか、××を目指せ、とか命令調の見出しをつける。

アホ、バカ、くそっ朝日といいたい。
紙面作りや特集記事、取材ものは読売に完全に負けている。自分達が特権階級と思い上がっているのだ。

政治部の記者はかつて政治家への道でもあったが今や一人も出て来ない。
最も政治家の質の低下は目を覆うばかりだが。
大阪の橋下徹あたりがガナリたてて、クソ文春、クソ新潮といえばシュンとなってしまった。
新聞人たちより少しはましな週刊誌のトップ屋たちも上から抑えられて記事はみんなボツだ。

で、みんなヒーヒーしている。貧乏の経験もないエリートぶった新聞人が最低年金や消費税や年金問題を真っ当に論じれる訳がない。自分達はゴッソリ退職金や企業年金が貰えるのだから。
この国を戦争に導きバブルをあおり、借金1000兆円にしてきたのは大マスコミ、中でも大新聞社だ。

毎日新聞などは創価学会に食べさせて貰っている。聖教新聞印刷会社と成り下がってしまった。
日経はドロドロの社内抗争を年中行事にしている。

読売がこの頃一番真っ当だ。特に取材記事や取材写真は群を抜いている(お金があるから)。
朝日は創業者一族と社内派閥との戦いで記事どこではない。
いい記事を書く記者は「お前なあ、そんな真っ当な記事を書いていると、テレビ朝日に飛ばすぞ」とか「アエラに飛ばすぞ」とか、グローブに、週刊朝日に、地方支局にとオドシまくるのだ。それ故朝日新聞以外の方がいい記事が多いのだ。

2月12日(日)の朝日の朝刊の社説に「民主と年金」“頭を冷やして出直しては”というのがあった。
民主党はもはやバラバラのジグソーパズルだ。が朝日はそれより更にヒドイ新聞となってしまった。
いっそ大魔王読売のナベツネを社外取締役に入れたらどうかと思う。理屈ばかり、特権意識ばかりのインテリ程この世を悪くするのはいない。

何故か橋下市長の特集を組んでいた。タイトルは「覚悟を求める政治」だと。
笑わせるぜマッタク。ハシッコイインテリがこれからの権力者は橋下かもと思ってにじり寄り始めたのだ。小
沢一郎に対しても、もし無罪になったらと思いすっかり記事は尻込みし始めた。アホなインテリたちにつける薬はないのである。

ピンポーン、おっ、もしかして朝日の集金のアンチャンかもしれない。
アンチャンには何の罪もない。朝日は天気が良ければ必ず登るが、朝日新聞は天候に関係無く沈んでいく。

2012年2月17日金曜日

「生よく死を制す」




茨城県水戸に日蓮宗のお坊さんで井上日昭という人がいた。
行動右翼のシンボルとしてその名を残している。
「一人一殺」というのが心定であった。
五・一五事件で政府要人を襲撃した若者達の教祖でもあった。

時の総理大臣犬養毅は豪胆であった。
拳銃で撃たれた時、有名な言葉を発した。「話せば分かる」と。
それに対し若者たちは「問答無用」といって止めを撃った。
若者の中に四元義隆という東大出がいた。
つい最近死ぬまでは時の権力者の思想的黒幕であった。

 井上日昭は「一死多生」とも遺したという。私はこの言葉が好きである。
一死をもって一人でも多くの人に尽くしたいと願うからだ。地獄に堕ちるのが当然の事ばかりしてきたので少しでも罪滅ぼしをと思っている私なのだ。

たった一度の人生、たった一度の死、ならば世の中の為にならない奴等を道連れになどと思うのだがそれに値する様な人間がいない程悪党も小者になってしまった。

この頃あの大嫌いな五木寛之ではないが、法然や親鸞や日蓮や蓮如などの本を読んでいる。
又きっと行くであろう地獄の関係書を呼んでいる、何故だろうか。

3.11以後自分の命に対して敏感になっている様だ。
どう生きるかより、何を遺し、どう死ぬかを考える。
自分の命でかけがえのない命を救えるなら望むところなのだ。
「死よ驕る勿れ」イギリスの詩人ジョン・ダンの言葉を、詩人の田村隆一が訳した。
正に死よあんまり威張るなよといいたい。「生は強いぞ」

2012年2月16日木曜日

「0点」


読売新聞夕刊より

読売新聞夕刊より


東京ゲートブリッジ開通。
誰が設計したのか極めて不細工な形だ。

2月13日(月)読売の夕刊を見るとその開通した斜めの右下にGDP年率2.3%減の折れ線グラフが載っている。よく見るとまるでゲートブリッジと同じ様だ。
左右対称にこの折れ線グラフを配すとそれは決定的な程似ているではないか。

全く縁起の悪い不景気の象徴の様な橋の開通である。
きっと名ばかりのコンペティションを行い筋書き通り発注を決めたのであろう。
写真には富士山がクッキリ写っている。日本のシンボルが見届ける落ち目な橋の形なのだ。

日本の橋は造る度にお粗末な形となって来た。
曲線を取り入れると予算がかかるのか、みなおしなべて直線的でギスギスとしている。
橋の設計家の心もきっとギザギザハートなのだろうか。

折角富士山を望む事が出来るのならその富士山と一体となったまるで絵の様な美しいラインを生んでほしかったのだ。葛飾北斎ならどんなゲートブリッジを生み出したであろうか。
私の採点ではほぼ0点の作品だ。

2012年2月15日水曜日

「佐渡と靴」


※写真はイメージです


佐渡島といえばまず金山を思い出すはずだ。
次には流刑、島送りだ。そして美空ひばりの名曲「佐渡情話」だ。

深夜一人で聞くと体中に人を恋する想いが寄せては返す、波の様に伝わって来る。
つい一杯、又、一杯となる。酒は旨い、ひばりはもっと上手い。

その佐渡に震度5強の地震が来た。
小さなホテルの一室、手を伸ばせば何もかも操作出来る部屋に泊まり込んでいた。
部屋に入りTVのスイッチを探す。どか雪が降り注ぐ中、地面が揺れた様だ。

その瞬間私はある女性を思い出した。
その女性は新橋の靴磨きの人、SLのある場外馬券場の側でずっと昔から来る日も来る日も(休曜日以外は)ひたすら人の差し出す靴を磨いている。
隣には言葉がよく喋れない中年の男性がいる。バックスキンの靴はこの男性に磨いてもらう。

女性は一度NHKでドキュメント取材された。
夫を早くに亡くし靴を磨いて子供達を育て上げた。
一度義姉の葬儀(法事かもしれない)に佐渡に帰った時、佐渡の夜空はこんなにも美しかったかと初めて思ったといっていた。ずっと靴ばかり見ていて空を見上げる事がなかったと。
東京の空は見るに値しないと。

今日もおばさんはずっと靴を磨いている。
トキドキお世話になる。話をすると凄いインテリでユーモアがあり話が上手であった。
1回五百円。恐れ多い女性だ。年の頃は7578位だろうか。


2012年2月14日火曜日

「岩波大嫌い」




それをいったら終わりだよ」といったのはフーテンの寅さんだった。

我が社はコネのある人しか入社させません。
と、予め宣言した企業が出版界の名門岩波書店だ。
確かに大手から中小企業迄コネクションは有力な採用基準になる。
始めから入社させる事のない真剣な若者と面接するのは苦痛以外何物でもないだろう、だがしかしそれをいったら終わりなのだ。

「あーもしもし頭取かね、いや〜いつもすまんが知人の娘さんでね、とてもいい娘なんですよ」と電話口で喋っているのはある大物代議士だ。初めてその個人事務所に打合せに行くとことさら熱心に話を続ける。
そして、いや〜いろいろ大変でねなんていってコンビニのサンドイッチかなんかムシャムシャ食べる。

後でその代議士の知人に聞くと、あれはいつもの手なんだよ、初めてくる人間に自分を大きく見せる為に演じるんだ。
相手は頭取、会長、社長、教授、先生と使い分けるんだとか?どうりでクサイ芝居に見えた訳だ。
だがしかし何人かは本当に入れているはずだ。

岩波書店の言い草を聞くときっと文部科学省とかのコネで新入社員が決まっている訳だ。
バカヤロー、学生さんをナメんなよといいたい。出版人の矜持は何処へ捨てたかといいたい。
もう岩波は読まない。(元々難しいから読んでネェーけんど)

2012年2月13日月曜日

「行為のススメ」




1192年鎌倉幕府成立、この頃の人口は約760万人。 
1603年江戸幕府成立の頃約1200万人。 
1868年明治維新が起きた頃、約3400万人、そして2000年には約13000万人。
130年で9000万人以上増加した事になる。

が、2004年をピークに日本の人口は減り始めた。
出生年率を1.26とすると2100年頃には約4800万人位になってしまう。 
1.06とするとなんと約3800万人。その内約40%が65歳以上の高齢者となっているのだ。

この数字が何を意味するのかは明白だ。全ての産業がお終いになってしまうのだ。
どこもかしこもガーラガラ、スッカラカンになっているのだ。元々日本の人口は国土に比べて多すぎたのだ。
戦争ばかりやっていたので子孫を残すためにひたすら子供作りをした結果なのだ。
戦争状態になると人間の動物本能が働き子孫を残すために女性の卵子はバンバン生まれ、又、男の精子は生死をかけて健気な受精の旅をするらしい。

国を守るためには若者達が行動しないといけない。どんどん結婚をしないといけない。更に行為をしないといけない。
そして元気な赤ちゃんを頑張って産まないといけない。古来より1人では食えないが2人になれば食えるというではないか。結婚こそあらゆる産業を守ってくれるのだ。

こらーそこの若いの、1人で何をやってんだ、この意気地無し。

2012年2月10日金曜日

「猫と脱腸」


※写真はイメージです


猫は何で走るのか、本来猫はお皿の上の魚をパクッとクワえて走り去る時位しか走らない。
美人の膝の上にのんびりと座り、我が輩は猫であるとイバッテいるのだ。

ところが「猫ひろし」は大きな夢、ロンドンオリンピックに向かって走る、走る、走るのだニャー。2時間31分を切ればオリンピックへ行けるかもという。
カンボジアに国籍を移し遂に2時間3026秒でクリアした。
なんとも頼もしい猫であった。金メダルも夢ではない。

かつてキャットフードのCMを制作した事がある。
袋入りのドライタイプと缶詰だ。今と違ってCGのない時代、スタジオの中でジーッとお猫様が美味しそうに食べるのを待つ。一日、二日、三日。
とにかく大の大人が固唾を飲んでお猫様を見続ける。

なかなか上手くいかないのだ。
オッ食べたと思えばドライタイプの山がボロボロ崩れてNG。
オッヤッターと思えばウェットタイプの缶詰に口を入れすぎでNGとなる。

ともかく撮影で一番手こずるのは、猫や犬や鳥などの生き物と赤ちゃんだ。
赤ちゃんは三人位をスタンバイしてスタッフ全員がサツエイデチュヨ、タノンマチュヨ、コンヤモカエレナイデチューと赤ちゃん言葉になるのだ。

と、ここまで列車の中で書きながらひと休み、夕刊紙をパラパラと見ると何!あの玉置浩二がダチョーンと脱腸(鼠径ヘルニア)の手術をしていたとか。
レコーディング中、気合いを入れ過ぎて腸が飛び出てしまったらしい。
精力絶倫を語るミュージシャンとしては何とも絞らない話ではと、玉置浩二支持者としてはダチョーンなのであった。(当然日刊ゲンダイ)

2012年2月9日木曜日

「鴨と鴨」




私の仕事場の直ぐ側に長寿庵というお蕎麦屋がある。
そこの「鴨せいろ」は大人気、ウルトラ人気で昼はいつも満杯。それを楽しむためによく行く。

「鴨」といえば「鴨長明」といえば「方丈記」だ。
有名な「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」原稿用紙にしてわずか25枚ほどの中に今我々がどう生きるかの心があると、福島県三春町にある福聚寺の第三十五世住職にして芥川賞作家の「玄侑宗久」さんが方丈記を訳し、「無常という力」という本にして新潮社から出版した。
方丈記とは五畳程の広さ、天上まで2メートルほどの住まいの中で書いた日本三大随筆の一つ。他に「徒然草」「枕草子」だ。

最上の味の鴨せいろをすするが如く、名言が河の流れの様に一行一行極上の味で入ってくる。
故あってその玄侑宗久さんに会いたいと願い新作二作を読んだのだ。

この全長123頁の言葉の河には大学一個分以上のいい教えが書いてある。
重大な危険から身を守るには住む場所は小さい方がいいのだ。
ヤドカリでいいのだ。魚は水に飽きず、鳥は林に飽きずとか。なるほどザ・ワールドなのだ。

是非ご一読をオススメしたい。(1100円)

2012年2月8日水曜日

「働け」



まったり、ぐったり、ひっそり、しみじみ、どんより、着ている服は黒、灰色、茶色系。

顔に艶なく、髪は手入れ無し、靴に輝き無く口から言葉はない。
コンクリートの中の喫煙コーナーにはヤニの臭いと煙が彷徨っている。

手には競馬や競輪の予想紙やスポーツ新聞、赤鉛筆とチューハイや第三のビール、これが定番だ。ボクシングの聖地、水道橋の後楽園ホールに試合を見に行く。

その時その下にある場外馬券売場の光景だ。
光景といっても光は決して差し込まない。体から闘志も熱気も感じない。
人生のリングの上で戦う意欲を失っている。この頃会社員風が多いのは当然だろう、リストラされた人間には必ずリストラされなかった人間との違いがある。

お金にルーズ、時間にルーズ、約束にルーズ、女性にルーズ、又家族や友人、親からも見放されている。闇金やサラ金を渡り歩き汗をかかずして1000円を100000円にとか。10000円を1000000円にと一発を狙ってコンクリートの階段にぺったりと座っているのだ。

働ける五体を持っているのに何故働かないのだ。
ギャンブルのコツはやらないことが絶対に負けない唯一の方法だ。しかしかつて競輪場で聞いたジャンジャンジャンの鐘の音は今でも忘れられない最高のパーカッションだ。

2012年2月7日火曜日

「ヒマつぶし」


写真はイメージです


招請教授、客員教授、専任教授、臨床教授、特任教授等々世の中に教授が溢れている。

で、この人達は何をしているかといえば殆ど名ばかり、肩書きばかりの人が多いのだ。
一年に一度か二度講義するだけでほぼOKなのだ。

学生達が減り学校に魅力がなくなっている昨今。
ケーキの上にちょこんとのっている赤いイチゴみたいな目を引く色合いが必要なのだ。

当然熱心な○×教授や□△教授も多い(ごく少数だが)我々の業界でもめっきり仕事がなくなると自分の出身校などに行って自分を売り込むのだ。何しろヒマなのだから。

「オイ、あいつ大学の客員教授になったってよ」「そうかそうだろうな、あいつはイバル、タカル、手を出す?セコイ、ネタム、グチル、とことん人を利用してきたからな」「今も人の会社に居座っているらしい、タダで」こんな人が教授だなんていって教壇に立つ。被害者は学生さん達でたまったもんじゃない。

壊れたテープの様に過去の成功話を繰り返す(ヒマつぶしに)。
私に教授の話が来たことがあるのかだと、よしてくれ俺はそれ程馬鹿でもヒマでもないのだ。