イジメと体罰の門題が21世紀の今になって大問題となってきた。
この問題のルーツは旧日本軍にある。
人間が集団生活をする様になった時から、オイ!オマエタルンデルゾシッカリ働け!ボコッ、バコッ!があっただろうし、アノコキモワル、アソバナイ!シネ!シネ!とかもあったであろう。縄文、弥生時代からあったはずだ。
人間という生き物は実は猿山の猿と同じであるという事だ。
集団生活の中で大ボスが生まれ、中ボス、小ボス、その取り巻き、チクリ屋(密告者)、ゴマスリが生まれ一つのヒエラルキーが構成される。
弱い者、下っ端はいじめられ、噛み付かれ、シカト(無視)され、付き合ってやんねえよと村八分にされる。
軍隊という階級組織は元帥から二等兵まで絶対的命令と不条理な暴力行為によって統制された。
上官の命令は絶対であった。
月、月、火、水、木、金、金、プラス土日とイジメと体罰により習性化した。
作家五味川純平は大ベストセラー“人間の条件”の中でこの不条理を徹底的に書いた。
私はこれを本で読み、舞台で観た。また、テレビドラマでも観た。
映画は第一話から最終話まで特別上映会で約10時間一気に観た。
私の母も観た。
暴力を振るった人間はいう、お前らタルンデルンダヨオー!バカヤロー、ボコッ!ボコッ!そんな事やってると相手に殺されるんだぞ、オメエーセミになれ、言われた兵隊は柱にしがみつき、ミーンミーンと鳴く。
オイ、テメエそんな銃剣の使い方だと相手を殺せネエゾ、アホ!バカ!ボコッ!ボコッ!しっかり人間の殺し方を覚えろこのヤローといって口の中にスリッパを咥えさえる。
これを生き抜くための愛のムチという人もいう。
スポーツに置き換えてみると、お前は甲子園に行きたくないのか!エッ!ボコッ!ボコッ!こりゃーお前なんだそのグローブの使い方は、こっちこい!ハイッ、バチン、ハイッ、アリガトウゴザイマシタとなる。
お前な金メダルとらねーとオレの立場がネェーんだよ、お前には人一倍期待してるんだ、何だその絞め方は、こっち来い!ハイッ!バチン、バチン、バチン。
アリガトウゴザイマシタ!相手を絞め殺す位の絞め方じゃないと逃げられちゃうんだよ!勝てネェーんだよ。これを愛のムチという人もいる。
イジメと運動部に体罰が無い学校をこの日本国中に探すのは無理の中の無理だろう。
かつて“嗚呼花の応援団”といウルトラ面白いマンガ本があった(映画化もされた)。
主人公は大学三年生応援団行動隊長、青田赤道という化け物みたいにもの凄く強い男。
大団旗はとんでもなく重い。青田赤道しか持てない。それ故四年生も青田赤道には遠慮気味だ。
大学の応援団では、一年生ゴミ、二年生奴隷、三年生人間、四年生神様と位置づけられる(現代でもそうだろう?)。その上にOBという雲上人がいる。
彼等はイジメ、体罰をそっくりまとめて“ヤキを入れる”という。
上下関係は絶対である。
さしもの青田赤道もOBには逆らえない。一人の極悪のOBが登場する。その名は薬痴寺。このOBは後輩に焼きを入れるのが極上の趣味である。殴る、蹴る、殴る、蹴る。ボコッボコッにしてぐったり伸びた後輩に対して、伸びたフリをしやがって“役者やのォ〜”となる。
旧日本軍の歴史が、日本中の学校という学校の運動部に、スポーツ界に脈々と生き続けているのだ。私もかつて運動部で同様のシゴキ、ヤキ入れを経験した。
人と少し違うのは、私は先輩の不条理を許せず先輩をボコッボコッにしたのだ。
伸びた先輩に向かって“役者やのォー”とはいわなかったが、勿論退部した。
これからの運動部は、根性論的暴力教育ではなく、科学的指導が求められる。
殴って上手になれるなら誰でもプロになれるはずと、元巨人軍桑田真澄氏が書いていた。旧い体質の残る野球界、スポーツ界に於いて勇気ある行為であった。
愛のムチはSMクラブに行って体験するものなのだ。
私にSMの趣味はない。私は打たれた数だけ必ず打ち返す。