病院の待合室はかつて老人たちのサークルみたいであり、そこに集っては(?)お互いの病気自慢や食欲自慢、嫁の悪口を発散するのであった。
が、老人医療費の負担増で待合室のサークル化は消えた。
昨日は体育の日、金持ちの老人たちはスポーツジムに集まりサークル化しているらしい。若いスポーツトレーナーのところに人気が集まる。
キン肉マンに老女性は胸をトキメカせ、ピチピチの肉体に老男性は胸をザワザワさせる。話題といえば、株自慢、貯金自慢とか体力自慢、そして血圧、血糖値、尿酸値の比較となり、最後は嫁の悪口に行き着く。
スポーツジムに行くというのは決して死にたくない、どんなことしたって長生きするぞの意志表示なのだ。
私が好きだった落語家に古今亭今輔さんという名人がいた。
老女を語らせたら随一であった。「おばあちゃん長生きのコツはなんですか?」なんて聞かれると、「アタシャ人を食って生きてんですよ、嫌なことはみんな嫁にやらせてアタシャ好き勝手して好きなもの食べて、何も考えずよく寝ることを心がけていますよ、みんなに迷惑かけた分長生きできんですよ、ワハハハ」
…例えばこんな調子であった。
この頃長男に結婚相手が見つからないとか、その理由は将来の老人介護なんてまっぴらごめんということらしい。
作家五木寛之氏は本の内容はともかく、本の題名をつけるのが実に上手い。
悩める人に売るコツを知り尽くしている。この頃は「嫌老社会」なんていう言葉を生んだ。昨日あるスポーツジムに打合せをすることがあり立ち寄ると、若い女性トレーナーがインカム(マイク)をつけてエアロビを教えている。
60〜80代の老若男女10数人が、ハイ!足上げて、ハイ!広げて、ハイハイ!回転して、ハイ!床に手をついて、起きて、ハイ!ジャンプジャンプ、少年ジャンプみたいなことを激しい音楽に合わせてやっていた。透明なガラスの向こうでやっていた。
好きな人は何回もやるらしい。
若い女性トレーナーが若い男性トレーナーになると、待っていたとばかりにマット体操をしていた老女たちが我先にと参加していった。
体にピチピチに密着したスポーツウェアがその体型を現していた。
恥じらいを捨てた人たちほど、世に恐ろしいものはない。
ゴクッゴクッと水を飲む老男性に楽しそうだねと声をかけると、楽しいね、これからサウナ入って、冷たい風呂に入って、ジャグジーに入って、それからビール飲んでカラオケだ、ギャハハハと笑った。
こういう人たちと違って、青空の下で全力で走るステキな老人アスリートもいる。
この人たちは自己記録を伸ばすことに日々鍛錬をしている。
とてもストイックなのだ。
75〜79歳の体力が過去最高になったとか。
ヨーイドン、老人たちの徒競走は“10メートル”だった。「嫌老社会」は私のためにある言葉に思える。夕方海岸のサイクリングロードには老マラソンマンが列を成していた。
骨と皮になった老男性がヒーヒーノドを鳴らしながら私の前を過ぎ去って行った。
新聞に400キロもある熊が一発の銃弾で殺され、クレーンで引き上げられていた。
冬眠前の熊はエサを求めて腹を空かせていたのだろう。人間の仕業だ。