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2015年10月9日金曜日

「鹿とシカト」



佐賀県でのイノシシの暴走を書いたら、今度は静岡で鹿が民家の中に現れた。
鹿は立派な角を持ち、その表情は気品あるものであった。

「シカト」するという言葉がある。
主に無視するとかバックレル(しらばっくれる)時に使われる。
例えばアノヤロー俺が目線を送っているのにシカトしやがってとか。
あの娘生意気よね何様のつもりよ、この間なんか学食(学校の食堂)で隣同士になったらシカトされたわ。

語源はいろいろある、かつて“鹿十団”という不良グループがあったからとか(?)
鹿の角が左右ソッポを向いているとか(?)
鹿は気位が高く人間の視線を無視する、シカト(しっかり)見つめているのに反応しないからとか(?)
静岡の鹿はこの説に近かった。
取り押さえようと近づく人間たちをジーっと見つめ続ける、人間たちの愚かさを馬“鹿”にしているように無視し続ける。

映画「ディアハンター」でロバート・デ・ニーロが山の頂きで一頭の鹿を見つけ銃を構えるが、その気高さに圧倒され息を飲み引き金を引けない、鹿はハンターであるロバート・デ・ニーロを見てシカトする。
この名作映画の心象風景として素晴らしいシーンとなっていた。
そして映画は想像を絶するベトナム戦争へ、狂気のロシアンルーレットへと向かう。

静岡の鹿は麻酔薬を含ませた吹き矢によって眠らされ、4本の足を縄で縛られそして殺された。人間の仕業だ、イノシシの様に大暴れしていないのに。
ネット社会では“既読”という表示に対して返信して来ないと“シカトされた”→無視されたと思いトラブルのもとになるらしい。つまり日常的に使われている言葉なのだ。

日本全国で保護していた鹿が増え食物を求めて農作物を食べてしまう。
それじゃ鹿狩りをせよとなり鹿は殺され続ける。
イノシシも鹿も住む場所を人間に荒らされたのだ。
農作物の守り神、山の神といわれた狼も狂犬扱いされて絶滅した。

現代文明は「民俗学」を破壊してしまった。
私が大尊敬する宮本常一という民俗学者がこの世をみたら何と怒り悲しむだろうか
。“一億総活躍社会”とは民俗学的にどう解釈しただろうか。
寝たきり老人たち、生まれながらに不自由な体の人々、活躍したくとも病魔に襲われ動けない人々。働きづくめの人生の最後をゆっくりと過ごしたいと思っている人々—。
戦争中に“一億総動員、欲しがりません勝つまでは”というスローガンがあったがそれと同じ発想なのだろう。

私は民俗学の復活を教育の現場に求めたい。
人間の暴走を制止させられるのは人間でしかない。
歩く巨人といわれた第二の宮本常一が出るように。シカトお願いしたい。
私は何度か鹿肉を食したことを申告する。(文中敬称略)

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