高知県南国市に「後免町」というのがあるのを昨日、東京新聞の夕刊で知った。
この町名をひらがなで書くと「ごめん」である。
その町の住民たちが、第十二回「ハガキでごめんなさい」全国コンクールを開催し、いいそびれた謝罪の気持ちをしたためた心温まる作品を募集している。
市販のはがきを使用し、字数は二百字以内、イラストなどを自由に加えて良い(記事抜粋)。
このコンクールは、後免町で幼少期を過ごし、2013年10月に九十四歳で死去した同県出身の漫画家やなせたかしさんが提案して始まったと記事にあった。
主催は「ハガキでごめんなさい実行委員会」小さな記事であったが昨日いちばんのいい記事だった。
私が会社を一人で始めて四十五年、最初の社員になってくれた男が今も私を支えてくれている、勤続四十二年目となる。その男がいなければ今日の私の命はない。
その男の長男が小学生の時、こんな言葉を書いていたのを思い出した。
正確でないかもしれない。
「ごめんなさいは、ひととひとをつなぐ魔法のことば」
あえて確認をせず記憶を頼りに書く。
いい言葉のイメージを大切にしたい。違っていたら後日訂正をする。
「ごめんなさい」この言葉がすっかり日本人から消えてしまっている。
振り返れば私の人生は「ごめんなさい」を何千、何万回もいわなければならない。
暴言、放言、失言、目まぐるしく変わる思考と指示、言動と行動、あー思い出す、あの時「ごめんなさい」をいっておけば、あーあの人に「ごめんなさい」をいっておけば、あーあいつに「ごめんなさい」をいっておけばなのである。
今度時間をつくり一日中原稿用紙に「ごめんなさい」を書こうかと思っている。
いい言葉を小学生の時に書いてくれた子の名は、清水光太朗君、長野県佐久平にいる、来年は大学受験だ。目指す信州大学に入ってくれる事を願う。
その父親は毎日長野新幹線で出社してくれている。
定刻にキチンと出社して会社を守ってくれている。
私は会社というのを作ってから帳簿というのを一度も見たこともない。
コピーというのを一度もとったことがない。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい×何千、何万」なのです
会社人失格なのです。
同意語に“すみません”とか“すんません”というのがあるが、「ごめんなさい」がいちばん人と人をつないでくれる日本語でいちばんいい言葉だと思う。
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