あいつは「かたり」だから気をつけろ。
かたりとは人の名を使って人をダマクラかす、いわば詐欺師のような人間だ。
“山田雅人「かたり」の世界”というのを11月20日金曜日午後七時〜九時、大井町駅ビル内の“きゅりあん小ホール”に行った。
二階席まで満員、その数150〜180人位であった。
友人の代理店社長とその友人の代理店社長と三人で行った。
かねてより友人がぜひ観てほしいといっていた。
山田雅人、知る人ぞ知る天才話術師であった。
知らない人は知らないのだが、私はその知らない内の一人であった。
「かたり」とは何ぞや(?)舞台にはアルミ椅子一脚とマイク一本、片隅に一台の小さなプロジェクター。正面にそれを写す白いスクリーン。
二階席はかなりキツく、丁度コの字に曲がったところだった。
よく入っているね、「永六輔物語」と「島倉千代子物語」漫談だなと思っていた。
なんで「かたり」というのだろうかと思った。
七時十分程前に山田雅人さんがこんばんはと現れた。
みなさん、今日は来れないかもしれない、来れるかもしれないとおっしゃっていた永六輔さんが来てくれはりました(大阪の人であった)。
永さんは昨日転んで顔をぶつけて右目を傷つけられたのです。
でも来てくれはりました。いつまで持つか分からないが、ダメだと思ったら帰られます。
大拍手と共に車椅子に座った永六輔さんが現れた。
ヤクルトスワローズの野球帽に赤いジャンパー、ジーンズに白のスポーツシューズであった。難病のため手は大きく震えている。
言葉はたどたどしいが記憶力は抜群であり、ユーモアのセンスはやはり天才であった。
山田雅人さんが、これから永六輔物語をかたります、もし間違っていたり、文句があったらこの笛を鳴らして下さい、と永六輔さんの首に笛をかける。
さあ〜それでは永六輔物語です。いやはやその記憶力と弁舌の凄さ、永六輔に関する一代記、生まれてから現在まで一気に語り続ける。
渥美清との出会い、中村八大、いずみたくとの出会い、作詞との出会い、名曲誕生秘話、「上を向いて歩こう」に込めた想い。山田雅人がかたりをすると永六輔さんが笛を鳴らして、それはこうだ、あーだこーだと軽妙に解説する。
山田雅人はそれを受け、話をさらに展開する。
私は足もとにバッグを置き両足をつぼめていたのでふくらはぎがつってしまう。
だが二人の掛け合いと話の面白さに引き込まれてしまった。
永六輔さんは一時間近く舞台の上にいて大拍手に送られて帰って行った。
プロフェッショナルは難病すら笑いの種にしてしまう。
途中怪我をした右目の眼帯を外して見せた。
第二部は島倉千代子物語、スクリーンらしきものにプロジェクターから島倉千代子さんの秘蔵写真が映し出される。
♪〜しあわせになろうね あの人はいいました 「からたち日記」が山田雅人によってかたり続けられた。島倉千代子さんの人生はヒット曲通り、人生いろいろであった。
九時に終わり、明るくなったのでチラシを見てビックリした。
「しゃぼん玉一代記」「盲導犬の父・塩屋賢一物語」「藤山寛美物語」「ラグビー青春物語」「テンポイント物語」「中山律子物語」「長嶋茂雄物語」「植村直己物語」「二十四の瞳」などなどずらっと100ばかりが書いてあった。
人間のあるところ歴史あり、物語あり、山田雅人ありなのだ。
「かたり」とは、漫談でも落語でも朗読でもありません。
一人芝居のような動きもありません。
「真っ暗な空間にスポットライト一つ、マイク一本で届ける感動です」とかいてあった。その場で観客からリクエストされた競走馬の何頭もの名を聞き、即座に競馬中継をやりはじめた。
その馬の歴史をスラスラ話す、台本なし、八百長なし、もうあまりにビックリして言葉なし、記憶力は大型サーバー並みだ。
NHKラジオ隔週月曜「語りの劇場・グッドライフ」はレギュラー番組、夜九時〇五分〜五十五分まで。ブログは「山田雅人背番号31」。
12月26日亀戸カメリアホールに行けばきっとビックリギョーテンして足がつっちゃうよ、一人3000円なり。笑って、感動して、泣いてしまうよ(涙活にもなる)。
あまりに驚くことを裏社会では“レオクリビ”という。オレビックリのこと。(文中敬称略)
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