私は小田原駅から乗車した。オジサン二人はすでに乗っていた。
登山用のバックを足もとに置き、足は登山靴であった。
二人共かなり経験有りと思った。登山用バック、登山服、登山帽、登山用ベスト、登山用靴下、登山用の靴などがかなり使い込まれていたからだ。
大山連峰のどこかに行ったのかと思った。箱根登山かも知れない。噴火はその後どうなったか(?)とんとニュースを見ない。
正月の箱根駅伝は大丈夫だろうか。
倉敷のビジネスホテルにあったテレビは小さな、小さな正方形であった。そのテレビで箱根駅伝の予選会が終わったことを知った。
今年もわずか10秒、20秒、30秒程の差で涙、涙、涙の大学名が続いた。何しろ上位10校しか出場出来ない。
オジサンどこの山に登って来たのと聞こうかと思ったが二人ともぐっすり眠っている。
無事停年を向かえたと思うのは二人共実にいい顔をして眠っていたからだ。
うまい缶ビールを飲んだのだろう。空缶をバックのサイドにある網の中にキチンと入れている。マナーがいい。六十五・六・七・八歳位であった。
小田原から茅ヶ崎まで約30分、二人の寝息を聞きながら、大磯に停車した。
あ~私の先生であり宝物のようだった友は大磯に住んでいた。
生きていれば六十五歳を通過し六十六を向えていたはずであった。
ホーキンスの宇宙論を読みながら少年ジャンプを読み、性生活の知恵論を読みながら、英文の原書で推理小説を読む。絶えず数冊の本をバックに入れていた。
友はヤクザ物も大好きであった。
特に山口組分裂による抗争事件が毎日起きているときは、毎日内外タイムスと東京スポーツ、夕刊フジに日刊ゲンダイ。毎週アサヒ芸能とか週刊実話、週刊大衆などを読んではポイポイ捨てていた。
山口組が又分裂した今、友が生きていたら○△組と×□会はきっと殺りますねとか、○×連合と×△一家は参戦しきっと返し(復讐)をしますよねとか、大いに盛り上がるはずであった。
30秒程大磯に停まった列車の中で友と二人で飲んでいるシーンが浮かんだ。
時代は変わって今では暴対法によりドンパチは出来ない。
子分のハネッ返りで親分の体が刑務所に持って行かれてしまう、その上ゴッツイ金も支払うことになる。
暴力団から暴力を取ったら、「団」だけなのだから、一人でも多くの者が団から抜けて堅気になるのを支援してあげねばならない。
彼等も子の親であり一人の人間である。そして生きていかねばならない。
だた追い込むだけの法律では片手落ちだ。法務省に“堅気転向支援庁”みたいなのをつくってしっかり命を守ってあげねばならない。
列車は平塚の鉄橋を過ぎた、次は茅ヶ崎だ。
鉄橋渡る時の列車のゴトゴト音が好きだ。
鉄橋渡る時の列車のゴトゴト音が好きだ。
湘南シーサイドゴルフ場のショートホールが見えた。木がよく育ちグリーンが見にくくなっていた。
この頃は堅気の方がヤクザ者より何倍も暴力的で凶悪だ。
私の親愛なる友人に滅法ヤクザ界に通じているのがいる。
その友人にヤクザ界を知り尽くしている、その道のジャーナリストがいる。
近々会費制で“これからどうなるのを知る会”を仕切ってもらうつもりだ。
人間の表を知るには裏を知らねばならない。日々是勉強なのだ。
ヤクザ者はいよいよ動くときは、飛ぶぞとか踊るぞとかいう。
列車はゴトゴトからコトコトになり茅ヶ崎に着いた。二人は未だぐっすりだった。
♪~山男よく聞けよ 娘さんには惚れるなよ・・・ダークダックスの歌を思い出した。
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