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2016年7月8日金曜日

「綿菓子」




空は青々として雲白く、太陽はノー天気にギンギラしている。
夏雲は岩の如くという。銀座の街を歩く頭上に猛暑がある。
まっすぐ歩いているようだが実はユレユレしているのに気がつく。

今年も猛暑の中、和光の前に一人の雲水がいた。
ピクリともせず、静止している。その横をゆかたを着た若い女性が二人通り過ぎた。
そうか今日は七夕なのだと気がついた。
ゆかた姿が少ないことにも気がついた。街にも風情がない。

去年の夏、ゆかたに下駄履きの女性とやきとりを食べた日を思い出した。
♪〜浴衣のきみは 尾花(すすき)の簪(かんざし) 熱燗徳利の首つまんで もういっぱいいかがなんて…吉田拓郎の曲を思い出した。
目の前は山野楽器であった。
イジメっ子みたいな人にイジメられていないだろうかと思った。

少年の頃夏祭りでゆかたを着ていた同じ学校の男と女の子が、イジメっ子たちにイジメられているのを見て、イジメっ子たちをイジメてやった。二日間留置された。
女の子は白い綿菓子を持っていた。

例年なら平塚の七夕さんに行くゆかた姿が、今年はめっきり少ないと思った。
辻堂駅にはチラホラであった。日本の三大七夕といえば、仙台、阿佐ヶ谷、平塚。
ある年平塚の暴力団がドンパチをやったのが平塚の七夕さんにも影響したらしい。
私の体のメンテナンスをしてくれている鍼灸の達人が平塚に住んでいるのだが、やはりあの事件以来平塚の繁華街は勢いを失っていったという。
また長引く不況の影響もあるのだろう。

昨夜お世話になっている社長さんが銀座の仕事場に来てくれた。
あ〜嫌だ嫌だと言って入って来た。
世の中にイジメられているような人をたくさん助けている今どき珍しい位善い人だ。
あ〜嫌だ嫌だは、映画「男はつらいよ」に出て来る寅さんのオジちゃんのセリフだ。
また妹さくらの夫が働いている零細企業の社長(通称タコ社長)のセリフでもある。
毎月資金繰りに苦しむタコ社長は、あ〜嫌だ嫌だなのだ。

山形出張からそのまま直行して来たもう一人の社長も合流した。
冷たいビールで乾杯!話はサッカーボールのように弾んだ。
頭の中にずっしりとあった岩のような雲から少し解放された。

夏なのにセミの鳴き声が一度も聞けない。選挙カーからセミのような声が聞こえた。
◯×です頑張ってます、あと一歩、あと一歩です。ウグイス嬢の声だ。

2016年7月7日木曜日

「大名人の言葉」



♪〜私バカよね おバカさんよね うしろ指 うしろ指さされても…。
誰が唄った歌か忘れたがこんな流行歌があった。

私はかつて不名誉な言葉でこう呼ばれた。「歩く迷惑」と。
何故かといえばあっちこっちに打合せに行って、すっかり決まっていることを、あっちはそっちに、そっちはあっちにとか言ってはまとまっていた話を引っくり返していた。
あ〜アノバカまたきっと話を壊しに来るぞ、なんて思われていたのだろう。

朝起きてこれはいいぞと思ったことが数時間経って、本当にいいというのはめったにない。一分一秒経つごとに思考は変わる。これでもか、これでもかと考え続けていると、朝OKだったことが夕方99.8%はNOになるのはプロとして当然だと思っていた。
めんどくさがりは、それってもうOKだから次に行こうぜとなる、が勝負の世界はマムシよりしつこい人間が最後には勝つ。

将棋界の四冠王羽生善治はマムシより恐い“ハブニラミ”と言われている。
全部決まっていたことを全部引っくり返す、小林亜星先生が演じた“寺内貫太郎”の卓袱台返しのように。だがそれを恐れていては誰もやらなかったことは生まれない。
太陽が西から登場したってOKだし、前に進むクルマや列車がみんな後に進んでもOKだ。

かつて「ダダイズム」というのがアート界に出現した。
ダダとは常識破りとか、伝統や権威、道徳などを否定する若者のアートだった。
芸術は、バッバッ爆発だ!と言った岡本太郎さんは古い権威主義の画壇にオサラバだ。
現在日展に入選したなんて言っても、あっそう位だ。

ダダ(DADA)はルーマニア語の二重の肯定(イエス・イエス)だったと言われる。
私バカよね、おバカさんよね、そんなことを必死にやる若者が出て来てほしいと思っている。土鍋で顔を洗い、洗面器ですき焼きをする、そんなことを平気でする柔軟な発想力を養ってほしい。
いつの時代も大発見、大発明したのはみんなからバカみたいと言われていた若者だ。
人が一度やったことをいくら追いかけてもダメなのだ。
ボクは一年間も考えに考え抜いたものだといっても、つまんないものはつまんない。
ボクさっき駅に降りてふっと思いついたんですが、こんなバカなことって有りというのには勝てない。思考時間と創造の価値とは正比例をしない。
パッと一秒で大発見!そのためには何千時間も実は考えていることが必要となる。

一流のタクシーの運転手さんは一度行った道をずっと憶えている。
長い待ち時間の時は地図をずっと見ている。
そうでない人はただボーッとお客を待っている。こういうのを、ダダではなくタダの時間という。気が付くと実にこのタダの時間を私は重ねている。

プロとアマの打つ手の違いとは(?)と聞かれたある将棋の大名人はこう言った。
「打った手がプロの手」なんだと。大名人の名を大山康晴という。
ダダイズムが誕生して今年で100年目。
さあ〜今日からまた、バカになって誰も考えないことを考える、大成功を目指して。

2016年7月6日水曜日

「二人の巨匠」



「桜桃の味」という映画でカンヌ国際映画祭の最高賞パルムドールを受賞したイランの巨匠アッバス・キアロスタミ監督が死去した記事が昨日あった。
もう生きているのは嫌だ、いっそ死んでしまおうとする人間に、最後にもう一度桜桃の味を味わってごらんよ、そんなフレーズを思い出す。桜桃とはサクランボだ。

イランの映画界に名匠は多く当然名作も多い。
アッバス・キアロスタミ監督は私の大好きな監督だった。
プロの俳優を起用せず市井の人々を起用する。演技直前まで役者たちに脚本を見せないという独自な作法で有名であった。
ドキュメンタリータッチの作品は哲学的、文学的、そして宗教的であった。
映像は詩情豊かな自然派であった。小津安二郎監督に強い影響を受けたという監督であった。週末にTSUTAYAに行ってこの監督の作品をあるだけ借りてきて見ようと思っている。

アカデミー監督賞を受賞した巨匠マイケル・チミノ監督も死去してしまった。
名作「ディア・ハンター」を観てない映画ファンはいないだろう。
ベトナム戦争時あのロシアンルーレットの恐怖感を思い出すだろう。
ベトナム人たちが喚き、叫び、怒鳴り、水中に入れられたアメリカ兵を引きずり出して拳銃をコメカミに当て引き金を引く。死ぬか生きるかに金を賭ける。

上映後ロシアンルーレットは有名となった。
野菜のレンコンのような穴の中に銃弾を一発入れてルーレットのようにクルクル回すのだ。
リボルバー式の拳銃をある業界では通称“レンコン”という、また拳銃そのものを“親”といい、弾を“子”という。
親と子を持って来いと言えば、拳銃に弾を入れて持って来いとなる。また通称“鉄”ともいう。

数ある映画の中で、マイケル・チミノほど拳銃の恐怖を象徴的に描いた監督はいない。
短銃とかピストルの映画はある。西部劇の拳銃はマンガか劇画だ。
週末やはりマイケル・チミノの映画も借りてこよう。
大成功と大失敗の評価がある大作「天国の門」は空前にして絶後の映画だ。

夜十二時四十二分四十四秒、テレビからスガシカオの名曲が流れている。
♪〜あと一歩だけ、前に進もう(プロフェッショナルの主題歌)。
チャンネルを変えると、梅沢富美男が出ている。大の吉永小百合ファンで、日々サユリさんはどんなオシリをしていて、どんなパンティをはいているのだろうと妄想しているとか、サユリさんはスイミングが大好き、いっそサユリさんが泳いだプールの水を飲んでしまいたいと真顔でしゃべっている。

心に重いものを抱えて帰った夜は、いつものグラスで一杯だ。
今夜は強めのウィスキーのロックだ。
お世話になっている山形出身の社長さんが、桜桃を送ってくれた。
うですサクランボです。夜の最後に冷えたサクランボの味なんて、アッバス・キアロスタミ監督への献杯だな。明日はあと一歩前へ進もうと思った。

2016年7月5日火曜日

「トウモロコシとカボチャ」




北海道出身のその人は我が家でトウモロコシを食べた時“レオクリビ”、一家をビックリギョーテンさせた。
レオクリビとは遊び人たちが言うところの、オレビックリのこと。

トウモロコシを食べるとは、ガブッと喰いつきハーモニカを吹くように左に右に食いまくる。歯と歯の間にトウモロコシのビミョーな細い毛が何本もはさまったり、トウモロコシの粒々を入れるところの繊維もはさまる。
人間がトウモロコシを食べた後ほどだらしない形はない。
ずっと見ていたくないので直ぐに台所に行って捨ててしまう。

が北海道の人は、トウモロコシを左手に持つと、右手の親指で一粒一粒をオドロシクていねいに取って行く。15粒位取りそれを手のひらにのせるとパポッと口の中に入れる、そしてまた器用というか超絶的テクニックでキレイ、キレイ、ビューティフルに食べ尽くす。
その残った形は美術品と言っても過言ではない。
それ故決して台所に持って行くことはなくジッとそれを見る。
一同シーンとなってしまう。スゲエとかスゴイとか位しか言葉は見つからない。

昨夜トウモロコシが茹でてあったので、北海道の人のようにやったが全然ダメであった。何年やってもダメなのである。
この北海道の人はジャガイモをアルミホイルでていねいに包んでたき火の灰の中に入れる。待つこと約30分位、長割り箸でコツンコツンと突っついて、ヨシとばかり灰の中からコロコロ、アツアツと取り出して、アルミホイルを広げる。
そこにはふっかふかのジャガイモが黄金色になって湯気立っている。

北海道の人はそのアツアツの皮をそれはそれは美しくはぎ取る、というか海水浴なんか行って陽灼けしたあと、背中の皮を美しい女性の手でそっとやさしく、いたくなくはいでもらう、ワァッこんな大きな皮がむけたわ、オッ上手いなんて感じである。
ジャガイモが型崩れすることなどは決してない。取れたままの形が全裸となる。
そこにバターをのせると、もうたまらない北の味が生まれる。
これもやはり美術品に近い。

近所に住む陶芸家ご夫婦の奥さんが自宅の畑で育てた特大・大・中・小のジャガイモを、ご主人が持って来てくれた。
思い出すな〜稚内に行った時、寒い早朝の海岸で食べたあの美しい全裸のジャガイモを思い出した。
お世話になった大手証券会社の偉い人が定年になった後、夏は北海道に行って畑仕事をして、毎年でっかいカボチャを何個も送ってくれてた。釣りの名人でもあった。

はじめて私と会った時、あまりに言いたい放題なので、なんて嫌な奴だと思ったと後で聞いた。私を連れて行った広告代理店の担当部長に、なんであんな男を連れて来たんだよと言ったとも聞いた。だがその人とはその時から三十余年以上お付き合いが続いた。
その人が今年の初めに亡くなった。元気満々の巨体の人であった。

今年はカボチャが来ない。
いつもカボチャと共に名文のエッセイがダンボール箱に入っていた。
それも来ない。夏には絵日記がよく似合う。
トウモロコシとジャガイモ、それにカボチャをカラーペンで描いた。

北国の人お二人には何十本もCMを作らせてもらった。
会うが別れのはじめというが、いい人との別れはつらい。
平塚の海で釣りをした時の写真を見てサヨナラを言った。
その人は頭に白いタオルでハチマキをしていた。