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2016年7月5日火曜日

「トウモロコシとカボチャ」




北海道出身のその人は我が家でトウモロコシを食べた時“レオクリビ”、一家をビックリギョーテンさせた。
レオクリビとは遊び人たちが言うところの、オレビックリのこと。

トウモロコシを食べるとは、ガブッと喰いつきハーモニカを吹くように左に右に食いまくる。歯と歯の間にトウモロコシのビミョーな細い毛が何本もはさまったり、トウモロコシの粒々を入れるところの繊維もはさまる。
人間がトウモロコシを食べた後ほどだらしない形はない。
ずっと見ていたくないので直ぐに台所に行って捨ててしまう。

が北海道の人は、トウモロコシを左手に持つと、右手の親指で一粒一粒をオドロシクていねいに取って行く。15粒位取りそれを手のひらにのせるとパポッと口の中に入れる、そしてまた器用というか超絶的テクニックでキレイ、キレイ、ビューティフルに食べ尽くす。
その残った形は美術品と言っても過言ではない。
それ故決して台所に持って行くことはなくジッとそれを見る。
一同シーンとなってしまう。スゲエとかスゴイとか位しか言葉は見つからない。

昨夜トウモロコシが茹でてあったので、北海道の人のようにやったが全然ダメであった。何年やってもダメなのである。
この北海道の人はジャガイモをアルミホイルでていねいに包んでたき火の灰の中に入れる。待つこと約30分位、長割り箸でコツンコツンと突っついて、ヨシとばかり灰の中からコロコロ、アツアツと取り出して、アルミホイルを広げる。
そこにはふっかふかのジャガイモが黄金色になって湯気立っている。

北海道の人はそのアツアツの皮をそれはそれは美しくはぎ取る、というか海水浴なんか行って陽灼けしたあと、背中の皮を美しい女性の手でそっとやさしく、いたくなくはいでもらう、ワァッこんな大きな皮がむけたわ、オッ上手いなんて感じである。
ジャガイモが型崩れすることなどは決してない。取れたままの形が全裸となる。
そこにバターをのせると、もうたまらない北の味が生まれる。
これもやはり美術品に近い。

近所に住む陶芸家ご夫婦の奥さんが自宅の畑で育てた特大・大・中・小のジャガイモを、ご主人が持って来てくれた。
思い出すな〜稚内に行った時、寒い早朝の海岸で食べたあの美しい全裸のジャガイモを思い出した。
お世話になった大手証券会社の偉い人が定年になった後、夏は北海道に行って畑仕事をして、毎年でっかいカボチャを何個も送ってくれてた。釣りの名人でもあった。

はじめて私と会った時、あまりに言いたい放題なので、なんて嫌な奴だと思ったと後で聞いた。私を連れて行った広告代理店の担当部長に、なんであんな男を連れて来たんだよと言ったとも聞いた。だがその人とはその時から三十余年以上お付き合いが続いた。
その人が今年の初めに亡くなった。元気満々の巨体の人であった。

今年はカボチャが来ない。
いつもカボチャと共に名文のエッセイがダンボール箱に入っていた。
それも来ない。夏には絵日記がよく似合う。
トウモロコシとジャガイモ、それにカボチャをカラーペンで描いた。

北国の人お二人には何十本もCMを作らせてもらった。
会うが別れのはじめというが、いい人との別れはつらい。
平塚の海で釣りをした時の写真を見てサヨナラを言った。
その人は頭に白いタオルでハチマキをしていた。

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