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2016年7月14日木曜日

「沖縄のマンゴー」





♪〜生まれた時からみなし子で 親の顔さえわからずに 夜に生まれて夜に育った女の姿 嫌なお客にせがまれて 男の枕にされながら つくる笑顔も生きるため…。
浜圭介作詞の名作である。

夜に働く女性を“夜の女”という。水商売の女という。
昼間の仕事の人間が家路に着くころ、夜の女は仕事場に向かう。
♪〜咲いて流れて散って行く 今じゃ私も涙の花よ…。
森進一は唄った。

夜の女と“昼の女”を区別してはいけない。
男も女も、夜の女も昼の女も、浮いて沈んで生きて行く。
この世は四民平等いかなる職業も、浮いたり沈んでいる。
沈んでも負けずにがんばって、やがて浮いて来る人間もいれば、何もかもあきらめて沈んだままでいる人間もいる。

そういう人間は決まって人のせい運のせいにする。
あいつのせい、あの人のせい、会社のせい、得意先のせいと。
そして自己弁護をする。こんなにがんばったのに、あんなことまでしたのにと。
だが本当に身を粉にして一生懸命にやったかといえば実はそうでないのが多い。

決して美人でもないのにいいお客がつく女の子、飛び切り美人なのにお客がつかない女の子。その違いを書きだすと一冊の本になる。
私は十六歳の時から人の浮き沈みを見て来た。
昼の女の子が夜の女の子を下に見たりしていると無性に腹が立つ、自分は何をやってんだよと。

男が女性を口説く時、圧倒的に昼の女の子の方がたやすいと日本国の男子ナンパ学の統計(?)に出ている。メチャクチャでデタラメでつける薬のないような女子大生や、気どった一流企業のOLや、お堅い公務員や白い服関係の女性、自称高学歴インテリの女性、男ひでりの女性などは見ていられない醜態を演じる。
だが宿命を背負った夜の女の子は簡単には口説けない。
何故なら男をしっかり見る目を持っているからだ。
だがしかし母性本能に火をつけられた女の子は♪〜いっそこのまま地の底で そっと静かにねむりたい…。と沈んで行く。

昨夜銀座の街を一人で歩いていた。
そこへ私の名を呼ぶ黒服が現れた。
オッ、なんだどうしてここにいるんだと言ったら、姿が見えたもんでと言って人懐っこく笑った。ちょっと寄って下さいと言うから30分だけ行くよと言って、ある店に入った。そこはお店というリングであった。
みんな懸命に戦っている。

私は人生と戦う人が男女関係なく好きである。
ついた女の子をひと目見れば、およそその子の人生が見える。
性格のいい子、賢い子、ズルイ子、使えそうな子、そうでない子、暗くて重い過去を背負っている子、ヤクザな男に惚れている子(ヤクザ者は一番モテる)。
100%とはいわないが、78%近くは外さない。高い月謝を払って来たから。

30分後には来るから待っていろよと言っておいた“白タク”の運転手が、78分遅れたら急のお客を乗せて行ってしまったとか。
同僚の運転手がスミマセン私が代わりにと言った。

夜の銀座は私の学校であり人生の教科書である。
あきらめるなよ、きっといい日が来るからなと心の中で想い、手を振る女性に手を振った。銀座は夜のブルースなのだ。

深夜二時八分五十秒、NHKテレビにはiPS細胞の山中伸弥教授と渡辺謙が出ている。
べんぴのふんずまりのような声でしゃべる鶴瓶も出た。
目が笑っていない山中教授、能書きの多い渡辺謙、本業を忘れた鶴瓶。
私はこの三人が好きでない。理由はない、ただ私の感覚が信じるな裏があると赤信号を出す。沖縄の友人から頂いた超絶的マンゴーは熟れた女のように魔性の甘美であった。
胃袋の中にぐにゃぐにゃとゆっくりと沈んだ。(文中敬称略)

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