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2020年2月19日水曜日

第25話「私は出張」

私は「出張」である。(月)(火)と名古屋に私出張は、出張して来た。足掛け三年にわたって仕事をさせていただいている会社の少し遅めの新年会に出て、次の日は朝から映像フィルム作成のためのロケハンをして回った。名古屋は粉雪が舞って寒かった。ウェブデザインの相棒と一緒であった。この相棒は私出張にとって最高の才能である。アカデミー賞を受賞した映画「パラサイト」の主演、ソン・ガンホにウリ二つである。私出張のあらゆるオーダーに対して、常に冷静に取り組んでくれて、オーダー以上のものを出してくれる。大学では哲学を学び、ソクラテス、アリストテレス、カント、プラトン、ニーチェらを原書で読んだ。結果哲学ではメシは食べて行けないと、急施回してウェブデザイナーとなった。私出張はとにかく乱雑に難しいオーダーを出す。常に誰もやらなかったことに挑戦する。和製ソン・ガンホさんは常にニコニコしている。名古屋は夏暑く、冬は寒い。(火)4時には渋谷で大切な打合わせがあるので、午後一時までにはロケハンを終えなければならない。オーバーコートは着ておらず、新年会には偉い人たち11人が出席するのでスーツを着ていた。代理店の人がクルマでアチコチ回ってくれた。おかげで早朝からのスケジュールをこなすことができた。で、名古屋駅で急いで昼メシをしようとなった。私出張は(一)ひつまぶし、(二)山本屋の煮込うどん、(三)駅のホームのきしめんを考えていた。私出張の楽しみは食べることである。旨い店に当たればうれしいの一語。旨くないと残念でしたとなる。その昔出張といえば勤め人にとって、息ぬきでもあった。仕事が無事終りさあ~夜だ、評判のあの店に行ってみよとなりその土地の食を知ることができた。今は交通機関が発達して、かなり遠方でも日帰りが可能になり、出張気分にひたることはできない。(一)をあきらめ、(二)は見つからず、(三)はちょっとサビシイと思いキョロキョロしていたら、名物カレーそばという大きなポスターが目に入った。体はかじかんでいたので、アヂアヂのカレーそば(フツーはうどん)にしよとなった。頼んだらすぐに出て来た。駅中などでの列車に遅らせまいとの心配りだ。カレーはアヂイから時間がかかるなと思ったが、カレーそばはかなりヌルイ。何故か白菜ともやしが入っている。Why何故かと思った、ズルズルすするがカレーの危険度はない。アヂアヂでないから皆エプロンをかけてない。白菜ともやしの水分でカレーの温度が下がっている。やはり列車に送らせまいとの心配りだろうか(?) 私出張は実のところガックリしたが、和製ソン・ガンホさんは、何か食べたことないカレーそばですが、白菜ともやしが入り混じって旨いですねと言っては、ズルズルと箸を進めた。郷に入らば、郷に従えと言う。私出張は力なくすすった。駅のホームに立つと立食いきしめんの店から湯気がでている。やっぱり(三)のきしめんでよかったのではと思った。お土産に「赤福」を買うかと思ったが、鞄が重かったのでパスした。その日伊勢名物赤福の会長が退任したとニュースで知った。一度賞味期限のウソの責任をとって退任したが、いつの間にか返り咲いていた。今回は赤福の名で焼酎を売った責任らしい。お伊勢さんもきっとあきれ返ったはずだ。名古屋で新年会をした会社の人たちは、いい人たちばかりの会社である。私出張はカレーはやっぱりカレーうどんでないと駄目だと思いつつ列車の中で少し眠った。



2020年2月18日火曜日

第24話「私は日曜」

私は「日曜」である。ずっとずっと昔に「日曜はいやよ」なんていう外国曲があった。ネバー・オン・サンデーである。きっと若い恋人同士が、休むことなく一緒にいたい、という想いだったのだ。男と女は一度火がつくと、オーストラリアの大火災のようにカンタンには消化できない。家庭の外で恋火をつけているヒトは火宅の人と言われる。檀一雄の小説の題にもなっている。文士たちは言う、男子たる者この世に生を受けて、恋愛を数多く出来ないようじゃダメだと。私日曜は思う。そもそも結婚なんてものは、偶然の産物でしかない。一年365日同じ人間と暮らすことは、冷めたスープをずっと飲んでいるようなものだと、お互いに達観したら長続きをする。バブル女子といわれる五十歳前後の主婦の50~60%には、若い恋人がいるとバブル女子、セレブ女子たちから聞いた。若い恋人はアクセサリーのようなものであるらしい。ヒラヒラをくぐったら、もう週刊文春か、フライデー。ヒラヒラとはモーテルに自動車を入れる時にそこにある、ビニールのすだれだ。何故、浮気(不倫・不貞ともいう)をするか、そこに男あり、そこに女がいるからだとなる。男も女も恋愛を感じなくなると、男は色気を失い、女は美しい輝きを失う。恋多き作家と言われた故宇野千代さんは、九十歳位の時のインタビューでこう言った。今日の私は可愛い(?)と。私日曜は最近いろんな芸能人の浮気(不倫騒動)を知ると、少々げんなりする。週刊文春はもう一年半以上買ってない。いまや文春砲という位、有名人、著名人にスクープを恐られている。東京新聞にかつてその文春砲の仕掛人、元編集長のコラムが連載されていた。まるで犯人を追う刑事のように、警察犬のように、つけ狙い、つけ回り、嗅ぎまくる。それらは読者をよろこばすかわりに、人の不幸、家庭の不幸、子どもたちを不幸の底に落とす。男子一生の仕事かと言えばそうではない気がするし、悪徳政財界や官僚退治であれば、よくやったとも思う。モテる男がモテたら仕方ない。仕方ない同士が仕方なくなったら仕方ない。私日曜は少年の野球を応援しに海岸近くのグラウンドによく行く。その途中にベイ・シティ・ホテルというのがあり、大きなビニールのヒラヒラがある。日曜の午後そこにクルマが消えて行く。中には本当の夫婦も多いとか、家にはいつも子どもたちがいる。ゆっくり二人だけになれないからだ。森田芳光監督の名作「家族ゲーム」では、夫婦の会話は外に置いてある車の中であった。受験勉強中の子がいるからだ。テメーラ、コソコソ写真撮ってんじゃネエ、バーロとカメラを取り上げ、道路に投げ捨てたのは、名優ショーン・ペンだった。最近芸能人の結婚ブームは、文春砲とかフライデーを気にするより、とにかく結婚しよう、そうすれば堂々と二人で外に出れる。なあ、そうしよう、そうしようの結果だと思う。私日曜は、雨の日曜日、つれづれなるままに、テレビを見ながら書いている。明治の元勲の中で、もっとも女性を好んだのは伊藤博文であったのは、歴史的に有名である。下半身の事は、武士の情けと言われている。女性であれば風情だろうか。雨の下椿の花が咲いては落ちている。
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2020年2月17日月曜日

第23話「私は呼名」

私は「呼名」である。人の名や物の名自然現象の名、花々の名、動物の名等々、そして職業の呼名(よびな)である。新型コロナウィルスの感染源を追っているニュース報道を見聞きしていて、ふと思った。ニュースキャスターや専門家たちが、タクシーの運転手さんの事を、タクシーの運転手と表現する。はじめは違和感がなかったが、何度も聞いていると、タクシーの運転手と呼びつけることに気分が悪いニュアンスを感じた。正しくは感染したタクシーの運転手の方とか運転手さんと言うべきではないだろうか。医師とか教授、博士、弁護士、公認会計士、航海士、建築士等々は、その言葉で社会的地位が分かる。が、塗装工とか建築作業員、警備員、配線工、清掃員とかと呼びつけにされると、何か嫌な気分になる。やはり塗装工の方とか、清掃員の方とかと言うべきではないだろうか。みんなそれぞれ自分の仕事に誇りを持っている。私呼名がいる業界は、広告屋と言われていた。保険のおばさんは、保険屋と言われた。大きな家の玄関には。広告、セールスお断りの貼り紙があった。今ではアドマンとして地位を得ている。私呼名が大変お世話になっている不動産業は不動産屋と言われた。例えば文学で見て、広告家とか、保険士とか、不動産家と見ればどうだろう。エロ・グロ小説を書いていても、小説家と書けば、文化人的になる。小説屋だと、文学の知的ニュアンスは消える。私呼名が、タクシー運転手さんの子どもだとしたら、テレビのニュースで、運転手、運転手と呼びつけされたら、テレビに皿を投げつけるだろう。日本語は極めて職業を格差的にすることを、改めて感じたのだ。検察官、警官、監察官、長官など、がつくと、どんな悪徳人物でも社会的地位を感じる。金融業とかヤクザ稼業とか、業がつくと怪しくなる。農業、林業、漁業だけは別格だ。知人にAV(アダルトビデオ)業でしこたま稼いだ奴がいた。しかし天罪が襲った。金のある黄金の日々が忘れられず散財をした後、借金地獄となり、自死をした。肉体は肉片化して飛び散った。片足だけが見つからなかったが、半年後位にある家の物干しをする場所の下に食い込んであった。落ちた洗濯物を探していたおばさんが、ギャーと大声を出して腰を抜かした。の使い分けで決して変えてほしくないのが、映画屋だ。これが映画家になったら、ゴメンなのだ。私呼名は場末の芸者と自からを言っている。仕事というお座敷に上がったら、精一杯、芸を売るのだ。少年の頃クズ屋さんという職業があった。私呼名の友人の家だった。いろんなものがあり楽しかった。電線などを払い集めていくと、10円をくれた。コロッケが三個買えた。やがてクズ屋さんは差別的だとなり、廃品回収業になった。こんな話がある。ある街に二人のヤクザ者がいた。一人は一人のことをいつもは、×さんと呼んでいた。ある夜、酒場で二人は出会った。さんづけで呼んでいた男は女性と一緒で酒に酔っていた。そこへ先輩格である男が舎弟たちを連れて入って来た。いつもはさんで読んでいた男が、女性の前でイキガッテ、オ~×君と言った。さんに変わってしまった。その夜、その男は左腕を斬り落とされた。こんな話を幾度も見た。呼び方、呼び名には十分気をつけねばならない。私呼名は、神社の境内での出来事を思い出した。斬り落とした男は、その後、某私立大学の伝説の応援団長となった。空手をやっていてその応援の姿が見事で、各大学の応援団員が見本として見に来ていた。私呼名は先輩と言っていた。私呼名がお世話になっている。タクシーの運転手さん、新型コロナウィルスに気をつけてください。

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2020年2月14日金曜日

第22話「私は例規」

私は「例規」である。先例となっている規則、先例となっている掟、とでも言うものだ。新型コロナウィルスはいよいよ日本に入り拡散しはじめた。テレビではいろんな大学の医学部教授とか、感染の専門家とか、疫学の専門医とかが、各テレビ局に呼ばれて、次々と予想を外している。私例規は思い出す、あの東日本大震災の時、原子力問題とか原発問題とかに詳しいという、学者たち第一人者がメルトダウンはしない、考えられない、心配ないと言っていた。がメルトダウンをすると第一人者たちは、次々とテレビから姿を消した。今回もインフルエンザみたいなものとか、死亡率は少ないとか、日本は水際対策をすれば大丈夫と、はじめは言っていた。私例規は厚労省がパニックを起こすような事は言うな、そんな有言、無言の圧力を今回もやっているなと思う。国や役所に憶えめでたくないとなると、この先立場が悪くなると忖度をしてしまう。東日本大震災の時、東京電力や役所の人間の対応が、遅く、鈍く、不正確、アヤフヤなので、イラ菅こと当時の総理大臣菅直人は、オレはこの目で現地へ行くと怒って、ヘリコプターを飛ばして現地を視た。これが大ヒンシュクを買って、民主党政権崩壊と向った。私例規は今思えば、菅直人の行動は大正解ならずとも、正解であった気がする。東京電力の福島原発の故所長ですら、現地の事が分からないので、遠くからガタガタ指示を出すなと、何度も怒った。日露戦争の203高地の激戦の時、乃木希典以下指令部の命令は、ただひたすら高地を目指して這い上がり突撃せよであった。高地から見下をす露軍は、日本軍兵士を新型の機関銃で狙い撃ちした。日本軍は愚策の連続だった。報告を受けた大山巌将軍は、乃木たちではダメだと、児玉源太郎中将を急いで派遣した。当時児玉源太郎は陸軍の至宝と言われていた。150センチ位の身長しかない児玉源太郎だが、着想が大きかった。現地に行くと指令部が戦況がよく見えないような所に設営されていた。バカヤロー共こんな遠くにいて指揮がとれるのかと、指令部を前へ前へと設営した。高地から狙い撃ちになっているなら、その高地に砲撃を加え一気に203高地を陥落させた。もっともこれに味をしめて、日本国は富国強兵をさらに進め、軍国主義全盛へと向かわせ、第二次世界大戦の大敗北となる。話が外れたが、私例規はあの原発事故と、その後の対応への大批判を思い出す。新型コロナウィルスはすでに和歌山、神奈川、東京、千葉と拡散している。日本中に拡散するのを防ぐために、日本の責任者たちは、感染を恐れずに陣頭指揮を執らねばならない。勿論超党派である。しかし国会においては与野党相変わらずの姿である。優秀な医師の方に集まってもらい緊急対応を学閥、門閥なく力を合わせ、手を打たねばならない。テレビには次々と顔触れを変えた専門家たちが、ハッキリと物言わず、お茶を濁している。私例規は二人の優秀な医師をすすめる。一人は茅ヶ崎の町田二先生、もう一人はやはり茅ヶ崎の大野俊幸先生だ。お二人共に見立ては早く、処置、処方、傾向への対応策を持っている。誰に遠慮なく今すぐやるべき事を、指示してくれるだろう。菅直人総理は現地へ飛んだ。安倍晋三総理は、いつどこの現地に行くのだろうか。いつも大挙して駆けつける、野党の面々は、いつどこへ行くのだろうか。私例規は先例などにとらわれずに、さらなる拡散を防ぐ対応策を打ってほしいと願うのだ「着眼大局、着手小局」と言う。大発想、大着想、そしてキメ細かな手を打つのが、国民から選ばれた人たちの仕事なのだ。官僚の書いた原稿を棒読みしていては、国会議員という大役はつとまらない。何事も先例主義が官僚なので心配だ。臨機応変をしなければならない。隠し事はあってはならない。私例規は良い事のために破ってほしい。




2020年2月13日木曜日

第21話「私は葉書」

私は「葉書」である。大手出版社の編集人の方が、NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演された時、葉書は心の握手なんですと言った。有力編集人ともなると、毎日毎晩、天才、奇人、変人や狂人に近い小説家大先生と付き合う。朝まで生テレビのように正に朝まで飲み、食い、交論、談論をし、悪口雑言を聞きなだめたり助言したりする。小説家という先生方は自分の作品についての評価、評論をことの他気にする。編集人は夜が明け帰宅すると、前夜会った先生方に、一枚一枚心のこもった葉書を書き、ポストに投函する。ここまでやって編集人の一日は終る。大先生たちも、中先生も、小先生もこの一枚の葉書で、よしまた頼まれたら書いてやろう、となる。これがメールとかFAXとかではイケナイ。葉書は封筒に入った手紙と違って、手にした人はその文章が読める。仮りに大先生から返信の葉書が届くととそれはお宝物の葉書となる。かつての文士は葉書の名手であった。私葉書は味のある文章、味のある絵付、凄みのある一言なんかを書いていただくと、とてもいい気持ちになる。郵便屋さんが私葉書に配達してくれることに感謝するのだ。私葉書に思い出深い一枚の葉書がある。それは先日亡くなった野村克也3冠王&名監督から届いたものであった。ある仕事に出演していただいた。父と子が本音を言うものであった。その仕事では、何組も出演していただいた。撮影した数日後、万年筆で書かれた達筆な文章による礼状だった。私葉書は大変感激をした。私葉書のような仕事をしていると、いろんな人とお仕事をするが、見事な葉書一枚と言うと、野村克也さんを思い出す。数年前定宿にされていた都内のホテルラウンジで奥さまと珈琲を楽しんでおられた。友人と一緒だったのだが、私葉書はご無礼はお許しくださいと、お二人の前に立ち、一枚の葉書の御礼を言った。亡くなった次の日のテレビでニュースを見たり、記事などを読むと、かつての教え子たちが、監督からごていねいな葉書をもらって励まされたとあった。皆さん口を揃えて、達筆にして名文だったと。名監督は人の心を動かす名人でもあったのだ。私葉書はこの父と子の雑誌広告シリーズなどで、業界の登竜門の新人賞を受賞できた。私葉書は亡き野村克也さんと、心の握手ができていたんだと思った。心よりご冥福をお祈りする。監督としての通算成績は、1565勝1563敗、2つだけ勝ち越し、率にするとジャスト5割であった。王や長嶋はヒマワリ、オレはひっそりと咲く月見草と言った。人を育てた人こそが大才だとも言っていた。京都丹後の峰山高からテスト生で入って、野球界に偉大な足跡をのこした。コンプレックスと反骨心がその支えだったという。私葉書は届くかどうか分からないが、今惜別の葉書を書いている。

2020年2月12日水曜日

第20話「私は募集」

私は「募集」である。1979年、アメリカ映画の名作「クレイマー、クレイマー」はロバート・ベントンが監督、第52回アカデミー賞で作品賞監督賞脚色賞をはじめ主演男優賞と助演女優賞も受賞した。主役ダスティン・ホフマンが勤務先の上司からランチを誘われる。広告代理店のクリエイターだった主人公は、上司から君はあの仕事から外れてくれと言われる。アメリカでは上司からランチに誘われるのは、辞めてくれということであった。主人公は個室女性秘書付であった。ランチ代は自分で払うと言って席を立つ。日本語的に言えば、バカヤロー、テメエに昼メシ代なんか払ってもらえるか、こんな会社こっちからやめてやる! こんなかんじだろうか。日本では昼飯を一緒にと誘うのは、より親しく、もっと親しく、ずっと親しくの思いが込められている。映画の主人公は妻と離婚へと進んでいた。妻は子どもと夫を置いて出て行った。もう一人の主人公妻を演じるのは、メリル・ストリープだ。職を探す夫は広告業界専門の募集誌を見て面接に行く。いろんな職業別に募集誌がある。夫はある会社で面接を受ける。自分の制作した作品を見せて、ここは私がレイアウトをやった。これのここは私の書いた言葉(コピーライター)だ。面接に行った会社ではパーティをやっていた。夫は長い間パーティ会場の隅の椅子に座って待たされた。給料はいままでの半分、個室なし、女性秘書なしであった。それでも生活費を稼がなければならない。ある日子どもを自分の仕事場に連れて来て、ここがパパの仕事場だと見せる。6、7才の男の子は目を輝かす。結婚大好きのアメリカは、離婚も大好きな国である。クレイマー、クレイマーとは、文句の多い妻、不満の多い妻とでも言うのだろうか。プータレル妻に夫は勝てない。一生懸命働いていたら家庭をかえりみないとされた。募集という切実さを初めて知った映画がこの作品だった。現在の日本国は募集広告大国である。ありとあらゆる媒体で人材募集の広告をしている。竹中平蔵という学者が日本をアメリカ的にしようと動く、売国的学者が理論的なことには興味のない小泉純一郎(当時の総理大臣)を籠絡した。その後も一貫してアメリカ的雇用制度を推進させている。会社は社員を話し合いもなく、いつでも辞めさせられる。能力給で成果主義。つまりはフツーの人間はいらないということだ。日本はお殿様の時代からフツーの人間を大切にして来た。いわゆる中間層だ。今これがブッ壊されて格差社会を生んだ。アメリカと同じになったのだ。その元凶が竹中平蔵という学者である。自分はしっかり人材派遣会社の会長でもある。最も今の総理大臣は、募ってはいたが、募集はしていないという。なんたることか、珍問答となっている。人材派遣の会社の手数料はベラボーに高い。私募集がいる会社などでは、とても払うことができない。例え入社してもすぐ辞められたら、ふざけんなの条件だ。その昔、ヒト入れ稼業は堅気の仕事ではなかった。私募集はイロイロ相談を受けているが、こちらもイロイロ相談をしたいのだよ。辞職願い代行業というのが出て来た。自分で辞めますと言えない(あるいは面倒)なので金を払って会社辞めますと代行してもらうのである。それもこれも憎っく気は竹中平蔵である。日本には長い間培った、日本流の良さがあるのだ。みんなで支え合い、励まし合い、助け合う。フツーの社会に誰かしてとお願いしたい。私募集はこの次の総理大臣を募っています、じゃなくて募集してます。
                               (文中敬称略) 





2020年2月7日金曜日

第19話「私は報告」

私は「報告」である。この度私が報告することを読んで、そうか、どうりで休店していた。そうだったのか、よしすぐに御見舞に行こうと思ってくれたら、私報告はウレシイ。東京銀座マガジンハウスのすぐ側に、「舟よし」という小料理店がある(現在休店中)この店のオヤジの名が“須藤武吉”(たけよし)というので店名に“よし”がついた。地下一階カウンターに5、6人が座れる。その前にはフツフツのおでんがある。小上がりには小さなテーブルがあり、8人位は座れる。今は雑誌不況だが、かつてはマガジンハウス全盛であった。舟よしは午後八時頃から始まって午前五時頃まで営んでいた。徹夜で仕事をする人間のオアシスであった。「深夜食堂」というテレビのシリーズが人気を博したが、舟よしはその原型のようであった。私報告とオヤジとは40年以上のつき合いだった。雑誌編集者たち、映画関係、近くに電通やアサツーがあったので、広告関係者も多い。イラストレーターやデザイナー、カメラマンたちも深夜から始発まで舟よしを楽しんだ。お客同士みんな仲がよかった。オヤジは長身で外人のように目鼻立ちがよかった。ただし奥さんとは別居、娘さんがいるが、いないに等しかった。夜の仕事をしている女性たちも多かった。以前は入りきれなかったが、雑誌不況、広告不況、リーマンショックなどが続き、さらに働き方改革とかで残業がなくなった。タクシーで帰る事が許されず、記者たち、遊軍記者たち、フリーのライターやエディターたちは、終電前には帰ってしまう。私報告が大声を出して行くとよろこんでくれた。ビールが好きで始めから終りまでビールを飲んでいた。その舟よしに高級エステシャンの女性が、ほぼ毎日来ていた。娘のようにオヤジの面倒を見ていた。その女性から電話が入った。すでに家賃も払えず店の中で生活していたのだが、須藤武吉こと舟よしは、店内でブッ倒れているのをお客さんによって発見され、すぐに救急車で、虎の門病院に運ばれた。すぐにエステシャンと虎の門病院に見舞いに行った。やせ細っていた。腎臓がダメで人工透析をしていた。昨夜エステシャンから電話が入り、個室に移動されかなり危ない状態となったと。もし400字のリングを読んでくれている、舟よしファンがいたら、もうあの世に旅立つであろう、オヤジを思い出してほしい。私報告は声を大にして緊急報告する。別居中の奥さんからは、正式離婚をと言われたらしい。多分、今日か明日がヤマ場だろう。詳細は私に連絡をしてくれれば、ありがたい。八十歳を過ぎた須藤武吉は、自家製の“カラスミ”づくりの名人だった。だが本人がカラスミみたいになってしまった。

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2020年2月6日木曜日

第18話「私は目撃」

私は「目撃」である。仕事柄森羅万象の千変万化、人間の百態千態の観察、時代の動向変幻を細部にわたり観察分析は欠かせない。昨日夜七時頃渋谷宮益坂下交差点の側で、人の大行列を観察した。いつも無理をお願いしている、すばらしいアートディレクターの方と打ち合わせをしていた。その時大行列の話を聞いた。かつや明太子スパゲッティ(確か東京スパゲッティ)の店に変わっていたのだ。ああ知らなんだ、Why何故かつやがと思った。私目撃は行列を代理店の方と別れたあと観察した。その数約六十人。主に20代~30代男女。昼はほっこりしていたが、夜は寒いのなんの凄く寒い。ブルブル震えているヒト。ガタガタ震えているヒト。立っているヒト。しゃがみこんでいるヒト。肩寄せ合っているヒト。そこまでして食べたいのか明太子スパゲッティ。店内を目撃すると、ゆっくり、あったか気分で簡単に出てはなるかのヒトばかり。六十人目位が入店できるのは多分八時半頃だろうと思った。私目撃は並ぶのは大嫌い、荻窪のラーメン店春木屋か、銀座の共楽しか並ばない。夜帰宅をしてニュースを見る。ニュースナイン、報道ステーション、NEW23、WBS、などを目撃する。新型コロナウイルスはひょっとすると、東京オリンピックを中止させるかも知れないと思った。これからアフリカ大陸、南米大陸から続々と感染者が出てきたらアブナイ。アメリカという国にはしっかり民主主義があるのだと目撃した。民主党のアイオワ州の予備選で、同性愛をカミングアウトした38才の候補者が勝利した。議員経験はなしだ。次にトランプ大統領の一般教書演説が終わったあと、民主党の下院議長ペロシ議員(女性)は、演説原稿をまっ二つに破り捨てた。インタビューに対して、ウソで固めているからだと答えた。日本の野党にこんな根性はない。次にその日本の国会審議を目撃した。ああなんたる国会だ。目撃に耐えない、総理大臣が税務調査を受けているようなものではないか。一人天下でやりたい放題をやったので、これ以上異様な姿は見せてはいけない。そんな中、野党第一党の立憲民主党の国会対策委員長安住淳が、部屋の扉に新聞各社の記事をベタベタ貼って、寸討を書いた。花丸、百点満点、出入禁止とか。冗談のつもりだったと言っていたが失格だ。またもやホップ・ステップ・肉ばなれだ。この国から民主主義が消え去って行くのを目撃する。私目撃は目撃したくないものばかりを、目で追いながら豚のショーガ焼きを食べた。宮益坂のかつやはどこへ行ったのだろうか、ロースかつ丼、ごはん半分とん汁付が大好きだったのに。いよいよ私目撃が期待する人が、出番を向えて来た気がする。現在木曜日午前六時ニュースが始まる。この冬もっとも寒いと伝える。新型コロナウイルスに万全の体制をと伝えている。イスラエルのある社会学者の言葉が頭をよぎった。世界人類はやがて新型ウイルスで滅びるだろう。現代のペストを目撃したくない。これからひと仕事、その前に朝刊を取りに出た。今季最強寒波であった。バイクで朝刊を配っているヒトを目撃して思わず礼をした。私目撃にはとてもできない仕事だ。
                               (文中敬称略)

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2020年2月5日水曜日

第17話「私は動揺」

私は「動揺」である。私動揺は昨日夜21時頃発沼津行に乗車した。二ヶ所で人身事故があり、ダイヤは乱れていた。私動揺は21時発の湘南ライナーに乗るつもりだったが、駅員さんに聞くとちょっとまだ分からないんですと言う。ホームには人がズラズラ並んでいた。ソフトバンクの青春放題というデカデカとしたポスターみたいな看板を背にして、二つ空いていたベンチに座った。中国から来る人が激減していると言うが、ホームには中国人の人々が、たくさんいた。待つ事10数分列車が入線して来た。オットマズイいではないかグリーン車の空きが少ない。体は絶対座りたいといっている。扉が開くと、ドドッと人がなだれ込む。大人しそうなオバサンの目は血走っている。超肥満の会社員風が私動揺の前で視界を不良にする。お前何食ってこんなに肥ったのかと聞きたい。当然のようにポテトチップスとサッポロの缶ビールを2缶持っている。グリーン車はその人間の本性を見せる。1000円払って立っているのと、のんびり座っている差はとんでもなく大きい。公務員風の女性は万世のカツサンドとゆで玉子一ヶ、ストライブの入ったカフェオレを持って、ワツサワサと人をどかして、空いている席にスポッと座った。私動揺は空いている席になんとか座れた。通路側であった。窓側にはザ・中国人のお父さん、前の席には奥さんらしき人、そして五歳位の男の子。黒いマスクをしているのだが、前の席から奥さんがニョキと顔を出して、何かよく分からない物を渡す。ラッキョみたいであって、エシャレットみたいである。プーンと酸味の臭い。黒いマスクをアゴにかけてそれを食べる。時々、荒い息となってガチョーンとせきをする。今度は子どもがヒョコと顔を出して、ハイパパみたいに小さな果物を渡す。スモモみたいだ。それをカジカジしながら又ガチョーンと大きなせきをする。その度に私動揺はコロナウイルスのニュースを思い出す。スモモの種だろうか、食べた数だけバックの中から取り出した白い紙に、ブチュ、ブチュとはき出す。私動揺はイライラムカムカと動揺する。他の日本人もかなり動揺している。私動揺は子どもの顔がヒョコと出た時、恐い顔してニラミつけた。親中でも親台でもあるのだが、決して親スモモではない。グリーン券をお見せくださいと、人をかき分けて女性乗務員が来た。オリャ、中国語でスラスラと話しかけているではないか。全然分かんない中国語で隣りのご主人が、早口で自分と前の二人は一緒だと言っていた。どうやら子どもは無料だろうと主張している。女性乗務員もかなり早口になって、身ぶり手ぶりで指三本を立てて、グリーン車は子どももお金いることよと言っている。私動揺の頭の上にご主人の大きな声と女性乗務員の声が交差する。静かにしろとか、ツバを飛ばすなとか、ガチョーンとせきをすんなとかを、中国語で言えないのがもどかしい。チクショウついてネェなと思ったが、私動揺のザワザワはおさまらない。ご主人はシブシブ千円札を出して払っていた。この先前の席から何が出るか分からない。日本経済は、ザ・中国人で持っている。私動揺はかなり冷静さを失いつつあったので、列車が川崎駅ホームに着くと、降りて次の列車が来るのを待つことにした。やけに寒いので階段を上がっていくと、改札口の側に「直久」のラーメン店があったのだ。ごっつい醤油味で有名なラーメンだ。食うべきか、食わざるべきか。私動揺は悩みに悩んだ。 

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2020年2月4日火曜日

第16話「私はかわうそ」

私は「かわうそ」である。主な主食は嘘八百だ。中井貴一主演の「嘘八百」の一作を見たが、近々二作が上映されるとか。私かわうそは昨日朝六時になっても眠気が起きず、映画を見たり、小文を書いたり、新聞を読みながらテレビのニュースを見ていた。中井貴一と共に広末涼子が舞台あいさつをしていたが、その甘ったるいカマトトぶりに、気色悪くなった。世の男はこういうカマトトに、すこぶるヘロヘロとなるのだろう。私かわうその住み家はお堀の中や国会議事堂のある永田町とか、役人たちが働く霞ヶ関である。何故ならこの周辺には、私の主食である嘘八百がいくらでもあるからだ。あまりにも嘘八百が多いので食べすぎて太ってしまい。かなり運動不足となっている。で、時々泳いだり、皇居の周辺を歩いたりしている。映画の「嘘八百」は、書画骨董のだまし合いでドタバタとする。国会での嘘八百は特に総理大臣と菅官房長官がつく。陣傘議員は汗をかきながら嘘八百をつく。嘘一色であるようだ。安倍晋三総理大臣は、岸田文雄政務調査会長に禅譲したいようだ。そうはさせじと石破茂元幹事長が動くが、兵隊が集まらない。かつて敵前逃亡した事がある。(自民党を離れた)もしかして、ひょってしてと思っていた大実力者菅官房長官は、嘘八百の役目を押しつけられて、令和おじさんから、それは当たりませんおじさん、まことに遺憾おじさん、すっかり嘘八百おじさんにされてしまった。ならば私かわうその選挙区から出ている河野太郎防衛大臣をかついでと思うが、何しろ変人で、言うこと、やることに信念がなく、コロコロと変わってしまう。変人だからすぐ変節する。次に小泉進次郎はすっかり不倫人になってしまっている。高級別荘地のホテル代とか都内高級ホテルの代金をすっぱ抜かれて、話題は育休だけ。きっと夫婦間が乱をきたしプッツンして、自分を壊すといずれ政治家をやめるかも知れない。後は兄の小泉孝太郎がいる。この人はいいかんじだ。私かわうそは皇居のお堀によく入って、嘘八百を食べつつ世の動きを泳ぎながら見ている。「官僚の仕事」なる本が売れているらしい。なんでも国家公務員のいちばん難しい試験を受ける学生が半減しているらしい。徹夜、徹夜で嘘八百を作成したり、破棄したりするのが嫌いらしい。正義感を持って入省しても、あっという間に小悪人になってしまう。上司のためなら命をかけると黒澤明監督の名作「悪い奴ほどよく眠る」の中で、役人の掟を暴いていた。政治家にへいこらしているが、内心は小バカにしているのだ。私かわうそは今楽しみがある。いよいよ私かわうその期待する人物が、出て来ると思うからだ。有史以来今ほど嘘八百がまかり通っている時代はないだろう。戦争中の大本営発表に等しい。私かわうそは、大好物の嘘八百を食べすぎて、血液検査でみんなNGが出るだろう。それにしても六代目山口組の若頭の家はでっかいね。まるで超高級旅館みたいだった。こっちには近づかないことにする。ちなみに中国にいた友人の話だと、中国政府の発表の数字は、だいたい10分一なんだとか。嘘八百なのだろうか。(文中敬称略)

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