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2013年8月7日水曜日

「目利き」


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八月六日夜、あるお願い事があって二人の雑誌編集長とお会いした。

編集長というのは連合軍の総司令官であり、連合艦隊の艦長でもある。
何しろ視野が広い、顔が広い、洞察力が深い、その人脈は山脈の如くである。正に陸・海・空にネットワークが張り巡らされている。

一つのお願いに対して必ず三つ四つの展開案を示してくれる。
雑誌編集長の仕事で一番の事といえば、やはり新人の発掘であろう。

例えばこんなエピソードを読んだ事がある。
河出書房新社に伝説の編集者寺田博という人がいた。
福武書店(現ベネッセコーポレーション)に編集長として引きぬかれた。
「海燕(かいえん)」という文芸誌の新人賞を選ぶ事となった。

ある年、吉本ばななが「キッチン」で応募していた。
しかし下読み段階で「評価不能」に分類され、会社の地下倉庫に片付けられた。
最終候補を決める直前、応募作品の受付名簿を何気なく眺めていた寺田博が突然立ち上がった。応募者の住所に見覚えがあったのだ。

それは吉本隆明の住所で、ばななとは「あの真秀子ちゃん」の筆名では(?)地下倉庫から引き上げてきた原稿を一読した寺田博は「これ、いいじゃないか!」といった。

「海燕新人賞」は吉本ばななに決まりとなり、他の作品と共に一冊の単行本となりミリオンセラーとなった。
寺田博は通常、新人の作品を読むと徹底的に書き直しをさせ、持って行くと原稿を返され、もう一度書き直せば更に注文をつけた。
それが無限の反復にも思われ新人作家志望者は疲れ果てたという。

寺田博は目利きとして知れ渡っていた。
新人作家は毎夜新宿に連れ出され、酒場で罵倒されつづけ、そして何人かが育ち、やがて世に出て流行作家、人気作家、ベストセラー作家、先生、大先生となって来たのであった。大編集長に呼び出されるという事はきっと目利きの目に止まったのだろう。

人を見出して育てるという事は全ての世界にいえる事である。
画家は画商が育て、スポーツ選手はコーチが育て、チームと名の付くものは監督が育てる。会社の仕事とは、社会の役目とは何か。
それは一人ひとりの個性を見出し、人材として育てる事にある。
会社の大小にかかわらず上に立つ者は優れた目利きでなければならない。

八月六日夜、一人の新人を連れて編集長に会って頂いた。
後は本人がどこまで頑張るかだけである。
大作家となった人が若い時、ある編集長からあれを書けといわれた。
あれをどう書くか、その最初の一行が書き出せなかった。
やがて悩み苦しみ旅に出た。命を下されてから三ヶ月余が経っていた。
そして一行を書き始めた。みんな悩んで大きくなって行く。

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